G20-世界の首脳(4)南ア・ズマ(Zuma)大統領

G20-世界の首脳(4)南アフリカ共和国・ズマ(Zuma)大統領。

 


【構成】
 (1)南アフリカ共和国の一般概況
 (2)南アフリカ共和国紹介
 (3)南アフリカ共和国の歌
 (4)南アフリカ共和国大統領
(5)その他
※(参考)南アフリカ共和国は本年2月に、私の「今月の歌」で南アフリカ共和国特集している。現在は閉館し、次年度1月に2016年特集として公開予定でいる。



(1)南アフリカ共和国の一般概況(英語: Republic of South Africa)
①外務省→南アフリカ共和国
一般事情→http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/s_africa/data.html#section1

②ジェイコブ・ズマ(英語:Jacob Gedleyihlekisa Zuma、1942年4月12日 – )大統領(2016年7月30日現在)。
(写真はズナ大統領関連Facebook・Jacob Zuma for President (STILL MY CHOICE)から借用)

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【関連データ】
③外務省(ターンブル氏についての外務省PDF・日本語)→なし。

④ウィキペデイア→南アフリカ共和国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD



⑤ズマ大統領の発信情報
(公式ではなく関連)Facebook・Jacob Zuma for President (STILL MY CHOICE)→
https://www.facebook.com/groups/sapresident/?fref=ts

公式Twitter→
https://twitter.com/SAPresident
https://twitter.com/Pres_Jacob_Zuma

South Afrrican Government 公式サイト http://www.gov.za/#16  (英語)

⑥私のHPでのズマ大統領若しくは南アフリカ紹介箇所
現在(南ア関係)→安らぎBlog「2016年2月の歌・南アフリカ共和国の歌特集にあたって」
http://h-takamasa.com/Blog/?p=1708

過去には「今月の歌」2016年2月に特集)
http://takahama-chan.sakura.ne.jp/custom29.html(現在閉館→来年1月に一気公開予定)


(2)南アフリカ共和国紹介

Spectacular South Africa 2016 (音楽と南アフリカの映像のみです:約3分)


23 Amazing South African Facts (8分・地図・イラスト・英字幕もでます。画質も良いです。英語ができなくてもアフリカの風景ですので問題ありません。)



(3)南アフリカの歌(①マンデラの歌、②ズマ大統領自身が歌う、③「ライオンは寝ている」の元歌を、南アフリカ出身の歌手マッキーバーが歌う)
①MANDELA SONG


②Zuma sings controversial song at Mandela funeral(Zuma大統領自身が歌います)


③”the lion sleeps tonight”a real original african versio⇒マッキーバーが歌う「ライオンは寝ている」オリジナル版



(4)南アフリカ共和国大統領および南アフリカ共和国の人へのメッセージ。


1988年1月に、刑事犯罪被害の連続で、やむを得なく、駿台予備学校講師を辞職した。そして、今後に向かい、1988年初頭から89年末にかけて、短大講師などがない日は、一日16時間の教材研究・研究・学習を行った。

その合間に、見たビデオがある。それが、『遠い夜明け』(Cry Freedom)である。ウィキペディアには次のように書かれている。

《ウィキペディアより引用》

原作の『遠い夜明け』(Cry Freedom)は、アパルトヘイト政権下の南アフリカ共和国で殺害された最も著名な黒人解放活動家スティーヴ・ビコと南アフリカ共和国の有力紙デイリー・ディスパッチ紙の白人記者ドナルド・ウッズとの交友をベースに書かれている。

ウッズは警察の監視下で密かにスティーヴ・ビコの死について調査し、それはウッズが南アフリカ共和国からイギリスに亡命後、出版された。

《ウィキペディアより引用終了》

アパルトヘイトには、駿台予備学校教壇、地方予備校教壇、その他の教壇で一貫して批判を繰り返してきた。思い起こせば、高校時代なども、アメリカのジム・クロウズ・ロウ批判や公民権運動を一貫して支持してきた。
公正と正義の世を、何よりも民主主義の世の実現をと願っている。

話を1980年末から90年初頭に戻す。その頃であったと思うが、マンデラ氏をTVで見た。私の勘違いかもしれないが、彼は私に次のことを言いたかったように見受けた。「君は、南アフリカ共和国の抱えている、人種問題などに対して、何故、世界に向かって問題提起をしてくれないのか」、と。

そのときの話は、公式Blog 『夢か現実か ― 大統領前のマンデラについて』(http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=818)に収録している。あの頃はTV類を通じて、人と会話類をできるなど夢にも思っていなかった時代である。それどころか、拙著『閉じた窓にも日は昇る』(Kindleで百円で発売中)や『恐るべき労基法違反』(PDFで無料配布中;配布場所 http://h-takamasa.com/rensai/custom.html)に記した如く、鬱病(うつびょう)を更に激しくした生きる屍(しかばね)状態であった。これらの書物をマンデラ氏が生きていて、今、読んでいただけたならば、誤解は即座に解けるであろう。


1994年以降、特に1998年以降は立場が逆転し、マンデラ氏は一国の大統領となり、私は逆に事実上幽閉の身、さらには名実ともに職業選択・営業の自由を奪われていた。私の方がマンデラ大統領に救いを求めたいくらいであった。

もっとも、その頃のマンデラ氏は、お孫さん、お子さんなどの身内の死去や、南アフリカ共和国の人種を問わず、持てる人(金持ち)、持てない人(貧しい人)などにどう対応するかで、手一杯であったように見受けられた。

しかし、彼には希望があり、そしてその希望の実現にむかって、穏やかな顔をされていたように見えた。

私の方は相変わらずの幽閉の身、職業選択・経済の自由を奪われて入るとはいえ、昨年頃から、世界に向けて発信は開始した。この文章がアフリカ共和国に届くか、それどころか世界の、多くの仲間(平和を願う仲間)のもとに届くかどうかは不明であるが、ともかく発信を開始した。

もし、今、マンデラ大統領が生きており、私が発信しているものを見ていていただけたならば、……。そして、どこかで偶然出会い、握手でもできたならば……。これらはもはや夢物語となった。

現在の如く、私の周りの対人関係をおかしくされ、他の所でも新しい友人の世界を遮断されたこともあり、私はTVなどを通じて、多くの友を得るようになりつつある。そして、その友たちがいる国・地に行きたいと思うのは当然である。しかし、現在の経済状況などでは、これまた夢でしかない。
せめて、こうして映像などで、友のいる国・地を読者とともに楽しむだけである。

マンデラの生まれた地、歌手マッキバーの生まれた地、遠い夜明けで見た地である南アフリカ共和国にも、行ける日々を夢見る。そのときは、宝籤(たからくじ)に当たったよりも何倍もうれしいであろう。


 (5)その他