(🚧メモ開始段階)駿台事件真相編―🆕6―(3)・駿台CM作戦・各職場連携工作の意図―犯人・犯罪隠蔽作戦
【履歴】
2024/11/20 9:36からメモ貼り付け作業。内容(意味)抜きで貼り付け作業終了後から下書として非掲示とし、意味をなす内容となった段階で順次公開。清書後に正式公開
【駿台事件全体構想】
駿台事件真相編―1・催眠
駿台事件真相編―2・ゼノンの詭弁と駿台事件の手口・女性編
駿台事件真相編―3・企業と私―駿台大CM編
駿台事件真相編―4・駿台CM作戦と映画女性活用編
駿台事件真相編―5・駿台CM作戦―女性刺客四人組活用編(その1・黒幕編、その2具体的展開、その3㊤㊦と4㊤㊥㊦展開解説付き。その5・その6・その7=世界からの情報、その8)
駿台事件真相編―6・駿台CM作戦―超多忙時代のあえぎ(ベネッセ―駿台―能開大と一本線):(1)(2)(3)(4)にわけて掲載。
駿台事件真相編―7・駿台CM作戦―業務妨害から刑事犯罪被害へ
駿台事件真相編―8・駿台CMと🎬協同で☠映画説グループを絡め作戦と能開大・村への移行
【注意箇所】個人情報を掲載理由(毎回掲載)
下記理由(この事件に絡んで何人かが死亡…や私自身も命を落とす危険が何度もあったことなど)で、実名での公開を原則とする。
下記はZ家(浜田稔・正典)家であるが、どうも、我が家(浜田耕治・隆政)との家間違いが駿台事件の原因の一つのようであるため、駿台事件も実名とする。同時に、駿台講師時代も拉致未遂被害や学内外での業務妨害や刑事犯罪被害に遭(あ)ったため尚更である。
※疑惑も含めれば死亡者は10名以上、MEの世界を含めれば20名以上かもしれない。ただし、私は完全に無関係である。
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個人情報公開理由(📢浜田稔・正典家の登記簿上の住所648-5の場所には2024年5月頃から浜田正典氏以外の人がお住まいなので注意ください。)
各種個人情報が出てくるが、
(A)我が家の住所・位田646(戸籍=現住所=登記簿:祖先は1600年代後半から系図あり:本家)を使用され、各種被害(2017年のみでも2万円損失させられたことをはじめとして多数)、その他の膨大な被害(灯油のみでも無断で5回いれられかけ、実際に2度いれられた)があること、
更に、
(B)我が家住所番地(位田646)無断使用者・浜田正典氏(司法書士)に是正を求めても改善されず、
(C)該当者自身の職業が司法書士という法の専門家であること、
(D)上記の行為により、生活に支障を何度もきたしたこと(例:死亡は嘘の疑いが高いが、浜田正典氏が死亡した際には葬儀屋が我が家へ来て私が対応、霊柩車も最初我が家へきたようであるなど)…その他膨大な被害があること、
(E)私が意味不明の40年近い被害を受けている原因が家間違いの疑惑があること、
(F)多くの情報網を持っている世界の我が友=世界の指導者が10人以上、暗に原因は家間違いであることを示唆したこと、
(G)深い事情を知っていると思われた、亡き友人(司法試験にも合格したと言っていた)が「トラブル被害の原因は人間違い」を明言したこと、
(H)岡山県美作市役場などに相談しても適切な対応はとられなかったこと、
等等から、個人情報であっても、私の生命を含む人権を守るための、超法規的措置もかねて公開に踏み切った。(個人情報を含む人権は濫用してはならない。公共の福祉との整合性より公開可能と判断)
超法規的措置と言っても、浜田正典氏は司法書士事務所の関係で使用住所の一つ位田648-5は各種ホームページで公開されていること(ただし郵便受けや各種書類では我が家の住所位田646を使用されることが多い、ごく希に岡山県の土地位田646-2も使用)、…で、彼ら(司法書士)の住所はCM扱いとなっているため、(私への人権蹂躙を阻止するという)正当な理由抜きでも、今回の情報公開は合法とも考えている。
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上記は下記を一部修正して抜粋
私の人権編:⚔⑧―40年の人権侵害全貌解明:8月16日編(8月24掲載)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=40006
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駿台事件真相編―🆕6・駿台CM作戦―超多忙時代のあえぎ(岡山予備校。能開大と一本の線)
下記、桃色箇所が今回の原稿の範囲。
(序)駿台真相編-06・全体の概要
(1)私が務めた各職場の結合形態と私の父との関係
(2)駿台CM作戦・大阪校編―女性問題から超多忙生活工作へ
―――相似形であった駿台女性事件🆚岡山予備校女性事件の比較
(3)各職場連携工作の意図―犯人・犯罪隠蔽作戦
(4)☠(謎のX)の存在疑惑と、人間違い誘導疑惑について
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駿台事件真相編―🆕6-(3)各職場連携工作の意図―犯人・犯罪隠蔽作戦
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《◇―1・概況―各職場の利権と隠蔽の絡み合い構造》
(記述途中のため、内容は大幅変更もあります)
全体的仮説は、🎬(映画説)グループの視聴率稼ぎ、同時に提携した🏢(企業・学校群)の利益の増大(特にCM効果)である。
しかし、いずれ事情が判明するため、そのときに備えての責任逃れ対策がなされていく。
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なお、CM効果は、該当職場に魅力があれば大きなプラス効果となる。その逆ならば大きなマイナス効果となる。
マイナス効果が出そうになった時点で私の放逐がなされていく。若(も)しくは、🎬映画説グループの脚本にしたがって、職場移動・生活移動が行われていく。この繰り返しであった。脚本は恐らく、私が生まれてから死ぬまでのスパンで組み込まれていると想像している。
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現在のターゲットは私に各種催眠類を多数投入して、謎解きにおいているようである。それも、映画『羅生門』型でなされている。
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🎃(オジョウ)が言っていた如く、書いても効果(損害賠償など)はないと思う。効果は裁判所か国会などで正面から取り上げさせぬ限り、理論上は出てこないと分析している。
ところが、挑発、それが無理ならば催眠で強制させられている。しかも、書く内容が首謀者にこのましくないときには、清書前後に膨大な追記をさせられ、書こうとする内容を煙に巻かれることも多い。
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今度は時系列で概況を記す。
1981年3月突如の催眠で岡山県の三つの学校に採用願を手紙で送付する。全てから来てくれと返答があった。
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①1981年4月:真備高校、岡山進研予備校、倉敷英数学館の教壇に立つ
進研予備校の経営者は福武書店(ベネッセ)であり、創始者は父と知り合いであった福武哲彦氏である。父→福武哲彦→予備校名誉校長・尾野作次郎→真備高校のラインは既に記した。
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倉敷英数学館では後の相棒・嶋坂逸郎先生と出会う。彼が、③のポリテクカレッジ岡山へ私をたたせた人間である。後に彼は進研予備校でも教壇にたつ。
現時点での仮説は、倉敷の予備校は労基法違犯だらけであったため、倉敷(正確には新倉敷駅界隈)にあったポリテクカレッジ岡山での労基法違犯を暗示していたのであろう。同時に、現在調査中は駿台と嶋坂先生との関係である。違っていても、🎬映画説グループの一員であることは間違いない。
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②1982年度から駿台の教壇へ
採用試験は1981年度であった。同年に採用試験を受けた福﨑伍郎君(英語担当)の話では競争率は50倍だったそうである。合格する訳がないと思うが合格した。福武哲彦氏か誰かから駿台大CM効果を聞いていたせいかもしれない。
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もっとも、私は高校の教師を目指しており、駿台甲府高校に行くつもりで受けたならば予備校に回された経緯がある。ただし、将来の異動は可能と正式に聞いている。
この年には、岡山県立井原高校での専任2年(2年後も悪いようにはしない:井原高校校長)、ベネッセでも正式職員になれる可能性もあった。それと駿台の三つが正式候補となった。正確には真備高校を優先して、真備高校校長に同高校で専任にしてくれと直談判したならばことわられた経緯がある。
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駿台の労働条件は大変よかったことと{1982年度では50分6000円(1987年度では50分9000円)、待ち時間・休みはその半額、夏期講習と冬期講習はその1.5倍、一日3500円の出張手当、原稿作成料・採点料・打ち合わせ料金は別に支給、新幹線はグリーン車、居住地はどこでも構わない、ホテル代金は駿台持ち、私は原則利用しなかったがホテル内での食事は全て駿台持ち、準ボーナス該当の一時金もあり…担任等や進路指導などの雑務は一切ない、…であった}、採用面接では「専任はなれる可能性の方が高い。将来は希望があれば甲府高校に移転も可能」(矢田部長)、その上、教壇にたつと面白かった。
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そこで、駿台での専任を考えた。
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だが、駿台放逐は既に🎬映画説のシナリオで決まっていた。恐らく、辞める年次も決まっていたと思われる。
駿台では私はマイナーな政経担当のため、CM効果が弱く、そこで82~83年度授業苦闘→84~85年度女性ドタバタ劇→86年度超多忙と始めての日本史での苦闘、87年度業務妨害・刑事犯罪被害で話題を提供し、視聴率をあげることを狙っていたようである。
駿台の狙いは、私の授業以上に、駿台の雰囲気を広めて謂わば予備校文化CM(特に駿台予備校文化のCM)にあったと思われる。
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同時に、駿台以降も話題を提供できるように、人間違いを誘導したと思わされている。該当者は(我が家の住所番地を70年使用し続けた、私より一歳年上の)Z3である。原因はZ家内にあった皆木家までは分かりつつある。
もう一つは部落問題を絡めた疑惑があるが、悪魔で疑惑であり、本当に絡んだのかどうかは不明である。部落問題が青天の霹靂型で一瞬のみ登場する模様は駿台真相編07-(3)で掲載予定でいる。
現時点でも、私には嘘か本当か判別はつかないのが事実である。一言で言えば「なんで」となる。
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こうして駿台放逐は既定路線であった。そのときの責任逃れをする目的で③のポリテクカレッジ岡山が登場してきたのだと思っている。
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③1983年度からポリテクカレッジ岡山の教壇にもたつ。
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このポリテクカレッジ岡山は1981年度倉敷英数学館で共に教壇にたっていた嶋坂先生から執拗に勧められた学校である。労働省系大学校といっても良い。運営権者の雇用促進事業団理事長には労働省事務次官が天下りすることが多い学校であった。(嶋坂先生とはこの学校、ポリテクカレッジ岡山、岡山進研学園で同僚となる。)
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このポリテクカレッジ岡山からのオファーは1982年秋であったが、この学校は後に述べる用に非常勤講師のため、即座に拒否であった。
だが、嶋坂先生の「断るとしても話だけでも聞きに行ってくれ」と執拗に言われて、先生の顔をたてて、断りに行くとその話がばれていたのであろうか、いきなり「専任」、それも翌年度春から…ということで半年後ならば嘘ではなかろうで教壇に立つことにした学校である。
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1982年度後半に駿台は居心地は良かったが、正規ならばポリテクカレッジ岡山の方が早いということで、駿台に辞表を書きかけると盗撮していた如く、即、ポリテクカレッジ岡山から電話があり、「専任は間違いないが、行財政改革の関係で延びる。取りあえず非常勤講師できてくれ」であった。もし、この電話がなければ駿台に辞表を提出していた。
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悪魔で想像であるが、駿台関係者が盗撮をしたか、🎬映画説関係者が盗撮して駿台とポリテクカレッジ岡山に伝えて、「(後に判明した専任詐欺…であったようであり、これでは駿台の収入が翌83年度からゼロとなるなど)で大変なことになる」で対策をとったものと考えている。
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駿台からみると、理論的には、この学校があることで、駿台の賠償責任は上手くいけば専任待遇ではなく、非常勤待遇にできる可能性がでてくる。
また、駿台CM用準備として、1982年には駿台京都校講師室係🚺4人組を採用試験で合格させていたり、私の受け入れ態勢の各種準備をしていたり、まだ駿台のCM効果が充分でなかったりしたため、ポリテクカレッジ岡山に今いかれると困るということであったと思う。
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ともかく、駿台にすれば、専任候補は駿台ではなく、ポリテクカレッジ岡山とする必要があったと思われる。ポリテクカレッジ岡山の方は拙著『恐るべき労基法違犯』(現在PDF無料公開中。原則登場人物は匿名記載であるが、来年には全て実名とする予定である:管直人総理甫膨大な国会議員・政府機関には実名で書留送付済み)に記したように、当時5000人の職員を擁していた雇用促進事業団の経営新路線・能開大グループの大CMのための私の雇用という側面もあった。
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なお、この職場での話題提供は主として職員の契約違反・労基法違反・杜撰な管理がテーマとされていた。労働省系大学校での労基法違反とは面白いではないか、と。
CM効果を得るためにも、また逆さまの論理を使用しての激しい労基法違反と契約違反が行われることになる。
それも、限度を超えたレベルまでやれば、私(浜田隆政)の言っていることはあり得ず、オーバーか嘘を言っているとしか思えないと人は思うであろう。あるいは、人は「私=浜田隆政氏にだけ、映画説で特別であり、他の人にはそこまで出来るわけがなかろうと、人は思う」型で、誰も信じないレベルの契約違反・労基法違反が行われていくことになる。同時に、特殊法人(後の独立行政法人)のため「親方日の丸」の世界であり、倒産・解雇はない。
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大赤字になれば雇用保険料をあげ、教育・職業教育・失業対策の名の下に税投入を増やせばすむだけである。民間企業ではない。更にカメレオン職場のため主要な仕事はコロコロ変えられる。
(炭鉱労働者再教育→ホテル関連を含むレジャーランド→総合大学・能力開発大を軸にポリテク群として職業教育→(今は)高齢者・障害者…も含める)とコロコロと変わっている親方日の丸組織である。
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④ポリテクカレッジ岡山と相似形で登場した岡山中学・高校の謎
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②のポリテクカレッジ岡山も、最初から専任する気がなくて、専任確約という詐欺をしていたため、ポリテクカレッジ岡山の専任問題を煙にまくため、登場したと推定される。
熱心に私を招聘したのは桐山校長であった。彼は、昔、真備高校の講師だったと聞く。更に、私の専任問題(私は全く行く気がなく断る予定だった)を煙にまくため、突然校長を辞めて、福武書店(現・ベネッセ)系列の予備校の校長となった。
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駿台真相編6-(2)の進研予備校の飲み会(1984年度の写真と思う)の中に、尾野作次郎(同校名誉校長・元真備高校・真備学園理事・岡山県公立高校の最年少校長記録保持者)、その横に福武哲彦(福武書店・現ベネッセ創始者。私の父の一年後輩で同一寮で知り合い)、その横が桐山校長(岡山中学・高校初代校長、真備高校元講師、後に福武・ベネッセ経営の進研予備校校長)が並んでいる。
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更に、そのうしろに嶋坂先生(私をポリテクカレッジ岡山へ行かせた人物:京都外大元教授、彼の父が京都外大元学長)もいる。この写真が全てを物語っている。
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なお、1985年度には、ここに駿台の藤村尚美先生(国語担当:映画狂)も加わることになる。駿台真相編06-2の中の藤村先生の写真は1985年度春に、奥さん同伴で岡山にこられたときに金甲山で撮影したものである。
写真だけでも、物語のエッセンスを語っている。これらは駿台とベネッセが模試で提携するよりも遙か前の話である。
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⑤駿台・ポリテクカレッジ岡山両校の④を利用しての責任逃れ会談設定
先の④岡山中学・高校からの専任招聘問題を契機に、駿台・ポリテクカレッジ岡山両校の専任賠償責任逃れ工作がなされる。
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駿台との会談→深見係長が「大滝部長は浜田先生を専任前提の助専任にする腹がありますので、浜田先生の方から助専任の件をきりだしてください」。私はポリテクカレッジ岡山の件があるので、きりだせなかったし、それも駿台側は承知であろう。特に、ポリテクカレッジ岡山教壇が駿台の差し金ならば計算通りであろう。
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その結果、私(浜田隆政)は駿台ではなく、ポリテクカレッジ岡山で専任になる予定であったとなる。すると、後の賠償問題では、専任待遇賠償か非常勤講師待遇賠償かで金額が大きく違ってくる。
ただし、政経のみで三年間(1985~87年度)の生活保障の確約がなされた。深見係長が一筆とった方が良いと事前にアドバイスしていたが、川端三郎先生(駿台京都校校長)などが在籍していたため、一筆はとらなかった。すると、⑥でみるように、契約違反がなされる。大滝部長の違反は後に分かるように二度行っている。両方とも三年という数値がでてくる。
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ポリテクカレッジ岡山の方は当時の副校長(初代開設準備室室長)森本氏と会談した。ここでも執拗な引き留めがなされた。何故ならば、🎬映画説グループはポリテクカレッジ岡山は駿台に+10を足した形で1994年度以降は推移するシナリオがあったからだと思う
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刑事犯罪被害→駿台1987年秋🆚ポリテクカレッジ岡山1997年秋、会談申し込み=駿台1988年12月(会談実施は88年1月)🆚ポリテクカレッジ岡山1997年12月頃から98年1月、辞職願は駿台1988年2月初頭前後🆚ポリテクカレッジ岡山1998年2月初頭前後、両学校共に辞職時の体重は55㎏であった。両学校ともに拡張直前であった。後者は短大から4年制以降直前、前者は駿台京都校南校や大阪南後、上本町校ができる直前であった。
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その他膨大な類似性が強調された。
一例が駿台では1987年晩秋に北山一先生からといって差別文書を手渡される。ポリテクカレッジ岡山では1987年晩秋頃に、西宮市教育委員会同和対策部勤務中を連想させる事件が藤井氏などのポリテクカレッジ岡山職員群により引き起こされる。
大社中も、ポリテクカレッジ岡山も生徒・学生ではなく、職員により引き起こされたのが本質である。ちなみに、ポリテクカレッジ岡山では、鉄砲玉学生を部外者(偽者学生)を使用してという念入りの対応をしていた。
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両者(駿台・ポリテクカレッジ岡山)共に、裁判で解決をしようとすると、何故か、弁護士のところで訳の分からないことをされている。両者ともに赤旗日曜版にCM広告や記事を書いていた弁護士である。
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⑥超多忙となる日々工作として、駿台の契約違反とその隠蔽政策
上記④で述べた、「政経のみで三年間生活保障」をするという確約を、トイレなどの悪用によりご破算にされる。その際に、後で言い逃れができるように、岡山の予備校(岡山進研予備校)とを活用して、契約違反の隠蔽が図られる。
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駿台とベネッセが正式に提携する以前の話である。しかし、もう連携はなされていたとなる。
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なお、岡山の予備校で女性が絡む直前に福武哲彦氏(1986年4月)が死亡したとなっている。更に、岡山の予備校でも業務妨害が起こる年には、直前に岡山進研予備校と岡山学院が合併をして、経営の主体はベネッセから異動している。
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こうして責任逃れの流れが一貫して各方面で見られていた。一番参るのは、最高の責任逃れは死亡という手を使ってくることである。
駿台の調査を当時の山﨑春之理事長に依頼しようとすると、ちょうどその頃(2010年1月13日)に肺癌で死亡された。気のせいではないといわんばかりに、息子さんの山﨑喜久氏も 2017年8月12日)肺癌で死亡されている。後者は50才という若さである。
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ちなみに、ポリテクカレッジ岡山での大被害は先の如く裁判所で解決しようとすると不可能な状態に追い込まれたため、同校は労働省系大学校のため、労働省にも救済依頼を五度だしたが、無視された以上、小渕恵三総理(私の早大大学院政治学研究科の先輩に当たる)に救済依頼の手紙を書き留め送付するや、小渕恵三緊急入院の臨時ニュースが流れ、やがて死亡された。
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それではマスメディアに救済依頼を考えて、筑紫哲也氏に救済依頼文書を送付すると、やがて肺癌と言われて、死亡された。
もはや、🤷お手上げである。
理論上、解決は裁判所か国会での調査(国政調査権)しかない。幾ら、記述しても無駄がと分かっていても、挑発と催眠でこれらの文書を書かされているだけである。
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更に、様々な刑事犯罪被害の証拠は、我が家に忍び込まれて、紛失や消されてもいる。例えば、駿台大阪校でのマイク不調攻撃を録音したテープは後にきくと、これはひどい、HPでいずれ流そうと考えていると不明となり、でてきたときにはその箇所のみ消去されていた。
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駿台真相編06-(4)では、駿台事件に、Z家を通して、政治が絡んだ疑惑があり、それらは06-4で現時点での仮説などを記載する。
同時に、部落問題が本当に絡んでいるか・どうかの分かっている時点での内容を記載する予定でいるが、正直に言って、未だに本当に絡んでいるのか・いないのか全く分からない状態にある。
(誰かの陰謀、演技かもしれない。特に第二安倍政権ではその種の工作がよく見られた。私とAとを対立させるため、BがAになりすますなどの疑惑である。)
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ただし、政治家(総理大臣レベル…)が絡んだことは相当実証できるであろう。
この辺りから、この原稿は拙著『日本のフィクサーME 』シリーズと融合してくる。
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また、私と(我が家の住所番地を70年使用していた)Z家、特にZ3と私の人間違いが駿台時代には起こっていたことは相当証明できるが、それ以前の可能性もあり、様々な人の証言や各種証拠が必要となっている。
これ以上は06-4で記し、駿台時代の青天の霹靂であった「差別文書」の件は駿台真相編07-3で分かる範囲まで公開予定でいる。詳細には現時点でもまだ動機や意味不明の点が多い。
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《◇―2・駿台を正式職場へ》
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《◇―3・ポリテクカレッジ岡山と専任契約の謎》
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《◇―4・ポリテクカレッジ岡山と相似形で登場した岡山中学・高校の謎》
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《◇―5・駿台・ポリテクカレッジ岡山での契約確認》
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《◇―6・超多忙となる日々工作として、駿台の契約違反とその隠蔽政策》
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