(Ⅱメモ貼り付け段階)駿台事件真相編―6―(4)・駿台CM作戦・各職場連携Ⅱ:⑤能開大・駿台契約確認、⑥駿台他校利用契約違反

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(🚧メモ貼り付け段階)駿台事件真相編―🆕6―(4)・駿台CM作戦・各職場連携Ⅱ:⑤能開大・駿台契約確認、⑥駿台他校利用契約違反


【履歴】

2024/11/20 9:36からメモ貼り付け作業。内容(意味)抜きで貼り付け作業終了後から下書として非掲示とし、意味をなす内容となった段階で順次公開。清書後に正式公開

2024/11/27 11:03 (5)と(6)分割決定で分割して目も貼り付け開始

 


【駿台事件全体構想】
駿台事件真相編―1・催眠
駿台事件真相編―2・ゼノンの詭弁と駿台事件の手口・女性編
駿台事件真相編―3・企業と私―駿台大CM編
駿台事件真相編―4・駿台CM作戦と映画女性活用編
駿台事件真相編―5・駿台CM作戦―女性刺客四人組活用編(その1・黒幕編、その2具体的展開、その3㊤㊦と4㊤㊥㊦展開解説付き。その5・その6・その7=世界からの情報、その8
駿台事件真相編―6・駿台CM作戦―超多忙時代のあえぎ(ベネッセ―駿台―能開大と一本線):(1)(2)(3)(4)にわけて掲載。
駿台事件真相編―7・駿台CM作戦―業務妨害から刑事犯罪被害へ
駿台事件真相編―8・駿台CMと🎬協同で☠映画説グループを絡め作戦と能開大・村への移行


【注意箇所】個人情報を掲載理由(毎回掲載)
下記理由(この事件に絡んで何人かが死亡…や私自身も命を落とす危険が何度もあったことなど)で、実名での公開を原則とする。
下記はZ家(浜田稔・正典)家であるが、どうも、我が家(浜田耕治・隆政)との家間違いが駿台事件の原因の一つのようであるため、駿台事件も実名とする。同時に、駿台講師時代も拉致未遂被害や学内外での業務妨害や刑事犯罪被害に遭(あ)ったため尚更である。

※疑惑も含めれば死亡者は10名以上、MEの世界を含めれば20名以上かもしれない。ただし、私は完全に無関係である。


個人情報公開理由(📢浜田稔・正典家の登記簿上の住所648-5の場所には2024年5月頃から浜田正典氏以外の人がお住まいなので注意ください。)

 

各種個人情報が出てくるが、
(A)我が家の住所・位田646(戸籍=現住所=登記簿:祖先は1600年代後半から系図あり:本家)を使用され、各種被害(2017年のみでも2万円損失させられたことをはじめとして多数)、その他の膨大な被害(灯油のみでも無断で5回いれられかけ、実際に2度いれられた)があること、
更に、
(B)我が家住所番地(位田646)無断使用者・浜田正典氏(司法書士)に是正を求めても改善されず、
(C)該当者自身の職業が司法書士という法の専門家であること、
(D)上記の行為により、生活に支障を何度もきたしたこと(例:死亡は嘘の疑いが高いが、浜田正典氏が死亡した際には葬儀屋が我が家へ来て私が対応、霊柩車も最初我が家へきたようであるなど)…その他膨大な被害があること、
(E)私が意味不明の40年近い被害を受けている原因が家間違いの疑惑があること、
(F)多くの情報網を持っている世界の我が友=世界の指導者が10人以上、暗に原因は家間違いであることを示唆したこと
(G)深い事情を知っていると思われた、亡き友人(司法試験にも合格したと言っていた)が「トラブル被害の原因は人間違い」を明言したこと、
(H)岡山県美作市役場などに相談しても適切な対応はとられなかったこと、
等等から、個人情報であっても、私の生命を含む人権を守るための、超法規的措置もかねて公開に踏み切った。個人情報を含む人権は濫用してはならない。公共の福祉との整合性より公開可能と判断

 超法規的措置と言っても、浜田正典氏は司法書士事務所の関係で使用住所の一つ位田648-5は各種ホームページで公開されていること(ただし郵便受けや各種書類では我が家の住所位田646を使用されることが多い、ごく希に岡山県の土地位田646-2も使用)、…で、彼ら(司法書士)の住所はCM扱いとなっているため、(私への人権蹂躙を阻止するという)正当な理由抜きでも、今回の情報公開は合法とも考えている。

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上記は下記を一部修正して抜粋
私の人権編:⚔⑧―40年の人権侵害全貌解明:8月16日編(8月24掲載)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=40006
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駿台事件真相編―🆕6・駿台CM作戦―超多忙時代のあえぎ(岡山予備校。能開大と一本の線)

 

下記、桃色箇所が今回の原稿の範囲。

(序)駿台真相編-06・全体の概要

(1)私が務めた各職場の結合形態と私の父との関係

(2)駿台CM作戦・大阪校編―女性問題から超多忙生活工作へ

―――相似形であった駿台女性事件🆚岡山予備校女性事件の比較

(3)各職場連携工作の意図―犯人・犯罪隠蔽作戦―(その1)①職場連携、②駿台決定、③能開大専任詐欺、④岡中高専任煙

(4)各職場連携工作の意図―犯人・犯罪隠蔽作戦―(その2)⑤納開大・駿台契約確認、⑥駿台他校利用契約違反

(5)☠(謎のX)の存在疑惑と、人間違い誘導疑惑について


駿台事件真相編―🆕6-(4)各職場連携工作の意図・Ⅱ―犯人・犯罪隠蔽作戦

《◇―5・駿台・ポリテクカレッジ岡山での契約確認》
(記述途中のため、内容は大幅変更もあります)


岡山中学・岡山高校から専任招聘をうけたときに、ポリテクカレッジ岡山と駿台とその相談をした。 この単元は、駿台の方を中心記す。
ポリテクカレッジ岡山との対談は砕いて書けば下記であるが、ポイントとなる内容は前回の駿台真相編06-(3)の中の《◇―4》の中の紫色文字の箇所を参照願いたい。

本題に戻れば、この頃に、岡山中学・高校校長桐山公雄先生から、ポリテクカレッジ岡山と同じ手口で岡山中学での専任教師のさそいがある。

「おまえ、絶対に来るな。専任での仕事は来年春からだ」と。教科は何か。これまたポリテクカレッジ岡山とそっくりであった。

「専任講師だ。国語だ。しばらくは仮免で国語の教師をしろ。そのうちに社会科にまわす。次年度(半年後)から専任で来い」と。

ポリテクカレッジ岡山の英語に対して、今度は私の苦手な国語できた。ともに語学である。ちなみに、私は社会科の教師である。(岡山中学・高校の件を断ろうとすると、桐山校長が先に辞めて、ベネッセ系列予備校校長となり、「君には申し訳ない。悪いことをした…」と茶番劇をする。これで私が同校に専任に行くが、校長が辞めたので不可能となったという印象操作がなされる。駿台で起こった各種自作自演劇(女性Nazo、西山、横家、差別文書、駿台助専任…)の亜流であった。

Cf. ポリテクカレッジ岡山は「非常勤講師ではなく専任講師です。法学・経済学以外に英語も担当できませんか。次年度(半年後)から専任でお願いします)」(駿台辞表書来始めるや即電話で暫く専任延期…ただし必ず専任は間違いない。その繰り返し)と

その後も、1997年1月交通事故、2024年11月22日車茶番劇…とこの種の自作自演劇は繰り返されることになる。奇妙な2024年11月22日の件の詳細は記録に残さない予定でいたが、駿台事件、1997年1月の交通事故の謎をとくために、概況のみ後日メモを残した方が良いかもしれない。ただし、何度も記すが、2024年の車の件付近の住人は善良な人としか思えない。誰かに依頼されての良い意味での確信犯と想像している。

私は行く気はなかったが、ここでポリテクカレッジ岡山の専任の確認をすることにした。

ポリテクカレッジ岡山の責任者森本茂樹氏は延々と引き留めをした。
「専任は(まず)大丈夫です」とか「賃金は安いかもしれませんが、福利厚生が充実しているし、年金は厚生年金です

《確か国民年金ではなく厚生年金ですと言われた記憶がある。私は特殊法人のため共済年金とばかり思っていたが厚生年金と聞いて不思議に思った覚えがある。場合によれば(国民年金ではないとは言っていなかったかもしれない…)厚生年金と言われたので共済年金ではないですかと聞き返すと、厚生年金と念押しをされたのかもしれない。》」とか、「今は中曽根行財政改革の最中ですので、しばらくは無理ですが、かならず…専任にはなれます」「専任にするための最大限の努力はする」、私が採用の際の試験に関して聞くと、「(採用)試験はありますが、浜田先生の場合には受けるだけで合格します。受けるだけでよいのです」(極論すれば「名前だけ書けば合格」)等などと実質的な引き留めをされた。

なお、ポリテクカレッジ岡山での一連の攻撃が本格化する直前に、嶋坂敬朗先生(岡山の予備校では伊沢先生としていた)が「心配せんでいいがな。ポリテクカレッジ岡山でも専任…と。お前の専任確約はテープにとって金庫に保管されている」と明言していた。私の専任確約は私がポリテクカレッジ岡山に行ったときには謂わば周知事項であった。先の蒲田謙二先生(神戸か出講されていた家裁調査官の人)も当然知っておられた。


しかし森本氏は、私が岡山中学に行く気がなく、ポリテクカレッジ岡山での専任を第一志望としていると判断して(確認して)から、最後は「君の一生の問題だから、行くなということはできない」と逃げ手をうった。
これが岡山中学の役割であったと分析をしている。この手口は駿台がポリテクカレッジ岡山をつかってやった可能性がある手口である。うがって考えると、駿台経営陣が、1982年度に全て考えた手口ではなかろうかと思う始末である。(要するに、集団詐欺の疑いがある。)

ここでは、駿台の方を中心記す。
私は一定の時期からは、山田洋次型多数作品づくりではなく、黒澤明型のこだわり作品を心ゆくまで時間をかけて作るタイプであった。そこで、担当教科数は少ない方がよい。その上で金銭を確保するため、担当授業数はかなり必要となってくる。要するに担当は一教科で、その上でその授業のリピートが多い方が良いであった。

そこで、駿台とは1984年晩秋頃に、その種の契約をしい。ところが、🎬映画説の話題提供の関係から契約違反をされたため、再度、当時の駿台と交わした契約を明記しておく。

具体的な契約内容は以下である。
大滝満夫部長「三年間は何があっても生活保障をする。」。
川端三郎京都校校長「駿台ならば、学校と異なり、政経だけで生活できる。高校の教壇では何を担当させられるか不明だ。そこで、駿台に残るということで手を打たないか」と大滝満夫部長の前で言われた。
その後で、深見正明係長に、政経の受講者が激減したならばどうなるのかと尋ねた。深見正明係長「その場合にはクラスを二分割してでも、生活保障はします」であった。深見正明氏の言動のときには大滝満夫部長や川端先生がいたか・どうかは記憶は定かではない

要約すれば、「駿台は三年間は政経のみで生活保障をする。その代わりに、岡山中学・高校の専任の件は三年間は行かない」であった。そこで、私はその契約を遵守することにした。契約は当時の関西地区最高責任者大滝満夫満夫部長、深見正明係長、川端三郎先生(駿台京都校校長)と私との間で締結されていた。

その時の模様を拙著『閉じた窓にも日は昇る』(Kindle、上下各百円)の第七章「第七章・刺客(しかく)の登場・多忙という語の限界を超えた日々(刺客―2)」から抜粋する

【関連資料―3:多教科持ちと、駿台の契約違反を岡山の予備校との連携で隠蔽した疑惑】
☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

《◇―6・超多忙となる日々工作として、駿台の契約違反とその隠蔽政策》

2024年11月27日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA