日本のフィクサーME・パート3・第1章第3節・山口県への旅・伊藤博文生誕の地(光市)

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日本のフィクサーME・パート3・第1章第3節・山口県への旅・伊藤博文生誕の地(光市)

 

(1)著作は、原則として、十二回の見直しをして作成している
(ブログは、通常、一回程度の見直ししかしていない。)
今回の原稿は、この十二回の見直し以前の単なるメモである。
そこで、作品時点では大きく様変わりするであろう。
それを頭に入れて読んでいただきたい。

(2)この文書は、故意に嘘(うそ)を10パーセント程度いれている。

どこが嘘かは公開できない。善良な第三者に迷惑をかけないための措置である。
総論として、この文書はフィクションとして書いている。

(3)『日本のフィクサーME』登場人物のキャラクターなどは以下を参照願いたい。
安らぎ文庫>>6-1・『日本のフィクサーME・下』《『日本のフィクサーME』登場人物の紹介》
http://h-takamasa.com/book-01/custom57.html

◎風景描写→字数の関係で、メモではごく一部を除き風景描写は原則として大きく省略する。


序章・経済人と政治家
企業間争いに巻き込まれて(2014年4月~)
オバマ来日(2014年4月)―ミスター・オバマとの親交開始へ

第1章・組織と人間
光市から萩の旅(2014年4月)
①組織と人間
②伊藤博文🆚安重根
③学校論:松下村塾・適塾🆚東大・京大
④偽者本格登場開始

2014年9月朝日新聞の慰安婦報道問題では朝日を支援…(橋下徹君問題では朝日を非難)

【構成予定】

日本のフィクサーME・パート3・
第1章1節:山口県・光市・萩市への旅(部落解放運動分裂模様から世界連邦まで)
第1章2節:山口県の旅への経緯―安倍晋三氏の影登場
第1章3節:山口県への旅・伊藤博文生誕の地(光市)
第1章4節:山口県へ旅(萩市)
第1章5節:オジョウの偽者登場


2021/11/29 1:02 メモの一部

2021/12/13 2:35 第3節の内容変化とそのメモ 14:20 若干の追記。

2021/12/15 3:02追記

2021/12/21 1:49 写真の一部添付作業。15:34相当長いメモと写真を追記。

2021/12/23 12:53 大幅追記

2021/12/26 17:11 今回は、2021/12/26 15:45から修正と清書に入りますが、過去と異なり、修正前原稿は消却しますので、改ざんその他の疑惑を持たれる方は、修正・清書をLive方式で公開していますので常時確認してください。17:15 微修正

2021/12/26 17:40《◇―2》修正開始。 18:27追記と修正 20:22 《◇―2》をほぼ終了。21:36 《◇―3》ほぼ終了。《◇―6》ほぼ終了。22:05:《◇―5》ほぼ終了。23:00から《◇―4》を記述中。23:52 記述続行中。2021/12/27 0:24追記。0:39 追記

2021/12/27 2:02 正式公開 5:18 微修正:5:28微修正。12:05、微修正。


 

【構成予定】(清書で変更する場合もあります。)
《◇―1・彼は私の(反面)教師であった―似た物同士・安倍晋三》

《◇―2・光市への旅の道中・回想―奇妙な人間・安倍晋三》
《◇-3・伊藤博文生誕地において、今日の学校と学校教育を考える》
《◇-4・私の偽者の本格登場開始の謎》
《◇-5・「歴史とは何か」》
《◇―6・資料ー4/3の旅の概略》

《◇―1・彼は私の(反面)教師であった―似た物同士・安倍晋三》


安倍晋三氏は、ある意味で私の教師であった。

🤡(ME=私)は、自宅監禁・経済封鎖・人身の自由を剥奪(はくだつ)され、もはや、如何(いか)なる}正当な賃金を代価とする}仕事も不可能と長年思わされることが多い。ただし、斯様(かよう)な被害に遭(あ)う心当たりは全くない。その謎のヒントが登場するのも、この旅からであった。

そうしたときに、政治家というよりも、「総理になれ…」という挑発が多かった。それしか生きる道はない、と。

しかし、晩成型の🤡(ME)は、🤡が思いもしない能力をみにつけることになった。全く、苦手に近い、芸術面での才能である。
📷カメラなどには全く興味がなかった。そのカメラを1994年半ば(43才頃)から本格的に行うことになる。次に、全く予想もしなかった、🎼音楽の世界に2015年(63才頃)からまきこまれていく。また、一番苦手な📖国語関連に該当する、「紀行文」を中心とした著述業を本業としようと、1998年頃(46才頃)から考えるようになっていた。


🤡(ME)が思いもしなかった面での技能を修得するにつれ、もはや政治の世界は大変魅力のないものとなっていた。
しかし、他の選択肢を封じられれば、生きていくために政治家(総理)などを漠然と臭わされ続けると…「本当にそれしかないのか」と観念しかかったこともある。▽
「総理」という言葉を最初にだしたのは、後藤田正晴氏であった。

※〈後藤田正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 – 2005年9月19日)は、日本の内務・建設・警察・防衛・自治官僚、政治家であり、中曽根康弘総理のときの官房長官として有名である。カミソリ後藤田と称された如(ごと)く、切れがあった。保守本道の中曽根氏に対して、後藤田氏は今から考えればリベラルでもあった。〉

後藤田正晴氏がテレビから「君は総理を狙っているのかもしれないが、まだ早い。君は大臣クラスだ。総理は君の家の柱の側(そば)にいた人が…狙っているのか」、と。
私は何のことか分からずに呆気(あっけ)にとらわれていた。
2002年夏頃(私が47才頃)のことである。
柱の付近にいた人とは、関西学院時代の恩師・後藤峯雄先生のことであろう。
というのも、恩師が、大学院時代の友人と一緒に我が家に来られたのが2002年夏だったからである。
後藤先生が私に何かを教えようとして、関学時代のクラスメート(尼崎在住)の友人を連れてきたのであろう。その謎もいずれ分かるときが来よう。
私の危害が人間違い(ひとまちがい)から起こったことを何らかの情報から把握していた可能性が高い。

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気が向けば一言・№228【駿台】人間違いを示唆する恩師と友人の訪問…
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1474/
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ちなみに、後藤先生がどの政党を支持しているのかを私は知らない。後藤先生も長きに亘(わた)り、私が党派中立の道を歩んでいることを御存じなかったと思う。
もし、私のHP類を御覧になっていれば最近わかりかけられたと思う。
ただし、後藤先生は親中感情が高いことだけは知っている。それ以上のことで、党派・宗派関連の話を先生とした覚えはない。


次に小泉政権で、大和田獏氏が、小泉純一郎氏が私を大臣にしたがっているという冗談で酷(ひど)い目にあったのが2005年(53才)の頃である。というのも、大和田獏氏がその冗談を言った日が、近所に住む叔母の葬儀の日であり、その日に☎がひっきりなしにかかり、悪戯か正当な用事かが分からなくなり、混乱したからである。
そして、2016年(64才の頃)の🗽アメリカ大統領選挙では候補者の何人(ミスター・トランプやヒラリー女史)が、私の方を指(ゆび)さし、あなたが日本の政治的リーダーにふさわしいという仕草をしただけの話である。
私の意思不在の物語でしかない。


しかし、全ての職業を封鎖されれば、もう、政治家しかないのかなどと思いこまざるをえなくなる状況も作られていった。
だが、そうした状況を打破し、「政治家などは、まして総理などは、私の性格では100%無理」だということを身をもって示したのが安倍晋三氏であった。
彼をみてわかった。私は政治家には絶対にむいていない、と。


時期は日本の『フィクサーME・パート4』に該当するが、2016年頃、二階俊博氏が自民党幹事長になった頃に私に言ったことがある。
「安倍晋三氏は、人が良いところがある。そこで、誰かが面倒をみないと…と思わされることがある」と。
その言葉は私向けの言葉に思われた。私も正にそうなのである

確かに安倍晋三氏は八方美人のところがあった。
2016年頃ならば、「オバマに好かれたい」、「メルケルさんにも好かれたい」、「プーチン大統領にも好かれたい」、…と。
2016年後半になると、「ミスターオバマに好かれたいが、ミスター・トランプにはもっと好かれたい」、と。
正確には、「ミスター・トランプには好かれたい。しかし、ミスター・オバマがどう思うか。オバマを切ることは簡単に思えても(実際に少し実行した疑いがある)、2020年の大統領選挙でオバマ系統の人がでたならば…。私は総理を長くやりたいのでまずいか…。それでもトランプ…が怖い…どうしようか」である

多くの人に好かれたいという性格は私と似ているかもしれない。
だが、総理は日本を背負っており、国益を目指して動かなければならない。
すると、タフネスネゴシエーションは不可欠となる。その結果、多くの世界の首脳とうまくやるなどは不可能である。
相当シビアに世界の首脳に対応しなければならない。ときには世界の首脳のほとんどに嫌われる必要もでてくる場合もあろう。
それが国益である。

それに耐えられない人間は、総理などにはなるべきではない。
安倍晋三氏を見ていて、私は性格的にそうした仕事は絶対に無理と悟った。
そこで、彼は私の教師でもあったと記したのである。正確には反面教師である。


安倍晋三氏が長く政権を維持できたのは、一重(ひとえ)に、民主党のおかげである。2012年に民主党が沈没したおかげである。
安倍氏の敵が自滅したのである。後は誰が総理でも同様の事態となっていた。それを証明したのが菅義偉氏であった。菅氏が退陣したのは、Coronaとそれ以上に東京オリンピック実施の関係であった。

国益(national interests)と記したが、安倍氏と私は相対的に国益を気にしない面がある。
安倍氏は私的利益を国益の上におき、私は世界的利益(世界全体の利益)を国益の上におく。
これでは、日本国家から金をもらい、その責任を果たすことは不可能である。

山口・光市への旅では、第一次安倍政権から、安倍氏退陣までの、私との関係を振り返り、回想しながら、話を進めることにしたい。
ただし、二点を追記しておく。
2016年のG7サミットは、首脳間が良くまとまっていたように思えた。その全首脳と私の接点を作ったのは安倍氏かもしれない。
(イギリス)キャメロン首相、(フランス)オランド大統領、(ドイツ)メルケル首相、(イタリア)レンツィ首相、(カナダ)トルドー首相、そして(アメリカ)のオバマ大統領である。
もっともその仕掛けはミスター・オバマだったかもしれない。

🇬🇧David Cameron、(1966年10月9日 ‐ )イギリス第75代首相:保守党
🇫🇷François Hollande、(1954年8月12日 -)フランス第24代大統領:社会党
🇩🇪Angela Merkel、(1954年7月17日 – )ドイツ第8代首相:CDU =ドイツキリスト教民主同盟
🇮🇹Matteo Renzi, (1975年1月11日 – )イタリア第63代イタリア閣僚評議会議長:民主党
🇨🇦Justin Trudeau、1971年12月25日 – )カナダ第29代首相:自由党
🇺🇸Barack Obama II(1961年8月4日 – )は、アメリカ合衆国第44代大統領:民主党
🇯🇵Shinzo Abe(1954年9月21日 – )日本・内閣総理大臣(第90・96・97・98代):自由民主党


しかし、川端康成『雪国』の世界でのトンネルを拡張しようとしたのはミスター安倍であった。トンネルのこちら側は現実の世界、トンネルの向こうは非日常の世界。私におきかえれば、こちら側は現実の世界(穏健な浜田隆政、田舎のタカちゃん)、トンネルの向こうは世界のMr.・Hamada、即ちMEである。
この二つを結合させようとしたのがミスター安倍であった。と言うのも、第二次安倍政権になり、安倍氏が最初にやったことの一つが、安倍昭恵氏の岡山県美作市訪問(2013年春)、私の地元・湯郷温泉への安倍昭恵氏の訪問(遅くとも2014年)…である。
そこで、裏と表が漸(ようや)く統一されるか…で一抹の期待を安倍晋三氏に持った時期があったのも事実である。

私が政治家を評価する上での90~98%が、私の人権回復である。護憲・改憲、年金問題などは残りの数パーセントでしかない。人権回復のためには、表と裏の統一が不可欠であった。
しかし、2017年以降は、その期待は「拉致家族被害者」の運命(拉致家族者は単に…家族自体も…に拉致されただけである)を見ていて幻想にかわっていった。だが、『日本のフィクサーME・パート3』(2014年から15年頃)は幻想を抱いていた頃である


《◇―2・光市への旅の道中・回想―奇妙な人間・安倍晋三》

山口県への旅は2014年4月3日出発であった。
前夜は日程表では午前1時か午前3時か判別できない文字で就寝時間が記載されている。午前6時起床し、午前6時40分に我が家をでる。勿論(もちろん)、金欠のため、最寄りの駅までは自転車である。最寄りとは往復12キロである。最寄りの高速バス停が往復16キロのため、近いとも言える。ちなみに、前者とて天王寺から梅田駅程度の距離である。雨でなくて良かった。

我が家を出て、道中、先に紹介した湯郷温泉に着く。距離は2キロほどである。

2014年4月14日午前6時50分頃湯郷温泉に着く。写真番号No.14-018-004

この日は桜が咲いていた。桜道をくぐって🚴自転車を漕(こ)ぐ。爽快(そうかい)か、頭は白紙、無である。出発の朝はいつも面倒かつしんどい。期待や楽しみは微塵(みじん)もない。このときに、車か自転車か人が桜の下を通ってくれれば、アクセントとなり、写真は決まる。しかし、この日は少し待っても、無駄であった。

2014年4月14日午前6時57分頃湯郷温泉を過ぎる頃。写真番号No.14-018-006

林野(はやしの)駅に着く。これが最寄りの駅である。2~3時間に一本の汽車しかない。電車は電線がないので走っていない。

この駅及び汽車類は、世界のスパイ網が、私をマークする上で高速バスと並んで重要な意味を持っているそうである。それを教えてくれたのが、多分、韓国の関係者であろう。大阪のホテル界隈(かいわい)も同様であることを教えてくれたのは中国の関係者であろう。我が家自体も完璧にマークされていることを教えてくれたのはアメリカ関係者であろう。

姫新線林野駅発7:15発7、津山駅7:50行きの汽車を待つ。

2014年4月3日:午前7時13分

道中、大崎の⛩鳥居が見える。

JR姫新線で津山へ行く道中、福力荒神社大祭で有名な福力荒神社が見える。
駅で言えば美作大崎駅の近くである。
この神社には小学校時代に、近くの(父系)従兄弟(いとこ)と一緒に自転車で何度か行った覚えがある。ときには二人乗りをしていったような記憶もある。

この従兄弟とは幼小の頃から、従兄弟の親戚も含めて、様々な所に、自転車で一緒に行った思い出がある。こうした幼小の頃からの付き合いがあるのだが、2009年頃から何かの意図で奇妙なことを開始した。
私と誰かとを争わせるような嘘(うそ)を故意にやっている疑惑がある。しかし、上記の如く幼小の頃からの付き合いのため、長期的に私に良かれと思って、故意に嘘類を流している確信犯と思われる。
同時に、何かやるときには、事前に私に「たかちゃん、ありがとう」と言うことが多い。

私の母が死亡したときに、葬儀か何かの折に、母の実家を管理している(母系)従兄弟をどこかにつれていった。その後、その(母系)従兄弟の機嫌が大層悪くなった。しかし、何のことかさっぱり分からなかった。
やがて、(母系)従兄弟が何かに気づいたように言った。
「隆政、何にもわからないだろう。分からなくていいのだ。それでよいのだ」と。
私の人生は1984年から危害だらけとなった。正に上記の会話の如く、何故(なぜ)、危害を受けるのかが全く分からないのである。また、突如、他人が私に対して何故怒ったり、気分を害したりするのかが全く分からない日々が連続して起こり(日常茶飯事となり)、もう40年近くになろうとしている。

この謎の鍵(🔏)が提供されだしたのも、この旅からであった。それらは《◇―4》で記そう。

2014年4月3日:午前7時37分

大崎駅を出た後、津山駅を経て→岡山駅に向かっていた。長い時間の旅となったのは金欠の関係からであった。
思えば、1989年から金欠時代が開始している。今(2021年)、収入は年70万円程度の国民年金のみである。勿論、生存不可能である。2012年に母が死亡したときに、わずかな遺産が入ったため生存可能となったが、資産類の枯渇は国民年金を考慮しても70才前半と試算されていた。
2014年もそれを当然意識していた。
しかし老後破綻から逃れるためには起業しかなかった。通常の場で雇われることは、様々な手段で完璧に妨害されていたからである。学校ならば、全く知らぬ、偽学生などの部外者の乱入などである。
そこで、起業のため、「旅」を…(起業秘密)…した安らぎ文庫創設のため、旅を含めた投資はせざるを得ない。ちなみに、後に述べるように、何故こうした危害に遭(あ)うかは何度考えてもさっぱり分からない謎がある。その謎への手がかりが出てきたのもこの旅からであった。

他方で、起業での妨害も予想された。
すると、投資は全てドブに捨てることになる危険もあった。
そこで、投資するとしても最小限のコストに抑えるため、光市・萩の旅は鈍行どころか、「青春18」なるチケット利用での旅である。一日、JRの鈍行乗り放題で2150円であった。
しかし、時間はかかる。この日も、林野駅から津山を経て、岡山、岩田駅、宿をとっている新山口駅までは合計9時間余りである。毎日こうなのである。
9時間と言えば、韓国や中国への往復時間をはるかに超える時間である。しかも、時間帯が悪ければ立ちっぱなしのときもある。座れて9時間ならば天国に近い。

こうして汽車の時間9時間の道中、何も考えない訳がない。
今回の旅は、行く態勢がないにも関わらず、「韓国の安重根記念碑に行ったので、伊藤博文の記念碑にも早くいかなければ大変なことになる」という姉のアドバイスで一年前倒しをしての旅であった。大変とは、安倍晋三氏を連想した。
そこで、回想の大半は安倍晋三氏のこととなった。

4月3日岡山駅で9時12分頃写す

第一次安倍政権回顧
もはや人は信じないかもしれないが、安倍晋三氏が総理になったころ(第一次安倍政権のころ)、彼は紳士であろうとした。右翼ではあっても、正義なるものに一定の枠を設けていた。第二次安倍政権になるとコロッと変わった謎がある。

第一次安倍政権の官房長官は塩崎恭久(しおざき やすひさ、1950年11月7日 – )氏と与謝野馨氏である。与謝野氏と私は双方悪い感じをもっていなかった。与謝野さんが死亡したときには追悼文を書いている。塩崎氏についても悪い感じをもっていなかった。

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追悼―与謝野馨様
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?service=9437
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ともかく、第一次安倍政権では私に対して丁寧であった。


第二次安倍政権(2013年)
第二次安倍政権になると、牙(きば)をむきだした雰囲気があった。2013年頃である。

第一次安倍政権では、安倍氏の予備(いざとなったとき)の相談役に…と小泉純一郎氏の思いを感じ、私は相変わらず、相談なき限り、😷(沈黙)をつらぬいた。

第二次安倍政権発足時には、極度の警戒感が見られた。恐らく、菅直人野田佳彦氏の相談にのったことが原因だったかもしれない。


第二次安倍政権(2014年以降)
ミスター・オバマが2014年に来日した頃から変化が見られる。
再度、私に対して融和的雰囲気となっていく。

もっとも、「毒饅頭(どくまんじゅう)の教育」「偏差値のイドラ」記載時には、事前に催眠型で内容を言わされ、安倍氏が「それでよろしい」と、検閲類似のことがあった。

他方、籾井勝品氏や浜田宏一氏などとの対談が組まれていた。

[※2:籾井勝人(もみい かつと、1943年3月4日 – )
2013年12月20日に、仕事上の繋(つな)がりのあった石原進経営委員の推薦を受け、NHK経営委員会で第21代NHK会長に選出され、2014年1月25日に就任した

浜田 宏一(はまだ こういち、1936年1月8日 – )は、日本の経済学者。専攻は国際金融論、ゲーム理論[3]。東京大学名誉教授、イェール大学名誉教授、Econometric Society終身フェロー、2012年12月 – 内閣官房参与に就任]

第4代日本経済団体連合会会長(2014年6月〜2018年5月)・榊原定征(さかきばら さだゆき、1943年3月22日 – )氏については第3代同会長・米倉弘昌(よねくら ひろまさ、1937年3月31日 – 2018年11月16日)との関係かもしれない。米倉さんが亡くなられた際には、Twitterなどに追悼文を書かせていただいた

しかし、随所に記したように、ボン(私)包囲網が、私の地元・美作市などで着々とつくられていった。

この頃(2014年前半頃)でも、私は安倍晋三氏の内閣支持率などは見たこともなかった。内閣支持率は、HPを立ち上げた関係で、集客目的で2016年から掲載を開始したのである。
それも気にしていたのはオバマ大統領の方であり、安倍晋三氏の支持率はほとんど頭になかった。

『日本のフィクサーME・パート2』(2014~15年)より後のことであるが、2016年以降も、この原稿整理の関係で記しておく。
2016年には、あるときは私に何かを間接的に諮問してくるという奇妙なことが起こる。

二階俊博(にかい としひろ、1939年2月17日 – )氏が2016年に自民党幹事長になった。このとき、安倍晋三氏は恰(あたか)も私に「この人選はどうだ」と言わんばかりに胸をはっていた。
テレビから、「二階氏は韓国にも大きなパイプをもっている。韓国にいけば、朴槿恵氏が直(じか)に迎えにくる。中国にもパイプがある。中国にいけば、習近平氏が直に迎えにくるときが多い」、と。「米中韓」とのパイプが揃(そろ)った、と。

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2016年8月3日の第3次安倍第2次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事で、自転車で転倒して入院した谷垣禎一の後任として自民党幹事長に就任した。就任時の年齢は77歳と5か月であり、歴代の自由民主党幹事長の中で史上最高齢の就任であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%9A%8E%E4%BF%8A%E5%8D%9A
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さらに、ミスタープーチンが2016年に来日したときに、安倍晋三氏がテレビから「ウラジーミル(ミスター・プーチンのこと)との会談はどうだった。仲良くできただろう」、と。
ところが、その途中で、ミスター安倍が「ミスター・プーチンに一本とられたのではないか」と気づき、一気に落ち込んだときがあった。そのときに、私は条件反射で安倍晋三氏のカバーに入った。今、考えると奇妙な感じがする。
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政治経済を語るNo.16・プーチン大統領来日のときの私の発言(北方領土問題等)公開(続編)。
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=11691
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政治経済を語るNo.15・プーチン大統領来日のときの私の発言(北方領土問題等)を公開。
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=11509
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彼(安倍晋三氏)は、実は、私の味方なのだろうか、とすら思える始末であった。
彼が、私の人権侵害から救済してくれる救世主なのだろうか、とすら思うときが出てくる始末であった。


第二次安倍政権(2017年以降)
『日本のフィクサーME・パート2』(2014年~2015年)以降のことであるが、原稿の整理上、2017年以降も少し書いておく。
この関係が大きく崩れるのは、ミスター・オバマがアメリカ大統領を辞めて、ミスタートランプが大統領になったときからであった。そして、一連の攻撃らしきものが2017年3月頃から火を噴き始める。この箇所は「日本のフィクサーME・パート5」で記すことになるであろう。
2017年からはボン・バッシングが急展開して開始する。
安倍晋三氏の私への動き方は現時点でもまだ理解できない状況でいる。

しかし、安倍晋三氏が私を攻撃する理由が分からない。
①政敵を倒す→私は政治家ではない。
②文化人であろうとも、革新派を潰(つぶ)す→私は党派中立・宗派中立になり40年目くらいである。
③安倍晋三批判者を潰す→私は😷(沈黙)をしており、それを貫く予定でいたが、降りかかる火の粉を払っただけである。私の方からの攻撃はしていない。
④レッドパージに憧れて、マッカーシズムの真似(まね)をした→私は党派中立と書いたはずである。

すると、一体何だろうか。
私を脅して何をしたいのだろうか。
安倍攻撃をするな→③参照。
革新派は嫌→③④参照。
🤡攻撃目的や脅しは何なのだろうか。
さっぱり分からない。
何をしているのだろうか。
さっぱり分からない。

現時点での感想は大変奇妙な人物であるが、具体的には、彼(安倍晋三氏)は誰かに私のことで騙(だま)されているのではなかろうかそれが、私と安倍氏の対立の原点のように思える。
私は政治家ではない。
今は何らかの闘士でもない。すでに、少なくとも40年間はそうである。党派中立・宗派中立である。
それでは何を…。
彼がイチロー君や、羽生君をライバル視しているようなものである。

何かおかしい。
ちなみに、山本薩夫監督及び、その甥(おい)たちは、私は左翼とか日本共産党関連の人と思っていた。
ところが、一週間ほど前(2021年12月中旬頃)にWikipediaで下記の記事を見た。
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山本 學(やまもと がく、1937年1月3日 – )氏が「 2012年9月の自民党総裁選挙では、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」の発起人の一人となった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%AD%B8
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まさか、あの山本学氏が。
まさか、今でも信じられない。
斯様(かよう)な(私の如く)決めつけの土台の上で、安倍晋三氏は誰かに誤情報をつかまされ、更に誰かに騙(だま)されたとしか思えない。

いずれ、私の政策を書いていけば分かろう。
政策を書けば、回答は100%でることになる。
安倍晋三氏を擁護する気は一切ない。
しかし、彼はいい加減に目をさました方がよいとだけ言っておこう。

最近思う仮説は、彼が誰かのデマに騙(だま)された・騙されている疑惑である。


この項目の最後に二つ記そう。
安倍晋三氏辞任の際には、その判断を私に委ねられたように思えた。もっとも、それは二階氏経由だったのであろう。


トランプ大統領と安倍氏との関係→詳細には書くまい。一言だけ記す。「見ての通りである」、と。
オバマ大統領と安倍晋三氏との関係→詳細には書くまい。やはり、適切な言葉は、「御覧の通り」と。
マスコミ諸君は「見ての通り」を…と書くので…🤷となる。マスコミ諸君も、良心的報道をするならば「ご覧の通り」で通せばよかったのであるが。
必要時には何かを書くことが出てくるかもしれないが、😷(ME)も🤡(沈黙)が一番有り難い。

彼が、私へのマイナス面の関与がなくなれば、私も元の😷に戻るであろう。何故(なぜ)ならば、私は政治家ではない。同時に党派中立を標榜(ひょうぼう)し、人生のライフワークで忙しいこともある。現在は、降りかかる火の粉を払っているだけである。



《◇-3・伊藤博文生誕地において、今日の学校と学校教育を考える》


伊藤博文記念館最寄りの駅・岩田駅には14時8分についた。
倹約のため歩いていきたいのは山々なれども、とにかく、ひどい方向音痴ときている。この頃はスマホも携帯電話も購入も所有もしたことがなかったときである。
そこでやむを得ず、タクシー利用とした。

14-018-029: 2014年4月3日:午前7時37分: 14時9分

タクシー代金(岩田タクシー)は1270円で、伊藤博文記念館には14時25分に到着した。

2014年4月3日:午前14時20分

伊藤博文記念館


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山口県光市:伊藤博文関連の解説箇所
https://www.city.hikari.lg.jp/soshiki/9/bunka/bunkashinkou/1/3365.html
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2014年4月3日:午前14時29分

2014年4月3日:午前14時43分

 

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以下、拙著「写真物語ブログ」から抜粋

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私がソウル・安重根記念碑に2013年に行ったため、伊藤公資料館では多少嫌みでも言われるかと思っていた。

逆であった。

大変親切で丁寧な対応をしていただいた。また、伊藤博文関連資料も頂いた。

伊藤博文の本物の動画も見た。

伊藤博文が海に石を投げて遊んでおり、意外な無邪気さを見た。

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「山口・光:撮影日2014/4/3 :旅に心を求めて№8-1:不条理の狭間で(光~萩)・光市」から抜粋

http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=2525

山口・光:撮影日2014/4/3 :旅に心を求めて№8-1:不条理の狭間で(光~萩)・光市

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裏に回り、伊藤博文の生家を模倣してつくられた建物に行く。

中は、下記である。

2014年4月3日:午前14時35分

伊藤 博文(いとう ひろぶみ、1841年10月16日〈天保12年9月2日〉- 1909年〈明治42年〉10月26日)については現時点では何も知らないに等しい。
伊藤博文に限らず、一人の人間やそれを取り巻く状況は膨大な情報となる。どこに光を当てるか、E.H.カーは『歴史とは何か』(What is history?)の中で「現代との対話」を重視した。伊藤博文を検討するに当たっては、現代社会が直面している課題のヒントを得ることが重要である。焦点の当て方について司馬遼太郎氏と私との対比がそこにある。即ち、娯楽ではなく、実用的なもの、科学的なものを追及するである。ただし、哲学的な分野も追及する場合も多い。

 

この後、上側の伊藤広場で撮影をする。

2014年4月3日15時16分:📷No.14-014-100

2014年4月3日:午前15時23分

伊藤博文🆚安重根をテーマにする原稿・書籍は拙著「旅に心を求めて」シリーズとなる。今回は「日本のフィクサーME」シリーズのため、現在の政治の裏の情報公開が中心である。そこで、伊藤博文については「Wikipedia」から、「旅に心を求めて」シリーズに関連する情報と興味のある部分のみを、少しだけ抜粋・記載する。

以下、伊藤博文関連情報の簡単なものと、いずれテーマにする事項である。
伊藤博文は、百姓の出身で足軽、後に総理になった人物である。
今で言えば若造となる44才で総理になった。

女性に関しては二つの側面があったようである。Wikipedia から概要を掲載する。

「女子教育」重視発言と有名な「女好き」(女好きは当時から非常に有名であり、女性とよく遊ぶことから「箒(ほうき)」(女が掃いて捨てるほどいたため)というあだ名がついた。時には先述の明治天皇にすら、「少し女遊びを控えてはどうか」と窘められたこともある)という側面である。
もう一つの側面は、東京女学館を創設するなど女子教育の普及に積極的に取り組んだ。また、伊藤は日本女子大学の創設者、成瀬仁蔵から女子大学設立計画への協力を求められ、これに協力した。
女子教育者であった津田梅子とは岩倉使節団で渡米のとき同じ船に乗ってからの交流があった。日本に帰ってから津田は伊藤への英語指導や通訳のため雇われて伊藤家に滞在し、伊藤の娘の家庭教師となり、また「桃夭女塾」へ英語教師として通っている。津田は明治18年(1885年)に伊藤に推薦され、学習院女学部から独立して設立された華族女学校で英語教師として教えることとなった。

撮影途中で雨が降ってきた。

2014年4月3日:午前15時9分

2014年4月3日:午前15時16分

以下、今後のテーマとなる項目を羅列しておく。そのテーマの研究は拙著「旅に心を求めて」シリーズで行うことになる。

①松下村塾で、どのように学問をし、どのように鍛えられたか。学校とは何か。東大・京大🆚松下村塾・適塾。
②イギリス留学時に、夏目漱石同様に人種差別に遭遇(そうぐう)しなかったか。また留学とは何か。
③江戸時代と明治時代を共に生きた人間模様。

④政治との問題では征韓論…の資料として。
⑤(国家としての)韓国に対する感情は如何なるものか。
⑥初代韓国統監であった、伊藤博文の(国家ではなく)韓国の人(住民)に対してどのような意識を持っていたか。

⑦伊藤博文は将軍と天皇に対してどのような意識を持っていたか。

⑧表の政策と裏の政策。→裏の政策で=差別政策などを行ったか否か。


これらは、もし私に研究資金が入り時間も取れるようになれば、それ以上に自由の身になれば、拙著『旅に心を求めて・不条理編』シリーズで記す予定でいる。
司馬遼太郎氏との相違は、私は悪まで現代との対話、それも、人間個人の生き方以上に、時代を動かすethosというものや、様々な現代活用可能な施策のための材料に焦点をあてることになるであろう。

雨が降り出し、同時に、次の予定に穴をあけぬため、ここでうちきることにした。

さらに市営バスの時間の関係もあった。

 

2014年4月3日:午前15時24分

2014年4月3日。16時26分市営バスが予定通りに来る。



《◇-4・私の偽者の本格登場開始の謎》

このやどでも奇妙なことがあった。恰も、私が、浜田隆政の偽者という雰囲気があったのだ。

2014年4月の旅から、私の偽者の臭いが開始することになる。

2014年頃から、私の偽者が随所で登場しかけた。
当初は雰囲気であった。
テレビで水戸黄門という番組があったが、水戸黄門の偽者が登場する回があった。それと同様に、私の偽者が登場したように思わされることがあった。

私は随所で記したように、裏での知名度が極端に高い。だが、表では田舎に監禁されている、温和なタカちゃんである。通常の人には私の表と裏が一致しないため、偽者登場の隙(すき)を与えたように思えた。

この山口県の旅でも、私の名前を書くと、「嘘(うそ)でしょう」的な雰囲気とか、きっと浜田隆政の名をかたって、何らかの恩恵に与(あずか)ろうとしている人間だという雰囲気が随所でなされたことである。
確か、4月5日のベッセルイン福山と4月3日のこのホテル(ホテルアムゼ新山口)が最初ではなかったかと思う。
勘違いならば、お許し願いたい。
ただし、この山口の旅ではそれによる被害を受けていないため苦情を言っているのではない。


このときはその程度であったが、2015年1月30日の出版に当たっては、浜田隆政という同姓・同名で漢字まで同じ「浜田隆政」氏が、全く同一日の2015年1月30日に本を出版するということが起こってくる。

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(総合案内所HP:連絡Corner)2015/1/14→同姓同名人物が同一日に本販売!注意を!
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?menu=2015114%e2%86%92%e5%90%8c%e4%b8%80%e5%90%8c%e5%90%8d%e4%ba%ba%e7%89%a9%e3%81%8c%e5%90%8c%e4%b8%80%e6%97%a5%e3%81%ab%e6%9c%ac%e8%b2%a9%e5%a3%b2%ef%bc%81%e6%b3%a8%e6%84%8f%e3%82%92%ef%bc%81
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2014年4月3日:午前20時8分

そして、2017年の東京への旅では更に異常なことが起こる。
2017年11月の東京への旅では、人間違い・家間違い三昧(ざんまい)であった。それも出発前からである。


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「フィールドワーク・東京」(2017年11月30日)の記録―5
http://h-takamasa.com/Blog/?p=12374
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(関連)№17-100・トラブルの危険性ある人権擁護局封筒(処理対応待ちを参考公開)
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=12499
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しかも、東京では印象操作で、私が某氏を私の偽者にしたというような「盗人猛々(たけだけ)しい」印象操作がなされる始末であった。
これについては、例の三人組と居酒屋・「徒然草(つれづれぐさ)」でした会話を紹介しよう。
その前に、偽者事件について、現時点で分かっている経緯を記しておく。


①2002年頃~2008年頃
何人かの人によって、私が人間違いをされているという軽い印象操作がなされる。
→最近では2002年に関学時代の恩師・後藤峯雄先生が大学時代の友人と一緒に我が家に泊まりに来られたのもその関係かと思うことがある。
また、高校時代の教師が、私のことを「浜田Z3」と何度も呼ぶことがあった。

②2012年4月
松江の友人が私の過去の被害の原因は「人まちがいが原因と」明言した。
その後で、彼は「僕は糖尿が悪い、インシュリンの注射を打つ」と言った。

トラブルブログ

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人から恨みはかう覚えはない。
よって、人からつきまとわれ、危害を受けるのは勘違いとしかおもえない。島根県の友人が「なぜ、そういうことを長期されると思う」と聞いたので(2012年4月)、私は「誰かの勘違いとしか思えない」と返答すると、彼が「いや、人まちがい」と言った。何の意味か不明。
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T15-10(T15-10)・広島から帰るのを阻止されたトラブル。:JRトラブル=津山駅で徹夜
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=1413
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③2014年山口の旅で偽者の登場気配

④2015年1月→浜田隆政と同姓同名の人物(同一漢字の人)が私の処女出版日と同一日に本を出版する。

⑤2015年頃JR(旧国鉄)絡みのトラブルに連続して遭う→ここから人間違いを疑い、私のHPでのプロフィールを充実しようとすると妨害三昧(ざんまい)となる。

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💁気がむけば一言【駿台】№216 女性問題でっちあげ、トラブル、更に人間違い被害疑惑(その6)・🤡プロフィール記載等への異常妨害の謎。
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=12499
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⑥2018年頃Z家が何故か、駿台時代の真似(まね)をする。
→ここから駿台事件を再検討する。そして、一連の工作事件と分析をした。しかし、私は斯様(かよう)な工作を受ける心当たりが皆無である

⑦2019年4月世界の首脳が一斉に偽者注意のシグナルを送ってくる。
このシグナルで、徹底して偽者対策に乗り出す。
なお、このときに、松江の友人に「誰が誰と私との人間違いをしたのか」を聞こうとすると、彼はちょうどその月に糖尿病で亡くなった。

{(参考)この2019年4月には、西山ファーム事件(社長・西山美千代氏)でのカード詐欺事件が起こる。同年同月に、私も偽サイトにひっかかりカード詐欺被害に遭いかける。}



さて、今度は、5~10%嘘(うそ)を故意に入れた、例の三人の友人諸君との会話である。

布袋(ほてい):
松江の友人って、僕のことと思われるではないか。
それはさておき、こういうことに詳しい「はかせ」はどう思う。


はかせ:
ボン様は裏の世界では超有名ですな。
そこで、将軍様などがボン様の情報を各種手段で入手されていますな。

その入手先の一つが、ボン様の偽者様の家だったのではありませんかな。

そして、ボン様の偽者の件などは官邸も世界も全部知っていますがな。
そこで、将軍様がボンさまの偽者事件の件を、窓口の某氏に尋ねた。
しかし、某氏自身が家族か誰かを守るためにボン様を替え玉にしておられた。
すると、某氏は、当然、ボン様の方が某家を替え玉にしたというような戯言(たわごと)を申されますな。

将軍様は、ボン様の汚点になることならば何でも良いということで、吟味(ぎんみ)をせずにそれに飛びつかれたのですな。
途中で気がつかれたかもしれませんが、将軍様のメンツもあるのでまっしぐらですな。


明神:
しかしサー、世界中の指導者がもう知っているから、将軍様も無駄な抵抗は恥にしかならないよ。
もっともサー、某家というのが頑強に言い張っているので…はかせの言う将軍様も、まだそのデマに未練を持たれているのかもしれない。
世界の方は既に詳細に知っていても、入手手段がまずいので言えないのだろう。
それに、世界の指導者は国益中心に考えるから、国益と無関係なことでは動けないだろう。

もう誰もが知っていることだ。
解決は時間の問題だ。


ボン:
いや、僕は正論派だ。
「機構」などとの裁判にもっていって、その問題も裁判所でケリをつけるのが正論だと思う。若しくは、政府機関も絡んだ以上、国会でガラス張り審議の中でその問題もケリをつけるのが正道だと思っている。
しかし、完璧に訴訟の自由、裁判の権利も奪われて前に進めないのだ。弁護士がどうしてもうごかないならば、弁護士抜きで自分で訴訟しようと思っても、催眠類で阻止されているし、催眠類で裁判所で何を言わされるか不明のため、自己訴訟も無理なんだ。

いっときは、不可思議な世界で…ヨブ記の世界の如(ごと)くと思いあきらめていた。しかし、有名映画監督が言うにはどんな映画でもストーリーはあると言う。
すると、某予備校での意味不明の事件があった1984年から時計は止まっており、その頃から本格的な人間違いがあったとなる。

人間違いでも、僕に加えた危害は残虐すぎた。その後始末は大変だ。
だが、危害者・Xが大義をもちやったならば、人間違いとわかれば、本来は僕からは完璧に手をひき、平身低頭するはずだ。大義があったならば居直りはしない。
親の仇(あだ)討ちを考えれば分かるだろ。
人間違い危害を加えた相手に言い訳や「お前も悪い」などと言っている間に、仇討ちは不可能となるし、第一、大義から外れるため、言い訳はせずに、平身低頭で次にいくはずだ。
そこが全く理解できない。
該当者に、我が家に正面から来て、正々堂々と事情を言えと何度言っても無視だからね。


この話は今回はここまでとする。ともかく、人間違い問題をフィールドワークでも臭わしてきたのが2014年山口の旅からだ。
話がそれるので、今回はここまでとしよう。ともかく、現時点(2021/12/27 0:23)でも誰が誰と私とをひとまちがいしたのか、まだ完全に分析できていない。

フィールドワークではホテルの部屋は少し広い方が良い時が多い。何故ならば、諸資料、雨のときにはカメラ・レンズを並べて乾かす空間、更に衣類もぬれていればほさねばならない。その上に、コンビニで弁当などを買っても食べる空間もいるからである。この日は小雨があったため、カメラ・レンズ機材を干さねばならず、このくらいの広さがあり助かった。

2014年4月3日:午前19時19分

2014年4月3日:午前19時21分

 

 

 


 

《◇-5・「歴史とは何か」》

伊藤博文とは、単に、今の総理と同様な人間でしかない。
伊藤博文=…=小渕恵三森喜朗=小泉純一郎=安倍晋三=福田康夫麻生太郎鳩山由紀夫=菅直人=野田佳彦=菅義偉岸田文雄…である。


現代の毒饅頭(まんじゅう)の教育の中で、教科書に登場する人物が神話化されているにすぎない。上杉謙信、武田信玄…は今の県知事以下の存在でしかない。それを、仰々しく学校授業で人物群を取り上げた所に、今日の教育を不毛なものとしたのであろう。特に、学校授業での社会科、国語などがその典型例である。

2014年4月3日:午前14時29分


安倍晋三氏も、百年後にはその頃の受験生が名前を丸暗記し…となるであろう。
千年後には安倍神社ができているかもしれない。
逆に言えば、人物を中心とする歴史教育のお粗末さでしかない。
過去の、岡山県で言えば、和気清麻呂吉備真備…も、果たして、必死に覚える意味があるのだろうか。

備前藩城主は奉(まつ)られ、他方、岡山県知事は当時の数倍の財政…と人口を抱えていても、所詮(しょせん)、岡山県知事である。
今の岡山県知事の名を百年後の人が必死に暗記して何か意味があるのだろうか。総理とて同様であろう。

それでは歴史に何を学ぶのか。
その回答シリーズが「旅に心を求めて」シリーズである。
人間の生き方のみならず、「現代との対話」、即ち、現代に役立つものを学ぶ必要がある。
北条泰時ならば、「北条泰時=御成敗式目」ではなく、彼は会議にあたり、目下(発言力の弱い者)から先に発言させた、…そうした人類の英知などの方ではなかろうか。


今日の、社会科教育、歴史教育の出鱈目(でたらめ)さを、光市をでた後、考え続けていた。
これで教育は良いのであろうか。
同時に学問とは何であろうか。
現代をより生きるための知恵であろう。その知恵の発掘を無視しているのが今日の学校教育である。

姥捨山(うばすてやま)」の物語の方が今日の歴史教育よりも意味があるかもしれない、などと後に行う「野麦峠」への旅を考えていた。

2014年4月4日伊藤博文記念館:安倍晋三贈呈碑(16時14分撮影):ここまでは安倍様も機嫌が良かったのであるが

ホテルに戻り、カメラの手入れをしながら、伊藤博文記念館で見たビデオを思い出していた。
ビデオで伊藤博文を見たときの感想は、余りに無邪気で幼かった。
彼が幼小のころではなく、彼が現役の総理などになっていた頃である。
これが、私が本物の伊藤博文(全盛期の頃)の映像を見たときの感想であった。

ここで、例の三人組との会話を想像してみた。
はかせが口を出してきたように思えた。

はかせ:
そういう意味では安倍様と同じですな。


布袋(ほてい):
人は見かけによらないというよ。
ボンは政治学を専攻していたのだから、ヒトラーを調べて御覧よ。彼もひょっとすると幼いとか無邪気な所があるかもしれない。
しかし、歴史に名を残した人間破壊主義者だ。


明神:
もっとも、ボンちゃん史学では、ヒトラーのそうした政策研究が今日の対話として重要なのだろ。
それにボンちゃんがサー、言っていたようにサー、ヒトラーとスターリンは同じ所が多い。
ボンちゃんは言っていたね。
スターリンはヒトラーの本を読み、自分の政策の参考にしたと。
生きた政治学は危険だね。

ボンちゃんサー、日本に生まれて良かったね。
不毛の政治学ばかり、大学でも大学院でもやっているから、役にたたない。役に立たないから危険性も少ない。
生きた政治学はサー、原子力の取扱い同様に危険な面が多いからね。

ヒトラーと言えば、ボンちゃんはサー、松岡洋右ヒトラーとの関係に興味を持っていたね。
しかし、ボンちゃんの人生の妨害だらけでサー、、研究も、ライフワークとなる予定だった『旅に心を求めて』シリーズもサー、一切前に進まないのだろう。



 

《◇―6・資料ー4/3の旅の概略》

当時の旅行記メモのまま抜粋する。

林野~津山~岡山~~新山口~(萩~宮島~福山)

◎伊藤博文記念館。
到着して暫くしてから雨が降る。大半、雨の中での撮影となった。
伊藤記念館周辺では数人に出会ったが、館内には私しかいなかった。
伊藤博文のビデオが残っており、生ビデオを見る。シーンは海に向かって、Koreanの皇室の人?と博文が石を投げて遊んでいる場面であった。

◎新山口駅周辺。
店が余りなく、私好みの店はなかった。入った食堂も今一つであった。食べた物も印象になく、生ビールもおいしくなかった。ホテルの朝食の方は結構健闘していた。

◎光市について。伊藤博文、松岡洋右生誕地。更に宮本顕治の生誕地でもある。残念ながら、後者二つには行く時間なし。

【日程】
①我が家発。午前6:45(自転車)。
②林野駅発7:15→津山駅7:50着:7:53発→岡山駅9:07着:9:15発→三原駅10:26着:10:58発→岩国駅13:05着:13:07発→岩田駅:14:08着。
③岩田タクシー14:10→伊藤博文記念館:14:25着(料金1270円)。
④伊藤博文記念館発15:25(市営バス200円)→岩田駅着
⑤岩田駅発16:51頃(16:21の汽車が30分遅れのため)→新山口駅着18:30頃。(交通費は林野駅から新山口駅まで青春18で2150円であった)。
⑥ホテルチェックイン19時頃。
⑦新山口散策19時過ぎ~21時頃。

(B)ホテル=ホテルアムゼ新山口(食事込み)
5180円-ポイント使用2300円=2880円。
部屋25平方。朝食付き。朝食の内容も悪く無し。部屋も申し分なし。ただし、部屋からの景観は悪い。
Twitterに朝食時の熱い物持たされ…で多少悪く思えるコメント記したが、今考えると社会通念内であり、意外と良かったホテルというのが現時点の評価。

(C)資料

伊藤博文記念館にてかなりの資料→資料箱に保存。
①各種パンフ類。②記念館情報ファイル(記念館でもらった資料)、③伊藤博文公年譜(同上)、④各種地図、⑤ホテル界隈地図、⑥伊藤博文関連文書

 

今回記述は以上まで。

尚、《◇―4》は只今、進行中。




 

 

 

 

 

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下記は分散して徐々に記す。またTwitterでも徐々に私の案を記そう。大半が唯一無二の状況である。

 

【具体的政策論】は日本のフィクサーME・パート3の中で徐々に記載していく。

私もそう思う。そこで、これから、僕の政策の骨子を徐々に書いていくつもりだ。
安全保障、教育、地方自治、年金…全て、オリジナルだ。と言うのも政党の機関紙どころか、商業新聞も10年以上購読していないので、当然、完璧なオリジナル路線だ。
骨格だけかけば以下となる。
安全保障は、ユートピアと思われようとも、私は世界連邦・世界統一軍しかないと思っている。軍事同盟廃棄路線も無理だ。自国の防衛コストが大変高くつく。話せば分かる路線は世界中の相手も同様なときのみだ。もし話せば分かるならば国際司法裁判所がパンクし、国際司法裁判所の支部が世界に200どころか、1000以上存在していただろう。
他方、二国間軍事同盟もギクシャクだらけでトラブル連続となると分析している。

世界統一軍もあるという部隊ではなく、米国軍に匹敵かそれ以上の本格的な軍隊を考えていた。軍事の独占だ。しかも、早急にAI化や無人機、ロボット化の独占(世界統一軍以外は保持できない)に関する国際条約も必要だ。
詳細な見取図は後日記そう。ちなみに、この見取図を持ち訪米する予定が後に記す妨害に遭う。凄まじい妨害であった。

尚、上記はユートピアではない。米中露が近づけば、後はG7、G20等で、約4年を目処にできる可能性がある。国連が1941年から話が進み、1945年には創設されているからだ。だが、国連では重要問題が解決できなくなっており限界に相当前からなっている。

教育は国公立大学は夜間を除き全廃路線だ。大学の国際競争上現行制度は問題が多いこと、更に、逆進税型になっていることなどからである。総論として、国公立大学は私立大学の学生よりも家の収入が高い人が多い。東大などがその典型である。極論すれば金持ちは有名国公立大学へ、貧乏人は私立大学へとなっているからである。高校の場合には下記の如く公立高校はがんじがらめの学区制で、私立大学は自由として、問題は解決される。公立高校は行きたい人の大半が行けて初めて税投入の意味がある。

大学は、学生本人に税投入すべきであり、国公立大学に税投入するのは効率が悪い。しかも、東大・京大は他の私立大学に比べて、金持ちが相対的に多い。極論すれば貧乏人から金をとり、金持ちに流すのと同様である。また、教師・事務員間での競争政策も難しい。全部民営化ならば、アインシュタイン級の学者は破格の金でスカウトできるともなる。経済学者サムエルソンを名古屋大学が確保できれば、世界中から、優秀な学生が名古屋大学大学院などに来るであろう。これも重要な競争であるが、国公立では賃金は別の決め方をするため、破格な金での教師のスカウトは無理でもある。私立大学は自由のはずであるが、国立大学などに釣られているのであろう。

なお、偏差値は教育サービスという商品を提供する大学間競争の結果であるが、日本では逆となっており、偏差値が大学の格を規定し、学生もそれに釣られる。万一、偏差値で嘘を書けば、嘘が実現するのが今の日本である。そして、実際に偏差値で実質的に嘘をついた事例を、私の原稿「偏差値のイドラ」で紹介した。こうした詐欺が蔓延しているのが今の日本の高校・大学である。

 

その根拠と見取図もいずれ記そう。医学部は私立が高いので国公立残せは欺瞞(ぎまん)である。金がない学生のために、国公立大学に資金投入はなく、直にその学生個人に両親の所得制限の下で資金を投入した方が安くつくし、効率的でもある。厚労働省系大学は文部科学省系と余りにダブり、完全に無意味となっているが、事実上、全国に28校近くある。ごまかしで10校程度に見せているだけである。即座に全廃である。

公立高校は逆にがんじがらめの学区制度だ。小学校・中学校と同様の学区制度だ。その理由も後日記す。私立高校は自由である。国庫助成がなければ完全自由となるのだが。

学区制徹底の理由は差別と選別の教育否定のみか、高校の塾化を阻止し、大学ではできない高校独自の教育が必要だからである。高校は大学へ行くための組織ではない。大学へいくための組織は塾や予備校である。大学が大学院へ行くための組織ではないのと同様に、高校には高校独自の教育があるはずだからである。
学歴社会の打破と大学における本格競争原理の導入。(例、東大一極集中も打破し競争へ。例えば東京でも、一橋大学・東京工業大学・東京芸大・筑波大かお茶の水大・東京農大・東京外大と?医学部を合併させ、東大に対抗させる。もっとも、国公立大民営化の間に行う。民営化すれば国は口をだせない。更に、慶応と大阪大学などの合併である。世界の優秀な大学生を日本の大学院にかき集める方策。今の如く、欧米の大学に行けば箔がつくは時代遅れである。その逆を志向せねば、いつまでも日本の高等教育は欧米以下かつレジャーランドが実態となるであろう)。
奨学金と教育ローンの見直しと新制度。
教師間の新の競争と優秀な教師の育成政策と移動誘導政策を。
大学の重要な商品である教師が使い物にならねば大学は飾りでしかない。
世界と優秀な学生の奪い合い競争を。優秀な学生は海外へ留学…では無理。優秀な学生を海外は否定しないが、それ以上に優秀な学生を世界から日本に集める政策を。優秀な学生獲得の国際競争の激化政策である。
他方において優秀な学生をつくるためには、学歴社会打破が不可欠である。そうでないと大学はダイヤの指輪と同様の飾りとなる。分かり易く言えば、プロ野球は大学をでているかどうかはどうでもよい。野球選手養成所をでているかどうかもどうでもよい。現場でつかえればよい。だが、大学スポーツ学科や養成所が生き残るためには、プロ野球で活躍できる選手を本当に養成し、結果を出さねばならない。その前提には現場でつかえればよいという単純原理である。
企業も現場で使えればよいのであり、使えるかどうかに、大卒とかどこの大学をでたかは無関係である。それを徹底すれば、大学の側がが本当につかいものになる学生をつくろうと努力をする。今はその努力が全くない。大学をでなくても社会・企業で活躍できる社会を実現して、初めて大学は死に物狂いで、意味ある大学になろうと努力をする。
学歴社会の否定こそが、大学をあるべき大学に導く政策となる。分かり憎ければ(実力主義の)プロ野球を例に考えればよい。野球の名門かどうかなども一切関係ない。現場での活躍が全てである。
その結果大学は卒業が困難となり、それを見て志願者が減り、入学は易化する。入りやすく、でにくいとなる。同時に、大学などをでなくても、社会で活躍をできる道が広がれば、大学に行こうとする人は減る。他方、大学はそれでも学生をこさそうと必死で努力をする。死闘となる。それが教育改革の原点である。今は大学が役に立たなくても、アクセサリー感覚で大学に行こうとする人間が余りにおおい。

他方、小学校・中学校は高校のがんじがらめの学区により、入学競争が減り、ゆとり教育が可能となる。だが、義務教育ではない高校も入るは易しく、でるは難しいという本道になっていく。学歴社会の打破であるから高校をでなくても活躍できる道と、高校をパスして大学に行ける道を広げることが重要でもある。そのときに高校も大量倒産の危機で蘇る。高校は大学へ行くための組織ではなく、別の教育目的があることも自覚するであろう。大学が大学院にいくための組織ではないのと同様に、高校は大学へ行くための組織ではないのである。別の教育目的があったはずである。そしてそれに向かい死闘となる。生徒の死闘ではなく、経営者の死闘となる。
文豪・松本清張の最終学歴は尋常小学校卒である。松本清張のごとき人物が多数でて、初めて高校や大学は目が覚め、本当の学校教育が開始する。建築家の安藤さんは東大教授であるが、彼は大学院どころか大学もでていない。それが当たり前となって初めて学校も蘇る。現在の高校大学は飾りか、高校は塾同様となろうするか両極端となっている。大学は単なる飾りであることは、私の原稿「偏差値のイドラ」を読めば分かろう。中学校や高校は毒饅頭の教育であることは、私が「毒饅頭の教育」批判の続編を書き続ければ分かろう。日本の大学の大半は飾りでしかない。教育費のドブへの投入と同様である。飾りではないとすれば教育効果として何があるのだろうか。せいぜい、クラブ活動などをあげるだけだろう。それが大学や高校の本質であろうか。飾りではないという真面目学生もいよう。だが、自首ゼミなどで自分らで鍛える以上に、本当に教育効果があるのだろうか。特に、大学の通常の授業などは。教師と学生の時間のドブ捨てになっているとしか思えなかった。

年金はニュージランドをモデルに、掛金制度ではなく、税を資金とした最低保障年金(現在の生活保護費に+α)と、掛金による上乗せ年金である。後者は任意とする。

地方自治は、封建制の打破。即ち、生まれたことにより拘束されるものの全廃だ。自治会と言っても似非自治会であり、隣組制度が実態だ。そこで、GHQが行ったのと同様に、一度、全て廃止を法律で行う。その上で、本当の自治ならば、村八部と無関係に、本当の契約で、目的志向型で自治会を作ったときのみ認可する。神社も同様だ。神社の解体ではなく氏子制度の解体だ。その後で、再度氏子になりたい人はなるとする。法での全廃が難しければ、国家主導の啓発活動で行う。ただし、今は想像であり、実際に実験しながら理論・政策を構築しないと具体策は出てこない。
封建制が日本には随所に残っているため、その解体だ。それも法律で行う。
戸籍制度も全廃だ。その案も後日記す。

独立行政法人に徹底したメスを入れる。国家の二大癌であった、雇用能力開発機構と社会保険庁が名を変えて復活しかけている臭いを感じる。癌の再発の兆した。

無用となった組織の解体問題だ。

国際経済も独自だ。関税・為替・法人税は一体として考える。三つとも国際条約で各国の自由とはならない仕組みとする。
関税は原則全撤廃だ。例外は二項目だけである。国際会議で認められる緊急事態時のセーフティガードだけだ。もう一つの例外は、世界連邦を通じて所得再分配と同様の仕組みを世界でつくる。兵庫県と岡山県の間には関税はない。カルフォルニア州とネバダ州の間でも関税はない。同様に、関税を世界中で撤廃に入る。関税の撤廃である以上、その時点で、TPPとかその他の経済連携や経済統合は必要ないとなる。
為替は1984年頃から主張しているように、準固定相場制である。金為替本位制ではなく、パソコン類を駆使しての相場をつくり、5年間は固定する。その後で再度パソコン類を駆使して、見直しを図り、再度5年間固定をする。
法人税は、世界をグループ化し、そのグループ間では法人税は幾ら以下にさげることを禁止する。

日本に限定すれば以下を考えている。
小選挙区制は廃止する。場合によれば比例代表制も廃止する。ともかく、日本での小選挙区制度は失敗したのは大半の人が分かっていようとなる。
大選挙区完全単記投票制にする。妥協は中選挙区短期投票制、即ち、昔の制度に戻すである。日本には小選挙区制は向いていなかった。比例代表制は理論は正しいが、日本では約半分が無党派層である。そこで比例代表制も無理である。支持政党なしが圧倒的な第一党が日本である。しかし、比例代表制度では、国民の支持政党なしという意思の大半は反映されない。
選挙運動は期間の拡大と個別訪問などの解禁、立会演説会などの復活…とアメリカ並の選挙運動を盛り上げる方策をとる。

消費税問題は当面は以下を唱える。消費税を上げた場合と所得税をあげた場合で、どちらの税収が増え、どちらが景気を悪化させないかの実証実験を行い、その結果を見てから新政策を考える。現在はモデル地区や特区などで実験もせずに、単に消費税ありきとなっており、非科学的すぎる。消費税はフランス人がフランスの経済風土にあったものとして1950年頃に考えたものでり、日本の経済風土にあっていない気が随所でしている。
同時に、新たな税を検討する。例えば健康税などである。

…徐々に全項目について記そう。記せば、私が赤とか青とか…ではなく、無色か、誰も見たことがない色と分かろう。

領土問題、経済政策…全てオリジナルの考えを持っている。
経済政策の土台は「都市から地方へ」であり、首都を東京から即座に移動する。地方を復活させるには封建制の打破も不可欠である。同時に、ITの更なる進化とそれをフォローするインフラ整備が不可欠である。これらは建設国債で行う。
ただし、日本の狂った借金1200兆円問題だけはまだ解決策を見いだしていない。これは難問である。

需要サイドの経済学と供給サイドの経済学の問題。

今回は骨子のみを下書かメモのままとし、清書化は別の章で行う。そこで、上記案の箇所は飛ばして、光市から萩の旅の概要と起こった出来事を記載する。

学歴社会から完全競争社会へ。

ボン:
僕は第二次安倍政権になっても安倍晋三批判はしたことがなかったのだ。

第二次

 

 

 


この日の天気はすさまじかった。晴れかと思うと、雨、雨かと思うと暴風雨と。
萩についた時は、暴風で、レンタサイクル予定であったが、暴風のため中止し、徒歩で回る。
正午前から歩き、ホテルに戻ったのが20時頃であり、約8時間思い器財を持ち歩いたことになる。

(1)松下神社(12:39~13:13)
暴風の中、神社を地図を見ながら歩く。ここまでは簡単に行けた。

(2)伊藤博文住居跡(13:20~14:10)。
同じく、地図を見ながら歩く。これまた運よく簡単に行けた。奇跡的とも言える。
なお、ここではとんだ桜が道を多い、桜道となっていた。撮影方法はトリミングした桜道を花と一緒に撮るべきであったと、後日考えた。

(3)松下村塾(14:48~14:59)。
大変なのは松下村塾であった。地図を何度見てもたどり着けず。萩市の掲示地図を見てもわらず。松下神社を13時13分に出て、松下村塾にまず行こうと考えるも、行ったり来たりでたどり着けず。やむを得ず、先に伊藤博文住居跡に先にいく。その後も、何度地図を見ても松下村塾の場所が分からず。道路の標識にも記載なし。目的の一つの松下村塾に行けず、どうしたことかと困り果てる。何度あちこち行っても、松下神社にたどり着く。
弱り果てた時ふと一つの考えが浮かんだ。ひゅっとすると松下神社の中に松下村塾があるのではないかと。その仮説に基づき、松下神社内に再度入ると、何と、この中に松下村塾があった(14時48分)。松下神社をでてから松下村塾にたどりつくまでに1時間35分かかった。

伊藤博文記念館にてかなりの資料→資料箱に保存。
①各種パンフ類。②記念館情報ファイル(記念館でもらった資料)、③伊藤博文公年譜(同上)、④各種地図、⑤ホテル界隈地図、⑥伊藤博文関連文書
ホテルアムゼ新山口(食事込み)
JR鈍行(青春18)=2150円+光市でタクシー1270円

①各種パンフ、②各種地図、③野坂参三関連資料、④松下村塾関連資料。
萩ロイヤルインテリジェントホテル
防長交通バス=2080円
0332(221ページ)

(1)松下神社(12:39~13:13)
暴風の中、神社を地図を見ながら歩く。ここまでは簡単に行けた。

(2)伊藤博文住居跡(13:20~14:10)。
同じく、地図を見ながら歩く。これまた運よく簡単に行けた。奇跡的とも言える。
なお、ここではとんだ桜が道を多い、桜道となっていた。撮影方法はトリミングした桜道を花と一緒に撮るべきであったと、後日考えた。

(3)松下村塾(14:48~14:59)。
大変なのは松下村塾であった。地図を何度見てもたどり着けず。萩市の掲示地図を見てもわらず。松下神社を13時13分に出て、松下村塾にまず行こうと考えるも、行ったり来たりでたどり着けず。やむを得ず、先に伊藤博文住居跡に先にいく。その後も、何度地図を見ても松下村塾の場所が分からず。道路の標識にも記載なし。目的の一つの松下村塾に行けず、どうしたことかと困り果てる。何度あちこち行っても、松下神社にたどり着く。
弱り果てた時ふと一つの考えが浮かんだ。ひゅっとすると松下神社の中に松下村塾があるのではないかと。その仮説に基づき、松下神社内に再度入ると、何と、この中に松下村塾があった(14時48分)。松下神社をでてから松下村塾にたどりつくまでに1時間35分かかった。

(4)野坂参三の墓参り(15:59~16:36)。
逆に野坂参三の墓は方向音痴の私では、ちょっとたどり着くのが難しいのではと危惧していた。地図を見ても大変わかりにくいのである。ところが、野坂参三の墓のある泉福寺(浜崎町)を目指して歩いていると、押し車の人や、車が誘導してくれるかの如く形で、意外と簡単にたどり着けた。しかし、道は大変ややこしく、もう一度行くとなると着けるかどうか不明である。
なお、泉福寺で野坂参三の墓を探すが、どうしても見つからず弱り果てる。そこでやむなく本堂の方に進むとお寺の娘さんらしき人がおり、その人に尋ねると野坂参三の墓へ案内してもらえた。感じの良い若い(知的雰囲気の)女性であった。
何枚も写真を撮っているのでそれを見ること。ただし、平凡な形で撮っており、芸術的に撮れば良かったと後日思った。たとえば多重露出を入れるなど。
なお、この寺は浄土真宗であり、吉田松陰関連の寺であった。
野坂参三の文字の横の野坂竜の文字を見て、私の単なる直感の政党防衛論を墓の前で喋ると、遠くて船の汽笛が〝そうです〟の如く形でなった。なお、私のこの仮説が当たっておれば、不条理編Part2は第1章が安重根と伊藤博文、第2章が苦悩の中で、野坂参三(氷点型で記す)、第3章がベトナム戦争と韓国で構成する。

(5)高杉晋作住居跡(志賀義男生家近く)(17:33~17:36)[界隈]
この後、高杉晋作住居跡を目指す。高杉晋作に余り興味はないが、先の不条理編Part2の関係で志賀義男について書くことがあるかもしれないため、行っただけである。確か、志賀の生家がこのあたりである。結局、高杉邸に行ったが付近に志賀という家は見えなかった。なお、この地に行くまでの間で見た風景は萩という地に相応しい景観であった。また途中田中義一記念碑を見る。また、この地へも意外と簡単に行けた。

(6)その他。
「あず花亭」というレストラン(18:37)で夕食をとる。コストパフォーマンスは高かった。また萩の地酒があったので、飲んでみた。全く酔わなかったが、地元を飲むという感じで飲んだ。レストランからの景観も良かった。

【ホテル】
ホテルは食事込みで6100円ーポイント2300円使用=2900円。
ただし、朝食は二、三百円程度のものでしかない。要するにおにぎり二つ程度と考えた方が良い。よって、朝食込みというよりも、おにぎり二つサービスと記した方が正確であろう。しかも、ホテル側も、朝食なし、ただしサービスで何かを出す的感覚が強く、私の方との食い違いがでた。要するに、ホテルは悪魔でサービスでおにぎりあげます的発想であり、朝食代込みという発想ではなし。それならば、自動販売機でおにぎりを販売した方がトラブル防止となろう。もしくは朝食百円とすれば、それこそ無料サービスと分かるであろうが、この表記では朝食代込みと勘違いした客がでるであろう。なお、朝食の場所も意外と景観が良い。
なお、資本は中国か台湾系と思われた。理由は神戸の南京町付近の例のホテルと大変似たコンセプトであった。かなり、セルフ的感覚と同時に、バスも浴槽はない。シャワーのみであった。
ただ、部屋からの景観は良いと言える。更に、ホテル内に様々な絵画などの芸術品が飾ってあり、夜ゆっくり見学した。また、テナント方式が発達しており、カラオケなどが建物内にあったようである。
総論として、リピーターには良いホテルとなろうが、初めての人は少し戸惑う所があるかもしれない。部屋の広さなどから、一応コストパフォーマンスは良いとなる。

 

 

2021年12月26日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA