【🚧メモ段階:本格Memoの方】🆕駿台事件真相編―7・駿台CM作戦―業務妨害から刑事犯罪被害へ

【🚧メモ段階:本格Memoの方】🆕駿台事件真相編―7・駿台CM作戦―業務妨害から刑事犯罪被害へ

【更新履歴】2024/06/19 大量にリンク掲載。2024/06/22 12:07 リンク整理作業。

2024/11/10 15:51 差別文書に関連する事項を①番下に掲載

 


個人情報公開理由(上記の648-5の場所には2024年5月頃から浜田正典氏以外の人がお住まいなので注意ください。)

 

(2023/09/04 15:56、16:38)部落問題が臭わされるのは何故か(この項目は独自単元に後日移動)
もう一つは、駿台事件の途中か終わりから部落問題が強調されるが全く意味不明である。岡山の予備校では部落問題は一切強調されていない。
ちなみに、部落問題に関しては、私は以下の活動しかしていない。
①(無料でボランティアとしての)子供会活動
②夏休みなどに、同和地域の父兄から昔受けた差別を聞かせてもらったこと。(歴史の聞き取り調査に該当する)
③実態調査のお手伝い。
上記内容は部落解放運動が分裂したが、どの団体・組織でも協賛してもその逆はない。
④なお、各種高校生集会に参加したり、その応援に行ったこと。大学時代も高校部落研OBとして参加している。これも高校生集会であり、イデオロギー的問題はでていない。例えば、制服🆚私服問題、受験教育の弊害、…や沖縄問題(参加した最初は1968年であり、沖縄からの友がドルを円に換えて、ビザをとって参加していた頃である)、人種問題(アフリカン・アメリカの人と日本の親との子どもの話)等等である。
これも特定団体から目の敵にされる内容ではない。活動は自衛隊基地の視察…まで行っていた。
よって、部落問題に関しては、全団体・組織から協賛されてもその逆はないはずである。 部落問題強調の謎は後で再度記すが、現時点では何が原因かさっぱり分からない。唯一のヒントは2012年4月に松江の友人(布袋のモデル)が「人間違いが原因」ときっぱりといったことである。この友人は同一住所二軒問題の解明を開始した2019年4月に死亡した。死亡した日は私のカード詐欺被害が発覚した日と同一日であった。その4月には西山ファーム(西山美千代社長)…のカード詐欺事件が入った月でもあった。これは、その前に「世界の指導者よ、(駿台講師室係NM)に絡めて、福岡県の梓みちよをもじり、福岡県のみちよを調べてくれ」に呼応していた。
西山美千代とは駿台講師室係、悪質詐欺及び業務妨害犯罪者西山美千代と同姓同名、同一漢字であった。
ともかく、部落問題が何故からまったのかの解明は別の単元に記載予定でいるが、2019年以降「人間違い」が原因としか分析できない。


(印相編07-08か)
萌芽的党派中立(関学紛争)、心理的党派中立(合同法律事務所豊田弁護士、共産党映画説首謀論、塾紹介と労基法違犯)、理論的党派中立(独自理論:アクセルブレーキ論等)、契約的党派中立(救済依頼):新免昌和氏との立会人契約、原田病院、川崎医大附属病院。重要
2020/11/3気がむけば
一言
【党派中立】№213 駿台事件から党派中立第2段階(心情的党派
中立)へ、更に第3段階へ

【党派中立】№213 駿台事件から党派中立第2段階(心情的党派中立)へ、更に第3段階へ

 

2024/07/05 13:09 真相編05-5から移動(2024/07/08 06から07に移動)

(詳細は駿台真相編07か08に持って行く)なお、2016年にはダメ押し的に丸山和也発言事件が起こる。丸山和也氏の出身高校は横家氏と同一高校である。もはや、何をか況(いわ)んやとなる。


☆☆☆☆☆
政経の世界№2―丸山和也・〝奴隷〟発言から議会制民主主義まで・1
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5364

政経の世界№5―丸山〝奴隷〟発言と国会の責務・付録編(上)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5858
☆☆☆☆☆

☆☆☆☆☆
徒然なるままに№2・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(1)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5666

徒然なるままに№3・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(2)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5702
☆☆☆☆☆

☆☆☆☆☆
丸山発言関連のその他の原稿

政経の世界№3―丸山和也・〝奴隷〟発言から議会制民主主義まで・2
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5440
政経の世界№4―丸山和也・〝奴隷〟発言から議会制民主主義まで・3
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5629
政経の世界№6・丸山〝奴隷〟発言と国会の責務・付録編(下)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5896
☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆


真相編07か08に移動
矢田事件とは
☆☆☆☆☆
矢田事件(やたじけん)とは、1969年に大阪市で発生した、同和問題を背景にした暴行監禁事件。

共産党員である中学教師に対し、部落解放同盟(解放同盟)が糾弾を行い、法廷闘争に発展。いわゆる「糾弾権」の存否が法廷で争われた。

本件の背景には共産党と解放同盟の対立があった[1]。本事件を契機に、1960年代半ばから燻り続けていた解放同盟と共産党との対立関係は決定的なものとなった。八鹿高校事件など、解放同盟による反対勢力への一連の襲撃事件の嚆矢であり、戦後部落解放運動史上きわめて著名な事件である。

別名、矢田教育事件。解放同盟は矢田教育差別事件と呼ぶ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6
☆☆☆☆☆

木下氏の挨拶文が差別文書か否かで大事件となり、部落解放同盟が事実上分裂するにいたった事件である。
だが、私の場合にそれを当てはめるには百パーセント無理である。

木下氏は日本共産党員であり、日本共産党及び関連グループが前面にでてくることになる。
だが、私は、その頃は日本共産党とは全く無関係となっており長期経っている。よって、共産党関係者は全くでてこないどころか、救済依頼を出しても、無視が事実であった。

もっと、大きな相違は、以下である。
部落解放同盟が木下氏に対して(共産党の言葉を借りれば)攻撃、解放同盟の言葉では糾弾をした。しかし、実は、糾弾対象(攻撃対象)となった木下浄氏は別人であり、彼はその頃、アメリカかどこかにいて全く無関係であったとしよう。
これが、私のケースである。
即ち、人間違いが全てである。

この仮説を思いついたのは2024/06/15頃であり、それまで何がなにやらさっぱり分からなかった。実に部落問題…といわれても40年ほど意味不明であった。強いて解釈すれば、筋書きのないドタバタ劇の続きか…でしかなかった。
もし、この仮説が事実ならば、該当者は全員、土下座して、私に謝罪するしか術はないであろう。

勿論、この仮説が正しいかどうかはまだ不明である。
多分、就寝中に催眠で教えられた解説でしかない。
未だに、何だろうか、が本音である。
詳細は駿台真相編-08で分かる範囲で記そう。
分かればの話である。誰かが解説せねば分かるはずがない。

なお、世界の首脳から注意があったのは、駿台事件以上に、同一住所番地二軒問題(浜田稔・正典氏を連想)、偽者が圧倒的に多く、一部は電話帳(浜田稔・千代子・正典家連想)、一人だけ携帯電話注意(1997年1月の交通事故広瀬健二氏を連想)であった。

 

2024/07/05 真相編05-5から移動

真相編-07か08に移動
(2024/06/16 12:00 記述)
最近、想像させられている謀略。
映画説グループと駿台CM関係者が、部落解放同盟を利用して、第二の矢田事件を捏造しようとしたのではないか、という疑惑である。
事実か否かは知らない。

 

 


4期=授業妨害と各種刑事犯罪被害
超多忙…でも視聴者は飽きる。そこで、今度は業務謀議と刑事犯罪被害のオンパレードとなる。
私に言わせれば、駿台事件で一番大きな中心がここである。
なお、それらの証拠類を一部我が家へ保存していたが、突如盗まれ…どんどんなくなっている。
一番最近では昨年か一昨年、授業妨害のマイク調整箇所のテープの該当箇所だけが消されていた。
なお、駿台時代に拉致被害にあいかけたが、映画説を知らぬ頃は、大変であった。周りの人はしっていたようで平然としていたが、こちらはびっくりした。これが駿台辞職の大きなきっかけの一つである。なお、その後、訴訟を中断したのは弁護士の不可思議な対応のみか、大滝部長との最後の会談で「先生、その気があれば三年後に戻ってきてください。駿台を両手をあげてまっています」で訴訟などはやめた経緯がある。三年ほどほとぼりを冷ましてから戻る予定でいた。実際に三年後に打診に行くと門前払いされた。

刑事犯罪被害の箇所は別に単元を改めて記そう。今回記しきれなくても、これだけは、きっちりと記録にのこしておきたい。刑事犯罪を甘くみてはならない。
後は単元を改めて記す。
ともかく、視聴率至上主義であった。

それでは今、平凡か。
近所類を使い様々なことが連続で…。
余りに小さい話も視聴率は稼げるとばかりに。例とすれば、自動販売機の小銭…である。ときにはJAでの五円玉一枚で数週間潰された。
逆に、大きなことにも絡められ続けている。それが拙著『日本のフィクサーME』の世界である。


 

☆☆☆☆☆
北山一…からと差別文書と不法行為の嵐の開始
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1189/
☆☆☆☆☆

駿台時代内部のトラブルと外部の問題

(A)些細な玉子の話から。
駿台内部→天麩羅うどん注文すると(私の嫌いな)生卵=笑うべきレベル

(呼応し)当時のアパートを午前4時頃誰かが私が起きるまでドアを叩く。
外へ出ると、誰もおらず、郵便受けに玉子のパック。自転車の荷紐を何度か車輪に巻き付けられたり…多数。

(B)駿台内部で授業中→教室の温度下げたり・上げたり=健康上よくないが生徒が耐えられるならば…(賠償請求はしても私の労力の方が大きく一切賠償請求していない)

(呼応し)駿台斡旋ホテルで3ヶ月程度毎週三回毎回夜中に温度が30度、そして逆に20度台前半で扇風機の如く風をあてる…と(このホテルは二年間滞在し、起こったのは1987年10月下旬以降のみ。部屋を変えても同じ)。
睡眠に大変支障。当時ホテル住まいが週の半分のため、参る。
このホテルは私がこの件を書きかけたころ2004年頃に身売り決定、Rグループが買い取り(2006年頃)→再度、世に問う時期の2013年に廃業。
1987年頃は大坂でも指折りの高級ホテルと言われていた。

(C)駿台内部でマイク調整がおかしく喉を痛め、岡山から重たいアンプなどを持参の羽目に。
問題は大きいが→私の賠償交渉労力の方が大きく一切賠償請求していない

(駿台外で)
a)二度、理由も告げず、腕をつかまれ拉致される事件に遭遇(大変危険)=大犯罪
b)私の通る道にトラックの大行列(これは問題なし)、そこで道をそれると道に猫や犬の死体がおかれていた(既に弾かれていたと思うが…)。一匹ずつではない…おびただしい数という記憶あり。
c)アパート部屋の天井から薬を落とされたり(何度も)、アパート内の風呂に入っている間や留守中に部屋の荷物を移動されたり、膨大にこの種の被害に遭う=大犯罪
d)車のラジオアンテナを盗まれ、被害届け、実家付近の警察では「管轄外で岡山市へ…と」と言われたので、翌日、被害届けに行こうとするとアンテナが車に再度取り付けられていた。(住居不法侵入、器物損壊罪)……
その他膨大な被害があるが、催眠で駿台の話をするときに、催眠で女性の話に限定させられ、被害類の話は常に完全ストップで喋らさせられない。……

その前に、駿台には一円も請求しておらず(駿台外の事件が駿台と無関係ならば賠償額はしれている可能性がたかく、請求自体が時間の無駄とおもわれたこと)、賠償交渉は後に被害をうけた厚生労働省所管 能開大の方。
能開大での被害を書いたり、話そうと思うと、賠償交渉と無関係な駿台が割り込み、その上、何の実態もない女性(指一本触れず、学外で会わず、学内でも6年合計十分程度の会話、それも人前で、パワハラ・セクハラ一切無関係)に置き換えられる謎。勿論、女性の住所も何も知らず。※憲法24条擁護派のためどうでもよいが、職員女性が何郡・何市出身か、国籍・出自…一切知らない。

駿台外の事件が駿台と無関係と大阪校のM課長が言ったこともあり、駿台には一切賠償交渉していない。駿台内部のみならば…上記のレベル…。
1987年末駿台交渉時には、(2019年頃)伊調馨がパワハラ告発したのがレスリングをするためであったのと同様に、私は1982年~85年度の駿台京都校時代の授業環境を回復することが、駿台との交渉目的であり、賠償請求は1987年末から今日まで一切していない。
何故、厚労省所管の労基法違反被害問題を書くのを駿台に絡めて妨害するのか

 


総7・駿台時代内部のトラブルと外部刑事犯罪被害の問題
163
2019/11/24 駿台:事件
№163・SNSコメント内容―⑤11月10日の独り言(Twitter 11/11記載と11/24追記)―三つの危害

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1211/

駿台時代内部のトラブルと外部の問題

(A)些細な玉子の話から。
駿台内部→天麩羅うどん注文すると(私の嫌いな)生卵=笑うべきレベル

(呼応し)当時のアパートを午前4時頃誰かが私が起きるまでドアを叩く。
外へ出ると、誰もおらず、郵便受けに玉子のパック。自転車の荷紐を何度か車輪に巻き付けられたり…多数。

(B)駿台内部で授業中→教室の温度下げたり・上げたり=健康上よくないが生徒が耐えられるならば…(賠償請求はしても私の労力の方が大きく一切賠償請求していない)

(呼応し)駿台斡旋ホテルで3ヶ月程度毎週三回毎回夜中に温度が30度、そして逆に20度台前半で扇風機の如く風をあてる…と(このホテルは二年間滞在し、起こったのは1987年10月下旬以降のみ。部屋を変えても同じ)。
睡眠に大変支障。当時ホテル住まいが週の半分のため、参る。
このホテルは私がこの件を書きかけたころ2004年頃に身売り決定、Rグループが買い取り(2006年頃)→再度、世に問う時期の2013年に廃業。
1987年頃は大坂でも指折りの高級ホテルと言われていた。

(C)駿台内部でマイク調整がおかしく喉を痛め、岡山から重たいアンプなどを持参の羽目に。
問題は大きいが→私の賠償交渉労力の方が大きく一切賠償請求していない

(駿台外で)
a)二度、理由も告げず、腕をつかまれ拉致される事件に遭遇(大変危険)=大犯罪
b)私の通る道にトラックの大行列(これは問題なし)、そこで道をそれると道に猫や犬の死体がおかれていた(既に弾かれていたと思うが…)。一匹ずつではない…おびただしい数という記憶あり。
c)アパート部屋の天井から薬を落とされたり(何度も)、アパート内の風呂に入っている間や留守中に部屋の荷物を移動されたり、膨大にこの種の被害に遭う=大犯罪
d)車のラジオアンテナを盗まれ、被害届け、実家付近の警察では「管轄外で岡山市へ…と」と言われたので、翌日、被害届けに行こうとするとアンテナが車に再度取り付けられていた。(住居不法侵入、器物損壊罪)……
その他膨大な被害があるが、催眠で駿台の話をするときに、催眠で女性の話に限定させられ、被害類の話は常に完全ストップで喋らさせられない。……

その前に、駿台には一円も請求しておらず(駿台外の事件が駿台と無関係ならば賠償額はしれている可能性がたかく、請求自体が時間の無駄とおもわれたこと)、賠償交渉は後に被害をうけた厚生労働省所管 能開大の方。
能開大での被害を書いたり、話そうと思うと、賠償交渉と無関係な駿台が割り込み、その上、何の実態もない女性(指一本触れず、学外で会わず、学内でも6年合計十分程度の会話、それも人前で、パワハラ・セクハラ一切無関係)に置き換えられる謎。勿論、女性の住所も何も知らず。※憲法24条擁護派のためどうでもよいが、職員女性が何郡・何市出身か、国籍・出自…一切知らない。

駿台外の事件が駿台と無関係と大阪校のM課長が言ったこともあり、駿台には一切賠償交渉していない。駿台内部のみならば…上記のレベル…。
1987年末駿台交渉時には、(2019年頃)伊調馨がパワハラ告発したのがレスリングをするためであったのと同様に、私は1982年~85年度の駿台京都校時代の授業環境を回復することが、駿台との交渉目的であり、賠償請求は1987年末から今日まで一切していない。
何故、厚労省所管の労基法違反被害問題を書くのを駿台に絡めて妨害するのか。

○https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1193757522315710465?s=20

 

19-300-2【トラブル】 ①#厚労省所管 #能開大 労基法違反と健康被害賠償交渉 ②#駿台 内部の授業妨害と外部での刑事犯罪 ③駿台女性関連→常識では問題は全く存在せず 親睦旅行帰路催眠型で政経・トラブル…独り言。後者で重要は①、所が無関係な駿台が割り込み…それも②でなく③のみで①は沈黙

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1191015143112466432?s=20



(2019/11/24未明 追記)駿台時代の件の謎。
話題となった駿台女性が登場する前に、この問題で何かしているように思わされた人物群が上記の如く私に近づいている。
(女性ともめるというよりも)駿台職員女性と話題になる前に近づいてきた謎が残っている。
絡んでいるような印象操作をした女性講師が何度も話しかけてきたのは、1984年冬前後であり(この頃私が椅子から転び、その講師が大笑いをしていた頃であり)、催眠型で女性職員に熱を上げさせられる前後である。手紙などを出す半年以上前である。男性講師の方も手紙を出す前のことである。(ただし、彼ら・彼女らが本当に絡んでいるかどうかは全く不明である。)

要するに、女性の件で上記の人間群が絡んできたのではなく、上記の人間群が絡んだ後で女性の件が起こっている。奇妙な話であるが、職員女性への熱すら、彼ら・彼女らが絡(から)んだ後で、突如、不可思議な形で、催眠類としか思われぬ形で熱があがっている。

上記より理論分析すると、犯人Xが私と誰か(Y)と人間違いをして……物語が進行したとしか解釈はできない。また、世界の、私の友人達(テレビやパソコンで出会った世界の首脳の何人か)は何か情報を持っているのか、偽者(にせもの)の強調や、?さんは電話 帳 {場合によれば電話器(携帯電話器)かもしれない}を指(ゆび)指(さ)したメッセージを送ってきたことがある。彼らは、人が信じられないような情報収集能力を持っている。真偽は不明であるが、悪まで参考記述として記載しておく。ただし、誰が誰と私を人間違いをしたのかは、まだ私には分からない。

ちなみに、私はこの件までは、人にもっとも恨まれにくいタイプの人間である。冗談好き、陽気、小中高時代は勉学に価値観を置いていないため、妬(ねた)まれることもない。同時に、人に恨みを抱かれた心当たりも全くない。
そこで、私が友人に「誰かが勘違いしているのではないか」と言うと、友人はきっぱりと「勘違いではない。ひとまちがい」と言い切った。何か既に事情を知るっていたようである。
この友人に確認をしたいと思った、本年4月頃に、友人は亡くなったため、未だに詳細は分からない。

駿台の件(1984年秋)からはや35年となり、駿台辞職(1988年1月)後からも31年を超えた。この間、強調された数字は「4」と「110」である。


(2019/11/25 1:46追記)

※上記の「世界の首脳」とは誰か、また見た掲載物も場合によれば明記してもよい。ただし、記載は事実であるが、私の件との関連は明記されていないため、別の目的での掲載ということもありうる。それでも勘違いならば複数以上の人が同時に…の確率は低いと思うが定かではない。見た時期は本年4月頃である

 


総7・駿台での飛ぶ鳥と駿台事件大阪校
補償-7
2019/4/26 求め・駿台 第二部・補章ー・追記―2駿台辞職の経緯(2007年10月記述)

http://h-takamasa.com/Blog/?p=11577

《◇―3・辞職に至る事件の連続》

1985年度からは訳の分からぬ女性の登場で振り回され、授業は一定後退した。
1986年度~87年度は授業妨害だらけとなった。教室のマイクを何度も故障させられ、生徒が受講しなければならない別の授業と私の授業を同一にされたり、教室の冷暖房を無茶苦茶され寒くて授業に支障を来したり、無関係生徒が授業中に乱入してきたり、プリントの印字を悪くさせられたり、駿台斡旋(あっせん)のホテルでは夜中に部屋の温度を寒くされたり・扇風機のような形で夜通し風を当てられたり・逆に暑くされたりで夜寝られなかったり……である。大半証拠があり、証言を確約してくれた生徒もいる。

他方で、外では全く見知らぬ人間に両腕を掴(つか)まれどこかにつれていかれようとしたり(大阪と島根で二度あり)、アパート内の天井から物を落とされたり、アパートへの不法侵入の跡があったり、真夜中に郵便受けを叩(たた)かれたため出るとポストに卵のパックを入れられていたり、自転車の荷台の紐(ひも)をタイヤに巻き付けられたり、車のラジオアンテナを盗まれたり{警察に被害届に行くが、管轄(かんかつ)が違うため管轄内の警察にと言われ、管轄警察署に行く前日には再度着けられていた}、その他記せばきりがない。

これが1986~87年度にかけてあった授業妨害である。
勿論、その都度警察に届けたり、弁護士に相談したりしたが逆に門前払いをされた。駿台にも抗議したり、後には駿台責任者と会談したりした。

詳細は、拙著『閉じた窓にも日は昇る』に記した。実名入りでは拙著「2007年度年賀状救済呼びかけ文」に記している。ただし、駿台内での事件と駿台外での事件は同一犯人ではないかもしれない。1987年夏には、私の部屋ではないが、私のいたアパートに泥棒が入ったということでパトカーが来る事件があった。よって、同一犯人ではなく、別々の犯人による被害が偶然重なったのかもしれない。もし、そうならば、アパートへの不法侵入事件などは、私の命の危険もあった事件といえる。警察が動かなかったのは憲法・刑法などの法律違反である。勿論、同一犯人の確率もある。しかし、現在の私が犯人全員を知る術(すべ)はない。同時に、それらは警察及び治安確保・市民生活擁護という国の仕事である。ただし、駿台内の事件は当然駿台にも責任は明白にある。

詳細な全貌(ぜんぼう)がある程度分かるまではこの件の記述はここまでとする。なお、1986~87年度に私の授業を受け、授業内容に文句のある者は、私にではなく駿台に抗議せよ。最低でも学内でも授業妨害があり、駿台当局がそれを放置した以上当然である。

おまけに、駿台の関西地区最高責任者とは、1983年末頃に3年間(84~86年度迄の3年間)は政経一本で生活保障するという約束があり、駿台が約束を遵守(じゅんしゅ)していたならば、私は日本史を担当せずにすんだ可能性も高い。何故ならば88~89年度頃から駿台が校舎を相当増やしたため、政経・現代社会のみでも食べていける条件がうまれつつあったからである。また万一日本史を担当しても1986年度ではなく87年度に延期できたため、授業の準備を一年するゆとりがあった。それも含めて、1986年から87年にかけての授業に関する責任は学校にあった。この点を明白に主張しておく。

因(ちな)みに、日本史に関しては1987年度からは一定の目処(めど)が立ちつつあり、87年度からは86年度と異なり、日本史の勉強自体は大地を耕す苦難と喜びの両方を味わいながら家でしていた。同時にフィールドワークを授業の武器の一つとして導入したのもこの年からである。もの凄い授業の武器が増えつつあり、日本史の授業時代は87年度からは幾分(いくぶん)か楽しくなりつつあり、それ以上に日本史担当でも将来やってけいる自信もつき始めていた。しかし、妨害はそれに比例して激しくなっていった。この頃、日本史で得た武器や知識が後の岡短後期教材『旅に心を求めて』で具現化される。

これ以上は、このときの全貌(ぜんぼう)が幾分(いくぶん)分かってから記すことにする。

 

 


総7・喉痛めの診断書・政経前田先生情
194
2020/6/21
気がむけば一言
【トラブル・駿台】№194・駿台講師時代事件関連Twitter等のまとめ―2020年6月追記集
http://h-takamasa.com/Blog-2/aー01/news/1320/



浜田隆政 (Takamasa)@Takamasa_Hamada
20-155-2【闘争⚔️】関係者生存中に真相解明・解決を。
①🏫#駿台 学内 マイク攻撃 喉炎症 寒熱攻撃 悪戯 営業妨害
②学外 拉致未遂被害 住居不法侵入 🚕🚴悪戯
🏫斡旋 #東洋ホテル 就寝中寒熱攻撃=今廃業
③🏫女性 私を駿台放逐目的での?等演出行為疑惑
④#ベネッセ #ラーンズ 不法行為等
15:24 – 2020年6月3日


浜田隆政 (Takamasa)@Takamasa_Hamada
20-163-2【#駿台】
下記原則同様に人生原則有り。
①他人に危害を加えない。
②大義反せぬ限り→約束遵守。

etc.
③女性との付き合い→二股禁止
1985年駿台2号館、男女合同でみんなで食事…潰れた。
YK、GTさん含め全員で名前等😀自己紹介を🙏
名字は兎も角住所所か📢未だ名前も知らぬ。
それが😡
18:38 – 2020年6月11日

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1271043769828167683?s=20

……


浜田隆政 (Takamasa)@Takamasa_Hamada
20-164-4【#駿台】
20-163-3添付の喉痛め 医師の診断書は1987年7月6日。
駿台での営業妨害被害は #駿台大阪校 に移動した1986年4月から徐々に。
1987年6月頃も被害を受けていた…が、記録付けは9月8日から10月初め頃迄。
喉炎症は10月前後が最悪。最悪以前の診断書
個人情報伏せ字後に掲載予定。
12:41 – 2020年6月12日


浜田隆政 (Takamasa)@Takamasa_Hamada
20-164-5【#駿台】
現時点でマイク関連のみ日付掲載。
当時の #駿台大阪校 職員で既に退職し、駿台👺人間と無関係人に直に調査🙏

当時 #朝日新聞 登場のIH部長と同姓京大卒人物も大阪校職員の下っ端。彼は無関係と想像も #経団連 の一部等の支援抜きでは真相は困難?#米倉弘昌 氏が生きてたら
12:52 – 2020年6月12日


浜田隆政 (Takamasa)@Takamasa_Hamada
20-166-1【#駿台⚔️】真相解明を。
生徒授業料支払上
生活上🤡
授業妨害妨害絶対禁止.所が#駿台大阪校 で…1986-87年
▼#駿台京都校
Xが?と私を人間違いし放逐目的で🏫🚺NM等に?依頼?
1983年秋頃?開始…最後は催眠。
1983年度医学部志望高校生
大変良い子が何か話してくれるかも
聞き取りを
16:13 – 2020年6月14日

 

 


7・駿台大阪構内での被害の実態:かなり詳しい記述
206
2020/9/24 気がむけば一言
【駿台】№206 女性問題でっちあげ被害の謎と、引き続くトラブルの謎、更に人間違い被害疑惑(2)・駿台講師時代の刑事犯罪被害。
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1380/

【構成:不可思議なこと】(順次清書中:数回に分けて掲載)

(1)女性問題としての実態のない不可思議なトラブル。
女性に指一本触れず、デートもせず、学外でも会わず、学内でも人前でしか会話せず、会話時間も一人当たり6年合計で10分程度である。勿論、ストーカーや、パワハラなどもしていない。さらに、(4)で述べる如(ごと)く、私の方が駿台NMさんに手紙を渡し断られたのである。

(2)刑事犯罪被害に結びつけられた謎。

(3)駿台辞職後も30年尾を引いている疑惑

(4)出発点の不可思議さ―人間違い説

(5)同和問題を臭わされる謎

(6)人間違い説疑惑を解説しようとするや各種危害のオンパレードとなる謎。

……

(A)駿台大阪予備校内について

拙著、『閉じた窓にも日は昇る(上巻)』(Kindle、上・下各百円、$1)から以下抜粋する。

☆☆☆☆☆
①駿台教室内のマイク不調問題(一九八七年)。
九月一九日(ピーピー音)→証拠としてテープ録音保存。
二二日=マイクをつけたり消したり(証人確約学生NK君・YM君)。
二四日=二時限チャイムが鳴らず、マイクもほとんど入らず。
一〇月九日=マイクの音がでず。
一四日=マイク調整が悪く、その調整を依頼すると、今度はマイクの音がでず。

二三日=教室マイク午後二時半~三時半にかけて音がでず。声が完全に潰(つぶ)れる(喉(のど)の被害証人=AH氏)。マイク調整で職員とのやりとりのテープ録音あり。授業にならぬため、マイク使用が可能なサンヨーの大型ラジカセを自費購入し、駿台に持参する羽目となるが、十分使用できず諦(あきら)める。その姿を見た生徒は何人もおり、記憶している者もいるはずである。

②無関係生徒の乱入。授業妨害になる形で出てゆく。主として日本史=九月八日、一八日……政経も一部あり。一度は、私のクラスの生徒が怒り、無関係生徒を追い出す(その生徒名はMN君である)。一一月一五日には生徒の移動あり。

③同一生徒が履修(りしゅう)している科目重複の続発。かなりの政経受講生から(K講師の)化学の補講と重複して困っていると相談を受ける。
……

⑤教室の温度調整問題。
九月一八日=本日暑い日であったが冷房が入らず(部長に抗議しようと思うも部長も課長もいないとのこと)。
一〇月三〇日一六時四〇分=寒い日で「教室の温度二三度割る。教室の温度計を見た途端なおる」。
一一月五日=「教室の温度最低二二度、温度差が激しい」、「温度を下げられたので、ジャンパーを着れば熱くされ、脱げば寒くされる。最後には頭痛がしてくる」が、体感温度はこれ以上で、室内温度計ならば温度計が操作され、実質温度と相違があったと推定される。我が家から持参の温度計ならば持参日以前にはもっとひどい状況に置かれていたという証拠である。
教室の位置により体感温度は異なり、温度計にも適切には反映されないため、数値よりも実質はもっとひどく、駿台勤務六年間で経験したことのない温度問題があったことだけが事実である。手口は④参照。

☆☆☆☆☆
○浜田隆政著、『閉じた窓にも日は昇る・上』(Kindle上・下各百円、$1)
○Kindle→https://www.amazon.co.jp/%E9%96%89%E3%81%98%E3%81%9F%E7%AA%93%E3%81%AB%E3%82%82%E6%97%A5%E3%81%AF%E6%98%87%E3%82%8B%E3%83%BB%E4%B8%8A%E5%B7%BB-%E5%AE%89%E3%82%89%E3%81%8E%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B5%9C%E7%94%B0%E9%9A%86%E6%94%BF-ebook/dp/B01EB6MT84/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E9%96%89%E3%81%98%E3%81%9F%E7%AA%93%E3%81%AB%E3%82%82%E6%97%A5%E3%81%AF%E6%98%87%E3%82%8B&qid=1600518145&sr=8-2
○私のHPでの案内箇所→http://h-takamasa.com/book-01/custom33.html
☆☆☆☆☆

サンヨーのラジカセの名称は以下である。
「サンヨーCDプレーヤー内蔵ステレオダブルカセットPHーWCD2」



(B)駿台内の各種いやがらせ行為と駿台外の刑事犯罪被害のコンビネーション。

俗語(相談した弁護士の言葉)では「いじめ」である。より正確には、各種営業妨害(マイク調整、無関係生徒乱入)である。
ところが、駿台内での軽微な嫌がらせと駿台の外での事件を符号させ、駿台外での刑事犯罪被害も駿台が関係しているという印象操作がなされる。
駿台がそれを承知で行っていた場合には、外での刑事犯罪被害の共犯者となる。知らぬ場合には上記の(A)レベルに留(とど)まる

事例とすれば、駿台内での温度調整問題で挑発するのと符号させ、駿台があっ旋したホテルでも駿台校舎内以上のことを終始やられる。特に寝ているときにやられた。
精神も肉体も参る。
学内で、天麩羅(てんぷら)うどんを頼むと生卵は入っていた。私は生卵は嫌いである。それは大した問題ではないが、それと符号して、岡山市庭瀬のアパートの戸を早朝5時頃叩(たた)かれ、出ると郵便受けに卵パックが入っていた。
駿台外での刑事犯罪も駿台が関与しているという脅しか、少なくともそうした印象操作がなされた。


☆☆☆☆☆
④駿台斡旋(あっせん)のホテル問題。
約二年毎週三日滞在している東洋ホテル(後にラマダホテルに名称変更し、数年前に廃業)で駿台から費用が直接支払われる約束にも拘(かか)わらず、同ホテルY氏がホテル代を私に請求してくる(九月一一日)。
その後東洋ホテルで就寝中に部屋の温度を急に上げられ三〇度を超え目覚(めざ)めさせられたり(温度計と共の写真撮影あり、一二月前後)、逆に温度を二二度に下げ、風を扇風機の如(ごと)く人体目掛(めが)けて猛烈(もうれつ)に送り込まれたりする事件が多発した。後者は日付も写すため新聞を購入し新聞と平行で撮影=一二月四日。

温度計は数値で証拠が残るため、温度は手加減されていたが、扇風機型で風をもろにあてられ、これが特に応(こた)えた。こうして証拠が残らぬ手口で一貫して行われたため、他の箇所も数値のみで被害を判断してはならない。

同ホテルでは一一月末以降頃はこうしたことがない日の方が珍しかった。何度調整を依頼しても、執拗(しつよう)に睡眠妨害をエアコン操作で行われ、健康防衛上やむを得ず温度計とカメラを持参した。

……
後に記すアパートの郵便受けへの卵パック入れと語呂合わせでの悪戯(いたずら)かどうかは不明も、駿台大阪校で天麩羅(てんぷら)うどんを頼むと生卵が入っていた(八七年九月一一日)。
通常は生卵は入らないし、私は生卵は嫌いで食べられない。それらも含めて私のことを調べ回っている脅しと解釈された。なお、生卵分の料金も請求された。次週、どうなるかと九月一七日再度前回と同じ注文の仕方で天麩羅(てんぷら)うどんを注文すると、生卵は入っていなかったが、「食堂のうどん料少なし(九月一七日、証人IN君)」のメモあり。
また、この頃はプリントの印字を悪くされることも続いた(過去に前例はない)。
約一九年前の記録・証拠類を簡単に一時間調べただけでも右記の如(ごと)しである。他にも「九月一一日、日本史授業開始五分前に進路変更連絡(MS氏)、……」等のメモあり。

学内の不法行為・営業妨害の記録付け作業は、八七年九月一九日に開始したが、一一月五日で中止に追い込まれた。それは記録すればするほど、仕返し的に不法行為がエスカレートし、営業妨害のみならず、身に危険があるぞ型の脅しが続発したからである
☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆

私が自分でカメラを購入したのは、駿台でのトラブルが原因であった。ただし、この時はコンパクトカメラである。


(C)駿台外での事件

☆☆☆☆☆
以下、「二〇〇七年年賀救済呼び掛け文―B」から引用する(誤字・脱字、不明朗な箇所は今回修正した。他の引用も原則同一。)
「《◆―一・駿台時代犯罪被害の一部の実例について》……八七年末当時の岡山市庭瀬アパートへの不法侵入。……当時の記録を見ると、石油缶の蓋(ふた)などを外(はず)す悪戯(いたずら)、さらには……私の郵便受けに悪戯……郵便受けに卵のパックを入れられたり(現在もパックは指紋の関係で保管)……、早朝五時頃郵便受けをドンドンと叩(たた)かれたりした記録が出てきた……こうした事件が続出等……。……誰かの悪質な悪戯で部屋に入り物を動かして退出……大阪では警察服(若しくはガードマンの服かもしれない)を着用していた二人組……による拉致(らち)若(も)しくは殺人?未遂(みすい)事件などが、八七年末から八八年初頭にかけて続発していた。

『恐るべき労基法違反』執筆時には、岡短の件で頭が一杯であり、駿台の件を十分思い出していなかったため穏和(おんわ)な書き方をしたが、八八年三月一四日にも島根県で拉致疑惑事件という刑事犯罪に出くわしてもいた。

先の大阪では両腕を掴(つか)まれ、どこかへ連れて行こうとされた以上、今考えると、他の通行人がいたので大声で助けを呼べたが、そうでなかったならば大変危険な事件であった。

それ以外にも、自転車の荷台の紐(ひも)をタイヤに巻き付けられる悪戯、……密室のアパートの部屋の天井から薬を何日も落とし続けるという脅迫……車のアンテナ盗難事件と警察に被害届に行き警察署をたらい回しにされ、再度警察に被害届という前日にアンテナをつけ戻され被害届を阻止された事件(八八年一月一六日頃)……ポストの郵便物に入っている新聞類を無断で見られた形跡もあり、……毎日続いた……。
……

それ以外にも、駿台に内容証明を送付する前後に、後にも先にも経験したことのないくらいの、夥(おびただ)しい犬や猫の死骸を、私が通る道に(早朝)置かれていたことも参考までに記しておく。

次に、右記の中で特に大きい事件であった天井からの薬落とし事件と拉致未遂事件を、新免議員会談用下書き・『五郎DB訴訟』から引用する。

「……部屋の不法侵入を裏付けるさらなる事件……天井(てんじょう)から薬のカプセルが幾(いく)つも落ちてきた。天井を確認したが穴はない。翌日も、更に翌日も、約三~四日続く。窓は閉めており風で落ちてきたのではない。天井から真下に落ちてきた。

なお、天井を手で触り調べても原因は分からず、箒(ほうき)などで軽くチェックしたのはこの頃である。二階に誰かいて・二階からの悪戯(いたずら)なのかと、天井を調べるためである。同時にその前に二階の板をドンドン踏みならされたこともあり、二階からの悪戯と通常は思う。

これのみでも、誰かが私のアパートに度々(たびたび)侵入したことは明白な事実であった。被害届を出しにくいやり方の上に、この頃は警察から既(すで)にシャットアウトされてもいた。……懐中(かいちゅう)電灯などで天井をチェックしても穴はなし。

箒(ほうき)、時には木刀で天井(てんじょう)を軽く叩(たた)いたのは天井構造のチェックが主目的……。なお、考えられることは、干渉者・首謀者Xが天井にそうした仕組みをするのを二階の住人が協力したか、私の部屋にそうした細工をするのに大屋が協力(許可)したか、それとも部外者が不法侵入して二階側からか、私の部屋側からか天井にそうした仕組みをしたかである。水(みず)漏(も)れはない。だが薬のカプセルが一つや二つではなく時間をおいてどんどん落ちてくる。……

再度、天井を懐中電灯や、手で隈(くま)無(な)く調べても異状なし。だが翌日も落ちてくる。落ちてきた薬は、私が大昔(八二年~八四年頃)服用した薬と同一と思われる薬で……(ほとんど)消却していたか、全て飲み終えてなくなっていた……よって、犯罪者が病院か薬局で私が昔服用したのと同一の薬を新たに購入した薬と推定される。

病歴等も全て調べたという脅しも兼用していたと思われる。ただし、天井を見続けて位置確認を狙うが、その間のみ落ちてこず。疲れて下を向くと時には即ポタリと、時には下の物へ当たる音も聞いている。例えば新聞紙の上にポトンと。勿論、落ちてくる瞬間は何度も見ている。畳や絨毯(じゆうたん)から三〇~五〇センチ程度上から下へ落ちる間まで。眼の高さから下に落ちる所も何十回と見ている。……、一〇〇%不法侵入は存在していた。……脅迫目的は駿台から手を引けという脅しと当時は考えていた……」

次に、拉致(らち)されそうになった事件に関して、もう少し丁寧(ていねい)に記す。一九八七年末警察官の服(若しくは警察官の服装そっくりの服)を着た二人組に、理由も告げられず、いきなり私の腕を掴(つか)まれ、どこかに連れて行かれようとした。

場所は東洋ホテルから梅田に行く繁華街とは異なる通常の道路であり、私は酒類は一切飲んでおらず、娯楽も中止中で連行される心当たりは全くない。身の危険を感じたため、大声で助けを呼ぶと、この二人組は走って逃げていった。

もし、私がこのときに大声で他の通行人目掛(めが)けて助けを呼ばなかったならば、どこへ連れ去られ、何をされたのであろうか。単なる暴行であろうか、殺人であろうか。連行して、「はい、さようなら」は通常は考えられない。いきなり理由も告げられず、腕を掴まれ、どこかへ連れて行かれようとしたのであるから。事件の起こった日は八七年一一月六日~一二月の駿台冬休み前の駿台出講日である。必要時には厳密分析で日時は相当絞り込みは可能である。
☆☆☆☆☆
「二〇〇七年年賀救済呼び掛け文―B」から引用
☆☆☆☆☆



犯人は誰か。

①(1)に記載したような次元のことで、刑事犯罪被害までに発展するであろうか。
当時は、今と異なり「日本のフィクサーME」では一切ない。何のためにするのであろうか。駿台京都校で人前で女性と2、3分楽しそうに口をきくとこうなるのであろうか。馬鹿馬鹿しい。理解不可能である。
さらに次の疑問もある。

②駿台辞職後には、ポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)で、これらの刑事犯罪被害は労基法違反と無法学生問題へと結びつく。後者は、犯人Xに依頼されたアルバイト学生か偽学生としか思えなかった。

私が駿台を辞職し、駿台京都校職員も結婚などで辞めてからも、上記(1)のレベルで刑事犯罪被害が続くとは常識上は考えられない。この問題は次回の(3)で述べる。

③そして、その(労働省所管)ポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国:厚生労働省所管)を辞職した後も刑事犯罪被害が続く。

④更に、駿台京都校講師時代に、私に絡んでいた教師群がそこまで悪質とは思えない(※注1参照)。すると私への犯罪の動機が理解不可能となる。また首謀者も検討がつかなくなってくる。要するに、何故、こうした被害に30年以上遭(あ)い続けるのかさっぱり分からない。何年考えても全く分からない状態が続く。

⑤1987年4月か5月頃、付き合いかけた女性HK(大学生)がいたが、彼女がしきりに駿台の政経講師MD(別名を含めて幾つもの名前を使い分けていた講師)を出す。彼は私のライバル講師であった。だが、HKは駿台には行っていない。高校も予備校も岡山のはずである。

私は、「嘘をつかない(騙さない)」、「二股はかけない」(彼女と付き合う期間は見合いも何もしていないし、女性候補者もいなかったという事実がある)、「私の方からは去らない」、「暴力は否定派である」…を誓い、実行していたが、突如誰かに嘘を吹き込まれた形で、HKがよそよそしくなり潰(つぶ)れた事件がある。私の方は当然結婚までまっしぐらで問題ないという方針であった。

何故彼女が、駿台講師の名前をだしたのか。さらに突然潰れた謎、おまけに、後で考えると私の知っているHKではなく、HKに似た偽者のように思える不思議さがあった。誰が仕組んだのであろうか。(1987年後半、原状回復を目的に裁判を検討したが、妨害で不可能となった。もし、裁判が可能となっていれば、HKさんに、迷惑のかからぬ範囲で「ありのままの事実をいっていただくように」お願いしたであろう。今からでも裁判が可能ならば同様である。🙏)


⑥何のことか意味不明の差別文書を渡される事件があった。

☆☆☆☆☆
八七年後半頃、私の知らぬ某生徒から、化学のK先生から浜田先生への贈物と言って膨大な手書き文書を渡される。この文書は、内容は差別表現の羅列(られつ)であり、後半には脅迫的印象を抱かせる真夜中の車の写真が幾つもコピー添付されていた(現在も保存中)。私の部屋に不法侵入し、西宮市教育委員会同和教育担当時代に職務上保有していた機密書類などを見たり、……という脅しとしか思えぬ内容であった。
☆☆☆☆☆

ちなみに、この文書には「法務局」と「人権擁護局」印刷がしてあったページがあった。
この文書を手渡されたのが1987年11月頃であったが、丁度その三十年後にも、「岡山地方法務局津山支局」と「津山人権擁護委員協議会」の名が印刷してあった封筒が我が家のポストにいれてあった。

住所・番地は我が家であったが、宛名は隣家の私より一つ上の人物(いっときは身長・体重ほぼ同一の人物で、違いは私と異なり運動神経がよく、小中学校時代は私と異なり優等生の方で、私と異なり女性にも人気があった人)であった。(隣家が何故か50年我が家の住所を使用していた謎もある。)

関連:トラブルブログ№17-100・トラブルの危険性ある人権擁護局封筒(処理対応待ちを参考公開)
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=12499


⑦駿台女性NMに手紙を1984年秋に手渡した謎。
これは後に(4)で述べるが、私は1983年夏に水俣で出会った子に何とか連絡を取る方法を検討していたならば、(1984年1月に)催眠類で突如NMに意思を変更させられた謎がある。今ならば相当実証できるし、また場合によれば証言してくれる人も出てくる可能性がある。


ここから出てくる結論も
犯人XはZに恨みを持ち、Zと私を人間違いし、女性NM等に何かを依頼し、私を惑わしたである(多分、遅くとも1983年夏前後に依頼したと想像する。)
今、信じられなくても、これから、駿台のみならず、我が家界隈で起こったこと、また私の回想録、日本のフィクサーMEシリーズなどを書いていけば、その内に理解できるようになると思う。
要するに「人間違い」が発端以外に、現在の私に思いつく理由はない。これ以外では、長期考えていた、全く筋書きのない映画説しかない。ただし、ここ何年も映画説でも筋書きがあろう…と就寝中に言われ続け…。

なお、駿台の件は隣家との人間違いとは書いていない。私に分かる訳がないことが事実である。実際に、私の処女出版である『旅に心を求めて―不条理編』(Kindle、百円)は2015年1月30日出版であるが、私と同姓同名で同一漢字の浜田隆政氏が突如同一日に高価な本を出版した。この人は東大教授の肩書きがあった記憶がある。よって、Zが誰かは現時点では特定していない。


なお、同和問題が臭わされることがあるが、それならば更に私と誰かとを間違えたのであろう。私は差別反対主義者で、その運動にも携わっていた人間である。私のことは多くの昔の仲間が保証するであろう。さらに、ここ40年は党派中立・宗派中立実行中のため、誰からも恨みを買う覚えがない。ただし、Zが隣家(50年我が家の住所と番地を使い続けた家)であるとは一切書いていないことを再度強調しておく。


(参考1)
なお、京都校講師時代に絡んでいるような印象操作を受けた某講師🚺や、大阪校時代に絡んでいるような印象を受けた教師{一人は某生徒が化学のK先生からと言い、差別文書を私に渡してきた。本来実名表記が常識であるが、万一、生徒の嘘(うそ)の場合を考慮し、K先生としている}などは、(私とも結構友好関係があった)生物の川端先生と親しかったため、さらに、何が・何か不明である。

川端先生(京都在住)は当時、京都校校長か何かであった記憶がある。私とは先生が死ぬまで年賀状のやりとりや、一対一では一度食事を御一緒させていただいたり、私が1984年前後に、岡山中学・高校(NHKの井上あさひ等の母校)などから専任条件でスカウトされたりしたときに、私に駿台に残るように説得されたメンバーの一人である。

このときは大滝満夫部長、深見係長、川端先生と私であった。後に国語の金森先生{当時、駿台御三家(英語の表三郎先生・数学の青塚先生・国語の金森先生)の一人であった}が偶然加われたような記憶があるが、このときか別の飲食会だったかは定かではない。ビデオで授業を拝見させていただいたが、大変見事な・リズミカルな国語の授業をされていた先生で、駿台関西地区ナンバー3の一人であった。

川端先生(生物が担当で、温厚な人柄の先生)や金森先生については、当方は何等(何ら)被害も受けていないため、実名で書くことにした。インタネットでは未(いま)だに実名で登場されているため、実名表記でも迷惑をおかけすることはないと判断したからである。

なお、駿台時代に各種トラブルに絡んでいた印象操作を受けた講師達が、当時の駿台女性NMさんなどと仲が良い訳ではない。さらに意味が分からない。第一、自分の教材研究で手一杯のはずである。

駿台の件を今更書いても無意味であるが、昨年(2019年4月頃)から「偽者」強調が激しくなり、更に私と仲の良い世界の指導者の一部も「偽者」に警戒シグナルをだしたため、やむを得ず、駿台の件を記している次第である。更に、国内外の政治に、当時(駿台講師時代)のトラブル首謀者Xが私に絡めて策動をしている疑惑もあるからである。

ちなみに、松江在住の故友人のTN(拙著『日本のフィクサーME』登場の布袋さんのモデル)は「人間違い(ひとまちがい)が原因」と2012年4月にはきっぱり明言していた。

やむを得ず駿台の記述とは、駿台の件などは読者が興味を持たないからである。さらに、正直に言えば、駿台予備学校、駿台学園と私(浜田隆政)では、天地の差で、私の方が世界では有名である。駿台は世界では誰も知らないが、世界の指導者で私の名を知らない人はほとんどいない。世界百か国以上でもう私の名は知れ渡っている。多分、世界190か国程度であろう。確認済みは150か国弱である。

他にせねばならないことが山ほどあるがやむを得ずの、駿台記述である。仮説では駿台時代に、X(犯人)が恨みのあるZと私(浜田隆政)の人間違いをしたである(多分、1982年から1983年頃と推測している)。駿台女性の件(NM等の件・恋愛類ではなくドタバタ劇)はその後である。

なお、駿台の刑事犯罪、営業妨害は裁判所でのケリが正道であったが妨害だらけで不可能とされた。後に、駿台の尾を引く形で(労働省所管・現厚生労働省所管)ポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)でも労基法違反を含む刑事犯罪、その他の被害を受け続けた。これは本来裁判所か、厚生労働省所管のため国会での審議が正当な方法である。国会議員類には延べ百通その依頼文書を送付している。労働省や厚生労働省にも送付している。

しかし、(早大大学院政治学研究科先輩の)小渕総理の突然死のみであり、他は動きがない。小渕恵三氏には2000年4月3日に書留で救済依頼文書送付したが、正にその夜緊急入院のテロップがテレビでながれた。

正々堂々とガラス張りでの決着が望ましい。
同時に、事情は論理や、私への実験ではなく、具体的な事情徴収を直(じか)にすることが望ましい。プライバシー権問題があるため、やはり裁判所や国会が本道であるが、各種方法で長期それを封じられている。だが、偽証罪が使用できる場が望ましいと常に思っている。

物事を前に進めたり、世界の指導者類の注目や調査を依頼したりするため、可能な範囲で徐々に実名表記を検討している。ガラス張りが望ましい。駿台、ポリテクカレッジ岡山の管理者類は徐々に実名表記に変更を検討している。また犯罪に該当が明白になれば、平の教師類でも実名を検討する。

駿台の件は女性問題では全くなく、刑事犯罪被害問題でしかない。同時に、犯人Xが人間違いをして危害を私に加えたことも、実名にした方が早く分かるであろう。 なお、駿台辞職後の半年目から一年目頃に、先の川端先生そっくりの声の人物が登場した。顔は全く違っていたし年も違っていた。恰(あたか)も偽者を強調するかの如(ごと)しであった。

川端先生は実名にしても、いかようにも問題がない(先生の一家は困ることが一切ない、更に死後も実名でインタネットに掲載されている)ため、本日から実名表記としている。
温厚な人であった。最後のやりとりは、家族の方からの「…川端三郎がなくなり…喪中につき失礼します」の挨拶文であった。


当時、大阪校には若手の石原という職員がいたが、朝日新聞で最近掲載された石原賢一氏(駿台教育研究所 進学情報事業部 部長)かどうか不明である。もし、彼が当時大阪校にいた石原氏ならば、調査を依頼したいが、調査のポイントが難しいため、そのポイントを後日記すことを検討する。

表面的な調査は犯罪の隠蔽(いんぺい)の役割しかしないからである。場合によれば、すぐには反応はないが数年後には駿台の命運がかかるかもしれない。超巨大企業(MSのビルゲイツ氏、FacebookのCEO…日本でもソニーの元トップの一人、ニコンの一部、第二代~四代頃の経団連会長)ならばよく知っているであろうが、駿台レベルの経営規模となるとまだ知らぬことが大半であろう。朝日新聞ですら、2014年以降を振り返れば漸(ようや)く、分かりかけたかもしれない。ベネッセも一定分かりかけたところであろう。経営規模が大きくないと事情は分かり難(にく)いであろう。

政治圧力ではない。私の意向に拘(かか)わらず、経済面で消費者が動くことが多いからである。世界遺産と私の訪問地の因果関係をみれば一目瞭然のはずである。
石原氏も軽く考えずに、まず、駿台学園理事長と連絡をとることを推奨する。勿論(もちろん)、いつか紹介する海外政府の首脳から情報を得てもよかろう。今はその紹介の時期ではないためしない。


駿台時代の刑事犯罪連続(ほぼ毎日)の期間は合計二年であり、その内、辞職前の数か月は生活不可能な状態に追い込まれた。日常生活すら困難をきたし、大阪校堀江部長、京都校大滝部長に(原状回復を願い)内容証明をだしたが効果がなく、結局辞職を余儀なくされた。
駿台内の犯罪については、今からでも当時の職員に聞き取り調査を願う。特に駿台予備学校大阪校である(元職員への聞き取り調査も願う)。当時(1986年4月~88年1月)の駿台大阪校職員への聞き取り調査を願う。


学外を含むと、上記のような大犯罪、更に、私の身辺調査をしたというような脅し類…が続いた。しかし、私は受験教科ではマイナーな政治経済の教師であり、しかも非常勤講師ですよ(もっとも妨害がなければ駿台でスーパースターになっていたことは後の私を見れば分かろうが)。
ともかく当時は単なる非常勤講師の私が、駿台の女性職員と人前で楽しそうに数分話したで、斯様(かよう)なことがあるでしょうか。当時は日本のフィクサーMEでもない、30才前半の若造ですよ。すると、犯罪の本質は女性とは無関係な動機としか分析できない。実際に(1)で書いたように女性問題自体が全く存在していない。なお、そうした経費は誰がだしたのであろうか。
ともかく、私には人に恨まれる心当たりが全くない。斯様(かよう)な疑問を30年余り持っているが、さっぱり分からない。冥土に行く前に分かるのであろうか。冥土と言えば、友人が「ひとまちがいが原因」ときっぱり言っていたが、確認しようと思うや、昨年4月に冥土に行った。
ほんとうの話である。

私の終活活動とすれば、本当は世界連邦・世界統一軍にむけて動いたり、書いたりするのが本道なのであるが、駿台のことを諸挑発で書かされ…、私にとっても、世界にとっても大きな痛手となっている。

今回はここまでの記述とする。

 

(2020/09/27 0:06追記)二点追記をする。

(1)駿台予備学校・大阪校と京都校の幹部は当時、競争意識が過熱し、多少ギクシャクしていたように見受けた。
その駿台予備学校・大阪校のトップが堀江部長であった。その下に教師担当の課長がいたが、名前を忘却した。この人物は私のライバルの政経教師と仲が良いようであった。

(2)マイク攻撃か何かで、喉(のど)をやられたときの診断書が下記である。
日記や記録がないが、診断書は通常は保険申請か、他病院への紹介状か、それとも刑事犯罪被害での証拠としてしかとらない。何故ならば、私自身のためならば、診断書は必要ないからである。保険申請や他病院に移動していない以上、もう1987年6月か7月にもマイク攻撃があったと思われる。当時の生徒が覚えているであろう。(必要時には聞き取り調査が一番である。)

クリックで拡大可能。

喉の痛みの診断書

(3)駿台辞職後も30年尾を引いている疑惑
 京都校時代は、女子中学校か小学校の「恋愛ごっこ祭り」騒ぎであろう。これも大の大人がとなると奇妙ではあるが、そうしたことは全くないとも言えない。
だが、大阪校時代の刑事犯罪被害とは明白な犯罪であり、通常は上記のケースではありえない。駿台女性とは何の付き合い云々(うんぬん)の実態もないのにである。

だが、通常ならば、私が駿台予備学校を辞職すればお終(しま)いのはずである。ましてや、相手の女性も途中で結婚したと聞いていた。私も女性も両方が駿台を辞めてまで尾を引く話ではない。
 ところが、この件が次の職場・ポリテクカレッジ岡山(労働省所管、現厚生労働省所管)でも、駿台辞職するや職場が一変し、各種被害を受け、後に駿台予備学校との因果を臭わされる。
 さらに、ポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)を辞職するや、今度はベネッセで、更には村で各種トラブルに遭遇し、駿台辞職してからですら32年、女性に手紙を渡しててから36年以上となる。

このようなことが現実にあるのだろうか?
意味がさっぱり分からない。チンプンカンプンである。

(2020/09/10 16:13追記:2020/09/12清書進行中)


駿台辞職後は、さらに、刑事犯罪被害が増大した。(3)で述べるように、駿台との因果を臭わせてである。駿台時代の件は上記(1)のため、当方は「ちんぷんかんぷん」が続いている。辞職後から既に32年経(た)つが被害は悪質な状態で継続しているとしか思えない。
回答の一つは、下記に記す、人間違いから開始したとしか思えない。

 

 


岡映氏と私との関係の誤解が原因か。相談した弁護士の不可解な対応の謎。訴訟妨害の謎。何故、部落問題を臭わすのか不明。西宮市教育委員会時代にも少し触れる。
(5)同和問題を臭わされる謎
2020/10/18 気がむけば一言(5)同和問題を臭わされる謎

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1394/

(2020/10/11 1時頃~3:09の間:下書: 2020/10/17 19:45から微修正・清書)
駿台の件で、大阪校に異動してから刑事犯罪被害が起こってきた。この時点での解決策は、裁判所しかないように思えた。偽証罪が通用する場で、第三者による公平な判定を求める。勿論、中心は女性問題ではなく、刑事犯罪被害問題である。それが一番公正で、民主主義と思えた。

こうして裁判を目指すや、今度は学外での刑事犯罪被害が加速してくる。ただし、現在の刑事犯罪被害と異なるのは、当時の刑事犯罪や各種脅し類は「訴訟を断念しろ」と言う脅しに思えたのに対して、今の刑事犯罪や各種脅し類は何を目的に、「何をしろ」と言っているのかサッパリ分からないことである。「駿台に戻る意思はない」「駿台相手の賠償交渉は一度もしていない」「駿台相手の訴訟も駿台辞職後は一切検討していないかった」「駿台女性と付き合うはずもない」。それでは、この脅し、それも駿台辞職後から30年以上ともなる脅しや、私の生活破壊活動の目的は何なのだろうか。40年近く考えても全く心当たりがない。

加害者が私に何をさせようとして各種脅しや刑事犯罪を加えてくるのかサッパリ不明である。そこで、私が何度も「犯行声明をだせ」と言っている次第である。危害を加えられる心当たりが全くないため尚更である。再度強調するが、40年近く考えても、こうした被害を受ける心当たりが全くない。全く意味不明なのである。
映画説でもシナリオがあるならば、回答はひとまちがい(人間違い)しか、現時点では考えられない。

駿台辞職後か辞職前に部落問題・同和問題が何故か強調された。辞職後は、岡映氏との誤解かとも思わされた。しかし、岡映(おか・あきら)氏{下に、岡映氏の紹介をしている}との出会いの箇所で書いたように、岡映氏とは単なる食事時の会話相手でしかない。2016年初頭にその点を丁寧に解説しており、それを読めば、岡映氏と私とを引き合わせた食堂のママさんが健在のため、加害者がママさんに聞けば即座に分かる話である。

勘違いならば、実際にもう聞いて誤解は解けているはずである。すると、同和問題絡みは意味不明である。加害者がKKK団に該当する、差別推進者ならば別であるが、その逆であれば「人間違い」以外の回答はない。
私は部落研究部後輩女性への熱(高校時代の後輩女性の箇所参照)のみならず、同和地域の女性に何回か好感をもち、あわよくば結婚でもできればよいと思ったこともある。西宮市教育委員会(同和対策課)時代でも、こんな子を嫁にできればと思った子もいた。残念ながら、年が離れすぎると同時に、相手は中学生であり、遠方からしか眺められない。因みに、その女性と同姓の人が岡山短大(ポリテクカレッジ岡山)の校長になったため、映画説ならばそれも知ってのことと思われる。
ましてや、部落研究活動を長期していたことも加害者は知り抜いているはずでもある。
するとおかしい。

☆☆☆☆☆

【岡映氏について】

徒然なるままに№2・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(1)

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5666

 

徒然なるままに№2・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(2)

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5702

☆☆☆☆☆



岡映氏については、駿台内で岡映氏の名もだしたことはないし、岡映氏に駿台の件を相談したことも一切ない。すると何故岡映氏を臭わされたのか。
後に思い出したのは、弁護士事務所の件である。
駿台内での刑事犯罪被害を止めさせ、駿台での原状回復を図るため訴訟しかないと思っていた時期である。
そのときに弁護士に相談に行った。そのときに岡映氏の名を出したのが勘違いをうんだ可能性がある。弁護士相談は1987年秋である。

どの弁護士に相談してよいか分からなかったが、当時、何らかの膨大な力での圧力を感じており、そうした圧力に屈しない弁護士を考えた。そのときに、たまたま購読していた「赤旗日曜版」に広告か何かに掲載されていた法律事務所を考えた。
そこで、こうした圧力類に強い感じがした岡山合同法律事務所を思いついたと思う。{赤旗日曜版にCM掲載されていたという記憶があるが、記憶間違いならば、下記平和書房で教えて貰ったか何かであろう。}

たまたま購読していたとは、単なる偶然からの購読でである。
駿台で教えていた政経の教材やテーマを探していた。そうしたときに、岡山市にある本屋(確か平和書房という名だっと思う)に変わった本を探しに行った。この頃、岡山でよくいく本屋が丸善と紀伊国屋であり、大阪が旭屋と紀伊國屋であったが、地元岡山で珍しい本(例:世界政治資料)などを求めて平和書房という本屋に行っていた。そのときに、この店の主人が広島である広島原水爆大会の案内をされた。1985年夏である。

そこで、授業のヒントを求めて藁にもすがるつもりで、広島での原爆…大会(正式名称は後日調べて記載:当時の写真を見ると「原水爆禁止1985年世界大会ヒロシマのひろば」と記載あり)に参加した。知り合いは当然ゼロであり、一人でウロウロしていた。行きは新幹線で一人でいった。
帰りに、偶然、岡山方面に貸し切り電車があると聞いたため、それに乗せて貰った。そのときに名前と住所を書いた。その名前と住所を元に、赤旗新聞の購読を勧められた。
日刊紙まで読む時間がないため、それでは日曜版だけをとることにした。この頃、赤旗日曜版は350万部?近い部数で週刊誌的な感じもしており、また経済解説コーナーがあったため教材も兼ねて購読をいわば義理型でした。

多分、1985年の終わりくらいから購読したのではなかろうか。なお、赤旗日刊紙は68年間の人生中、1975年夏前頃から80年までの間に空白を入れて5年弱購読しただけである。ただし、金銭問題などから学問的優先順位より、それ以外は購読したことはない。81年からは偶然見た2~3回を除けば一切見たことすらない。
政経専門家としては自慢の逆であるが問題を整理するため敢(あ)えて記しておこう。日曜版はこの85年から87年末頃までと、実家に戻ってから義理と政経授業関係のため、90年頃からベネッセ模試チェックを止める2002年前半頃まで購読したのではなかろうか。
まさに政経専門家とすれば「恥」でしかない。しかし、金銭問題・時間問題から、同じリベラル系ならば、「世界政治資料」「(雑誌)経済」(いずれも廃刊か?)あとリベラル系英字紙購読(名称は後日調べる:今、インタネットで調べると「Japan Press Weekly 」のようであるを郵送購読?)などを優先したのである。2002年頃からは金銭苦で全て購入していない。これらについては、公式ブログの下記を参照されたい。

☆☆☆☆☆

💁政経を語る№33・偏見の流布と学問、情報、常識、科学、報道(正式公開)

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=29044

💁政経を語る№33・偏見の流布と学問、情報、常識、科学、報道(正式公開)

☆☆☆☆☆

話を元に戻して、赤旗日曜版購読の直後頃から、駿台大阪校に異動し営業妨害と刑事犯罪が起こる。そして、同新聞で岡山合同法律事務所のCMを見たのだと思う。(違っていれば、平和書房か何かで知ったのであろう。)こうした圧力に赤旗日曜版に掲載されている弁護士ならば強かろうと思い相談に行った。
弁護士名は(今、再度調べると)豊田秀男氏ではなかったかと思う。

ところが、相談に行くと、私に対してかなり警戒というか疑惑を抱かれているような対応を取られた。当時は、Xグループか何かがこの弁護士に私の件で嘘を言い、この弁護士が私に対して疑惑・不信感を抱かれているように思えた(今考えてもそうである)。
そこで、赤旗日曜版に掲載されていた弁護士事務所なので、ひょっとすると「岡映」氏の名前をだせば、私に対する警戒心はとけ、私の言うことを信用してくれると思った。

この弁護士を信用させるために、岡映氏の名前を外で初めてだした。多分、「もし、私に不信感を持たれているならば、私は岡映氏と何回か食事をしたことがあるので、岡氏に私のことを聞いてもらえれば不信感はとけるだろう」というようなことを言ったのではないかと思う。駿台関係で、外で他人に岡氏の名前をだしたのは、これが最初で最後であった。

ところが、そうした話をすると、この弁護士は逆に私への不信感を丸出しにしたように思えた。何故か、さっぱり分からなかった。
特に、法律相談を終え、一階に降りると、この弁護士が先回りをして、私の顔を覗(のぞ)くように様子を見に来た不自然さを覚えている。
もし、駿台の?とかXグループが「岡」氏の名を私が出したのを知ったならば、このときに盗聴したか、この豊田弁護士がXグループの誰かに喋ったとなる。だが、後者は弁護士には守秘義務があるため、それはなかろうと思うのであるが。
それまでで、このとき以外には、岡氏の名は駿台に絡む件では登場することは一切なかった。

ちなみに、この弁護士が共産党系か共産党員であったことを知ったのは、拙著『閉じた窓にも日は昇る』のペーパー版を書いていたときであった(2008年頃か?)。そのときにこの弁護士名を控えていたためインタネットで検索すると、岡山県の衆議院議員に共産党候補(1958年から68年の間)として立候補していたことを初めて知った。
当時は、この弁護士事務所が赤旗日曜版にCM(違っていれば平和書房かどこかで知った)があったと思ったので山勘で岡氏の名を出しただけであった。

 


(2020/10/11 3:19~4:48:2020/10/17 21:04から修正及び清書)
この話を拙著『閉じた窓にも日は昇る』のペーパー版を2008年に書き{原稿は幾つかの出版社に送付したが、残念ながら出版には至らなかった。ただし、2016年には電子書籍でAmazonから百円($1)で発売}、更に『同上書・増補版』2010に、この弁護士への感想を書いていると、当時の民主党政権大黒柱の一人であった仙谷由人氏が、この原稿をどこかで入手したのか苦笑いをしていた。
この弁護士の一番の専門は小作争議であるという箇所であろうか。この話もどこかでしよう。


この弁護士には相談したが効果がなく、結局、自己訴訟を考えて、一人で岡山地方裁判所に行って相談したが、恰(あたか)も門前払いの如(ごと)くであった。いや門前払いであった。
ともかく、営業妨害、(特に学外であるが)刑事犯罪被害を止めさせないと仕事にはならなくなっていた。訴訟の目的は実体面での原状回復を目指していた。

しかし、訴訟を止(や)めろといわんばかりに各種脅迫、危害は増加していった。もっともこの頃の危害は「訴訟を止めねば、止めるまで脅すぞ・生活を破壊するぞ」と感じたのに対して、今は各種脅し・営業妨害・デマの流布(るふ)…と激しい攻撃は続くが、何を目的にしているのかさっぱり分からない点に違いがある。今は何であろうか。
「訴訟を止めろ」→駿台相手への訴訟類は駿台辞職後よりは一切していない。
「賠償を諦めろ」→賠償請求は駿台時代を含めて今日まで一切していない。
「駿台女性に手を出すな」→最初から指一本触れていない。ましてや駿台女性と付き合うことなどは一切考えていない。
「駿台に戻るな」→年齢のみならず、その意思は今は一切ない。
それでは、何のための脅しであろうか。何度「犯行声明を出せ」と言っても出さないのでさっぱり分からない。40年近く、何故被害を受けるのかがさっぱりわからない。まさに「ちんぷんかんぷん」である。

さらに、今考えると論理矛盾をしている。
私を駿台から放逐(ほうちく)するならば、脅しでなくても幾らでも手はある。マイナーな政経の非常勤講師である。
「入試教科調整の関係で政経講師は必要ありません」、「大阪在住でなければ無理です。毎回岡山からかようのでは無理です。」…など簡単な手が山ほどある。しかも、訴訟などの危険性のない安全な手も幾つもある。
それでは何故、脅しや、営業妨害、不法行為をしたのであろうか。
すると動機は訴訟妨害ではないとなる。ましてや、駿台辞職後、更に、訴訟活動を一切停止した後は尚更動機はない。
この謎はしばらく置こう。(もっとも回答の一つが人間違い・ひとまちがいである)


なお、この件の後しばらくして、顔も知らない生徒が、駿台大阪校内で「化学のK先生からの贈り物」と言って意味不明の差別文書を私に手渡してきた。
内容は差別語句のオンパレードであるが、意味不明の書き方となっている。
さてこの文書をどうしたものかと思案にくれた。
岡映氏に相談しようかと思ったが、友人のIT氏が「岡氏は今は部落解放運動分裂の件で大変である。今、斯様(かよう)な相談をするときではない」というアドバイスで相談はしていない。結局岡映氏が死亡するまで、駿台で手渡された文書の件は一言も言っていないし、駿台の「ス」の字も言っていない。逆に駿台に対して岡映氏の「オ」の字も言っていない。

なお、この文書を万一岡映氏に渡していたならばどうなったか。
岡さんが指導していた全解連は糾弾闘争否定しているグループである。更に確認会すら中止に傾いていた時期である。
そのときに、支離滅裂な形で書かれたこの文書ならば一切動かれなかったであろう。
せいぜい、「浜田君、良い弁護士を紹介するのでそちらで相談して」であったと思われる。(なお、この箇所は下記Twitterの如く一部訂正している。)


また現行法ではこの意味不明文書に対しては処罰する方法はないように思われる(この箇所も下記Twitterで一部訂正している)。
要するに、私に手渡してきても意味はないということである。
催眠もあり、何故、斯様(かよう)な訳の分からぬことをするのかと、アパート内では呆気(あっけ)にとられて苦笑した程度である。
電話などでIT氏に相談する際にも同様な対応をしたかもしれない。
恐らく催眠的な感情からであろう。


しかし、西宮市教育委員会時代の同和対策課にいたときの個人情報を見たという脅しかとおもいシリアスになったときもある。
当時の文書を見ないと不明であるが、後者の方が大きかったかもしれない。
必要時に当時の私の対応を調べてみよう。現時点では詳細には覚えていない。

なお、この文書の件は駿台辞職後の1988年1月末頃から2008年の『閉じた窓にも日は昇る』執筆時まで、一切喋りもせず、記述もせずにいた。対応の仕方が分からないからである。それ以上に、駿台辞職後からの危害が激しすぎたため、新しい危害への対応で手一杯でもあった。


この文書を預けたのが本当に化学のK先生か否かは、駿台が協力すればした方がよいと思う。万一、K先生が無関係ならばK先生の名誉問題もある。万一、関係しているならば何故そのようなことをしたのかを説明してもらいたい。
それ以上のことは、現時点では考えていないというよりもどう処理したらよいか、よい考えが浮かばない。

※K先生からが事実ならば、K先生の名前も実名で記載するが、手渡した人が勝手にK先生の名を使用した疑惑もあるため、しばらく保留。とにかく、一番重要なことは人間違いの確認をすべきである

☆☆☆☆☆

【上記の一部訂正箇所】

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1315457847841320961?s=20

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1315462042833178625?s=20

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1315466107071852545?s=20


(2020/10/17 22:36記述)上記のTwitterで訂正文を書いているときに、私が高校三年卒業直前の事件を思い出した。
地元・岡山であったTデパート就職差別事件である。
Tデパートで「同和地域出身者を雇用しない」という内規が見つかり大問題となった事件である。

私は卒業直前(1971年3月)であったが、高校二年のときの担任教師(公式ブログ・徒然№1に登場の教師)に誘われ、岡さんグループ(当時は部落解放同盟正常化連と言っていた)の確認会を見学に行ったことがある。

正常化連の確認会では、今、記憶にある範囲では激しい糾弾はなかったと思う。部落差別をした事実確認と、今後差別はしないという確認だけだったと思う。なお、同デパートでは、同和地域のみならず、「シングルマザー(当時は母子家庭となっていたと思う)」でも採用はしないという内規があったと、そのときに聞いた記憶があるが定かではない。
そうした差別もやめるという確認をしたと思う。
差別で不採用ということも大問題であるが、通るかもしれないと交通費や宿代を犠牲にしてくる入社希望者を思うとやりきれない思いがしたことを覚えている。

私が見た範囲ではつるしあげのような状態はなかったと記憶している。その後は、1974年の八鹿高校事件などがあり、更に、糾弾闘争は否定していったと聞いているが定かではない。なお、駿台で意味不明の差別文書を手渡された頃(1987年11月頃)は、確認会自体も中止の方向になりつつあるとも聞いた。
しかし、駿台講師時代には、完全党派中立・宗派中立のため、岡さんグループの方針や動き方も知らないため、気になる場合には、正常化連・全解連の後継組織である全国人権連(全国地域人権運動総連合)の方に直(じか)に聞いていただきたい。

ただし、私が見たのは1971年3月の一日のみである。同時に、正常化連と別に部落解放同盟が糾弾闘争などをしていた場合には、私は見ていないため、何も知らない。
私が知っていることは以上の通りである。

(2020年10月10日記述の文書に戻る)
なお、この文書には法務局という印字と人権擁護局という印字があった。
全く同じ文字の封筒が、この事件からちょうど30年後の2017年11月にもあった。
津山人権擁護協会、津山法務局の文書が我が家の郵便受けに入っていた。
ただし、住所は我が家であるが、宛名は私ではなく隣人のZさんである。(私よりも一才年上の、私と異なり小中学校時代の学業優等生、運動神経抜群の女生徒などの憧れの的な、いわば田舎の加山雄三?、いや松方弘樹か?…良い人物例を後日検討。私と似ているのは身長と体重だけである。)
ちなみに、Z家が我が家の住所を約50年程使い続けている謎もある。

ともかく、この件も現時点ではちんぷんかんぷんである。

☆☆☆☆☆

№17-100・トラブルの危険性ある人権擁護局封筒(処理対応待ちを参考公開)

http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=12499

☆☆☆☆☆



岡映さん絡(がら)みと言っても、既(すで)に公開したように、岡さんとは食堂のママさんに紹された、単なる食事仲間でしかない。それはXグループも私のブログを見て食堂のママさんに会い、確認をしているであろう。
なお、岡さん絡みとは、岡映さんと対立するグループが、岡さん絡みと勘違いをして私に害を加えたと思わされたが、もし、そうならば2016年ブログを読めば誤解は解けていよう。だが危害が続いている。
更に、岡さんと対立するグループが岡映さん自体に危害を加えぬときに、岡さんと食事をした人全員に危害を加えるという解釈にも無理がありすぎる。
要するに、サッパリ未だ分からない。

ただし、拙著『日本のフィクサーME』登場の布袋さんのモデルのTKNさんは2012年4月に、私が危害を受ける理由が全く分からない、何故受けるのだろうかと尋(たず)ねると、「浜田さんはどうしてだと思う」と逆に聞かれた。
そこで、私が「(岡さん絡みと思い、岡さんとの件で)誰かが誤解か勘違いをしているのだろう」と回答した。
すると、彼は「勘違いや誤解ではない。ひとまちがい」と言い切り、糖尿が悪いといってインシュリンの注射をしていた。

何のことかさっぱり分からなかった。(再確認をしようにも、彼は2019年4月に死亡したという連絡が家族からあった。)



しかし、私も人間違いを疑いだし2015年にプロフィールなどの充実を図り、人間違いならばその誤解を解こうとしたら、激しい妨害に遭(あ)い頓挫(とんざ)した。このときの話は(6)で記そう。


なお、後には私を差別者にしようと思われる雰囲気・策謀などを感じた。
いい加減にせよ。逆である。
私は高校時代(1968~71年)は全国集会への参加や地域高校生集会開催…その他部落研活動などに明け暮れ、部落研後輩への女性熱…とその中で青春をすごした人間である。
大学時代も大学自治会活動以外に、高校部落研先輩として、高校生全国集会への参加…、と。
子供会参加、各地の高校生との交流、地域の老人達から昔の差別の聞き取り調査、実態調査、…に明け暮れていた人間である。1975年まで続く。地元岡山中心とはいえ、西宮でも…。
当時の仲間によびかけよう。

その後も、西宮市教育委員会時代の同和対策課で一年を過ごし…である。この時の件でもデマが飛び交(か)った気配を感じた。
叱らねばならず、叱られた子三人ほどが勘違いをしたかもしれぬが、その他の百人以上の生徒に聞けば分かる。かなり歓迎されていたようである。
最後のときには地域の子供十人くらいを連れて箕面(みのお)にも行っている。しかし、何故かそのときの記念写真が紛失している謎もある。
父兄の受けも良かった。詳細をいつか書こう。
しかし、これらも、現地の当時の生徒や父兄に聞けば即座に分かることである。
簡単に言えば、多くの生徒に、敵対心の逆で好感を持たれていた。父兄の一部にも。
当時の全員に聞け。
コロナウィルスが収まり、金が少しでもあればまた西宮に行こう。
もっとも、1995年~97年などにJR西宮駅から関学に行ってもどこでも歓迎の雰囲気しかなかった。ところが、ポリテクカレッジ岡山を辞めた1998年以降の、特に2010か2013年頃から逆のデマが飛んでいる気配がある。

なお、部落解放運動の分裂も最中でみてきた。
私が部落研活動を開始した1968年は高校部落問題全国集会は分裂前であり、どの流れの人も一緒にいた。
1969年は分裂の最中であったが、まだほぼ全員が対立的雰囲気の中で一緒にいた。
1970年以降は分裂し、別れた後の大会となった。
それらの模様もいつか具体的に紹介しよう。

私が部落問題関連の運動から、相当離れたのが、1976年からである。それは大学院浪人と、経済危機、姉を始めとする二人の大病者を同時に抱え(ともに間もなく死亡)、ややノイローゼ気味なったこと、また1977年から早大大学院に進学した頃から、バイト三昧と研究という状況や、誰知らぬ地・東京へいったことなどによる。
更に勉学上の関係で別テーマへの研究に埋没したためでもある。

特に今ならば「世界連邦構想」の理論化とその実現に向けての動きなどからである。
それ以上に老後破綻を阻止するために動かねばならぬ死活問題もあった。
ただ、それだけのことである。


今回はテーマがそれるため、ここまでとする。
いつか、単元を変えて、三つのことを記そう。
一つは駿台の件での救済依頼問題などもあり、信条でなく心情も含めて完璧な党派中立・宗派中立への歩みの具体的な話である。
二つ目は、部落解放運動の昔の姿の紹介とその後の具体的な提言の話ある。
特に、部落解放運動を目指す人間同士の争いに終止符を打つための提言などである。
三つ目が党派中立・宗派中立となり、間もなく40年になろうとしている。その間に、(様々な影響を遮断して)構築した、浜田隆政オリジナル理論の紹介である。
例えば、世界平和・日本の平和は世界連邦・世界統一軍樹立にあるとする、独自理論である。ユートピアとの違いは具体的方策を持っていることにある。
(自然エネルギー全盛と化石燃料死滅策、科学の発達と戦争死滅策、領土問題の抜本解決に向けて、…)。
2009~11年に書いた『日本のフィクサーME』の中の完全自動操縦の車の早急な実現などはかなり当時の業界に波紋を投げかけた。
未だに独自理論で回答を書いていないのは少子高齢化完全対策、日本の赤字国債完全解消の道などである。


最後に、もし、部落問題・同和問題が私の危害に本当に絡んでいるならば、人間違い(ひとまちがい)か、筋書のない出鱈目(でたらめ)ドラマしか考えられない。
誰が誰と私を間違えたのかがはっきりすれば、もう少し具体的に書けるのだが。
なお、人間違い該当者の特定はまだ不明である。
私と名字も名前も漢字も同一人物が2015年登場し、私の本と同一日に本を出版した。
同一の住所の家が50年余り存在していること。
各地で私の偽者が登場したこと。
インタネットで私の偽者が2015年頃に大量に登場した謎などもある。

加害者に呼びかけるのは、犯行声明を出せ。そうすれば糸口は分かる可能性もある。
このままでは死ぬまで「ちんぷんかんぷん」の状態が続く。

 

 

 



後藤先生と尼崎の友人来訪。後者はファックスで人間違いを示唆。…旧ソ連派・中国派・中立派…片山潜記念碑にて
228
2021/2/20
気がむけば一言【駿台】№228:人間違いを示唆する恩師と友人の訪問…
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1474/

以下、2021年2月13日Facebookに収録したものを、保存・整理上の問題から一言ブログに収録したものである。ほんの少しの追記類を後でする予定でいる。

(February 13-4)


(February 13-4)【☎人間違い】
本日15:05悪戯?☎で本日の予定が大きく狂う。
「…ご用件の方はファックスか…留守電を…」の所で電話が切れる。
以前は「ご用件の方はファックス」で電話が切れていた。ファックスについては次の出来事があった。本日は留守電まで音声が入る。何かの隠蔽(いんぺい)・工作であろう。
以下の番号はTwitter番号。内容はTwitter掲載前の字数制限無関係の原文である。

📷1番・(岡山県)誕生寺にて。(写真はいずれもクリック一度でパソコン画面大、二度クリックで巨大)
21-044-4【☎人間違い】
数年以上前「あなたでしょう、ファックスを。どうしてそんなことを」と知らぬ🚺が😡の☎。
🤡は #ファックス 使用皆無で😲。
聞くと #尼崎 の #関学 友人の奥さん。
夜、友人から詫びの☎。家間違い、人間違い、と。
2002年8月10日
ゼミ指導教授 後藤峯雄先生とその友人と #誕生寺 にて撮影。

2002年関学時代の指導教授、同級生を岡山県・誕生寺で撮影:📷№02-021-27A-f-M2


📷写真2。我が家から誕生寺に行く道中に片山潜記念碑がある。:同記念碑前にて撮影。
21-044-5【☎】#片山潜記念碑 にて。
#後藤峯雄 先生は親 #中国
その友人は旧ソ連とか部落解放同盟応援派では?いずれも真偽不明。
関学元教授 #勝部元 氏の名をよくだしていたことは覚えている。(どうでもよいが参考までに。人間が出来た人であることと、私とは仲がよいことだけが事実である。)

🤡私は #岡映 氏(後の全解連委員長)とは偶然食堂で食事も🤡は80年頃から完全党派中立。40年弱。
岡氏は人間として立派な人と思ったが、🤡は中立は事実。
2002年でも #日本共産党 派と勘違い…疑惑。
私は党派中立・宗派中立と何度も公言し、実行してもいる。

2002年:関学時代指導教授・後藤峯雄先生、ゼミ及び教育委員会時代に一年一緒した友人:📷№02-021-26A-f-M


📷2014年萩の旅にて、野坂参三氏の墓を撮影。(墓には野坂参三氏の妻・龍の名が刻まれていた。)

21-044-6【☎】
2014年 #萩 の旅では 前年の #安重根 記念碑と対比で #伊藤博文 足跡を追う。
同時に #野坂参三 墓参りも行う。
更に 萩で #志賀義雄 生家や墓を探すも分からず。
テーマは歴史に人を想う。
又 #松下村塾 適塾🆚#東大 #京大 等。
いずれ作品化。
因みに、その翌年萩が #世界遺産。
私にすればいつもの話。

野坂参三の墓:山口県萩市:📷№14-018-168:2014年4月撮影


21-044-7【人間】🌛#関学
#尼崎 友人は人間的に立派な人・人格者。
同時に、この時は実に良い顔で📷に写っている。
顔を隠すのがもったいない。
私は尼崎に住んだことなし。所が尼崎で数度絡まれ🤷

2002年
#後藤峯雄 先生 #尺八 を撮ると、誰かがフィルムを入替😱。
2009年従兄弟の子結婚式📷(フィルム)入替事件を示唆の如し


Facebook用追記(2021/02/18微修正を行っている。Facebook収録版は修正をしていない)。
ここ十年程度での人間違い云々問題。
尼崎とJR
いずれも我が家と無関係

尼崎で数度絡まれる。いずれも阪神尼崎駅関連である。
某ホテルでの朝食時に、知らぬ人間が脅し的雰囲気。
楽天トラベルの該当箇所に記載がある。
宿泊は多分2016年3月7日から8日にかけてであり、楽天トラベルには備忘録用に記載した。保存版では12/23の文字がある。
ちなみに、私は尼崎に住んだこともない。
第二次安倍政権になってから、大阪に観光客が増えたため、尼崎のホテルに移動した(若しくは移動させられた)だけである。
なお、このホテル界隈(かいわい)には…の本当かどうかは不明も法律事務所がある。

JR絡みは2015年春から夏にかけてである。
これはトラブルブログに記載がある。
この頃、私自身のプロフィール充実を試みた頃たが、何故か妨害が多く断念させられる。

また、気のせいか、コンクリート(セメント)と防災が強調される。同時に、その権威である浜田●氏の名を強調された謎もある。
浜田●は東大名誉教授であり、もう亡くなられたため記載しても問題はない。
ましてや、東大名誉教授の浜田●氏と私は無縁である。
しかし、浜田●氏の名を出すと、近隣でアレルギー反応を示す人がおり書けない。
なお、浜田●氏は我が村に同姓同名の人が二人いる。

我が家の父は同じ東大名誉教授でも浜田宏一氏と名が似ている。
私と同姓同名の人物・浜田隆政が東大教授でいた謎もある。
おまけに、その浜田隆政氏は、私が2015年1月30日に本を出版すると書けば、東大教授・浜田隆政氏が同一日に5千円を超える高額の本を突如だした謎もある。更に、その本の訳者から今は浜田隆政が消えている謎もある。
おまけに、その頃朝日新聞が妙に強調された不自然さもある。

なお、偽者強調は2014年山口県光市や萩市にいったときに随所でなされた。また2017年東京の旅でも同様であった。

●●https://www.facebook.com/takamasa.hamada.92/posts/3586310531438673

 

 



駿台大阪校内業務妨害、刑事犯罪とのタッグ、大阪校内にて「北山先生からといって差別文書を手渡される
4-④
2021/7/27
安らぎブログ
教育・女性をめぐる各種デマへの反論―4④・駿台🚺、更に謎の差別文書の謎―④(=その4・大阪校時代と同和問題登場の謎
http://h-takamasa.com/Blog/?p=26261

《◇―7・駿台第3期・大阪校時代》

2021/06/16 6:25 記述:2021/07/27 8:05 修正

 川端先生などが笑っているので大したことはなかろうと思っていたが、駿台大阪校に異動すると様相は一変した。営業妨害が多くなった。なお、駿台を辞職するや、即、川端先生そっくりの声の人物に出会う。勿論、川端先生ではない。ここ数年、川端先生も、私と誰かとを人間違いしていた、若(も)しくは勘違いをしていたということを示唆する人がいる。川端先生とは友好的であり、同時に知名度が高いので実名でも問題はない。他の先生も知名度が高いならば名をだしても問題がなかろうと考えだし、実名で記述を検討している。特に犯罪と無関係ならば問題がないはずである。例えば、英語の伊藤和夫先生などの名を出しても問題はないのと同様である。

(2021/07/20 14:39記述)

駿台大阪校に異動すると、駿台職員🚺女性との🚺問題はなくなる。ヤレヤレであった。もっとも、下記の如く🚺女性問題は最初から存在していなかった。

催眠か催眠類で無理矢理動かされただけである。それも催眠で動かされたのは💌(手紙)一通のみの話である。同じ職場で2年顔を見た駿台講師室係🚺NMに。再度記せば以下である。
①突如の催眠による🚺NM熱が起こる。
②半年以上、催眠熱を拒否したが、抵抗むなしく💌を手渡した。
③💌手紙の内容は女性従兄弟に☎(電話)で朗読して、問題が一切ないのを確認して手渡す。
④断りの返答をもらう。そこで、私は「お騒がせしました。(あなたの意思は尊重します)」と職場で深々と一礼をする。
⑤後に少しおかしいので、都校1号館責任者・吉田課長、2号館責任者・岡田課長に事情解説と最高責任者の大滝部長には事情と詫びをする。

ところが、以下の疑問点が生じてくる。

(A)駿台京都校を駿台大阪校(森友事件のあった豊中市)に異動すれば通常ならば全て終了するはずである。

ましてや、私が駿台を辞職し、女性🚺NMも結婚して駿台を辞職すれば問題は長引くはずがない。それでも長引く。それも40年近く、未だに引きずられているとしか思えない謎がある。


(B)駿台大阪校で授業妨害(営業妨害)が開始する謎と、駿台外での刑事犯罪とペア・類似型で起こされた謎(タッグ型で駿台がやっていると通常は誰でも思う形での犯罪)である。

 その妨害が《◇―8》に記載している如く、駿台外での刑事犯罪と呼応して(類似型)で起こった謎である。例えば、駿台大阪校で「天麩羅うどん」を注文すれば、即、私のアパートを早朝午前5時前後に誰かが叩き、外にでると📫受けに卵パックをいれられていた。駿台校舎内で室内温度を寒い・熱いで操作されると、即、今度は駿台があっ旋していたホテルで温度が真夜中に、真冬でも30度を超えたり、逆に温度自体は寒いとは言い切れない24度程度とし、その代わりに扇風機の如くエアコンから私のベットをめがけて風を終始送られ続けた。なおベッドの上には毛布一枚しかなかった。(風の証拠写真を後日掲載する。温度はアパートから持参した温度計で測っている)。

【📷】(写真はクリックでパソコン画面、二度クリックで巨大):大阪にあった東洋ホテル。私が関連原稿書き出すや身売り(ラマダホテルへ)、同ホテルを再度書き出すと閉鎖(廃業)。

1987年後半頃~1988年1月頃

【📷】

新聞には「たけし、猪木に挑戦」の見だし。大阪スポーツ(=東京スポーツ)で定価70円の頃。

【📷】

写真はいずれも、大阪中津にあった東洋ホテル。
1986年度は皆無。87年冬は毎日例外なし。全て東洋ホテル。週3日宿泊でほぼ二年連続。

 

(C)《◇―9》で述べる同和問題が突如浮上する謎がある。

どうして、同和問題が登場したのであろうか。ちんぷんかんぷんである。

(D)最近の外部資料では、全く証拠もないし、私も信じがたいが駿台の昔の理事長関連も強調されている謎、若しくは「教務」などを指摘する文書がある謎がある。現時点では意味不明とも言える。同時にことの発端となった駿台講師室係🚺NMに関して、西山ファーム事件(2019年岡山県赤磐市で起こったカード詐欺事件・西山美千代社長、更に「山崎が悪い」なる語が登場)が暗に強調される謎がある。ここは、私が書いたのではなく、外部から流されている情報であり、真偽は全く不明の話である。

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1412742826757025798?s=20

☟(下記がポップアップしていないときは上のアドレスをクリック:下記は「西山ファーム事件」→ここで気になる語が幾つか登場するが単なる偶然であろうか。同事件は最後の方に再度別資料を添付している。)


(E)一連の被害に関して人間違いが強調される謎もある。

外部からの関連資料を後日、別ページに添付予定でいる。

《◇―8・駿台大阪校で授業妨害(営業妨害)が開始する謎と、駿台外での刑事犯罪とペア・類似型で起こされた謎》

詳細は、以下に記載している。

☆☆☆☆☆

【駿台】№206 女性問題でっちあげ被害の謎と、引き続くトラブルの謎、更に人間違い被害疑惑(2)・駿台講師時代の刑事犯罪被害。

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1380/

☆☆☆☆☆

しかし、読者の便宜を図るため、必要部分の一部を抜粋しよう。

☆☆☆☆☆

(A)駿台大阪予備校内について

拙著、『閉じた窓にも日は昇る(上巻)』(Kindle、上・下各百円、$1)から以下抜粋する。

☆☆☆☆☆
①駿台教室内のマイク不調問題(一九八七年)。
九月一九日(ピーピー音)→証拠としてテープ録音保存。
二二日=マイクをつけたり消したり(証人確約学生NK君・YM君)。
二四日=二時限チャイムが鳴らず、マイクもほとんど入らず。
一〇月九日=マイクの音がでず。
一四日=マイク調整が悪く、その調整を依頼すると、今度はマイクの音がでず。

二三日=教室マイク午後二時半~三時半にかけて音がでず。声が完全に潰(つぶ)れる(喉(のど)の被害証人=AH氏)。マイク調整で職員とのやりとりのテープ録音あり。授業にならぬため、マイク使用が可能なサンヨーの大型ラジカセを自費購入し、駿台に持参する羽目となるが、十分使用できず諦(あきら)める。その姿を見た生徒は何人もおり、記憶している者もいるはずである。

②無関係生徒の乱入。授業妨害になる形で出てゆく。主として日本史=九月八日、一八日……政経も一部あり。一度は、私のクラスの生徒が怒り、無関係生徒を追い出す(その生徒名はMN君である)。一一月一五日には生徒の移動あり。

③同一生徒が履修(りしゅう)している科目重複の続発。かなりの政経受講生から(K講師の)化学の補講と重複して困っていると相談を受ける。
……

⑤教室の温度調整問題。
九月一八日=本日暑い日であったが冷房が入らず(部長に抗議しようと思うも部長も課長もいないとのこと)。
一〇月三〇日一六時四〇分=寒い日で「教室の温度二三度割る。教室の温度計を見た途端なおる」。
一一月五日=「教室の温度最低二二度、温度差が激しい」、「温度を下げられたので、ジャンパーを着れば熱くされ、脱げば寒くされる。最後には頭痛がしてくる」が、体感温度はこれ以上で、室内温度計ならば温度計が操作され、実質温度と相違があったと推定される。我が家から持参の温度計ならば持参日以前にはもっとひどい状況に置かれていたという証拠である。
教室の位置により体感温度は異なり、温度計にも適切には反映されないため、数値よりも実質はもっとひどく、駿台勤務六年間で経験したことのない温度問題があったことだけが事実である。手口は④参照。

……


サンヨーのラジカセの名称は以下である。
「サンヨーCDプレーヤー内蔵ステレオダブルカセットPHーWCD2」



(B)駿台内の各種いやがらせ行為と駿台外の刑事犯罪被害のコンビネーション。

俗語(相談した弁護士の言葉)では「いじめ」である。より正確には、各種営業妨害(マイク調整、無関係生徒乱入)である。
ところが、駿台内での軽微な嫌がらせと駿台の外での事件を符号させ、駿台外での刑事犯罪被害も駿台が関係しているという印象操作がなされる。
駿台がそれを承知で行っていた場合には、外での刑事犯罪被害の共犯者となる。知らぬ場合には上記の(A)レベルに留(とど)まる

事例とすれば、駿台内での温度調整問題で挑発するのと符号させ、駿台があっ旋したホテルでも駿台校舎内以上のことを終始やられる。特に寝ているときにやられた。
精神も肉体も参る。
学内で、天麩羅(てんぷら)うどんを頼むと生卵は入っていた。私は生卵は嫌いである。それは大した問題ではないが、それと符号して、岡山市庭瀬のアパートの戸を早朝5時頃叩(たた)かれ、出ると郵便受けに卵パックが入っていた。
駿台外での刑事犯罪も駿台が関与しているという脅しか、少なくともそうした印象操作がなされた。


☆☆☆☆☆
④駿台斡旋(あっせん)のホテル問題。
約二年毎週三日滞在している東洋ホテル(後にラマダホテルに名称変更し、数年前に廃業)で駿台から費用が直接支払われる約束にも拘(かか)わらず、同ホテルY氏がホテル代を私に請求してくる(九月一一日)。
その後東洋ホテルで就寝中に部屋の温度を急に上げられ三〇度を超え目覚(めざ)めさせられたり(温度計と共の写真撮影あり、一二月前後)、逆に温度を二二度に下げ、風を扇風機の如(ごと)く人体目掛(めが)けて猛烈(もうれつ)に送り込まれたりする事件が多発した。後者は日付も写すため新聞を購入し新聞と平行で撮影=一二月四日。

温度計は数値で証拠が残るため、温度は手加減されていたが、扇風機型で風をもろにあてられ、これが特に応(こた)えた。こうして証拠が残らぬ手口で一貫して行われたため、他の箇所も数値のみで被害を判断してはならない。

同ホテルでは一一月末以降頃はこうしたことがない日の方が珍しかった。何度調整を依頼しても、執拗(しつよう)に睡眠妨害をエアコン操作で行われ、健康防衛上やむを得ず温度計とカメラを持参した。

……
後に記すアパートの郵便受けへの卵パック入れと語呂合わせでの悪戯(いたずら)かどうかは不明も、駿台大阪校で天麩羅(てんぷら)うどんを頼むと生卵が入っていた(八七年九月一一日)。
通常は生卵は入らないし、私は生卵は嫌いで食べられない。それらも含めて私のことを調べ回っている脅しと解釈された。なお、生卵分の料金も請求された。次週、どうなるかと九月一七日再度前回と同じ注文の仕方で天麩羅(てんぷら)うどんを注文すると、生卵は入っていなかったが、「食堂のうどん料少なし(九月一七日、証人IN君)」のメモあり。
また、この頃はプリントの印字を悪くされることも続いた(過去に前例はない)。
約一九年前の記録・証拠類を簡単に一時間調べただけでも右記の如(ごと)しである。他にも「九月一一日、日本史授業開始五分前に進路変更連絡(MS氏)、……」等のメモあり。

学内の不法行為・営業妨害の記録付け作業は、八七年九月一九日に開始したが、一一月五日で中止に追い込まれた。それは記録すればするほど、仕返し的に不法行為がエスカレートし、営業妨害のみならず、身に危険があるぞ型の脅しが続発したからである
☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆

私が自分でカメラを購入したのは、駿台でのトラブルが原因であった。ただし、この時はコンパクトカメラである。


(C)駿台外での事件

☆☆☆☆☆
以下、「二〇〇七年年賀救済呼び掛け文―B」から引用する(誤字・脱字、不明朗な箇所は今回修正した。他の引用も原則同一。)
「《◆―一・駿台時代犯罪被害の一部の実例について》……八七年末当時の岡山市庭瀬アパートへの不法侵入。……当時の記録を見ると、石油缶の蓋(ふた)などを外(はず)す悪戯(いたずら)、さらには……私の郵便受けに悪戯……郵便受けに卵のパックを入れられたり(現在もパックは指紋の関係で保管)……、早朝五時頃郵便受けをドンドンと叩(たた)かれたりした記録が出てきた……こうした事件が続出等……。……誰かの悪質な悪戯で部屋に入り物を動かして退出……大阪では警察服(若しくはガードマンの服かもしれない)を着用していた二人組……による拉致(らち)若(も)しくは殺人?未遂(みすい)事件などが、八七年末から八八年初頭にかけて続発していた。

『恐るべき労基法違反』執筆時には、岡短の件で頭が一杯であり、駿台の件を十分思い出していなかったため穏和(おんわ)な書き方をしたが、八八年三月一四日にも島根県で拉致疑惑事件という刑事犯罪に出くわしてもいた。

先の大阪では両腕を掴(つか)まれ、どこかへ連れて行こうとされた以上、今考えると、他の通行人がいたので大声で助けを呼べたが、そうでなかったならば大変危険な事件であった。

それ以外にも、自転車の荷台の紐(ひも)をタイヤに巻き付けられる悪戯、……密室のアパートの部屋の天井から薬を何日も落とし続けるという脅迫……車のアンテナ盗難事件と警察に被害届に行き警察署をたらい回しにされ、再度警察に被害届という前日にアンテナをつけ戻され被害届を阻止された事件(八八年一月一六日頃)……ポストの郵便物に入っている新聞類を無断で見られた形跡もあり、……毎日続いた……。
……

それ以外にも、駿台に内容証明を送付する前後に、後にも先にも経験したことのないくらいの、夥(おびただ)しい犬や猫の死骸を、私が通る道に(早朝)置かれていたことも参考までに記しておく。

次に、右記の中で特に大きい事件であった天井からの薬落とし事件と拉致未遂事件を、新免議員会談用下書き・『五郎DB訴訟』から引用する。

「……部屋の不法侵入を裏付けるさらなる事件……天井(てんじょう)から薬のカプセルが幾(いく)つも落ちてきた。天井を確認したが穴はない。翌日も、更に翌日も、約三~四日続く。窓は閉めており風で落ちてきたのではない。天井から真下に落ちてきた。

なお、天井を手で触り調べても原因は分からず、箒(ほうき)などで軽くチェックしたのはこの頃である。二階に誰かいて・二階からの悪戯(いたずら)なのかと、天井を調べるためである。同時にその前に二階の板をドンドン踏みならされたこともあり、二階からの悪戯と通常は思う。

これのみでも、誰かが私のアパートに度々(たびたび)侵入したことは明白な事実であった。被害届を出しにくいやり方の上に、この頃は警察から既(すで)にシャットアウトされてもいた。……懐中(かいちゅう)電灯などで天井をチェックしても穴はなし。

箒(ほうき)、時には木刀で天井(てんじょう)を軽く叩(たた)いたのは天井構造のチェックが主目的……。なお、考えられることは、干渉者・首謀者Xが天井にそうした仕組みをするのを二階の住人が協力したか、私の部屋にそうした細工をするのに大屋が協力(許可)したか、それとも部外者が不法侵入して二階側からか、私の部屋側からか天井にそうした仕組みをしたかである。水(みず)漏(も)れはない。だが薬のカプセルが一つや二つではなく時間をおいてどんどん落ちてくる。……

再度、天井を懐中電灯や、手で隈(くま)無(な)く調べても異状なし。だが翌日も落ちてくる。落ちてきた薬は、私が大昔(八二年~八四年頃)服用した薬と同一と思われる薬で……(ほとんど)消却していたか、全て飲み終えてなくなっていた……よって、犯罪者が病院か薬局で私が昔服用したのと同一の薬を新たに購入した薬と推定される。

病歴等も全て調べたという脅しも兼用していたと思われる。ただし、天井を見続けて位置確認を狙うが、その間のみ落ちてこず。疲れて下を向くと時には即ポタリと、時には下の物へ当たる音も聞いている。例えば新聞紙の上にポトンと。勿論、落ちてくる瞬間は何度も見ている。畳や絨毯(じゆうたん)から三〇~五〇センチ程度上から下へ落ちる間まで。眼の高さから下に落ちる所も何十回と見ている。……、一〇〇%不法侵入は存在していた。……脅迫目的は駿台から手を引けという脅しと当時は考えていた……」

次に、拉致(らち)されそうになった事件に関して、もう少し丁寧(ていねい)に記す。一九八七年末警察官の服(若しくは警察官の服装そっくりの服)を着た二人組に、理由も告げられず、いきなり私の腕を掴(つか)まれ、どこかに連れて行かれようとした。

場所は東洋ホテルから梅田に行く繁華街とは異なる通常の道路であり、私は酒類は一切飲んでおらず、娯楽も中止中で連行される心当たりは全くない。身の危険を感じたため、大声で助けを呼ぶと、この二人組は走って逃げていった。

もし、私がこのときに大声で他の通行人目掛(めが)けて助けを呼ばなかったならば、どこへ連れ去られ、何をされたのであろうか。単なる暴行であろうか、殺人であろうか。連行して、「はい、さようなら」は通常は考えられない。いきなり理由も告げられず、腕を掴まれ、どこかへ連れて行かれようとしたのであるから。事件の起こった日は八七年一一月六日~一二月の駿台冬休み前の駿台出講日である。必要時には厳密分析で日時は相当絞り込みは可能である。
☆☆☆☆☆
「二〇〇七年年賀救済呼び掛け文―B」から引用
☆☆☆☆☆

……

②駿台辞職後には、ポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)で、これらの刑事犯罪被害は労基法違反と無法学生問題へと結びつく。後者は、犯人Xに依頼されたアルバイト学生か偽学生としか思えなかった。

☆☆☆☆☆

《◇―9・同和問題が絡んだ謎》

さらに、これから述べる用に、何故か同和問題が強調されてくる。
確かに、私は高校時代は部落問題研究部に所属していたことがある。また、16才頃から23才にかけて、各地の部落問題研究集会や子供会、更には現地の人の受けた差別の聞き取りなどをしていたこともある。
また、大学卒業一年目は西宮市教育委員会同和対策課の嘱託をしていた。
1981年頃には、行きつけの食堂が、岡映氏が頻繁に食事をされている食堂と偶然一致し、店のママさんから岡映氏(部落解放同盟分裂前の副委員長、分裂後の全国部落解放連合会初代会長)を紹介されたこともある。

☆☆☆(以前記述した下書部分)☆☆☆☆

西宮市教育委員会の続きに書いた理由は、1987年の差別文書を、当初は西宮市教育委員会時代の個人情報(生徒の書いた手記集等々、T中学の生徒が書いたものを、私がT中学で印刷しとじたものである)を見た脅しとふと思ったときがあったためである。そのことは拙著『閉じた窓にも日は昇る』に書いていると思う。そうでなければ、何のために、意味不明の差別文書を私に渡してきたのであろうか。ただし、しばくたつと、その脅しではないようにも思えた。私の方は未だに「ちんぷんかんぷん」である。

☆☆☆☆☆


しかし、駿台校舎内で、同和問題の「ド」の字も出したことはない。岡映氏の「オ」の字もだしたことはない。それも駿台校舎以外でも、庭瀬のアパートでも、早大大学院時代の友人と再会するときもである。それどころか独り言ですらだしたことはない。
岡映氏にも、岡氏が生存中に駿台の「ス」の字も言ったことはない。

岡映氏の名を最初に出したのは、駿台校舎・アパート等ではなく、弁護士事務所である。それも、やむなくであった。その経緯は下記を参照願いたい。

☆☆☆☆☆

駿台の件で、大阪校に異動してから刑事犯罪被害が起こってきた。この時点での解決策は、裁判所しかないように思えた。偽証罪が通用する場で、第三者による公平な判定を求める。勿論、中心は女性問題ではなく、刑事犯罪被害問題である。それが一番公正で、民主主義と思えた。

こうして裁判を目指すや、今度は学外での刑事犯罪被害が加速してくる。ただし、現在の刑事犯罪被害と異なるのは、当時の刑事犯罪や各種脅し類は「訴訟を断念しろ」と言う脅しに思えたのに対して、今の刑事犯罪や各種脅し類は何を目的に、「何をしろ」と言っているのかサッパリ分からないことである。

「駿台に戻る意思はない」

「駿台相手の賠償交渉は一度もしていない」

「駿台相手の訴訟も駿台辞職後は一切検討していなかった」

「駿台女性と付き合うはずもない」。

それでは、この脅し、それも駿台辞職後から30年以上ともなる脅しや、私の生活破壊活動の目的は何なのだろうか。40年近く考えても全く心当たりがない。

……


岡映氏については、駿台内で岡映氏の名もだしたことはないし、岡映氏に駿台の件を相談したことも一切ない。すると何故岡映氏を臭わされたのか。
後に思い出したのは、弁護士事務所の件である。
駿台内での刑事犯罪被害を止めさせ、駿台での原状回復を図るため訴訟しかないと思っていた時期である。
そのときに弁護士に相談に行った。そのときに岡映氏の名を出したのが勘違いをうんだ可能性がある。弁護士相談は1987年秋である。

……


話を元に戻して、赤旗日曜版購読の直後頃から、駿台大阪校に異動し営業妨害と刑事犯罪が起こる。そして、同新聞で岡山合同法律事務所のCMを見たのだと思う。(違っていれば、平和書房か何かで知ったのであろう。)こうした圧力に赤旗日曜版に掲載されている弁護士ならば強かろうと思い相談に行った。
弁護士名は(今、再度調べると)豊田秀男氏ではなかったかと思う。

ところが、相談に行くと、私に対してかなり警戒というか疑惑を抱かれているような対応を取られた。当時は、Xグループか何かがこの弁護士に私の件で嘘を言い、この弁護士が私に対して疑惑・不信感を抱かれているように思えた(今考えてもそうである)。
そこで、赤旗日曜版に掲載されていた弁護士事務所なので、ひょっとすると「岡映」氏の名前をだせば、私に対する警戒心はとけ、私の言うことを信用してくれると思った。

この弁護士を信用させるために、岡映氏の名前を外で初めてだした。多分、「もし、私に不信感を持たれているならば、私は岡映氏と何回か食事をしたことがあるので、岡氏に私のことを聞いてもらえれば不信感はとけるだろう」というようなことを言ったのではないかと思う。駿台関係で、外で他人に岡氏の名前をだしたのは、これが最初で最後であった。

ところが、そうした話をすると、この弁護士は逆に私への不信感を丸出しにしたように思えた。何故か、さっぱり分からなかった。
特に、法律相談を終え、一階に降りると、この弁護士が先回りをして、私の顔を覗(のぞ)くように様子を見に来た不自然さを覚えている。
もし、駿台の?とかXグループが「岡」氏の名を私が出したのを知ったならば、このときに盗聴したか、この豊田弁護士がXグループの誰かに喋ったとなる。だが、後者は弁護士には守秘義務があるため、それはなかろうと思うのであるが。
それまでで、このとき以外には、岡氏の名は駿台に絡む件では登場することは一切なかった。

ちなみに、この弁護士が共産党系か共産党員であったことを知ったのは、拙著『閉じた窓にも日は昇る』のペーパー版を書いていたときであった(2008年頃か?)。そのときにこの弁護士名を控えていたためインタネットで検索すると、岡山県の衆議院議員に共産党候補(1958年から68年の間)として立候補していたことを初めて知った。
当時は、この弁護士事務所が赤旗日曜版にCM(違っていれば平和書房かどこかで知った)があったと思ったので山勘で岡氏の名を出しただけであった。

……


この弁護士には相談したが効果がなく、結局、自己訴訟を考えて、一人で岡山地方裁判所に行って相談したが、恰(あたか)も門前払いの如(ごと)くであった。いや門前払いであった。
ともかく、営業妨害、(特に学外であるが)刑事犯罪被害を止めさせないと仕事にはならなくなっていた。訴訟の目的は実体面での原状回復を目指していた。

しかし、訴訟を止(や)めろといわんばかりに各種脅迫、危害は増加していった。もっともこの頃の危害は「訴訟を止めねば、止めるまで脅すぞ・生活を破壊するぞ」と感じたのに対して、今は各種脅し・営業妨害・デマの流布(るふ)…と激しい攻撃は続くが、何を目的にしているのかさっぱり分からない点に違いがある。今は何であろうか。
「訴訟を止めろ」→駿台相手への訴訟類は駿台辞職後よりは一切していない。
「賠償を諦めろ」→賠償請求は駿台時代を含めて今日まで一切していない。
「駿台女性に手を出すな」→最初から指一本触れていない。ましてや駿台女性と付き合うことなどは一切考えていない。
「駿台に戻るな」→年齢のみならず、その意思は今は一切ない。
それでは、何のための脅しであろうか。何度「犯行声明を出せ」と言っても出さないのでさっぱり分からない。40年近く、何故被害を受けるのかがさっぱりわからない。まさに「ちんぷんかんぷん」である。

さらに、今考えると論理矛盾をしている。
私を駿台から放逐(ほうちく)するならば、脅しでなくても幾らでも手はある。マイナーな政経の非常勤講師である。
「入試教科調整の関係で政経講師は必要ありません」、「大阪在住でなければ無理です。毎回岡山からかようのでは無理です。」…など簡単な手が山ほどある。しかも、訴訟などの危険性のない安全な手も幾つもある。
それでは何故、脅しや、営業妨害、不法行為をしたのであろうか。
すると動機は訴訟妨害ではないとなる。ましてや、駿台辞職後、更に、訴訟活動を一切停止した後は尚更動機はない。
この謎はしばらく置こう。(もっとも回答の一つが人間違い・ひとまちがいである)

☆☆☆☆☆

【駿台】№209 女性問題でっちあげ、トラブル、人間違い被害疑惑(5)・同和問題を臭わされる謎(正式公開)

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1394/

☆☆☆☆☆

要するに、上記の弁護士事務所以外では岡映氏の名をだしたことはない。

ところが、突如、駿台校舎内で生徒のような人物から「化学のK先生からの贈り物」と言って意味不明の差別文書を手渡された。1987年11月頃だと思う。

☆☆☆☆☆

 ⑦八七年後半頃、私の知らぬ某生徒から、化学のK先生から浜田先生への贈物と言って膨大な手書き文書を渡される。この文書は、内容は差別表現の羅列(られつ)であり、後半には脅迫的印象を抱かせる真夜中の車の写真が幾つもコピー添付されていた(現在も保存中)。私の部屋に不法侵入し、西宮市教育委員会同和教育担当時代に職務上保有していた機密書類などを見たり、……という脅しとしか思えぬ内容であった。

☆☆☆☆☆

拙著『閉じた窓にも日は昇る・上』(Kindle、百円、1$)

☆☆☆☆☆

もし、(労働省所管・現厚労省所管の)能開大の件で国会で私の件が取り上げられるようになるか、裁判になれば直にK先生に聞いてみたいと思っている。それまでは国内外(特に海外の)マスコミや国内外の政府機関などが上記のK先生に事情を具体的に聞いてみたらどうであろうか。なお、K先生の名は、私に差別文書を手渡した人間が適当にK先生の名などを出すという嘘を言っていたときを懸念して記号としている。立会人と相談して実名にしてもよければ実名とする。K先生は駿台大阪校で化学の大家として有名な人物であった。また出身高校も進学で超有名な高校を卒業されている人である。

上記でないならば、岡映(おか・あきら)さん問題に絡めて、岡さんグループ(全国部落解放運動連合会)壊滅のため、私を悪用しようと思ったのかとも思わされた。

しかし、岡映さングループはとっくの昔に解散している。{全国部落解放運動連合会は1976年創立され、2004年に解散している。前身は1970年に創立された部落解放同盟正常化全国連絡会議(正常化連)である。}岡映さん自身も2006年亡くなられた。それでも、未だに尾をひいている。

第一、私はもう40年党派中立・宗派中立であり、そのグループに参加していなかった。

するとそれではないとなる。

しかも、岡映さんは、昔からの部落解放運動家のため、党派を超えて信望があり、他のグループから狙われることはない。すると更に意味が分からない。

全国部落解放運動連合会(前身・正常化連)と1981年に創立された部落解放同盟全国連合会とを混同しないよに。全く別組織で方針類も全く違うようである。

残された回答は、亡き友人の言った「人間違い(ひとまちがい)」以外ない(2012年4月に明言)。{Xが恨みのある誰かと私とを人間違いをした、である。}

余談ではあるが、松江で友人が上記を言った直後に、「浜田さん、ボクは糖尿が悪いので、インシュリンの注射をうつからまってて」と意味ありげにいったことを覚えている。ちなみに、我が家には糖尿の人間は一切いない。

また、後に戸籍が強調される謎もある。戸籍となれば私は無関係で人間違い率百パーセントとなる。何故ならば、私は戸籍主義否定論者で戸籍を調べるのは犯罪と主張している人間だからである。

ちなみに、先の差別文書には人権擁護局と法務局の印刷があった。丁度、その30年後の2017年11月に上京する際には、同じく人権擁護協会と法務局の印のある封筒が我が家の📫郵便受けに封筒が二つ入っていた。一つの方の宛先は我が家の住所と番地、宛名は隣人のZさんの名であった。もう一つは学校宛であった。上記とは無関係と思うが参考記述である。そして、その後の上京では人間違い・家間違いのオンパレードであった。

 理想中の理想は、裁判所か国会で正々堂々とケリをつけることが民主主義社会の基本である。いや、それ抜きでは幾ら文書を書いても問題は解決しないとしか思えない。それが政経専門家の常識でもある。



(駿台辞職して26年目頃の)2013年頃から突如「赤」強調の謎もある。
当初、日本共産党…に絡めてと思わされたが、駿台京都校や駿台大阪校には日本共産党の職員や講師もいよう。私は駿台時代はどの組織にも属さない党派中立のため、駿台の誰が共産党員かも全く知らない。だが必ずいるはずである。京都校、「京都」なのですよ。それでは何故、その人への攻撃をせずに、当時は共産党類とは一切無関係であった私を攻撃したのであろうか。
もっとも、駿台時代は「赤」を臭わす攻撃はなかった。しかし、当時(1987年)の関係者Xグループはあれだけの尾行・盗聴等から私がどの組織・団体にも所属していないことは完璧に知っていたはずでもある。

最近の「赤」強調は赤木俊夫氏(駿台大阪校と同一の豊中市にある森友関係で自殺した職員)と岡山県赤磐市(西山ファーム事件)の赤である。

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1402794863339266050?s=20

☟ポップしないときは上のリンクをクリック。

1987年11月頃か、化学K…と言って意味不明の差別文書渡された事件。
立会人とK先生の実名化お相談して、実名としてもよいとなれば、マスコミなどが直にK先生にどういうことか聞いてほしい。能開大も絡んだため、国会で審議可能となれば国会できいてほしい。裁判阻止されねば当然、裁判所で質問をしていた。
実名でかければ調査ははやかろう。
もっとも世界の諜報機関の一部は既に調査を終了していよう。


なお、私と仲の良かった🚺HI(当時大学生・昔、岡山の予備校で教えた生徒)が突如豹変(ひょうへん)したが、そのときに彼女が行ったこともないはずの駿台の政経教師・ME氏の名を出していた謎がある。それもその🚺HIについては、途中で別人が入れ替わった偽者に変更されたと、後に分析して問題沙汰としなかった経緯がある。これは人間関係とか恋愛とか結婚を破壊する明白な・悪質な刑事犯罪である。この話は次回しよう。

さらに、長期に亘(わた)り、検索サイトで「浜田隆政」と検索すると東大名誉教授の「浜田●」氏が真っ先に登場した謎もある。後日、関連部分の資料を掲載する。浜田●氏とはコンクリート、防災、火災の権威である。恐らく、今でも「浜田  防災  コンクリート」で検索すればその名はでてこよう。有名人のため●を埋めてもよいが、埋めると嫌がる人がいるため今回は●としている。ただし、浜田●という名は、我が村に二名いるため、村で商売をやっている人の方に迷惑がかからぬように配慮を願う。

 私は「東大名誉教授の」とか「防災権威の」などの形容詞をつければ書いても問題ないと思うのであるが。いずれ、該当箇所を掲載しよう。

☆☆☆☆☆(岡映氏との出会いなどについては下記参照。)
徒然なるままに№2・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(1)
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5666

徒然なるままに№3・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(2)
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5702
☆☆☆☆☆

《◇―10・資料編・駿台関連で送付した文書の下書》

 

生々しい当時の手記を公開する。警察も動かぬため、最初は駿台予備学校に救済を依頼し、それでも無視されたため、同和問題に絡むタブーが絡んでいれば、マスコミが動かないため、そうしたタブーに強い日本共産党中央本部宛に救済依頼の文書を送付した。Aが後者の下書であり、Bが前者の下書である。なお、Aの最初には「私は赤旗日曜版の読者ですが…」と前置きをしたと思ったが、下書にはそれが抜けている。一番下には駿台京都校・大阪校宛の内容証明を掲載している。

資料A(2021/07/10 14:50添付)

1987年末頃の状況-A1

1987年末頃の状況-A2

Bの文書

(多分、駿台京都校宛への手紙と思うが、最終的に送付したか、下書のままでやめたかは覚えていない。ただし、内容証明送付後の文書である。原稿用紙は相当前から・多分駿台辞職後から所有していない、駿台京都校の用紙である。)

 

1987年末頃の状況-B1:
多分今日渡航宛文書の下書

下記の№2だけが長期紛失していた謎。

B2駿台宛手紙B2

 

1987年末頃の状況-B-3

1987年末頃の状況-B-4

 

B5-駿台手紙

Cの文書(内容証明)

駿台内容証明1-1

駿台内容証明1-2

駿台内容証明1-3

駿台内容証明1-4

駿台内容証明1-4

駿台内容証明1-5

Cの文書(不可思議な調査の資料)

→調査に当たった石原氏は真面目そうな人物であったが、だれかが既に小細工をしていのであろう。ザル調査の解説は下記ブログ参照。

☆☆☆☆☆

(下の浜田隆政印とTakamasa Hamadaは著作権の関係で私が今つけた。石原印は石原氏が直におした)
2021/07/03 15:23 追記。追記部分紫. 15:41更なる追記

P拙著『閉じた窓にも日は昇る』#Kindle 百円、2016年から発売中に以下記載あり。{Paper版は2008年 #集英社 文芸& #宝島社 2010年原稿送付も📖書籍にならず}

《 ③同一生徒が履(り)修(しゅう)している科目重複の続発。かなりの政経受講生から(K講師の)化学の補講と重複して困っていると相談を受ける。対応要請後の駿台事務員I氏による報告文とコピーあり。

しかし、私に相談にきた生徒は「化学の補講」と言っていたが、I氏の調査報告では化学の記載は一切なく、物理の授業との重複記載のみで、該当者数もわずか四名で、私に相談にきた生徒の総数よりも遙(はる)かに少なく似非(えせ)調査でしかなかった。

駿台幹部がこうした調査類のみを利用していれば証拠潰(つぶ)しでしかない。…私からも事情を丁寧(ていねい)に聞く義務があったがなされていない。》

石原氏は真面目なタイプで彼が卑劣な…とは思えず。
誰かの罠か?

当時の #駿台大阪校 の石原氏が授業重複被害調査。
彼が #石原賢一 氏か
該当者は4名

☆☆☆☆☆

【SNS妨害】№251・:Facebookで規約違反と判定され、非表示とされた箇所の検証(3)

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1593/

☆☆☆☆☆

《◇―11・資料編・ここ数年、犯人像について臭わされた情報》

これは別ページに資料のまま掲載予定でいる。(西山ファーム事件の西山美千代社長と山崎強調…)、龍野高校出身丸山和也氏発言、尼崎友人からの家間違い強調、(匿名・架空の人物と思われる)表四郎なる人物名の人間の駿台政経講師ME・別名MA氏情報とコメント、浜田隆政で検索するや防災権威の浜田●氏転送、世界の首脳の携帯電話や電話帳強調、世界の首脳からの同一住所二つ強調…)

ともかく、駿台外との刑事犯罪とペア(共犯)で駿台内でも行った以上、駿台管理職には管理責任がある。さらに、後に述べる資料編でも、…理事長自身の関与…という印象操作か、情報提供がある。また、駿台講師室係🚺NMの犯罪の可能性があり、その犯罪は駿台校舎内でおこなわれた以上、大滝部長が言う「自分で警察に…」は無責任すぎる。管理責任の放棄でしかない。さらに、駿台講師室係🚺YKも犯罪に絡んでいた告発型情報提供がある。真偽不明であるが、この両者は明白に犯罪に関与していた疑惑が高い。駿台職員…により、駿台校舎内で、駿台の勤務時間中である以上、駿台に最低でも管理責任上調査義務がある。おまけに、駿台内での授業・営業妨害を意図してなされた疑惑が高いこともある。再度、駿台に調査を依頼する予定でいる。

勿論、裁判所や国会で正々堂々と行うことは更に望ましい。

 

2021/06/16 6:25 記述

駿台講師時代の結論は🚺女性問題から各種🚺女性が参入したのではなく、Xか?に依頼された🚺女性陣が各種工作をし、刑事犯罪被害に加担したである。
そして🚺女性陣が加担する際には大義名分があったと推定されるが、その大義名分の相手は私ではなく、某人物であり、人間違いとなる。
私のprofile類を今後整理すれば、人間違いが明確になろう。

私は筋書のないドタバタ劇と考え、人生を諦めたが、世界の指導者が筋書のないドラマではなく筋書があり、人間違いというならば、一応、書いておこうかでしかない。私には他にすべきことが山積している。

何故、無理矢理、私に駿台講師室係🚺NMに熱をあげさせたのか、また、🚺NMに手紙を一度だせば、そして私の方が断られたならば、どうして40年近く被害に遭い続けるのか、サッパリ分からない。40年考えても何一つ分からない。このままでは死ぬまでわからないであろう。だが、このままでは🚺NMに絡められて老後破綻へまっしぐらである。

 

 

 

(A)駿台大阪校講師時代―女性回想・序(1986年)謎の高校生🚺
(B)駿台大阪校講師時代―女性回想1・女性湯浅、山城で私を待ち伏せの謎(1987年)
(C)駿台大阪校講師時代―女性回想2・女性HNと人物入れ替わり疑惑事件(1987年):現在医師。駿台前田氏強調の謎。
(D)私の女性観と人間観
(E)犯人の仮説・X説・映画説・CM説…大社中悪戯電話不可解さ、真備高校友野先生、カード詐欺=西山美千代・西山ファーム事件
(F)今後=母が生前、時効にならねば解決はしないと笑って断言の謎
2021/9/2 安らぎブログ
教育・女性をめぐる各種デマへの反論―4⑦・駿台、更に謎の差別文書の謎―⑦(=その7・大阪校時代・不可思議な女性出現の謎)
http://h-takamasa.com/Blog/?p=26744


(B)駿台大阪校時代―女性回想1・女性YZが山城で私を待ち伏せの謎(1987年)

駿台で、全く知らぬ日本史も担当し、その授業準備をかねてフィールドワークを開始していた。岡山ならば犬養木堂・犬養毅記念館、栄西修行の寺、法然誕生の寺、雪舟修行の寺、備中松山城、鬼ノ城、備中国分寺、作山古墳、月輪古墳、百姓一揆記念碑、朝日茂さん関連、片山潜記念館、吉備真備関連、和気清麻呂関連…である。

その一貫として、日本一高い山城・備中松山城(所在高梁市)にも何度か行っていた。そこで、女性と出会うのである。後に考えると、私を待ち伏せしていたようである。
この女性の話は下記に既に記しているが、今回は別視覚(映画・007の世界)から記述する。

☆☆☆☆☆
気が向けば一言【徒然・私事】№138:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違い、と言う(4)。
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1118/
☆☆☆☆☆

上記から一部抜粋しよう。

☆☆☆☆☆
(日本一高い山城)備中松山城へフィールドワーク。女性が山城に一人。コンパクトカメラのシャッターを押してほしいと言われたか、見かねてか忘れたが押した。駐車場に車がなかったため、どうやって登ったか聞くと、高梁駅から歩いて登ったという。
相当な距離である。
こうした状況では、誰でも帰りは車で駅まで送りましょうと言わざるをえない。
後日お礼にベルトと言われ食事(夏前か)。8月28日に小浜への約束。
待ち合わせ場所は枚方市○○○。
岡山から車で枚方市に迎えに行き、小浜へという段取りとなった。
だが、私は相当方向音痴である。行ったことのない枚方などでは必ず迷子となる。今考えると、穴をあける危険があった。

突如、大阪から教え子が二人、8月26日か27日に来る。27日に先の山城に案内。翌日の枚方の件を話すと、教え子の二人の内一人が、「先生、僕も家は枚方、案内します」で車で案内してくれた。こうして迷子にならなかった。良い悪い別にして、できすぎた話である。
簡単に言えば、誰かが計画していたとなる。そうとしか思えない。この種の偶然がこのときの3年間は多すぎた。

④の女性が歩いて登ったとのことであるが以下注意。
標高430メートルの臥牛山(がぎゅうざん)山頂にあり、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある
駅から松山城登山口まで2キロメートル弱。坂は急勾配の箇所がある。

だが、次の問題がある。
1987年9月頃、姪(長姉の子)が間もなく結婚するという友人女性を連れて、私のアパート(2DK)に一週間ほど居候(いそうろう)したことがある。このときに、この山城へ連れて行った。ただし、城途中の途中まで車である。あとは少し歩く。

ところが、頂上の天守閣にたどり着くと、姪と女性などが騒ぎ出した。
「すぐ降りる」「絶対にすぐ降りる」、と。私は天守閣受付で入場料を払い、天守閣内とそこからの遠望を見せる予定でいたため、呆気(あっけ)にとられた。

🐒猿である。
……
☆☆☆☆☆

(2021/09/02 16:12修正:追記項目は紫字で記載)姪(亡き長子の子)が女友達を連れて私のアパートに一週間近く居候したのは、後に調べると1987年4月頃か5月頃のようである。カメラ開始前であり、コンパクトカメラとしても面倒なので、姪と姪の友達の写真を当時撮っていなかった。後に関連写真か文書から9月ではなく、ゴールデンウィーク頃ではないかと分かった。詳細は覚えていない。山城に行けば🐒猿をみて、山城に入らず、一目散でとんずら・下山し、薬草風呂につれていけば薬草を見て風呂が濁っていると文句を言い、たるだけ大飯を食って帰った、正確には漸く一週間目くらいに帰ってくれたことだけを覚えている。私には授業準備があり…であった。


不可思議さをまとめれば以下となる。
1)🐒猿が出没する山城に、遠方の女性が一人で登ることは考えにくい。
2)私が到着した時点で私を待っていましたと言わんばかりであった。
3)当時の女性頻発出現問題からの分析。
4)この後で述べる女性HNとの交際が中断に追い込まれた後で、この女性と小浜までデートをした(1987年8月28日)。しかし、待ち合わせ場所が、私が行ったことのない枚方市である。私の方向音痴は有名であり、私が岡山市から枚方の知りもしない指定された場所に行くことは不可能である。すると、すぐに駿台大阪校の教え子2人(両方男性)がその予定の前日に私を訪ねてきて、そして枚方の指定地まで車で案内したという不可思議さがある。

5)この5)は意味のない参考記述である。
この女性はデパートに勤めていた。もう退職していると推定されるためデパート名を書いておこう。確か阪神デパートと言っていた。阪神デパートは、私がポリテクカレッジ岡山を辞職してしばらくして、関学時代の同期生が社長となった。更に、西田ひかるが、その後で「デパート物語」で登場してくる。


なお、この女性には一つだけ関心することがあった。ただし、当たり前と言えば当たり前のことである。
「女性と男性はどの程度まで進行がゆるされるのかをどうやって判断するのか。」デートをする、腕を組む、手をつなぐ、…のグレード問題である。朝日新聞であったかかような愚問を記事にしていた。私は高校時代などは理科系にいた関係でストレートに口頭で相手に直(じか)に聞くことが多い。催眠でもない限り。若(も)しくは(「アラバマ物語(原作名はTo kill a mochkingbird)」で登場する)トムロビンソン型でない限り。

だが、その前に予備調査をすることもある。このときも予備調査をかねて実験をしてみた。彼女が物騒なところにいたときに、軽く落とす不利をして脅す真似(まね)をした。「ホイッ」と。ちなみに、彼女と会ったのがこのときが三回目であった。
子供ならば「あ~あ、怖い」と笑うところである。

「ローマの休日」型である。

だが、彼女の行動は毅然(きぜん)としていた。

「先にいってください」と、並んで歩くのも拒否された。
当たり前と言えば当たり前であるが、私はこういう対応も評価するのである。
そこで、彼女には絶対に指一本ふれないし、手をつなぐどころか、腕を組んでよいかなども聞くことはやめた。

そして、各種の許可を取ることを一切やめ、絶対に指一本触れずに、彼女を無事に家まで連れて帰ると決めた。そして実行した。当初は手でもつなげたらと思ったがそれも聞くのは止めた。


なぜ評価するか。
私は当時は結婚を焦っており、好きでもないのに好きな振りなどをされると後で大変たかくつくからである。すなわち、その女性とつきあっている期間は見合いも、ほかでの恋愛もできない。好きでもないのに好きな振りをされると、本当の恋愛の機会を逃し、同時に結婚を意識した見合いすらできなくなるからである。私は二股行為には嫌悪感を感じる人間であったし、今もそうである。

もっとも、小学校や中学校などで何人かの女性と人前で楽しく会話することは二股とは無縁の話である。駿台京都校などでは無理矢理のこじつけがあったため念のため記しておく。


しかし、まだ彼女の性格は知らぬため、同時に断られたわけでもないため、見合いの続きのレベルで彼女と会う予定でいた。ところが、後に記すHN同様に態度が突然変わったとしか思えなかった。そこで、当時は駿台で授業妨害をしている人間が彼女に嘘(うそ)かデマを言ったと思い、卑劣な行為に怒ったことがある。
しかし、彼女のトーンが変わったため、彼女とはもう会うことはなかった。いずれわかろうが、とにかく、情けないのであるが、私は押しが極めて弱い、その方面では、ある意味では情けないの典型とも言えるタイプであった。

もっとも、1987年9月以降は授業妨害のみならず、各種刑事犯罪被害に遭遇しつづけ、もはや生活そのものが成り立たなくなっており、伴侶探しやそのための努力をすることは不可能となっていた。


三度会い、そのうち一度は丸一日デートをしたが、その程度でもどんな女性かは未(いま)だにわからない。ましてや、駿台時代の講師室係女性など駿台在籍中に合計6年間で一人あたり6年合計10分程度の会話ではさらにわかる訳がない。それでは、なぜ、駿台女性に熱か。容姿か。写真を全部撮っていれば解説は必要なかったのだが。「百万本のバラ」型ではなかった。容姿のみでは私好みもいたかもしれないが、それらの女性は私には一切近づいてこなかった。
要するに駿台女性の件は催眠と謀略に始まり、催眠がとけて終わったであり、実体は何もない蜃気楼(しんきろう)であった。だが、この女性とは確実にデートはしている。それでも三回では何もわからなかった。


●(C)駿台大阪校時代―女性回想2・女性HNと人物入れ替わり疑惑事件(1987年)

私の人生の中で虹(🌈)・スクーター(🛵)女性(『日本のフィクサーME』では「おじょう」として登場)よりもほんの少し進展しかける奇跡があった。だが、無残な結果を強いられるという運命付きであった。

1986年度に岡山の予備校で教えた女子生徒(浪人生)がいた。1987年度にはめでたく大学に入学した。20歳の女子学生誕生である。
この女生徒(彼女は大学進学したため、女子学生)が私のアパートにきたことがある。そのときに車で送って帰ることにした。だが、彼女が車の安全ベルトをつけていないのでつけるように言ったが、つけかたがわからないようにも見えたのでつけてあげようとすると、びくっとした。
私は心の中で、大丈夫です、私は教え子などの生徒は大切にしているので、何もしませんよ、と心の中で苦笑していた。1987年の春であろうか。

当時眼鏡をかけていた。とにかく、私に質問に来たり、遊びに来たりする教え子はかわいい物である。また寛容にもなれる。

彼女が遠方の大学に行った後で、また私のアパートを訪ねてくることがあった。二回目は眼鏡をはずしており、雰囲気が違うようにも思えた。だが、これは眼鏡のせいであり、当時は偽者云々(うんぬん)などは夢にも思わないのでさほど気にとめなかった。

しかし、後に考えると容姿以上に、雰囲気が違っていた。先のとき(安全ベルトのとき)は「ビクッとする」である。ところがところが…。詳細はプライバシーであり、書くまい。
ただし、次の三点のみを書いておく。

一点目は、彼女は伴侶として考えるのに十分な女子学生であった。当然、私は結婚まで進むことをを理想・願いとしていた。
二点目は、私の方からの「押し」は、随所に記した如く、極端に無理なタイプである。私の方からの押しは、人が馬鹿にするほど無理な性格をしていた。これ以上のプライバシー問題は最後に述べるように記述することはできない。
三点目には彼女にはきっちりと幾つかの約束をしており、彼女との連絡が事実上遮断されるまでそれを実行していた。当初は駿台でのトラブル関係者によりつぶされたと怒りまくっていた。後には映画・007の如く、奇怪な謎を感じて、身動きがとれなくなっていた。要するに人物入れ替わり・偽者疑惑である。もし、後者が事実ならば、私の人生を破壊した大変な犯罪である。

偽者が確定すれば、(アラバマ物語の中の登場人物)トムロビンソンなる語を使用する場合があるかもしれない。


私の女性とのつきあい方針は以下である。

a)非暴力主義である。
ただし、小学校時代に同性相手には、偶発時にのみ許可される正当防衛権に類似することはしている。中学以降はそれも含めて、完璧な非暴力主義となっている。私はかなり腕力が強かったことおよび性格上からも、女性に対しては正当防衛でも実力行使は無理である。もっとも、相手が刃物などの凶器をもっていたり、プロレスラーの如くならば別であろうが。
b)恋愛も含めて、契約・約束を守ること。
c)恋愛も含めて、詐欺をしないこと。結婚詐欺はもとより、好きでもないのに好きな振りやその種の言動をする恋愛詐欺もふくめて、そうした詐欺行為はしないこと。

映画説の催眠危害下でも以上のことは妨害されなかったようである。詳細は次回記述を検討中である。


この女子学生には二回目か三回目のデートの際には上記を明確に伝えている。そして実行していた。更に、年が違うことを彼女が強調したことがあったため(当時彼女は20歳、私は31歳で、その年の終わりには32歳になろうとしていた)、拘束できないため、「私の方からは逃げることは絶対にない。しかし、年の問題などを気にして、あなたの方から去る場合には私の方からは苦情を言うことができない」と言ってしまった。これが後にきいてくる。要するに「あなたの方から去る分には私は引き留めできない」の部分である。当時彼女が「これだけ年が違うと…」などと年を強調したため、それを気にして言った言葉である。

ただし、一対一で会った一回目には、「(安全ベルトの)ビク」の件があり、女性とみずに教え子と教師として接することを心がける予定でいたため、上記の話などは一回目にはしていない。異性としてつきあうことは、相手の意思もあり、一回目は考えていなかった。指一本触れずに無事送り届けることしか考えていなかった。上記を伝えたのは二回目以降である。


この女子学生は一回目と二回目・三回目は全く雰囲気が違っていた。だが、それは後に思ったことである。容姿も一回目は眼鏡をかけており、二回目と三回目は眼鏡をかけていないので違うように思えたのかと当時は思っていた。

私の人生では、完全ではないが、少し進行するという奇跡を体験した。かなり高価な分厚い英語辞書か英英辞書もプレゼントしたこともある。また、帰る際には、岡山市から彼女が簡単に無事帰られるように、片道200キロの距離を車で送ったこともある(下宿ではなく、某駅までである)。

ところが、三回目のデート(多分1987年の5月頃ではなかろうか)の後で、彼女に次回いつ会えるかの確認電話をする・もしくは彼女の方から電話があったときに聞くと、たいそう不機嫌となっていた。{彼女は電話はもっていないので大家・管理人経由での電話か、逆に彼女の方から私のアパートに電話をかけてきたのかは現時点では忘却している。}
とにかく、情けないのであるが、不機嫌な女性相手は苦手であり、その上元来押しが弱い。しかし、あきらめきれないのでどうしたらよいかと考えていた。
しかもややこしい。というのは当時、彼女が不機嫌になった理由は、駿台での業務妨害などを行っている人間が彼女に嘘(うそ)を言い、怒らせたと分析した。しかし、どういう嘘(うそ)か全くわからない。往復400キロ以上の地に会いに行くのは構わないが、会ってくれそうにもない。けんもほろろにであった。
その上、彼女には「私の方からは逃げることは絶対にない。しかし、年の問題などを気にして、あなたの方から去る場合には私の方からは苦情を言うことができない」と言ってしまったこともある。参った。私はもうこれで結婚までいける確率が高いと考えていたからである。


思案に暮れていると、ある日、就寝中に奇妙な催眠があった。まだ当時は催眠なるものを自覚していない頃であった。
結論から言えば、寝ているときに次の問答があった。
一回目と二回目・三回目の人物は違うのではないのか、と。
二回目以降に彼女がなぜ、駿台政経講師の前田先生の名をだしたのだ。
さらに、容姿も違っていただろう。
それ以上に雰囲気や性格も違っていなかったか、と。
もし、それが事実ならば、私は一回目の女性と結婚するのか、二回目・三回目の方なのか。ここで動きが止まってしまった。さらに、駿台から開始されたデマ疑惑攻撃問題もあった。
同時に、その後の彼女からの連絡は梨の礫(なしのつぶて)である。
私は当時、岡山市庭瀬に電話をとっていたが、彼女は下宿か何かで電話を持っていなかった。更に連絡手段問題もあった。住所は聞いていたか定かではない。今(2021/9/2に)調べると聞いていたようである。すると、まず、手紙を出していると思う。しかし、返答はなかったと分析される。返答があれば再度会っていたであろう。電話を彼女がもっていない以上、会話で何があったのかを聞くことはできない。待ちの状態となる。実家の住所は知っているが実家には戻っていない。遠方の地である。

 (2021/9/2 17:08追記)2021/09/02確認すると、住所録に彼女の電話番号は収録されていなかった。実家の住所も記載がなかったが、岡山の予備校で確認すれば、予備校職員が教えてくれればわかるだろうという意味で実家の件は記している。もっとも教えてくれるかどうかは不明である。

 そして、その内に、偽者疑惑が頭をよぎり、実際に会わないことには何が何やら不明状態となったが、彼女からの電話連絡がない以上どうしようもなくなっていた。手紙も三回目のデートの後ではきていないと思う。三回目のデートでは最後まで双方友好的だったため、原因不明であった。駿台の誰かのデマか、若しくは、それ以上に問題なのは偽者入れ替わりか…と。


そして、就寝のたびに次の問答があった。
1986年岡山の予備校卒業生・HNが、1987年には突如別人に入れ替わった疑惑である。
「HNの会話を思い出せ。このHNは、何故(なぜ)か駿台の政経講師前田先生{別名森先生や杜先生…、幾つも名前を持つ謎の先生で現在は亡くなられと聞いている}の名をだしていたのか。それも一度ではなく、何度も出しただろう」、と。
「彼女は岡山の予備校の教え子であり、駿台とは全く無関係のはずであろうが。
万一、駿台で講習を受けるとしても、お前も駿台で政経講師をしているので、政経ではお前の授業を受けるだろう。お前のライバル講師の授業を受けるはずがなかろう」と。
※前田先生とは、表四郎なるニックネームの人がインタネットで何か書かれていた教師である。

☆☆☆☆☆

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1422025094499426305?s=20

☆☆☆☆☆


第一、彼女は夏期講習も岡山の予備校でうけていたような記憶もある。岡山の予備校と駿台予備校は当時は全く無関係であった。
私が会話していたHNを別人に入れ替えるという詐欺犯罪被害に遭った疑惑である。
馬鹿な人間が「少し進展してよかっただろう」、と。
元来理科系の私はそうした愚問には以下のように数値的な返答をしよう。
「2回ほど少し進展するのと、50年とか60年以上、少しではなく完全に進展するのとどちらがよいか」、と。こうした理科系的発想は違和感があろうが、先の愚問(ぐもん)には一番適切な回答かもしれない。
だが、かような進展以上に、精神面の進展問題がある。異性や家族は本来は精神を安定させ、ストレス発散その他の効用がある。だから、私は伴侶をWifeとも、Partnerとも書かず、英語では「My better half」と記す。

こうして重要な結婚の機会を潰されたことだけが事実である。なお、HNとの関係修復が不可能と判断した後で、YZさんとは1987年8月28日に小浜に行っている。二股と誤解される行動は一切とっていない。YZさんは1987年春に備中松山城で偶然出会い(実際にはYZさんが待ち伏せをしていた疑惑が高い)、二回目はその返礼でベルトを贈呈したいと言われたので食事をしながら受け取っただけであり、デートの「デ」の字とも無関係な形でしか会っていなかった。
HN偽物疑惑が浮上しても、念のため約束(私の公約)はキッチリ履行(りこう)していた。


ともかく、1987年枚方出身女性YZと備中松山城(岡山県高梁市)で出会った不可思議な話もある。後者は被害はうけていないと思うが精査せねば不明である。私の方が女性や他人に危害をあたえるはずがなかろう。
HNの件は結婚云々(うんぬん)もあった可能性があったものを別人を使われれば無茶苦茶となる。これもいずれ調査依頼予定でいる。私が生存中にXか誰かは何をやったのか、裁判所か国会で明白にすることを願っている。

同時に、私は斯様(かよう)な攻撃を受ける心当たりは全くない。すると、人間違い以外の回答はない。女性絡みが多いため、女性に関する被害者が私を誰かと間違えたとしか現時点での回答はない。私は女性に恨まれる覚えはない。女性が好んでからかう対象のタイプの人間でしかない。真逆(まぎゃく)である。

なぜか意味不明な差別問題が駿台大阪校講師時代の後半・1987年11月頃から登場してくる。全く意味不明であったが、差別問題に関しては更に真逆(まぎゃく)である。私の自伝類を記せば完璧に明白になろう。高校時代の部落問題研究部活動から始まり、…差別反対主義者の最先端の一人であることがわかろう。

人間違いと真逆の組合せとなると、被害はいつまでも不明となり、「ちんぷんかんぷん」状態が長期(ときには数十年)続く。現時点で38年程度続いている。
危害の内、余りにも真逆(マギャク)が多すぎるので、途中から故意に真逆をやっている疑惑もある。要するに、ビルゲイツに貧乏人と言っても彼はちんぷんかんぷんである。逆に、非正規の中でもどん底生活の人に、「大金持ちの馬鹿野郎」と言ってもちんぷんかんぷんである。室伏広治君に、「お前のように腕力のない人はみたことがない」と言っても、ちんぷんかんぷんであろう。この手をつかっての被害を長期受けている疑惑が随所にある。戸籍、女性問題、U家に無断で入った(既述の如く真逆、能動態ではなく受動態である)、…小学生など相手が苦手で、塾などの引き留めを振り切り、塾講師を辞めた経緯…。

女性の恨みが一部絡んでいるように思われることが多いが、真逆(まぎゃく)でしかない。私は女性に痛い目に遭(あ)わされても、その逆はない。もっとも私が痛い目といっても、駿台以前は単にからかわれ対象…であろう。どうも人間違い、それも性格が私とは全く逆の人物との人間違いと分析結果はなっている。
真逆(まぎゃく)。

駿台講師時代の罠(わな)ゲーム、すなわち、女性たちの「好きな振り詐欺ゴッコ」に巻き込まれるまで、私はもっとも敵の少ない人物であった。私と真逆の性格の人と人間違いをされた疑惑が大である。



(D)私の女性観と人間観

私の女性観については、伴侶を「Wife」とか「Partner」と書かずに、一般に「My better half」と記すと書けば、この一語ですべてを言い表しているであろう。

なお、私は差別反対主義者・差別嫌悪主義者でもある。
異性も同性もすべて出自は私は一切気にしないし、調べないため、彼女らの出自などは当然知らない。同時に知る必要もない。更に、他人の戸籍を調べることは犯罪であると認識している。
出自などは全く無関係派・無関心派であるが、私は自分が長期苦労する中で、どのような形にせよ、いろいろ苦労した人は味があるとプラス評価する場合の多くなっていった。伴侶候補としても同様である。もっとも昔から苦労人に親近感を抱いていた。それも駿台講師室係女性NM(私が催眠熱で手紙を1984年秋に渡した女性)を1983年夏に門前払いした理由の一つであった。

私は「若い内の苦労は買ってでもせよ」とよく言うが、私の如く大学・大学院…のみか、18才から27才までのみか、後の31才頃から現時点での68才(まもなく69才)までの苦労となると、苦労の価値を見せる場もなく、死ぬ時期がくるであろう。私までとなると行き過ぎである。

なお、人間違いと絡めて、ここ数年戸籍強調の謎がある。戸籍は差別に繋(つな)がるため、戸籍主義の廃止と、多重国籍を主張しているのが私の考えである。よって、この間の挑発は真逆(まぎゃく)である。


異性問題に関する結論を明白に書こう。
被害者がいない事項はプライバシーであり、他人が関与することは大犯罪である。プライバシーは権利のみならず、守る義務もある。ちょうど、外を全裸であるいてはいけないのと同様である。その上、各種犯罪に巻き込まれる危険もある。
そして、もし、私自身が被害者と名乗りでない限り、被害者はいないと断言しておく。被害者問題に関しては私の一存にかかっているだけである。

次に催眠問題がある。それは次回記す、満月の女性の話で明確になろう。
この件を今保留して、その他の異性問題も含む長期の催眠が絡む項目に関しては、はっきりと言えば、催眠が事実である限り、私自身が被害者と言わぬ限り、被害者はいない。それが本当の事実である。

また、私は、『アラバマ物語』(「To kill a mockingbird」)で言えば、ジョーブラッドリーでよいと思っているのであるが、ときどき、無理矢理トムロビンソンにされそうに…である。
☎☎☎
も実は真逆。
裁判所かどこかで言いたくてうずうずしている。

☆☆☆☆☆
(参考:公式HP主張)女性に望むもの―「万国の女性よ、自立せよ」

http://takahama-chan.sakura.ne.jp/p-essay/custom7.html

☆☆☆☆☆



2024/11/10 追記・部落問題を臭わされる謎

2024/11/10 15:51 追記・部落問題を臭わされる謎


☆☆☆☆☆
浜田隆政@Takamasa_Hamada
24-314-2【🥴】
1987年に駿台大阪校で、化学の北山先生からといって差別文書を手渡された。
#駿台 CMのための謀略か。
or Z3との人間違いが原因か。
別要因か。
駿台真相編-7で一部記載予定

🇬🇧#BBC🇺🇸#CNN 🇩🇪#DW 🇫🇷#France24 🇨🇦#CBC…調査🙏
世界の首脳にも🙏。
誰が何の目的か徹底調査を🙏
午後8:45 · 2024年11月9日
☆☆☆☆☆

https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1855215195507040645


Z家との家間違い、Z3との人間違いがほぼ確定したと思われる現在の感想。

①☠(謎のXグルーフ)が゚Z家…が部落問題…で、Z3と私とを人間違いをして、差別文書を手渡した。
②Z家内にあった皆木家…問題から、Z3に報復するため、差別文書を手渡し、部落問題に絡めようとした。しかし、Z3と私との人間違いをしていた。
③いずれにせよ、駿台経営陣にはCM効果、🎬(映画説)groupには視聴率稼ぎの効果があった。

ただし、後に記すように、私は全く無関係のため、何が何やら分からない状態が40年ほど続くことになる。
また、第二次安倍政権以降は
④私と部落問題関連か何かのgroupを対立させて、後者の弱体化を👺が狙っていた疑惑がある。Z3は一定の時期からその手先となったか?老婆の方は二股三股か?


部落問題をからますことを誰かが思いついた疑惑の可能性が高いのが、駿台問題はきっちり裁判所で決着をつけようと思って、1987年に岡山市で法律事務所をひらいていた豊田弁護士に相談したのを誰かが盗聴か伝え義いて勘違いした疑惑がある。

私が相談に行くと豊田弁護士が私を不審人物扱いをしたので、赤旗日曜版か平和書房できいた弁護士のため、岡映氏(分裂前の部落解放同盟副委員長、後の正常化連議長)と食事をしたことがあるので、私のことは岡氏にきけば不審人物ではないことは分かる…を言ったことがある。若しくは、言わされたことがある。

その後での差別文書であったため、私に盗聴器か、弁護士事務所に盗聴器か、豊田弁護士が謎のXgroupに伝えたのかと思った程度である。

私も豊田氏も共に岡山市在住であったが、面識は一切なく、Xgroupが豊田氏に私が相談に行く前に何かをいっていたようである。
豊田氏の経歴などは後に掲載するが、後に調べると小作争議が得意で、暴力団にも顔の利く人物という書き込みもあった。

いっときは、駿台内の日本共産党groupがXgroupにいて、豊田弁護士に事前に手を回したと解釈をしたときもある。
そこで、私の立会人新免元美作市議会議員に単刀直入に「私には映画説に見えて仕方がない。その首謀者は日本共産党ではないのか」と直に聞いたことがある。
新免氏は「それはない」と返答した。
私が豊田弁護士の件を少し言うと、新免氏は「豊田弁護士は日本共産党の人です」と明言して、豊田氏が日本共産党員であったことを(正確には)始めて知った。2000年前半と思う。

新免昌和氏は現在(2024/11/10)も健在のため、即、確認をすれば私の上記の問い合わせが事実であることが分かろう。
ちなみに、駿台京都校は京都のため教職員に日本共産党員や共産党の支持者が多いと思われるが、誰が日本共産党員か、あるいはその支持者かを私は当時も今も全く知らない。

なお、私は重ねて言うが、40年以上、党派中立・宗派中立を貫いている。
anti日本共産党ではない。だが、奇妙なことから共産党首謀論を疑い続けていたときがある。今でも、ふと、そう思うことがある。妄想と言われようとも、永久の世の映画類で、スタッフは日本共産党ではないかと思うことがある。その典型例が豊田弁護士である。

この件以外では、私は駿台内で岡映氏の「オ」の字も言ったことはないし、岡映氏に、駿台の「ス」の字も言ったことはない。ちなみに、岡映氏の映画の「映」も何かを感ずるときもある。

簡単に言えば、「部落問題…」とにおわされても、私は全く何のことかさっぱり分からないのである。40年考えても不明である。このままでは死ぬまで意味がさっぱりわからないであろう。

現時点で分かっているのは、Z3と私との人間違いが駿台内であったことと、Z家内にあった皆木家が何か鍵を握っているということだけである。
皆木さんと私も我が家も終始友好的であった。

また、私がZ3(司法書士)に我が家の住所番地を使用するのをやめてくれといったときに、Z3が私に2013年に言った言葉も気になる。
「思ったよりも根が深い。簡単ではないのだ。僕も困っているのだ」であった。私には何のことか今も当時も全く不明である。

その後、安倍晋三が絡み、Z3はかなり居直り…となる。

ちなみに、Z3の母、Z家老婆は私に二度ほど「皆木の件だけれども…タカマサちゃんはどう思う」と突然聞いてきた謎がある。その直後に真夜中に10時間以上、催眠で皆木の件を喋れと徹夜をさせられたことがある。それも二度である。
私が「Z家の老婆が皆木さんに具体的に何を言ったかを(その文言を一字一句正確に)きかないとこたえられない」といっても、「何も教えないが皆木家のことを言え…」という無茶苦茶な催眠拷問であった。拷問とは10数時間以上…喋らされるのである。

 

 

1987年11月

2024年6月8日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA