(🚧)駿台事件真相編―🆕7・駿台CM作戦―業務妨害から刑事犯罪被害、そして放逐と更なる危害へ。
【更新履歴】駿台真相編-7は2024 追記にメモを貼り付けていたが、ほぼ全面的に構成、内容をかえて、ここに掲載する。
2024/11/06 21:31から貼り付け開始
【構成】
(1)業務妨害の熾烈化
(2)刑事犯罪被害へ
(3)駿台方逐後の話題提供準備として「差別文書」を渡される
(4)駿台方逐後の異変。
(5)犯人は誰か、動機は何か―当時の仮説と後の種明かし(人間違い悪用と駿台CM)
(1)業務妨害の熾烈化
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第10章
第一〇章・駿台予備学校講師時代終焉(しゅうえん)――犯罪被害の連続(刺客―3と4)
「求め続けて」時代が私の峠を目指す道ならば、一九八四年に山頂に確実に辿(たど)り着く自信と希望が持てた。まさにその瞬間から、それを妨害する様々な刺(し)客(かく)が登場してきた。だが、第一の刺客(謎の女性群の登場)には耐え、第二の刺客(常識を逸脱した多忙さ)には揺るがなかった。しかし、これから述べる第三と第四の刺客、即ち刑事犯罪には警察などが動かねば社会生活は不可能となる。この禁じ手の集中砲火が始まる。そして卑(ひ)劣(れつ)極(きわ)まりない手口により駿台辞職へと追い込まれてゆく。辞職するや否(いな)や事実上の監禁(牢(ろう)獄(ごく))生活となる。辞職時は三五歳であったが、二〇一〇年一一月には五八歳となる。私の五八歳までの人生は、人に感謝されても、その逆はない。それが無(む)茶(ちゃ)苦(く)茶(ちゃ)なこじつけの中で、時には何の理由もなく、何故、二〇年以上も監禁されたのか。何度考えても怒り心頭である。二〇年以上に亘(わた)る怒りである。「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」と何度ノートに記したであろうか。
駿台時代の膨大な刑事犯罪被害・不法行為類に関して、二〇〇七年年賀状を兼ねて東京法律事務所、友人弁護士を含む知人・親戚一〇名ほどに「二〇〇七年年賀救済呼び掛け文」を送付した。これらを簡単にまとめて刺客―3と4の状況を述べる。先の文書では加害者名、証言可能者名を全て実名で記したが、今回は全て略号で記す。まず、授業(営業)妨害の刺客―3から記す。記録は八七年九月一九日からであるが、それ以前にも一定存在していた。これから記すことは氷山の一角でしかない。
①駿台教室内のマイク不調問題(一九八七年)。
九月一九日(ピーピー音)→証拠としてテープ録音保存。
二二日=マイクをつけたり消したり(証人確約学生NK君・YM君)。
二四日=二時限チャイムが鳴らず、マイクもほとんど入らず。
一〇月九日=マイクの音がでず。
一四日=マイク調整が悪く、その調整を依頼すると、今度はマイクの音がでず。
二三日=教室マイク午後二時半~三時半にかけて音がでず。声が完全に潰(つぶ)れる(喉(のど)の被害証人=AH氏)。マイク調整で職員とのやりとりのテープ録音あり。授業にならぬため、マイク使用が可能なサンヨーの大型ラジカセを自費購入し、駿台に持参する羽目となるが、十分使用できず諦(あきら)める。その姿を見た生徒は何人もおり、記憶している者もいるはずである。
②無関係生徒の乱入。授業妨害になる形で出てゆく。主として日本史=九月八日、一八日……政経も一部あり。一度は、私のクラスの生徒が怒り、無関係生徒を追い出す(その生徒名はMN君である)。一一月一五日には生徒の移動あり。
③同一生徒が履(り)修(しゅう)している科目重複の続発。かなりの政経受講生から(K講師の)化学の補講と重複して困っていると相談を受ける。対応要請後の駿台事務員I氏による報告文とコピーあり。しかし、私に相談にきた生徒は「化学の補講」と言っていたが、I氏の調査報告では化学の記載は一切なく、物理の授業との重複記載のみで、該当者数もわずか四名で、私に相談にきた生徒の総数よりも遙(はる)かに少なく似非(えせ)調査でしかなかった。
駿台幹部がこうした調査類のみを利用していれば証拠潰(つぶ)しでしかない。当時の生徒への聞き取り調査や、私からも事情を丁(てい)寧(ねい)に聞く義務があったがなされていない。ア・調査寸前に、K氏が化学の連続補講を政経の授業とぶつけることを証拠になるため即中止したか、イ・I氏の調査ミスか、ウ・相当数の生徒の嘘(うそ)かは不明である。ただ、どのような形にせよ、授業料を払っている生徒にも、私にも困ることをされたことだけが事実である。常識上の推測はア・であるが、ウ・としてすら誰かの計画的指示がなければありえず、営業妨害を受けたことも完全な事実である。
④駿台斡(あっ)旋(せん)のホテル問題。約二年毎週三日滞在している東洋ホテル(後にラマダホテルに名称変更し、数年前に廃業)で駿台から費用が直接支払われる約束にも拘(かか)わらず、同ホテルY氏がホテル代を私に請求してくる(九月一一日)。その後東洋ホテルで就寝中に部屋の温度を急に上げられ三〇度を超え目(め)覚(ざ)めさせられたり(温度計と共の写真撮影あり、一二月前後)、逆に温度を二二度に下げ、風を扇風機の如(ごと)く人体目(め)掛(が)けて猛(もう)烈(れつ)に送り込まれたりする事件が多発した。後者は日付も写すため新聞を購入し新聞と平行で撮影=一二月四日。温度計は数値で証拠が残るため、温度は手加減されていたが、扇風機型で風をもろにあてられ、これが特に応(こた)えた。こうして証拠が残らぬ手口で一貫して行われたため、他の箇所も数値のみで被害を判断してはならない。同ホテルでは一一月末以降頃はこうしたことがない日の方が珍しかった。何度調整を依頼しても、執(しつ)拗(よう)に睡眠妨害をエアコン操作で行われ、健康防衛上やむを得ず温度計とカメラを持参した。
⑤教室の温度調整問題。
九月一八日=本日暑い日であったが冷房が入らず(部長に抗議しようと思うも部長も課長もいないとのこと)。
一〇月三〇日一六時四〇分=寒い日で「教室の温度二三度割る。教室の温度計を見た途端なおる」。
一一月五日=「教室の温度最低二二度、温度差が激しい」、「温度を下げられたので、ジャンパーを着れば熱くされ、脱げば寒くされる。最後には頭痛がしてくる」が、体感温度はこれ以上で、室内温度計ならば温度計が操作され、実質温度と相違があったと推定される。我が家から持参の温度計ならば持参日以前にはもっとひどい状況に置かれていたという証拠である。教室の位置により体感温度は異なり、温度計にも適切には反映されないため、数値よりも実質はもっとひどく、駿台勤務六年間で経験したことのない温度問題があったことだけが事実である。手口は④参照。
⑥交通費支給不足で問合せ。支給額不足訂正とそれに関する駿台大阪校からの(八八年一月二〇日)手紙(保管あり)=「……当初お渡しした(のは)……(交通費)2往復分と日当7日分です。……先生は1月12日に一旦戻られておられ、1月18日は日帰りで補講に来られていますので、実際は……の4往復分と日当8日分を支払わねばならず……」と八八年一月一二日~一月二〇日の交通費・日当不払いを調整した旨の返答があった。
正当な交通費か賃金か日当の不支給はあった。(私の記録がもうないため)当時の駿台が記した手紙だけから分析すれば、最低でも一八日補講の日当等(賃金は?)が未(み)払(はら)いとなっていた。ただ正当なる不足分を主張すると、私が請求していない分、私がここは自腹と考えていた部分等も含まれており、予定額より多いので驚いたことを思い出した。ただし、日帰り往復旅費も教材を取りに戻っているため、返還するには及ばないと無視した。穿(うが)って考えれば、正当な部分の不払いを誤(ご)魔(ま)化(か)すため、故意にややこしい部分を多めに払い、大滝部長等が聞けば、このようにややこしかったので誤ったとか、私が不正に請求したなどという手口も理論上はありうる。岡短も含めて、このレベルまで記すと原稿は一〇倍を超えるためここまでとする。}
⑦八七年後半頃、私の知らぬ某生徒から、化学のK先生から浜田先生への贈物と言って膨大な手書き文書を渡される。この文書は、内容は差別表現の羅(ら)列(れつ)であり、後半には脅迫的印象を抱かせる真夜中の車の写真が幾つもコピー添付されていた(現在も保存中)。私の部屋に不法侵入し、西宮市教育委員会同和教育担当時代に職務上保有していた機密書類などを見たり、……という脅しとしか思えぬ内容であった。
⑧駿台への内容証明について。
一・京都校大滝部長宛(一九八七年一二月二三日第七二四号岡山市中央郵便局)送付。
二・大阪校堀江部長宛(一九八七年一二月二四日第九二〇号倉敷郵便局長)送付。
記述内容は、この章の最後に全文掲載している。今、読んでも全く私の書いた通りであったと思う適切な内容である。他方、大滝部長などは、学校内での営業妨害に関して調査義務があったが事実上しなかった。再度、彼らの居(い)場(ば)所(しょ)を突き止めて抗議文を送付するか、可能ならば告発したい。
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◎追記事項。後に記すアパートの郵便受けへの卵パック入れと語呂合わせでの悪戯(いたずら)かどうかは不明も、駿台大阪校で天(てん)麩(ぷ)羅(ら)うどんを頼むと生卵が入っていた(八七年九月一一日)。通常は生卵は入らないし、私は生卵は嫌いで食べられない。それらも含めて私のことを調べ回っている脅しと解釈された。なお、生卵分の料金も請求された。次週、どうなるかと九月一七日再度前回と同じ注文の仕方で天(てん)麩(ぷ)羅(ら)うどんを注文すると、生卵は入っていなかったが、「食堂のうどん料少なし(九月一七日、証人IN君)」のメモあり。また、この頃はプリントの印字を悪くされることも続いた(過去に前例はない)。約一九年前の記録・証拠類を簡単に一時間調べただけでも右記の如(ごと)しである。他にも「九月一一日、日本史授業開始五分前に進路変更連絡(MS氏)、……」等のメモあり。
学内の不法行為・営業妨害の記録付け作業は、八七年九月一九日に開始したが、一一月五日で中止に追い込まれた。それは記録すればするほど、仕返し的に不法行為がエスカレートし、営業妨害のみならず、身に危険があるぞ型の脅しが続発したからである。また、既(すで)に述べた超多忙なときに、不法行為を続発させられると授業準備はもう不可能となり、自分の将来よりも、受験直前の生徒への責任優先から原則中止という状態に追い込まれた。
だが、不法行為は記録付け作業を止(や)めた一週間後くらいから更にエスカレートする。そして自己防衛用に様々なテープ(授業使用にオプションでマイク使用できる大型テープレコーダ、通常のカセットテープレコーダー、相手に気づかれぬように録音できるミニテープレコーダー)を連続購入せざるを得なくなった。更に、当時はカメラには余り興味はなかったが、日付を写し込めるカメラも購入不可欠となった。不法行為は記述の域を超えて続発していた。一一月六日以降はたまたま写真を撮ったり、駿台からの送付文書の記録等が残っていたりしたものを記載したにすぎない。
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(2)刑事犯罪被害へ
第一〇章・駿台予備学校講師時代終焉(しゅうえん)――犯罪被害の連続(刺客―3と4)
以下、「二〇〇七年年賀救済呼び掛け文―B」から引用する(誤字・脱字、不明朗な箇所は今回修正した。他の引用も原則同一。)
「《◆―一・駿台時代犯罪被害の一部の実例について》……八七年末当時の岡山市庭瀬アパートへの不法侵入。……当時の記録を見ると、石油缶の蓋(ふた)などを外(はず)す悪(い)戯(たずら)、さらには……私の郵便受けに悪戯……郵便受けに卵のパックを入れられたり(現在もパックは指紋の関係で保管)……、早朝五時頃郵便受けをドンドンと叩(たた)かれたりした記録が出てきた……こうした事件が続出等……。……誰かの悪質な悪戯で部屋に入り物を動かして退出……大阪では警察服(若しくはガードマンの服かもしれない)を着用していた二人組……による拉(ら)致(ち)若(も)しくは殺人?未(み)遂(すい)事件などが、八七年末から八八年初頭にかけて続発していた。
『恐るべき労基法違反』執筆時には、岡短の件で頭が一杯であり、駿台の件を十分思い出していなかったため穏(おん)和(わ)な書き方をしたが、八八年三月一四日にも島根県で拉致疑惑事件という刑事犯罪に出くわしてもいた。
先の大阪では両腕を掴(つか)まれ、どこかへ連れて行こうとされた以上、今考えると、他の通行人がいたので大声で助けを呼べたが、そうでなかったならば大変危険な事件であった。
それ以外にも、自転車の荷台の紐(ひも)をタイヤに巻き付けられる悪戯、……密室のアパートの部屋の天井から薬を何日も落とし続けるという脅迫……車のアンテナ盗難事件と警察に被害届に行き警察署をたらい回しにされ、再度警察に被害届という前日にアンテナをつけ戻され被害届を阻止された事件(八八年一月一六日頃)……ポストの郵便物に入っている新聞類を無断で見られた形跡もあり、……毎日続いた……。
(犯人を)……駿台と考えたのは、学校での授業妨害として、〈先の①~⑦の被害が〉偶然の確率を超えて相(あい)次(つ)いだこと……これらより、私のアパートへの不法侵入を駿台関連と当時は考えた次第である。更に……、先の偽(にせ)警察事件や、八七年当時地下鉄内でいきなりフラッシュをたかれ写真を撮られたり、岡山市でも八七年九月二七日に高柳付近でいきなりカメラを向けられ写真撮影されたりするなど、始(し)終(じゅう)誰かにつけ回されているという威(い)嚇(かく)を受けていた。なお、アパート侵入事件は絶対に無視はできず、警察が動かぬ以上、自分で犯人を捕(つか)まえようと必死になり、物音がする都(つ)度(ど)、外に飛び出したりして人に誤解を与えたかもしれないが、こうした状況では米国では誰でもする……」
それ以外にも、駿台に内容証明を送付する前後に、後にも先にも経験したことのないくらいの、夥(おびただ)しい犬や猫の死骸を、私が通る道に(早朝)置かれていたことも参考までに記しておく。
次に、右記の中で特に大きい事件であった天井からの薬落とし事件と拉致未遂事件を、新免議員会談用下書き・『五郎DB訴訟』から引用する。
「……部屋の不法侵入を裏付けるさらなる事件……天(てん)井(じょう)から薬のカプセルが幾(いく)つも落ちてきた。天井を確認したが穴はない。翌日も、更に翌日も、約三~四日続く。窓は閉めており風で落ちてきたのではない。天井から真下に落ちてきた。
なお、天井を手で触り調べても原因は分からず、箒(ほうき)などで軽くチェックしたのはこの頃である。二階に誰かいて・二階からの悪戯(いたずら)なのかと、天井を調べるためである。同時にその前に二階の板をドンドン踏みならされたこともあり、二階からの悪戯と通常は思う。
これのみでも、誰かが私のアパートに度々(たびたび)侵入したことは明白な事実であった。被害届を出しにくいやり方の上に、この頃は警察から既(すで)にシャットアウトされてもいた。……懐(かい)中(ちゅう)電灯などで天井をチェックしても穴はなし。箒(ほうき)、時には木刀で天(てん)井(じょう)を軽く叩(たた)いたのは天井構造のチェックが主目的……。なお、考えられることは、干渉者・首謀者Xが天井にそうした仕組みをするのを二階の住人が協力したか、私の部屋にそうした細工をするのに大屋が協力(許可)したか、それとも部外者が不法侵入して二階側からか、私の部屋側からか天井にそうした仕組みをしたかである。水(みず)漏(も)れはない。だが薬のカプセルが一つや二つではなく時間をおいてどんどん落ちてくる。……
再度、天井を懐中電灯や、手で隈(くま)無(な)く調べても異状なし。だが翌日も落ちてくる。落ちてきた薬は、私が大昔(八二年~八四年頃)服用した薬と同一と思われる薬で……(ほとんど)消却していたか、全て飲み終えてなくなっていた……よって、犯罪者が病院か薬局で私が昔服用したのと同一の薬を新たに購入した薬と推定される。病歴等も全て調べたという脅しも兼用していたと思われる。ただし、天井を見続けて位置確認を狙うが、その間のみ落ちてこず。疲れて下を向くと時には即ポタリと、時には下の物へ当たる音も聞いている。例えば新聞紙の上にポトンと。勿論、落ちてくる瞬間は何度も見ている。畳や絨毯(じゆうたん)から三〇~五〇センチ程度上から下へ落ちる間まで。眼の高さから下に落ちる所も何十回と見ている。……、一〇〇%不法侵入は存在していた。……脅迫目的は駿台から手を引けという脅しと当時は考えていた……」
次に、拉(ら)致(ち)されそうになった事件に関して、もう少し丁(てい)寧(ねい)に記す。一九八七年末警察官の服(若(も)しくは警察官の服装そっくりの服)を着た二人組に、理由も告げられず、いきなり私の腕を掴(つか)まれ、どこかに連れて行かれようとした。場所は東洋ホテルから梅田に行く繁華街とは異なる通常の道路であり、私は酒類は一切飲んでおらず、娯楽も中止中で連行される心当たりは全くない。身の危険を感じたため、大声で助けを呼ぶと、この二人組は走って逃げていった。もし、私がこのときに大声で他の通行人目(め)掛(が)けて助けを呼ばなかったならば、どこへ連れ去られ、何をされたのであろうか。単なる暴行であろうか、殺人であろうか。連行して、「はい、さようなら」は通常は考えられない。いきなり理由も告げられず、腕を掴まれ、どこかへ連れて行かれようとしたのであるから。事件の起こった日は八七年一一月六日~一二月の駿台冬休み前の駿台出講日である。必要時には厳密分析で日時は相当絞り込みは可能である。
同様のもう一件の事件は、島根県で友人の結婚式に参加した翌日の八八年三月一四日に起こった。ジーパン姿の学生風の男二人が、警察と称して警察手帳らしきものを見せ、理由も告げず卑(ひ)劣(れつ)な挑(ちょう)発(はつ)をし、私が激(げき)怒(ど)すると近くに国道九号線もあることから、相手はやばいと感じたのか逃げるように去った事件である。このときには急いで車に戻り、後を追って、車中からカメラを出し、写真を撮ったため車の一部は写っている。時間と場所は、当時写した全写真を島根県の友人に見せ、私の全走行ルートと照合したり、太陽の角度などから計算したりすれば推測可能と思われる。時間と場所も特定できれば、警察記録から本物か偽物警察かは特定できるはずである。
ただし、本物の警察官が、私が通行人に助けを求めたならば、何故(なぜ)逃げるように去るであろうか。大阪は文字通り慌(あわ)てて、島根のときには巫(ふ)山(ざ)戯(け)ながら逃げた。後者のときには、この後直(す)ぐにこの件で父に電話をしている。また、この件は私の記録文の一つである「Field管理」に、当時記した次のメモが残っていた。
「[関連地]①松江~②荒(こう)神(じん)谷(だに)遺跡~浜田→③山陰海岸→④石見銀山。[日程]八八年三月一二~一四日……一九八八年記述……三月一二日=松江に向かう。高速で新見に出て米子へ、そしてまず荒神谷へ、その後ホテルへ。……一三日=TKさんの結婚式(NT君受付)。……一四日浜田市へ向かう。どこまで行ってもきりがないので、ここで玉海荘の写真を撮り引き返す。海岸に出て海を見ていて、偽警官に理由もなく連行されそうになり、頭に来た後、石見銀山の標識を見て大森へ行く。その後、雷と雨の中を急ぎ家へ。友人STが(我が家近くの)H駅に来ており待たしていたため。」
拉(ら)致(ち)事件を甘く見てはならない。後に述べる映画説や駿台関係者ではないかもしれず、本当に殺されるかもしれない。不法侵入も同様である。その場合には被害は私のみならず、他の人も同様に犯罪被害に巻き込まれる危険性は大である。ともかく、あなた方がいきなり二人組に腕を掴(つか)まれ、どこかに連れ去られようとする被害にあったならば、どう感じるか。それも二度も。びっくりするというようなものではない。万一、駿台の誰かが関係しているとしてすら、どこかへ連行して「冗談です」で離すとは思えない状況にあった。
もし、私が大声で「助けてくれ」と助けを呼ばなかったならばどうなっていたか。少なくとも通常の人ならば、これ一つで外出時の恐怖は起こる。特に女性ならば。更に警察も動かねば社会生活は不可能である。方法は一つしかなく、米国の如(ごと)く、自分を守るために拳(けん)銃(じゅう)でも密輸して所有するしかない。全く顔も知らぬ人間による拉致未遂事件は大犯罪である。尤(もっと)も、顔を知っていても同様である。また、刑事事件の加害者が、本当に駿台関係者でないならば、では誰なのかという大問題も残ってくる。冗談ごとではない。実際に第三編で述べる、ナチのアウンシュビッツ収容所の如く拷問、その他の被害に連続して出(で)遭(あ)うことになる。
全体として手口は巧妙であった。明白に警察が動かざるを得ない事件の前に先手を打たれ、立証が難しい部屋への侵入事件が続発する。通常ならば、私も石油缶の蓋(ふた)を動かす等は些細(ささい)なため気づかないことが多い。だから、確実に分かるように動かすのである。私が石油缶を触った前後に絶対に入っていない部屋に置くなど。
例(たと)えで記せば、三部屋とバス・トイレがあった(私の)アパートで、大阪から帰宅し、入り口の部屋で石油缶(かん)を触り、その他の部屋に入る間もなく急用のため即車で外出する。そして、帰ると石油缶の蓋(ふた)がなく、まだその日入っていない台所に置いてあったなどという手口である。この例えのような形で、私が記憶間違いしていない場所を狙って、絶対に動かしたのが分かるように小物を動かしていた。私の記憶が良いから分かったのではなく、逆であり、確実に分かるように、私に気づかせる形で動かしていた。だから、分かったのである。(今考えると、私が気づかない被害も多数あったかもしれないが。)その都(つ)度(ど)、岡山市庭瀬派出所に被害届に行ったが、こうしたレベルでは派出所の担当者が交代するや無視され始める。
こうして警察に無視させることが可能となってから、それ以前の被害が軽い段階で相談に行った弁護士に門前払いされてから、誰も助けに来ぬと思いこませてから、右記の刑事大事件は相次ぐと同時にエスカレートしていった。
とにもかくにも、拉(ら)致(ち)されそうになる事件が相(あい)次(つ)いだり、平気でアパートの天(てん)井(じょう)から薬などを落とされ続けたりしても、警察が動かねば社会生活は不可能であるし、不可能となった。もはや、駿台に首をかけて抗議する以外に道はなかった。
「私が駿台を辞めたのは……アパートへの不法侵入、拉致されそうになる事件などの続発で社会生活が不可能となり、当時の駿台内の授業(営業)妨害と合わせると、駿台……の仕(し)業(わざ)と判断したからである。あれだけの行動は、一教師の賃金のみでは不可能であり、駿台の金が動いたと当時は思っていた。そこで管理職のトップに首をかけて抗議すれば、駿台内の営業妨害や、(一定調査をして、そうした不透明な金の動きが分かれば)不法侵入その他の刑事犯罪にストップをかけられると考えたからである。管理職は、代々木ゼミや河合塾との競争問題もあり、駿台の金が一部の教員等により私的に流用されていたならば、慌(あわ)てて止(と)めると判断したのである」(『〇七年年賀救済呼び掛け文・文書―B』)。
要するに、私とすれば首をかけて抗議すれば、誠意は通じ、問題は解決すると考えていた。だが、大滝部長は首をかしげるだけで調査をすることもなく、「休職という手もありますが、先生が辞職と言われるならば……ただし駿台の方は三年後から門(もん)戸(こ)を大きく開けて待っております。三年後からその気になればいつでも戻ってきてください」で、会談は打ち切られた。
しかしながら、駿台辞職後の舞台・岡短(第三編)で駿台時代以上の被害の連続を受けたため、大滝部長の言動に従い、駿台辞職三年後から駿台に復職を求め続けたが、大滝部長などから簡単に門前払いをされたことも付け加えておく。参考までに、二〇一〇年追記として、駿台両部長宛への内容証明書と最後の会談内容を掲載する。
(◎以下、二〇一〇年四月追記)
【大滝部長宛内容証明書(堀江部長宛もほぼ同一)と大滝部長との会談】
「不法行為に対する抗議及び辞職通告
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京都市上京区堀川通丸太町下る
駿台予備学校・京都校
大 滝 部 長 殿 」
以上である。住所は当時のアパートのため、●●字と伏せ字としている。
なお、(八八年一月三日か四日頃であったと思う)会談では、出てきた大滝部長が怒っており(威(い)嚇(かく)的態度で応じてきたため)、私は「どうなっているのだ」と、呆(あっ)気(け)にとられた。次に、「ふざけるな」と怒りが込み上げてきて、それが顔に出たし、一部怒った。すると、ようやく、大滝部長がややまともになり、わずかとはいえ通常の対応に近くなった。彼の返答は、「内容証明の二については駿台は無関係です。先生の方(ほう)で自分で興信所にでも頼み、調査してください」であった。次に、内容証明の一については、首をひねるだけで、私の持っていたプリント等を少し見ただけで、明確な調査をするなどの返答は一切せず、事実上管理責任を放棄した。同時に次の言動で、事実上、会談の打ち切りを迫ってきた。
大滝部長の「休職という手もありますが、先生が辞職と言われるならば引き留めはしません。ただし、駿台は門(もん)戸(こ)を大きく開けておりますので、三年たって駿台に戻ってくる気になればいつでも戻ってきてください。駿台は門(もん)戸(こ)を大きく開いて待っています」で締(し)めくくられた。
私は、本当に、駿台に戻れるのかと信じた。ただし、ほとぼりが冷(さ)めるまでは、違法状況がなくなるまでは戻れない。同時に、政経と日本史担当から、数年かけて政経と英語担当にコンバートしたい意欲もあり、大滝部長のこの言動で、もう執(しつ)拗(よう)に追及するのは止(や)めた。勿(もち)論(ろん)、大滝部長の先の雰囲気もあり、丁(てい)寧(ねい)に言える状況とは思えなかった。これも戦前の軍国主義者が行(おこな)った何(なん)等(ら)かの策略にはまったという感じであった。もう、駿台時代の授業妨害を詳細に言っても無理、若(も)しくは、言える状況ではなかった。
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第一一章・駿台予備学校辞職と一七年ぶりの故郷(ふるさと)へ
アパートを追い出されたときの問題、正確には田舎の自宅監禁への道は、例(たと)えで言えば、次のような手口での謀(ぼう)略(りゃく)によるものであった。即(すなわ)ち、暴漢に頭を殴られ金銭を奪われたため、大(おお)慌(あわ)てで暴(ぼう)漢(かん)を怒(ど)鳴(な)りながら追いかけた。だが外に出ると、暴漢の仲間が私を指さし、「お前は凶暴かつ不審者である」と叫び回り、逆に私の方が不審者扱いされた、という手口である。あるいは、空(あ)き巣(す)に入られ泥棒が逃げたので、木刀を持ち追いかけて外へ出る。すると、即、「お前は凶悪だ」と逆に私が警察に逮捕されるように〝さくら〟を使い誘導する。要するに、戦前の軍国主義者が中国などを侵略したときに、目(め)障(ざわ)りな住民を放(ほう)逐(ちく)するために使った手口にはまっただけである。
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因(ちな)みに、二〇〇七年にこの件を再調査していると、私の母親が、当時、大屋から我が家にも電話があったと言った。そこで、母に大屋が言った内容を尋(たず)ねると、このアパート二階のTG短大女学生が怯(おび)えたのが理由とのこと――若(も)しくはそう解釈したとのこと――であった。すると不可思議なことが幾(いく)つも出てくる。
第一に、大家が「アパートを出てくれ」と威(い)嚇(かく)的かヒステリック型で言ったため、大家の言動の証拠保全用にカセットテープレコーダーを持参して大屋の家に行くと、大家は一言も喋(しゃべ)らなかった。TG短大生が怯(おび)えたというのならば堂々と言うはずである。カセットを持参していないときは、TG女子大生の件は言ったかどうか覚えていないが、ヒステリック型挑発で訳(わけ)の分(わ)からぬことを言いまくったのに。しかも、カセットは私のアパート内でポケットに入れ、大家の家の近くでは見せていないのに。大屋が私の部屋の中を監視モニターで覗(のぞ)いていた如(ごと)くであった。
なお、二〇〇七年に、このことを我が家の庭で母に解説していたときに、大昔から馴(な)染(じ)みの、親戚を含む近所の人が二人、「今も同様に監視しているのだから、当時もそうだったのですよ」と言うが如(ごと)くに、私を見てウィンクするような形でニッコリと微(ほほ)笑(え)んだ。二〇〇七年の隣人の件は気のせいと考えても不思議ではないが、大屋の件は余りにも不自然であり、気のせいとは思えなかった。
第二に、当時大屋が、アパートを出てほしい理由を〝理性的・丁(てい)寧(ねい)〟に解説していれば、簡単に誤解は解けていた。先のTG短大は、私の早大大学院ゼミ一年後輩の母親が創設した学校である。おまけに、この学生達(たち)をTG短大で教えていたと思われるS先生(女性助教授)とは、岡山の予備校講師として同僚であった。大屋が冷静に言ってくれば、本当に学生の誤解ならば、S先生経由で簡単に誤解は解けていた。あるいは、後輩の家でTG短大創始者にも会ったこともあり、TG大学当局からの身元保証の言動さえも不可能ではなかった。
また、このアパート周辺や大屋の家界(かい)隈(わい)には、私が家庭教師をしたA家や予備校・高校の教え子の家、他にも多数の知人がいた。それも昔から庭瀬界(かい)隈(わい)に住んでいる人たちである。私が家庭教師をしていたA家の人達は、大屋とも顔見知りと言っていたことから、尚(なお)更(さら)誤解は解(と)けていたはずである。本来ならば、誤解は簡単に解けていた。大屋が丁(てい)寧(ねい)に・冷静に言ってくれば。本当に学生の誤解ならば。今、考えれば、逆に誤解が解けないように、大屋が暗に言葉を濁(にご)し、故(こ)意(い)に冷静に言わなかったとの疑惑を持っても不思議ではない。
第三に、犯人が駿台ではなく本当に泥棒ならば、私よりも彼女らが危険となる。女学生抜きでも、大屋及び警察は、アパート住民及び周辺住民全員に、「浜田氏の部屋で不法侵入があったので警戒するように」と呼びかけを行う義務があった。ましてや一九八七年夏には、私の部屋ではないが、このアパートに空(あ)き巣(す)が入り、パトカーが来ていたのだから。私の部屋への不法侵入事件が始まる少し前の頃である。また私の件も、既(すで)に述べた如く、警察にも届出はしてもいた。大屋にも。
第四に、私の部屋の天(てん)井(じょう)からの薬落としは、通常は、大屋か二階の女学生の協力抜きでは至(し)難(なん)の業(わざ)である。おまけに、この事件と前後して、女子学生たちが二階の廊下・床を故(こ)意(い)に踏(ふ)みつけているが如(ごと)く大きな音を立てて下まで音を相当響かすことを何度もしだした。暗に薬落としは二階からと言っている(と思わせる)が如(ごと)くに。
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なお、母の生前(二〇一二年死亡)にこの大家の件を聞くと、「もう、アパート侵入類犯罪は時効か」に近いことを逆に聞いてきたため、私が「まだ民事では(時効は二年のため)時効ではない」と返答した。すると、母が「ではまだ真相は無理だ」に近い発言をした。勿(もち)論(ろん)、バトンタッチ型犯罪の場合には、時効はさらに延(の)びる。
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(2)大家を善意に解釈してみよう。
二階の女の子が、二階をドンドンと大きな音で踏みならした。私は、やめてもらうために、その趣旨を書いた用紙を二階の廊下においた。そこで終わり。ところが、これとは別に部屋に不法侵入があったときに、この不審人物を探すことがあった。当然、私の顔は殺気だっている。このときの顔を二階の女子大生が見て、自分らに怒っていると勘(かん)違(ちが)いし、怯(おび)えることはありうる。同時に、二階からの薬落としがあったときの天井チェックの音で勘違いもありうる。善意に解釈すれば、こうなる。だが、付録編の仮説を読めば、もはや何をか況(いわん)んやである。
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(3)駿台方逐後の話題提供準備として「差別文書」を渡される
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現時点でも不明なのは、どのようにして部落問題を絡めたのかということである。逆に言えば、部落問題が関与してくるならば、「人間違い」以外の回答は論理上はえられない。
こうして、(我が家の住所番地を七十年使い続けた家の)三男との人間違い説が浮上してくる。今度は人間違いを軸にして、私への業務妨害が多発となる。
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(4)駿台方逐後の異変。
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11章
こうして、自宅監禁・岡短蛸(たこ)部屋労働への道がここで作られていた。戦前の軍人が海外で行った手口と同様な形で、アパートを追い出され、自宅監(かん)禁(きん)への道となる。今振り返ると、事実上一九八七年が私の授業屋生活は最後の年となっていた。同年で終わったのではなく強制的に終止符を打たれた。後は自由と希望を奪われ、もはや自分の人生ではない、戦前の強制労働下状態で、教壇とは無縁の偽(ぎ)善(ぜん)と虚(きょ)構(こう)の世界に閉じ込められた。そして、何よりも応(こた)えた生活の糧(かて)と私産も逆に奪われ、度(たび)重なる労基法違反に苦しめられ、家族への屈従・屈辱の寄生生活を長期に亘(わた)り強(し)いられる。
もう書かずとも予測がつくように、駿台を辞(や)めるや否(いな)や、第三編の中心である岡短職員の態度が一変し、駿台時代以上の危害の連続が待ち受けていた。実際に、右記の如くひどい目にあった駿台に、一九九〇年には直(じか)に足を運び復職を求めるほどであった。要するに、第三編で記す岡短で行われた労基法違反・不法行為・貢(みつ)ぎ労働などは、犯罪が行われた駿台が天国の如(ごと)くに思えるほど凄(すさ)まじいものであった。しかも、その後はナチのアウンシュビッツ収容所の如(ごと)く拷(ごう)問(もん)も待っていた。特に八九年末~九三年末の間は、本当にナチが行(おこな)ったのと同様の拷問であった。もちろん、九五年以降もそう生(なま)易(やさ)しいものではなかった。ドクターストップがかかったくらいであるから。
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(5)
第一二章・犯人は一体誰なのか
この章では、(1)犯人に関する仮説、(2)仮説の総合検討について記す。
{当初、(1)犯人に関する仮説、(2)私に起こった奇妙な逆転法則、(3)第一の刺客・女性群の謎、(4)仮説の総合検討としていたが、(2)と(3)は付録編第一幕に移動した}。
(1)犯人に関する仮説。
この一連の事件の犯人・首謀者Xは誰なのか。三つの仮説を記す。
仮説―一・通常説。
幾つもの犯罪や事件が、不思議なくらいに、偶然重なり展開していったという解釈である。
(刺客―1?)まず、女性の件で揉(も)める。純(じゅん)朴(ぼく)な田(い)舎(なか)者(もの)の男が都会で不器用に振るまい誤解を与えた。
(刺客―2)岡短専任確約詐(さ)欺(ぎ)での赤字労働の上に、駿台管理職の自己保身と入試教科変更が重なり多教科掛(か)け持(も)ちで超多忙となっただけ。
(刺客―3)刺客―1との関係で自己制御のきかなくなったストーカー型人間X1が一〇章で述べた私への授業妨害を行う。
(刺客―4)拉致未遂・不法侵入等の刑事犯罪被害については、X1がバイト類を雇い行(おこな)ったか、別の変質者による犯罪か、偶然その両方が重なったか、未(いま)だに犯人不明。
(その後の刺客)この後も続く刺客は駿台との繋(つな)がりはなく、刺客―5~8は第三編強制収容所・岡短の項目内で記す、親方日の丸主義に根ざす労基法違反・不法行為による大人権蹂(じゅう)躙(りん)被害となる。
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