「2013年の真相」№7・第1章第3節-2・中国への旅②(日本のフィクサーME・パート2の一部に該当)

「2013年の真相」№7・第1章第3節-2・中国への旅②(日本のフィクサーME・パート2の一部に該当):正式公開


2020/12/18 22:58下書準備掲載 (β)本体のみ。後日、(α)の2020年追記・解説、(γ)の写真や動画挿入予定。

2021/01/07 4:03下書段階で公開に踏み切る 4:40(α部分一部追記)本格追記は正式公開時

2021/01/08 6:35 (α)の(2)の大幅追記。『日本のフィクサーME・パート3』(2014~15年)を記述してしまう。 6:49微修正 6:56微修正。7:16微修正 7:30微修正

 


 

(📷は一度クリックでPC大、二度クリックで巨大)

2013年の真相―№4
α(一番上に2020年追記)
β(真ん中本体・原則小学館に送付したまま)
γ(📷写真・🎦動画の挿入)
2020/12/04 14:10時点はβのみ。後でαとγを掲載予定。
全体目次は下記。今回は序章の第一節の続きと第二節の前半部分。

2013年の真相・目次

 



α(一番上に2020年追記)

ここは正式公開時に三点追記する。

(1)私が経済・世界遺産などに影響を与えた話。
企業の株価など。

(2)経団連会長の話。

米倉氏のTwitterコメント

☆☆☆☆☆

14-61-2。人権尊重、正義・公正を希求し、全員で決めたルールを守る。平和を愛し、戦争回避努力をする。日本を含め軍国主義の道に警鐘を鳴らし、世界全体での経済発展を願う人。
 本日経団連会長就任の榊原定征(さだゆき)氏にも同じことを望む。
 米倉さん……、今後は健康等に御自愛を。

☆☆☆☆☆

追悼文は書いたと思ったが今見当たらず。2013年米中問題で、米倉さん、緒方貞子さんの話も可能ならば、正式公開の時に追記しよう。

(3)カメラメーカーに物申す(進言)。
今はニコン・キャノン・ソニーの争いにあらず。VHS対βと同様の規格争いが訪れた。
即ち、カメラ対スマホである。規格争いは絶対的な物。DVD+RAM、DVD-R、DVD+Rなども同様であった。ここを勘違いし、安易な道に活路を求めることは愚策である。そして今愚策がまかり通り、それがキャノン・ニコンの業績低迷に繋がっている。ニコンの諸君は勘違いしていたが、私はカメラマンよりも政治経済専門家である。後者から進言をしよう。
スマホが科学技術に与えたプラス面とマイナス面も記そう。


(2021/01/08 6:27追記)

予定を変更し、(2)の追記が長くなったため、今回は上記の(2)だけとする。下記の(2)は本来『日本のフィクサーME・パート3』(2014年~15年)に該当する範囲である。なお、(1)と(3)もメモのみは今回掲載している。

(2)経団連会長の話。
私が経団連トップと話が合う訳がないと思っていた。ところが、経団連が日本経済団体連合会となった頃から経団連のトップとの会談が多くなる。
最初は、筑紫哲也氏の番組で奥田碩(経団連会長時→2002年5月28日~2006年5月24日 :トヨタ自動車会長)氏を見たときである。筑紫氏を通して紹介というか、ただ拝見したという程度である。
なお、奥田氏が会長のときに、関学先輩の森下洋一 (評議会議長→2003年5月27日~2006年5月24日:松下電器産業会長)氏が評議会議長となっている。


次に御手洗富士夫(会長時→2006年5月24日~2010年5月27日 :キヤノン会長)氏が登場する。御手洗氏は、私が政経の専門家である関係で1990年代から注目していた人物である。同時に、私もかなりカメラ・写真にこだわっていた関係で昔から興味をいだいていた人間であった。

まだ御手洗氏が経団連会長となる前に、ソニーの出井伸之(1937年11月22日 – )氏と対面したような気になったことがある。2000年代前半のことである。出井氏は早大政経学部先輩のみか、誕生日が私と同一という珍しい関係の人である。

私が、これからはキャノンがでてくると言った。だが、その頃はキャノンがまだ注目を浴びるまでにはなっていなかった。そこで出井氏が「キャノンは…さておき、シャープだろう」と言っていた。しかし、私の予見通り、後に急速にキャノンがでてきた。

そして、御手洗氏が経団連会長となる。御手洗氏は中央大学卒業であり、旧帝大関係以外、ましてや私大卒が経団連トップとなったのは初めてではないかと思う。私も関学、早大と私大卒であり、同時にカメラも商売道具の一つから興味を持っていた。しかし、御手洗氏との顔合わせは後の米倉会長を待たねばならなかった。御手洗氏が経団連会長となったことはキャノンの悲劇であった。一つは御手洗氏の経営手腕がキャノンから消えたこと、もう一つはキャノン包囲網が築かれたことである。今回は本題から外れるため、この話はしない。


本題に入ろう。
 米倉弘昌(会長→:2010年5月27日~2014年6月3日:生存→1937年3月31日 – 2018年11月16日:住友化学会長)氏が登場してくる。
米倉さんも、大企業出身でないということで経団連では異端と思われていた。米倉さんが経団連会長になるや、民主党政権が誕生する。その頃何度か御対面をしていた。
しかし、米倉さんが、私に大変興味を持たれた時期は、多分、第二次安倍政権時代からではないかと想像している。若しくは、尖閣国有化前後からであろう。
米倉さんは財界の総理であり、中国に拠点を置く日本企業問題、あるいは対中貿易問題を常に考えていたように思われる。

尖閣国有化問題で日中関係はギクシャクするのであるが、第二次安倍政権となり、更に関係が悪化してゆく。中国に権益を持つ日本企業は全社が頭を抱えていたのではないかと思う。
そして、麻生氏、安倍氏の靖国参拝が日中関係を更に悪化させてゆく。
この辺りは問題が多いため、5%嘘(うそ)を入れた「日本のフィクサー・ME」(パート2)として記そう。
☆☆☆☆☆
布袋(ほてい)
ボン、安倍晋三氏が靖国参拝したからといっても小泉総理と同じではないか。それにも拘(かか)わらず、どうして小泉総理と安倍総理に対して態度が違うのだ。

ボン:
小泉総理のときの靖国参拝を思い留(とど)まるように必死に説得した話は拙著『日本のフィクサーME(下巻)』(Kindle、KOBO各百円)に書いている。
しかし、小泉氏の靖国参拝と安倍晋三氏の靖国参拝では、ボクには違いが幾つかあるように思えて仕方がない。
小泉氏は総理になる前の公約の関係から靖国参拝に固執したように思える。同時に、心底、故人を偲(しの)ぶというかそうした感情があった。

安倍氏の場合にも幾分かはそうした感情もあったであろうが、見ていると「中国め、これでどうだ…」という中国をいわばからかうような雰囲気が見られた。
若(も)しくは、「尖閣国有化などで民主党時代にガタガタ言ったな。ボクは民主党みたいな弱虫ではないところをみせてやる。麻生氏が靖国参拝でガタガタ言うならば、今度は総理であるボクが行ってやろう」という雰囲気に思えた。


明神:
それでは挑発外交というのかい。そんなことをすると日本企業が困るだろう。


はかせ:
安倍様は日本企業よりも、メンツを重視なさる。
だから、2019年には、日韓の聖域に手をだされなされた。経済制裁ですな。これをやるとお終(しま)いですな。
日本企業の一部が頭を抱えますな。
日韓の間では幾ら揉(も)めても双方の経済問題だけは手をつけてはならないという不文律がありましたからな。

しかし、安倍様が裏では懇意に思っていた朴槿恵氏が退き、文在寅氏が大統領となられ、今度は本当のセメント喧嘩(げんか)となられた。そこで、憎き文在寅氏に一泡吹かせようと2019年の夏に経済制裁をなされた。その直前にはトランプ大統領が訪韓した直後に金正恩氏とトランプ会談があったため尚更、怒り狂っていたのでしょうな。

同様の形で中国にも怒り狂っていたのでしょう。
「中国が尖閣、尖閣というならば、一つ靖国に行ってやろう、これでどうだ、参ったか」と


明神:
もっとも、2019年6月に年金2000万円問題で支持率が急落しかけていたので、2019年7月にナショナリズムを煽(あお)り支持率回復という狙いもあっただろうけれどね。


ボン:
その頃の模様を岸田氏が書いていたのでそれを引用しよう。

☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆
岸田氏「首相訪中、夢のよう」13年は“開戦前夜”
毎日新聞2018年10月25日 22時18分(最終更新 10月25日 22時18分)
https://mainichi.jp/articles/20181026/k00/00m/010/190000c
☆☆☆☆☆☆
岸田氏は、尖閣諸島国有化(12年)直後の外相就任当初の日中関係について「中国艦船による自衛艦への(射撃用レーダー)照射事件(13年)もあり、ボタン一つで開戦するギリギリのところまで来ていた」と指摘。
「当時は首脳会談どころか外相会談すら開けず、先方の宿舎に押しかけて会談を迫ったこともあった」と明かした。また、「せっかく会談に引っ張り出しても、冒頭発言はなくお互いにらみ合い、マスコミが出た後から発言が始まる状況だった」とも語った。【浜中慎哉】
☆☆☆☆☆☆
気が向けば一言【政経】№98・日本のフィクサーME・パート2:付録編・2013年世界の情勢と私・1
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/944/
☆☆☆☆☆☆


布袋:
ボクは確かに保守本流だ。
しかし、それでは中国と取引している日本企業が参ってしまうではないか。
国益に反する可能性がある。
それで米倉経団連会長がボンに興味を持ったのか。


ボン:
その前からボクに興味を持っていたみたいだ。菅直人総理のときの温家宝首相と菅直人首相の間に入ったりしたからね。しかし2013年は日本企業にはかなりきいたね。
緒方貞子さんが、その頃、日中関係の調整をボクに頼んだらどうかと真顔で言っていた。
ここは、安倍氏がボクに対して警戒心をもっていても、国策上、ボク(ボン)に仲介を頼んだらどうかとね。


明神:
それでも、ボンちゃんがサー、絡まなくても、日中問題は解決したではないか。
どうして解決の方向に向いたのだ。


ボン:
それは「日本のフィクサーME・パート3」で記すけれども、ミスターオバマの関係が強いと思う。多分、2014年の訪日のときだ。
2013年は、日本のフィクサーME・パート2や今回の「2013年の真相」で記すように、まだオバマ大統領とさほど親しくないときだ。それがこの「2013年の真相」だ。

小泉純一郎氏がミスター・ブッシュのときには、総理の靖国問題などアメリカは何も言わなかった…と言っていたけれども違いが三点ある。

一つは岸田氏が述べているような情勢問題だ。
二つ目が先の如(ごと)く、挑発外交問題だ。
三つ目が、ボクの想像では安倍氏はミスター・オバマと取引をしたという仮説だ。

2014年春のことだ。
まだ、ミスター・オバマと今ほどしたしくないときだ。
ミスター・オバマが来日したときに、尖閣問題と安保条約についての問題に関して、ボクは言った。

国務大臣が次のように言っている。
「アメリカは尖閣は日本の領土と認識している。安保条約第5条は日本の領土が攻められたならばアメリカは日本を守ると記している。だから、尖閣は日米安保条約の対象となる」、と。

するとアメリカ大統領は次のことを言うだけで十分であろう、と。
即(すなわ)ち、「尖閣と安保条約については、国務大臣がアメリカを代表して、アメリカの見解を既に述べている。それで十分である。
ともかく、日本と中国とでよく話し合って問題を解決してもらいたい」と。

しかし、ミスター・オバマは、アメリカ大統領として、国務大臣と重複発言を2014年春にしている。重複である以上、中国を刺激するため、敢(あ)えて言う必要はない。
何故、言ったのか。
ボクの想像では安倍晋三氏との取引だったのではないか、と。
つまり、総理の靖国参拝を思い留(とど)まってほしい、その代わり、尖閣については国務大臣が既に言っているため、中語を刺激することになる、アメリカ大統領の口から言う必要はないが、敢(あ)えて言おう。

要するに、あえて中国を刺激することになる言動をしたことに何か意味があると思う。
もし、靖国参拝自粛とバーターでなくても、何か意味があったのだろう。
同時に、安倍晋三氏が靖国参拝を自粛したのも何か取引があったと思われる。

この話は『日本のフィクサーME・パート3』で語ろう。再度言えば、ボクがミスター・オバマと親しくなるのは2014年以降の『日本のフィクサーME・パート3』からである。パート1該当の既に出版している本では、2012年頃までであるから、温家宝氏などとの関係上、まだ中国と近い頃である。
パート2で5部5部となる。


明神:
ボンちゃんはサー、それで納得したのかい。


ボン:
アメリカ大統領がアメリカ国務長官と同じ発言をするのは当然である。しかし、重複しているならば、敢(あ)えて中国を刺激する形となる言動は本来は不要である。
しかし、ミスター・オバマにはミスター・オバマの考えがあったのであろう。
その考えの候補の一つが総理の靖国参拝自粛だ。
違っているかもしれないが、何か、ミスター・オバマに目的があったのだろう。

それでも次のことだけははっきりと言っておきたい。
尖閣は(野田内閣では20億円で買い上げたが)、本来は4800万円の島である。
1970年代に、尖閣列島の所有者が別の所有者に売ったときの値段が約4800万円と聞いている。
4800万円の島を巡って、アメリカ兵が一人たりとも死ぬことはあってはならない。勿論、日本の自衛隊員が一人たりとて死ぬこともあってはならない。
中国の軍隊が一人として死ぬこともあってはならない。

ミスター・トランプ流の商談で考えても分かる。
アメリカ兵や自衛隊員の逸失利益は1人ですら4800万円ではすまない。もし、1人死亡すれば、まともにそれを補償しようと思えば1億円以上である。
ましてや、尖閣列島は無人島である。
4800万円の無人島を守るために、何億円という損害を被るのはトランプ流の商談にすら反している。

ミスター・オバマ流では更にそこに人権問題(米軍などの兵隊の人権問題)が加わる。

幾ら安保条約との関連があっても、4800万円の、しかも無人島を巡って、誰一人すら死ぬことはあってはならない。
これがボクの見解だ。
詳細は『日本のフィクサーME・パート3』で記そう。

逆に言えば、論理矛盾を解決するためには、尖閣を巡って紛争が絶対に起きないように担保することが不可欠である。

日中問題でトゲは二つある。総理の靖国参拝と尖閣問題である。
この問題は、今回はここまでとしよう。

後に、二階俊博(1939年2月17日 – )氏が自民党幹事長となり、更に、日中対立は緩和される。そしてミスター・トランプ登場で、米中関係が最悪となり、日中が更に更に関係改善に向かいかけたようである。

新経団連になってから、4代目の榊原定征(会長→2014年6月3日~2018年5月31日:東レ会長)氏のときは、多分、もうミスター・オバマが総理の靖国参拝問題のケリをつけた後で登場したので、日中関係が2013年ほど険悪でなくなっていたため、米倉さんのときほど、私に接近をしてこなかったのであろう。おまけに二階氏登場で、かなり楽な時期に会長をされていたということもある。

それでも米倉さんを間にいれてなど、何度か御対面をしている。学生の就職活動問題などではかなり話があったように思われた。

その後、中西宏明 (会長→2018年5月31日~:日立製作所会長)となる。中西氏から、経団連トップとの御対面はなくなった。
中西氏のときは、ミスターオバマの行動、二階氏の存在と行動、ミスター・トランプの反面的役割で、日中問題などが天国状態で登場したため、私の必要性を感じなかったのであろう。私の方も一文にもならないため、それで良い。
しかし、日韓関係で、政治が絡み、日本の企業や店が困れば、財界の総理として本当は頭を痛めなければならないとも思う。文在寅氏と私の関係などは記すまでもなかろうに。
もっともEUでも、…東南アジアでも、やがて南米どころかアフリカでも、私の存在に気づくときがこよう。本当に、経団連会長が日本の企業の躍進を願っているならば…の話である。そうでなければ私の存在にはきづくまい。


2018年は超多忙やトラブル類のため、米倉氏逝去の際に追悼文を書けなかったことを心残りに思っている。

(1)と(3)のメモ。

(1)と(3)は次回の「2013年の真相№8」のときの追記か、いつか暇ができたときの単独記述で記そう。(メモのみ下記に掲載している)
(1)のメモ。
世界遺産→この原稿を記載時ですら、2014年野麦検討するや、富岡製糸工場が世界遺産。2014年萩に行くや2015年萩が世界遺産。2016年長崎に行くや2017年長崎が世界遺産。2017年上京の際、催眠で日光へ行けであったが、妨害多く、かつ仕事と無関係のため行かず。後に日光がその頃世界遺産に名乗りをあげていたと聞く。それならば無理をしてでも行けば良かったかもしれない。世の中、持ちつ持たれつである。

私と関係した企業
福武書店(後のベネッセ)→蜜月時ボーナス12か月も。数年前株価4800円。私がトラブルブログに同社による被害を掲載したのが原因か否か不明も今(2021/01/08)2005円。

ダイイチ→取引があったころ日の出の勢い。後に私がベスト電器と付き合うや、合併の繰り返し。
ベスト電器→蜜月時、家電業界№1。諸事情で付き合いなくなるや今日。
ニコン、1995年頃から付き合い、1999年株価900円、後にデジタルカメラ一眼レフ世界一のシェア、2013年訪中前に同社へ、そしてニコンロゴベストで訪中時、株価3000円を軽く超える。後に誤解からトラブル…株価が暴落で2014年頃2000円前後。和解と思い行くや更に誰かが仕掛け…で今(2021/01/08)712円。
勿論、デジタルカメラ業界不振で…と。だが二点言おう。私が関わったほぼ全社でこうした現象が起こるのは何故か。次に、カメラ業界全体不振…私がカメラ関連相対的に控え目にしてから。私が格闘技番組見まくるや、ひいきの新日本だけではなく、K1も、Prideも全部大反響。即ち、私自身がデファクトスタンダード争いや規格争いに強い影響力を持っている可能性がある。2013年以前の世界遺産と私の動きは2014年以降よりも凄い。

ちなみに、ソニーと少し2014年頃おかしくなった時あったがその時の株価が1700~2400円で低迷。その後誤解が解け、ソニー社長の平井一夫氏が辞めるときは株価6000円超過。今(2021/01/08)ソニー株価10440円。勿論ゲームで当たり…その後株価バブル…もあろうが(もう私とは完全無縁であるが、バブル故はじけよう…が)、2014年頃のソニー低迷時は…いずれ記そう。同時に、私が関わった全社で起こるのは何故か。個々の要因があっても全てで起こるのは。数十社以上で、例外は一つのみ。ジャストシステムだけが使用しても低迷したときがあった。今は順調ではあるが。後例外なし。いずれ分かろう。

私以外の個々の要因があると言っても、では全社全部で、更には規格争いで…は何故か。


(3)の提言も急ぎたいが後日。

カメラ一眼レフは方向を間違えていることの指摘など。同時に、今の争いはデファクトスタンダード争いであり、間違えた方向にゆきつつある。そこでニコンが低迷すれば、キャノンも低迷することになる。キャノンの株価は本来5000円である。最低でも3500円が底。要するに3500円~5000円が本来の姿と考えていた。今(2021/01/08)は1800円~2300円と予測して見ると、1967円であり、予測の範囲内ではあるが、ビックリした。

秋葉原の電気屋は各店で競争せねばならず。その前に秋葉原自体を繁栄させねばならず。
2014年頃、キャノンが3500円、ニコンが1700円~2200円、ソニーが1700~2400円、タムロンが2000円前後の記憶がある。
ニコンなら半導体云々…もあろうが、ソニーならば逆にゲーム…もあろうが、それでは私との絡みで全社が…は何故か。個々の要因とは別に私というファクターが…。
ノーベル賞でも山中伸弥氏のIT細胞支援上、ノーベル賞は早めに…と言うと本当に実現。世界の歌愛の賛歌で「歌の歌詞も芸術」と2016年10月3日頃から10月上旬にかけて言えば、その年にボブ・ディラン(Bob Dylan、1941年5月24日 – )がノーベル文学賞。2016年ノーベル文学賞。
東京オリンピック誘致賛成にまわれば、誰かが「神風が吹いた…」と喜び、やがて、東京が正式に決まる。ただし、オリンピック本年予定通りについては、私はそれは医学や世界が決めることという立場で本年是非とは絶対に言えないし・言わない。「奇跡が起こり…可能になれば」は相当数の人が思うであろうが、私は奇跡を起こした事例はないと思うが…。


 

β(真ん中本体・原則小学館に送付したまま)



強行軍ではあるが気分は爽快であった。もっとも、トラブル時を除けばの話である。一貫して続いたトラブルの中から、三例のみ記しておく。

一つは、途中で突然他の一行が隠れるが如く姿を消し、迷子になったことである。ここで一言釘をさしておいた。馬ーさんを呼び、「私は、迷子になり、もう帰られないため、中国に永住しようかと思っていたところだ」と。これで、馬ーさんは、私の身辺警護の面倒さから大人しくなった。と、このときは思ったが、後に述べる大イベントが待ち受けていた。

二つ目はホテルに絡めたトラブルで、これは帰宅直前まで続いた。その理由の中には面白おかしくなどの演出もあろうが、別の目的もあったようである。別の目的とは、私一人での外出心理をなくすことにあったと思われる。特に、ホテルのトラブルが酷かったのは杭州であった。カード型の鍵であるが、ちょっとやそっとでは開かなかった。カードを変えてもらっても同様であった。杭州のホテルは街中にあったが、鍵の件で外出心理はなくなり、コンビニに日に一度行くのが関の山であった。この件で、Y氏が、「何故だと思う」と尋ねたので、私は答えた。
「もし、上海のホテルが人里を離れていれば鍵は開くであろう。もし、そうでなければ同じことになるだろう」
「では、上海のホテルを楽しみにしておきましょう」

上海のホテルは郊外にあった。よって、鍵は簡単に開いた。蘇州のホテルもやや郊外にあった。そこで鍵は杭州よりは開きやすかった。
ただし、蘇州のホテル界隈も上海のホテル界隈も、私が外を歩くときには人っ子一人としていなかった。幾ら校外とはいえ、上海などは軽く一千万人を超える大都会である。それでも、ホテルからコンビニを往復する道中、誰一人として会わなかった。蘇州も同様であった。上海のホテルに二日、蘇州のホテルに二日の合計四日間は、私が一人で外出するときには、誰にも会わなかった。


三つ目は些細なことであるが、杭州のホテルのかなり高額と思われるボールペンを迂闊にも持ち帰ってしまったことである。ボールペンにはホテルの名が刻んであった。浙江百瑞国際ホテル(BRAIM INTERNATIONAL HOTEL)、と。気がついたのが上海のホテルに行った後なのでどうしようもなかった。
ただし、誰かが私の鞄かポケットに入れた可能性もある。と言うのも、杭州のホテルに来る前に、蘇州のホテルに備えてあった絵葉書を持ち帰っていたからである。後者は確信犯である。そこで、私に盗難癖があるかどうか試してみようと思ってやられたのではないかと想像している。蘇州のホテルの絵葉書を堂々と持ち帰った理由を拙著「旅行記」より引用する。


【📷ホテルの写真】ホテルの支配人よ、トラブルが解決したならばボールペンを返しに行くので待っててくれ。

杭州のホテル:前が開かずの鍵:2013年5月11日零時頃写す。この後、起床後の準備(資料に目を通す、カメラ類の手入れをする。)📷№13-028-1

杭州のホテル:📷№13-030-1:金が入ったらボールペンを返しに行くからね。

 



―☆☆拙著「旅行記」より引用☆☆―
この朝、ホテルのポストカード(フリー・無料)をこのホテルに滞在した記念に持って帰った。勿論、このポストカードが欲しい訳では一切ない。何故ならば、私の写真の相当数がこれらのポストカードよりも質が高く、おまけに自分でポストカードを幾らでも作る器財と技術を習得しているからである。
私は水俣でも、タイでも、その他のホテルでも、備付けのポストカードやホテル入り口にある無料のパンフにイラストなどがあれば持ち帰ることにしている。目的は、「旅に心を求めて・教材編」の如く形で、イラスト地図の中で使用するためである。ホテルなどにすれば、私が世界中に、そのホテルや観光地のCMを無料でしているのと同様でしかない。
また、当然、これらは無料で、自由に使用して良いとなっている。……イラストも自分でつくることはできるが、そのホテルの特徴やコンセプトを紹介するためには現地の人が作ったものが良い。絵葉書(も)……現地の人がどこに焦点を当てているか、現地を見るため……である。

杭州で夜写した写真。微手振れが痛い:📷№13-028-139-ami:もう8年前。この子も20才程度か。光陰矢の如し。



因みに、私が一九八八年に訪問した石見銀山を例にとろう。私が訪問したときには観光客は私以外はゼロ人か、途中で一人見たかどうかであった。炭鉱跡は整備されておらず、鉱山の中にも入れず、鉱山の中には電気は一つもついていなかった。それが私が何度か訪問した後で、客が増えるのみか、世界遺産にすらなった。五箇山も同様の可能性が高い……。それが、今や世界遺産である。松代大本営跡の代表的な一つの洞窟では、私が訪問した一九八九年には、洞窟には電気一つなく、コウモリがいた。調べていないが今は違うであろう。その他でも……、私が行った地でも一億円以上の予算を投入して、観光化された地は多い。
【📷:松代大本営跡:私の最初の訪問(1989年)】(この数ヶ月後から一般公開に踏み切る)

日本の松代大本営跡:1989年6月にコンパクトカメラで撮影。灯りはフラッシュをたきまくり、その灯り。中は真っ暗。こうもりが飛んでいた。:📷№89-007-01

この辺りで足をうち、後に親指の爪が全部とれた。痛い。叫んでも誰もいない。真っ暗。上はこれ、下はこれ。貴重な写真。通常公開はしないだろう。危険すぎた。が、おもしろかった。松代大本営跡:📷№89-007-08

大きく変貌の松代大本営跡。2015年5月23日に再訪すると完全細微されていた。まさに私が行く前と後。Before、After。聞くと、私が訪問した直後完全公開が決まり整備に入ったそうな。📷№15-014125

【📷:松代大本営跡:私の再訪問(2015年)】(この原稿を書いた一年後に再訪問。まさに所ジョージ氏のBefore Afterの世界である。)


ただし、土台に適切な観光資源がなければ一時は流行っても潰れるであろう。それは私の責任ではない。……なお、チボリ公園は経営危機のときに、暗に私を誘導しようとしたことがあった。私の所属している写真サークルを通してである。入場料は通常は数千円であり、我が家からチボリ公園往復交通費(バスとJR交通費)は三千円以上する。それが、ラーメン屋の食事付きで、我が家までの完全送迎で、全費用千円という条件であった。だが、私はチボリ公園に倉敷市・岡山県が関与したのは間違いと政治批判していたため、一切参加しなかった。
要するに……合法で問題ないのみか、WinWin……である。そこでポストカードを一枚のみ堂々と持ち帰った次第である。……

なお、……杭州のホテルのボールペンを、上海に着いた後で、私が持っていたのが分かる。これはマナー違反であり、私がする訳がない。第一、我が家にはボールペンは現在でも百本くらいあり、ホテルのを取ることはない。これは良くなく、万一、杭州の同一ホテルに泊まる機会が将来あれば返却予定である。ボールペンは取ってはならない備品であり、ホテル備付けのホテル名・連絡先記入のポストカードとは異なる。……ただし、壊れたりインクが出なくなったりすれば、我が家で永久保存であり、捨てることは絶対にない。……使えれば返却をしたい。通常の人とは逆の考えを持っている……。
―☆☆引用終了☆☆―


私のCM効果などは、昔は思いもしなかった。今でも不明な点が多いが相当効果があるように思われる。私が過去関連した学校・企業を少しだけあげてみよう。
まずベネッセである。ベネッセの前身・福武書店は福武哲彦氏により創業された。彼は、私の父の岡山(高等)師範の一年後輩である。当時は寮のため、父とは知り合いであったと思われる。私はそれを知らずに、全く別ルートで同社の進研模試の作成・監修をし、また関連予備校の教壇に立っていたことがある。
哲彦氏の方は知っていたのか、私を名指しして、忘年会等の後でスナックなどに同伴するように言われたことが数度ある。ともかく、福武書店と良き関係を持っていた頃は、同社は日の出の勢いで伸び、ボーナスも年十二箇月という時代があった。ところが、その後何年もたち、哲彦氏も亡くなった頃、この福武の後身ベネッセで労基法違反に遭遇し、ベネッセと縁を切った。すると、ベネッセは二〇一三年にはブラック企業リストに載るような会社となった。それでも、訳ありで私に労基法違反をしたと弁解するかのように、後のベネッセ社長に、私の高校時代の同級生・福島保君を持ってきた。

駿台予備学校も、私が在籍した一九八二年から一九八七年はこの世の春を謳歌していた。私がバイトで教壇に立っても、夏休みなどは五十分一万五千円の単価であり、六時間教えれば手当を含めて一日で十万円となる。別に出張旅費・ホテル代・新幹線グリーン車料金が支払われ、ホテルでの飲食費は駿台持ちと言われた。原稿料・打合せ料などは勿論別途支払である。その他にも、南座顔見せ興行券が送付されてきたり、各種接待があったりした。パーティでは舞子さん・芸者さんに酒をついでもらったこともある。しかし、私が辞めた今、駿台は当時に比べて相当落ち目となっている。当時は今よりも学生数は少なくとも、東大合格者を毎年千五百名以上だしていた。今は違う。
ベスト電器も、私と付き合いがあった頃、業界トップとなり、都合で付き合いがなくなると、現在の如くとなった。

(旧)労働省系大学校も同様である。専任前提で招聘されたが、私が赴任した当時は推薦入学を多投しても定員百名に対して六十人余りしか集まらなかった。それが、私が辞める一九九七年度は、合格者ではなく入学者だけでも約百五十名くらいの水増しとなっていた。辞めてから十年以上たった今日では、再度、推薦抜きでは全く人が集まらず、推薦でほぼ全員を通しても定員割れかどうかに逆戻りした。
そこで労働省系大学校二十八校のCM役として、専任を餌に私を騙して、労働省系学校群に監禁したのではないかと疑っている。専任前提という条件がなければ、当時引く手あまたの就職口があった私を呼べないからである。これ以上引きずると危険というときに、巧妙な手口で退職を迫られた。労働省による明白な詐欺である。

私が使用しているカメラのニコンでもCM効果があったとしか思えない。私のCM効果で一九九九年から二〇一三年五月までに、売上げ面で二千億円以上上乗せできたのではないかと想像している。尤も、これは消費者と生産者は持ちつ持たれつの側面があるためどうしようもない。ここが労働者と経営者の関係との違いである。
分かり易く言えば、パソコンの某データベースソフトを使用している人にとって、その企業が倒産すると大変な目にあう。ソフトの再購入ばかりか、新しいソフトの技術をマスターする労力、更に、データ互換でもレポート面などは全てやり直しとなる。そこで、企業が潰れると消費者も困る職種が山ほどある。
一眼レフカメラも、マウントに制されているため、そうした側面がある。そこで、ニコンにHP経由で、メール経由で、手紙経由で、親しい社員に年賀状や手紙経由で、サービスステーション経由で各種注文をつけた。例えば、他社がテレ側のみ手ぶれ防止をつけていたときに、テレ側ではなくワイド側に手ぶれ防止を等々と。暫くして、VR24~120が登場し大ヒットし、次にDX VR18~200等も同様となった。注文をつけた商品の約八割以上をニコンが作り、そして大抵それらは大ヒットした。よって、私も助かり、ニコンも助かりである。

株価でも、因果関係が見られた。一九九九年頃のニコンの株価は九百円台であった。シャープやパナソニックとほぼ同一であった。この頃、キャノン五千五百円、ソニー三千五百円、TDK一万円以上であったと思う。二〇一三年六月ではニコンは二七〇〇円、キャノンが三千円台、ソニー二千円前後、TDK二千円台、タムロン二千百円、シャープ四百円、パナソニック八百円くらいである。尤も、中国から帰国しシグマレンズで揉めた頃から、何故かニコンの株価は低迷し、今日に至っている。因みに、私がニコンのロゴ入りカメラマンベストを着て中国を歩いたことにより、今後反日暴動が起こっても、ニコンが被害に遭う確率が僅かではあるが減ったかもしれない。(また、こうした形で訪中したときにはニコンの株価は三千円を超えた。)
【📷】?掲載

インタネットで見つけた画像。調査すると出所は「産経新聞」のよう。下記に該当と思われるアドレス添付。出版の際は著作権問題から使用できない。
ただ、一言。私はニコンマウントに制された人間である。しかし、安倍晋三氏は御手洗氏とゴルフ等をともにしている。ならば、ここはキャノンのカメラを持つのが人情とか義理と、独り言を当時言った。御手洗氏はキャノン創業家の人間であり、キャノンに愛着をもっている。自社のカメラを褒められると、どんなに嬉しいであろか。
 また御手洗氏はカメラに愛着をもっている。それが私が御手洗氏に関心を寄せた理由である。

インタネットで写真だけが一人歩きを使用したが、多分出所は以下であろう。

安倍首相、日米会談の写真にサイン 報道写真展を観賞

「産経フォット」2017.12.24 20:22

https://www.sankei.com/photo/story/news/171224/sty1712240013-n1.html

これは2017年12月24日の写真のようである。この後、ニコンの株価は少しあがる。競争相手のキャノンは相対的に不利になる。本当にカメラ愛好家ならば仕方ないが、パフォーマンスで総理が…はこうした面も常に頭に…。
 もっとも私がニコンのカメラロゴベストをつけて訪中したときにはニコンの株価は3千円を軽く超えた。しかし、私は私人であり、カメラは商売道具であり、何よりも、マウントに制されているのである。そのマウント問題を無視したカメラ業界にもその責任はある。
 車などはデファクトスタンダードがある。カメラも本来マウント問題で共通項目を持てば(マウントフリーならば)良いカメラ・良いレンズに移動できる。企業間競争も質が違ってくる。そして、私の件はマウントに制される状況を放置したカメラ業界に問題がある。ハイレベルユーザーは泣いている。マウント…はニコン・キャノン・ソニーならば分かろう。
 私の独り言が聞こえたか、安倍様は素敵な笑顔。私ではこの笑顔は無理…。


尤も、キャノンの御手洗さんが日経団連会長となった頃から、要望やアドバイスはカメラ関係者全員が分かる形で行うように変えた。例えば「常用感度はボケや被写体ブレ撮影などで低感度も必要なため、ISO200とせずにISO100からとすること」等と、写真をつけて価格ドットコムなどに投稿し、全カメラメーカーに分かるようにした。その結果、D800を含むハイレベル機種はそうなった。
何故、全メーカー宛にしたかは、厚生労働省問題等で日経団連会長等と意見交換が必要となったときに、私がニコンべったりでは支障を来すからである。それ以外でも、この間に膨大な経営者との柵(しがらみ)ができたからである。何一つ貰っていないが、政治・経済全般の話をするときに、一企業商品だけを持っていると支障を来すからである。ただし、最近は、企業間戦争に巻き込まれたくなく、全体としても商品に関する要望はほとんど出すことは止めた。

経団連歴代会長:インタネット画像:出典はどうも毎日新聞のよう。出版の際には著作権侵害になるため未使用予定。
私はたまたまニコンマウントに制されたが、御手洗富士夫氏には1990年代から関心をもち、カメラ仲間的意識をもっていた。
経団連会長とは奥田氏から御対面が多いが、米倉さんとは良好であった。また榊原氏とも一部意見があうこともあった。中西氏以降から御対面がなくなった。


しゃぼん玉石鹸は一九九〇年代からその理念に賛同し、あらゆる所で、勝手連型でCM役を買って出た。当時は通販でも一社しか扱っておらず、ドラッグストアは言うまでもなく、健康をうたった店や生協ですら扱っていなかった時代である。それが、創業者や今の社長・社員の努力が主であるとしても、日本では知らぬ人がいない時代となった。勿論、しゃぼん玉石鹸の社員や社長がこうしたことを知る訳もない。しゃぼん玉石鹸の方は私の勝手連型対応である。何故、私がしゃぼん玉石鹸に関心を持ったかは、各人で同社のHP(ホームページ)を見て、石鹸に関して調べていただきたい。
これらを総合すると、私のCM力はあるのかもしれない。ただし、企業との付き合いは、ルールに基づいてのみとする。


中国五日目と六日目は上海界隈となる。五日目はホテルを八時半(現地時間七時半)に出発し、西塘、七宝古鎮を回り、船にて食事をした後で、新天地・外灘にて上海シンボルタワーを見る。最後に田子坊を見学して、二〇時十分にホテルに戻る。
【📷:上海タワーの写真】



六日目は魯迅記念館・公園、シルク工場、豫園と豫園城跡、上海博物館、ラテックス寝具店を見学する。最後にタイのショーを見ながらレストランで食事をし、夕日とともにホテルに戻る。ホテル着は十九時四十六分であった。それから、帰国準備をし、翌日、日本に戻る。なお、ホテルは上海虹橋金古源豪生大酒店である。このホテルで、中国首脳部との会談をするとは思いもしていなかった。会談に至る模様を第4節で、会談内容を第5節で記す。