政治経済を語る№40・『楽園』:狂った社会と楽園への老人の夢―3:💁正式公開

政治経済を語る№40・『楽園』:狂った社会と楽園への老人の夢―3:💁正式公開



【更新履歴】

2021/08/22 16:20 下書の一部記載

2021/08/27 1:47 清書化作業。14:17追記

2021/08/28 1:45 正式公開

 

 

 


◎今回の公開に当たって、催眠が多いため、追記は原則としてせず、2008年文書のままの公開とする。例外は誤字・脱字及び事実誤認箇所のみとする。

(1)は、単に、こういう社会があったならばという私の夢でしかない。人生後何年か不明の年代で夢を語る自由程度は犯さずにおいていただきたい。

(2)は受けた被害類である。被害がなければ私も助かった。

(3)は私の呼びかけであり、特定の人を対象としてはいない。

(4)は業者も含めて誰もが納得できる提案を検討した。

 異存がある人もいようが、異存のある人はその人のビジョンを自分で発表されれば、私も参考になる部分は参考にする。

 


【構成】
(1)夢―楽園―フォットエッセイ『楽園』―老人の夢
(2)狂った社会―私が受けた被害
(3)『楽園への想い』―世界への呼びかけ・問題提起
(4)『楽園への想い』ー(誰も助かる形での)行政・立法機関への具体的な提言:法や条例設定の呼びかけ。

(公開及び予定のリンク・赤は該当ページ)

(1)http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=33101
(2)http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=33127
(3-1)http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=33131
(3-2)http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=33135
(4)http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=33137


【更新履歴】

2021/08/22~2021/08/27 12:00まで下書と清書作業: 2021/08/28完全正式公開予定。14:13 追記。

2021/08/28 頃から正式公開

2021/08/28 15:13 レイアウト修正

 


『楽園への想い』ーー歩行者専用道路上違法駐車問題

ここ数年間、〝ふるさと〟・美作(みまさか)市で外出する度(たび)に、歩行者専用道路全面ブロックの違法駐車に遭遇(そうぐう)する。全く遭遇しない日は滅多にない。交通マナーの悪い大阪市ですら、車道違法駐車は見たことはあるが、歩行者専用道路完全ブロック違法駐車は見たことがないのに。
写真【狂った社会】の中で取り上げた写真📷⑤の例を挙げてみよう。

二〇〇七年十月HR医院界隈の歩行者専用道路を完璧に遮断し、交通量の多い車道通行を歩行者に強いていた車に遭遇する。注意しても無視され、車のナンバーをメモしようにもナンバープレートを全く見えない状態にしており、撮影を余儀なくされる。撮影中には恫喝(どうかつ)ともとれる形で文句を言われる。また、「撮った写真をどうする」と相手から言われた以上、「警察へ届ける」と明確に返答させられた。その結果、警察署などへの文書送付を余儀なくされた。


この歩行者専用道路は児童・生徒・学生の通学路であり、病院もすぐ側(そば)にある。HR病院は、約一月(ひとつき)前にこの病院を退院した私の母(〇八年五月で八九歳)も変形腰椎(ようつい)症・骨粗鬆(こつそしょう)症で通院している、足・腰等の骨折治療やリハビリ関連の病院である。おまけに一寸(ちょっと)した弾みで転び骨折した伯母(九五歳)がこの病院に入院中の時でもあった。そして、母が治療後に町営バスを待つ間に買物を含めてよく通る歩行者専用道路である。違法駐車を避けて車道に出る際に、万一転べば寝たきり老人になる。もし寝たきりになれば私と母と姉の喧嘩となる。

「何故(なぜ)もっと注意して歩かないのか。違法車のバックナンバーは控えたか。治療費、いや、今回直らずに寝たきりの可能性があるが、どうしたらよいのか」
母「バックナンバーがないのだから控えられないだろうが。転んで動けないのだから車の前側までいけないだろう。しかも歩行者専用道路を完全に防いでいるのだから」
「もう言っても仕方ないでしょう。金は私が何とかする。警察に届けても相手はしらばくれるし、無駄でしょう。警察が轢(ひ)き逃げでもないのに動くと思ってるの。第一、相手が分からないでしょう。証拠写真でもない限り。ただ、二四時間三六五日も母の介護はできないので後はお前がやれ」


我が家で、こうして家族で大喧嘩をしている頃、肝心の(本来賠償責任のある)違法車の主は、家で言っているであろう。


「仕事の後の酒はうまい」、と。

二〇〇六年には、老人の転倒事故は道路が33%で、屋内の31%を上回っていた(※注1)。こうした違法行為が頻繁なため、障害者・老人等は恐れて最初から外で道を歩くのを断念した上での数値である。こうした事が脳裏をよぎり、見逃すには危険すぎた。


※注1:老人転倒事故資料。

歩道を含む道路上が33%で自宅内31%を抜く。さらに道路に隣接している公園類が21%位となっている。次に事故の状況では平らな場所44%、階段などの段差19%、坂道、傾斜11%、障害物や悪路9%となっている。けがの原因は転倒が68%、衝突・追突、接触8%となっている。

「事故状況(平成17年4月~18年3月支払実績10,304件から)」から浜田がまとめる。
全国老人クラブ連合会HPより http://www.senior-ltd.com/o_needs/index.html

この事件の四日前にも、私の目前で対向車もないのに歩行者専用道路へ故意に突っ込みジグザグ運転をした、ナンバープレートも付けていないトラックに遭遇していた。半年前には私の自転車を抜く際にスピードも落とさずかつ異常接近運転車九台に連続して遭遇する(道交法18条2項違反)。五月三日にも四月ほど悪質ではなかったがそれに類する行為に遭遇、念のため車を撮影し運転手に口頭で注意しようとしても車から出て来ないため注意もできなかった。さらに数年前には、車が歩行者専用道路一杯に私の方へ五百メートルも進んで来たこともある。
美作市で、歩行者専用道路完全ブロックの違法駐車は多い時は外出の度(たび)どころか、一回の外出で四台以上に遭遇したこともある。少ない時でも外出数度に一度は出くわす。ごく一部のみ撮影・メモした物のみでもかなりある。口頭の注意もある。


しかも、大半の場合、合法的における場所がすぐ近くにあるにも拘(かか)わらず。一度は、注意すると歩行者専用道路から、すぐ近くの三メートル程度しか離れていない訪問先の家の庭に簡単に動かした(写真①と同一場所での別の車の違法駐車)。

 だが、我が家界隈の時には、「今回だけは我が家の庭を使用して良いのでそこに動かして」と申し出ても、歩行者専用道路から動かさなかった。たった五メートルなのに(写真③)。

 また、先の写真⑤のケースも写真撮影し、「警察に届ける」と言うと漸(ようや)く最後には動かした。簡単における安全な場所がすぐ側(そば)にあったのだから。いずれも歩行者専用道路〝完全〟ブロックである。

(2021/08/25 追記)この③は、2007年末に明白になったが、歩行者専用道路ではなかった。雑地もしくは黒水路の蓋(ふた)のようである。もっとも、この人物については前回解説したように、我が家の畑を無断で歩いており、罪名は住居不法侵入及び(作物を踏んだ可能性があるため)器物損壊罪である。勿論、このレベルでは警察などへの通報はしていない。ただし、我が家の畑の中に入り続けるならば、車を我が家の庭に移動してほしいと言っただけである。しかも、このときの人物が我が家の畑中を歩いていた場所には我が家の庭からの方がはるかに近い。だが、礼を言うわけでなく、移動もせずに…であった。市役所の地図を2007年5月21日に入手しており、この時点で該当箇所は道路交通法でいう歩行者専用道路ではないことが分かったが、なお、③の車撮影は2000年であり、その時のメモか、『閉じた窓にも日は昇る』のPaper版用下書時にはまだ十分しらなかったので、どちらかを引用したことによるやや不正確な記述である。『同書』の下書が2007年であり、完成が2008年である。この書物『閉じた窓にも日は昇る』は法律書や告発文ではなく、自伝該当であるため、この種の法的表現の丁寧な見直しや修正はしていない。その下書をここに単純に抜粋したことからの表記ミスである。車番号は「姫路 40」から開始する。


因(ちな)みに、美作市以外では、生まれてから今日までの五五年間では、車道違法駐車はよく見るが、歩行者誘導人抜きでの歩行者専用道路全面ブロック型駐車は見た記憶がない。しかし、放置すれば、これは日本中にあっという間に蔓延するであろう。インフルエンザ以上に危険な病である。

私とて、病気もあり可能ならば見て見ぬ振りをしたいと思うし、運良くそれが可能な時もある。もちろん、病気もなく、社会常識上の金もある時、これを見逃す人は道義上犯罪に加担していることは事実である。


しかも、撮影となるとしたくないのが本音である。何故(なぜ)ならば、フィルムは原則としてポジもネガもプロ用を使用しているからである。通常携帯しているフィルムはベルビア(ISO50)、ベルビア100、ベルビア100F、プロビア100F、ASTIA100F、プロ400N(PN400N)、時にプロビア400Xである。
だから、フィルム代も、現像代も高い。一時は機械焼きで一番安いRPプリントでもLサイズ一枚125円程度(手焼きはLサイズでも1枚1200円程度)であった。フィルム1本全部撮り全部現像・プリントすると機械焼きですら六千円を超える。関係方面(私用・警察署用・市議会議員用・市長や市役所総務課用など)に四部送付すると合計約二万円と郵送代+交通費となる。


私がカメラを常時携帯している理由は、プロ若しくはそれに準ずるカメラマンとして自然・鳥・動物が如何(いか)なる変化をみせても即それを撮るためである。そうした作品集で将来生計をたてるかもしれないからである。


カメラもF5(電池を含む本体のみで1.5キログラム。レンズとストロボ等つけると3キログラムを超える)などである。通常の人が常時首にぶらさげれば鞭打ちになるかもしれない。それと多数のレンズ。ここまで記せば、プロのカメラマンならばカメラ携帯目的は即分かるはずである。違法車を撮るのが目的では一切ない。逆にこうした違法駐車撮影するのが嫌で外出を避け、本当に撮りたい写真を断念したり、また外出時に違法車連続で已(や)むを得ずにネガのプロ400Nをカメラに入れた直後に、本当に撮りたい(ベルビアで撮らねばならぬ)被写体に出会い、被写体にマッチしないフィルムで撮らされたりと被害は甚大である。撮らされた私も大変困っている。


では何故(なぜ)撮影するのか。

もし轢(ひ)きき逃げを見れば、撮影せず放置した方がよいか、撮影した方がよいか、市民として撮影する義務があるか。政経の教師として、政治学の専門家として言えば最後が回答である。よって悪質な場合は市民義務として已むを得ずである。さらに、偶然の域を超えた、余りにも悪質な違法車に遭遇し続ければ故意か偶然か不明問題もあり撮らざるをえなくなるし、長年の〈中学校・高等学校・予備校・大学校教壇に立っていた〉教師生活で身についた性(さが)で私の意思を外れて撮影する場合もある。

 

しかし、後始末で警察、市役所等々へ文書を作成し送付せねばならず、後で金穴(きんけつ)で参っている。見ぬ振りができない性格上、これだけ違法車に遭遇すれば外出を可能な限り控えるか、十二指腸潰瘍などで療養中のため、撮らなくても・無視しても私に責任はないと自己暗示をかけ外出することも多々ある。完璧に無視できれば、丁度学校の教師が生徒の非行を無視でき、しかも責任追及もされねば天国と感じるのと同様となるであろう。教師も後始末が大変なのと同様である。


無視できる人が正常なのか、無視できない人が正常なのか。四十年前は教員の会合ですらビール数本程度の飲酒運転は当たり前で、それを止めたならば異常と思われ嫌がられた時代もあった。因(ちな)みに、それが原因で私が中学二年の時の先生(一九六六年度)は飲酒運転で人をはねて殺したが、当時は処罰が軽い頃で転勤ですんだ(確か処置は懲役なし、県外への人事異動のみで教職は継続。第一、校長などが酒をついで飲ませた疑いがあるのだから)。

今ならば懲戒免職でもすまない。歩行者専用道路での道交法違反問題も飲酒運転同様に大変危険で寝たきり老人などを生み出しているが、四十年前の飲酒運転の感覚が世間を支配している。政治経済学の先端を行く私(早大政研時代の同期生が早大法学部・政経学部、東大等で教授多数となっている)からみれば歩行者専用道路問題は飲酒運転への国民対応の歴史と同様の論理問題を抱えているのである。

 車は凶器であり、安全運転は不可欠である。また、林野高校在籍中には自転車通学途中の後輩が道交法18条2項違反の車による異常接近追越しのため接触され死亡した(一九六九年頃)。身の回り至る所で交通事故だらけならば、無視しようにも勝手に撮影してしまうのかもしれない。残念ながら、未だに、私は正常なのであろう。

車は走行中は凶器であることは言うまでもないが、車庫に入っている時以外は、走行していなくても同様である。銃同様である。歩行者専用道路違法駐車は、先に記したように、それを避けて車道に降りようとした老人などの転倒事故(寝たきり老人)などへの道でもある。ただ、こうした事故では犯人が特定できず泣き寝入りをしたり、歩行者専用道路違法駐車が原因での転倒事故でも〈歩行者専用道路違法駐車の車を避けて車道に降りようとして転んだとしてすら〉、転んだ老人が悪いと家族が勘違いしたりするため、表面化しないだけである。その〈くらい〉に歩行者専用道路上の駐車は危険である。


私の周りでこうした違法が大阪市以上に多いのかは私には分からない。ただ、車の後始末問題を除いても、車の異常接近・歩行者専用道路走行単車(一度ぶつけられ)・歩行者専用道路での自転車の無法運転(九七年六月には岡山市で一時間に数度ぶつけられ)では、気分的に外出阻止効果は十二分にある。これほど露骨ではなくても、障害者・老人は類似感覚を持たされている。だから、老人、障害者の気持ちが痛いほど分かる。

尤(もっと)も潜在的には、誰も、本当は歩行者専用道路上違法駐車の危険性に気づいているのである。
だから、都会や街では歩行者専用道路が幾ら大きかろうとも、障害者や押し車等を必要とする老人は歩いていない。大都会の中心部・梅田の大型歩行者専用道路を見るがよい。押し車・車椅子どころか杖(つえ)が必要な老人も、盲目の人などの障害者も見かけない。


道路を歩行者が通れば危ないので歩行者専用道路をつくった。だが、行政担当者は、ややこしいので、自転車も道交法に拘わらず歩行者専用道路に放り込む。すると歩行者が歩けない。そこで歩行者専用道路をさらに大きくする。歩行者専用道路が大きくなれば、自転車は歩行者専用道路でスピードを出せるのみか、ついでに単車も歩行者専用道路を走行し、車も駐車場代わりに利用し、その結果老人・障害者は逆に歩く場所がなくなったこうして街では障害者・老人を家に閉じこめた。

 では、大型バイパスをつくろう。その度に旧道付近の商店は潰(つぶ)れるのみか、さらに、大型バイパス付近は新店舗の集中となり、歩くのは逆に危険となる。歩行者専用道路が立派に完備されればされるほど、児童・生徒は教師の引率抜きでは歩けなくなっていった。立派な歩行者専用道路は自転車のみか、単車も走り、車にとっては絶好の駐車場なのであるから。市議会議員などは、地元に道路をつくるところまでは熱心であるが、その後の管理には一切関心を持たないのが美作市である。


人口が少なく、歩行者専用道路が十分にない田舎の方が逆に押し車の老人や障害者を見かけるという皮肉が生まれた。老人や障害者は街では買物も不可能となっている。大した行政である。国会議員・地方議員・官僚……は、教育の専門家の如く、学力低下を含む教育を憂(うれ)う談話はだすが、こうした違法車に遭遇しても見て見ぬふり。役所の職員、教員も記す必要もない。勤務中ですら。何をか況(いわ)んや。


老人・障害者が、安心して、外を自由に歩ける当たり前の社会を。それ抜きでは、誰にとっても自由も民主主義も存在していないことの証(あか)しでしかない。私は九十歳、百歳になっても、生きている限り、外を歩きたい。歩けねば、車椅子を利用してでも、外へ出たい。自然の移り変わりを見、外の空気を吸いたい。梅田の大型電気店にも自分で行きたい。杖や押し車は言うに及ばず車椅子ででも。当たり前の事である。だが、今は、それは夢の次元。時には場所によれば宝籤(くじ)を買うに等しい夢である。普通の、当たり前の事のできる場が、今や〝楽園〟と呼ばねばならない珍しい地となった。

 少なくとも日本では。時には自分の地元ですら。田舎の古里・美作市ですら、農村部はともかく、豊国原辺りの商店街では押し車や車椅子の人の買物など見ることもない。然(しか)も、商店街は農村部以上に広い歩行者専用道路が整備されているのに。では、何のために広い歩行者専用道路をつくったのであろうか。もし歩行者専用道路がもっと狭ければ車の違法駐車もできず、自転車も通れず、良かったのではと思うことは何度もある。


老人や障害者は都市部では外出させず家に閉じこめるという人権侵害のため、交通事故・転倒事故問題は、現時点程度に収まっているだけである。
優しい嫁は言うであろう。

「お婆(ばあ)ちゃん、外の歩行者専用道路は広いから自転車はスピードは出すし、単車も時々通るし、車も至るところに違法駐車があるので、危険だからでてはいけないわ。歩行者専用道路は田舎の道とは違うのよ。老人や障害者が歩く道ではないのよ」、と。


目に障害をおえば歩ける道は日本にはほとんどない(日本の視覚障害者数は30万人。単純計算では人口3万人強の美作市では80人強となる)政治家は言う。バリアフリーと。では一度、目隠しをして美作市の歩行者専用道路の大半を一日歩いて見本をみせてもらいたい。


今でも高齢者の事故は深刻な問題である。「駅や歩道など、公共の場所で転倒する事故が増えている。厚生労働省の調査によると、自宅以外の場所で転倒、転落によって亡くなる人は年間2600人あまりにものぼる」(クローズアップ現代放送記録二〇〇四年六月第二週)と言われている。だが、それは既に自宅に事実上監禁した上での数値でしかない。もし高齢化社会・美作市で老人・障害者が当然の権利として歩行者専用道路を自由に歩けば、〈如何に、歩行者が道路交通法を遵守しても〉、歩行者専用道路を走行する単車・無法自転車・歩行者専用道路上違法駐車の車などにより事故だらけとなり、美作警察署はもはやその後始末で機能できなくなるであろう。


※注2:因みに、交通事故の方は、最近は大きく減少し、「昨年1年間の交通事故死者は5743人で、前年より609人減ったことが警察庁のまとめで分かった。7年連続の減少で、死者が6千人を下回ったのは53年以来54年ぶり。…… 死者数は過去最悪だった70年(1万6765人)の34%の水準」となっている(「朝日新聞2008年1月3日)。だが、老人、障害者が当然の権利として、現在の状況下で外を自由に歩けばどうなるか。

当然、閉じこめられた高齢者・障害者が様々な病気になるリスクは高くなる。運動不足のみならず、ストレスもたまる。認知症にもなりやすくなる。日光浴・運動から疎外(そがい)された人間にとって骨粗鬆症などの進行度が高いことは言うまでもない。監禁生活では、運動不足から、家で欠伸(あくび)をするだけでも骨折する体となることも珍しくない。実際、日本転倒防止協会HP(ホームページ)の統計によれば、九五年~二〇〇五年の間の、八十歳以上の死亡原因の28.5%が転倒・転落事故という。外へ出られねば当然骨はもろくなり、屋内での転倒事故死者数は数千人に及んでいる。こうして、外での怪我(けが)のリスクを無理矢理回避させたかもしれないが、様々な他(ほか)の病気になる確率は高くなり、高齢者の医療費は高くなる。

医療費抑制の特効薬は予防医学(幼児時代から老人になるまでの科学的健康維持のための一貫した学習や運動)であるにも拘わらず、逆に病気の原因の一部を、社会・若者が老人に押しつけた。他方で、高齢者医療費などで若者は大変と煽(あお)る欺瞞(ぎまん)が罷(まか)り通る。

第一、若者の暴走の場である道は誰の金で造ったのか。今の高齢者の金である。

若者の教育費は誰が払ったのか。

若者の襁褓(おしめ)は誰がかえたのか。

ただし、高齢者のケアを家族に押し付けてはならない。それは少子化への道の加速としかならない。社会の首を絞めるだけである。北欧の如く、高齢者のケアは社会全体でみるのが本道である。


政経専門家でもある私は、日本の高齢化率問題の欺瞞を一つだけ指摘しておく。北欧は、日本と平均寿命はほぼ同一である。しかも日本より先に高齢化社会となっていた。にも拘わらず、スウェーデンの二〇一〇年高齢化推定率は約18%(二〇五〇年約19%)であり、日本の同年推定率23%(五〇年約36%)強よりも遙かに低い(「平成18年高齢化白書」より)。

中国は政治により少子化政策をおしつけた。日本は、政治では逆を言いながら、実際には経済政策のみならず政治の骨幹でも少子化政策を事実上推進した結果でしかない。平均寿命が等しく、先に高齢化社会に入った北欧よりも何故日本は人口の高齢化率が高いのかを分析すれば明白である。

 そして、その異常を当たり前・普遍的な絶対事項と思い込ませ、その上で百年の計と称する年金・医療・福祉政策をするは欺瞞(ぎまん)ではないか、となる。

 因(ちな)みに、平均寿命の高い北欧四か国(合計人口カナダ並み)のここ数年の実質経済成長率2.5~5.5%であり日本より高く、一人あたりGDPも日本より相当多い(〇六年ノルウェー六万六千ドル、日本三万八千ドル)、というおまけ付きである(「朝日新聞」二〇〇八年五月五日)。平均寿命が延びれば高齢化が日本政府の推計の如く極端に高くなるというのは、現在の日本の政策下ではという前提条件(※注3)の話でしかない。また日本の若者の負担率も同様である。前提条件を変える政策が本質であるにも拘わらず、前提条件を固定して試算していることに騙(だま)されてはならない。北欧の如く、予測できるならば前提条件を変える事はできるし、変えなければならなかったのである。

※注3。

〇六年フィンランドの合計特殊出生率は1.84%に対して、日本は1.32%であり、現在の日本の数値を固定化し、諸政策の前提条件としてはならない。因みに、日本の出生率が危険な水準へと下落し始めた節目の一つが一九七三年オイルショックであり、次の大きな節目が(日本の産業空洞化の原因となった)プラザ合意のあった一九八五年である。経済政策の舵取りが大きく出生率を規定していることの証明である。一九八〇年代後半までは、日本の方がフィンランドよりも出生率が高く、フィンランドの出生率は1.6%とかなり低かった。だが、フィンランドは政策により出生率は八〇年後半から上昇へと転じている。前提条件そのものを変える政策をフィンランドはとったが、それは政治の常識である。

現在、社会保障の負担問題を巡り、高齢者と若者を対立させる論調が一部マスコミでみられる

だが、年金問題一つをとっても、考えてもらいたいことは、今の高齢者は、賦課方式になる以前には長期に亘(わた)り積立て方式で年金を積み立ててきたのである。当時金利は高く、民間金融機関の貸出金利となると更に高く、賦課方式後も含めて積立総額を民間貸出金利による複利計算で本来得られる金額を試算してみるがよい(現在の低金利は歴史の中で異常な期間であり例外でしかない。八五年頃でさえ預金金利ですら6%を超えていたのだから)。それ以上に、国民を対立させることは、リンカーンの例を出すまでもなく(リンカーンが一番懸念したことは奴隷問題以上に、南部と北部の分裂問題にあった)、国家の存亡に係(かか)わる危険な論議である。

 少し、的を外れたが、交通問題も高齢者封じ込めにより、事故を減らせるという危険な風潮があったため、敢(あ)えて高齢者問題一般について論じた。本質は同一だからでもある。

わが古里・美作市は、温泉を中心とする観光の街である。

観光産業振興・観光客誘致の名の下に、ラクビー場・サッカー場・立派な体育館・武道館・各種大型テーマパークとあきれるほど造った。人口三万人の自治体で。同時に歩行者専用道路違法駐車の全国最先端都市ともなった。しかし、倉敷のチボリ公園の例を出すまでもなく、大小含めて何千とあるテーマパーク類で黒字を出しているのは三つ程度でしかない。おまけに、主要な湯郷(ゆのごう)温泉があっても別に遠方の山の上から温泉を出そうとする始末である。これで財政赤字にならねば世界の七不思議である。まさに箱物(はこもの)行政である。その結果は過疎の進行と赤字のみであった。そして、川の土手などは住民の賦役(肉体による課税に等しい)で辻褄(つじつま)を合わせたが、肝心の命の源泉・水のある川は至るところに木が生え、ゴミだらけである。ゴミ名物の観光地である。そうした街に来る観光客は金を地元にはさほど落とさず、ゴミのみを落として帰るであろう。


だが、考えてほしい。

もし、美作市が、交通問題、高齢化社会問題に必死に取り組んだならばどうなるか。

バリアフリーの日本一の都市となり、至るところに車椅子が溢(あふ)れ、押し車の大群が歩き、杖の老人が散歩をする姿が日常風景となったならばどうなるか。

さらに、街ぐるみで、健康増進・維持運動を行い、日本一病人の少ない街となったならばどうなるか。

バリアフリーの最先端の街となった時、それは箱物行政以上に観光資源となるであろう。日本は言うに及ばずアジアを始め世界各国から視察団も訪れるであろう。

お伽(とぎ)話ではない。シンガポールの観光名物の一つがゴミのない街であった時期がある。私が外国旅行で最初にシンガポールを選んだ理由の一つがゴミのない街・シンガポールを見てみたいからであった。依(よ)って、ゴミのない街、日常生活の中で車椅子が溢(あふ)れている街、寝たきり老人が一人もいない街、それはチボリ公園などのテーマパーク以上に観光資源となる。ありえないが、その施策を徹底しても観光客が増大しなかったならば。それでもチボリ公園と異なり困ることは何一つない。


私は夢みる。

川からゴミが消え、歩行者専用道路に違法駐車が一台もなくなり、歩行者専用道路に車椅子と押し車の老人が溢れた街を。

そして寝たきり老人が皆無となる街を。百十歳の人ですら車椅子で散歩している街を。

百歳の老人が散歩がてらに、商店街を歩いている街を。

その時には古里(=昔の思い出だけの、もはや姿を一変した廃れた〝ふるさと〟)を故郷(=昔から現在まで連続性のある〝ふるさと〟)と呼ぼう。そしてその時、医療費も自然と減ると考えている。

勿論(もちろん)、そのためには、交通問題のみならず、健康に関する勉学と実践が学校教育で英数国理社と同一の重みを持たねばならぬ。


東京杉並区立某中学校の憲法の精神に違反するとも思える学校塾よりも、我が美作市では、「優しさと思いやり」、「この世にある苦しみ」、それに「健康たる生活の継続学習と実践」、そして何よりも「生命への畏敬(いけい)」を、学校教育などを通じて、有意義な形で学習の場を提供することを望んでいるそれが本当の教育であり、学問の進化でもある。

その時に、美作市は交通問題でも日本一の模範市となるであろう。東京杉並区型学校塾は以下の例えと同一でしかない。設備や現代科学の最先端を取り入れた東京芸大を首席で卒業しても、何故千五年前の飛鳥彫刻・弥勒菩薩以上の芸術を生み出せないのか。建築学も法隆寺然(しか)りである。ソクラテスの例を出すまでもなく哲学も同様である。キリスト、仏陀の例を出すまでもなく宗教も同様である。英数理社国同様かそれ以上の重要な教科を忘却した結果に他(ほか)ならない。こうして教育も本当の意味で最先端となった時、それもまた観光資源となる。

同時に交通問題を含むマナーも大きく向上する。


勿論、甘い話だけではなく歩行者専用道路違法駐車が原因で怪我(けが)をした人が、違法駐車の持ち主から裁判を通じて賠償金をとるなど毅然(きぜん)たる態度を市が率先して支援することが重要である。そのためには市が専門弁護士斡旋(あっせん)などをする必要がある。

また、そうした怪我人が泣き寝入りしている限り、〝ふるさと〟は荒れ果てた地でしかない。鉄筋の建物を幾つ建てようとも、人の心は廃(すた)れ、もはや荒廃した荒れ地と同様の地でしかない。もし、市も警察も動かず、歩行者違法道路駐車を放置し、事故を防ぐために逆に老人・障害者を事実上自宅監禁し、その上で事故が起きた時どうなるかはアメリカの例(地方自治体相手の訴訟頻発)を出すまでもなく解説の必要性はない。市、及び警察がそうした厳しさも持ち、市民にもそうした心構えを涵養(かんよう)した時に、初めて美作市は日本の理想郷となり、本当の観光地となるであろう。

その時に、私はふるさと・美作市を、古里ではなく、故郷と呼ぼう。

そして、他(た)の都道府県・市町村は美作市を「この世の楽園」と呼ぶであろう。


(2021/08/25 18:51 記述: 📷番号が違っていたため2021/08/27 11:51修正)

違法車撮影は、

(A)誰かが交通安全対策で私を利用した疑い、

(B)逆に、誰かが、村人とトラブルを起こさす目的で罠をしかけた疑い(もう間違いないであろう)、

(C)それと催眠によるものである。

但し、本当に危険すぎる場面に出くわし、私以外でも通常の80%の人が何らかの行動をとる場面があった。(1952年生誕から)1984年トラブル以前にはこうしたことは20年に一度しか出遭(あ)ったことのないレベルであった。前回掲載した写真📷①、📷⑤、📷⑥であろう。📷②も過去にはこしたレベルは記憶がないのだが。

だが、もう金もなく、トラブルにもうんざりしており、轢(ひ)かれる直前以外は撮影しない方針とし、買物などでは原則としてカメラ持参すらやめている。

なお、2007年時は特に激しい謀略の(前回の写真)📷⑤であった。それを察知した(前回掲載の写真)📷①類が…であり、そこに催眠が加わりが本質であったと、最近は分析している。暗示は📷③の「姫路40ナンバーの車」で2000年になされてもいた。

(前回の写真)📷⑤類は誰がやっているのか、未だにその正体は不明である。2007年時の写真(前回掲載の📷⑤)を可能ならばどこかで補強して掲載しよう。

だが、業者は生活がかかっており…については、両者困らぬ形での、具体的な提言を次回の4(本来は3-2であるが、これを後回しとして提言部部の4を先に公開予定)しているので参照していただきたい。2008年夏に何人かに送付(送付先とそれらへの「おのおの」の前書きは最後に完全公開予定)した部分であり、私自身による改竄(かいざん)は不可能である。

(2021/08/27 12:00 追記:14:13追加)

①上記は2008年夏に送付のままである。ただし、二文字ほど誤字・脱字の訂正をおこなっている。原則として誤字はそのまま残し、訂正線(―)で訂正し、〈 〉に正しい文字を記入している。また、(2021/08/25 追記)箇所が一箇所あるが、その部分は紫色文字で記している。

②我が家界隈(かいわい)で車関連で何があったのかは知らない

我が村でも車問題で困っている人、逆に車などで生計がかかっている人…いろいろいよう。ただし、私自身は我が村ではそれらとは一切無関係である。
我が村でも「誰かが通報した…」という噂(うわさ)か印象操作があるが、もし、それが事実としても、詳細が分からないため(ちんぷんかんぷんのため)どちらが良いか・悪いかなど…は無責任になるため一切言えない。

ただし、誰かが私の名を無断で使用していることが多く、確実には我が家の番地使用者もおり、通常の人と同じく、私の名を無断で使用されたり、無断でだされたりすることを問題視している。

我が村での通報類があったとしても、上記の如(ごと)く、事情が分からないため何も書けない。
なお、私自身が動くときには、立会人・新免氏に事前か事後に必ず連絡し(2015年にHP公開しだしてからは、HPを見ていただいていると思われるため、重要事項のみの連絡に変化)、同時に文書で処理している。さらに、それらの文書は現在HPで徐々に公開中である。
また、動くときには大胆でもある。啓発型で動くため、隠すのとは逆に公開し、私の主張を私の名で広めなければならない啓発とは隠すの逆を意味する。

日本の総理(小渕恵三・小泉純一郎・菅直人氏)などには労基法違反被害問題などは書留送付している政府機関も同様である。警察類も同様である。私が隠すはずがなかろう。
なお、今回の文書の送付先と挨拶文がでてきたのでそれらも最後に公開しよう。
ようするに、私が動くときにははっきりと誰もが分かる形で動いている。
ちなみに世界の首脳相手にはSNSかE-mailと横着をしているが、それらも公開中である。日本国内にある大使館類には郵送が多い。

今や、私の名は世界の「Mr. Hamada」であり、私の行動は世界の首脳・スパイ網には隠し用もないことも事実である。

どうも、過去37年くらい(2021/08/27時点)に亘(わた)る被害が(誰とであるかは不明であるが)偽者か人間違いにより起こったとの(亡き)友人の指摘もあり、私の名を無断使用されたり、私の名を勝手にだされたりすることへの恐怖心だけがある。

40年近く「ちんぷんかんぷん」状態で、何が何かさっぱり分からないが、受けた危害は甚大(じんだい)であった。何故、このような危害を受けるのかは「さっぱり」分からない。それも40年近くも。