夢か―2。TVでの対話2・マンデラ。

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TVでの対話2・マンデラ。


以下の文書はFacebook投稿2014年3月22日のものである。

Facebook書込No.14-006 : 『夢か現実か ― 大統領前のマンデラについて』

私のFacebookに早大の写真も登場したため、早大名誉博士の中から私が過去対談した人物の思い出を記す。該当者、約十名の中から、今回はマンデラ(早大法学名誉博士)と平山郁夫画伯(No.14-007)をとりあげる。

マンデラは1990年2月11日に釈放され、自由の身となった。彼が自由の身になってからの数年間、彼がテレビから私を見る目は厳しかった。「人権の重要性を唱(とな)えている君が何故(なぜ)、私の支援をしなかったのか」というが如(ごと)しであった。

「TVで何度も君と出会ったのに、何故、私を無視するのか」、と。こうした雰囲気は、彼が大統領になった(1994年5月10日)後もしばらく続いた。私の気のせいだったのか、事実だったのかは不明である。


もし事実ならば、それは無理である。90~93年の私は鬱病(うつびょう)を激しくしたような状態で、脳が機能せず、生きる屍(しかばね)状態だったからである。この間に起こった、ソ連崩壊などのニュースですら、政経専門家の私が一切覚えていないのである。93年の大吐血が電気ショックの役割を果たし、脳は94年からやっと機能しだしたからである。また、94年以降も、職場の労基法違反などで、私の方が社会にSOSを出し続けていた。

もう一つの理由がある。それは、TVを通じて、人と対話しているなどとは夢にも思っていなかったからである。TVを通じての対話を、かなりの事実と受け入れだしたのは小泉内閣(2001年4月)の頃からである。だから、私の原稿、『日本のフィクサー〝ME(私)〟』は2001年頃からの内容となっている。

もっとも、TVを通じて人との対話、夢か現実か―The Snowmanの世界―を、薄々感じ始めたのは95年夏頃から徐々にであるが、まだ半信半疑であった。そこで、クリントン大統領の沖縄サミット来訪時(2000年7月)には大変なことがあった(日米危機になるような!)。

私は、このときの晩餐会か何かをTVで見ていた。上半身裸で、パンツ一枚で。私の部屋にはエアコンがなく、しかも窓をあければ虫が入るため窓を閉めており、部屋の温度は35度程度だったからである。湿度も凄(すご)い。

TVを見ていると、クリントンは最初は戸惑い、次に同伴していた娘さんを気遣い始めた。当時、娘さんのチェルシー・クリントンは二十歳前後であった。正面を向けず、下を向いていた。私は、TVを見ながら、これは一体何だろうと不思議に思っていた。二十歳前後の女性が、男性の裸を見るのは、羞恥心で大変である。だが、言わしてもらいたい。自分の裸を見られる私はもっと恥ずかしい。

私の友人の逸話を紹介しよう。高校時代に、友人が修学旅行でトイレに入っていた。1969年であり、トイレの設備が悪く、鍵がかからない男女共用トイレであった。友人がそのトイレで大きい方の用をしていたときに、女子高校生がノックもせずに戸を開けた。そして、女生徒が驚いて言った。「恥ずかしい!」と。

すると、友人がトイレの中から応えた。「ワシの方が恥ずかしい」、と。然(しか)りである。彼の言うことには道理がある。私の場合でも、相手が若い女性となると、徹子の部屋で黒柳徹子の前で裸でいるのとは訳が違う。

マンデラが日本のTVでインタビューに答えていたのが、1990年~94年頃ならば、半信半疑どころか、全く、TVを通じての対話などは夢にも思っていなかったが故に、クリントン大統領(当時)のとき以上の行動を取っていたのであろう。おまけに、その頃は、私は大学の平凡な非常勤講師にすぎなかったのだから。

よって、マンデラの方は何かを私に言ったのであろうが、薄々すらテレビを意識していなかった上に、脳が機能不全の時期のため、全く、何も覚えていないのである。同じことが、金大中氏にもいえる。彼も一時、マンデラと同様の目で私を見ていたことがある。

もし、彼が2000年以前、ましてや95年以前に、私に話し掛けていたならば、そうした誤解が生じていたであろう。ちなみに、私は獄中のマンデラを一貫して支援しており、金大中とマンデラに敬意を表している者である。ただ残念ながら、両者とは、私がTVを特に意識しだした2004年以降は、全くTVですら出会ったことがない。

もちろん、マンデラが昨年病気になってからは、彼が死ぬまで、彼の病状をインタネットなどで随時調べていた。最後に余談ではあるが、マンデラも、クリントンの伴侶・ヒラリーも、私の最初の母校・関学もメソジスト (Methodist)派である。もっとも、私の家は仏教(浄土真宗)であり、私は無神論者である。

もし、マンデラと金大中が生きていて、今、テレビで、否(いな)、実際にface to faceで対面できたならば!しかし、あなたがたの意思はしっかりと私にも伝授されています。いずれ、分かるでしょう。

※【以下2015年3月12日追記】マンデラに関するメモ。

①ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ(Nelson Rolihlahla Mandela、1918年7月18日 – 2013年12月5日)。

②南アフリカ共和国第8代大統領:任期[1994年5月10日 – 1999年6月14日]

③アフリカ民族会議議長(第11代)。任期[1991年 – 1997年]

④南アフリカ共産党中央委員を歴任。

⑤その他。ネルー賞、ユネスコ平和賞、アフリカ賞、サハロフ賞、ノーベル平和賞、国際検察官協会名誉章受章など。称号には名誉法学博士(早稲田大学)など。
今、1990年頃にレンタルビデオで見た、イギリス映画・『遠い夜明け』(Cry Freedom)(1987年に製作・公開)と、1960年代のアメリカの公民権運動を思い起こしながら、歴史は後退と進化を繰り返しながら、ゆっくりと動いていると痛感する。

同時に、マンデラ氏も、アウンサンスーチー氏も、金大中氏も解放された。後は、私の番なのであるが、その兆しはなかなか見えてこない。友人が、十年ほど前に、E-mailで「明けない夜はない」といっていた。だからそろそろ、不当な人権侵害から解放されなければならない。ただ、アメリカで多くのマイノリティと出会った後で帰国している飛行機の中で、誰かがオーロラの話をしていた。不吉なことを、である(オーロラの見える所では明けない夜もあるのだから。その逆もあるが)。