日本のフィクサーME・パート3・第1章第4節山口県への旅・伊藤博文修行の地(萩市・1):💁1/27 14:08正式公開

このエントリーをはてなブックマークに追加

日本のフィクサーME・パート3・第1章山口県への旅・伊藤博文修行の地(萩市・1):💁正式公開

 

 

(1)著作は、原則として、十二回の見直しをして作成している
(ブログは、通常、一回程度の見直ししかしていない。)
今回の原稿は、この十二回の見直し以前の単なるメモである。
そこで、作品時点では大きく様変わりするであろう。
それを頭に入れて読んでいただきたい。

(2)この文書は、故意に嘘(うそ)を10パーセント程度いれている。

どこが嘘かは公開できない。善良な第三者に迷惑をかけないための措置である。
総論として、この文書はフィクションとして書いている。

(3)『日本のフィクサーME』登場人物のキャラクターなどは以下を参照願いたい。
安らぎ文庫>>6-1・『日本のフィクサーME・下』《『日本のフィクサーME』登場人物の紹介》
http://h-takamasa.com/book-01/custom57.html

◎風景描写→字数の関係で、メモではごく一部を除き風景描写は原則として大きく省略する。


【更新履歴】

2021/11/29 1:04 ~2022/01/20 3:28までのメモが長いので二分割して、本日別に掲載している。

2022/01/27 1:30 事実上公開状態に入るが、起床後に、誤字脱字類の見直しをするため、今しばらく閉鎖。

2022/01/27 1:56 大幅な構成変更

2022/01/27 12:42~14:08  再度の修正作業開始。これが終了してから正式公開と案内を掲載予定

2022/01/27 14:08正式公開。17:45 最後にTwitterを一つ追加。


 

日本のフィクサーME・パート3・
第1章1節:山口県・光市・萩市への旅(部落解放運動分裂模様から世界連邦まで)
第1章2節:山口県の旅への経緯―安倍晋三氏の影登場

第1章3節山口県への旅・伊藤博文生誕の地(光市)

第1章4節:山口県への旅・伊藤博文修行の地(萩市・1)

第1章4節:山口県への旅・伊藤博文修行の地(萩市・2)
第1章5節:オジョウの偽者登場


  写真は全部で20~30枚掲載予定でいる。ただし、写真的・芸術的価値ではなく、今回の文書・内容にふさわしい写真を選択することになる。後で述べるが私はカメラマンでは一切ない。

  今回掲載の政治家関連の写真をみれば分かろう。文書掲載時には写真は不可欠である。しかし、著作権問題があり、それをクリアするためにカメラを開始せざるをえなかっただけである。写真枚数や分量が多いため、第4節は幾つかに分割することにした。

《◇―1:萩へ》

 

疲れから、萩への旅立ちは新山口駅発10:10頃となった。新山口から萩まではバスでの旅であった。と言うのも、萩は4月4日のみである。そこで、早く萩につき、即、行動に移さなければならないからである。遠回り(新山口~厚狭駅~長門~東萩)の汽車(JR)では「青春18」は使えるが、萩の旅の成果がご破算になる危険からであった。

※掲載写真はすべて、一度クリックすればパソコン画面大、二度クリックすれば巨大になる。

新山口駅:2014年4月14日午前10:00:写真No.14-018-083

バスの料金も2060円とリーズナブルであった。今度は光市へ行くときと異なり、安倍晋三氏のことではなく、伊藤博文安重根(アンジュングン)野坂参三の運命などに思いを馳せていた。

ともかく、この日は激しい風が吹いていた。桜はもうこれで完全に散るであろう。それどころか、萩ではレンタサイクルで迅速(じんそく)に行動する予定でいたため、レンタサイクル屋がすぐ近くにあるホテルを選んでいたが、この風では無理であろう。

道中の風もひどかった。

📷萩道中(台風並みに風が荒れ狂う)

2014年4月4日 10:57:14-018-089

 

 韓国への旅の頃から、フィールドワーク道中ではなく、旅の前から(フィールドワーク妨害・就職妨害・開業妨害などの)攻撃が開始していた。この旅を開始する前にも、2014年3月頃、カメラをやられていた。ニコンで修理を2014年2月にしたばかりなのにもうやられていた。多分、3月上旬の某ホテルに泊まったときであろう。

 当時は企業間戦争に巻き込まれたと解釈していた。いまも、その疑惑はある。それらは第2章で記そう。だが、中国の旅の関係で、相当警戒されたり、行く前から妨害が開始されたりしていた。また、村人や親戚を巻き込んでの妨害も開始していた。

出発前の(2014年の)Twitterに次の書込みをしている。

☆☆☆☆☆

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·3月31日
●「不条理編・Part2」という原稿のためフィールドワークをせねばならないのだが、持って行くカメラ・レンズ器財にトラブル連続で足止め状態で頭が痛い。数本のレンズが突如画質劣化かつ球面収差か何か?では。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·3月31日
撮影失敗すれば再度行かねばならぬが、そんな時間がないため、半年延期か一か八かで行くか迷い中。器財が正常ならば、30日から行っていたのだが。この原稿は世界の絆を目的に書くつもりも、こう妨害だらけでは。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·3月31日
もし、私の原稿「旅に心を求めてー不条理編」(Part1)が出版できればすべての誤解は解けるのだが。これが本となり、私の姿勢をすべての人が知ったならば、凡人に戻れるのに!ただ、凡人に戻れる前に、平和への土台だけを作らねばならない。凡人、それは夢の、また夢?正夢もあろう!

☆☆☆☆☆

中国の旅の夜の演説がきいたのか、それとも中国の旅で喋った内容が主要国に筒抜けになっていたことが原因なのかは不明である。ただし、丁寧(ていねい)なスパイ行動ではなかったようである。それが北朝鮮問題での誤解を生みだし、そして、その誤解が米朝首脳会談での私の役割と、米朝首脳会談実現への導火線となった。その話は『日本のフィクサーME・パート5』で書こう。

もし、諸妨害がなければ、恐らく光市に4月4日の夜までいて、松岡洋右(まつおか・ようすけ)氏(※1)に関する情報集めをしたであろう。私は松岡洋右氏とヒトラー(※2)の関係を調べてみたいと思っている。もし、私の仮説が当たっていれば、総理の靖国参拝に一考を投げかけられるであろう。そして、それは日韓、日中などの関係改善に大きく寄与したであろう。

ヒトラーが日本に自分のスパイをつくりたいという趣旨のことを書いたヒトラー自身の文献を読んだ記憶がある。昭和天皇も松岡洋右氏とヒトラーの関係を疑っていたようでもある。もし、スペースがとれれば、松岡洋右氏がドイツへ行った際の映像をながしたいと思っている。仮説が当たっていれば、松岡氏がドイツで異常とも言える歓迎を受けたのももっともとなるであろう。英雄の凱旋(がいせん)帰国並の歓迎を総理ではなく一外務大臣がうけていた映像である。

 2022/01/26 下記にその画像の一つを掲載をした。

 この課題を思いついたのは『日本のフィクサーME』(kindle、KOBO各百円で発売中。Part-1に該当)で小泉純一郎氏が靖国参拝をする際に、私の感想を求めてきたように思えたときに、私が総理の靖国参拝を思い留(とど)まって貰うための一番最後の説得内容であった。即ち、国益論から説得、次に日本の顔問題からの説得…そして最後の三番目の説得として松岡洋右氏とヒトラーについての昭和天皇の疑問問題であった。そのときから抱えていた課題であった。松岡洋右氏の件は、結論にあわせてこじつけることはしないが、今でも調査は必要と考えている。

☆☆☆☆☆

『昭和天皇独白録』にも「松岡は帰国してからは別人の様に非常なドイツびいきになった。恐らくはヒットラーに買収でもされたのではないかと思われる」と書かれていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E6%B4%8B%E5%8F%B3

 また、ヒトラーの手記の中でも、ヒトラー自身が「日本にスパイをつくる…」という箇所は、出版までには掲載したいと思っている。現時点ではどの本で読んだか忘れており、即座にさがせないため、今回は掲載できない。

☆☆☆☆☆

☆☆☆☆☆

小泉純一郎氏との「総理の靖国参拝」を巡る激論については下記の私のHPを参照していただきたい。

(公式HP・主張・)提言―5・総理の靖国参拝(について)

http://takahama-chan.sakura.ne.jp/politics/custom7.html

☆☆☆☆☆

☆☆☆☆☆

ドイツ週刊ニュース 松岡外相のベルリン訪問【日独同盟】 日本語字幕

歴史資料
チャンネル登録者数 1380人
ヒトラーユーゲント入団式~松岡外相のベルリン訪問
1941年4月9日付のドイツ週間ニュースから。
ヒトラーユーゲントの入団式の模様と三国同盟慶祝を名目としてベルリンを訪問した松岡洋右外相の映像です。

☆☆☆☆☆

【資料】

※1:松岡洋右{まつおか ようすけ、1880年(明治13年)3月4日 – 1946年(昭和21年)6月27日) 。第2次近衛内閣では外務大臣に就任し、日独伊三国同盟や日ソ中立条約締結を推進。佐藤栄作は義理の甥にあたる(妹の娘婿で養子)。

※2: ヒトラー:(Adolf Hitler , 1889年4月20日 – 1945年4月30日)ドイツ第15代首相(1933年1月30日 – 1945年4月30日)

 あれこれ考えている内に、バスは、あっという間に萩に着いた。萩着11時28分である。

萩着

2014年4月4日 11:28:14-018-093:

2014年4月4日 12:14:14-015-002

 

風が余りに強いのでレンタサイクルを中止して、重い器財を持ったままで、すべて歩くことにした。

風が強く、雨が降っていても傘もさせない瞬間もあった。

風が相当やむも、未だ下記の如しである。

2014年4月4日 12:30:14-018-103_

 なお、2014年についての企業間戦争に巻き込まれた疑惑、安倍昭恵氏の美作市への異常接近(大芦高原界隈の地図を第2章で掲載するが、それを見れば、親戚各位は驚くであろう)、朝日新聞従軍慰安婦問題…などの問題は第2章でまとめることにする。

 ちなみに、安倍昭恵氏のみでも、良い悪いは別にして、2013年私の憩いの地であった大芦高原へ、さらに隣の小母さんが務めていたと思われる湯郷温泉の旅館(もしくはその隣の旅館)へ、2015年は美作市から表彰、更に、拙著『日本のフィクサーME』登場の布袋(ほてい)さんと同姓の布袋寅泰(ほてい ともやす)氏との安倍昭恵キス事件…と私に妙な絡みが開始したように思われる。原因は、誰かのデマに安倍夫妻がだまされたことにあると長期分析している。それらも第2章で記すことにする。

《◇―2:学校とは何かを模索し、松下村塾を訪れる》

 

(1)松陰神社(12:39~13:13)


当時の日程表に以下のように記述している。「暴風の中、神社を地図を見ながら歩く。ここまでは簡単に行けた」、と。

この旅にはいくつかの目的があった。

主たる旅の目的は人間模様を追う事であった。

「光市は伊藤博文松岡洋佑、左は宮本顕治。萩は伊藤博文・高杉晋作桂小五郎(木戸孝允)から桂太郎田中義一まで、左は野坂参三志賀義雄とくる。同時に、東大・京大vs松下村塾適々斎塾である。当然後者であろう。今の教育は狂っていることを証明したいとも考えていた。」

萩市での具体的目的は以下であった。

①安重根🆚伊藤博文、

②松下村塾が多数の歴史的人物を何故輩出できたのか、

③志賀義雄🆚野坂参三🆚宮本顕治、更には組織対人間という視点から何かを感じ取ることであった。この問題が後に部落解放運動の分裂にも関係してくるため尚更であった。

④スターリン時代での野坂参三氏の行動評価論、この問題を普遍化すれば、やはり組織と人間という問題に行き当たる。

⑤松下村塾・適塾🆚東大・京大論である。

《◇―2》では、①と②を軸にフィールドを行うことにした。

松陰神社には意外と早くついた。12時39分頃である。

2014年4月4日 12:39:14-015-009

2014年4月4日 12:52:14-015-038-1

ここからが大変であった。松陰神社までは簡単にきたが、松下村塾がサッパリどこにあるか分からない。1992年頃に来たにも拘(かか)わらず、全くどこか分からない。

12時50分頃から松下村塾を探すも、手がかりが全くない。

結論を記す。

松陰神社から、松下村塾にたどりついたのは結局、14時50分頃、即ち2時間後であった。正確には1時間35分後であった

当時の話に戻そう。

そこでやむなく、先に、伊藤博文の住居跡にいくことにした。

(2)伊藤博文住居跡(13:20~14:10)。


「同じく、地図を見ながら歩く。これまた運よく簡単に行けた。奇跡的とも言える。
なお、ここでは散った桜が道を多い、桜道となっていた。撮影方法はトリミングした桜道を花と一緒に撮るべきであったと、後日考えた。」(当日の手記から抜粋)

伊藤博文旧邸

2014年4月4日 13:34:14-015-102

2014年4月4日 13:44:14-015-086

2014年4月4日 13:31::14-018-129

2014年4月4日 13:45:14-015-125

 

 

松下村塾を見て、学校とは何かを考えた。そして、この時点で大阪の適塾に足を運ぶことを決めた。

松下村塾・適塾🆚東大・京大である。

偉人輩出率を考えればよい。

(3)松下村塾(14:48~14:59)。


「大変なのは松下村塾であった。地図を何度見てもたどり着けず。萩市の掲示地図を見ても分からず。松陰神社を13時13分に出て、松下村塾にまず行こうと考えるも、行ったり・来たりでたどり着けず。やむを得ず、伊藤博文住居跡に先にいく。その後も、何度地図を見ても松下村塾の場所が分からず。道路の標識にも記載がない。目的の一つであった松下村塾に行けない。どうしたことかと困り果てる。何度かあちこちに進んでも、最初の出発点であった松陰神社の入り口にたどり着くばかりであった。
弱り果てた時に、ふと一つの考えが浮かんだ。ひょっとすると松陰神社の中に松下村塾があるのではないか、と。その仮説に基づき、松陰神社内に再度入ると、何と、この中に松下村塾があった(14時48分)。松陰神社を出てから松下村塾にたどりつくまでに1時間35分かかった」(当時の手記と帰宅直後の記録から抜粋・2022/01/16 誤字脱字訂正)

私の方向音痴のせいだけではない。

どの分野でも同様であるが、自分らが分かりきっていると思うことには、他人も分かりきっていると人間は考える妙な癖がある。

即ち、地元の人は分かりきっている。常識以前のことである。すると、誰でも分かるだろうと、丁寧(ていねい)に記載しないのである(標識が十分ないのである)。

携帯電話やスマホを考えればよい。

私は長期金欠の関係で携帯電話は一切所有したことがなかった。しかし、第2章で述べる、起業・「安らぎ文庫」創設にあたり、スマホなるものを購入した。2015年のことである。

この妙な機材・スマホなるもので電話をかけようとしたが無理であった。

第一の関門はどこを耳に当てて、どこに向かって喋って良いのか分からなかった。

第二の関門は電話の切り方が分からなかった。スマホはパソコンと同様である。パソコンはボタンでシャットダウンするのは最後の手段であり、してはならない。通常は操作でシャットダウンとする。それが無理な場合にはCtrl+Alt+Delの操作でサイインアウトかタスクバーを立ち上げる。それでも無理な緊急事態にのみ、手動でボタンを押して電源を切るである。

スマホの訓練で、スマホの実験で目の前の我が家の固定電話に電話をかけてみた。つながった。だが、電話の切り方がサッパリ分からなかった。

その後、スマホで、外部宛電話をかける実験を何度かしたが全て失敗であった。

それでもスマホは携帯電話抜きでも便利なものである。購入目的は、安らぎ文庫創設にあたり、電子書籍のレイアウト確認と、HPをスマホで見たときのレイアウト確認であった。携帯電話としての活用は実験を除けば使用料金ゼロ円が長期続くことになる。だが、スマホで地図確認ができるため、方向音痴の私には命綱と何度もなった。

ちなみに、他人宛への電話は、現時点(2022/01/16 4:25)まで、姉と実験をした2021年頃の一回のみである。

後は、我が家での留守電確認であるが、それも漸(ようや)く様になったのが、2021年頃か、甘く見ても2020年頃である。

他人宛にかけたことがあるが全部失敗であった。我が家の留守電確認も2019年までは失敗が9割、成功が1割未満であった。そこで、公衆電話頼みとなるが、今や公衆電話がほとんどなく、探すのに苦労することが多かった。

ところで、スマホでの電話のかけかたなどはスマホのマニュアルには一切書いていない。

メーカーは誰も知っていると思っているのであろう。

松下村塾も、松陰神社までは簡単であったが、詳細な掲示がないため、そこから松下村塾にたどり着くのに約2時間かかることになった。

4時間以上かかればギネスにのったかもしれない。

人は私をカメラマンと勝手に決めつけ、大いに悪用されたが、私はスマホでの写真の撮り方が未だに分からない。私は、カメラ技術にはかなり詳しい。それは拙著『求め続けて』の中で書いたように、チャップリンが「ライムライト」という映画の中で見事にバイオリンを自分で弾(ひ)いたのと同様でしかない。

再度いえば、他人宛へのスマホからの電話は、2022/01/10時点まで姉宛への実験での一回のみである。後は我が家宛である。それも大半我が家の固定電話から1メートル離れた位置からの実験が多い。

それでは器械音痴か。

パソコンではかなり複雑なことができる。

nikonのプロ用カメラではマニュアルなしで操作は大半分かる。ニコンのエントリー機のD5500では未だにてこずることがある。しかし、(プロ用カメラと言われている)フィルムカメラF5やデジタルカメラD800は大変操作が簡単に感じている。手にとるやいなや使用できる場合が多い。

エクセルも原則としてマニュアルなしで使用している。私はジャストシステム中心できたため、一太郎、(表計算)三四郎、(データベース)は五郎であったためマイクロソフト商品の使い方はほとんど分からない。それでもマニュアルなしで、エクセルは使っているのに等しい。パソコンの各種ソフトも大半マニュアル無視である。例外は(データベースソフトの)アクセスだけはマニュアルを少しみた程度である。

 松下村塾を運営していたのは吉田松陰(※3)である。
しかし、彼が松下村塾を運営していたのは事実上一年のみである。
そして、下記写真の如く小さな建物である。
斯様(かよう)な、小さな学校から、何故、あれだけの歴史的人物を輩出できたのか。
おまけに萩は小さな街である。


☆☆☆☆☆
※3:吉田 松陰(よしだ しょういん、文政13年8月4日〈1830年9月20日〉 – 安政6年10月27日〈1859年11月21日〉

以下は「日本大百科全書(ニッポニカ)「吉田松陰」の解説」より抜粋。下記死亡月日が上記と異なるのは太陰暦と太陽暦での差異と思われる。
☆☆☆☆☆☆
松陰30歳の短い生涯は多難に満ちている。しかし、これは大別すると3期に分けることができる。
 第1期は18歳までの少年時代、第2期は24歳までの遊学時代、第3期は獄中時代(松下村塾)である。

出牢した松陰は近隣の子弟を集めて塾を開くが、この塾が、玉木文之進の始めた松下村塾(当時隣家の久保氏が教授)と合体し、やがて松陰が主宰者となる。29歳のとき、松陰は同志17名と血盟し、「安政(あんせい)の大獄」を未然に防止しようと老中間部詮勝(まなべあきかつ)の要撃策を企図する。目的達成のため、この案を藩府要人に示して後援を求めるが、藩府は松陰を危険人物視してふたたび投獄する。松陰は獄中においてもこの策を推進するため門人を動かすが、門人たちも投獄されてこの策は失敗する。1859年30歳のとき、幕府は藩府に松陰の江戸送致を命ずる。江戸に着いた松陰は同年(安政6)10月27日、伝馬町の獄で刑死する。
☆☆☆☆☆☆
https://kotobank.jp/word/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0-22146
☆☆☆☆☆☆

(山口県)萩市は合併を繰り返しても、今日でさえ、人口は4万3000人である。しかし、面積は合併の繰り返しで698平方キロメートルもある。

人口274万人の大阪市の面積が225平方キロメートルである。なお、大阪は私が小学校の頃には大阪市のみで人口が314万人を超え、阪神工業地帯は京浜工業地帯の生産額を上回っていた。
東京23区の面積が627平方キロメートルのため、今日の萩市とほぼ同一の面積である。参考までに言えば、大阪そっくりの街・ソウル市の面積が605平方キロメートルである。

そこで、合併を繰り返す前の萩がいかに小さな街だったかが分かろう。
その小さな街の小さな学校から、数多くの歴史的人物の輩出が行われた。
この萩訪問が、学校論の視点から松下村塾、後には適塾(適々斎塾)により興味をもつ契機となった。
簡単に言えば、吉田松陰の最大の業績は、彼本人にではなく、彼が主催する松下村塾が多くの門下生を育てたことにある。要するに、松下村塾をでたから偉いのではなく、歴史的人物のかなりの数が松下村塾からでているので、松下村塾が脚光を浴びているのである。
今日の学校も本来は同様である。私や(他の学生が)関学・早大をでたことにより評価されるのではなく、私の活躍(他の卒業生の活躍)で、その大学の評価が決まるのである。

2014年4月4日 14:16: 14-018-143

松下村塾

松下村塾:2021年14時57分:写真No.14-015-179

 

松下村塾出身者

2014年4月4日 14:56:14-015-178

2014年4月4日 14:52:14-015-165

 

2014年4月4日 14:50:14-018-146

《◇―3・歴史とは何か。》



ここまでの中間報告。
なお、ここで日本の学校教育によるマインドコントロールの馬鹿馬鹿しさを指摘しておく。
この後(《◇―6》で予定)で、萩出身の田中義一、山県有朋、桂太郎…が登場する。「覚えなければ」、…と生徒・学生諸君は…と。だが、彼らは後に述べる小渕恵三…菅直人氏、野田佳彦君と同様の存在でしかない。
安倍晋三氏に至っては各種記録を作ったため、何十年か後に伊藤博文に近い記述をする参考書がでてくるかもしれない。さらに後に、安倍晋三神社ができるかもしれない。何の神かは書くまい。
 吉田松陰ですら、我が友・ミスター・オバマに比べれば世界の歴史は見向きもしない。

「はかせ」が言った。
将来の歴史では、ボン様と坂本龍馬や高杉晋作とでは、ボン様の方が重要になるのではないですかな。少なくとも、世界の歴史ではそうなるでしょうな。吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬などは世界の歴史からは無名の存在ですな。

「明神」君が言った。
それでもサー、吉田松陰の名は高校や大学入試にでる。ボンちゃんの名前はサー、でないからね。

「はかせ」
幾つかの番組で神話化されたので、多くの人が錯覚をしているのでしょうな。第一、有名ですと、すぐに後に神社ができる。地元の人は神社掃除で大変ですな。
ボン様も、死んだ後で神社ができますな。貧乏神ってね。
それと、吉田松陰様は、幼名は寅次郎というのですな。車寅次郎と同一の名ですな。



後の歴史では田中義一、桂太郎、山県有朋と小渕恵三氏、小泉純一郎氏、安倍晋三氏…菅直人氏、野田佳彦君は同一のレベルで取り扱われるかもしれない。多分そうなるだろう。そして、後者と私とは後で述べるように腐れ縁…がある。

さてさて、まだ「安らぎ文庫」起業を目指して、フィールドワークをする場合にはどういう形で行おうか。「学校の授業とテレビ・映画の世界に騙(だま)されてはならない」とだけ記しておこう。
大隈重信って…😷。

将来の歴史教科書で安倍晋三以下ってことは…。となると、早大って😷。否、大学はパソコンなどの商品と同一である。安くて、商品価値が高い(教育サービスが良い物)だけがよい。誰がパソコンを作ったかは無関係である。
それと後に早大に行くことが出てくる場合に備えて書いておこう。大隈重信って、福沢諭吉と同じだろう、と。これで良いか。
それと野田佳彦君や岸田文雄君は、自分は大隈重信と同一の総理であることを忘却してはならない。大隈重信が作った学校(早稲田大学)に行ったと自慢するようでは世の笑いものとなるであろう。再度言えば、早大をでたことにより評価されるのではなく、卒業生の活躍で、その大学の評価が決まるのである。

オバマ大統領の名などは世界の歴史に残り、世界史などでは入試にでるだろう。だが、もし、私が今予備校でミスター・オバマの話をすればどうなるだろうか。この嘘(うそ)つきがと私は大変な目に遭(あ)うであろうしかし正直だけが取り柄で…

ともかく、フィールドワークの仕方を考えねばならない。本来は、萩よりも先に野麦峠に行くはずであったのだが。無名の「辰二郎」と「ミネ」の兄妹愛の方が価値がある。それが本来の「学問」である。要するに、兄弟姉妹が一生仲良く暮らせる方法とは何か…などである。それを歴史から学ぶのである。勿論、人間関係だけではなく、社会現象の本質の材料をも学ぶのである。「歴史とは何か」…。

あるいは松本市の近くにあった「姥(うば)捨て山」の舞台の方が価値があるかもしれない。その話は第2章でしよう。

 

桜が散る。ちっっても見事な桜。

2014年4月4日 13:57:14-015-141

2014年4月4日 14:06:14-015-148-tt

 

《◇―4・「求め続けて」と「日本のフィクサーME」の相違について》


今回のテーマの多くは拙著『旅に心を求めて』シリーズで取り扱う話である。
『日本のフィクサーME』シリーズでは現実世界で私が動かした政経関連の情報公開が主たる目的である。

今回の旅ならば、私が萩に2014年に行くと、萩が2015年世界遺産となるこれも計算されて、私の萩行きが2014年と決まったのであろう。いや、決められていたのであろう。
実に世界遺産請負人の側面である。世界遺産成功率が当時はほぼ百パーセントという数値をはじいていた。
姫路も行くや翌年、広島原爆ドーム・宮島が翌々年、野麦再訪を決めるや富岡製紙工場即世界遺産、後の長崎も2016年に行くや翌年世界遺産…と。書けばきりがない。
関連では、奈良の幾つか、京都の幾つか、島根の石見銀山、野麦関連の白川・五箇山、…と膨大にある。

もっとも、一定の時期までの影響は世界遺産だけではなく、ノーベル賞などにもあったかもしれない。「山中伸弥氏の研究は医学の革命に該当するので、その研究(IPS細胞)を促進するため、彼のノーベル賞は早い方がよい」と言い続ければ、山中伸弥君が2012年(49才時)年にノーベル賞を受賞した。

 今月の歌では「愛の賛歌の歌手はすばらしい。これも立派な文学である」(下書で2016年9月頃)と書けば、ボブ・ディラン(Bob Dylan、1941年5月24日~)がノーベル文学章を受賞した(2016年10月13日)。

 グラミー賞でも奇妙な事が起こる。私の写真作品「This is the American」(「これがアメリカというものだ」。The+Americaで抽象化してタイトルをつけた、これがアメリカの神髄だという写真)論争が我が村で起こる。論争とは、Aさんのお子さんのお子さんへのメッセージは写真「神戸ルミナリエ」につけたのに対して、Bさんのときには、この写真をつけてメッセージを渡したときに、Bさんには失敗した写真を渡したのではないか…などの風評被害があった気配を感じた。すると、アメリカのグラミー賞が応援してくれたかの如(ごと)く、「This  is America」という歌がグラミー賞を取る。即ち、ドナルド・グローヴァー(Donald Glover、1983年9月25日 – )の「This is america」が第61回グラミー賞(2019年2月)において最優秀レコード賞等4部門で賞を取った。いいですか「4」部門ですよ。

 なお、その後のグラミー賞でミッシェル・オバマ夫人がゲストで登場したこともあった(レディガガさんのときと思う)。

 ちなみに、この写真は失敗さくではなく、ミスター・オバマ、ミスターバイデン、ミスターケリーにSNS経由で送付した写真である。

 それらもBさんに書いた。しかし、Bさんは当時ミスターバイデンって誰と思ったのであろうミスター・バイデンとは今のアメリカ大統領である私の重要な友でもある。この写真は、「日本のフィクサーME・パート3」の第三章で再度登場する。念のために、村のトラブル騒動時に書いた関連箇所のリンクを掲載しておく。


公式HP(2017年1月20日公開)ではオバマ大統領・バイデン副大統領・ケリー国務長官辞任の際にこの写真をSNS送信している。
☆☆☆☆☆
政経を語る№14・オバマ大統領・バイデン副大統領・ケリー国務長官への思い出メッセージ
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=10993
☆☆☆☆☆

さらに該当者Bさんの誤解を解く目的も兼ねて以下の文書を安らぎ文庫に掲載した。

☆☆☆☆☆
安らぎブログ;2018年1月27日
写芸楽№3―仏作って魂入れず(写真「鎮魂の灯火」と「永久の愛」の比較について)
http://h-takamasa.com/Blog/?p=12253
☆☆☆☆☆

この頃も、Xグループか誰かが我が村で住民対立(例:私🆚Bさん)を画策していたのであろうが、その誰かはかなり芸術感覚・物わかりの悪さ・しつこさ・…があり、常時あきれ返っている。
更に、催眠で、それではその写真をコンクールに遅れるかという形で強要され、多大な労力と諸経費をコンクール類送付のために損失させられてもいる。
だが、コンクールに送る前に、アメリカ大統領・副大統領・国務長官に送っていると言えば通常の常識をもっていれば分かりそうなものである。

なお、この写真などで更なる住民対立を防ぐため、神戸ルミナリエは年賀使用の写真としており、「This is the American」は暑中見舞い使用の写真としているのみか、我が村などで誰かがほしいと思った場合に備えて、常時HPで公開し、自由にダウンロードして印刷すれば同一のものを即座に入手可能になるような措置をして、平等原則を守っていることも付け加えておく。


東京五輪でも、私が誘致に賛成すれば、石原慎太郎氏か誰かが神風が吹いたと喜び、やがて本当に東京五輪が決まった。
ただし、私がこれらを全部ガラス張り公開した関係で、最近では私が押すものが必ず偉大な賞をとることはなくなった感じもする。この回避現象は、昨年か・一昨年からという、ごく最近からである。

もう一つの話を付け加える。

 今回の旅の帰路が、岩国・宮島である。それが後に2016年にミスター・ケリーやミスターオバマの広島訪問に絡(から)められることになる。私の行動が、ミスター・オバマの広島訪問に繋(つな)がったとは書いていない。絡められることになる、と書いているのである。大変であった。多分、私だけではないであろう。(・∀・)bitter smile。後には広島に行けなくなる。その話もどこかでしよう。勿論、広島市民などには感謝のみであり、恨みなどは一切ない。何なのかは?である。
その話は別の箇所で記そう。
同時に、フィールドワークの妨害が組織的に行われることになってくる。それらも後で記そう。また、私の偽者登場が2014年のフィールドワークから表面化してきたことだけを記しておく。

以上で区切り、後は(萩・その2)とする。

(2022/01/27 17:44 追加)

2017年の🤡の💑メッセージ📷「This is the American」(これがアメリカというものだ)での挑発はXか誰かによる、住民対立工作の疑いが高い。

これらは、『日本のフィクサーME・パート5』か『同・パート6』で再度検証する。

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1486584998819860481?s=20

 


①各種パンフ、②各種地図、③野坂参三関連資料、④松下村塾関連資料。
萩ロイヤルインテリジェントホテル

 

 

防長交通バス=2080円
この日の天気はすさまじかった。晴れかと思うと、雨、雨かと思うと暴風雨と。
萩についた時は、暴風で、レンタサイクル予定であったが、暴風のため中止し、徒歩で回る。
正午前から歩き、ホテルに戻ったのが20時頃であり、約8時間思い器財を持ち歩いたことになる。

(1)松下神社(12:39~13:13)
暴風の中、神社を地図を見ながら歩く。ここまでは簡単に行けた。

(2)伊藤博文住居跡(13:20~14:10)。
同じく、地図を見ながら歩く。これまた運よく簡単に行けた。奇跡的とも言える。
なお、ここではとんだ桜が道を多い、桜道となっていた。撮影方法はトリミングした桜道を花と一緒に撮るべきであったと、後日考えた。

(3)松下村塾(14:48~14:59)。
大変なのは松下村塾であった。地図を何度見てもたどり着けず。萩市の掲示地図を見てもわらず。松下神社を13時13分に出て、松下村塾にまず行こうと考えるも、行ったり来たりでたどり着けず。やむを得ず、先に伊藤博文住居跡に先にいく。その後も、何度地図を見ても松下村塾の場所が分からず。道路の標識にも記載なし。目的の一つの松下村塾に行けず、どうしたことかと困り果てる。何度あちこち行っても、松下神社にたどり着く。
弱り果てた時ふと一つの考えが浮かんだ。ひゅっとすると松下神社の中に松下村塾があるのではないかと。その仮説に基づき、松下神社内に再度入ると、何と、この中に松下村塾があった(14時48分)。松下神社をでてから松下村塾にたどりつくまでに1時間35分かかった。

(4)野坂参三の墓参り(15:59~16:36)。
逆に野坂参三の墓は方向音痴の私では、ちょっとたどり着くのが難しいのではと危惧していた。地図を見ても大変わかりにくいのである。ところが、野坂参三の墓のある泉福寺(浜崎町)を目指して歩いていると、押し車の人や、車が誘導してくれるかの如く形で、意外と簡単にたどり着けた。しかし、道は大変ややこしく、もう一度行くとなると着けるかどうか不明である。
なお、泉福寺で野坂参三の墓を探すが、どうしても見つからず弱り果てる。そこでやむなく本堂の方に進むとお寺の娘さんらしき人がおり、その人に尋ねると野坂参三の墓へ案内してもらえた。感じの良い若い(知的雰囲気の)女性であった。
何枚も写真を撮っているのでそれを見ること。ただし、平凡な形で撮っており、芸術的に撮れば良かったと後日思った。たとえば多重露出を入れるなど。
なお、この寺は浄土真宗であり、吉田松陰関連の寺であった。
野坂参三の文字の横の野坂竜の文字を見て、私の単なる直感の政党防衛論を墓の前で喋ると、遠くて船の汽笛が〝そうです〟の如く形でなった。なお、私のこの仮説が当たっておれば、不条理編Part2は第1章が安重根と伊藤博文、第2章が苦悩の中で、野坂参三(氷点型で記す)、第3章がベトナム戦争と韓国で構成する。

(5)高杉晋作住居跡(志賀義男生家近く)(17:33~17:36)[界隈]
この後、高杉晋作住居跡を目指す。高杉晋作に余り興味はないが、先の不条理編Part2の関係で志賀義男について書くことがあるかもしれないため、行っただけである。確か、志賀の生家がこのあたりである。結局、高杉邸に行ったが付近に志賀という家は見えなかった。なお、この地に行くまでの間で見た風景は萩という地に相応しい景観であった。また途中田中義一記念碑を見る。また、この地へも意外と簡単に行けた。

(6)その他。
「あず花亭」というレストラン(18:37)で夕食をとる。コストパフォーマンスは高かった。また萩の地酒があったので、飲んでみた。全く酔わなかったが、地元を飲むという感じで飲んだ。レストランからの景観も良かった。

【経路】
①新山口駅発10:10頃。
②東萩着11:28頃。(交通費2060円。標準時間94分、特急74分)。
※JRバス以外に、防長交通があるので注意。

【ホテル】
ホテルは食事込みで6100円ーポイント2300円使用=2900円。
ただし、朝食は二、三百円程度のものでしかない。要するにおにぎり二つ程度と考えた方が良い。よって、朝食込みというよりも、おにぎり二つサービスと記した方が正確であろう。しかも、ホテル側も、朝食なし、ただしサービスで何かを出す的感覚が強く、私の方との食い違いがでた。要するに、ホテルは悪魔でサービスでおにぎりあげます的発想であり、朝食代込みという発想ではなし。それならば、自動販売機でおにぎりを販売した方がトラブル防止となろう。もしくは朝食百円とすれば、それこそ無料サービスと分かるであろうが、この表記では朝食代込みと勘違いした客がでるであろう。なお、朝食の場所も意外と景観が良い。
なお、資本は中国か台湾系と思われた。理由は神戸の南京町付近の例のホテルと大変似たコンセプトであった。かなり、セルフ的感覚と同時に、バスも浴槽はない。シャワーのみであった。
ただ、部屋からの景観は良いと言える。更に、ホテル内に様々な絵画などの芸術品が飾ってあり、夜ゆっくり見学した。また、テナント方式が発達しており、カラオケなどが建物内にあったようである。
総論として、リピーターには良いホテルとなろうが、初めての人は少し戸惑う所があるかもしれない。部屋の広さなどから、一応コストパフォーマンスは良いとなる。

以下Twitterから引用。
浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·3月31日
●「不条理編・Part2」という原稿のためフィールドワークをせねばならないのだが、持って行くカメラ・レンズ器財にトラブル連続で足止め状態で頭が痛い。数本のレンズが突如画質劣化かつ球面収差か何か?では。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·3月31日
撮影失敗すれば再度行かねばならぬが、そんな時間がないため、半年延期か一か八かで行くか迷い中。器財が正常ならば、30日から行っていたのだが。この原稿は世界の絆を目的に書くつもりも、こう妨害だらけでは。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·3月31日
もし、私の原稿「旅に心を求めてー不条理編」(Part1)が出版できればすべての誤解は解けるのだが。これが本となり、私の姿勢をすべての人が知ったならば、凡人に戻れるのに!ただ、凡人に戻れる前に、平和への土台だけを作らねばならない。凡人、それは夢の、また夢?正夢もあろう!

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·3月31日
●Facebookへの書込は、伯母の四九日や、カメラの相談で価格ドットコムへの書込対応の関係などで中断中。万一、フィールドワークに行けば、4月5頃から書込再開か?何せ精神hero、否、精神疲労で、掃除さえできぬ状況故、やむなし。
次からTwitterにも整理番号記述予定。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
●14-010-1。本日Fieldworkから帰る。Fieldworkの一日目は雨、二日目は暴風と寒波、それに雨と晴れの交互、三日目は豪雨、このため二泊三日を三泊四日とした。光・萩まですべて鈍行での旅であった。一日中電車中か、一日八時間歩くか、で、疲れた。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-10-2。旅の目的は人間模様を追う事であった。光市は伊藤博文、松岡洋佑、左は宮本顕治。萩は伊藤・高杉・桂から田中義一まで、左は野坂参三、志賀義雄とくる。同時に、東大・京大vs松下村塾・適々斎塾である。当然後者であろう。今の教育は狂っていると再度痛感。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-10-3。野坂氏の墓参りもしてきた。彼と山本懸蔵問題も謎である。山本氏が野坂氏の妻を撃とうとした時、野坂氏が山本氏を撃てば正当防衛である。ピストルはスターリンである。考えすぎかどうか、再度考える。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-10-4。野坂氏はスパイと聞く。では戦後のそれの動機は。新党を作るとか、自分で事業を興しその資金のため、豪遊のため等の動機がない。生活するだけならば、彼の知名度では本でも書けば印税で十分。議員年金もある。戦後の動機に関しては全く分からない。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-10-5。本題は野坂問題よりも、伊藤博文と安重根である。これで両方の記念碑に行けた。予告通り、両者について何も調べずに行く、を実践した。今は両者について何も知らない。これから調べて作品化を行う予定である。当然、主眼は現代との対話である。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-10-6。悪魔で、現代の生活・生き方に還元できて初めて意味を持つ。知識はアクセされーではない。実用主義すぎても問題であるが、現代との対話抜きの著作は、パチンコ類と同様の時間つぶしでしかない。悪いとは言わないが、私の世界ではない。知は飾りであってはならない。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
●14-11-1。4月6日、Faceebookに漸く、グレゴリーペックとの出会いを書けた。

なお、野坂問題に関しては、多くの諸情報が私に提供されることを願い、敢えて今回書込をした。ソ連の公開文書だけでは!動機が分からねば、正当防衛論すらありうるので。過去の前例では解けぬ!

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-13-1。野坂関連情報(14-11-1)について。私のFacebookやTwitterには書込禁止。私はfollwもその逆もしない。情報はインタネット上のどこでもよいし、TVでも良い。過去、彼のようなタイプでのスパイ関連の前例がないため、分析不可能となっている。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-13-2。ソ連公開情報だけでは。まして動機の解明がなされていない。本人に確認したと言っても100歳頃である。しかも一日意識が2時間程度しかない時もあるとの事。これでは何も分からない。常識で考えれば誰でもそう思う。

兎も角、本題は伊藤と安重根のため、野坂関連では援軍求める。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
●14-14-1。今回のFieldworkの目的。
①不条理編2用・安重根と伊藤博文のため伊藤博文を追う。
②教育論:東大・京大vs適塾・松下村塾のため松下村塾を調べる。
③広島・平和の旅補強用で厳島神社の写真撮影。
④その他。野坂参三の墓参り等。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
14-14-2。①②が主目的。③④は可能ならばであったが、④が気になっている。野坂氏の共産党除名は同政党の問題であり、私には無関係かつ干渉する気はない。だが野坂氏は歴史の文献にも名は残る。依って、歴史学者等には正当・公正な評価を望む。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
14-14-3。再度一般論。戦前のソ連の幹部宛手紙とは、ヒトラーに親書を送るに該当し、文書は規定される。依って手紙類のみでは袴田事件の調書同様である。また14-10-3の如く正当防衛の可能性すらある。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
14-14-4。歴史学者へ。
野坂問題に関してのみか、現代との対話という視点から、スターリン時代の本格分析を願う。その後で、野坂問題を論じた方が良いであろう。
浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日

14-14-5。政治学者へ。
スパイ問題に関する学術的研究を望む。国家の安全と情報公開の必要性などの倫理面のみではなく、科学的視点からの分析を願う。歴史における膨大なデータ収集から諸角度より分析を願う。オバマ・西欧も研究の必要性を感じているはずである。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
14-14-6。私自身は①~③の課題に手一杯であり、④の課題には十分取り組めぬため、学者諸君の援軍を求める次第である。
今回のFieldworkに関しては作品化して述べるが、諸妨害の一部のみを夕方に少し記すかもしれない。
追伸。袴田事件とは現在の再審決定の件である。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
●14-15-1。Filedworkの諸妨害。
開始前のカメラ・レンズトラブルは既述通り。
開始後は2日目→ホテル朝食時、ふたやコップでやけどの危機。
3日目→ホテル朝食時、食事込価格と食事付録感覚でのトラブル。
そして天気問題。意識危害・危害も。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
14-15-2。意識危害/催眠か?
岩国駅途中下車。改札口出て2mで切符場所完全忘却。