(💁正式公開)駿台真相編7-B1・差別文書問題-2025年見解
【表紙の写真】(駿台事件の謎を解く鍵・姫路)→クリックで拡大、二度クリックで巨大
【更新履歴】
2024年12月24日から貼り付け開始
2024/12/28 17:37かなり本音を記述中。
2025年1月末から徐々に本格記載。
2025/02/10、2/11、2/12と清書及び追加作業
2025/02/13 2:05 正式公開
7-B1・差別文書問題-2025年見解
【公開予定】
7-B1・差別文書問題-2025年見解(今回の箇所)
7-B2・差別文書問題2007-10年見解-1
7-B3・差別文書問題2007-10年見解-2
7-B4・差別文書-2019-24年分析チンプンカンプン編―1
7-B5・差別文書-2019-24年分析チンプンカンプン編―2
7-C1・玉子事件―外部と駿台の共謀示唆/演出
7-C2・エアコン事件-徹底した小細工動員の事例
7-C3・マイク攻撃―証拠隠滅例
7-D1・駿台交渉資料編1
7-D2・駿台交渉資料編2
【1987年秋に駿台大阪校で手渡された差別文書】
(差別を拡張しないようにするため、拡大しても文字が読めない大きさでの公開:次回4センテンスのみどこが事実誤認かの解説をつけて、社会啓発用に公開する。後は、私の行動が自由になれば該当機関に処理を委ねる予定でいる。)
意味不明の差別文書・文字中(クリックで拡大)
【表紙の写真】(駿台事件の謎を解く鍵・姫路)→クリックで拡大、二度クリックで巨大
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【駿台真相編7-B1構成】
《◇―序・意味不明の突如の差別文書》
《◇―1・差別文書を手渡された経緯》
《◇―2・渡された差別文書の取り扱いについて》
《◇―3・差別文書を渡された理由の解釈―A段階・駿台講師時代》(A~D段階まである)
《◇―4・差別文書を渡された理由の解釈―駿台辞職後のB~D段階》
B段階は駿台辞職直後から意識不明終了頃までである(1988年~1993年頃)
C段階は意識回復から人間違い説登場前までである(1994年~2012年上旬頃)
D群説(2012年頃~2024年の仮説)→C段階のBlogが終了後から掲載。
《◇―5》1987年の差別文書と2017年の人権擁護協会文書の関係
《◇―6》人間違いについての催眠解説(2025年2月8日)
《◇―7》2007~2010年の解釈収録文・『閉じた窓にも日は昇る』目次
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《◇―序・意味不明の突如の差別文書》
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何のことか意味不明の差別文書を渡される事件があった。
駿台大阪校で生徒のような人物から「化学のK先生からの贈り物」と言って意味不明の差別文書を手渡された。1987年11月頃だと思う。
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「私の知らぬ某生徒から、化学のK先生から浜田先生への贈物と言って膨大な手書き文書を渡される。この文書は、内容は差別内容・文章の箇所が多く、差別表現の箇所もあり、事実誤と思われる箇所が多数あった。後半には脅迫的印象を抱かせる真夜中の車の写真が幾つもコピー添付されていた(現在も保存中)。私の部屋に不法侵入し、兵庫県西宮市教育委員会同和教育担当時代に職務上保有していた機密書類などを見たり、……という脅しとしか思えぬ内容であった。」
これは、昔、記したコメントであるが、後には幾ら考えても、今回記すように、何故、私に差別文書を渡してきたのか「ちんぷんかんぷん」状態が続いている。
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もし、(労働省所管・現厚労省所管の)能開大の件で国会で私の件が取り上げられるようになるか、裁判になれば、能開大事件は駿台時代からの延長のため、駿台講師時代の件であっても、今回の問題をK先生に直に聞いてみたいと思っている。それまでは国内外(特に海外の)マスコミや国内外の政府機関などが上記のK先生に事情を具体的に聞いてみたらどうであろうか。なお、K先生の名は、私に差別文書を手渡した人間が適当にK先生の名などを出すという嘘を言っていたときを懸念して記号としている。立会人と相談して実名にしてもよければ実名とする。K先生は駿台大阪校で化学の大家として有名な人物であった。また出身高校も進学で超有名な高校を卒業されている人である。
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(※注1)K先生とは北山一先生であるが、誰かが北山一先生の名をかたった疑惑もあり、北山先生から直に渡されたり、事情を解説されたりはしていない。北山先生は2023年死亡したというSNSを見たが、事実か否かは不明であり、もし生存しているならばマスコミの方で事実確認をして頂ければ有り難いと思っている。
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1945年度生まれ。
灘高等学校卒業。
京都大学工学部工業化学科卒業。
京都大学大学院理学研究科(化学専攻)
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駿台Wiki EX
https://newoskwest.wicurio.com/index.php?%E5%8C%97%E5%B1%B1%E4%B8%80
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《◇―1・差別文書を手渡された経緯》
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ちなみに、私は駿台校舎内で、同和問題の「ド」の字も出したことはない。(分裂前の部落解放同盟副委員長・分裂後の初代全解連委員長)岡映氏の「オ」の字もだしたことはない。それも駿台校舎以外でも、庭瀬のアパートでも、早大大学院時代の友人と再会するときもである。それどころか独り言ですらだしたことはない。
岡映氏にも、岡氏が生存中に駿台の「ス」の字も言ったことはない。
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私が駿台大阪校内で執拗な業務妨害を受けたため、岡山の合同法律事務所に相談に行くと、対応した豊田弁護士が私に対して不審人物扱いをした。赤旗日曜版か平和書房できいた弁護士のため、私は岡映氏(分裂前の部落解放同盟副委員長、後の正常化連議長)と食事をしたことがあるので、私のことは岡氏にきけば不審人物ではないことは分かる…を言ったことがある。若(も)しくは、言わされたことがある。
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その後での差別文書であったため、私に盗聴器か、弁護士事務所に盗聴器か、豊田弁護士が謎のX Groupに伝えたのかと思った程度である。
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駿台辞職後は、映画説を疑いだした。
そして、豊田弁護士を調べた。
と言うのは、駿台辞職後に振り返ると豊田弁護士の対応は歌舞伎役者型であり、駿台2号館で口をきくきっかけとなった横家と後藤の演技や能開発大での森脇課長と同様の歌舞伎役者型演技としか思えないオオバーなジェスチャーがあったからである。
もし、この演技がなければ、この法律事務所内で、岡映氏の「オ」の字もだすことはなかったであろう。
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正確には、私が岡映氏の名をだしたのではなく、この弁護士の演技で「出すように誘導され」たのである。
丁度、私が西山に手紙を出し、西山が怯えた演技をした後で、駿台京都校2号館で後藤と横家が訝(いぶか)しがる歌舞伎役者型演技をして、私が不審人物ではないことを分かってもらうために彼女らと口をきくようにしむけたのと同様である。横家と後藤が順番に私の顔をのぞき込む。「ジー」と。その後で二人で顔を見合わせ「いよー」、「はっ」と首をかしげる。
同様に、ポリテクカレッジ岡山でも、私が横山さんのプリントの手伝いをしかけると、森脇課長がはいってきて「余計なことをしないで」と言う。すると横山さんが森脇課長を睨(にら)む。そして、二人でオオバーなジェスチャーでにらみあいを続ける。今度は「イヨー」、「ハッハ」である。
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駿台真相編07-A2・駿台刑事犯罪被害の開始シグナル―謎の女性三人登場
http://h-takamasa.com/Blog/?p=34561 参照・公式Blog 2025年1月8日公開
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合同法律事務所(担当者・豊田秀男弁護士)に相談に行ったときの経緯を考えればやはり不自然さは残る。弁護士事務所で、岡映氏の名をだしてから不審人物扱いされたのではなく、先に不審人物扱いされたので、やむなく「私のことは岡映氏に聞けば(不審人物ではないことが)分かる」ということで、私が不審人物ではないことの証明上、岡氏の名を出さざるを得なくなっただけである。客観的に言えば、岡氏の名を出すように豊田弁護士により仕向けられたのである。
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駿台京都校2号館の横家、ゴトウと同じく、歌舞伎役者型演技で、もろに私を不審人物扱いしたのであるから。1984年秋の横家・ゴトウ、1997年のポリテクカレッジ岡山の森脇課長、そして、この豊田弁護士の態度は、正に同じ次元の歌舞伎役者の演技であった。(まず、私の顔をじ~とのぞき込む。「ふむ~」…更に、終わった後は先回りをして、私が降りてきたときの顔をジートのぞき込む。「は~」と。そして「いよ~」と何かをオオバーなジェスチャーで考え込む。)
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駿台講師室係2号館の横家・ゴトウとは、西山に手紙を出した後の西山が怯える演技をするまでは口をきいたことはなかったが(少なくとも全く覚えていないが)、不審人物扱いをされたため、やむを得ず口をきいたのであり、その逆ではない。豊田弁護士に岡映氏の名を出したのも同一の手口(論理構造)であった。
その手口(発想)は同じ人間かグループの人が書いたシナリオとしか思えない。
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駿台事件真相編―🆕6(5)㊦・駿台CM作戦・謀略者の仮説:利権と人間違い㊦―他の首謀者(朝日新聞と共産党、後に安倍晋三)疑惑と幾つかの謎
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=47904 参照公式Blog 2024年12月10日
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これらを思い出し、後に豊田弁護士について調べた。
豊田氏の経歴などは後に掲載するが、後に調べると小作争議が得意で、暴力団にも顔の利く人物という書き込みもあった。(駿台真相編7-B3で掲載予定。)
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いっときは、駿台内の日本共産党groupがX Groupにいて、豊田弁護士に事前に手を回したと解釈をしたときもある。
そこで、私の立会人・新免元美作市議会議員に単刀直入に「私には映画説に見えて仕方がない。その首謀者は日本共産党ではないのか」と直に聞いたことがある。
新免氏は「それはない」と返答した。(新免氏に問いあわせた時の質問文書を後に掲載する。)
私が豊田弁護士の件を少し言うと、新免氏は「豊田弁護士は日本共産党の人です」と明言して、豊田氏が日本共産党員であったことを(正確には)始めて知った。2000年前半と思う。
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というのは、私も豊田氏も共に岡山市在住であったが、面識は一切なく、X Groupが豊田氏に私が相談に行く前に何かを言っていたようである。
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私が部落差別の加害者…は百%ない。部落問題研究部に所属していたことを考えれば解説の必要はない。そこで、部落差別ではなく、部落解放運動に絡めての工作という映画説のシナリオの匂いがした。
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この見解が揺らぐのは2012年頃から少し、2019年頃から更に揺らぐ可能性がでてきた。
即ち、2012年に一連の被害の原因は「人間違いにある」と友人のタカハシ氏が明言し、2019年頃から世界の首脳から、住所二軒注意のシグナルが送られてきたときからである。
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私が万一、Z3などと間違われていれば、差別問題は私はZ3ではないのでさっぱり分からないとなり、場合によればあったのだろうかと思い出したときからである。
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それまでは、映画説で共産党も首謀者としか思えなかった。
それでも村や県・市から嫌がらせをされれば、立会人・新免氏に頼るしか手はなかった。病気でも同様である。
ただし、今でも、共産党首謀論ではなくても、映画説への共産党の協力を疑うことはかなりある。
特に山田洋次監督型の監督作品映画ならばありうるとも、未だに思うことがある。警察官も同様である。山田洋次「男はつらいよ」型ならば、共産党と対立する部落解放同盟や、自民党系の自由同和会ですら協力することはありうるであろう。
金正日氏ですら「男はつらいよ」のファンであったと聞いている。
安倍晋三氏ですら加わってくる余地はあるとなる。
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だが肝腎の山田洋次氏は、(あの世の映画も含めて)「どんな映画でもシナリオがある」という。
しかしながら、今、与えられている資料では「ちんぷんかんぷん」が本音である。
少なくとも40年考えても意味不明である。「おしん」型映画以外は思いつかない。
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そこで、催眠による解説や、他の人が材料を提供してくれて始めて多少何かが分かるのが現状である。
だが、この世では賠償抜きでは(ありもしない女性問題から始まる)駿台事件は書きたくない。すると催眠や工作や罠で無理矢理、無料でかかされるという強制労働被害に遭っているのが現状である。
今回は、与えられた材料を元に差別文書を手渡された理由を推測した2007~2010年頃と2019~2024年頃の原稿を順次掲載していく。駿台講師時代の解釈は今回のBlogに簡単に書いておく。他は、次回から順次、2007~2010年頃と2019~24年頃の原稿に分けて、当時の原稿を掲載していく。
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私自身は、この世で決着をつけるのならば、駿台を始めとする被害は裁判所、政治家が絡めば併行して国会でしかけりはつかないと考えている。
ここで、加害者、また加担者(駿台・能開大…)関係者などに、証言をさせることが重要と思っている。途中で登場した化学のK先生、(我が家の住所番地を70年使用し続けた)Z3なども必要に応じて証言をしていただくしか解決はしないであろう。
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要するに、ただ単に書くだけならば、HP(ホームページ)掲載だけならば無駄である、と。🎃オジョウも同意見であった。
だが催眠・工作・罠ではどうしようもない。
こうして強制労働・貢ぎ労働被害は続く。
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《◇―2・渡された差別文書の取り扱いについて》
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差別文書の完全公開は差別を助長する危険があるためできない。
文字が確認できない形での文章全体と4センテンスだけを、私が事実誤認を指摘し、社会啓発用文書をつけて公開するに留める。そこで、差別解消を促進する形で長い解説を記すことになる。
たった四センテンスでも長い解説(読んだ人が差別に対して不当という感情と適切な人権感覚をもつような文書)をつけなければ公開はできない。次回からの2007から2010年の文書解説で、上記を実施する。
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差別文書全体は、本来は行政機関に委ねて判断と処理をさせるのが妥当と思う。だが、政治家が絡んだ疑惑があるため、併行して、主要政党ほぼ全部に送付か手渡しの相談を検討している。
全文公開の是非は上記に委ねることを検討している。
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ただし、差別文書の内容は意味不明の箇所が大半であり、落書きの寄せ集めとなっていることを最初に指摘しておく。
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《◇―3・差別文書を渡された理由の解釈―A段階・駿台講師時代》(A~D段階まである)
★「差別文書」は何の目的で手渡してきたのだろうか。
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A段階(駿台講師時代の解釈):駿台「お山の大将」型講師・変質者説一本であった。
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①私によるぼったくり説。
これはD段階で記している。ただし、駿台の教職員で本気で、私が「ぼったくり」型と思う人間はほとんどいなかったはずである。我が村や高校・大学時代でもいるはずがない。「女性問題」も同様である。駿台内でも誰も本当は知っていたはずである。
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②駿台相手の訴訟阻止説。
私が部落研活動を昔していたことも知っている、その他、お前のアパートで、昔の教育員会同和対策課時代の生徒の作文集も見た。そこで、訴訟等に動けば、お前のいろいろなことを人に言いふらすぞ。だから訴訟から手を引けという脅しだろうかとも思った。
同時に夜中の車の写真がつけてあり、脅迫的意味合いも感じさせられた。
この頃は映画説など夢にも思っていなかった時代である。
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③部落解放運動の分裂促進説。
差別文書を渡されたときに二人の人間に相談した。一人は姉であり、一人は友人IT氏である。
姉は「その文書はお前の字に似ている」と言った。後に姉は言ったかどうか覚えていないという。勿論、私の字ではない。私は悪筆である。あれほどましな字は書けない。
IT氏は「岡映さんは部落解放運動の分裂でそれどころではない。相談するな若(も)しくは 岡さんの邪魔をしてはいけない」と言った。IT氏の出身地は丹波篠山である。
ちなみに、1987年秋に差別文書を手渡される数年前(1983年8月)に、同町で次の事件が起こっていた〈ことを後で知った?〉。
※〈ことを後で知った〉を付け加えると警察型尋問を挟むものはいないのであるが、1985年後半から1987年は(赤旗日刊紙ではないが)赤旗日曜版のみは購読していたこと、更に岡山市の平和書房や大阪の「清風堂」などで本を購入する際に、別の文献も立ち読みをしていたことや知人類からの情報もあるため、後で知ったのか・先に知っていたのかは覚えていない。だが、下記のNazoの箇所で記したように、駿台でこの手口の罠を6回やられており、当然、罠を警戒していた。その上、1971~87年までの部落問題関連で、(2025年2月10日追記)箇所に記したように、「自作自演か・そうではないか」という事件類は大学時代も含めて多数聞いてもいた。要するに、下記は単なる付録でしかない。
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篠山町連続差別落書き事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A0%E5%B1%B1%E7%94%BA%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%B7%AE%E5%88%A5%E8%90%BD%E6%9B%B8%E3%81%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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篠山町連続差別落書き事件(ささやまちょうれんぞくさべつらくがきじけん)は、1983年8月に兵庫県多紀郡篠山町(現在の丹波篠山市)で部落差別落書きが発見された事件。篠山町当局と全国部落解放運動連合会はこの落書きを部落解放同盟小多田支部長による自作自演と結論付けたが、部落解放同盟の内部では自作自演説を採る小多田支部西尾派とそれを否定する小多田支部東山派ならびに中央本部との間で見解が対立した(後述)。
この事件を題材として現地を取材し、差別が発生するメカニズムに迫った動画がインターネットに公開されたが、「差別が助長された」として、丹波篠山市と地元自治会が、サイト管理会社ドワンゴに動画削除を求める仮処分を申し立て、2021年2月には、神戸地裁柏原支部が削除を命じる決定を出した。
……
これに先立つ1984年2月1日、全国部落解放運動連合会機関紙の『解放の道』兵庫版が「犯人は支部長T」と報道。これを受けて、部落解放同盟の堀内書記長が東山から事情聴取。このとき東山は「私に疑惑がもたれているが、絶対にやっていない」と断言した。その後も調査は続き、2月4日には大西委員長と堀内書記長が部落解放同盟小多田支部に赴き、支部員の意見を聴取。
ところが1984年3月22日午前9時5分、小多田農機具庫前の乗用車の中から東山の遺体が発見された。死因は排気ガス自殺であった。
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※※※(2025/02/10追記)※※※
本日(2025/02/10)就寝中に奇妙な催眠があった。1983年事件を知ったのは1987年以降だったのではないか、と。回答は以前か以後かはどちらかは覚えていないし、それは下記に記しているようにどちらでも良い。また、この件をIT氏が言ったとは書いていないし、この事件が自作自演とも書いていない。
丹波篠山の件は(私が常時疑っている)映画説の関係で、私との事件との関連で(上記の篠山町での事件ではなく、悪魔で私の駿台事件との関連でササヤマの友人登場という)余りにできすぎた事例という意味での参考掲載にすぎない。駿台当時に自作自演を疑ったのは下記の女性Nazoを含む女性陣の連続した自作自演としか思えない罠攻撃(下記に参考掲載)との関連で書いているはずである。
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ただし、部落解放運動に携わっている人に次の質問をすれば良い。下記が自作自演攻撃罠警戒の土台となっていた。
「1971年から87年の間に自作自演劇の噂を聞いたことがあるか」、若しくは、「自作自演ではなかったが自作自演と言われた噂を聞いたことがあるか」と聞けば、当時活動している人ならばほぼ全員がどちらかを・若(も)しくは両方を聞いたことがあると回答するはずである。
私も1971~75年の大学時代ですら真偽不明もそうした噂を各種大会やその分科会、夜の会談などで聞いていた。
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高校・大学時代に部落研活動をしていた先輩が近くにいるので彼に聞いてみるがよい。本日私に催眠をかけた人は、即、聞いてこい。
なお、Wikipediaなどに掲載されているのは大きな事件であり、氷山の一角でしかない。それも最近の事件が多い。昔の小さな事件は、知らぬ人が多いかもしれないが、当時部落解放運動をしている人ならば当然誰もが聞いたことがあるはずである。
※※※(追記終了)※※※
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姉の言動と、友人・ITの言動のどちらが先だったかは覚えていないが、合わせ技で、1985年女性Nazoの件を思い出した。
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先のNazoの話に戻す。
私が、授業に遅れそうなため、一号館から二号館へ必死で走っていた。それを事前に察知して待ち伏せしていたと思われる🚺Nazoが二号館から一号館に向かって歩いてきていた。
当然、私とすれ違いとなり、それだけである。ところが、先手を打って、私を見るや360度回転して二号館に向かって走って逃げた。すると、周りで人が見ていた場合には、私がこの女性を走って追いかけていると錯覚される。こうした噂は立つのは早い。
現時点では、村の事例との比較から、私が1号館から2号館に向かうのを計算して、待っていたというか、演じたとしか思えない。
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これは明白な犯罪行為である。詐欺罪か・名誉毀損罪か・軽犯罪法違反か・迷惑防止行為に該当する行動か・業務妨害か…今で言えば、一種のストーカー行為などの何等かの罪に該当しよう。最低でも、憲法13条が保障する「幸福追求権」侵害である。また、合法であったとしてすら、各種権利は濫用してはならないという既定に該当する行為でもある。
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後の横家の問題点をも示唆していた。即ち、「(9)横家の使命と催眠悪用言動」と同一構造となっている。横家が受付に来ているとは知らずに駿台のパーティに行く。そこで、私は「まっててほしい」意味不明な言動を催眠でさせられる。その後で、横家が意味ありげに振る舞う。そして、即座に横家の婚約発表とは先の女性と同一の罠的な形となっている。前提は催眠で「まっててほしい」と私が言わされるのを知って協力した、催眠という傷害罪への共犯罪である。
更に、横家や西山の行動と罠が、後の刑事犯罪被害や業務妨害への導火線となり、そして三度の大吐血や入退院の日々への壱里塚となっていたことである。
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2024年9月13日正式公開
🆕駿台真相編―具体的展開解説05-4㊥・京都校二号館女性㊥
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=46027
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更には、以下も参照。
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【メモ】(悪質な一連の自作自演劇ゲーム)
岡山中学・高校桐山校長の件は、駿台事件の下記と同一手口であった。論理的には同一グループがシナリオを書いたと分析される。
①1984年春に岡山中学・高校に私を招聘した桐山公雄先生が岡山進研予備校校長となり、私が同校を断る前に、「君には悪いことをした…」と逆さまにした話。
②1985年4月頃の🚺Nazoという女性の件(360度回転して私の進路方向へと走って逃げた)→下記㊟参照
③1985年5月頃の西山の好きな振り詐欺第三段→下記㊟参照
④1985年6月頃の横家への待ってて事件→下記㊟参照
⑤駿台で(政経一本で三年生活保障があるにも拘わらず)1986年3月の日本史担当の経緯
⑥1987年晩秋に、差別文書を手渡された件
⑦1997年岡山県美作市巨勢での交通事故もこのタイプの亜流とも言える。
⑧2024年11月22日・上記の種明かし型・村での車の話。
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㊟1985年4月頃に私が駿台京都校一号館から二号館に授業に遅れないようにするために走っていた。すると名前も知らない女性謎が待ち伏せて、二号館から一号館に歩いて来ていたが、私が走っているのを見て、360度回転して私の走っている方角に走って逃げた。
その後学校内で私を見て怯えまくる真似をした。
いずれ人は私がその女性にストーカー行為か何かをしたと思うようになるであろう。
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㊟1985年5月頃に西山等に「普通にしてくれ」と言うと、女性たちがひっかかったと大喜びをした。人はそのはしゃぎ方を見て、私が彼女にアタックしたと思うであろう。
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㊟1985年6月頃には催眠で横家に「待っててくれ」と言わされた。言った私には意味不明であった。横家はその言動を得るために待ち伏せをしていたと思われる。そして、その後彼女のつきあっていた彼氏と婚約をした。男性諸君が私を見て先生がかわいそうだというオーバーな演技をした。すると私は横家に振られたと人は思うであろう。
それらはどうでもよいが、要するに、駿台で多数みられたワンパターンの自作自演ゲームである。
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㊟⑥番の差別文書の話は駿台真相編06-(5)及び駿台真相編07の最後で行う。
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駿台事件真相編―🆕6―(4)・駿台CM作戦・各職場連携Ⅱ:⑤能開大・駿台契約確認、⑥駿台他校利用契約違反:犯人仮説への道追加
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=47584 参照 公式Blog2024年11月30日公開)
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上記を適用すれば、誰かがビラをまいていた。その中に一枚だけ差別文書を入れてαがきたときにαにだけ渡した。αが受け取り、ゴミ箱に捨てた。即ゴミ箱を見たβがαが差別文書を書いたという罠である。おまけに、播いていた人間が他のビラは差別文書ではない通常のビラであったという罠である。
これで、この罠を警戒してこの件では動けなくなった。更に、最後の大滝部長との会談で先に彼が怒っており、この件は尚更相談できなくなっていた。
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歴史を研究している人ならば、戦前の柳条湖事件(1931年6月18日)、満州事件(1931年9月18日)、盧溝橋事件(1937年7月7日)などを思い出すであろう。あの手口である。戦前と言えば、ここでも何故か(石井四郎率いる)731部隊の臭いがしてくる。
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因みに、もし、差別文書を手渡されていなければどうなっていたであろうか。
拉致未遂まで受け、弁護士・警察官にも見放されれば、後は岡氏に相談して、「豊田弁護士に、私(浜田隆政)は不審人物ではないので、一つ訴訟に協力してやってくれ」となっていたであろう。だが、上記の罠を警戒して、岡氏には最初から最後までこの件どころか駿台の件は相談するのはやめた経緯がある。
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一つ間違うと、部落解放運動の分裂に拍車をかけるため、尚更慎重となった。私は、いつか部落解放運動を真に願っている人たちが、党派に関係なく連帯することを願っているからである。
結果として、この事件は駿台に内容証明を送る前には訴訟抑止機能を果たしていた。
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④ストーカー人間による罠説
駿台の体質から起こりうると解釈していた。教員は重要な商品であるから、金になる教師を甘やかす以上に、力のある教師のいいなりになる体質が当時はあった。そこで、「お山の大将型教師」も存在していた可能性は当時はあった。
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▽
《◇―4・差別文書を渡された理由の解釈―駿台辞職後のB~D段階》
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★B段階は駿台辞職直後から意識不明終了頃までである(1988年~1993年頃)。
駿台辞職後の状況から、上記は相当崩れ「ちんぷんかんぷん」となる。
B段階はテーマは「おしん」型苦悩のドタバタ劇と解釈していた。
その一貫として差別文書との解釈である。
▽
A段階とB段階をまとめれば以下となる。
A段階(駿台講師時代)→既に上記に掲載した。
①私=ぼったくり説
②駿台相手の訴訟阻止説
③部落解放運動の分裂促進説
④ストーカー人間による罠説
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B段階(駿台辞職後から意識回復期まで:1988~1993年末)
⑤「おしん」型映画説。
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★C段階は意識回復から人間違い説登場前までである(1994年~2012年上旬頃)
▽
しかしながら、この世で、目の前で無茶をされると現実の世に戻される。
だがやはり映画「おしん」型映画を疑っており、そのテーマのため、幾ら問題を解決しても、「次は…」、「Next」…となり、時間の無駄である。
その上、工作・催眠・風評被害…で反応を強要され怒り続けてきた。
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そして、この世で、目の前で無茶(能開大での労基法違犯連続)をされると現実の世に戻される。この繰り返しであった。能開大辞職後は、ベネッセの労基法違犯が続く。2002年にベネッセも辞職すると、今度は、老後破綻の恐怖が随時襲ってきて、この世に戻される。
他方、テレビでの著名人との対談可能となると、現時点での仮説は「永久の世の映画説」に舞い戻る。
だがだが、村で嫌がらせ連続と再就職妨害をやられれば、老後破綻が目の前に迫り、再就職活動を妨害の網の目をくぐり行わざるを得なくなる(=現実の世に戻される)
こうした時期の「差別文書」を渡された理由の解釈は以下となっていった。
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⑤共産党への打撃説
私を日本共産党員と思って、共産党と対立しているグループが差別文書を手渡してきた。
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⑥私が部落問題研究部に所属していたため、私に対しての差別文書か。
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⑦罠説
岡映氏に絡めて、私が駿台から不当な金を取るかどうかを試しての罠か。
本音も付録に書いた。
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⑧永久の世の映画説で、日本共産党首謀の映画説ではないか、という疑問である。
新免議院に直に聞いたときの、質問用紙を今回どこかに掲載しておく。
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ただし、この時期(1998年~2012年)は駿台の件はほぼ忘却をしており、主としてポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)との賠償交渉しか考えていなかった。
また、再就職の一つとして著述業を考え出し、幾つかの原稿を出版社が主催する懸賞論文に応募しつづけていた。
その中の一つである『閉じた窓にも日は昇る』を掲載時に、駿台の件も記述せざるを得なくなった。そのときに、駿台での差別文書を手渡してきたグループの動機と思われるものをまとめることになる。差別文書のケリをつけることが部落問題研究や各種人権活動をしてきたものの責務と考えたからでもある。
そこで、C段階(2006~2010年頃)の見解は、拙著『閉じた窓にも日は昇る』で2007年~2010年にかけて書いている。
今回、次回・7-B2と次々回7-B・3でそのときの原稿を公開する。
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★D段階は偽者発見から今日までである(2012年~2024年)
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2011年頃から、駿台の件は忘れていた。しかし、拙著『閉じた窓にも日は昇る・上』(電子書籍版・Kindle 100円)の出版にむけて駿台事件を簡単に振り返った。このときは、字数の関係で差別文書の件はほとんど書いていない。同時に、過去の出版社に送付した原稿を元に、簡単な手直しのため大きな事件は起こらなかった。
それでも、その原稿の下書きをもって、姫路のホテルに宿泊したときには、突如、その原稿が消えた(紛失した)謎がある。
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所が、2019年頃から、(我が家の住所番地を70年使用し続けた)Z3が、突如、駿台事件を思い出させる工作を開始した。駿台講師時代は、1983年度入社京都校講師室係女性🚺四人組に振り回され、途中から酒三昧となり、一日何軒ものスナック通いもしていた。スナックではカラオケ三昧であった。
それをもじって、Z3家でカラオケが聞こえ、何か、駿台事件を暗示しているように長期思わされた。
だが、無視し続けた。やがて、Z3はエスカレートし、「世界の歌」妨害を開始し始めた。真夜中(2019年3月19日22時半)の突如のホーン事件などである。それでも、怒りながらも、無視していた。なお、このホーン事件はこの後も、各種車のホーンの音や時間を変えて約半年間続いた。(過去にも後にも、こうした例はなかった。タクシーの来たよ音とは思え得なかった。また世界の歌掲載中に安倍晋三氏の名が出ているのは偶然であろうか)
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🎼第八回世界の歌:🇪🇸スペイン解説(2)選考過程のライブ箇所と予期せぬ妨害まで収録部分
http://h-takamasa.com/Blog/?p=18205 参照 2019年3月20日・3月23日公開)
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すると、2019年にZ3との人間違い問題が確定したといってもよい事件が続発する。ただし、亡き友人・タカハシ氏が「一連の被害の原因は人間違いにある」と2012年4月に言い切っていたが、その頃はまだ真に受けていなかった。完全に、人間違い被害を疑ったのは2019年4月であった。
同時に、その肝腎のZ3がしきりに駿台事件を挑発したため、駿台事件を再度回想せざるを得なくなる。
催眠でも、他にしたいことがあっても、執拗に駿台事件を書かされる羽目となる。それが、今日まで約6年に及ぶことになる。
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私はHPの整理、Blogのバックアップ、運動、家の掃除、書類の整理などをしたかったし、同時に他に書きたい原稿(世界的に重要な事項、私の本来の目的の原稿、愉快な小論、逆に学術的な原稿…差別問題でも差別をなくすための研究論文)を書きたいということで当初は駿台の件を書かされると時間のロスと怒り狂っていた。
ただし、差別文書を渡された件だけは放置してはならないと思っていたが、膨大な罠や小細工、話題強要のための連日の諸挑発、ポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)との賠償交渉、老後破綻対策、また日本が戦前に行った様々な謀略の警戒…更にいつ催眠が起こるか不明で身動きがとれなかった。次回からの公開文書を見ればその一部は分かるであろう。私の日々日程表を見ても私の置かれている状況を考えれば判断がつくであろう。
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だが、催眠強要で書かされるため、どうしようもない。それでも「駿台からの賠償金前提ならば書いてもよいが、そうでないならば人生のロス」と何度も愚痴りながら書かされ続けている。通常は🎎・🧜「お嬢」とか🎃「オジョウ」…という語句などがある以上、賠償交渉には使用できない原稿としか思えない。
それでは何故書くか。催眠をかけている人間に聞いてくれ。
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私が駿台事件は「ちんぷんかんぷん」で書いても無駄と愚痴っていた頃に、映画監督・山田洋次氏が「どんな映画にもシナリオがある」と言われた
さらに、その前に人間違いが強調され、延々と何が原因か、加害者の目的は何か…と再度回想や分析を迫られることになる。
科学的には意味がないことを再度強いられる。何故ならば、加害者がZ3と🤡私の人間違いならば、加害者かZ3に動機を聞くのが本道で、私に聞いても分かる訳がないからである。実際に、その仮説(差別文書を何故、渡されたかの原因に関する仮説)は主な物だけでも20前後となり、その他を含むとその数倍となる。要するに、「ちんぷんかんぷん」だからである。
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例えで言えば、某暴力団が某会社の京都在住のIに激怒し、暴力団員Hを使ってI暗殺を企てた。ところが、実行日に、Iそっくりの容姿をした(名古屋在住の)JがIのいる界隈を歩いていた。某暴力団Hは間違えてJを撃った。幸い、重傷ではあるが一命はとりとめた。警察官は某暴力団壊滅作戦をとっている最中であるため、執拗にJに撃たれた動機を聞きまくった。
Jの🚺女性関係は…、近隣関係は…、親戚関係は…、務めた会社類全ての対人関係は…、飲み屋では…、大学時代は…、政党関係は…と。延々と執拗に聞きまくり、その言動が事実か否かの延々たる調査に入った。
本来は、加害者である暴力団員H自身及びその関係者か、狙われたIに聞かねば分かるはずがない。
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Jに幾ら聞いても犯人である某暴力団及び暴力団員Hの動機はでてくるはずがない。このJが私である。そして、私は延々と考えたが、私は本来無関係であるため、「ちんぷんかんぷん」であったが、無理矢理に女性は…と聞かれ女性回想録…などを書きまくらされた。
その結果、差別文書を手渡された件一つでも仮説は膨大な数となった。
その中から、このD段階では主なものを下記に掲載する。
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ただし、上記の暴力団を使っての例えとの違い、途中で👺(安倍晋三氏)が絡んだ疑惑、👮(おまわりさん)も絡んだ疑惑、何よりも🎬(映画説)グループと、その🎬(映画)を利用して各種利権を得ようとする🏢(企業)や各種法人類が絡んだ疑惑がある。
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D群説(2012年頃~2024年の仮説)→C段階のBlogが終了後から掲載。
⑨私を日本共産党員と思ってのレッドパージ説と共産党攻撃説
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⑩岡映氏攻撃説
部落解放運動の分裂に巻き込まれ、解放運動の対立から岡映さんが率いる全解連への攻撃説である。
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⑪矢田問題再度説。
駿台講師採用試験の最終面接は矢田部長であった…から。
目的からさらに三つに分類している。
上記の⑨(共産党攻撃)説、⑩(岡映氏攻撃)説、⑲(共産党映画首謀論)説である。
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★Z3との人間違い説。彼が何をしたか不明のため想像は膨らむ
⑫女性問題説
⑬部落差別説→Z3が絡み、万一、彼(Z3)が差別に関係していたならば…から、私を彼と間違えて差別者と思った。
⑭Z家🆚Z家内ミナギ説
⑮暴力団介入説
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⑯☠👺による私の人身売買説:例・Chaplinキッド型等。
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⑰2013年からは安倍晋三介入助長説
⑱2013年からは安倍氏個人の政治的目的への🤡(私)の悪用説
⑲(永久の世の)映画説、更には日本共産党首謀の映画説である。
「部落差別」を絡めるシナリオは私が高校か中学校時代から用意されていた可能性が高い。
他に映画説では安倍氏個人も単に映画類に参加したかっただけという説も含める。
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映画説の目的は下記と推測している。
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視聴率稼ぎに「差別」を使ったのではないか、と。それは、この世では職場時代は駿台や能開大・「機構」のCMとなる。
後に村に監禁されてからは、「差別」をテーマとすれば、🎬映画説の視聴率はあがり、それに岡山県美作市が協力をする、と。その結果、美作市の観光にもプラスになろう、と。さらに、美作市の背後に政府がついており、世界的映画のため、日本自体への観光客誘致へのCMとする、という解釈である。実際に日本への観光客は一気にのびた。
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それも何にもない大阪が一時は目立っていた。大阪とは拙著『日本のフィクサーME 』のモデルの街であり、「🎃オジョウ」の関係もあり、同時に、第二のホームタウンと1995年頃から長期なっていた。私は、最近になって、漸く大阪行きが減った所である。
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考えてほしい。観光資源の乏しい日本に何故、外国人が多数来るようになったのかを。
中国や東南アジアには日本以上に観光資源がある。北米や南米、アフリカでも同様であろう。
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訪中して思ったが、中国の観光資源の質は日本と質が違っていた。何故、日本に観光客が来るのかと不思議に思った。
もし、私に金があり、自由があり、写真などを撮りたいならば、日本より海外を確実に選ぶであろう。アジアの原風景ならば日本と中国では格が違っていた。(例:岡山県倉敷市美観地区🆚中国・蘇州等)。ビザ…の手続き緩和…があっても、何故、日本に来るのか。それも極度の円安は岸田政権からであるが、来日観光客はそれ以前から大きく伸びている。
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「差別」問題はどこの国も抱えており、🎬映画説として視聴率稼ぎのテーマとしてこの問題を悪用したのが本質であったと今もそう解釈している。それに観光CM用に地元も協力をする、であろうか。駿台経営陣も同様であったと推測される。この表現に問題があれば、何故、駿台は当時訴訟妨害をしたのか。特に駿台大阪校は。裁判所で当時正々堂々と問題を検証すればよかったのではないか。更に、何故、駿台は当時、私の授業妨害をしたのか。…これらの疑問を解く鍵の一つが🎬映画説である。
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また、政府関連もこの映画に関連していれば、👮警察は協力し、交通安全問題等で私をこき使う。実際に、車問題に絡められた頃は、交通事故死者数は第二次交通戦争の最中で毎年1万人を軽く超えていた。私がこの問題への催眠強制を解除される頃には交通事故死者数は年間二千人台となっていた。
厚労省も私をこき使った疑惑がある。母が生前に「お前は病院に行くのが仕事だ」と笑いながら言っていた。黄斑前幕(確率20人に一人:5%)、それも両目(両目の確率はその30%で、1.5%)、メニエール病関連のテレビを見ると、即同一症状が起こり突発性難聴(確率1/3000)と言われ…長期通院…と。Michelle Obamaさんの誕生日と歯の話は既に記した通りである。
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★上記のように「差別文書」を手渡されたことへの多数の解釈を記載していることは、逆に言えば、「何が何やらさっぱり分からない」、もしくは「ちんぷんかんぷん」状態が40年続いていることの証明でもある。
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《◇―5》1987年の差別文書と2017年の人権擁護協会文書の関係
ちなみに、先の差別文書には「法務局」と「人権擁護局」の印刷があるページがあった。
この文書を手渡されたのが1987年11月頃であったが、丁度その三十年後にも、「岡山地方法務局津山支局」と「津山人権擁護委員協議会」の名が印刷してあった封筒が我が家のポストにいれてあった。
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(2025/02/12 追記:後に分かったが、2017年の方は、私の当時の上京日程では、2017年11月22日に井の頭公園で、天皇 [今の上皇]と私が鉢合わせする危険があったので、それを阻止するため上京日程をずらす目的も兼ねていたようである。第二次安倍政権から安倍晋三氏が何故か、「人間違い」問題に介入してきた疑惑がある。人間違い問題と上京日程をずらすの一石二鳥を狙っての策動のようである。また、人間違い問題を私の責任にしようとした型工作が随所で見られだす。安倍晋三氏の動機は不明である。このときにはキャンセル料及び行き直しの際にホテル代金等が上昇しており、約2万円を損失させられた。
駿台等で被害を受けた原因も不明である。強いて言えば🎬映画説と考えることが多い。)

浜田正典氏宛てと同時に我が家・浜田隆政家の郵便受けに入っていた封筒:法務局に問いあわせると、正典家あてもこれも正典家には持参せず、同協会がとりに行くまでもっておけと。その後、解説・謝罪は法務局・正典・人権擁護協会から一切ない。東京キャンセルの費用2万円弁償は誰がするのか。2017年11月の事件
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住所・番地は我が家であったが、宛名は隣家の私より一つ上の人物(いっときは身長・体重ほぼ同一の人物で、違いは私と異なり運動神経がよく、小中学校時代は私と異なり優等生の方で、私と異なり女性にも人気があった人)であった。(隣家が何故か70年以上我が家の住所を使用していた謎もある。上記の人物Z3の登記簿上の住所は位田648-5であるが、何故か、◇―6に書いたように、我が家の住所番地である位田646を使い続けていた謎がある。)
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関連:トラブルブログ№17-100・トラブルの危険性ある人権擁護局封筒(処理対応待ちを参考公開)
○http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=12499
ここから出てくる結論も犯人XはY(当初はZ家ではなくYとしていた)に恨みを持ち、Yと私を人間違いをして、女性NM等に何かを依頼し、私を惑わしたである(多分、遅くとも1983年夏前後に依頼したと想像する。)
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今、信じられなくても、これから、駿台のみならず、我が家界隈で起こったこと、また私の回想録、日本のフィクサーMEシリーズなどを書いていけば、その内に理解できるようになると思う。
要するに、差別文書を渡された件は、「人間違い」が発端以外に、現在の私に思いつく理由はない。
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これ以外では、長期考えていた、全く筋書きのない映画説しかない。ただし、ここ何年も映画説でも筋書きがあろう…と就寝中に言われ続け…。
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駿台の件は隣家との人間違いとは当初は書いていなかった。私に分かる訳がなかったからである。実際に、私の初出版である『旅に心を求めて―不条理編』(Kindle、百円)は2015年1月30日出版であるが、私と同姓同名で同一漢字の浜田隆政氏が突如同一日に高価な本を出版した。この人は東大教授の肩書きがあった記憶がある。よって、Zが誰かは昔は特定できなかった。
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なお、同和問題が臭わされることがあるが、それならば更に私と誰かとを間違えたのであろう。私は差別反対主義者で、その運動にも携わっていた人間である。私のことは多くの昔の仲間が保証するであろう。さらに、ここ40年は党派中立・宗派中立実行中のため、誰からも恨みを買う覚えがない。
ただし、Yが隣家(50年我が家の住所と番地を使い続けた家=Z家)であるとは当初は(長期に亘り)一切書いていなかったことを再度強調しておく。
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上記はかなり前に書いた文書である。その後、何度Z家と我が家の家間違いが強調されたであろうか。(まず、嘘の死亡と思うが)Z3が死亡したときには、葬儀屋は我が家へ来た。葬儀会館の人が言うには、Z3の死亡届は、我が家の住所番地であり、住民票も我が家の住所番地となっていた、そうである。2022年6月のことである。
なお、Z3が死亡する前には幾つものシグナルが送られてきた。即ち、コンクリートミキサー車が我が家前を異常に走っていた。その約一ヶ月後に、安倍晋三氏が類似の形で死亡することになる。
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(2025/02/12 追記)
☆☆☆(X.com)☆☆
浜田隆政@Takamasa_Hamada
25-042-1【人権】🤔
差別
Z3が本当に差別or🚺問題関与が事実の場合
☠が怒る
☠がZ3と🤡(私)を間違える
☠→🤡に危害
🤡→市の人権擁護委員に相談
Z3=人権擁護委員=ここは事実
どうなるか?
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労基法違犯
厚労省所管能開大→労基法違犯→🤡
🤡→労働省に相談
労働省事務次官等→雇用促進事業団幹部
午前11:31 · 2025年2月11日
☆☆☆☆☆
☟
https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1889140127747961310
☆
岡山県美作市については、第二次安倍政権発足と同時に、2013年春には安倍昭恵氏が美作市に、2014年には美作市湯郷に来る。同年には安倍氏がスカウトしたという噂の市長が美作市長となる。(小泉旋風の頃に安倍晋三がスカウトして、衆議院議員になったという噂を聞いた人物である。)なお、後に、安倍昭恵氏は美作市から表彰されている。
現時点でも不明な点は、私は安倍晋三氏に恨まれる心当たりが全くないことである。彼から攻撃を受けたのでやむを得ずに、「降りかかる火の粉を払った」だけである。勿論、駿台事件(1984~87年)ころには安倍晋三氏は登場していない。
■
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《◇―6》人間違いについての催眠解説(2025年2月8日)
▽
(2025/02/09:0:29)昨日(2025/02/08)寝ている間に住所問題のトリックで奇妙な解説があった。この日は(我が家の住所番地を70年以上使い続けた)Z家に絡めてであった。死者がでたり、私自身も危険な行為を何度も受けたりしたため、以下の番地は実際の数値で記す。
▽
浜田隆政=私=🤡
【Ⓐ戸籍】岡山県美作市位田646
【Ⓑ登記簿】岡山県美作市位田646
【Ⓒ現住所】岡山県美作市位田646
【Ⓓ連絡先】連絡が取れる場所
※
(免許証関連のHPから)
運転免許証に記載されている住所は、現住所です。 現住所とは現時点で実際に住んでいる、市区町村の役所に登録されている住所です。 引越しをした際に住民票の変更手続きをしても、運転免許証の現住所は自動的には変更されません。2023/03/31
Z3
▽
【ⓐ戸籍】浜田隆政家の戸籍を使用:但し、江戸時代頃我が家から女性がこの家に嫁いだそうであり、何故、我が家の戸籍かは全く不明。
【ⓑ登記簿】岡山県美作市位田648-5
【©現住所】岡山県美作市位田646
【ⓓ連絡先】連絡が取れる場所
▽
私・浜田隆政は、実家→兵庫県西宮市→実家→東京→実家→岡山市→実家であるが、兵庫県西宮市、東京、岡山市時代も、引っ越しがあるため、Ⓒ現住所は実家のままとしていた。というの西宮市内で3回、東京都内で2回、岡山市内で2回引っ越しなどがあったからである。
すると、免許証や国民健康保険証の住所等は面倒なので実家のままとしていた。
要するに、下記である。
【Ⓒ現住所】岡山県美作市位田646
【Ⓓ連絡先】実家・西宮の下宿等・東京の下宿等・岡山市のアパート等となる。
▽
もし、Z3も私同様ならばどうなるか。彼の移動先は下記である。
実家→京都→神戸市→兵庫県尼崎市→実家。(場合によれば兵庫県宝塚市もあったかもしれない)
【©現住所】岡山県美作市位田646
【ⓓ連絡先】実家・京都・神戸・尼崎等となる。
▽
もし、仮にZ3がAとつきあっていたとしよう。悪魔で例えである。
その際にZ3の免許証か国民健康保険証などをその相手に見られ、その相手がそれをメモしていたとしよう。
後にZ3は姿を消した。
その頃、仮にAが怒ることがあったとする。
Aはメモした免許証(国民健康保険証)を元に、Z3の現住所を捜索する。
住所を確定するために、Aは法務局で登記簿をとったとする。
Z3の免許証等の住所は【©現住所】岡山県美作市位田646である。法務局などで登記簿をとればその界隈の地図がコピーできる。登記簿は誰でも自由にとれる。
その地図の住所《【Ⓑ登記簿】岡山県美作市位田646》では浜田隆政家となる。
すると、Aの代理人はZ3を私と思う。何故ならばZ3の登記簿は《【ⓑ登記簿】岡山県美作市位田648-5》だからである。
▽
更に、Aの代理人がZ3を私・浜田隆政と思い、調査で《【ⓑ登記簿】岡山県美作市位田648-5》で私のことを聞いたとしよう。
対応したZ3の母親・Z(小母)は、Aの代理人やAが怒っている対象者が自分の息子・Z3と気づき、それを庇うため、AとAの代理人に私・浜田隆政の件で何かを言う。更に私・浜田隆政は駿台予備学校で講師をしている等と言う。
こうして人間違いが起こる、というのである。
▽
理論上は確かに可能である。
問題は、問題解決への道であり、私が謎解きをしても仕方がない。駿台・能開大の被害を裁判所で賠償請求しているときに、相手から必要に応じて上記に関する人間違いのヒントを得ればよい。あるいは、政治家が絡んでいれば、国会審議で真相解明をすればよい。
我が家で謎解きをしても意味はない。
▽
また、Z家内に昔いたミナギさんが強調されており、A以外の問題の可能性もある。
同時に危害者は、「何年に、どの場所で、どういう被害に遭った」かを私に言った方が真相解明は早い。例えれば、神戸市…と言えば、私はその頃東京にいたなどで人間違いが分かる。京都にいた…ならばその頃、私は西宮市、尼崎にいたというならば、その頃、私は岡山市…で判明はつくはずである。
更にAが私と会えば人間違いは即座に分かろう。こういう簡単な問題でしかない。
■
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《◇―7》2007~2010年の解釈収録文・『閉じた窓にも日は昇る』目次
電子書籍版『閉じた窓にも日は昇る』に、2007~2010年の見解は書いている。しかしながら、『同書』は下記の理由で幾つものバージョンができてしまった。
字数制限の関係から、今回の差別文書の件をきっちりと記しているのは、④(宝島社)と⑤(文藝春秋版)である。いずれも、出版に至らず、その場合にはシュレッダー等での消却依頼を添付していた。別に懸賞論文でも採用されぬ場合にはその趣旨が明示されてもいた。しかし、官直人政権時代の仙谷由人官房長官が後にその文書を見たと、私にテレビから暗示していた謎がある。
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この作品は、次の二つの事情で、幾(いく)つものバージョンができてしまった。
一つは、幾つかの出版社の懸賞に応募するさいに、出版社ごとに制限字数が違っていたためである。
もう一つは、この原稿を出版社に送付して結果をみた後で、別の出版社に送付しようとすると、私の書いた原稿が事実か否(いな)かを試すという形で幾つもの挑発をされ、それへの返答を強要されたからである。そのため、本題を逸脱(いつだつ)させられた。さらに、こうした返答を、この書物に記すと、字数制限があるため、その返答箇所の分量だけ、本文のどこかを削ることを余儀なくされ、作品の品質を劣化させられた。
こうして、同一タイトル『閉じた窓にも日は昇る』であるにも拘(かか)わらず、幾つものバージョンができてしまった。
▽
これに関して、友人宛への手紙を抜粋(ばっすい)する。
「出版社に送付するたびに修正したため、同じタイトルでも内容が時には大きく変化しているときがある。そこで、もし、君が見るならばどれを見たらよいかを記しておく。…一つ選ぶならば、③二〇一二年集英社約三百枚版であろうか。その上で、二〇一〇年宝島社(④)と文藝春秋版(⑤)の第5編のみを読むことが望ましい。また宝島社版には各編に付録があり、第二編の付録は一定読む意味があるかもしれない。」
▽
友人宛には、③をよむことを推奨していた。しかし、今回は、最後の原稿がよかろうということで⑤をベースにした。
参考までに、過去、出版社に送付したときの枚数と編の数を列挙(れっきょ)する。
①二〇〇七年小学校版で第1編から第4編までで構成、(四百字原稿用紙換算。以下同様)三百枚
②二〇一二年集英社版で第1編から第4編までで構成、五百枚
③二〇一二年集英社版で第1編から第4編までで構成、三百枚
④二〇一〇年宝島社版で第1編から第5編までで構成、八百枚
⑤二〇一二年文藝春秋版で第1編から第5編までで構成、八百枚
※③は前年度の応募原稿では字数制限が四百字原稿用紙換算三百枚となっていた。ところが、私が応募するときに見ると四百字原稿用紙換算五百枚に変わっていた。そこで、①に二百枚加算して③を作成した。ところが、原稿を書き上げて、清書直前に再確認すると、四百字原稿用紙換算三百枚に戻っていた。大慌てで、再度、五百枚を三百枚に減らした。その結果、集英社版は②と③の二つのバージョンができてしまった。最初から三百枚と書いてあれば①を微修正するだけですんだのであるが。
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『閉じた窓にも日は昇る・上』(Kindle、百円)の前書きから抜粋
(同上書の解説箇所)安らぎ文庫>発売中書籍>『閉じた窓にも日は昇る・上』
http://h-takamasa.com/book-01/custom33.html
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駿台真相編7-B2では宝島社の第二編・付録―1から抜粋したものに、一部、2025年解説を付けた物である。
駿台真相編7-B3では、前半は宝島社の第五編・備考から、後半は文藝春秋版の「第5編参考箇所」から抜粋した。
なお、上記の各『閉じた窓にも日は昇る』の目次は駿台真相編7-B3に収録をしている。