【💁正式公開】🎌Fixer ME Part X ーⅡ:回想・安倍晋三総理の二度の総理辞職にかかわらされて―立花隆から安倍晋三まで
2024/03/23 2:55 立花隆氏の記事を見てメモを掲載。
2024/03/28 18:49 一部追記
2024/03/29 2:02追記など。2024/03/29、これから就寝。起床後に清書作業を行う。ただし、起床後も、下記は清書のみとしたい。
2024/03/29 11:25 大幅追記。(今回の内容は、場合によれば、分割してSNS等で原則追記なしで、2か月などの長期連載することもありうる)
2024/03/29 13:30から正式公開予定
(表紙の写真)
【構成】
《★第一話:2007年安倍晋三の総理辞任と私》
《★第二話:2020年安倍晋三の総理辞任と私》
《★第三話:私の今後の方針:日本の総理は何年が理想か…等》
《★第一話・2007年安倍晋三の総理辞任と私》
2024/03/22深夜、インタネットで浜田靖一氏を見ていた。そこから巡回して、浜田幸一氏を見る。
「浜田幸一→共産党…事件→「宮本顕治人殺し」発言→日本共産党の研究→立花隆氏へ」とたどり着く。ここで、奇妙な記事を見た。
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以下、Wikipediaから抜粋する。
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2007年(平成19年)2月21日付の日経BPネットに「政権の命取りになるか 安倍首相の健康問題」として、「安倍首相は紙オムツを常用せざるをえない状態」「安倍一族は短命の家系。一族の墓誌を丹念に調べた人の報告によると、40代50代で死んでいる人が沢山」などと記述し、「J-CASTニュース」は、それに対する安倍事務所の怒りの声と、ネット掲示板2ちゃんねる上の立花批判の書き込みを取り上げている。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%9A%86
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何故、これを掲載したか。
幾つか意味があるが、一番大きい意味は、テレビなどの世界と私の世界が結びついている証拠だからである。
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結論から書こう。
安倍晋三氏が総理を二度辞職したが、両方とも私が絡んでいたからである。
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第一次安倍政権は「成立年月日 2006年(平成18年)9月26日」から「終了年月日 2007年(平成19年)8月27日」である。
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小泉純一郎政権は在任期間2001年4月26日 – 2006年9月26日であった。
安倍晋三氏はその頃、内閣副官房長官だった。
やがて、2003年9月に彼は自由民主党幹事長、2005年10月31日には内閣官房長官となる。
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小泉純一郎氏とは、私の想像と異なり、結構馬があった感じがした。
同時に、彼は催眠経由の問答ではなく、ときには電話で話しているごとく、正に会話が成立していたこともあった。
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たとえで言えば
「もしもし、どなたですか」
「小泉純一郎です」
というように諸に音声で返答が聞こえた。
大抵はテレビを通してである。
2003年頃でも、安倍氏は49才とまだ40代であった。
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そこで、小泉純一郎氏と親しくしている以上、彼は私に対しては「上から目線」の逆であった。
こうした中で、第一次安倍政権が2006年9月から開始する。
第一次安倍政権では数々の試練があった。
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私から見ると小泉氏は、安倍氏に対して「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」というように見えた。私に対しても、じっと見守っていてくれというような雰囲気であった。
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その頃、私自身の問題解決のため、私は雇用能力開発機構との賠償交渉をしていた。同時に、「雇用能力開発機構」の分析を行った原稿・後の『親方日の丸・上』(Kindle、KOBO各百円で発売中)を書いていた。
これは(「雇用能力開発機構」の分析の方)は帰納法による分析であった。
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同時に『親方日の丸・下』(Kindle、KOBO各百円で発売中)ではそれを補強するため、社会保険庁問題の演繹分析を開始した。「雇用能力開発機構」の分析の結果でてきた因子の組み合わせから社会保険庁分析を行い、私の「雇用能力開発機構」分析の正当性の吟味をしたのである。
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{※同書のペーバー版では2006年頃から本格的に書き始めて、2007年に幾つかの出版社に原稿送付している。ただし、特殊法人の研究は1999年頃から開始し、2000年頃に小渕総理などに書留送付、2003年頃からはそれを発展させて、2004年に小泉純一郎総理に書留送付している。また『親方日の丸』関連の一部はタイトルは違うが、菅直人総理などに2011年2月7日の日付で書留送付している。ただし、送付したのは「雇用促進事業団」と「雇用能力開発機構」の分析のみとした可能性が高い。理由は社会保険庁は能開大グループとは無関係のため、その部分は割愛して送付したと思う。
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しかし、その分析の吟味も兼ねて行った社会保険庁も分析した『親方日の丸』原稿の方は朝日新聞などが、私の書いた内容を実証する記事を掲載し続けた。時期は『同上書』を出版社送付前の2006年~2007年前半頃の下書き・修正・清書の途中だったと記憶している。恰(あたか)も、我が家内を透視しているが如く形で…}
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すると、社会保険庁問題が炎上した。
正に、私が原稿を数行書くたびに、メディアが類似内容を報じて、大炎上の連続となった。
私の書いた内容を検証するが如くに。メディアがその部分を検証し、幾つもの事例を暴露していった。少なくとも、その頃、購読していた朝日新聞ではそうなっていた。
安倍晋三氏はもはやうつろな目をすることが多くなってきた。
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だが、私はこの頃は安倍晋三氏とは対立をしていなかった。
そこで安倍晋三攻撃では一切なかった。
賠償交渉相手・「雇用能力開発機構」への単なる批判であった。
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安倍晋三氏も当時はそれは分かっていたと思う。
しかし、私が原稿を書けば書くほど、年金問題は大炎上をしていった。
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このままでは安倍内閣は終わりになるのではないかと思った。
ともかく、骨子は書き上げた。(その後で社会保険庁は解体、「雇用能力開発機構」は廃止となった)
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少し不安になった私は安倍晋三氏に釘をさした。
総理は「8年を目処に、最低でも4年は辞めてはならない。そうでないと国際的な信用を失う。海外の首脳が日本の首相と会談をして非公式な場で合意して、翌年正式に何らかの文書を出そうとすると、もう総理は代わっていたでは、世界は日本の総理を信用しなくなる。それは国益に反することである」と。
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「総理を辞めるのは次の三つ以外では絶対に駄目だ」と言い続けた。
「①内閣不信任案が可決するか・内閣信任案が否決されたとき、②任期満了となったとき、③死亡か大病をしたとき」、この三つ以外では総理を辞めてはならないと言い続けていた。
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このときの模様は拙著『日本のフィクサーME』(当初は2010年ペーバー版で記し、幾つかの出版社への2011年応募原稿に、後には電子書籍・Kindle版で2015年発売している)の中に一部書いている。
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第一は、私は完全党派中立をしており、党派中立宣言をしている以上、まして全政党に私の救済依頼文書を送付している以上、どの政党に対しても諮問をされれば原則としてアドバイスをする。私はどの政党にも所属していないから尚更である。しかも、それは国民全体の利益に叶(かな)うことや何よりも枠という視点からのアドバイスである。
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第二は、私は政治経済学専門家として、日本の政治システムの枠構築を常に力説している。私が常に強調している枠の一例としては、日本の総理大臣の任期問題がある。総理は八年間務めることを目処(めど)に最低でも四年間はその職を全(まっと)うすることが、民主主義国家ましてや先進国であれば必要不可欠、と私は考えている。
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例外は、内閣不信任決議権が可決された時、総理が大病や死亡した時、任期満了の総選挙時のみである。
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万一、東京都知事が半年置きか一年置きに交代したならば行政はどうなるか、である。行政は麻痺し、政治家は単なる飾りとなり、都の職員(官僚)が全てを牛耳(ぎゅうじ)ることとなる。ましてや総理の場合には対外的信用問題もある。第一、総理や大統領が一年置きに交代する先進国などはありはしない。
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日本の学生の相当数は戦後のアメリカ大統領の名前を全て言える。しかし、戦後日本の総理の名前を全て言える者は少ない。私と相対立する総理であっても四年間は続けるべきだと提言し続けている。
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そこで、小泉氏か誰かから安倍氏の陰の指南役として諮問を求められれば、安倍氏と僕の間で政策面で不一致があっても、枠を重視するため絶対に四年間は総理を続けるべきだと回答し続けた。他の総理のときも指南役は降りていても、同様であった。麻生総理のときもである。
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私が政策面で興味を持っている政党・団体が伸びるかどうかよりも、この枠(わく)が壊(こわ)れると民主主義・議会制度自体への不信が起こり、日本の国家秩序が崩壊する危険があるからである。因みに、安倍総理のときは病気でもない限り絶対に辞めるべきでないと言い続けていたときに、立花隆氏が突如TVに登場して「安倍氏は病気かもしれない」と意味ありげなことを言ったことがある。それから本の少しして安倍氏が病気で辞任した。
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『日本のフィクサーME・上巻』(Kindle、KOBO各百円)第3章・小泉純一郎登場・第2節・小泉純一郎登場
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再度書けば、立花 隆(1940年5月28日 – 2021年4月30日)がテレビから登場して、私に奇妙なことを言ってきた。
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「安倍氏は病気かもしれない。それも大病だ…」と。
立花隆氏は安倍氏の相談役でもしているのだろうか、と思った。
というのも、かなり自信がありそうな形で言ったからである。
そこで、私は安倍氏はそろそろ総理を辞めるのかと、ふと思った。
すると案の定、それから暫くして、安倍晋三氏の総理辞任のニュースが流れた。
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今日(2024/03/23)まで、私は安倍氏が事前に立花隆氏に相談したのかと思っていた。
しかし、本日、Wikipedia掲載「立花隆」を見ると先の内容があった。
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更に調べると、下記のような記事が飛び込んできた。
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「安倍一族の男子の平均寿命は40歳代」?
立花さんの記事が波紋を呼んでいる
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このコラムは、「日経BPネット」に「政権の命取りになるか 安倍首相の健康問題」のタイトルで2007年2月21日付で書いたもの。コラムから抜粋すると、こんな具合だ。
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「安倍首相の腸は最近悪化する一方という。一説によると(週刊現代など)、安倍首相は紙オムツを常用せざるをえない状態(括約筋の機能低下で失禁のおさえがきかない状態)にまで追いこまれているらしい」
「安倍首相の首のつけ根のあたりをよくウォッチすると、そこが老人の首といわれても仕方がないような妙な老人性のシワでいっぱいになっているのを発見するだろう」
「安倍一族は短命の家系である。一族の墓誌を丹念に調べた人の報告によると、40代50代で死んでいる人が沢山おり、男子の平均寿命は40歳代だという」
「国民にとっていちばんの問題は、安倍首相の異常な”老化現象”が、顔面の皮膚にとどまらず、精神面にまでおよんでいるのではないかと心配されることだ」
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J-CASTニュースは、安倍首相の国会事務所に、コラムに書かれている内容の真偽について聞いてみた。電話に出た秘書はこのコラムを知らなかったようで、一読した後、「紙オムツをしているなんてことはない」
と答えた。最初は穏やかに話をしていたが、だんだん怒りがこみ上げてきたようで、安倍首相が07年2月10日に人間ドック入りした事を質問すると、
「うちは健康診断を定期的にやっているんだ。(コラムは)全く失礼な話だ!」
と言って電話を切った。
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首相は「紙オムツ常用」状態!? 立花隆の超過激コラム
J-CASTニュース 2007.02.26 18:29
https://www.j-cast.com/2007/02/26005786.html?p=all
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私はこの原稿を読んでいなかったため、安倍氏が立花氏に相談して、総理辞職のためのエセ口実(仮病)で逃げたと思った。
すなわち、立花氏を通して、私に「総理を辞める」大義名分を伝えてきたとばかり思っていた。
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今、読むと立花氏が独自の取材をしていたようである。
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問題なのは、私が「総理は8年を目処に最低でも4年やるべきだ。それ以外でもやめてもよいのは先の三条件」と言うや、立花氏がテレビから先の言葉を言ったことである。小泉氏との直接対談型まではいかぬが、それに類似であった。
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《★第二話・2020年安倍晋三の総理辞任と私》
なお、第二次安倍内閣で「タオル投入」役をやらされたが、あれはこの真逆であり、安倍氏が大病という情報が私のパソコンに幾重にも入り、「義を見て捨てざるは勇なきなり」でその役をやらされたのである。
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2020/9/2
日本のフィクサーME・パート6・安倍総理辞任と私
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=28677
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20/9/12
日本のフィクサーME・パート6・安倍総理辞任と私(ME):その2・病気か仮病か
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=28768
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20/9/17
日本のフィクサーME・パート6④(その4)私は貝になりたい―菅内閣組閣に当たっての独り言
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=28807
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20/9/23
日本のフィクサーME・パート6⑤(その5)続・私は貝になりたい―安倍内閣支持率と菅内閣支持率に当たっての独り言
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=28864
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第二次安倍政権では2017年から、態度を豹変した安倍氏の私への攻撃が激しくなっていた。
その理由は随所に書いたが、Mr.トランプが登場し、彼が大のオバマ嫌いという情報が外務省から流されていたと思う。その上、何をするか不明の性格という情報も。
そこで、ヒラリーが勝つと信じて、事実上応援までしていた安倍氏は大慌てで、Mr.オバマとの関係は仲良しではないと宣言したかった。だが、あからさまにオバマ批判をする度胸はない。そこで、私への攻撃を激しくやることで、それを証明しようとしたと分析している。トランプ大統領との関係を構築するために。
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2020年は安倍氏はガタガタとなっており、このまま放置すれば、若しくはもっと総理をやらせれば、もう二度と浮上できないと分析していたため、私は安倍氏を総理のまま放置しておきたかった。おそらく、放置しておけば、秋頃にはNHKでも10~20%台、まだ粘れば2021年には一桁になると分析していたからである。
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夏頃にはガタガタとなっていたが、コロナの蔓延、更に大統領選挙でバイデン氏が勝つ可能性が高かった。すると、トランプ大統領と限度を超えた蜜月を演じた安倍氏はどうなるか。
更に、2020年終わりか、2021年初頭にオリンピック中止を宣言せざるを得ない状況になりつつあった。ガタガタになった支持率の上に、コロナ蔓延・五輪中止・バイデン登場で外交面の破綻(少なくともトランプ敗北のみでも安倍内閣支持率は下がる)…また経済の悪化もあった。
韓国(文在寅政権)とは戦後最悪、中国とは膠着、アメリカとはトランプ応援団長安倍氏はどうなるか…、そこに経済悪化でアベノミクス終焉でのイメージダウンも出てきて、NHKでも一桁台の支持率になる可能性もあった。
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こうなると二度と浮上できない。衆議院選挙ですら敗北を恐れ出馬できない可能性もでてくる。2017年以降の私への激しい攻撃を考えると、私は放置したかった。
だが、私の所に入った情報に「安倍晋三はガンで余命3ヶ月」というものもあった。これがガセネタでも相当深刻な「余命…」という病と想像した。その頃に弟宛に(安倍氏は)「僕はもう駄目かもしれない」と電話をしたという情報も入った。
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この頃は相当頭にきていたが、余命段階かそれに準ずる病ならばタオル投入を決意させられた。やめれば現代医学の関係で数年は生存できるかもしれないという考えからである。
相当頭にきていても、2002年頃から役20年の腐れ縁があったことや、私の「人の良さ」からのタオル投入であった。
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何故、私のタオル投入が効くか。それは二つある。
一つは安倍氏は自民党内でも本当に信用できる人物をもっていなかったこと、二つめは、私が怒り狂っていても、こうした場面では私が客観的な判断をするとよんだのであろう。ましてや、病を臭わせておけば、「ひとのよい」浜田隆政は公平・客観的な判断をすると思ったのであろう。
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第一次安倍内閣は、「やめるな」と私が言ったが、仮病でやめたと思っていた。
他方、第二次安倍内閣の終焉は、私は彼はあの状況ではガタガタになるので放置しておきたかったが、彼は大病で寿命はあと僅かを信じてのタオル投入であった。
ところが、前者は本当の大病で、後者は仮病だったようである。前者は「国益上やめるな」であり、後者は「今やめた方がよい」となった。(後者の本音は「後者は政治家としての命運を経つため放置」しておきたかったが、何人かにだまされてであった。)
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まるで逆であったが、彼の総理二度の辞任には私が何らかの関係で関与させられていたようである。
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残された(あと僅かな)人生で、こうした次元か、更に重要な情報公開をすべきか。
あるいは重要な各種提言を行うべきか。
それとも、私の人権侵害をやめさすため(謎のXグループ)や駿台事件について記すべきか。
本来は書かずとも誰でも分かろう。
ましてや、近所の(我が家の住所番地を1954年から使い続けている・私よりも1歳上の)正典氏問題を書くに至っては「何をか況(いわ)んや」である。
だが、最後のとて、「書いてくれ」「書いてくれ」と悪戯電話がかかり、留守電の「ファックス…」(私が人間違いされた件)の箇所で切れる。
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早めに、位田のタカちゃんと世界のMr. Hamadaを統一しないとややこしいだけではなく、私の残された人生の無駄及び世界にとっても良くなかろう。
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追記(2024/03/29)安倍氏と私の関係
第一次安倍政権→双方遠慮の時期。
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第二次安倍政権・前半(2013年から2015年)→第一次安倍政権の崩壊が、私の原稿とそれを延々と掲載した朝日新聞にもあると分析した如く、浜田隆政包囲網・事実上の私の書く内容の事前閲覧、…朝日新聞と私の対立画策…。
私の方は現代政治に関わりたくないため、「安保法制」も「集団的自衛権」も資料を一切見ず、内容すら知らない状態を保っていた。
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同中盤→2015年中盤か終わり以降→私への急接近。この頃支持率が初めて30%台となったこともあり、支持率を上げる目的で私への急接近が開始。この余波もあり、2016年夏頃から約10ヶ月に亘(わた)り、NHK調査ですら支持率を50%割ることはなくなっていた。
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同後半→2017年2月のトランプ政権からオバマ離れの意思表示大CM目的で私への攻撃が激化。
そこで、やむなく、安倍氏批判のコメントを書き出す。その一部(2018年記入部分で一言Blogの下書きのまま眠っていた箇所)を三回に分けて順次掲載予定でいる。
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《★第三話・今後の私の方針:🎌総理の理想の任期等》