日本のフィクサーME・パート3・第1章・第2節・山口県の旅への経緯―安倍晋三氏の影登場…:💁正式公開

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日本のフィクサーME・パート3・第1章第2節・山口県の旅への経緯―安倍晋三氏の影登場:💁正式公開


【更新履歴】

2021/11/19 2:18:雑なメモ段階

2021/11/29 1:41 補足のメモ

2021/12/02 19:14 大きく内容変更。「日本のフィクサーME・パート3」は書きながらの構想のため、正式公開までは毎回内容が違う場合があります。メモ・下書から見たい人は毎回みてください。何故、清書段階で公開しないかと言えば、2016年の丸山和也氏のオバマ氏に対する失礼言動問題から、デマや風評被害対策でやむなくこういう形となりました。20:09タイトル微修正

2021/12/03 18時頃から大幅追記。19:46追記 19:53修正中。20:15追記及び修正中(これから食事準備と食事のため暫く掲載進行中断):22:20頃から再開

2021/12/04 0:54 正式公開(ただし、就寝後に、見直して誤字脱字の修正程度は行う。)1:02写真の解説を微修正。2:00追加と修正


(1)著作は、原則として、十二回の見直しをして作成している
(ブログは、通常、一回程度の見直ししかしていない。)
今回の原稿は、この十二回の見直し以前の単なるメモである。
そこで、作品時点では大きく様変わりするであろう。
それを頭に入れて読んでいただきたい。

(2)この文書は、故意に嘘(うそ)を10パーセント程度いれている。

どこが嘘かは公開できない。善良な第三者に迷惑をかけないための措置である。
総論として、この文書はフィクションとして書いている。

(3)『日本のフィクサーME』登場人物のキャラクターなどは以下を参照願いたい。
安らぎ文庫>>6-1・『日本のフィクサーME・下』《『日本のフィクサーME』登場人物の紹介》
http://h-takamasa.com/book-01/custom57.html

◎風景描写→字数の関係で、メモではごく一部を除き風景描写は原則として大きく省略する。


序章・経済人と政治家
企業間争いに巻き込まれて(2014年4月~)
オバマ来日(2014年4月)―ミスター・オバマとの親交開始へ

第1章・組織と人間
光市から萩の旅(2014年4月)
①組織と人間
②伊藤博文🆚安重根
③学校論:松下村塾・適塾🆚東大・京大
④偽者本格登場開始

2014年9月朝日新聞の慰安婦報道問題では朝日を支援…(橋下徹君問題では朝日を非難)

【構成予定】

日本のフィクサーME・パート3・
第1章1節:山口県・光市・萩市への旅(部落解放運動分裂模様から世界連邦まで)
第1章2節:山口県の旅への経緯―安倍晋三氏の影登場…
第1章3節:山口県へ旅―伊藤博文生誕地へ(光市)
第1章4節:山口県へ旅(萩市)
第1章5節:オジョウの偽者登場

12月26日(金曜)映画『戦争と人間』を潜在的に意識したのかもしれない。


 

『日本のフィクサーME』Part-2は訪中と訪韓が中心であった。
『日本のフィクサーME』Part-3はオバマ大統領来日から始まる。

☆☆☆☆☆☆

【政経主張―第1回】
『オバマ来日で、オバマ大統領へ。更に、日本外務省に告ぐ』by 浜田隆政(TAKAMASA HAMADA)

http://takahama-chan.sakura.ne.jp/politics/custom13.html

☆☆☆☆☆☆

ミスター・オバマの話は後で書こう。

2013年からフィールドワークを頻繁(ひんぱん)に実施したのは幾つかの理由があった。2012年に母が死亡した。遺産類はないと思っていたが幾らかあった。だが、そのお金では70代前半、運が良くて70代半ばには枯渇(こかつ)をし、老後破綻は決定的な額であった。年金は兵庫県西宮市教育委員会勤務時代の1年間を除けば、全て非常勤講師のため国民年金だけである。

しかも、母が死亡したのは2012年の(私が)還暦を迎えた年であった。すると、65才までは年金支給ではなく、逆に毎年年金の掛金をかけなければならない。無収入の上に掛金である。それらを計算すると、このままでは何もしなくても70才前半で遺産も枯渇するとなっていた。そこで起業を検討した。起業をすると、今度は投資がいるため、資産の枯渇は早まるが一種の賭(か)けであった。
母の死亡以前の頃は、大学教壇を目指して大学公募に応募したり(当時は大学院時代に一緒に研究会をした人が旧帝大教授とか、…教え子ですら超有名大学大学院教授、某私大教授…と多数おり、どこかで情実が入る採用も可能な状況にあった)、出版社で懸賞論文(審査員に筑紫哲也氏等…私と関係がある人物もおり…)に当たることによる社会復帰を考えていた。ところが、母死亡の翌年に還暦となり、大学では国公立などは65才定年であり、もう無理と考え、起業しかなくなっていた。

こうして、考えに考えて、安らぎ文庫有限会社創立の道(最悪でも開業して自営業の道)をすすむことを決定した。しかし、村人や親戚どころか、少しでも進路を言えば妨害三昧(ざんまい)のため、隠しての起業準備に入った。
詳細は『日本のフィクサーME・パート3』を書いていけば分かろう。

だが、起業をするとなると、投資が必要となり、起業を開始した当初のペースでは70才ジャストで資金は枯渇(こかつ)する可能性が高かった。だが、何もしなくても70代前半頃に枯渇すると計算されていた。
もはや賭けである。極論すれば70代前半・運が良くて70代中頃の道をとるか、失敗すれば70才・成功すれば老後は安泰の道をとるかの賭けであった。
「今、(起業・開業にはいりかけたが)、70才ジャストよりももう少し持つだろう」と姉などの天の声が聞こえてくる。それは違っている。余りに激しい起業妨害のため、2017年末で投資や営業類の大半を打ちきったため、出費が減り、もう少し持つようになった可能性がでてきかけただけである。

その代わり、もし妨害がなかったときの起業成功の確率は大きく減っている。何の起業かなどは企業ならぬ起業秘密であるが、「日本のフィクサーME・パート3」を書いていけばかなり輪郭が見えてくるであろう。
同時に、起業妨害、営業妨害の凄(すさ)まじさも分かるであろう。特に2015年前半は激しいと言う物ではなかった。近所・親戚総動員での足の引っ張りからまるでスパイ映画の世界の如く、信じられないハッカー攻撃や…でもあった。
ちなみに、そうした被害を受ける心当たりは皆無である。その謎は私も不明であるが、「日本のフィクサーME」シリーズが完結するころには運がよければ分かる可能性もでてきつつある。

なお、当初、仕事の中でもフィールドワークを急いだのには訳があった。特に、旅好きではない。トラックの運転者さんや旅行会社の添乗員に「あなたは旅が好きですね」というのと同様である。仕事である。それも『日本のフィクサーME』シリーズや『旅に心を求めて』シリーズの断片を書いていけば追い追い分かるであろう。


もう一つの天の声もした。

「旅をテーマに記述したり、営業類をしたりするのならば早くした方がよい」、と。

フィールドワークといっても手ぶらで行くのではない。機材などで、18リットルの灯油缶を一つ半、時には二つ担(かつ)いで動き回るに等しい。最低でも一つ分である。
そこで天から次の声があった。「機材の重さと行動のハードさを考えると年を取るとできないぞ」、「そこで若い内にフィールドワークを一気にして、年を取りかけてから、全体の整理や原稿、あるいは撮った写真の整理をしたらどうか。後者は老いてもできるが前者は無理だぞ」と。

これは催眠とはいえ然(しか)りと思った。

さらに、天からの声は「金になるまでに持ち金は減っていく。資金の枯渇をもろに感じ出すと、フィールドワークに行っても、気が滅入(めい)り、ときにはうつ病型で意味がなくなるぞ。そこでお金の枯渇が見える前に飛ばせ。また機材もいつまでも健全ではない。すると、機材が健全な内に、フィールドワークを急げ。村人や親戚を納得させるなどすれば営業妨害だらけになる。それにそれらは成功したときに分かる。もう後はない急げ」であった。

全て然(しか)りである。

こうして、フィールドワークをまだ足腰が悪くなる前に集中させることになる。だが、それでも、2013年の訪中・訪韓の後では、疲れや整理問題その他から、2014年前半にフィールドワークをする気にはなれなかった。ただし、最初の商品である「野麦峠」関連だけは表紙にする写真の関係で、2014年に行かねばならない。

出版及び有限会社などの創立目処(めど)を2015年においていたからである。野麦以外はとてもではないが行くような態勢にはなかった。それも自家用車には乗れず、交通手段も新幹線ではなく、青春18オンリー(JR限定で一日鈍行乗り放題で2300円くらい)を当初は予定していたのだからである。

しかし、私の姉から電話があり、訪韓をして安重根記念碑に行ったため、安倍晋三…が怒っている。安重根の対比として、伊藤博文関連を急げという雰囲気の電話で、2014年春に山口県に行かねばならないかとなったのである。
絶対優先の野麦峠はやむなく、2014年夏とした。本来は野麦を最初に行わねばならなかった。実際に野麦再訪は本の表紙作成時には間に合わなくなっていた。しかも、熊問題で野麦は更に1年のびることになる。2014年春ならば熊もでずに行けたのであるが。


安倍晋三氏を意識するには理由があった。唯一の理由は安倍晋三氏が私を意識するからである。より正確には降りかかる火の粉は払わねば仕方がないからである。ただ、それだけである。

第二次安倍政権になるや、安倍氏が真っ先にしたことは安倍昭恵氏を、私の郷土美作に派遣したことである。そして、私が憩いの地としていた大芦高原付近の棚田の名誉会長となる。次に、私の故郷付近にある湯郷温泉に、安倍昭恵氏が2014年に来て、私の近所の小母(おば)さんが務めていた某旅館かその隣の旅館で女将(おかみ)と記念撮影をする。
岡山県美作市からも安倍昭恵氏は表彰される。

以前書いた簡単な年表を再度掲載しよう。

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2013年以降の簡単な年表
2013年2月、安倍昭恵氏が美作市…上山を訪れる。

2013年?月、安倍昭恵氏が棚田団の名誉顧問。
(私が昔憩いの場としていた▽▽高原の下にある棚田)

2013年3月、安倍昭恵氏が上山地区の活性化や美作市の知名度向上に尽力したということで、美作市から功労表彰。{『アエラ』では「15年3月、昭恵夫人は同市から功労者として表彰されていた」としているが、詳細を私は知らない}。

2014年4月23日には、安倍昭恵氏が同地を訪問したことをFacebookに記載したそうな。

2014年頃には、私の近隣の人が務めていた、地元温泉街の旅館で安倍昭恵氏が記念撮影。

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(気がむけば一言)日本のフィクサーME―我が目で見た民主党政権から自民党政権へ⑥:第二次安倍政権の土台:ボン・私(わたし)対策編(正式公開)
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=26976
☞同上ブログ内の下の方に掲載している《A-3:前回の本文□【政治・第五の項目・安倍夫妻のボン対策】》の箇所参照。
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21-033-060:2021年11月5日:湯郷温泉

21-033-060:2021年11月5日:湯郷温泉:私の像と言いたいが、二宮尊徳。美作市では私をもじって特に損をするで、「損特」と表記する。


ただ不思議なことは、安倍晋三氏が何故、私を意識するのかが全く不明である。
私が党派中立であることは私の政策を順次述べていけば分かろう。それどころか、小泉純一郎氏が総理の頃、私が小泉氏の相談に乗っていたことも、安倍氏が幹事長や官房長官を務めていたのだから知っていよう。
もっとも、徐々にフィクションとして述べるが安倍晋三氏と小泉純一郎氏の関係がおかしくなって来始めるのもこの頃(2014年頃)である。フィクションとして書ける範囲でいずれ書いておこう。小泉氏と安倍氏を師弟関係の感覚で捉えているならば大きな間違いである。それは大昔の話でしかない。
安倍晋三氏と小泉純一郎氏の関係が崩れれば、私との関係もヒビが入るのは当たり前かもしれない。

小泉政権や第一次安倍政権では思いもしなかったことが2014年からおこってくるのである。2013年でも小泉氏と安倍氏の関係はまだ…であったのだが。

ちなみに、私は安保法制や特定秘密保護法案などは内容も知らない。現時点でもいつあったかの年や月も知らない。いずれ調べよう。何故ならば、私は政治家になる意思がないのだからである。

それでは、何故、安倍晋三氏が私を意識したのであろうか。現時点での回答は、彼が私をマークするときにスパイ役として指名した人物から嘘(うそ)の情報を流された可能性である。これらも追い追い語っていこう

ということで、日本のフィクサーME・パート3第1章第2節は山口県の旅が早まった経緯から記すことにした。
なお、この山口県の旅では、安倍晋三氏は上機嫌に近かった。山口県の一部では私に対してかなり気も遣(つか)われていた。それが後に崩れていくのである。

付け加えれば、萩原誠司氏が2014年3月30日から美作市長となる。その前は道上政男氏が美作市長であった。彼は、私の中学の先輩であり、姉などと同級生であった。また、道上氏の父は私の父の教え子と聞いていた。美作町役場(後の美作市役所)で、道上氏と出会っても双方笑顔で対応していた。これで、岡山県美作市との対応も楽になる、と当時喜んでいた。

ところが、本日(2021/12/03)調べると、次のような記載があった。
道上氏は「兵庫県姫路市出身。歯科技工所社長の後、美作町議会議員(2期)、美作市議会議員(2期)を務め、市議会では議長となった。2013年4月に安東美孝市長の引退を受けて岡山県美作市長選に立候補し、無投票で当選…」と書いてある。
それでは、私が林野高校で柔道部にも所属していた頃に、江見商業で柔道をしていた道上さんではなかったのか。
{※道上政男(みちうえ まさお、1950年 – 2014年2月27日)は、日本の政治家、元岡山県美作市長。}

道上氏が生前中には、懐(なつ)かしい道上さんと思い、役場で対応していたのだが、ひと間違いをしていたかもしれない。また、「姫路」とは後に記す、「尼崎」と並んで意味を持つ土地である。ちなみに、私は尼崎には住んだことがない。

…ところが、私が大阪を拠点とした物語『日本のフィクサーME』のペーパー版を2011年に完成させ、その内容の一部が世に知られるにつれて、大阪の宿が一杯となりだした。そして2014年には大阪のビジネスホテルは満杯か料金が高騰してしまった。そこで、尼崎の宿に移動した。最初が、確か2014年12月27日である。
この日にオジョウの偽者(田原総一郎氏、近所の某氏、中語からの来日客が臭わせていた女性)も登場した。オジョウは「あれは、私ではない」と言うのだが、私は未(いま)だにオジョウの化身と思っている。その話は第1章第5節オジョウの偽者の箇所でしよう。

この「姫路」と「尼崎」が、私が駿合予備校(実際は駿台予備学校)で大きな被害を受けた鍵をとくキーワードかもしれない。


話を元に戻そう。
萩原市長{萩原 誠司(はぎわら せいじ、1956年4月28日 – )は、日本の政治家、通産官僚。岡山県美作市長(3期)}は小泉チルドレンの一人と聞いた。
そこで、私は助かったと思っていた。
何故(なぜ)ならば、小泉純一郎氏と私は2004年に救済依頼の手紙を小泉氏に送付してから、腐れ縁とでもいう間柄だったからである。
小泉純一郎氏の相談にも乗ったことがある。
そこで、当時の自民党議員などは私に一目をおいていた。
与謝野馨氏などは言うに及ばず、鷹(たか)派の中川昭一氏や浜田幸一氏ですら、私に一目をおいていた。

大和田獏氏が、小泉氏が私(浜田隆政)を大臣にしたいと思っているという雰囲気をしたのもこの頃である。これは大和田獏氏の悪戯(いたずら)であった。しかし、この悪戯には参った。大和田獏氏が言うには、「小泉さんはいきなり電話をしてきて、そして相手がでれば大臣の話をする。でなければ、別の人に電話をする」などのJokeをテレビでいったからである。その関係ではあるまいが、その日は何度もの電話があった。ただし、この電話は親戚の人からであったが、最初は悪戯電話と思っていた。というのも相当回数の電話がかかったからである。ちなみに、この日は近所の叔母の葬儀(2005年)であり、私はそうした人の不幸のときに、テレビから悪戯をするのではないと、その後数年間大和田獏氏に怒っていた。

小泉純一郎氏との腐れ縁と相談に乗った内容の大半は拙著『日本のフィクサーME』(Part-1該当、Kindle、KOBO上下ともに百円、$1)で発売中なので、関心のある人は購入していただきたい。特に下巻に面白い話を記している。

この小泉チルドレンの一人が美作市長になったならば大変やりやすいと当時は思った。ところが、小泉チルドレンの一人は事実であるようだが、どうも荻原氏は小泉純一郎氏と余り会談をしたことがないようである。もし、荻原氏が小泉氏と何度も会談をして、懇意ならば、私に対する態度も、中川氏や浜田幸一氏よりも丁寧(ていねい)となっていたであろう。

しかも、荻原氏は、(私と馬があった)小泉氏とは余り関係がないようで、逆に、荻原氏をスカウトしたのが安倍晋三氏との噂(うわさ)も入ってきた。となると、安倍氏と小泉氏、安倍氏と私の関係がかなり変化するのが2014年であり、私が思ったような関係にはならないということも合点がいく。関連する話は下記参照。
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気が向けば一言【政治】№130・日本のフィクサーME・パート2付録編⑭・2013年訪韓の経緯―4・政治説
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1089/
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21-007-052:美作市湯郷温泉(2021年3月29日撮影)

21-007-10(2021年3月29日撮影):湯郷の月は大きい。私の話も大きい。

21-007-119(2021年3月29日撮影):山口県への旅も2014年当日の湯郷温泉の写真から開始する。


それでは、山口行きの経緯を、姉からの電話から再開しよう。


2014年になるや、姉から電話があった。
姉は私が訪韓(2012年12月)して、安重根記念碑に行ったことを気にしていた。
姉は何故か、安重根記念碑との対比で伊藤博文の足跡を追うことを知っていたようであった。
そこで、訪韓したのだから、早く伊藤博文の足跡を追う必要のあることを遠回しにいってきた。ただし、次の言葉を強調していた。
「早く行かないと大変なことになる。早く行け…早く行け」と。


布袋(ほてい):
僕もそう思う。
お姉さんの言うことは正論だ。
右翼の僕は「正論」という言葉が好きなのだ。
ボンのお姉さんはこういいたかったのだ。
安重根記念碑に行ったのだから、安倍様が不機嫌だ。
そこで、安倍様の城下町・山口に急げ、ということだ。


しかし、私は乗る気ではなかった。
訪中、訪韓で疲れていた。肉体以上に精神的に疲れていた。
更に、2014年終わりか2015年から、いよいよ最後の賭けで起業にはいることにしていた。
可能な限り、有限会社をつくりたい。
最悪でも開業届けを出して、自営業を本格的に開始することを計画していた。
その軸の一つに、書籍の出版があった。
本の第一号は「野麦峠」を主軸とした『旅に心を求めて―不条理編』(Kindle、KOBOで上下、各百円で発売中)である。
だが、野麦峠は1989年にコンパクトカメラで撮った写真しかない。それもマシなのがほとんどない。本も軸の一つにするためにはインパクトのある写真がなければならない。


そこで、何が何でも野麦峠に2014年、それも遅くならない内に行く必要があった。
伊藤博文の足跡を追う旅をすれば、その後始末で野麦峠行きが遅くなってしまう。
だから、乗る気ではなかった。
しかし、姉の言葉から一種の不気味さを感じて、伊藤博文の足跡を追う旅を先にすることになる。行くのは桜の咲く時期とした。

「旅に心を求めて・上」2015年発売時の表紙(本格撮影が間に合わず、1989年写真をごまかし使用)

🆚

「旅に心を求めて・上」→2015年5月撮影後に置き換えた表紙。電子書籍は表紙で売れ行きが決まると言っても過言ではない。


山口県の旅は奇妙な旅であった。
まず、私の偽者が各地で登場してくる。
次に、対立していたように思えた安倍氏が接近の方に舵を切り替えたか何か不可思議な対応になっていく。恐らく、ミスター・オバマが来日した頃から対応が変化したのだろう。


はかせ:
ボン様は安倍様と対立していたのですかな。
安倍様は小泉純一郎様の弟子のように見えましたがな。
そして、ボン様は何故か小泉純一郎様と奇妙に馬が合っていたように思えましたな。
すると安倍様とボン様は近いのではないですかな。
対立とはおかしな話ですな。


ボン:
確かに、小泉純一郎氏のときに安倍晋三氏が官房長官や幹事長をしていたときには、僕に対しては大変紳士的であった。対立は一度もしたことがなかったはずだ。
第一次安倍政権ですら、僕は安倍批判は一度もしたことがなかったはずだ。安倍氏の側も同様とも見えた。


明神:
ボンちゃんサー、こういうことではない。
ボンちゃんがサー、小泉政権では蔭の相談役の一人と思われていた。
ところが民主党政権になり、ボンちゃんがサー、菅直人総理の相談に乗ったり、野田佳彦総理に幾つかアドバイスしたりしたので頭にきたのではないの。


ボン:
それもあろう。
しかし、僕が2013年に安倍晋三氏の「総理の」靖国参拝に対して疑問を呈したことや、それ以上に僕が訪韓、訪中をしたことが気になったのではないのか。
ところが、ミスター・オバマの来日で再度僕への対応が変わったのであろう。

2014年4月4日伊藤博文記念館:安倍晋三贈呈碑:ここまでは安倍様も機嫌が良かったのであるが



明神:
ところでサー、ボンちゃんと安倍晋三との対立軸は何なのだ。
ボンちゃんはサー、安倍氏の何を批判したのだ。


明神君が「安倍氏の何を批判したのだ」と言う言葉を聞いて返答に困った。じっくり考えると、僕は安倍晋三批判をしたことがなかったのだ。後に登場する安保法制や特定秘密保護法案なども批判の前に内容も知らないのだ。今でもほとんどか全く知らない。
安保法制や特定秘密保護法案でも批判していないのだから、何故、対立したのかは僕にも分からないのだ。2016年5月か6月までは批判はしていない。5月か6月の批判も、政治ではなく、「今月の歌」を巡っての問題だ。その話は「日本のフィクサーME・パート4」でしよう。
「今月の歌」や「世界の歌」の協力を世界の首脳がする義務はない。安倍氏も同様だ。しかし、2016年だけは事情が違っていた。

できないと拒否した私に無理矢理させたのだから。その上、約束を守らないばかりか、…。

2016年今月の歌もそれが終わった後は引き続きの批判はしていない。
2016年1月までは安倍晋三氏の内閣支持率もみていない。少なくとも全く覚えていなかった。2017年以降に原稿の関係で見ただけである。
しかし、奇妙なことがある。
2017年以降安倍氏が突如、私を「赤」だといわんがばかりに「赤」攻撃を開始したことだ。正確には攻撃は安倍氏かどうかは定かではない。


布袋:
赤は明神君だろう。
ボンは心底の党派中立・宗派中立路線だろ。はかせは超越路線だけれども。
確かにボンは若い頃(55年前頃から40年前頃の間)は左翼だった。
しかし、ボンは各種団体の対立を見て党派中立路線となり、更に駿合予備校事件で左翼から痛い目に遭って完全党派中立となった。僕はそれをみていたからね。ちなみに、駿合予備校を辞めてからでも、もう33年だ。ボンが党派中立路線に舵を取り替えてからでも40年目になる。


明神:
そうだ。僕は同じ左翼だったけれども、ボンちゃんがサー、中立路線を歩みだしてから不信感をもったからね。
しかし、小泉純一郎氏などはボンを左翼と知ってというよりも錯覚して接近をしたのだろ。

正確にはサー、左翼と思った上で接近をしたのだろ。
自民党はサー、自社さ連立政権を経験したのでサー、左翼アレルギーがなくなっていた時期だった。
社会党と連立を組めたのだからサー、ボンと連立を組めないはずがないと思ってサー、小泉氏はボンに接近しただけであり、ボンを調べて左翼と思い続けていたと思うよ。

ボン:

後の話だけれども、ある日、天から声がしてきた。
河野太郎氏の声のようだった。
「赤旗に書いてある◎◎の記事をどう思うか」と。恰(あたか)も、その問題で僕と論争をしようとした雰囲気にも思えた。
僕は即座に言った。
「河野君はえらい。赤旗を読むだけえらい。僕なんて、赤旗日刊紙はもう30年以上見たことがない」と。正確には2021年現在から計算すると、もう半年余りで40年になると思う。要するに、40年間読んでいない新聞の記事で論争をしかけられても返答は不可能だ。
いいかい、僕の大学時代を例にとろう。
大学時代は1971年から1975年だ。その40年前と言うと、1931年から1935年だ。1931年若しくは1935年の情勢しか知らない人間が、1975年の話をできると思うかい。

ところが不思議なことに、その話をすると、公明党の山口那津男代表が赤面したように見られた。何だろうかと気になった。公明党のことも、僕が知っているのは竹入義勝委員長―矢野絢也書記長の全盛期だ。それもほんの少しというほども知らない。それ以降は全くに近く知らない。小野田寛郎 (おのだ ひろお、1922年3月19日 – 2014年1月16日)さんや横井庄一(よこい しょういち、1915年3月31日 – 1997年9月22日)さん以上の状況に33年以上置かれているのだから。

後に、何か不思議なことがあった。
結論から書こう。誰かスパイを僕の周りに配置をした。しかし、そのスパイが出鱈目(でたらめ)を言った疑惑だ。その不可思議なことが2014年の萩の旅から開始することになる。
要するに、政治家の何人かがデマに騙(だま)されたか、思い込みによる決めつけミスである。
それらの話を徐々に書いていこう。


はかせ:
赤か青か黒か知しりませんが、色分けの前に、ボン様の政策・考えを具体的に言われた方がはやいのではないですかな。

2014年4月4日伊藤博文記念館

はかせの言うように、私が現在考えている政策の骨子を書けば多くのデマは消え失せるであろう。ただし、それらは『日本のフィクサーME・パート3』全体に分散して適切な箇所に記すことにする。そこで、今回は、下記のメモの一部のみをそのまま残すに留(とど)める。

なお、第1章の構成を変更し、次回から、山口県への旅を掲載する。

この旅の道中で、安倍晋三氏と私に関する流れを回想予定でいる。安倍晋三氏の祖父・岸信介は昭和の妖怪(ようかい)と呼ばれた。しかし、安倍晋三氏は平成の妖怪ではない。どう表現するかは次回までに検討しよう。

ともかく、奇怪若しくは奇妙な人間である。敵対しているのか、そうではないのか、その判別が大変難しいのである。

野田聖子氏が、ある日、安倍晋三氏と出会ったときに「安倍ちゃん、私のこと嫌いではないわね」と尋ねたことがあると聞いた。議員同期生か何かで親しい時期もあったのであろう。だが他方で😵😱😖、😵😱😖の連続の時期もあったようである。百選錬磨の、二階俊博氏ですら安倍晋三氏をあるときは、見かねて心配をし、ある時は「何だ、このやろう」となったように見受けられた。

敵なのか・味方なのか、信じて良いのか・信じては騙(だま)されると警戒すべきなのか、多くの人を迷わせている人物である。

同時に、小泉政権時の安倍晋三氏の姿から、オバマ大統領の頃の安倍晋三氏の姿、更にはトランプ大統領時代の安倍晋三氏の姿などを、次回からの山口への旅の中で振り返ろう。

最後に、私の党派中立・宗派中立の流れは下記を参考にされたい。

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(公式ブログ)浜田隆政回想録―1・1982~2020年:党派中立への道
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=29431
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次回の「日本のフィクサーME・パート3」第1章・第3節の写真は2014年4月4日出発時の、郷土「湯郷」早朝の写真から開始となる。

《今回、公開予定は以上の範囲まで》



昭和の妖怪 岸信介

平成の妖怪


光市に向けて

林野~津山~岡山~~新山口~(萩~宮島~福山)

◎伊藤博文記念館。
到着して暫くしてから雨が降る。大半、雨の中での撮影となった。
伊藤記念館周辺では数人に出会ったが、館内には私しかいなかった。
伊藤博文のビデオが残っており、生ビデオを見る。シーンは海に向かって、Koreanの皇室の人?と博文が石を投げて遊んでいる場面であった。

◎新山口駅周辺。
店が余りなく、私好みの店はなかった。入った食堂も今一つであった。食べた物も印象になく、生ビールもおいしくなかった。ホテルの朝食の方は結構健闘していた。

◎光市について。伊藤博文、松岡洋右生誕地。更に宮本顕治の生誕地でもある。残念ながら、後者二つには行く時間なし。

【日程】
①我が家発。午前6:45(自転車)。
②林野駅発7:15→津山駅7:50着:7:53発→岡山駅9:07着:9:15発→三原駅10:26着:10:58発→岩国駅13:05着:13:07発→岩田駅:14:08着。
③岩田タクシー14:10→伊藤博文記念館:14:25着(料金1270円)。
④伊藤博文記念館発15:25(市営バス200円)→岩田駅着
⑤岩田駅発16:51頃(16:21の汽車が30分遅れのため)→新山口駅着18:30頃。(交通費は林野駅から新山口駅まで青春18で2150円であった)。
⑥ホテルチェックイン19時頃。
⑦新山口散策19時過ぎ~21時頃。

(B)ホテル
5180円-ポイント使用2300円=2880円。
部屋25平方。朝食付き。朝食の内容も悪く無し。部屋も申し分なし。ただし、部屋からの景観は悪い。
Twitterに朝食時の熱い物持たされ…で多少悪く思えるコメント記したが、今考えると社会通念内であり、意外と良かったホテルというのが現時点の評価。




下記は分散して徐々に記す。またTwitterでも徐々に私の案を記そう。大半が唯一無二の状況である。

 

【具体的政策論】は日本のフィクサーME・パート3の中で徐々に記載していく。

私もそう思う。そこで、これから、僕の政策の骨子を徐々に書いていくつもりだ。
安全保障、教育、地方自治、年金…全て、オリジナルだ。と言うのも政党の機関紙どころか、商業新聞も10年以上購読していないので、当然、完璧なオリジナル路線だ。
骨格だけかけば以下となる。
安全保障は、ユートピアと思われようとも、私は世界連邦・世界統一軍しかないと思っている。軍事同盟廃棄路線も無理だ。自国の防衛コストが大変高くつく。話せば分かる路線は世界中の相手も同様なときのみだ。もし話せば分かるならば国際司法裁判所がパンクし、国際司法裁判所の支部が世界に200どころか、1000以上存在していただろう。
他方、二国間軍事同盟もギクシャクだらけでトラブル連続となると分析している。

世界統一軍もあるという部隊ではなく、米国軍に匹敵かそれ以上の本格的な軍隊を考えていた。軍事の独占だ。しかも、早急にAI化や無人機、ロボット化の独占(世界統一軍以外は保持できない)に関する国際条約も必要だ。
詳細な見取図は後日記そう。ちなみに、この見取図を持ち訪米する予定が後に記す妨害に遭う。凄まじい妨害であった。

尚、上記はユートピアではない。米中露が近づけば、後はG7、G20等で、約4年を目処にできる可能性がある。国連が1941年から話が進み、1945年には創設されているからだ。だが、国連では重要問題が解決できなくなっており限界に相当前からなっている。

教育は国公立大学は夜間を除き全廃路線だ。大学の国際競争上現行制度は問題が多いこと、更に、逆進税型になっていることなどからである。総論として、国公立大学は私立大学の学生よりも家の収入が高い人が多い。東大などがその典型である。極論すれば金持ちは有名国公立大学へ、貧乏人は私立大学へとなっているからである。高校の場合には下記の如く公立高校はがんじがらめの学区制で、私立大学は自由として、問題は解決される。公立高校は行きたい人の大半が行けて初めて税投入の意味がある。

大学は、学生本人に税投入すべきであり、国公立大学に税投入するのは効率が悪い。しかも、東大・京大は他の私立大学に比べて、金持ちが相対的に多い。極論すれば貧乏人から金をとり、金持ちに流すのと同様である。また、教師・事務員間での競争政策も難しい。全部民営化ならば、アインシュタイン級の学者は破格の金でスカウトできるともなる。経済学者サムエルソンを名古屋大学が確保できれば、世界中から、優秀な学生が名古屋大学大学院などに来るであろう。これも重要な競争であるが、国公立では賃金は別の決め方をするため、破格な金での教師のスカウトは無理でもある。私立大学は自由のはずであるが、国立大学などに釣られているのであろう。

なお、偏差値は教育サービスという商品を提供する大学間競争の結果であるが、日本では逆となっており、偏差値が大学の格を規定し、学生もそれに釣られる。万一、偏差値で嘘を書けば、嘘が実現するのが今の日本である。そして、実際に偏差値で実質的に嘘をついた事例を、私の原稿「偏差値のイドラ」で紹介した。こうした詐欺が蔓延しているのが今の日本の高校・大学である。

 

その根拠と見取図もいずれ記そう。医学部は私立が高いので国公立残せは欺瞞(ぎまん)である。金がない学生のために、国公立大学に資金投入はなく、直にその学生個人に両親の所得制限の下で資金を投入した方が安くつくし、効率的でもある。厚労働省系大学は文部科学省系と余りにダブり、完全に無意味となっているが、事実上、全国に28校近くある。ごまかしで10校程度に見せているだけである。即座に全廃である。

公立高校は逆にがんじがらめの学区制度だ。小学校・中学校と同様の学区制度だ。その理由も後日記す。私立高校は自由である。国庫助成がなければ完全自由となるのだが。

学区制徹底の理由は差別と選別の教育否定のみか、高校の塾化を阻止し、大学ではできない高校独自の教育が必要だからである。高校は大学へ行くための組織ではない。大学へいくための組織は塾や予備校である。大学が大学院へ行くための組織ではないのと同様に、高校には高校独自の教育があるはずだからである。
学歴社会の打破と大学における本格競争原理の導入。(例、東大一極集中も打破し競争へ。例えば東京でも、一橋大学・東京工業大学・東京芸大・筑波大かお茶の水大・東京農大・東京外大と?医学部を合併させ、東大に対抗させる。もっとも、国公立大民営化の間に行う。民営化すれば国は口をだせない。更に、慶応と大阪大学などの合併である。世界の優秀な大学生を日本の大学院にかき集める方策。今の如く、欧米の大学に行けば箔がつくは時代遅れである。その逆を志向せねば、いつまでも日本の高等教育は欧米以下かつレジャーランドが実態となるであろう)。
奨学金と教育ローンの見直しと新制度。
教師間の新の競争と優秀な教師の育成政策と移動誘導政策を。
大学の重要な商品である教師が使い物にならねば大学は飾りでしかない。
世界と優秀な学生の奪い合い競争を。優秀な学生は海外へ留学…では無理。優秀な学生を海外は否定しないが、それ以上に優秀な学生を世界から日本に集める政策を。優秀な学生獲得の国際競争の激化政策である。
他方において優秀な学生をつくるためには、学歴社会打破が不可欠である。そうでないと大学はダイヤの指輪と同様の飾りとなる。分かり易く言えば、プロ野球は大学をでているかどうかはどうでもよい。野球選手養成所をでているかどうかもどうでもよい。現場でつかえればよい。だが、大学スポーツ学科や養成所が生き残るためには、プロ野球で活躍できる選手を本当に養成し、結果を出さねばならない。その前提には現場でつかえればよいという単純原理である。
企業も現場で使えればよいのであり、使えるかどうかに、大卒とかどこの大学をでたかは無関係である。それを徹底すれば、大学の側がが本当につかいものになる学生をつくろうと努力をする。今はその努力が全くない。大学をでなくても社会・企業で活躍できる社会を実現して、初めて大学は死に物狂いで、意味ある大学になろうと努力をする。
学歴社会の否定こそが、大学をあるべき大学に導く政策となる。分かり憎ければ(実力主義の)プロ野球を例に考えればよい。野球の名門かどうかなども一切関係ない。現場での活躍が全てである。
その結果大学は卒業が困難となり、それを見て志願者が減り、入学は易化する。入りやすく、でにくいとなる。同時に、大学などをでなくても、社会で活躍をできる道が広がれば、大学に行こうとする人は減る。他方、大学はそれでも学生をこさそうと必死で努力をする。死闘となる。それが教育改革の原点である。今は大学が役に立たなくても、アクセサリー感覚で大学に行こうとする人間が余りにおおい。

他方、小学校・中学校は高校のがんじがらめの学区により、入学競争が減り、ゆとり教育が可能となる。だが、義務教育ではない高校も入るは易しく、でるは難しいという本道になっていく。学歴社会の打破であるから高校をでなくても活躍できる道と、高校をパスして大学に行ける道を広げることが重要でもある。そのときに高校も大量倒産の危機で蘇る。高校は大学へ行くための組織ではなく、別の教育目的があることも自覚するであろう。大学が大学院にいくための組織ではないのと同様に、高校は大学へ行くための組織ではないのである。別の教育目的があったはずである。そしてそれに向かい死闘となる。生徒の死闘ではなく、経営者の死闘となる。
文豪・松本清張の最終学歴は尋常小学校卒である。松本清張のごとき人物が多数でて、初めて高校や大学は目が覚め、本当の学校教育が開始する。建築家の安藤さんは東大教授であるが、彼は大学院どころか大学もでていない。それが当たり前となって初めて学校も蘇る。現在の高校大学は飾りか、高校は塾同様となろうするか両極端となっている。大学は単なる飾りであることは、私の原稿「偏差値のイドラ」を読めば分かろう。中学校や高校は毒饅頭の教育であることは、私が「毒饅頭の教育」批判の続編を書き続ければ分かろう。日本の大学の大半は飾りでしかない。教育費のドブへの投入と同様である。飾りではないとすれば教育効果として何があるのだろうか。せいぜい、クラブ活動などをあげるだけだろう。それが大学や高校の本質であろうか。飾りではないという真面目学生もいよう。だが、自首ゼミなどで自分らで鍛える以上に、本当に教育効果があるのだろうか。特に、大学の通常の授業などは。教師と学生の時間のドブ捨てになっているとしか思えなかった。

年金はニュージランドをモデルに、掛金制度ではなく、税を資金とした最低保障年金(現在の生活保護費に+α)と、掛金による上乗せ年金である。後者は任意とする。

地方自治は、封建制の打破。即ち、生まれたことにより拘束されるものの全廃だ。自治会と言っても似非自治会であり、隣組制度が実態だ。そこで、GHQが行ったのと同様に、一度、全て廃止を法律で行う。その上で、本当の自治ならば、村八部と無関係に、本当の契約で、目的志向型で自治会を作ったときのみ認可する。神社も同様だ。神社の解体ではなく氏子制度の解体だ。その後で、再度氏子になりたい人はなるとする。法での全廃が難しければ、国家主導の啓発活動で行う。ただし、今は想像であり、実際に実験しながら理論・政策を構築しないと具体策は出てこない。
封建制が日本には随所に残っているため、その解体だ。それも法律で行う。
戸籍制度も全廃だ。その案も後日記す。

独立行政法人に徹底したメスを入れる。国家の二大癌であった、雇用能力開発機構と社会保険庁が名を変えて復活しかけている臭いを感じる。癌の再発の兆した。

無用となった組織の解体問題だ。

国際経済も独自だ。関税・為替・法人税は一体として考える。三つとも国際条約で各国の自由とはならない仕組みとする。
関税は原則全撤廃だ。例外は二項目だけである。国際会議で認められる緊急事態時のセーフティガードだけだ。もう一つの例外は、世界連邦を通じて所得再分配と同様の仕組みを世界でつくる。兵庫県と岡山県の間には関税はない。カルフォルニア州とネバダ州の間でも関税はない。同様に、関税を世界中で撤廃に入る。関税の撤廃である以上、その時点で、TPPとかその他の経済連携や経済統合は必要ないとなる。
為替は1984年頃から主張しているように、準固定相場制である。金為替本位制ではなく、パソコン類を駆使しての相場をつくり、5年間は固定する。その後で再度パソコン類を駆使して、見直しを図り、再度5年間固定をする。
法人税は、世界をグループ化し、そのグループ間では法人税は幾ら以下にさげることを禁止する。

日本に限定すれば以下を考えている。
小選挙区制は廃止する。場合によれば比例代表制も廃止する。ともかく、日本での小選挙区制度は失敗したのは大半の人が分かっていようとなる。
大選挙区完全単記投票制にする。妥協は中選挙区短期投票制、即ち、昔の制度に戻すである。日本には小選挙区制は向いていなかった。比例代表制は理論は正しいが、日本では約半分が無党派層である。そこで比例代表制も無理である。支持政党なしが圧倒的な第一党が日本である。しかし、比例代表制度では、国民の支持政党なしという意思の大半は反映されない。
選挙運動は期間の拡大と個別訪問などの解禁、立会演説会などの復活…とアメリカ並の選挙運動を盛り上げる方策をとる。

消費税問題は当面は以下を唱える。消費税を上げた場合と所得税をあげた場合で、どちらの税収が増え、どちらが景気を悪化させないかの実証実験を行い、その結果を見てから新政策を考える。現在はモデル地区や特区などで実験もせずに、単に消費税ありきとなっており、非科学的すぎる。消費税はフランス人がフランスの経済風土にあったものとして1950年頃に考えたものでり、日本の経済風土にあっていない気が随所でしている。
同時に、新たな税を検討する。例えば健康税などである。

…徐々に全項目について記そう。記せば、私が赤とか青とか…ではなく、無色か、誰も見たことがない色と分かろう。

領土問題、経済政策…全てオリジナルの考えを持っている。
経済政策の土台は「都市から地方へ」であり、首都を東京から即座に移動する。地方を復活させるには封建制の打破も不可欠である。同時に、ITの更なる進化とそれをフォローするインフラ整備が不可欠である。これらは建設国債で行う。
ただし、日本の狂った借金1200兆円問題だけはまだ解決策を見いだしていない。これは難問である。

需要サイドの経済学と供給サイドの経済学の問題。

今回は骨子のみを下書かメモのままとし、清書化は別の章で行う。そこで、上記案の箇所は飛ばして、光市から萩の旅の概要と起こった出来事を記載する。

学歴社会から完全競争社会へ。

ボン:
僕は第二次安倍政権になっても安倍晋三批判はしたことがなかったのだ。

第二次

 

2021年12月4日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA