日本のフィクサーME・パート3・第1章山口県の旅・第5節・萩の人間模様(萩市・2):正式公開

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日本のフィクサーME・パート3・第1章山口県の旅・第5節・萩の人間模様(萩市・2):💁正式公開

 

 

(1)著作は、原則として、十二回の見直しをして作成している
(ブログは、通常、一回程度の見直ししかしていない。)
今回の原稿は、この十二回の見直し以前の単なるメモである。
そこで、作品時点では大きく様変わりするであろう。
それを頭に入れて読んでいただきたい。

(2)この文書は、故意に嘘(うそ)を10パーセント程度いれている。

どこが嘘かは公開できない。善良な第三者に迷惑をかけないための措置である。
総論として、この文書はフィクションとして書いている。

(3)『日本のフィクサーME』登場人物のキャラクターなどは以下を参照願いたい。
安らぎ文庫>>6-1・『日本のフィクサーME・下』《『日本のフィクサーME』登場人物の紹介》
http://h-takamasa.com/book-01/custom57.html

◎風景描写→字数の関係で、メモではごく一部を除き風景描写は原則として大きく省略する。


【更新履歴】

021/11/29 1:04 ~2022/01/20 3:28までのメモが長いので二分割して、本日別に掲載している。

今日16:31 下書を分割し保存。

2022/01/27 13:24 番号の変更

2022/01/31 14:58 世界の首脳箇所に一部人名追加。

2022/02/06 23:43から分割・追記、清書化作業開始。

2022/02/07 3:21 追記と清書、更にタイトル変更して正式公開。 15:37 タイトルを少し変更。

 


 

日本のフィクサーME・パート3・
第1章1節:山口県・光市・萩市への旅(部落解放運動分裂模様から世界連邦まで)
第1章2節:山口県の旅への経緯―安倍晋三氏の影登場

第1章3節山口県への旅・伊藤博文生誕の地(光市)

第1章4節:山口県への旅・伊藤博文修行の地(萩市1)

第1章5節:山口県への旅・萩における人間模様(萩市2)

第1章6節:山口県への旅・点から線へ(萩市3)

第1章7節:オジョウの偽者登場


  写真は全部で20~30枚掲載予定でいる。ただし、写真的・芸術的価値ではなく、今回の文書・内容にふさわしい写真を選択することになる。既に何度か述べたが私はカメラマンでは一切ない。

  今回掲載の政治家関連をみれば分かろう。文書掲載時に写真は不可欠である。しかし、著作権問題があり、それをクリアするためにカメラを開始せざるをえなかっただけである。写真枚数や分量が多いため、第4節は3つに分割することにした。

《◇―5:野坂参三氏を通して、社会における人間模様を考える―スターリン時代にも思いを馳せる》

野坂参三氏の墓参り(15:59~16:36)。

道中にメモをし、帰宅直後に次の旅行記を記している。

《…逆に、野坂参三氏の墓は方向音痴の私では、ちょっとたどり着くのが難しいのではと危惧(きぐ)していた。地図を見ても大変わかりにくいのである。ところが、野坂参三氏の墓のある泉福寺(浜崎町)を目指して歩いていると、押し車の人や、車が誘導してくれるかの如(ごと)く形で、意外と簡単にたどり着けた。しかし、道は大変ややこしく、もう一度行くとなると着けるかどうか不明である。


なお、泉福寺で野坂参三氏の墓を探すが、どうしても見つからず弱り果てる。そこでやむなく本堂の方に進むとお寺の娘さんらしき人がおり、その人に尋ねると野坂参三の墓へ案内してもらえた。感じの良い若い(知的雰囲気の)女性であった。

何枚も写真を撮っているのでそれを見ること。

ただし、平凡な形で撮っており、芸術的に撮れば良かったと後日思った。たとえば多重露出を入れるなど。
なお、この寺は浄土真宗であり、吉田松陰関連の寺でもあった。
野坂参三氏の文字の横に、野坂竜氏(野坂参三氏の妻の名)の文字を見て、私の単なる直感の正当防衛論を墓の前で喋ると、遠くの船の汽笛が〝そうです〟の如(ごと)く形でなった。なお、私のこの仮説が当たっておれば、『旅に心を求めて・不条理編Part-2』は第1章が安重根と伊藤博文、第2章が「苦悩の中で野坂参三(氷点型で記す)」、第3章「ベトナム戦争と韓国」で構成する…》

野坂参三氏の墓に行くことには二つの目的があった。

一つは、拙著『旅に心を求めて・不条理編パート2』の原稿箇所のためである。即ち、主たるテーマが安重根🆚伊藤博文、従としてのテーマの中で、志賀義雄🆚野坂参三🆚宮本顕治などがあった。これらは『同上書』で記そう。

ちなみに、この志賀義雄🆚野坂参三・宮本顕治…が、部落解放運動分裂に拍車をかけた可能性もある。

第1節で記したように、志賀義雄氏は日本共産党を除名されて「日本の声」なる組織をつくっていた。そして、同組織には後の部落解放同盟委員長となる上田拓三氏や、影の委員長との噂もあった大賀正行氏などがいたことがある。その視点からも組織と人間について検討をすることは、後世の人にとって参考になるかもしれない。

 E・Hカーは『歴史とは何か』{E. H. Carr, What is History? (Penguin Modern Classics)}の中で、歴史は無限の現象からなるので、「現代との対話」において意味あるもののみが研究に値するという趣旨のことを書いていた。私も同様の考え方をしている。そこが司馬遼太郎型記述とは異なる。

もう一つは、スターリン関連問題である。

スターリンについては肯定・否定両方があろう。

しかし、私が問題としているのは、組織と人間の問題である簡単に言えば、権力は巨大になればなるほど、それを決定する人は少なくなるという「少数支配の原則」なる語がある。

二人で物事を決めるときには参加率は百パーセントである。制限選挙の時代でも、選挙権を認められた人の実質的参加率・政策決定への影響率は相当高い。だが、人口1億人程度になると、実質的参加率は少数となり、ときには一人となるという理論である。この現象への処方箋がまだ完全にできていない。

その権力という語は資本主義社会でも、社会主義社会でも、封建制社会でも、君主制度でも同様である。

そこにおいて弊害があるならば、その弊害を防ぐ組織論・制度論…などの研究が不可欠となってくる。

要するに、スターリン問題を防ぐ手段は、ヒトラー問題を防ぐ手段と同様である。その手段は何かの手がかりを求めて、野坂参三氏の墓に参ったのである。

前者が人間模様という視点からの組織論である。具体的には部落解放運動の分裂をみれば分かる。

後者が、科学としての、組織論である。

この組織と人間の問題は、社会主義・資本主義・封建主義を超えて、戦争一般論にも当てはまるため、尚更その探究が必要だったのである。モハメドアリ(Muhammad Ali、1942年1月17日 – 2016年6月3日)にみられたように、ベトナムに恨みがなくても、アメリカという国家(組織)から召集がかかれば、ベトナムに行かなければならない。そして、何の恨(うら)みもないベトナム人を殺さねばならない。その逆も然(しか)りである。ベトナムを主人公にしても同様である。

もし、国家という組織に属していなければ、恨みがない相手を殺しに、戦争に行く必要はない。だが、悪の枢軸なるマインドコントロールがある。もし、アメリカ国内で悪がはびこればそれを西部劇の如く、…であろうか。そうではあるまい。悪に対しては、職業としての警察官が対応するであろう。これは戦争ではない。

だが、アメリカ国内でもそうなるまでは時間がかかった。西部劇を見るがよい。決闘…自衛団…、と。時にはリンチとその報復…と。日本でも、黒澤明監督の「七人の侍」から昔を想像すればよい。

要するに、組織と人間の矛盾を解決する制度や施策のヒント、最低でもそれを考えるために野坂参三氏の墓参りを思いついたのである。

人間模様における組織と人間は『旅に心を求めて』で行い、具体的な政治への環流を目的とした組織と人間論の一部を『日本のフィクサーME』シリーズで行うことになる。後者の視点からの解決策を、私は「世界連邦樹立」においている。それが、2013年訪中であり、2015年訪米に繋(つな)がっていく。金があれば2016年か17年には訪露をしていたかもしれない。

再度言えば、私の考えている案が成功すれば、スターリン問題のみではなく、ヒトラー問題、更には今日の多くの国や組織にその処方箋は通じることになる

それが野坂参三氏の墓参りであった。ミクロの世界でも、学校におけるボス、村におけるボスなどの問題への対抗策である。それよりも大きな問題では政党寡頭制(かとうせい)などにも適用できるであろう。官僚機構でも同様である。

場合によれば、マファイア等の事実上支配上している場所にも、一部、適用できる部門があるかもしれない。

政治学者でもあった私の理論はユニークである。

政治体制と経済体制は分離をして分析をする必要がある、という理論を持っている。

要するに、社会主義制度でも、上部構造の政治制度には全てが可能である。

民主主義も、独裁主義も、民主集中制も、…典型的には君主制も可能である、と言う理論を持っている。

社会主義制度でも君主制度は可能なのである。

同時に、これらの政治制度は資本主義国家でも全て可能である。

社会主義に可能な政治制度は資本主義国家には全て可能であり、その逆も然りである。

その典型例がスターリンとヒトラーである。

今の政治家にヒントを出そう。

君主制の国にどう対応するか。破壊するか。いや、内政不干渉に反する。歴史はどう対応したか。

まず立憲君主制である。その典型例が象徴君主制である。それらは無血で行うことが可能である。

力の争いの前に(軍備拡大競争の前に)、歴史に処方箋を求めてみたらどうだろうか。

再度言えば、歴史とは「過去と現代との対話」であり、現代社会が求めている解決策を過去の歴史的現象に求めるのである。それも科学的に。

人物史ではなく、科学としての、政策遂行上のヒントを得るためである。

アメリカならば、過去のワシントンなどの人物歴史のみではなく、「グリーンバックスインフレーション」などの現象を記録し、現代社会の舵取りの参考にしているはずである。

裏の政治学では、他国を支配するための差別政策に関する生きた研究と実践がなされた。それが後にインドの分裂(インド🆚パキスタン)につながり、イスラエルとパレスチナの対立を生み出した。何故ならば、統治のために、裏の政治学を活用したが、その際に、その処方箋をつくらなかったからである。

即ち、差別政策は裏の政治学で作り上げたが、差別を解消する処方箋を政治学者はつくらなかったのである。大量に人を殺す原爆・水爆はつくったが、放射能で苦しむ人を救う、医学的処方箋をつくらなかったのと同様である。差別は、裏の政治学を活用して、政策で作り上げられたものである。アメリカの人種差別も同様である。具体的な奴隷制度とその歴史の研究をすれば分かるであろう。

ここでは具体的な話に戻ろう。


結論から書こう。
Aという人間が銃をBに撃とうとした。
そこでBが包丁で相手を切ったり、銃が合法社会ならば、先に銃を撃ったりしても正当防衛である。
同様に、スターリンを銃と考えるならば、もし、山本懸蔵氏が先に野坂参三氏をスターリンに密告しようとしていたならば、それに気がついた野坂参三氏が先にスターリンに山本懸蔵 {(やまもと けんぞう、1895年(明治28年)2月20日 – 1939年(昭和14年)3月10日)}氏を売っても正当防衛が成り立つという論理である。

私がこの仮説を唱えると、誰かがそれに呼応するが如くに、山本懸蔵氏が、野坂参三氏の最愛の妻・野坂龍氏をスターリンに売ろうとしていたという情報が入ってきた。

もし、スターリンを銃そのものと考えるならば正当防衛が成立するのではないのかが、私の仮説であった。
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なお加藤哲郎の調査によれば、山本自身も、同時期にソ連に亡命していた数名の日本人、勝野金政、根本辰(ねもと とき)、国崎定洞、伊藤政之助らをスパイと疑い、ソ連秘密警察やコミンテルン国際統制委員会へ密告ないし告発するなどしていたという(外部リンク・加藤哲郎参照)。また和田春樹の調査により、野坂による山本密告とほぼ同時期に、山本自身も野坂を密告する準備を進めていた事が判明している
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%87%B8%E8%94%B5
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92年に100歳となり、「徹子の部屋」に出演した野坂は、直後に党を追われた。今で言う「文春砲」に直撃されたためだった。

週刊文春は、野坂がスターリン時代のモスクワに亡命していたときのことを、ソ連崩壊後に公開された文書を調べてスクープした。野坂が粛清を逃れるために、日本人同志の山本懸蔵をスパイと密告して売り、このために山本は処刑されたという内容だった。

除名を決めた党の会議で「何か意見は」と問われた野坂は故郷の山口県萩市の言葉で「ありましぇん」とだけ言い、車椅子で退場した。

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上別府 保慶「ふかしイモと文春砲」
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/652319/
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逆にいえば、生き残った野坂参三こそ例外だった。本書によれば、野坂の妻竜も逮捕・拘禁され、野坂自身も確実に粛清対象者に入っていた(但し野坂竜の拘禁は『社会科学総合辞典』新日本出版社、1992年、526頁のいう6か月ではなく52日間、本書136・161頁)。生き残る道は、自らがNKVDの手先になることだった。それがコミンテルン日本支部=日本共産党の戦後への細い架け橋だった(いまひとつの架け橋が、国内獄中)。こうして生き残った野坂が、戦後の「愛される共産党」を体現した。そして、天寿を全うする直前にソ連が崩壊し、永遠の薮の中と思われた関係書類がオモテに現れて、どんでん返しの暗転への引金になった。
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加藤哲郎(一橋大学・政治学)

歴史における善意と粛清」――国崎定洞の非業の死からみた『闇の男――野坂参三の百年』の読み方
http://netizen.html.xdomain.jp/MADO.html
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このような考えを持ったのは動機の問題からであった。

野坂参三氏が超豪邸を作ったわけではない。また金銭欲が極度にあるようにも見受けられなかった。さらに、必要な金は共産党のトップ(議長)としての収入や議員としての収入、また各種文献の印税がはいる。必要ならば本を書けば良いだけである。
要するに動機がない。


恐らく、妻・野坂龍氏などを守るための正当防衛であり、そのときの弱みが後のスパイ活動へと深まったのではなかろうか、と考えたのである。
私は変人であるが、議員の給料と印税が十分入っていれば、もう金は邪魔でいらない。何に使うのか。美食、逆である。酒、禁酒したいと何度も考えている。服、一体それは何。それでは何に金を使うのか、となる。
カメラ…。商売道具でしかない。妨害がなければプライバシーでは一切使用せずに、確定申告で減価償却費として処理していた。
トラック会社の社長に、あなたはトラックを持っているので贅沢(ぜいたく)だというようなものである。あるいはトランペット演奏で食っている人に、あなたはトランペットを持っているので贅沢だ、というようなものである。商売道具にしかすぎない。それを催眠と近隣をつかっての罠や工作による各種被害で人が勘違いをしただけである。

本題に戻し、野坂氏には最初からスパイをする動機がない。権力欲といっても、既に(資本主義国家の中では、他の国の共産党とは異なる巨大な組織である)日本共産党のトップでもあった。超豪邸を持っている訳でもなく、女性…とか、酒とか、ギャンブル…の噂(うわさ)も聞かない。金は議員・共産党議長の給料、印税…とある。一度、誰かが野坂参三氏の資産調査をしてみれば何か分かるかもしれない。

ちなみに、日本のリーダーのかなりの数が日本共産党に関係していた人物である。読売新聞の渡邊社長、今の早大総長田中愛治氏の父・田中清玄氏は日本のフィクサーとなった。部落解放運動に限定しても、(部落解放同盟第2代委員長)朝田善之助氏、(同第5代委員長・また一時の日本社会党副委員長)上田拓三氏、(今回登場している)志賀義雄氏…も同様であった。なお、最近亡くなられた石原慎太郎氏ですら、若い頃には安保反対を叫び、日本共産党などに興味を持った時期があるとウィキペディアには書いてある。石原氏については、真偽不明であるが、ウィキペディアに公開されたことを記したまでである。

まだ、何人もこうした人を知っているが、プライバシー問題から有名な事例に留(とど)めた。


勿論、正当防衛であっても良くないという人はいよう。
だが、スターリンと銃の例えとの関連で言えば、銃の問題については銃規制とか、銃の廃止そのものを訴える人がいる。それが、歴史的には正論となるであろう。それが、私が世界連邦樹立に向けて動いた理由である。銃がある限り、悲劇は繰り返されるであろう。
民主的な世界連邦ができ、世界連邦のみが将来的には銃などを独占所有すべきである。軍隊が強力となり、軍隊が全てロボット化されれば、そのときには自然とそうなるであろうが、それを待っていると多くの犠牲者がでるというのも事実である。


銃については二つの考えがある。自分を守るための人権であるという考えと、幾多の悲劇の温床となるために規制若しくは国家機関以外は所有してはならないという考えである。スターリン問題も同様である。人は「万人の万人に対する闘争」(ホッブズのリバイアサン参照)状態では、安全を確保するため、銃同様に強力な独裁者を求める傾向(広い意味ではスターリンも同様に求められる)がある。それがアジアの某国現象である。麻薬戦争・マファイア支配からの脱却への期待、逆に無関係にもかかわらず射殺された人などの人権問題の対比を思い出せば分かるであろう。
その問題を考えるべく野坂参三氏の墓参りをした。
これも重要な山口県への旅の目的であった。

私がこの問題に焦点を当てたのは、組織と人間、その中での権力問題=銃問題からである。この問題をクリアできれば、ヒトラーは存在できなくなるであろう。それが、この問題への関心であった。

私は野坂参三氏の擁護論者ではない。除名を巡る日本共産党内の問題にも関与する気もない。
私が論じているのは、スターリンやヒトラー政治の問題点と、それを回避するための制度論や処方箋のみである。それ抜きには様々な悲劇は繰り返すであろう。
正当防衛論をなくすためには、民主主義制度のもとでの、民主主義国家による武力の独占しかない。その独占の主を「世界連邦」と世界連邦統一軍に求めるべきであると主張しているだけである。
同時に、ヒトラーは危険であると言っているだけである。そして、私の政治学理論では、社会主義、資本主義を問わず、政体は経済とは無関係にあらゆる政体が可能である。即ち、ヒトラーは資本主義国家でも、社会主義国家でも経済体制を問わずに存在しうる。それを防ぐ制度論や様々な理論が必要といっているだけである。
そうではない限り、野坂参三氏は加害者にも被害者にも容易になりうるであろう。勿論、野坂参三氏と同じ現象はヒトラーでも、今の軍部独裁政権…の諸国でも見られるであろう。ポルポト政権でも、ウガンダの政権でも…。その根源をなくす理論と制度が不可欠と言っているだけである。

(2022/01/20 3:21と2022/02/07 2:00頃追記)

単なる想像であるが、当たっている確率も一定はあるため、私の想像を書いておく。

野坂参三氏が得たお金であるが、何に使ったか。単なる想像であるが、彼がそのお金をどこか福祉団体に寄附し続けていたということはないか、ということである。悪まで小説的仮説であるが、妻・野坂龍氏が山本懸三氏によりスターリンに売られようとしていた。そこで、先手を打って、山本懸三氏をスターリンに密告した。スターリンを銃と考えれば、正当防衛である。しかし、そこで弱みを持ち、その弱みを何人かに握られ、各種スパイとなった。スパイと言っても、スターリン以外については、さほど大きな次元の分野ではなかったかもしれない。だが、彼の良心の呵責(かしゃく)からそこから得た金を慈善団体等に寄附し続けていた…などである。

正に氷点の世界の別バージョンである。漂流していたときに一枚の板がある。だが、その板は一人がすがりつくしか無理である。二人だと海に沈んでしまう。その板に自分がすがれば自分は助かるが、もう一人の人間は死ぬ。その逆をすれば、相手は助かるが自分は死ぬ。こうした状況の中で人間はどう行動すべきか。それが『旅に心を求めて・不条理編パート2』の内容の一部であった。

プライバシー問題などもあるが、野坂参三氏の場合には誰かがお金の使途については調べた方が良い可能性が高い気もするが、部外者の私があれこれ言うのも意味がない。そこでここまでとする。

要するに贖罪(しょくざい)である。こうした発想を抱いたのは、チッソの工場長・西田栄一氏を思い出したからである。彼はチッソのために患者と相対峙した。しかし、彼は死の前に、自分が死んでも戒名をつけるなと遺言したそうである。患者と会社の板挟み。チッソで世話になり続けた、チッソ専属医・細川博士も同様であった。世話になった会社への恩義、苦しみ続ける患者、その狭間で…。

そうした臭いを野坂参三氏では感じたのが、萩での作品づくりのための行動の一つであった。

これらが、不条理編パート2の補強として考えていたテーマであった。メインテーマは安重根🆚伊藤博文である。

細川博士の話は、写真物語・水俣の下記を参照願いたい。

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写真物語・水俣と水俣病・水俣資料・細川博士
http://takachan1.xsrv.jp/yasuragi/program1.html

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2022/02/07 記述

石原慎太郎氏に関する興味深い記事を追加をする。

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慎太郎が高校一年の時だった。学生運動が盛んになろうとしていた昭和23年に、民主学生同盟にいち早く入り、学内に社会研究会を作った。日本共産党へのヒロイックな気持にかられていた時、母は“大衆のために両親や弟を、そして地位も財産も捨て、獄につながれても後悔しない自信があるなら、私は反対しないが、その覚悟をしてほしい。それならお父さんが、どんなに反対しても、私は賛成する” この言葉にそのあくる日から彼は学生運動を離れている。
— サンデー毎日1956年9月9日号「五つの道をゆく“石原慎太郎”批判」
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ウィキペディアの項目「石原慎太郎」2022/02/07 1:30抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E
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上記の民主学生同盟とは、「民主主義学生同盟」(民学同)を指すのか、日本民主青年同盟(民青)を指すのかは不明である。民学同ならば、親ソ連派の「日本共産党(日本のこえ)」と共闘関係にあったとウィキペディアには掲載されている。日本の声とは、先に紹介した(萩市出身の)志賀義雄氏が有名である。民青ならば、関連組織の長として(萩市出身の)野坂参三氏が有名である。
日本民主青年同盟は、青年組織とすれば、下記ウィキペディアに記載されている如(ごと)く、当時は巨大な組織であった。(約10年程度のスパンである)青年に限定して20万人、アメリカの人口比で言えば約60万人、青年に限定しない人口比では日本では130~150万人、アメリカならば500万人近い大組織換算となる。

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……最盛期の1970年には同盟員数は約20万人を数えた(名古屋大学生総数4,000人中1,000人、東北大8,000人中1,000人、岩手大3,000人中1,000人、京大、立命四桁、東大600、早大、法政、中央数百)が、30回大会(2002年11月)において「2万2,000の峰を突破」との表現で公表したのを最後に、同盟員数は明らかにしていない。週刊金曜日の志位和夫へのインタビューによると、2017年で約9500人と回答している。また、公式サイトでは「約1万人」と書かれている。
……出身著名人…瞳みのる – ドラマー(ザ・タイガース)、中国文学者[28]
奥田民生 – シンガーソングライター(UNICORN)、父は日本共産党元広島市議会議員
文化 …池田理代子 – 漫画家…… 白川勝彦 – 元衆議院議員(6期)、自由民主党→新党・自由と希望。自治大臣、国家公安委員長を歴任。……川田悦子 – 元衆議院議員(1期)、無所属(日本共産党が自主的支援、その後中村敦夫らと関係を深め共産党と対立)。川田龍平(立憲民主党参議院議員)の母……竹中平蔵 -……
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ウィキペディアの項目「日本民主青年同盟」より抜粋(2022/02/07 1:38)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B0%91%E4%B8%BB%E9%9D%92%E5%B9%B4%E5%90%8C%E7%9B%9F
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なお、野坂参三氏の経歴は以下である。

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野坂 参三(のさか さんぞう、1892年〈明治25年〉3月30日 – 1993年〈平成5年〉11月14日)

日本の政治家、共産主義者。衆議院議員3期、参議院議員4期。コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本代表、日本共産党の第一書記、議長、名誉議長などを務めたが、大粛清時代に同志の山本懸蔵らをNKVDに讒言密告して死刑に追いやっていたことが最晩年になって発覚し、日本共産党から除名された。初名は小野 参弎(おの さんぞう)。中国では岡野 進や林 哲とも称した。ペンネームは野坂鉄嶺、野坂鉄など。

Wikipedia・「野坂参三」の項目から2022/01/20に 抜粋。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%9D%82%E5%8F%82%E4%B8%89

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2014年4月4日 16:16:14-015-216

14-018-168

2014年4月4日 16:00:14-015-208

話を元に戻そう。

当時、萩の街を歩きながら考えた。

志賀義雄🤝野坂参三🤝宮本顕治を。さらに、野坂参三氏がトップのときに志賀義雄氏は除名され、宮本顕治氏がトップのときに野坂参三氏は除名される。そして、いずれも山口県出身である。宮本顕治氏は伊藤博文と同一の光市でうまれている。その付近には松岡洋右氏が生誕している。

志賀義雄氏と野坂参三氏は萩市のすぐ近くで生まれている。

さらに、志賀義雄氏は「1928年(昭和3年)の三・一五事件において検挙され、治安維持法により有罪とされた。獄中生活は1945年(昭和20年)に日本が第二次世界大戦で敗北するまで続いたが」(Wikipedia)、彼が逮捕されたときの首相が田中義一氏であり、地図から分析すれば双方の生家は歩いて数分という所にある。野坂参三氏の墓から歩いてきたが、志賀義雄氏や田中義一氏の生誕地は野坂氏の墓からも遠くない。

光市で伊藤博文🆚安重根を、萩市では志賀義雄🆚野坂参三🆚宮本顕治…を考えた。

ちなみに、野坂参三氏はスターリン…と、毛沢東とは野坂参三、宮本顕治両氏が…。光市の松岡洋右氏はヒトラーと…。これらの歴史模様が、小さな街光市と萩市に凝縮していた。

また、明治維新の三傑の一人が萩市出身の高杉晋作である。

下に地図をつけているが、これを見れば、これらの著名人が近所…で生誕していることが分かるであろう。

【写真解説】萩の街を歩いていると、2012年に亡くなった、私の母に似た人物を見て写す。母が化けてでてきたのかと思った。

(写真はいずれも、クリック一度でパソコン画面大、二度クリックで巨大)

2014年4月4日 16:52:14-015-257_

萩の街。

2014年4月4日 14:55:14-015-304

スターリンと言えば、スターリンと親しかったのが、我が郷土・(岡山県)美作の片山潜である。2019年に片山潜の碑に行くと、誰かが、私を「赤」呼ばわりしレッドパージまがいの酷い目にあった。誰かが、それは思想良心の自由侵害と言っていた。私は違う。それは「思想・良心の自由」レベルではなく、「経済の自由」侵害と営業妨害であると言った。片山潜の碑に行ったり、今回の光市・萩市への旅抜きでは、本は書けない。即ち商品は作れないからである。

なお、先の志賀義雄氏が治安維持法で牢獄にいたときの、総理には岡山県出身とすれば、犬養毅(犬養木堂)とか平沼騏一郎氏などがいる。犬養木堂の生家には、私が岡山市庭瀬にいた関係で何度も足を運んでいる。ちなみに、犬養毅氏の親戚に緒方貞子氏がいる。緒方貞子氏の緒方は、彼女の祖先が(適塾の創始者)緒方洪庵と義兄弟となった関係で「緒方」の名字を拝借したと聞いている。その緒方洪庵の生誕地も岡山市であり、当然、何度も足を運んでいる。さらに、緒方貞子氏を政治の世界に導いたのが市川房枝氏であり、大学院時代に一対一で御対面をしている。世の中は本当に狭いものである。いや、点と線である。その話は適塾の箇所でしよう。

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片山 潜(かたやま せん、1859年12月26日(安政6年12月3日) – 1933年(昭和8年)11月5日[1])

昭和8年(1933)ソ連で75歳の生涯を終えましたが、モスクワでの葬儀には15万人の人々が集まり、スターリンら共産党の幹部らがひつぎをかついでクレムリン宮殿の壁に埋葬されました。(文:片山潜記念館より抜粋)
https://www.e-tsuyama.com/report/2017/09/post-1341.html

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《◇―6:小さな街・萩、小さな学校・松下村塾がなぜ歴史的人物を輩出できたのか》

この項目は『旅に心を求めて・不条理編パート2』という原稿でまとめることにする。今回は単に人物紹介に留める。引用元は主としてウィキペディアからである。

①木戸孝允

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木戸 孝允(きど たかよし、天保4年6月26日〈1833年8月11日〉 – 明治10年〈1877年〉5月26日)

日本の幕末の長州藩士、勤王志士、明治時代初期の政治家である[1]。号は松菊、竿鈴[2]。 明治維新の元勲として大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えられる[3][4]。幕末期には桂 小五郎(かつら こごろう)の名で活躍した。

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木戸孝允生誕地2014年4月4日  17:54:14-015-314

木戸孝允:2014年4月4 17:54 :14-018-179

②高杉晋作住居跡(志賀義雄生家近く)(17:33~17:36)[界隈]
この後、高杉晋作住居跡を目指す。高杉晋作に余り興味はないが、先の不条理編Part2の関係で志賀善雄氏について書くことがあるかもしれないため、行っただけである。確か、志賀氏の生家がこのあたりである。結局、高杉邸に行ったが付近に志賀という家は見えなかった。なお、この地に行くまでの間で見た風景は萩という地に相応しい景観であった。また途中、田中義一記念碑を見る。この地へも意外と簡単に行けた。

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志賀 義雄(しが よしお、1901年(明治34年)1月12日 – 1989年(平成元年)3月6日)

生家は高杉晋作生家と道を挟んで向かい側にあり、木戸孝允の生家とも近隣にある

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高杉 晋作(たかすぎ しんさく、天保10年8月20日(1839年9月27日)- 慶應3年4月14日(1867年5月17日))

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高杉晋作: 2014年4月4日 17:28:14-018-173

高杉晋作生誕地:2014年4月4日  17:36:14-015-283

③田中義一

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田中 義一(たなか ぎいち、1864年7月25日〈元治元年6月22日〉- 1929年〈昭和4年〉9月29日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。勲等は勲一等。功級は功三級。爵位は男爵。

陸軍大臣、貴族院議員、内閣総理大臣(第26代)、外務大臣(第42代)、内務大臣(第45代)、拓務大臣(初代)などを歴任した。

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田中義一:2014年4月4日 17:40:14-015-291

田中義一:2014年4月4日 17:39:14-015-289

④桂太郎

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桂 太郎(かつら たろう)、1848年1月4日〈弘化4年11月28日〉- 1913年〈大正2年〉10月10日)

日本の陸軍軍人、政治家。内閣総理大臣(第11代、13代、15代:第1次桂内閣、第2次桂内閣、第3次桂内閣)、台湾総督(第2代)、陸軍大臣(第5代)、内務大臣(第18代)、文部大臣(第23代)、大蔵大臣(第13代)、貴族院議員、内大臣、外務大臣(第17代)などを歴任。日露戦争時の内閣総理大臣で、西園寺公望と交互に総理職を務めた期間は「桂園時代」と呼ばれた。軍人としての階級は陸軍大将で、栄典は、従一位大勲位功三級公爵。「元老の一人であった」という説もある[注釈 1]。元老の井上馨とは義理の親子の関係であり、児玉源太郎、川上操六とともに「明治陸軍の三羽烏」と称された。

「ニコポン宰相」[4][注釈 2]の異名を持ち、通算在職日数は2,886日(2019年12月現在歴代2位)。第3次内閣は第一次護憲運動を受けて退陣し、同年に病没した[5][6][7]。

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桂太郎:2014年4月4日 17:50:14-018-177

2014年4月4日 17:32:14-015-274

《◇―7:点と線》

 萩城跡、山県有朋生誕地、明倫館などには行く時間がなかった。当初は、レンタサイクルで動き回る予定でいたが、小型台風並みの風がふいていたため、急遽(きゅうきょ)、徒歩にしたことにより、不可能となった。

小さな街・萩市での人間模様は凄(すご)かった、しかし、私は早大などでこれ以上の人間模様を味あうことになる。

早大大学院時代…市川房枝菅直人野田佳彦、岸田文雄…。三人の首相と出会うことになる。もっとも市川房枝氏以外は出会ったときを双方覚えていないであろう。と言うのも、金欠の私は大学院時代のアルバイトの一つとして、学部学生の試験監督を幾つもの学部で頻繁にしていたからである。その頃の学生が野田佳彦君(政経学部在籍)、岸田文雄氏(法学部在籍)であったため、必ず何度もみているはずである。多分、大塚耕平君、稲田朋美氏、あるいは教育学部にも行ったため、辻元清美氏などもいたかもしれない。調べると、辻元清美氏とは入れ違いのようである。私が東京を去ったのが1981年4月だからである。

市川房江氏とは、一対一でかなりの時間の対談をしている。

また出会いではないが、私の恩師の関係で、河野洋平福田康夫小渕恵三氏との線も登場することになる。

更に東京時代の下宿(雑司が谷)のすぐ近くが(目白御殿と呼ばれた)田中角栄邸…であった。

人口1億数千万人の日本ですら、わずかな人生の中で、勝手に歴史に名を残す人と出会いまくることになる。点が線となる。

この続きからは、ページを変えて次回記すことにする。

次回、は再度「歴史とは何か」を問い、そして、そのことが再び「世界連邦」樹立を目指しての行動開始への起点となる。






●以下次回

しかし、歴史とは何か。

歴史から何を学ぶか。

司馬遼太郎型人間論は学問ではない。

また学校などでの正攻法の授業ではない。

それを見事に証明したのが、安倍晋三氏である。

総理の在職日数では今や日本一である。

すると、歴史でならった偉人は全て総理に限定すれば安倍晋三氏以下となる。

こんな馬鹿な学問はない。また、内容を知らずに、「アベノミクス」なる語の丸暗記を強要するのが今の歴史学である。トイレなどで「アベノミクス」を丸暗記とは、亡国の教育である。私は林竹二氏に倣って、「毒饅頭(どくまんじゅう)の教育」と今日の教育を批判し続けている。

要するに、萩市、光市での人間模様は日本全体が凝縮されていた。一部は世界も凝縮されていた。

だが、私が生きてきた道では、それ以上の人間模様が凝縮されていた。

もし、1988年から、田舎に監禁されなかったならばどのくらいの人間模様と出会ったであろうか。

もっとも、その後はテレビ・パソコンを通じて、クリントン、ブッシュ、オバマ、トランプ、バイデン…と出会い、America以外でも、Merkel、オランド、マクロン、トルドー、キャメロン、メイ、盧武鉉、朴槿恵、文在寅、金正恩、温家宝、胡錦濤、習近平、李克強、李登輝、ジョコウィ、ズマ、レンツィン、プーチン、メドベージェフ、…と膨大な人物と対話などをすることになる。そうそうベトナムの国家主席{グエン・スアン・フック(阮春福、:Nguyễn Xuân Phúc)現・国家主席}やインドのモディ首相などもいる。🇲🇾マハティール氏(Dr. Mahathir)とは数度の御対面もしている。多分、金大中氏やマンデラ氏とも対面したのではないかと思っている。まだ名をだしていない世界の首脳は膨大にいる。{全首脳の国旗は清書時に記載予定。}

世界の首脳以外では、マザーテレサを始めとして、グレゴリーペック、マイケルジャクソン、スピルバーグ監督、トムクルーズ、レディガガ…と更に膨大にいる。首脳以外は超膨大なため、今後関連箇所で随時記すつもりである。

 

これでは、もはや、予備校などで政経の教師などをする訳にはいくまい。ときには、私自身が歴史を動かしたかもしれないことが多々でてきたのであるから。入試問題とその模範解答を見て、それは違う。私が▼▼に言ったのはこうであって、そこで▼▼がこう動いたのであるが、マスコミがそれを知らずに誤報道したのだ。その誤報道を見て、入試出題者が勘違いしたのだと言えるだろうか。秘密問題のみならず、その事実を書いた生徒は大学入試では×となる。だが、私が言っているのが事実である。こんなややこしいことはもう無理である。

ちなみに、私に英語ができるかと聞いた人がいた。馬鹿馬鹿しい。それらは後でいずれ記そう。私が英語ができるかどうかは…として、私が書いた書物のいくつかが、今後英語のみならず、いくつかの言語に翻訳されて世界に流れるであろう、とだけ言えば十分であろう。

これらを考えると、今の人物中心の歴史教育は無意味に近いと痛感している。

なお、かっての藩主は今の党道府県知事以下であることを考えれば、いかに、人物中心の歴史教育は誤りかがわかろう。最低でも、如何に、馬鹿馬鹿しいかが分かろう。

それでは歴史から何を学ぶのか。

それを記すのが、私の『旅に心を求めて』シリーズであった。

ちなみに、私は旅行は1993年以降はしたことがない。旅に近いが、旅でもない。

国立国会図書館に資料を集めにいくのと同様のことをしただけであり、古墳の発掘調査の手助けに行ったのと同様なことをしているだけである。

東京の国立国会図書館に資料をコピー目的で行っても、それは旅行ではない。必要な資料の中に政治家の写真や銅像のがあることもある。

それらをコピーするのと同様な作業でしかない。要するに、政治家の銅像などを撮りにいくのも同様である。しかも著作権対策にもなる。

それらは、『旅に心を求めて』シリーズに入る以前に、『日本のフィクサーME』シリーズでも分かるであろう。

それと意に反して、外交官…の出張にさせられているだけである。

こう妨害が多いと、旅、いや旅行にした方が無難かと思うことがあるが、それでは商品はつくれないため、大金でも入らぬ限り、旅行も旅も不可能であろう。いや、一度だけ旅行をした。2019年村の親睦旅行にやむを得ず行った。あれが旅行である。

後は、国会図書館などへの資料集めや、古墳発掘や、外交官の宿泊なしの外交にすぎない。パート2の中国の旅をみれば分かろう。宿泊なしは第3章で予定しているAmericaの旅をみれば分かろう。Americaの旅では5日間で睡眠時間合計は5時間のみであった。

恐らく、第2章か第3章で述べる、私の開業「安らぎ文庫」創設を、妨害するために、誰かが村人・親戚などに故意に嘘をつき、村人・親戚を煽って、撮影妨害をしたのであろう。

α原稿・β写真・γイラスト⇒商品化⇒安らぎ文庫創設、同時に一部HP掲載でCM、更に御当地に各種連絡をとりCM強化、こうしたことの連続でHP自体の読者を増大し、広告収入への道、これらを意図的に妨害したのであろう。その証拠は訪米直前の頃に明白となる。

原稿はトラブル三昧で、仕事関連原稿よりもトラブル関連原稿を書かす=完璧な業務妨害であった。

撮影は機材破壊攻撃、更に近所・親戚をつかっての有形・無形の圧力=業務妨害であろう。

 

詳細な人間模様は『旅に心を求めて・不条理編Part-2』で行う。

ここでは(『日本のフィクサーME』シリーズでは)、現在の政治家と私との絡みを中心に記述する。

 

《◇―7:次なる旅―世界連邦への一齣を…》

 



萩の宿紹介。

この旅は私にすれば宿代は高い方である。

その後の旅での宿代をみれば良い。

だが、これで良いのかもしれない。

冗長になるため、可能な限り、これ以降は、現代の政経関連の情報公開のみを頭にいれて作業を進めたい。

なお、2014年頃、私は超多忙のみか、党派中立・宗派中立を貫くため、安倍晋三批判はしたことがない。正確には2017年頃までしたことがなかった(それも安倍氏が政治に登場の頃からである)。起業目指して超多忙なため、2016年までは安倍内閣支持率すら見ていなかった。ちなみに、安保法制・特定秘密保護法案は反対どころか、未だに内容すら知らない。

2013年頃から安倍晋三氏がボン対策でちょこちょこ動きだしたことを後に(多分、2018年か19年頃)知ったが、それは安倍晋三氏が誰かに騙(だま)されたのが原因であろうと一貫して思っている。

もはや、善し悪しを別にして、彼との縁がないことを願っているが、彼が疑心暗鬼から妄想にとらわれたか、誰かに誤情報をつかまされたか、騙(だま)されたとしか思えない。

私自身の考えは不必要な、余分な対立は時間の無駄と思っている。しかし、降りかかった火の粉は払わなければ仕方がない

した、拙著「日本のフィクサーME」シリーズで登場する人物である。

珍しい名なので、同姓の人は登場すまいと考え名付けたのである。だが、安倍昭恵氏がキス騒動を起こす。

ちなみに、この布袋さんのモデルが、2012年4月に、私に「浜田さんの被害は勘違いや誤解ではない。人間違いが原因」ときっぱりと言い切った人間である。その話は『日本のフィクサーME・パート6』ですることになる。

2014年安倍晋三→朝日新聞・従軍慰安婦

2015年Mr.プーチンのシリア空爆で、私が介入のデマが飛ぶ。


①各種パンフ、②各種地図、③野坂参三関連資料、④松下村塾関連資料。
萩ロイヤルインテリジェントホテル
防長交通バス=2080円
この日の天気はすさまじかった。晴れかと思うと、雨、雨かと思うと暴風雨と。
萩についた時は、暴風で、レンタサイクル予定であったが、暴風のため中止し、徒歩で回る。
正午前から歩き、ホテルに戻ったのが20時頃であり、約8時間思い器財を持ち歩いたことになる。

(1)松下神社(12:39~13:13)
暴風の中、神社を地図を見ながら歩く。ここまでは簡単に行けた。

(2)伊藤博文住居跡(13:20~14:10)。
同じく、地図を見ながら歩く。これまた運よく簡単に行けた。奇跡的とも言える。
なお、ここではとんだ桜が道を多い、桜道となっていた。撮影方法はトリミングした桜道を花と一緒に撮るべきであったと、後日考えた。

(3)松下村塾(14:48~14:59)。
大変なのは松下村塾であった。地図を何度見てもたどり着けず。萩市の掲示地図を見てもわらず。松下神社を13時13分に出て、松下村塾にまず行こうと考えるも、行ったり来たりでたどり着けず。やむを得ず、先に伊藤博文住居跡に先にいく。その後も、何度地図を見ても松下村塾の場所が分からず。道路の標識にも記載なし。目的の一つの松下村塾に行けず、どうしたことかと困り果てる。何度あちこち行っても、松下神社にたどり着く。
弱り果てた時ふと一つの考えが浮かんだ。ひゅっとすると松下神社の中に松下村塾があるのではないかと。その仮説に基づき、松下神社内に再度入ると、何と、この中に松下村塾があった(14時48分)。松下神社をでてから松下村塾にたどりつくまでに1時間35分かかった。

(4)野坂参三の墓参り(15:59~16:36)。
逆に野坂参三の墓は方向音痴の私では、ちょっとたどり着くのが難しいのではと危惧していた。地図を見ても大変わかりにくいのである。ところが、野坂参三の墓のある泉福寺(浜崎町)を目指して歩いていると、押し車の人や、車が誘導してくれるかの如く形で、意外と簡単にたどり着けた。しかし、道は大変ややこしく、もう一度行くとなると着けるかどうか不明である。
なお、泉福寺で野坂参三の墓を探すが、どうしても見つからず弱り果てる。そこでやむなく本堂の方に進むとお寺の娘さんらしき人がおり、その人に尋ねると野坂参三の墓へ案内してもらえた。感じの良い若い(知的雰囲気の)女性であった。
何枚も写真を撮っているのでそれを見ること。ただし、平凡な形で撮っており、芸術的に撮れば良かったと後日思った。たとえば多重露出を入れるなど。
なお、この寺は浄土真宗であり、吉田松陰関連の寺であった。
野坂参三の文字の横の野坂竜の文字を見て、私の単なる直感の政党防衛論を墓の前で喋ると、遠くて船の汽笛が〝そうです〟の如く形でなった。なお、私のこの仮説が当たっておれば、不条理編Part2は第1章が安重根と伊藤博文、第2章が苦悩の中で、野坂参三(氷点型で記す)、第3章がベトナム戦争と韓国で構成する。

(5)高杉晋作住居跡(志賀義男生家近く)(17:33~17:36)[界隈]
この後、高杉晋作住居跡を目指す。高杉晋作に余り興味はないが、先の不条理編Part2の関係で志賀義男について書くことがあるかもしれないため、行っただけである。確か、志賀の生家がこのあたりである。結局、高杉邸に行ったが付近に志賀という家は見えなかった。なお、この地に行くまでの間で見た風景は萩という地に相応しい景観であった。また途中田中義一記念碑を見る。また、この地へも意外と簡単に行けた。

(6)その他。
「あず花亭」というレストラン(18:37)で夕食をとる。コストパフォーマンスは高かった。また萩の地酒があったので、飲んでみた。全く酔わなかったが、地元を飲むという感じで飲んだ。レストランからの景観も良かった。

【経路】
①新山口駅発10:10頃。
②東萩着11:28頃。(交通費2060円。標準時間94分、特急74分)。
※JRバス以外に、防長交通があるので注意。

【ホテル】
ホテルは食事込みで6100円ーポイント2300円使用=2900円。
ただし、朝食は二、三百円程度のものでしかない。要するにおにぎり二つ程度と考えた方が良い。よって、朝食込みというよりも、おにぎり二つサービスと記した方が正確であろう。しかも、ホテル側も、朝食なし、ただしサービスで何かを出す的感覚が強く、私の方との食い違いがでた。要するに、ホテルは悪魔でサービスでおにぎりあげます的発想であり、朝食代込みという発想ではなし。それならば、自動販売機でおにぎりを販売した方がトラブル防止となろう。もしくは朝食百円とすれば、それこそ無料サービスと分かるであろうが、この表記では朝食代込みと勘違いした客がでるであろう。なお、朝食の場所も意外と景観が良い。
なお、資本は中国か台湾系と思われた。理由は神戸の南京町付近の例のホテルと大変似たコンセプトであった。かなり、セルフ的感覚と同時に、バスも浴槽はない。シャワーのみであった。
ただ、部屋からの景観は良いと言える。更に、ホテル内に様々な絵画などの芸術品が飾ってあり、夜ゆっくり見学した。また、テナント方式が発達しており、カラオケなどが建物内にあったようである。
総論として、リピーターには良いホテルとなろうが、初めての人は少し戸惑う所があるかもしれない。部屋の広さなどから、一応コストパフォーマンスは良いとなる。

以下Twitterから引用。
浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·3月31日
●「不条理編・Part2」という原稿のためフィールドワークをせねばならないのだが、持って行くカメラ・レンズ器財にトラブル連続で足止め状態で頭が痛い。数本のレンズが突如画質劣化かつ球面収差か何か?では。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·3月31日
撮影失敗すれば再度行かねばならぬが、そんな時間がないため、半年延期か一か八かで行くか迷い中。器財が正常ならば、30日から行っていたのだが。この原稿は世界の絆を目的に書くつもりも、こう妨害だらけでは。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·3月31日
もし、私の原稿「旅に心を求めてー不条理編」(Part1)が出版できればすべての誤解は解けるのだが。これが本となり、私の姿勢をすべての人が知ったならば、凡人に戻れるのに!ただ、凡人に戻れる前に、平和への土台だけを作らねばならない。凡人、それは夢の、また夢?正夢もあろう!

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·3月31日
●Facebookへの書込は、伯母の四九日や、カメラの相談で価格ドットコムへの書込対応の関係などで中断中。万一、フィールドワークに行けば、4月5頃から書込再開か?何せ精神hero、否、精神疲労で、掃除さえできぬ状況故、やむなし。
次からTwitterにも整理番号記述予定。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
●14-010-1。本日Fieldworkから帰る。Fieldworkの一日目は雨、二日目は暴風と寒波、それに雨と晴れの交互、三日目は豪雨、このため二泊三日を三泊四日とした。光・萩まですべて鈍行での旅であった。一日中電車中か、一日八時間歩くか、で、疲れた。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-10-2。旅の目的は人間模様を追う事であった。光市は伊藤博文、松岡洋佑、左は宮本顕治。萩は伊藤・高杉・桂から田中義一まで、左は野坂参三、志賀義雄とくる。同時に、東大・京大vs松下村塾・適々斎塾である。当然後者であろう。今の教育は狂っていると再度痛感。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-10-3。野坂氏の墓参りもしてきた。彼と山本懸蔵問題も謎である。山本氏が野坂氏の妻を撃とうとした時、野坂氏が山本氏を撃てば正当防衛である。ピストルはスターリンである。考えすぎかどうか、再度考える。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-10-4。野坂氏はスパイと聞く。では戦後のそれの動機は。新党を作るとか、自分で事業を興しその資金のため、豪遊のため等の動機がない。生活するだけならば、彼の知名度では本でも書けば印税で十分。議員年金もある。戦後の動機に関しては全く分からない。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-10-5。本題は野坂問題よりも、伊藤博文と安重根である。これで両方の記念碑に行けた。予告通り、両者について何も調べずに行く、を実践した。今は両者について何も知らない。これから調べて作品化を行う予定である。当然、主眼は現代との対話である。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-10-6。悪魔で、現代の生活・生き方に還元できて初めて意味を持つ。知識はアクセされーではない。実用主義すぎても問題であるが、現代との対話抜きの著作は、パチンコ類と同様の時間つぶしでしかない。悪いとは言わないが、私の世界ではない。知は飾りであってはならない。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
●14-11-1。4月6日、Faceebookに漸く、グレゴリーペックとの出会いを書けた。

なお、野坂問題に関しては、多くの諸情報が私に提供されることを願い、敢えて今回書込をした。ソ連の公開文書だけでは!動機が分からねば、正当防衛論すらありうるので。過去の前例では解けぬ!

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-13-1。野坂関連情報(14-11-1)について。私のFacebookやTwitterには書込禁止。私はfollwもその逆もしない。情報はインタネット上のどこでもよいし、TVでも良い。過去、彼のようなタイプでのスパイ関連の前例がないため、分析不可能となっている。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-13-2。ソ連公開情報だけでは。まして動機の解明がなされていない。本人に確認したと言っても100歳頃である。しかも一日意識が2時間程度しかない時もあるとの事。これでは何も分からない。常識で考えれば誰でもそう思う。

兎も角、本題は伊藤と安重根のため、野坂関連では援軍求める。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
●14-14-1。今回のFieldworkの目的。
①不条理編2用・安重根と伊藤博文のため伊藤博文を追う。
②教育論:東大・京大vs適塾・松下村塾のため松下村塾を調べる。
③広島・平和の旅補強用で厳島神社の写真撮影。
④その他。野坂参三の墓参り等。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
14-14-2。①②が主目的。③④は可能ならばであったが、④が気になっている。野坂氏の共産党除名は同政党の問題であり、私には無関係かつ干渉する気はない。だが野坂氏は歴史の文献にも名は残る。依って、歴史学者等には正当・公正な評価を望む。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
14-14-3。再度一般論。戦前のソ連の幹部宛手紙とは、ヒトラーに親書を送るに該当し、文書は規定される。依って手紙類のみでは袴田事件の調書同様である。また14-10-3の如く正当防衛の可能性すらある。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
14-14-4。歴史学者へ。
野坂問題に関してのみか、現代との対話という視点から、スターリン時代の本格分析を願う。その後で、野坂問題を論じた方が良いであろう。
浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日

14-14-5。政治学者へ。
スパイ問題に関する学術的研究を望む。国家の安全と情報公開の必要性などの倫理面のみではなく、科学的視点からの分析を願う。歴史における膨大なデータ収集から諸角度より分析を願う。オバマ・西欧も研究の必要性を感じているはずである。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
14-14-6。私自身は①~③の課題に手一杯であり、④の課題には十分取り組めぬため、学者諸君の援軍を求める次第である。
今回のFieldworkに関しては作品化して述べるが、諸妨害の一部のみを夕方に少し記すかもしれない。
追伸。袴田事件とは現在の再審決定の件である。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
●14-15-1。Filedworkの諸妨害。
開始前のカメラ・レンズトラブルは既述通り。
開始後は2日目→ホテル朝食時、ふたやコップでやけどの危機。
3日目→ホテル朝食時、食事込価格と食事付録感覚でのトラブル。
そして天気問題。意識危害・危害も。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
14-15-2。意識危害/催眠か?
岩国駅途中下車。改札口出て2mで切符場所完全忘却。

類似例。
昨年12月ソウル→関空でパスポートで同様。
昨年5月の中国→Y氏が最近健忘症と言うや、その数分後にバスを降りて、自分がどこにいるか分からなくなる。最たる例が14-16参照

 

スの如く、昔は前者4800円、後者16700円と全く違うのであ