(🚧準備中)風俗論・喜劇編(その4)四谷怪談🆚駿台事件編―長姉の「うらめしや」【四谷怪談】と曾根崎心中
【更新履歴】
2026/02/02 15:57から貼り付け開始
2026/02/03 17:09 から修正開始。
(本日起床と同時にⒸ掲載予定が、💻に向かうや、催眠強制「2000年以降村トラブル3百(催眠危害8000)の1番目」連続SNS掲載。青天の霹靂。風俗論に「喜劇」がつくや妨害が激しくなった謎がある。何故かZ家👵を連想する謎もある。実際にZ👵を連想する形で👮は二階トイレ時に1月30日来訪してもいる。)
2026/02/04 15:50頃から(C)の貼り付け/追記作業
同上 23:03 (C)の最後の追記が何故か削除されていたため23:03追加。
正式公開は明日清書し、明後日(2026/02/06)を予定している。
項目構想案は以下である。
風俗論第四部喜劇編(その3)シッチャカメッチャカ編
《◇―7:【👰似たもの夫婦】天才オジョウのボン誘導技術、🤡🎃結婚秒読みが…》
《◇ ―8・【小泉八雲・怪談雪女】―(小泉八雲型)お嬢の工作か(四谷怪談型)長姉の悪戯か―謎のユキ嬢》
《◇―9:【網走番外地】ボン、風俗店での大暴れ》
風俗論第四部喜劇編(その4)四谷怪談🆚駿台事件編
《◇―10:【四谷怪談】長姉の「うらめしや」遊戯と駿台物語―四谷怪談と曾根崎心中》
風俗論第五部・政治家介入
《◇―11:👺安倍晋三様風俗に参入疑惑―狂った国家の刺客達》
《◇―12:🎬裏での映画説―催眠とデマ―👺日本の将軍様の更なるデマ疑惑とボンの風俗論》
《◇―13:2つの結婚式と謀略―『日本のフィクサーME・Part 3』第四章への道》
《◇―14:【😭】🎃オジョウComeback―Miserable ME》
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《◇―10:【四谷怪談】長姉の「うらめしや」遊戯―四谷怪談と曾根崎心中》
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2025年12月25日と27日に、「風俗論悲愴編から喜劇編」記載中に催眠で、何の関係もない姪関連の記述強要をなされた。
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☆☆☆☆☆☆
【更新履歴】
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昨日(2025/12/25)交通安全のパトカーか何かが走るや催眠状態で、96年駿台復職願い手紙に絡めてのオウム真理教型被害疑惑と島崎藤村に絡める謀略疑惑を追記させられた。長くなりすぎたため、(上)と(下)二分割する。
(下)は駿台と部落問題・児童・人間違いを「島崎藤村」を軸に絡めされようとした疑惑部分である。2018年の不可思議な出来事(謎の死者連続)なども加えて、007型世界となるかもしれない。
2025/12/27 17:08 昨日、本日と無関係な姪関連記述を強要される。原稿が乱れるため、本日(2025/12/27 17:10)以降は残りは誤字脱字以外は原則として何も書かない。なお、風俗編に登場するのは姪ではなく長姉である。姪関連に関しては皆様が関心を持つ事項はないと何度も言った通り。
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風俗論第三部・悲愴編から喜劇編へ(下)―007の世界へ
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=52607
☆☆☆☆☆☆
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🎬映画説関連は、風俗論喜劇編(その3)で実証した。特に🚺女性については―ほぼ全てか全てが―完全に映画説であったことも分かったであろう
姪関連の件は一言で言えば、長姉(姪の母)の悪戯である。正確には、🎬映画説グループ長姉の何かを意図した演出にすぎない。
それでは長姉の演出目的は何だったのか。
現時点での仮説は(A)(B)(C)の三つである。
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(B)は、部落問題、後の駿台事件との絡みである。部落問題と言っても、私は部落問題に関係するどの団体からも「よくやった」と言われてもその逆はない。その前に姪と部落問題は何の関係もないと思う。
🎬姉が姪を映画に登場させた時期と、私が大好きであった柔道部から催眠で部落問題研究部に移動させられた時期、更に、人間違い問題が設定された時期が一致している可能性が高い。これに関する解説が(B)である。
謂わば「駿台真相編」の付録と言ってもよい。
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(A)は、今回のユキさん登場の所で怪談物語となった。特に小泉八雲の「雪女」、後に映画化されて「雪女女郎」が脳裏をよぎった。小泉八雲の墓は、私が住んでいた雑司が谷にある。更に、雑司ヶ谷とは「四谷怪談」の舞台となった地である。
すると、長姉が姪を登場させ、適当にお茶を濁し、後にユキ嬢、リサ嬢となり、「恨めしや」と言う馬鹿なシナリオを考えたのかと思い出した。更に、大阪の新阪急ホテルアネックスなどで意味ありげに「四谷学院」が強調されていた謎もある。
この解説をした箇所が(A)である。
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(C)単純な姉の悪戯を深刻に見せるゲームも、ポリテクカレッジ岡山との賠償交渉の途中で登場したようにも見受けられた。
この問題について簡単に(C)に記しておく。被害者がおらず、皆様が関心を持つ事項ではないプライバシー問題を聞く、最善の方法は正面から原稿料や印税を提示してビジネスとして依頼することが資本主義のルールである。初歩的なルールを解説した箇所である。
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(A)四谷怪談と曾根崎心中
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【Ⓐ四谷怪談と曾根崎心中の概況】
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浜田隆政 (Hamada Takamasa)@takamasahamada1122.bsky.social
25-003-2【🥴催眠】朝7:30→雪🚺と🐶
風俗論悲愴編から喜劇編🥴暴走連続
《◇5》(1)Ⓐ~Ⓕが全部構想外。
当初予定
長姉=姪使い遊び😂
それを逆手に。
長姉自身がふざけて風俗登場。無茶な
長姉が「恨めしや」と #四谷怪談 。
🏩随所で四谷学院登場
🤡はFreeze。こういう流れが🥴でガタガタ
因みに、長姉登場は実話としか🤡には思えず😵
🥴で喜劇編への道が台無し
実話は🤡の構想の方
四谷怪談舞台は東京雑司ヶ谷=🤡の #早大 大学院時代の住まい
🤡住居裏に #小泉八雲 の墓がある
🎃オジョウと出会うは #曾根崎心中 お初天神
これも実話。🎬映画説のなせる技
嘘は👮催眠誘導原稿の方=🆖
2026/01/03 20:18
☟
https://bsky.app/profile/takamasahamada1122.bsky.social/post/3mbjbysjst22z
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簡単に記せば、長姉が催眠と睡眠薬を使って、私と姪に悪戯をする。ちなみに、当時、(長姉から聞いたか映画説の関係かで)事情を知っていたように見受けられた友人の何人もがクスクス笑っていたような、たわいないのない話であり、睡眠薬云々というオーバーな事項ではない。睡眠薬は後のゲスの勘ぐりを遮断するために、使用したのであろう。
それから、かなりして長姉は死亡する(実際には下記の如く生きているようである)。長姉の死亡は、私が東京にいた早大大学院時代である。
丁度、その頃に、東京で教えていた女の子の母親も死亡している。(正確には、私が教えていた教え子の友達が一緒に教えてほしいと言われ、一緒に教えた時期がある。教えていた子の友人である。その子の方の母である)
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そして、その子(カマタサヤカ)が1984年に中村メイコ番組「パパ言ってらっしゃい」に登場する。これをシグナルに駿台ドタバタ劇が開始をする。
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話を元に戻せば、死んだはずの姉が姪の敵(かたき)・「恨めしや」と、今回述べたユキ嬢やリサ嬢となり、私にたたりをするというのである。勿論、長姉のジョークであると言いたいが、後に述べるように長姉の方(化身説)が事実ならば限度を超えていた。
※※※※※
(参考)催眠・工作使用例は二度反復型が多い。
①1984年駿台西山への催眠熱→1986年岡山の予備校タキザワ・ヨシダ催眠熱
②1978年頃の教え子の妹が姉に焦点をあてさすため喧嘩売り、後に大泣きと母から聞く→1985年🛵おじょう(Tnaka)が横家・後藤登場させるために突如の喧嘩売りそして大泣きをする。
③🎬映画説:姪で遊ぶ→東京時代家庭教師の子でも遊ぶ。この子には長姉等が幾つかの指示をしていた証拠がある。(長姉の息子[私の甥]の真似の噛みつき等などと)
④上記のような遊びは全て小学校6年で完全中止とする。この時期を強調するため、次子の姪や姪の子にも同時期にやや喧嘩売り方を軽度とはいえさせている。
…
姪を絡める遊びは🎬映画説グループが催眠などで仕組んだ話であることは上記より証明されている。
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次にここでは、まず、Ⓑ私の東京の住まいの話を記す。Ⓒユキ嬢とリサ嬢の概略を再度記す。最後にⒹ長姉が生きている根拠を記す。
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【Ⓑ東京時代の住まい】
私は人生の中で金欠の時期が長い。
そこを随分悪用されたようである。
誰かが私のフィールドワークを悪用、若しくは破壊するときには、(催眠も併用して)安い宿を餌に行く場所を変更させられることが多かった。それをねたに催眠を悪用し、目的を貫徹する形が多かった。
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下宿やアパートも同様であった。
東京から岡山に戻ったときも同様である。今、考えると私が岡映氏と出会ったのは偶然ではない可能性がある。ただし、昨年前半までは偶然と考えていた。
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東京から岡山県に戻り、膨大な文献類は大きな家である実家においていた。だが、勤務地は岡山市の女子高校と予備校、更に倉敷の予備校である。そこで、中継点(ホテル代わりの仮住まい)を岡山市におくことにした。
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当然、(自家用車と自転車がおける)安い物件探しをした。その結果、岡山市高柳西の一軒屋を見つけた。二間とトイレと風呂がついて、1万円台であった記憶がある。自家用車も無料でおける。
当時、電話もないこともあり、近くで行きつけとする店を探した。東京時代も連絡先は行き着けの店・孔雀という居酒屋としていたのと同様である。そこで、見つけたのが笹寿司であった。親しくなり、緊急時の電話などを依頼した。
この店の近くには民主会館という建物があった。後に知ったが、そこに来ていたのが岡映氏であり、岡さんはこの店の常連客であったそうである。詳細は下記、岡映氏との出会いを参照してもらいたい。
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徒然なるままに№2・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(1)
公式Blog:2016/03/14
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5666
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徒然なるままに№2・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(2)
公式Blog:2016/03/17
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5702
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私は上記の形で偶然に岡映氏と出会ったと思っていたが、偶然ではなかったかもしれない。🎬映画説グループが、最初から岡氏と私が出会うように、民主会館近くに安い物件を置く用に工夫した疑惑が高い。こうして、🎬映画説グループは将来を見据えて相当長期的な各種工作をしていたようである。
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笹寿司のママさんは、私が民主主義活動をしていることすら知らなかったと1996年頃言われていたため、ママさんは何も知らなかったかもしれないし、事情を本当は知っていたかもしれない。ママさんは後に店をたたみ、備前三門駅の近くで別の店「広明」を営業していたため、ママさんに直に聞けば分かろう。ママさんの名前は忘れたが、下記に写真を撮っている。これを参考にして聞いてもらいたい。
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【写真】
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なお、後に私は電話を高柳につけると同時に、暫くして、我が家の建て直しとなり、我が家に膨大に文献・資料をおいていたが、それらを収納できる別物件の関係で庭瀬に異動している。それらも偶然ではなかったかもしれない。
うがって考えれば、これ以上、私と岡映氏が偶然に会うのを阻止する目的であったかもしれない。そうでないと、駿台事件の際に、岡氏が私のことを何かと心配するようになると困るという面があったかもしれない。その結果、駿台事件では岡氏に駿台の「ス」の字も言っていない。同様に、駿台では岡映氏の「オ」の字も言っていない。
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話を東京にもどそう。東京でも広くて安い物件を捜した。すると、雑司ヶ谷で6畳一間で1万円の物件があった。近くには都電鬼子母神と雑司ヶ谷の駅があり、目白駅と早大までが徒歩15分程度であった。後には自転車も購入したので、早大や大塚駅にはあっと言う間にいけた。1977年であるが、当時でも、早大、日本女子大、学習院大学の近くで六畳一間で1万円の物件は滅多になかった。
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だが、本と書類が多く、部屋は一杯となり生活に困っている頃に、大家から適当な理由で撤去を依頼された。口実は本が落ちる音がして困るという形であった。実際には部屋を潰して、大家の部屋にしたようである。私の方も本と書類でねるのも困難であり、移動することにした。
大きくて、早大に近く、自転車をおける安い物件を捜した。
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すると、また雑司ヶ谷で安い物件があった。四畳半と三畳と流しがついて1万7千円程度ではなかったかと思う。自転車もおけた。鬼子母神の駅のすぐ近くでもあった。早大からは200㍍ほど遠くなったが自転車のため困らない。
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こうして安い物件で雑司ヶ谷に固定されたのである。何故、「雑司ヶ谷」で固定されたのであろうか。
今考えると、雑司ヶ谷墓地には小泉八雲の墓がある。
昨年知ったが、四谷怪談の舞台は雑司ヶ谷である。
すると、後に登場する長姉「うらめしや」怪談の関係で、雑司ヶ谷に固定されたかと昨年は本格的に思い出していた。更に、随所で「四谷学院」が2000年以降強調され続けた問題もあった。
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(本日起床と同時に掲載予定が、💻に向かうや、
催眠強制「2000年以降村トラブル3百(催眠危害8000)の1番目」連続SNS掲載。青天の霹靂。風俗論に「喜劇」がつくや妨害が激しくなった謎がある。何故かZ家👵を連想する謎もある。実際にZ👵を連想する形で👮は二階トイレ時に2026年1月30日来訪してもいる。)
【Ⓒ恨めしや―ユキ嬢とリサ嬢】
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それから長期月日が経ち、性風俗店で長姉そっくりな女性が何度も登場してくる。めぼしい物は【Ⓓ】参照。最初は、即座にきっていた。
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要するに、催眠と工作などで私と姪を使い、長姉が遊んでいた。そこで長い年月が経ち、長姉が娘の敵と「うらめしや」と登場したというシナリオである。
ただし、島崎藤村の如くどころか、ユキさんや、リサさんのサービスに類似する行為(勿論、この両者にも法の範囲内事項しかないが)すら一切ないとうよりもそうした次元の話ではない。カテゴリーが違っている。
ともかく、こじつけがひどい。だから当初は(読者から見れば)風俗論・喜劇編と書いたのである。(長姉に瞬時に変身する)ユキさんの謎から怪談編に移行もした。
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そこで、ユキさんやリサさんが長姉そっくりに見えたときは本当にフリーズした(凍り付いた)。
天国から地獄へである。ジェットコースターを90度下るようなものである。
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ちなみに、私と姪とは12歳違いであるが、私と長姉とは14歳違いである。長姉は我が家界隈の従兄弟全体のボス格でもある。
近くの男性従兄弟は威勢が良いが、長姉には頭があがらない。
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ともかく、気色(きしょく)の悪いというものではなかった。だが、姉でないならば、あの絶世の美女(ユキさん)とアイドル系の美女(リサさん)を切るのはもったいない話である。
だが、姉ならば、…人から見れば、まさに風俗論喜劇編であった。悲劇編や悲愴編との相違は、場合によれば拒否できる可能性があったかもしれないし、やはりなかったかもしれない。催眠というものの正体はつかみにくい。
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更に、おかしな天の声による導きもあった。
「隆政や。お前は数学類が好きであろう。数学的思考をせよ。あの世では物体も時間もない。個々の個なる存在もないかもしれない。すると男性も女性もない。当然、『性』なる概念もない。よって『性』などは何の意味もない、💩便と同じ排泄行為にすぎない。だから私(長姉)自身としても気にしなくてもよい」と。
理論的にはその通りであるかもしれないが、現世では耐えられるものではない。
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そして、長姉が「娘の敵(かたき)恨めしや」と四谷怪談ごっこを始めたというバカバカしい発想に昨年12月から思わされだした。何故、姪登場かは全く私には不明なこともある。
「何故、西山登場か…か」と同様である。更に「何故、催眠とはいえども西山に熱をあげさせられ、結婚前提にお付き合いしてもらえるかどうか一度おあいしてお話できませんかと手紙をだし、断られ、相手が仕事がしにくくならないように、お世話がせしてすみませんと深々とおじきをすると40年も被害に遭うのであろうか…」。
それらの理由は長姉などの🎬映画説グループだけが知っている。私には全く不明である。これらと同様である。
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ちなみに、私に嫉妬してくれる🎃オジョウがこの二人(ユキ嬢とリサ嬢)については笑顔であり、前者については「あらいい人ね」であった。嫉妬か何かで私に怒りまくった女性の件と対比すれば相違は明白である。全く嫉妬の必要性がないと思ったようである。
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長姉相手に後で怯えるがよいと思ったのであろうか。あるいは例によってオジョウ3号だったか、ロボットであったか何かであろう。
長姉化け物以外の発想が(オジョウ2号、3号…の発想が)、2025年11月22日に湯郷潮垂山に登ったときの先輩の「那岐山には今 雪がない…」から起こり始めたのは幸運であった。
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これらは遺書該当の実話である。
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もし、長姉ならば、正に「四谷怪談」である。そのためにシナリオ上、私を4年間東京の雑司ヶ谷に住まわせたのかと思うくらいである。※注:四谷怪談の舞台は東京の雑司ヶ谷である。
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【ここからは本来は(B)駿台に関する項目である】
なお、東京でも、長姉が何かを家庭教師先に依頼したようである。
これについては下記参照。
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新一言№70・👧教え子回想―早大大学院時代の家庭教師
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/2023/12/25/3267/
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これは明白に長姉の工作であった。それが証拠に、長姉が死亡したときに、家庭教師先の母親に「姉が死亡したので…」と振り替えの依頼か、振り替えをしたことの詫びをしたときに、母親が「ご愁傷様…」と言いながらクスクス笑い、しまいには横を向いて笑っていた。
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この話をしたのは、【Ⓓ】で述べる洒落三昧がこの家に絡められていたからである。
ここでは今回の件に関するポイントだけを記しておく。
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[家庭教師先:家庭教師の教え子(小学校5年~6年迄):妹(小学校2年生くらい)]
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[駿台講師時代:横家。後藤:🛵おじょう(Tanaka)]
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桃色を強調したい。ところが、青がいたならば、それが難しくなる危険がある。
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小学校5~6年生のお姉さんを強調するために青(妹さん自身)が(撤去を命じられた如く)撤退に入る。。
家庭教師先:妹が新宿駅かどこかで私に突如喧嘩を売ってくる。
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駿台の横家・後藤を登場させるために、🛵おじょう(Tanaka)自身が撤去の台本に従って撤退に入る。
駿台講師時代:🛵おじょう(Tanaka)が大阪の難波で突如喧嘩をうってくる。(例の腕組みなどの拒否、手払い事件)
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家庭教師先:妹(小学校2年生くらい)のことを私の母が「その後で(私がいなくなってから)わーわーと泣いた」と言っていた。何故、私の母が知っていたのか、更に、何故突如そうしたことを生前に私に言ったのかは不明である。
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駿台講師時代:🛵おじょう(Tanaka)は場所を京都に変えて、誰かに見せるごとく「わーわー」ではないが派手に泣いていた。
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家庭教師先:妹(小学校2年生くらい)の名前は確か、今回登場した(右から左を向けば突如長姉の顔になる)「リサ」という。
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駿台講師時代:🛵おじょう(Tanaka)が喧嘩を売った場所は大阪の難波であり、(左から右を向けば突如長姉の顔となる)ユキさんとの出会いは「リッチドール 難波」、即ち大阪の「難波」である。
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なお、涙と言えば、お姉さん(小学校5年~6年)の方は涙がでぬときは、「ちょっと待って」と鼻をつまみ、思い切り息を吹きだし、物理的に眼から涙をだし、「じゃあ、先生、(説教の続き)を再開しようか」であった。
リサさんが泣いたのが事実なら本当の涙の可能性が高い。だが🛵おじょう(Tanaka)の方は本当の涙が薬物利用かは不明である。
側にいた、見知らぬ男の子がオジョウの涙を凝視していたため、その子供の一家を騙す目的での涙かもしれない。ちなみに、🛵おじょう(Tanaka)が泣いた店は🛵おじょう(Tanaka)自身が指定した店であったことを再度強調しておく。経緯は下記の駿台真相編を参照してもらいたい。
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公式Blog 2025/06/09
駿台真相編8-2・催眠活用と駿台事件、そして🛵おじょう(西山、🛵、🎬)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=50939
上記の中の《◇―5》🛵おじょうの涙と行動の謎とその後の世界を参照。
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本来は難波での喧嘩のはずであったが、途中で突如「もう治った。誤解は解けた」と、私が何も言わないのに、🛵おじょう(Tanaka)が突如言い出した謎もある。私が難波で啖呵をきって、絶縁宣言をする直前であった。こうして言い合いの場所と日付を変えて京都へと移した。日付を変えたのはその間に私に誰か催眠をかけるためと誰かを涙の場所へ誘導する目的であったと推測している。
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これらが本当ならば、長姉の四谷怪談から脱出できることになるのだが。
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【Ⓓ長姉登場の軌跡】
1989年シンガポールの店
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1990~93年原田医院の婦長さんがときどき長姉に見えた。(婦長さんは父の教え子と言っていた。長姉も田舎のため父が小学校で教えたことがあると言っていた。院長は姉の母の親戚でもある。)
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94年島根県三瓶の宿の受付女性
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94~95年風俗名取嬢等2名→即座に中止とした。
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97年ポリテクカレッジ岡山の掃除の小母さん・🕊鳩を強調
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2009年(リッチドール難波)ユキさん
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同年頃、うしろ(大阪在住)ヨウコさんの振りでZ家老婆の話を母にしていた。これは私のせいにされては困るので当時メモをしている。同時にZ家小母が変質する。このときはヨウコさんではなく長姉の声としか思えなかった。
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2014年:母の三回忌。近所の🚹男性従兄弟の家の初孫祝い騒動。従兄弟と我が家の間で長姉の声。
「(初孫の祝い騒動…に対して、隆政や)我が家も母の三回忌と言っておけ。我が家のご仏前はどうなるのか…言っておけ」と明白な長姉の声が聞こえた。すると、その日に姪から母の三回忌といって、三万円が送付されてきた。三回忌はしていない。厳密には私一人でした。
そこで誰にも招待はしていない。次姉すらご仏前は贈ってきていない。そんなときに、気がつく姪とはいえども、ご仏前を送付してくることはない。まず、長姉が生きていて姪に指図をしたと解釈している。こうして長姉が本当に登場している。
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更に、2016年頃?にジャンボフェリーにかこつけて、甥たちを「コッペマ・マン」に習えて少し冗談を飛ばした。そして翌朝午前5時頃寝ると、午前6時頃、神戸の従兄弟からといって、訳の分からぬ電話がかかってきた。声はうわずり、巫山戯(ふざけ)た内容か意味が全くない内容を笑いながらしゃべりまくっていた。今何時と思っていると言おうかと思ったが、余りに巫山戯た電話で呆(あき)れかえり何も言わずにいた。そのときの声は長姉としかおもえなかった
。
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そして、勘違いではないと言わんばかりにその日かその翌日頃に次姉からも電話があった。
もはや何をか況(いわん)んやである。
▽
神戸の従兄弟も、長姉が従兄弟になりすました電話をしたときには、我が家へきたときに、長姉の母の墓の所で合掌を意味ありげにしていた。「あれは私ではなく長姉なのよ」といわんばかりであった。
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悪戯好きの長姉というよりも、「映画・我が命」の長姉である。
映画のためならば…であろうか。これらは本当の話である。
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▽
ともかく、洒落が好きな映画であり、随所に洒落が散りばめられていた。
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第一、私のこの世での伴侶を指し、「お姉さん」なる語が登場する。
🛵おじょう(タナカ)のファーストネームを別の読み方をすれば、私の次姉と同一の呼び名となる。更に、🧜お嬢(Miki)は最低でも私よりも二歳上である。浪人していれば三歳上である。
ちなみに、🛵おじょう(タナカ)は私よりも6~7歳ほど年下のため、「年齢差が気にならないか」と聞いたことがある。彼女は言った。「歳、歳なんて関係ないわよ」と。今、考えれば意味深な言葉である。
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ちなみに、姪の娘は「男はつらいよ」の一番の相手(マドンナ)役の名をもじってつけている。姪の嫁ぎ先の名前も一部🛵おじょうに関係している。更にタナカとは東京の飲み屋・孔雀のママさんが田中であった。そしておまごさんを連想させる人物も後に登場してくる。その直後に見合いしたのが🛵おじょう(Tanaka)であった。
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随所で洒落だらけである。
🎎お嬢(Kamata)の最初の名字は私と同じであり、🧜お嬢(Miki)の名字は結婚後に私と同じとなったという噂をきいたことがある。
西田ひかるは神奈川県から西宮市美作町の隣に移動した。美作町とは私の生まれた町(岡山県美作町)である。また🧜お嬢(Miki)は神奈川県に嫁いだと聞いたことがある。
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安倍昭恵キス事件の相手布袋寅泰氏の前の奥さんが山下久美子であり、後の奥さんが今井美樹である。久美は久美浜の久美であり、リッチドール 梅田2で最初に世話になったのが久美嬢である。美樹は🧜お嬢の名前がMikiである。布袋さんが今井美樹と結婚した1999年に私は🎃オジョウとであっている。これらの洒落は偶然ではあるまい。
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ちなみに、布袋氏と山下久美子の結婚が1985年12月24日で離婚が1997年であり、1985年は私と🛵おじょう(Tanaka)が事実上、別れた年であり、97年は久美嬢に出会った年でもある。(久美嬢が1997年に出会い、🎃オジョウとは1999年に出会っている。)
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姪等も長い脚本の中では🎬長姉にとっては重要な役割を担当していたと明白に分析される。
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(B)部落問題、後の駿台事件との絡み問題疑惑。
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姪登場の謎、更に部落問題が後に強調されたことなどから、姪登場は、部落問題や駿台事件との絡みを連想させられだしている。
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というのは、駿台辞職後に部落問題が美作市や特に美作市位田で強調された謎がある。2000年5月からである。人によれば「大阪 ブラク」と寸止め発言をする。全く意味不明である。
ちなみに、私自身が部落問題関係でおこなった活動は以下のみである。
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「老人の人が大昔に受けた差別の聞き取り」(1968~1975年毎年夏)
「子供会での無料の授業」(1971年の一部)
「実態調査」(1975年)
「都市部落を中心とする郷土史の写筆」(1974~76年前半:各地の図書館郷土コーナー。今は大半閲覧不可能と推測)
「都市部落の人口動態の分析」(1975年と1980年)
「高校部落研究活動の一貫での能力別編成などの反対運動」(1968~71年頃)
「部落差別の確認会」の見学(1976年天満屋差別事件)
後は高校部落研究活動の一環として自衛隊基地視察や沖縄県を含む全国の仲間との交流などである。(1970~74年)
等々であり、どの団体でも、こうした活動を否定する人権団体はない。
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後に、仕事として、西宮市教育委員会同和対策課に所属し、校外学級の管理などを行う。ちなみに、大社中では中学一年生を担当し、最後には箕面に10人ほど連れて行くなど、生徒はよくなついていた。客観的には大変人気があった。当時の中学校一年の生徒に聞いてみるがよい。中学三年生も父兄などが評価をしてくれ、お歳暮類をよくもらった。
浜脇中学校は主として三年生を担当し、毎週2日女子生徒三人が私のアパートに入り浸りとなっていた。
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なお、後日談があり、大社中の生徒10人ほどを箕面につれていったときの写真をカミキ先生(大社中学勤務後に実家がある関係かで淡路島に異動された)が郵送してくれたが、全て駿台講師時代の頃に紛失している謎がある。浜脇中学にいたっては、一番なついてた生徒としか思えぬ人物に、2002年頃に津山中央病院に肺のCTスキャンを撮りに行ったときに、出会ったとしか思えなかった。何故か、私を見てクスクスと笑っていた。人間違いと、肺癌かもしれぬという緊迫感のため声はかけていない。
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その後は長期自宅監禁であり、無菌状態にある。
これで部落問題と言われても意味が分かる訳がない。
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拙著『日本のフィクサーME』(上下巻ともに、Kindle、KOBO各百円)で登場する、水戸黄門で言えば、助(すけ)さん・格(かく)さん該当の二人の言葉だけが真理を語っているかもしれない。
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助さん該当の左翼闘士・明神君のモデルである神田君(弁護士)は、法律相談の際に私に言った。
「浜田さんサー、何が何やらさっぱり分からないでしょう。ハハハハハハ。」(1998年東京法律事務所内にで)。そして、母の遺産が入り、再度訴訟…も視野にいれかけていると、直後に若年性認知症との葉書が届いてから音信不通となっていたが、2025年2月に死亡したそうである。
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格さん該当の保守本流・布袋さんのモデルであるタカハシ氏(司法試験は合格と聞いた)は、彼に法律相談に言った際に、私に言った。
布袋「浜田さん、一連の被害の原因は何だと思う」
🤡「勘違いか誤解以外に考えられない」
布袋「違う。勘違いや誤解ではない。…ひ・と・ま・ち・が・い」と。(2012年4月松江にて)
そして、2019年4月世界の首脳からの「住所二軒注意」より人間違い問題解決に向けて動き始めた矢先にカード詐欺に遭う。カード詐欺に遭ったのが発覚した日に、娘さんから「今、父が死亡しました」との電話があった。
なお、彼は糖尿病を強調していた。糖尿病は我が家の住所番地を70年使用し続けたZ3の父・浜田稔氏が糖尿病で2002年に死亡されていた。
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ともかく、長姉が🎬映画説で姪を絡めようとした頃に柔道部から部落問題研究部への(催眠による)移動がなされている。どうも、その頃から人間違いを絡める計画があったとしか思えない。
理論上は、姪と言えば「女性」、次に「部落問題」、「人間違い」、この三つのキーワードが同時に準備された可能性が高いとしか思えない。
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何故、駿台事件で西山美千代を絡めたか、高校時代の頃から何故姪を絡めたかは、催眠関係者に聞かねば全く分からない。
前者ならば🎬映画説グループと山﨑春之駿台理事長、後者ならば🎬映画説グループと(その一員でもある)長姉に聞かねば私には全く不明である。
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ともかく、現時点までで推測されたことを再度羅列しておく。
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【駿台事件の当初の雛形】
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【住所二軒問題注意の雛形】
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【駿台事件の新雛形(詳細編)】
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【駿台事件の新雛形(概略編)】
〈姪等+🥋柔道部から部落研究部へ催眠異動+(場合によれば)この頃には人間違い捏造の発火点構築〉この三つの組み合わせか。
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【駿台関連の語句】
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①駿台講師採用時の駿台関西地区最高責任者 矢田祐三部長
私が無理矢理巻き込まれた🎬映画類は洒落が多いので注意してもらいたい。矢田事件を連想させられる「やた」のみではなく、「ゆうぞう」の方も念のため注意をした方が良いかもしれない。だが、共に、私には無関係である。
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矢田事件(ウィキペディア)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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※(参考記述)長姉のアパートは大阪市東住吉区にあった。最寄りの駅は「今川」である。部落解放同盟矢田支部も大阪市東住吉区にある。また、1969年は私が催眠で🥋柔道部をやめさせられた年である。
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私は1968年林野高校に入学し、🥋柔道部に所属し、格闘技に情熱をかけていた。高校は民主主義の先端高校であった関係で、高校一年から併行して部落問題研究活動もおこなっていた。当初は部落研究部に所属せず、「友の会」というサークルをつくり、そこで活動をしていた。ただし、私自身は柔道部など格闘技の方に重点をおいていた。所が、1968年終わり頃か69年の初頭頃に催眠で貧困世帯が大学に行くには国公立しかないと思わされ、🥋柔道部を退部した。
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本格的な試合などをする直前であった。恐らく本格的な試合に入ればのめり込んでやめさすのが難しいと思ったのであろう。こうして1969年には柔道をやめ受験中心とさせられた。この頃に矢田事件が起こる。その頃から今度は部落研活動に誘導され、69年の終わりか70年に部落問題研究部にも「友の会」と併行して入部することになる。すると、柔道部以上の多忙さとなった。それでは、何故柔道部を辞めたのか。催眠で部落問題研究部に移動させるために受験勉強重視催眠をかけたのであろう。矢田事件が起こった頃に部落問題研究部入部となっている。
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昔は受験勉強否定派であったが(今もそうなっているが)、次の語句からの受験勉強への移行である。「職業は学校の教師で決まり→教員資格上大学は必須」、「父が小学校の頃教師を辞めて貧困である→国公立しか予算上無理」(当時の年間授業料は一万円の国公立)という図式である。ところが部落研活動で超多忙となり、成績は下がり…、それでは「苦学生」選択…と、実際に苦学生となった。もっとも学園紛争に巻き込まれるまでは関学の授業料は半額免除の年間4万円程度であった(この頃は国公立授業料が年間3万円時代である)。
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だが、最初から、お嬢(Miki)の関係で関学行きは決まっていたようである。詳細は別原稿で記す。ともかく、矢田事件の起こった頃に部落問題研究部へ、同時期の高校二年の頃(🧜お嬢Mikiが関学入学の頃)から国公立ではなく、関学入学も決まっていたとしか思えない。
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ちなみに、関学に合格するや、部落問題研究部顧問的な(高校二年の担任でもあった)内田喬先生も「もうどこの大学も受けるな」と。他の何人かの教師もそういった。私が関学合格の後で国公立を受けて落ちても、落ちた大学は公開しないため学校の業績とは無関係のはずである。今考えれば、まぐれ合格を警戒したとしか思えない。部落研活動と関学は矢田事件の頃に決まっていたようである。私に理由を聞かれても分かる訳がない。
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余談であるが、生まれて以来、早大は行く気もなく、行きたいとも思ったことは一度もないが、大学院模試のつもりで受験すると…で早大にいた。関学も同様に近い。関学は🧜お嬢の関係で、早大は🎬「青春の門」の関係で…であろうか。
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両者は真反対に近い。関学は名目4年在籍も(大学紛争の関係で)実質3年ともいえるし、早大は名目3年も修了翌年も図書館と早大法学研究科との学習会を入れると実質4年ともいえる。次は明神君は言うなというが書きたい冗談を記す。「関学は表から入り裏からでた。他方早大は裏から入り表からでた」😁。
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※(デマ予防解説)関学は最後の学期末試験は大学紛争で不可能となりレポートのみで卒業となっていることからの冗談である。早大の方は、早大政治学研究科(当時一号館)や政経学部のある敷地には門がなかったことからの冗談である。なお、早大大学院は表から合格しているが、完璧に合格と思った同志社大学大学院と異なり、そこまでの手応えがなかったが、早大大学院入試は受験生の名前を隠して本格入試と後に聞いているため誤解なきように先の語呂は本当に冗談と明記しておく。何しろ冗談好きで、こう書くとおもしろいという単純な理由での記述である。
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なお、早大は図書の関係で(大学院生完全信用フリーパスで書庫に入れることに)感服をし、関学は(在学中は大学紛争の関係で問題が多いと感じたが)卒業後に図書館で世話になり両大学共に応援を本当にしている。
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先日早大から『西北の風』が送付されてきたが、同窓会誌類は、早大・関学・林野高校のいずれにも払っていない。一つの学校に支払えば、三つに支払わねばならなくなり、現在の資金では無理だからである。関学にはその趣旨(…の理由で同窓会誌費用は現況では払うことはできない)を書いて文書を送付している。それでもかなり長期送付され続けてきたが、数年前に財政悪化で打切となった。当然の話である。
▽
我が家の住所番地を70年使用していたZ家のZ3は私よりも1歳上であるが、卒業年次は私と同じ1975年と昨年知った。なお矢田事件が起こった、1969年頃もZ家と我が家の家間違いは年賀状などで絶えなかったことも追記しておく。
▽
Z3は関関同立に合格し、同志社法学部に進学している。他方、私は関学を1975年に卒業後に、1976年に同志社大大学院法学研究科と早大大学院政治学研究科に合格したが、都合で早大に進学している。だが、同志社大学からの授業料納付案内の書類を我が家においていた。誰かが忍び込み、急いで見ると私が同志社大学法学部…と関係があると思うかもしれない。
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長姉夫妻の姪遊びも矢田事件の頃か私が🥋柔道部から部落問題関連の活動に本格参加するように誘導された頃からではないかと思う。この三つ(部落研活動・家間違い頻繁・長夫妻の姪遊び)が同時期は偶然だろうか。
▽
▽
②西山美千代に✉手紙を出すのに抵抗し、何故か真備高校で同僚であった講師に✉手紙を出す。
その講師は後に木下先生となっている。
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③そして、訳の分からぬ差別文書を渡される(1987年晩秋のこと)。
世界からの情報より、作製監修者はM先生(名前を幾つか持つ)と分析された。もっとも、駿台職員の一部は、その事実も、1987年当時から知っていたと推測される。
なお、この差別文書の中に法務省と人権擁護局が強調されていた。
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④丁度三十年後の晩秋である2017年11月に法務局と人権擁護委員会封筒が我が家の郵便受けに入っていた。
ただし、宛名は(我が家の住所番地70年使用の)Z3宛
(関連写真添付)
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21-浜田正典氏宛てと同時に我が家・浜田隆政家の郵便受けに入っていた封筒:法務局に問いあわせると、正典家あてもこれも正典家には持参せず、同協会がとりに行くまでもっておけと。その後、解説・謝罪は法務局・正典・人権擁護協会から一切ない。東京キャンセルの費用2万円弁償は誰がするのか。2017年11月の事件
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⑤更に、駿台事件を臭わす表四郎なる名前で前田先生(別姪杜先生)への(問題ある)誹謗中書記事(社会通念上は本人・前田先生が自分で書いたとしか分析できない。根拠は覚書に記している)
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⑥2000年以降、駿台前をバスで通ったときに見かけた人物は二人のみであった。
一人は前田先生(別姪杜先生)であり、おこさんを車椅子でおしていた。
車椅子はZ家の小父さん(火災の権威と同姓同名・浜田稔氏)である。
もう一人は表三郎氏の奥さんであった。
▽
⑦駿台京都校講師時代に、映画狂の藤村尚美先生が強調され、同時に、(化学)石川先生が藤村氏を故意にミスして「とうそん先生」と呼んだ謎もある。
▽
⑧1983年入社京都校講師室係女性である、西山・横家・ゴトウ・タケウチのうち、タケウチは随所に記したように、Z家内にあった皆木家(後に金融機関宿直)を強調の役割と種明かしがあった。
▽
⑨駿台講師時代に最後にデートをしたユアサさん(当時阪神デパート勤務)が、私にお礼といってズボンのベルトを贈ってきたことと木曽路から絵はがきをくれていた。
ズボンのベルトはZ家とミナギ家の⚔のシンボルであり、木曽路は島崎藤村の「世開け前」を暗示する地である。即ち、人間違いの暗示である。
▽
なお、1985年度に講師室係女性・西山が姪の髪型を暗示していた謎もある。その一年半後に姪が友達を連れて、私のアパート(岡山市北区庭瀬)に長期居候をして、アパートの鍵かチェーンを壊してから帰った謎もある。
▽
更に、膨大な人間違いを示唆する事項があったが、それらは駿台真相編を参照されたい。
ともかく、🎬映画説ゆえに、多数の洒落がちりばめられており、実名で書かねば推測は不可能となっている。
▽
☆☆☆☆☆☆
駿台真相編目次全ページのアドレスと今後の予定(日本のフィクサーMEとの融合過程)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=47621
☆☆☆☆☆☆
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▽
単純図式では、この人間違いが、後のポリテクカレッジ岡山(現在の厚労省所管能開大中国)に飛び火し、同校をドクターストップで辞職後は、今度は村に飛び火したと思わされている。
映画説故に洒落のオンパレードのみならず、旧美作町の幹部は私よりも早く、その事実を知っていたとしか分析できない。
▽
それをフル活用して、🎬映画を盛り上げ、観光資源が全くない、美作市に観光客を誘致したり、政府に🤡(ME)の人身売買に協力してい恩を売ったりしようとしているとしか分析できない。
ともかく、「部落問題」と言われれば、「人間違い」を介在する以外には、アインシュタインが考えても回答はでてこない。
現在迄にわかっていることは上記までである。
長姉が面白半分に姪を少し絡め用としたのを、就寝中の催眠は次のように解説をしてきたが、私には真偽は不明としか言えない。
▽
※(上記の一部訂正)私が既に出会っていたハナオカ、Miki…の箇所は訂正。お嬢Mikiに出会ったのは1971年である。ただし、1968年頃でも某女性に依頼されて、Oさんとなどと交換日記をしていた。1970年頃からは部落研究活動の中で後輩女性などとの語らいや手紙のやりとりが増えてきている。1968年頃でも女性の方からデート招待をされたことすらあるが🥋柔道部や受験勉強などで対応出来ずにお断りせざるをえなかったことが事実である。
☆☆☆☆☆☆
風俗論三部作・悲劇編
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=52209
2025/12/06 14:17追記箇所を特に参照。
☆☆☆☆☆☆
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(C)単純な姉の悪戯を深刻に見せるゲーム
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※※※(突如の追記開始)※※※
(2026/02/04追記)
昨日(2026/02/03)、すべきことの計画をしていた。起床後も同様であった。ところが、パソコンの電源を付けて、ニュースを見るや、突如、2月1日の自治会総会で村の道造り日程変更問題から、2014年排水路清掃日程変更で被害を受けた問題を延々と書かされたり、言わされたりした。全く、このような予定はなく青天の霹靂であった。
だが、村(自治会)の方は最初からその計画をしていたとしか分析できない。昨年の総会もゴミ置き場の土地が自治会か神社かという問題に巻き込まれた。私は昨年の自治会では無言と宣言をしていたのに。両方とも催眠悪用であった。
▽
映画説か何か知らないが、村の自治会員の一部は脚本を聞いている。私は知らない。当然、無視であるが、それを催眠で無理矢理辻褄合わせをさせられる。正に、私はリモコン操作の掃除機と同様である。リモコンは?が持っており、村人は動きを知っている。だが本人の私は知らない。
昨日は、朝にパソコンをつけるや、夜まで催眠状態であった。この日予定の運動・食器洗いどころか、朝・昼の薬も、食事も不可能であった。夜、催眠がかなり解消して、漸く、食事が23時頃できた。同時にパソコンに長時間釘付けでエコノミー症候群、及び眼の健康に良い訳がない。否、健康全体に悪く、傷害罪としか思えない。
▽
だが、その後、二階寝室のアンカーの電源を入れ、一階応接間で食事をし、その後で2階の寝室に移動予定でいると、今度は睡眠薬であろうか、気づくと応接間で午前8時すぎであった。応接間のみか相当の部屋の電源をつけたまま、応接間でも炬燵はあるが布団なし(部屋の温度は2度とかそれ以下)で床の上でねていた。
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要するに、大半の事項は私が決めているのではない。私がどのように動くかはリモコン操作している人間とその人間から情報を聞いている人のみが知っており、私には全く不明である。下記の問題も私は何を目的に姉などが遊び催眠と(面白がって)睡眠薬などを使用したかは不明である。
ただし、当時事情を少し知っているように思えた友人諸君はクスクス笑っていた。それも複数以上。
それなら書いたら良いではないか。逆である。私人である私が被害者もいないプライバシー事項を書く義務がないばかりか、そのようなことをすると憲法13条プライバシー権、幸福追求権全体を崩壊させる上での協力でしかない。だが、今回記した条件下で書くこともありうる。書かせたければ下記条件を満たせば良いだけである。官房機密費があろう。
▽
所で昨日の話は何だろうか。何が何か分からないのが私自身であり、村人は事前に計画し、それを外れるときには無理矢理催眠で辻褄合わせをしている。彼らの方が詳しい。昨日の排水路清掃日程変更問題で興奮して各種記述や怒りまくったのも同様である。私には他の予定があり、青天の霹靂(へきれき)であった。だが村人の一部は事前に知っていた。それが全てである。
▽
【昨日の催眠記録表より】
2014年排水路清掃の件。天から槍の如く、記述するなど思いもせず。PCをつけた時は風俗論喜劇編の続きを記載予定でいた。青天の霹靂。無茶苦茶
※※※(突如の追記終了)※※※
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Facebook等に2026/02/04 16:13 追記
(2026/02/04)【🥴催眠】
昨日は村関係など記述も独り言も予定なく、(現在下書き中の)風俗論喜劇編4の追記の通り、青天の霹靂であった。
▽
🥴催眠の危険性
①食事・全💊薬は23時までとれず。
②🥴で休憩なく💻を8時間以上凝視
→エコノミー症候群、眼・腰に悪い(酷いときは12時間以上同一姿勢とか徹夜での強要も何度もあった)
③運動・皿洗い…不可→生活破壊
④予定原稿遅延、世界の歌コメント記述不可…開業阻止=業務妨害
⑤したくないことの強要=強制労働
□
▼
本題に戻る。
長姉の単純な悪戯を深刻に見せるゲームはほとんど考えられないのであるが、万一、その場合には被害者がおらず、他人が関心を持つ事項ではないプライバシー問題のため、以下を原則とする。
▽
Ⓐ姪も含むプライバシー問題は駿台や能開大等との賠償を前提に、賠償額との関係で聞く必要があれば下記原則を守ってもらいたい。下記は国会議員、総理を含む政府関係者などに既に百部書留送付した文書の一部である。
☆☆☆☆☆☆
▽
簡単に言えば、国会、裁判所などの公の場で正々堂々と質問をすることである。ただし、今回Ⓑを付け加えたので、質問及び回答の場は国会、裁判所、若しくはそれに類似する機関を前提とする。
▽
▽
Ⓑ(上記以外でも)原稿料・印税を提示してのビジネス契約で商談として応じることもある。
▽
好奇心類から聞きたい場合には、私の職業が著述業(Writer)であるため、原稿料か印税を提示して有償契約で原稿執筆を依頼してもらいたい。
私の職業は1998年以降は名刺に「Writer(著述業)」と書いてることを考えれば尚更である。
▽
挑発者のやり方は例えば大工さんを挑発して無料で仕事をさせるのと同じ手口である。
大工さんに「あんたは大工が下手だ。」
大工さんが怒る。
👺「それでは私の家の修理を2か月毎日させてやる。それで実証しろ」
大工さんが仕事をする。
👺「私のお陰で、君が大工仕事ができることが証明された。私に感謝しろ。当然、お金は支払わない。材料も自分で払っておけ」
▽
私にはこういう手口のオンパレードであった。嘘でないのは後に、『日本のフィクサーME』で随所で具体的に指摘しよう。
▽
ともかく原稿料とか印税の金額と⚖天秤にかけて検討する。
▽
小説型としての記述ですら、姪類には記述するならば謝礼(要するにモデルへのお礼・若しくは記述からの迷惑危害への償い)をするのがこれからの表現の自由とプライバシー権問題の解決策の一つであると考えている。
公人ではないにもかかわらず、私の裏の知名度が高いことから、人物が特定される上に、各種デマや中傷、更には嫌がらせ行為などの被害も予想される。私にはもの凄い、悪戯・偽Mailなどが来ており、一時は悪戯電話もかなりあった。今も多少ある。姪などもその種の被害の犠牲になる危険もあるため、この種の対応は常識でもある。一部の人が納得するか否かと無関係に、この世には悪質な輩がいる。
▽
やや似た例としても、肖像権と迷惑料やモデル料問題がある。そういう視角から言っても、三島由紀夫の『宴の後』は問題があった。卑怯とも思えた。
島崎藤村の『新生』に至っては更に、姪にかなりの謝礼をしないのは身勝手と憤りを感じた。もはや島崎藤村の本を読むことはないであろう。肖像権と同じように、小説としてすら人物が特定され、プライバシー権に触れる場合には相手の許可やモデル料が必要というのが、新しい人権といずれなると思う。
私は人権も含めて先端の人間である。もっとも一部の公人は肖像権と同様に幾つかの人権は制限される場合もある。犯罪者の場合も同様である。私や姪は公人や犯罪者ではない。
▽
▽
私が裏で有名なため、人名が特定されることは間違いない。原稿執筆し、原稿料若しくは印税の何%かは姪にモデル料・迷惑料該当で渡すことになる。(人によれば事前の許可が必要な場合もある。)
例えば、前もって印税の最低補償額とか契約料方式の場合には、私の裏の知名度から考えて1億4千万円程度の最低保障契約を結ぶことが不可欠である。
井上ひさし氏が言っていた。原稿一本のキャンセル料は五千万円であったと。松本清張やオバマと契約するときでも最低保障額はこれ以上と思われ、上記の金額は世界のMr.Hamadaの世界では高い額ではない。むしろ安いくらいである。
▽
その際には姪に4千万円渡すとバーターでモデル料とか記述する上での迷惑料の話をすれば、姪はこういうかもしれない。
「4千万円くれるの。書き、書き。書いたら」と。
若しくは
「タコ兄ちゃんの世界的知名度から言えば、もっと、最低保障額を上げた方がよい。その際には私にも、もう少しちょうだい」と。あるいはもう少し安くても🙆かもしれない。いや、世界のHamadaのため上記が最低必要であろう。
▽
▽
ちなみに、原稿を書いた後で、「何だ、こんな原稿で1億4千万円とは詐欺ではないか」と言われても、それは身勝手というものである。何故ならば、私は随所に「皆様が関心を持つ事項ではない」と記している。更には、島崎藤村の『新生』の世界ではなく、随所に「催眠に揺り動かされてたコッペマ・マン ME」とも書いている。
▽
それでも聞きたいというのだから、最低でも上記を払えとなる。そのために官房機密費があるのであろう。領収書なしで、無茶苦茶な使い方をしていたのであろう。
それならば「毒くわば皿まで」となる。
▽
もっとも、長姉が上記を聞いて、私の方が弟(🤡ME)よりは遙かにくわしい。何故ならば,私たちの催眠と睡眠薬工作のため、弟は全貌を知らないのだから。そこで私(姉)ならば7千万円でより詳しく書けるし・書いてあげると横やりをいれてくるかもしれない。
(実際に、駿台の西山美千代熱の理由などは私には全く不明である。横家に「まっててほしい」と言わされた件も後に催眠解説された通りを書いているだけであり、私には天から槍の如く、ちんぷんかんぷん状態であった。姪の場合にも本質はそれに近い。更に姪問題は四谷怪談説や駿台説のどちらかとの結びつきの可能性もあり、私にはその部分は分からないことは事実である)
▽
長姉が上記を言ったならば、これを美しき姉弟愛というのか、兄弟姉妹といえども…というのかは不明である。
賢人ならば言うであろう。好奇心から他人のプライバシーに入る物ではないと。
だが、『コッペマ・マンME』は『アンパンマン』よりもヒットする可能性はないとはいえない。ともかく、Ⓐでない場合にはⒷ商談として交渉すべき事項である。再度言えば、私の職業は著述業(Writer)である。それでも事前に島崎藤村『新生』の如く世界とは無縁と書いての商談は良心的ともいえる。意味深にして、故意に契約金を上げることはしていないのであるから。
▽
▽
ⒶとⒷとでの姪の取り分の相違について。
Ⓐ能開大や駿台との賠償交渉の関係で裁判所も含めての回答が必要と言われ、(被害者がいない事項のプライバシー問題)を回答した場合には、姪には当然謝礼も含めて金銭などは一円も支払わない。
ただし、挑発・プライバシー権侵害・幸福追求権侵害・場合によれば脅迫罪あ誣告罪・(塾等の開業の)業務妨害罪…等の該当者からの慰謝料は別である。
▽
Ⓑは商業用原稿であるため、ビジネス(business)としての姪への支払いである。Ⓐはbusinessではない。その種のケジメが必要である。
▽
また、デマを飛ばした人間がいたならば誣告罪などの刑事告発と同時に、相手から慰謝料をとり、姪と折半を別にすることもある。
▽
▽
再度言えば、Ⓐ以外は安倍氏などが(能開大詐欺被害・労基法違反・違法行為被害、駿台業務妨害や強制ドタバタ劇参加被害への)賠償交渉と無関係な場合となり、原稿料を提示して記述を正面から依頼するのが筋である。
安倍氏が角川書店などに話しをつけ、出版を前提に印税契約(本の売れ行きと無関係に最低保障額契約)を結ぶというのが筋である。その場合には金額次第ではビジネス(business)として検討する場合もある。
▽
もし、安倍晋三などが本当に資本主義を正しいと思っているならば、それが資本主義のルールである。第一、私は総理・大統領とか議員などの公人では一切ない。物事の「イロハ」も知らないのかといつも憤っている。
▽
彼のやり方は食堂(restaurant)で食事をして金を払わずに出ようとして、店主に「💰お金をはらってください」と注意されたときに、「私は(元)総理だ。食べてやったのだ感謝しろ。金を払えとは君は気がくるっている」と言って無銭飲食をするのと同様といつも怒っている。
更に、日本の将軍様は桜を見る会の手口から推測すると、官房機密費で…であろう。
最後に一言。官房機密費\(^^@)/(万歳)
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(2026/02/04:最後の追記)
:23:02何故か削除されており、今再度掲載。
私は末っ子であり、10歳違いの甥ができたときには弟感覚であった。12歳違いの姪ができると今度は待望の妹ができた如くであった。加山雄三氏が「ぼくの妹に」という歌を作っているが、末っ子にとって、妹ができるというのはやはり可愛いものである。
▽
東京の教え子については、妹の方は子猫・子犬などのペット感覚で可愛くてしかたがなかったことを覚えている。更に(すぐに膝の上に乗ってくる、うしろから抱きついてくると)懐いていたので本当に可愛かった。姉の方も懐いており、教え子がなつくと大変可愛い物である。
▽
長姉などが何かを企んでいたため、その企てを暴露する関係で、姪や当時の教え子について、やや冷めた書き方をしている部分があっても、誤解なきように。三者三様で大変かわいらしかった。
▽
なお、過去の覚書などがあっても、改竄(かいざん)疑惑や催眠記述の危険もあり、他人が無駄んでそれを見て何かを解釈しないことが重要である。公開している覚書などはその種のチェックをしているが、非公開の覚書は膨大にあり、公開しないものまでチェックをする時間はない。
▽
また、私の方は一度書いた文書は、念のため、修正せずにそのまま保管している。原則として、修正は修正箇所を明記し、追記方式で行っている。特に、2016年の丸山和也事件以降は問題となる原稿では「削除」類は原則としてしていない。
例外は、つまらぬ文書(内容のないか・重要性のない文書)については、改訂が必要な場合には改訂をしている。
▽
なお、🎬映画説でないならば、私が病(十二指腸潰瘍、自律神経失調症までは確定。別に躁鬱病罹患の可能性…)に冒されていなかったならば、それ以上に長姉を含む家族がおかしな計画をしていなかったならば、長姉の息子・娘のみか、次姉の息子・娘も大変、私に懐いていたであろう。昔は子供に大変人気があったのだから。
仕事もバリバリしていたならば、甥や姪の子供達も私に大変なついていたであろう。だが、映画説の奇妙なシナリオがあったようであり、そうはならなかったことは残念である。
▽
亡き母が1995年頃に言った言葉が意味を持っているであろう。
「UT(次の姉の旦那)さんが何故、ああしたこと(やや問題行動を)をしたと思う。UTさんはそんなことをする人ではないだろう。…」そして、意味ありげに(やや優しげに、もしくは、一部種明かしをしておかねばならぬという良心からか)笑顔を創出して、「そのうち、分かるときがくる」と言っていた。
同じ台詞(セリフ)を東京でトラブルがあったときに、義兄のことではないが、孔雀のママさんが言っていた。「●●さんがどうしてそうしたことをしたと思いますか。●●さんはそんな人ではないでしょう。…(謎の笑み)そのうち、分かるときがきます」であった。
こうしてさっぱり分からないことを、亡き母などが聞きもしないのに突如解説をしてくることがあった。
▽
だが、駿台西山の件は誰も解説をしてこない。
否、世界に調査を依頼したならば、西山ファーム(西山美千代社長)のカード詐欺が発覚し、その事件が耳に入ってきた。そしてその頃、私もカード詐欺に遭っている。カード詐欺発覚したまさにその日に、「一連のトラブルはひとまちがいが原因」と言い切っていた友(タカハシさん:拙著『日本のフィクサーME』の布袋さんのモデル)が死去した。
同詐欺事件の箇所には随所に「山﨑も悪い」の書き込みがあった。※駿台講師時代の理事長が山崎春之氏であった。
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