「2013年の真相」№3―序の3・日本のフィクサーの如くにさせられた経緯③(日本のフィクサーME・パート2の一部に該当)

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「2013年の真相」№3―序の3・日本のフィクサーの如くにさせられた経緯③(日本のフィクサーME・パート2の一部に該当):正式公開


2020/12/06 21:28準備開始

2020/12/12 12:46から下書本格準備開始 13:49小渕総理の写真箇所解説。14:30微修正。

2020/12/12 23:03 今回挿入写真終了。後は2020年追記のみ。

2020/12/13 3:27 正式公開 (ただし、誤字脱字類があれば、この後でも修正を行う。) 13:17時事通信関連Twitter掲載。

2020/12/13 18:55 小渕総理宛書留の控えなどのスキャニングを添付。小渕総理に2000年4月3日に送付すると、その夜緊急入院ニュースがながれる。1999年~2010年に延べ百通の書留を政府・国会議員に送付済み。私の救済や国会で取り上げるように要請した文書である。

 


 

(📷は一度クリックでPC大、二度クリックで巨大)

早大:17-074-017 11-27_115046

2013年の真相―№2
α(一番上に2020年追記)
β(真ん中本体・原則小学館に送付したまま)
γ(📷写真・🎦動画の挿入)
2020/12/0 時点はのみ。後でαとγを掲載予定。
全体目次は下記。今回は序章の第三節の後半部分(序章の最後)。

2013年の真相・目次


α(一番上に2020年12月13日 3:25追記)

今回の原稿は2013年に関する原稿であるが、2017年早大訪問の内容も、2013年に関係する箇所もあるため、2017年訪問の話を追記として少し記す。

2017年11月に久々に早大に行った。本当は超多忙かつ金欠で行くことは難しかったのであるが、「最後の勝負に母校の一つ・早大(在籍学生・教職員数6万人以上、同窓生百万人以上)を無視するのは怠慢である」という就寝中の説得により行く羽目となった。

当然、電子書籍などの営業及び教材作成のためである。ところが、「皇室🆚官邸」の争いに巻き込まれたという暗示を受けた。真偽は不明である。皇室関係は私の父が教師を病気で辞めた後で、(昭和天皇の娘さんである池田厚子氏の夫・)池田隆政氏と商いをしていた関係で、私の名が「隆政」となっている。池田牧場とは年賀のやりとりもあったようである。

また、早大大学院時代にゼミ形式で授業をもっていただいた学習院大学の飯坂良明先生が当初、現在の天皇が学習院大学法学部政治学科入学となれば、飯坂先生が担当することになると授業で何度か言われていた。それらの話は「日本のフィクサーME・パート5」でしよう。
ここでは、皇室関連については、私は日本国憲法尊重派であり、その視点から対応すること、また、誰であろうとも世話になれば、それに対して恩義を感じることだけを記すに留(とど)める。要するに、東京へ来た目的は別目的(仕事)であった。

私も年を取り、後何年生きられるか不明となった。そこで、知人を偶然見かけられればと思った。法学部の水島朝穂氏も、政経学部で幾つかの授業で御一緒した飯島昇蔵氏、あるいは後輩の吉野孝君…も早大の現職教授である。だが、知っている人には誰にも会うことはなかった。それどころか、飯島昇蔵氏は2017年に亡くなられたと聞き、時の流れの速さを実感した。正に、朱熹 「偶成(ぐうせい)」の如(ごと)しである。
また、友人の神田高弁護士や、大学院時代に大変世話になった学友・KT君にも会う時間が取れなかった。大変残念であった。

なお、私が「日本のフィクサーME」シリーズを書いている関係か、早大訪問の翌年・2018年には田中愛治氏が早大総長となったようである。彼の父は本物の「日本のフィクサー」・田中清玄氏である。田中愛治氏も早大政経学部出身であり、年も私と一つ違いであるが、行き違いとなり、同一時期に早大には在籍していない。

今回は追記はこの程度にしておく。
というのも、私の影響力は政治よりも実は経済の方に強い可能性があり、そちらの方の情報公開を急ぎたいからである。更に、政治の方は人はかなり気づいているが経済の方は一部の人しか気がついていないため、悪用その他の問題を避けるため早く公開した方がよいからである。
巨大企業の販売動向・株価のみならず、世界遺産や各種催しなどへの影響もかなりあるため、早めに公開した方が誰にとっても良いと思う。ときにはノーベル賞選考などの分野でも…と驚くことがある。

 これらの問題は1章に入れば、特に1章3節で分かるであろう。ただし、影響力は巨大企業や超巨大企業などであり、零細経営や家族経営などの分野にはおよぶことはないと思っている。追記の最後に、小渕恵三氏に2000年4月3日に書留送付したが、そのときの書留証明証があるため、後日そのコピーを付け加えるかもしれない。


β(本体・2014年記述)・2020年8月に少し追記(追記箇所は全て追記記述をつけている。)

さて、この節の本題に入る。即ち、私が日本のフィクサーとなった経緯である。詳細は『日本のフィクサー〝ME〟』などに記述しているため、今回は簡単に三つの仮説を記す。

(早大📷)

紅葉の早稲田・2017年11月27撮影(№17-074-026)


仮説―1・元々そうした土壌があったこと。

私には、政財界との人脈が潜在的にあったため、厚生労働省系大学校での労基法違反被害救済活動として、関係各省・政府・主要政党に救済依頼文を送付したことにより、潜在的人脈が顕在化した。

潜在的人脈とは、早大大学院時代、研究会は法学研究科のサークルと一緒にしていたため、先の人脈ができていた。だが、本業の政治学研究科では、大学院時代の恩師・内田満先生(一九三〇~二〇〇七年)は自民党の党学校校長吉村正氏の愛弟子であり、更に先生自体が自民党顧問をされていた時期があったため、自民党関係者との繋がりは潜在的にあった。

例えば、河野洋平{(一九三七年~)第七一~七二代衆議院議長、第一六代自由民主党総裁}や福田康夫(一九三六年~)第九一代総理大臣は早大政経学部卒である。小渕恵三(一九三七~二〇〇〇年)第八四代内閣総理大臣は早大文学部卒であるが、大学院は早大大学院政治学研究科である。そこで、内田先生などは、大学卒業後も大学に残られていたため、彼らは先生の学部後輩かつ、何らかの形で実際に指導された可能性がある。他にも多数いるが、ここまでとする。


ちなみに、大学院時代に、内田先生が私に「浜田君、修士論文を書くならば自民党の国会議員にインタビューしなさい。僕の名前を出せば、誰でも喜んで会ってくれるから」と言われたことがある。その当時の、自民党の若手が小沢一郎、小泉純一郎氏などであった。しかし、私は、市川房枝氏にアポイントメントなしで直に会いに行き、いろいろお話を伺ったことがある。そのときの市川氏の選挙参謀が菅直人(第九四代総理大臣)であった。

また、私自身が大学院時代に出会った人物とすれば、姜尚中(カンサンジュン。東京大学名誉教授)などがいた。姜さんは、私と大学院時代に授業などで御一緒した記憶がないみたいであるが出会っているはずである。飯島昇藏早大政経学部教授と同時期に在籍していたならば確実に出会っている。飯島氏とは、私は清水望先生の授業など二つの授業で御一緒していたからである。

☆☆☆☆☆(2020/12/12 23:01追加挿入箇所)☆☆☆☆☆

(著作権上気になるが、大きい写真も掲載。出所は以下。他の方は必ずJiji.comの許可を取ってください)

 

 

私が会談した翌年頃の市川房枝氏と菅直人氏。菅直人氏とは会談はしていないが。iji.comから。出所は下記Twitter参照。

《参院選全国区で当選した市川房枝氏(中央)と喜ぶ菅直人選挙事務長(右隣)ら(東京都渋谷区)(1974年07月08日) 【時事通信社】》

【写真の出所は以下】

ポップしないときは↓若しくはをクリック。

20-347-6【ME】
「2013年の真相」№3使用のためシェア。
私が #早大大学院 時代 #市川房枝 氏と会談した約3年前の写真か。
アポなし会談。
🤡「市川さんと話がしたい」
#佐々淳行 の姉 #紀平悌子「分かった…」

菅直人首相の歩み写真特集 #時事ドットコム https://jiji.com/jc/d4?p=kan001-09409128&d=d4_news
@jijicomより

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1337765270501277696?s=20

☆☆☆☆☆



(📷関学)

関学中央芝生:16-027-147

更に、姜さんの指導教授・藤原保信先生と、私の大学時代の恩師・後藤峯雄先生とはシカゴ大学大学院時代に御一緒されていた友人であるという縁がある。後藤先生から私が早大に行くときに「もし、何かあれば藤原先生に相談しなさい。そのときに僕の名前を出せば……」と言われていた。しかし、私は藤原先生に一切そのことを伝えなかった。だが、藤原先生が、授業中に「浜田君は、関学出身ならば後藤先生を御存知ですか」と聞かれたことがある。大学院の授業は全て十人程度で行うため、全てゼミに等しい状態である。

更に、私が早大時代に出会っている人物の代表例としては、野田佳彦君(第九五代内閣総理大臣)がいる。彼は、一九七六年に早大政経学部政治学科に進学しており、私は七七年に早大大学院政治学研究科に進学している。彼は留年していなければ、一九八〇年卒業であるが、他方、私も一九八〇年に早大大学院政治学研究科を修了している。もっとも、実際は一九八一年まで早大の図書館を拠点に東京で勉学に専念し、早大内でも法学研究科の諸君などとも研究会をしていた。貧困であった私は、一番良い商売として、学部学生の試験監督をしていた。よって、野田君の学部時代の内三年間以上は彼の試験監督をしている。更に、彼の出身ゼミを調べていないが、同一ゼミとか親戚ゼミの可能性もある。


これで、第1章で述べる中国関係の人脈は分かるであろう。福田康夫、河野洋平氏は親中国派であり、内田先生も存命中に北京大学で講演されていた。また、大学時代の恩師・後藤先生は大昔から中国に通じており、中国に人脈は当然あると推定される。

韓国について言えば、(悪魔で噂であるが)姜さんは金大中と親しかったそうである。私は第二の仮説に立てば盧武鉉と親しかった。そこで、朴大統領の間はソウル行きは延期しようかと考えていた。しかし、朴大統領の歴史認識強調路線などから、ひょっとして一定の共通点があるのかと思い、ソウル行きを決断した次第である。

アメリカに関して言えば、大学時代の恩師・後藤峯雄先生がアメリカのシカゴ大学でPHDの学位を取得されており、更に後にハーバード大学の教壇にたっておられた時期があり、その関係でアメリカの政策立案者の何人かと繋がりがあるそうである。よって、第一の仮説でも、こうした繋がりから、雇用能力開発機構問題でクローズアップされれば日本のフィクサーになる可能性はあった。因みに、関学でも、小池百合子氏(環境大臣・防衛大臣等歴任)とは大学の同期に当たる。ただし彼女は社会学部で、私は法学部であった。


仮説―2・救済文書送付により、潜在的人脈以外の人も、私に関心を寄せた。

私が雇用能力開発機構の被害に遭い、救済文書を一九九九年、二〇〇〇年、〇四年、一〇年と送付した。そのため、機構が保険適応等で、様々な人物を絡めて各種実験をした。そこで、潜在的人脈に火がつくと同時に、送付文書を送った人物等が関心を寄せたという仮説である。

具体的な事例を二例のみ記す。最初に送付した総理は小渕総理であった。送付日は、忘れもしない二〇〇〇年四月三日である。朝、書留文書で小渕総理宛に救済文書を送付した。封筒の裏には私が撮った早大の写真を貼り付けて、あなたの後輩からの救済依頼と記し、絶対に文書を読むように封筒の表紙にメモを書いて送った。その日の夜、小渕総理緊急入院の臨時放送があった。

☆☆☆☆(2020/12/12 23:00追加挿入)

(小渕総理宛の書留裏に添付した写真📷:1998年撮影)=2000年4月3日書留送付(その夜・小渕総理緊急入院ニュースが…)まだ続く謎が…。全て実話。

下側を封筒の裏に直に貼り、小渕総理の後輩ですが…と絶対によまざるを得ない文章を封筒の裏に書き、美作町林野郵便局で書留(約千円)で送付した、まさにその夜、小渕総理緊急入院ニュースが流れて驚いた。

1998年早朝撮影:2000年4月3日に小渕総理に送付の写真

1998年早朝撮影:2000年4月3日に小渕総理に送付の写真(レタッチはこちらの方を送付)

☆☆☆☆(2020/12/12 23:00追加挿入終了)

☆☆☆☆(2020/12/13 18:55 追加挿入):小渕総理に出した書留☆☆☆☆

資料―1・(小渕総理宛書留・2000年4月3日):クリックでPC大、二度クリックで巨大(他の写真も同様)

 

2000年4月3日小渕総理宛書留・同日夜小渕総理緊急入院News

 

資料―2・(2000年4月3日書留の他のごく一部)

2000年4月の書留の他の一部

資料―3・(下の文字では2004年9月28日か。書留の他のごく一部)

2004年の書留の控えの一部。妨害恐れ、出す郵便局を変えてだしたため、分散している。

2010年の書留の控えはコピー型のため省略)1999年から2010年頃まで延べ百通の書留を政府・国会議員に送付。国会で取り上げてくれ…と。

☆☆☆☆(2020/12/13 18:55 追加挿入終了)☆☆☆☆


ちなみに、小泉純一郎氏には、二〇〇四年に文書を送付し、「雇用能力開発機構理事長を厚生労働省の天下りではなく、民間登用にすべき」と記したならば、即座にその年から民間登用になった。この頃から、双方向けTVの如く形で、小泉元首相が接近してきたように思われた経緯は『日本のフィクサー〝ME〟』で紹介している。

こうした文書を送付したことにより、学閥を離れ、幾つもの政党の議員が関心を寄せてきたようである。財界も同様である。政財界の人物の人名や具体的な対話内容は『同書』で記す予定である。

海外からも、巨大企業は私に早くから関心を寄せていたように思えた。例えば、(憶測ながら)ビルゲイツなどが該当する。何故ならば、もし彼が一九九五年頃に私を獲得していれば、日本のアプリケーション制覇のために、ジャストシステム対策などでソーシャルダンピングぎりぎりのことをしなくても、日本国内でワープロソフトなどでデファクトスタンダード的立場を確立できたからである。その際のコストは、マイクロソフトが日本で投じた費用の何分の一以下で可能となったであろう。
ただ、私は経済のルール問題や、ソフトの技術問題からマイクロソフトへの盲従体勢を取らなかったため、一時はマイクロソフトと対立的な雰囲気となったこともある。

超巨大企業の一部が、とりわけ標準争いの際に、私の利用価値に気づき始めているようである。詳細は、中国の旅を参照してもらいたい。私の方から言えば、大工(私)が作品をつくる上で良質な鋸を必要としており、良質な鋸を売る業者はお客を必要としている、という立場での持ちつ持たれつの関係でしか応じることはない。


因みに、私が海外に行き続ければ、海外の企業家が更に私に興味を持ち始めるかもしれない。私の使い方次第では金のなる木(とてつもない大CMがローコストで可能となるのだから)という意味で、政治家よりも企業家の方が関心が高いときさえあった。今でも時々そうした感じを受けることがある。
また、サムスン電子の李健煕(イ・ゴンヒ、サムスングループ二代目会長)は、一九六五年に早大商学部を卒業しているため、同窓生として興味を持つかもしれない。ただ、今回のソウル行きは、第3章で述べる如く、事前の準備抜きで、突然、(カメラ機材以外は)パンツ一枚、下着一枚、靴下三足だけ持って行ったため、韓国の方も戸惑ったのかもしれない。

政治でも、主としてアメリカが、次に潜在的には欧米の首脳が関心を寄せ始める。中国も関心を寄せ始めたと感じ始めたのは二〇一〇年に入ってからである。


第3の仮説・生まれながらにして、そうした運命にあった。

生まれながらにして、日本のフィクサーにさせられる運命にあったのかもしれない。映画説、時にはTV説で、私を主人公に世界が動いているのかもしれない。

序章は、方向音痴の私が道に迷ったときと同じ書き方をした。序章を読めば、私が日本のフィクサーとなったことは幾分かは理解できるであろう。詳細な経緯は、『閉じた窓にも日は昇る』や『日本のフィクサー〝ME〟』に記している。今回の原稿では、後は、二〇一三年に私が動かした事件の情報公開を行うだけである。

なお、私が本格的に政治に関与し始めたのは、小泉政権からである。だが、野田政権以降は政治から原則として遠ざかる方針を立てていた。それは野田君が早大政経学部政治学科卒業で、私の大学院時代と在籍時期が重複していたためである。そこで、菅直人氏から野田君に総理が移動するや否や、原則として、政治に一切口を挟まない方針を立てた。ただし、見かねて何度か助言を行わざるを得なかったときがあった。そのときの話は後日まとめて行うことにする。

だが、安倍政権になり、余りにも右傾化しすぎたこと、更に、私自身がいつ死んでもおかしくない年齢に入り、これから述べる世界平和のための新国際秩序構築に向けて動くことにした。同時に、長期に亘る無収入のため、そのときの経緯を記し、本にして出版し、印税を稼ぎ、それを老後の資金に充てる必要性が出てきたこともある。カメラ・写真はそのためのメモ代わりと同時に、出版する際に文献に挿入する写真等に関係する商売道具にしかすぎない。


最後に、余談を記す。日本の総理などが海外のサミットに行くと、私への態度が途端に豹変する。その理由は私には分からない。第一、私は、私と思想・政策の異なる人をバッシングしようとはしていない。私はルールに基づく論争は民主主義に不可欠と言っている人間である以上尚更である。私が激しく攻撃するのはルール違反・枠組み崩壊工作のみである(人間の世にとっての最大公約数だけは激しく問う)。簡単に言えば、「信号のある交差点では信号は守りましょう」という側面での違法にしか激しい攻撃はしない。後は、人間は様々な考えがあり、思想・政策の対立は当たり前と考えている。私と相反する意見がなくなると、私は堕落するとすら考えている。

しかし、それを主張すると大変な目に遭うのが日本社会である。例えば、贈賄・収賄はなくしましょう。官僚・公務員の裏金はやめ、ガラス張りとしましょう。これらを言うと大変な目にあう。しかし、これらは政策対立ではなく、枠とルールの問題でしかない。何故ならば、表面上は誰も同一のことを言っているのだから。だから、最大公約数となる。違いは裏でもそれを行うか・行わないかだけである。