政経の世界№3―丸山和也・〝奴隷〟発言から議会制民主主義まで・2

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【掲載予定の変更】
序)愚痴
(1)丸山発言の問題点―1・言動分析。
(2)丸山発言の問題点―2・より大きな問題点
(3)職業としての議員と政治家の品位について。
(4)NHKなどは、啓発活動の一環として「政党・議員の発言の場」の拡充を。
(5)議会制民主主義の確立を目指して
(6)付録。先日、私を挑発するためという暗示への返答。
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※(1)~(3)→政経の世界№2―丸山和也・〝奴隷〟発言から議会制民主主義まで・1(前回)
※(4)→政経の世界№3―丸山和也・〝奴隷〟発言から議会制民主主義まで・2=本日(2016年3月5日)
※(5)→政経の世界№4―丸山和也・〝奴隷〟発言から議会制民主主義まで・3
=次回掲載
※(6)→政経の世界№5―丸山和也・〝奴隷〟発言から議会制民主主義まで・1=付録編:次々回掲載


(4)NHKなどは、啓発活動の一環として「政党・議員の発言の場」の拡充を。


前回の問題の根源にはもう一つの奥深い問題がある。

議員になる手っ取り早い方法はテレビなどにでることである。そこで目立てば、後は政治家には自動的になれる。その結果、議員の一部は、そうした番組(視聴率が一定あり、政治経済関連を扱う番組)の出演者を決定する人には及び腰となる。ときには御機嫌とりになっている。これは日本だけではないかもしれない。

私が好感を持っていた青島幸男氏は選挙のときは選挙運動をせずに、海外旅行をしていたときがあった。それでも参議院全国区では第二位で当選していた。佐藤栄作氏が、青島氏に「どうしたら票を取れるか」ときいたならば、「テレビに出る」とこたえたそうである。

これでは一部の政治家を除けば、テレビの出演者を決める人間と親しくなっていればよいという、大変嘆(なげ)かわしい状況を生み出す。
それも、今回の品位を欠く発言の土台にあったと思われる。

そこで、NHKなどは日曜討論に該当するものを毎日開催し、多くの議員にテレビに出る場を設けてもらいたい。民放は難しいがNHKならばできるはずである。これらを積み重ねて、議員がテレビ出演のために媚(こ)びを売る状況から脱出するきっかけをつくってもらいたい。民放もときにはくじ引で出演者を決めることを考慮してもよいのではなかろうか。


理論化する。
(本当の)国民の声を黙らすには二つの方法がある一つは、邪魔な勢力の声を弾圧することである。戦前の治安維持法の如(ごと)く方法である。その先端がヒトラーである。
もう一つの邪魔な国民の声を消す方法は、国民の声を限りなく多くすることである。時には、ダミーとか現在で言えばスパムも利用して。すると、邪魔な国民の声は目立たなくなり、事実上の抹殺(まっさつ)となる。

たとえでいえば、邪魔な声が2とし、政治全体に反映されている声の全体数を10とする。前者の方法は邪魔な2を弾圧し、0にすることである。後者の方法は母集団の10を一億とすることである。すると、2は宝くじに当選する確率と同様に事実上0となる。後者に該当するのが、今日の日本などである。

{(経済でいうバブルに該当する以上の、)この偽物の国民の声創造の方法などは後日解説する。ただし、この理論の類似例を一つのみ記しておく。「イラクに大量破壊兵器がない」と2人が言い、8人が「ある」と言ったとする。イラク戦争以前に言った人の声を零にするには、言った人を抑圧しなくても、その論争に加わる人を一万人とすればよいだけである。それも誤情報を与えて。これでイラクに「大量破壊兵器がない」と言った人の声は限りなく零となる。これ以上のことがIT時代には可能である。経済学で言う信用創造以上に、政治の世界では虚構の拡大は可能である。}

こうした状況の中で、自分の声を反映するには、一定の何か?に依存ぬきには不可能である。その何か?が、世襲、官僚の議員への天下り、そして、今回問題にしたテレビである。ごく例外的に日本の、貧弱な政党独自経由があるが、これは主流をなしていない。第一、その政党自体が大きくなれば先の論理が貫かれる。他方、政党が小さければ、政党経由では議員になれないからである。

逆に、上記のような何か?を持っていれば、議員は大工さんや、パイロットと異なり、特別の技術を習得していなくても、誰でもなれる。

だが、当然、議員としての責任は果たしていない。本当は、議員には幾つもの才能と努力が要求されるのである。もっとも、重要な資質は、国民の最大多数の最大幸福を実現する政策作成能力である。しかし、その能力により、議員の資質は評価されない。上記の何か?があれば、あとは何とでもなる。

そうした状況を抜け出すためにも、例えばNHKなどは毎日、議員を順番にテレビにゲストとして呼び、いろいろな問題に対するコメントを言わせ、同時に国民の声を直(じか)に聞く場を設けていただきたい。それも、視聴率が絶対にあがる工夫を前提としての話である。しかも、良質な、品位のある番組を前提にしてである。NHKのプロデュース能力が試されている。されど、語学教育番組の「セサミストリート」は全盛期にはかなりの視聴者を獲得したではないか。視聴率をとれぬ形で制作・演出するならば、ときには、何もしていないのと同一に等しい。


単なる国会中継ではほとんどの人は見ない。肝心の議員ですら、ときには居眠りをしているくらいである。視聴率をだせば分かる。逆に言えば、国会中継の視聴率が10パーセントを割ったときには全議員を罷免した方がよい。全く役に立たない議会と議員となる。現在の国会中継でNHKや政府が役目を果たしたと考えることを、私のよく使用する用語では「親方日の丸」発想という。国会中継の視聴率を調べることを勧める。30パーセント(20パーセントでもよい)を超えたときが何度あるか。逆に10パーセント以下が何度あるか。他の方法の併用が不可欠である。

しかし、テレビに代わる、もしくはテレビと同等の影響力を持つメディアが登場するまでは、テレビの存在は大きい。


総論として、今日の議会の機能不全問題は大きい。一番重要な政策面でも、与党では官僚がつくり、反対する野党の国会答弁の骨子も官僚が作った時代があった。あとは八百長の議会審議のみという時代もあった。いつか具体的な例で解説する。

では「議会は必要なのか」という問いをよく耳にする。それへの返答は次の解答が一番よい。「もし議会がなかった状態を想像せよ」、と。これしか、現時点で議会の必要性を述べることはできないという悲しい現実がある。
次に、議会性民主主義の確立を目指して、マスコミ以外の問題も、以下(5)に記す。
★★★
政経の世界№4・(5)「議会制民主主義の確立を目指して」は次回掲載予定である。