(💁正式公開)日本のフィクサーME・Part 3・第3章「開業・企業を目指して訪米」・第7節帰国への道―バンクーバーでの大暴れ、再度、私は何者か
【更新履歴】2024/05/24今、徐々に追記中。以前の下書きは念のため、別箇所で一月間保存し、一ヶ月後に消去する。(内容はかなり違っている)
2024/05/26 2:58 大幅追記。
2024/05/26 14:45 清書段階 16:11追記
2024/05/26 16:11 正式公開
日本のフィクサーME・Part 3 第3章訪米:「開業・企業を目指して訪米」各節の構成
第1節:「開業・企業を目指して訪米」
第2節:訪米への道と訪米と開業への妨害三昧
第3節:訪米―相棒登場😹
第4節:西部の大地、そして私は何者か
第5節:ペイジ・グランドキャニオンからルート66―先住民に想う等
第6節:光るラスベガス
第7節:帰国への道―バンクーバーでの大暴れ、再度、私は何者か
※都合で第5節は後回しにして第6節に入る。
(第6節―1の表紙写真)写真はいずれもクリックでパソコン画面大、二度クリックで巨大
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《◇―序・カナダ首相・Mr.トルドーへ。》
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もはや、このままでは催眠と諸挑発に振り回されるだけの人生であり、生きるに値せず。かといって自殺はしない。
特に催眠が経済に悪用されると、常に材料費は私持ちで、無料どころか貢ぎ労働を強いられるし、実際にこの数十年間はそうであった。政治に悪用されると更に危険である。
カナダに経済難民か、それとも、日本国内で完全に人権を剥奪されているため、政治難民として、受け入れてもらえないだろうか。
トルドー氏が首相のときがよい。
訪米の帰路は、ラスベガスからVancouver(バンクーバー)空港を経て、東京であった。待ち時間の隙を狙って、カナダに亡命をすべきであっただろうか。
そうか。
あの頃はトルドー首相ではなかったか。しかし、カナダには何か、自由の臭いがしていた。木の臭(にお)い同然に。
本来、帰路でも、カナダのVancouver(バンクーバー)空港で写真を数十枚、多分、50枚くらいとる予定でいた。ところが、おかしな事件が起こる。
それがバンクーバー空港、大立周り事件である。ここでは、催眠と、再度「私は何者か」を問うことになる。
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(2024/05/26:14:31追記)
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家に閉じこもっても視聴率稼ぎの各種被害と言うより激しい人権侵害に遭い続けている。
手口は、
①私以外の人物が私の名前を無断で使用する。=当然、人は私と思う
②Z家の如く私の住所を無断で使用する。=当然、人は私を該当家(Z家)の三男と思う。
Z3が過去何かをしていれば、全て、人は私がしたと思う。今もそうである。
③誰かがしたことの主語を、私に置き換えてデマを飛ばす。
④私と会話相手が何かをする。そして、…自分という主語を私にかえて人に話す(相当が真逆となっていた)。
これらが主な手口である。こうして、私が家で何もせず、掃除だけをしたいと思っても事件はどんどん起こってくる。
更に、最悪の場合には
⑤催眠を活用して、私に何かを言わせ…それを火だねとする。
⑦我が家やその他に忍び込み各種工作をする。ときには731部隊の如(ごと)く私の人体に害を加えて、病院などを巻き込み、各種劇への参加を強制する。
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もはやこのままでは生存は不可能である。少なくとも人間としての生存は不可能である。一言でいえば、人権侵害、人権蹂躙である。それも、それで何等かの利益を得ている集団などがいる場合には、人身売買による強制労働・貢ぎ労働被害でしかない。
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解決手段は裁判などであるが、それらは完全阻止されている。それならば、人権を本当に大切にする国への移動しかないと思うことも多い。あとの手段、私の死亡を待つだけである。(ただし、自殺はしない。)
なお、この訪米でも、👺安倍晋三と☠謎のXグループが裏で強調されてもいた。
よって、他国への移動(他国の人間となる)は誇張ではない。少なくとも、本当に人権が回復するならば、間違いなくその道を模索する。今は未知数の上、催眠などで動けないだけである。
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結局、バンクーバー空港での4時間とその間の成田空港(フライト10時間)・羽田空港・関西空港(成田から3時間半後)で撮った写真は下記程度となった。
(2024/05/26 16:07追記)昨日清書し正式公開予定でいたが、起床するや催眠で下記書かされ、本日とさせられた。
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新一言【医療】№96・医療行政と医療経済:医療工学と外部経済の関係を催眠で論ずる。
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/2024/05/25/3701/
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《◇―1・》【当時の日程】
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(アメリカ時間)2015年3月2日午前4時5分モーニングコール
→4時50分ホテル発→ラスベガス空港午前7時25分
→バンクーバー着10時23分・発14時25分
→(日本時間)3月3日成田着17時30分 フライトは3時間ではなく、10時間を超えている。:時差の関係で3時間に思えるのである。これをlosing day.という。
→(リムジン)→羽田空港着19時30分・20時35分発
→関西空港着21時50分。
※ラスベガス(Las Vegas)をでてからフライトと待ち時間をあわせて約25時間後に関空に着いた。)
(2024/05/10 22:30記載)
その後、尼崎の宿までが約1時間、翌日は尼崎から我が家までの6時間余りで、合計32時間かかることになる。ホテル滞在時間は除く。
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(2024年5月10日調べると)
最終が関空発21:07 (ゲートによれば)21:20発で阪神尼崎着22:12である。
当時は22時頃に最終便があったのであろうか。当時のメモは間違いないはずである。
すると、関空に21時50分につくと最終便に間に合わないとなる。
なお、バスに乗る前に、小銭か何かで手間取り、係の人が急げ…と。そしてギリギリ乗れたのを覚えている。
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臨時便だったのだろうか。私にすればよくある話である。
ともかく、当時のメモにはかけれなかったことなども今回記そう。
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話を当時の状況に戻そう。
帰国の日に帰国の準備をしかけると午前0時を回っていた。準備が終了したのは午前2時頃だろうか。それからオバマ大統領などがテレビから登場した話は前回記した。
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日本のフィクサーME・Part 3:
第3章「開業・企業を目指して訪米」・第6節-2光るラスベガス―2
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=42608
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《◇―2・謎の添乗員と催眠シグナル》
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やがて、モーニングコールを待たずして、朝食準備に行く用意はできていた。そして朝食をすませ、いよいよ帰国に入る。この夜は寝たのか・寝ていないのか、当時も今も一切分からない。2時過ぎまで帰国準備で午前3時頃テレビを見ていたのは覚えている。ここでオバマ大統領などが登場したのだから。
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なお、今回の料金は一人ではなく、二人合計の価格が明示されていた謎も分かるであろう。
二人合計は11万2200円。
二つの意味があった。
一つは例の暗号「1122」である。
もう一つは「1122」の箇所に「1122(いい夫婦)」と記載されていた謎も、最後に分かった。
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この旅には、私の伴侶となる人物が同伴していたということである。
もっと端的に言えば、お嬢が同伴していたとうことである。
最初はお嬢はどの女性か不明であった。
候補者らしき女性は三人いた。
しかし、呼吸から言って、途中からお嬢で間違いないと思うようになっていた女性は一人となっていた。
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それは添乗員の池田さんである。
池田さんは他人からみれば確かに魅惑的タイプかもしれない。
また添乗員としては、おそらく人気№1の可能性が高い女性であった。
しかし、私はお嬢を連想してからは、この「小生意気な女性が…」と思うことがよくあった。
そして、理由は何か忘れたが、この池田さんとラスベガス空港で言い合いとなった。違っていればラスベガスからバンクーバー空港の道中かもしれない。
言い合いとなった理由は覚えていない。
最初は、この女性がひるむ形となっていた。
ところが、この女性が意を決した如く、大きな目をみせた。
まさに大きな目であった。
驚くほど大きな目であった。
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実はここから、この女性の復讐劇が始まるのである。
正確には当初の計画が始まるのである。
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ラスベガス空港からバンクーバー空港へのフライトでは、確か、この女性が私の前の座席に座った。
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さて、Mr.オバマに尋ねたい。
もし、ミッシェル夫人が、手をつないでと暗に手を差し出したときに、その手を振り払う度胸が、君にあるだろうか。
もし、そのようなことをしたならばどうなるだろうか。
想像するだけで恐ろしいことは分かろう。
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彼女が私にしてきたのは、正に、それであった。
飛行機はエコノミークラスであり、前の座席と私の座席の間は狭い。
その上、彼女はリクライニングシートを倒してきた。
他方、私は小さい方のカメラバックを私の膝の下においていた。
そこで、足を引っ込めることはできない。
その結果、彼女のシートが私の膝に接する形となった。
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そのときに彼女がしたのは、何かの合図の如く、こんこんと椅子にもたれることである。
要するに、腹筋の如く形で、体を二度ほど軽く浮かせてリクラインシートから私の膝に振動を伝えてきた。
私は当初は無視をした。
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しかし、Mr.オバマ、先の話を思い出してほしい。
ミッシェル夫人が手をつないでと手をだしてきたときに、君にその手を払いのける度胸はあるだろうか。
正に、それが、私のそのときの心理であった。
1971年に関学で出会ったお嬢からの一連のお嬢類を連想していたこともあった。
そこで、何らかのリアクションをした方がよいかと思い始めた。
だが、もし、お嬢と無関係な女性ならば、何らかのリアクションをしたならば、一種のセクハラになるかもしれない。
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迷ったというよりも頭が痛い。
「またろくでもないことをして」がその時の私の心理であった。
すると、前の席の添乗員はまたも同じ行動に出た。
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もう仕方がない。そこで、私も膝でお嬢の座席に軽く、こんこんと二度ほど膝を当てた。
これが後に大変な羽目につながる契機となる。
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すると、添乗員は椅子と椅子の隙間から腕を伸ばした。その腕にはブレスレットがあった。それを見るや、おそらく、催眠状態に陥ったようである。
この催眠がバンクーバー空港での大暴れとなる契機の催眠開始のシグナルのようであった。
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何故、催眠開始のための契機が必要か。
それは催眠ストップをせざるを得ない緊急事態に備えてではなかろうか。
例えば、私が起床するや催眠で暴走することになっていたとしよう。ところが、予期せぬ事態が起こったときにそれでは危険すぎるからではなかろうか。
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例えば、催眠開始するや否や、母が死亡したなどの事態が起こった場合などである。
そこで、催眠契機として、某女性を見たならば催眠開始というような契機をつくっておけば、そうした自体が起こったときには、某女性を出現させなければ、催眠開始が起こらないからではなかろうか。
催眠解除のシグナルがあるときも多いが、催眠開始自体をストップさせるには、催眠開始の契機があれば、その契機を出現させなければすむからではなかろうか。
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ともかく、添乗員のブレスレットを見て催眠開始の契機となったようである。だが、開始時点は別のシグナルが設定されていたようである。
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《◇―3・バンクーバー空港事件》
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こうしてバンクーバー空港に着く。
バンクーバー空港では、長い待ち時間がまっていた。
そこで、かなりの写真をバンクーバー空港内で撮る予定でいた。
またバンクーバーから成田までの間でも飛行機の窓から何枚も撮る予定でいた。
ところが、結果は、数枚しかとれない羽目となる。
ラスベガス空港に帰路は4時間の待ち時間があり、バンクーバー空港から成田までは10時間以上のフライトの上に、座席は帰路は窓際となっていたにも拘(かか)わらず、写真は撮れない状況となる。
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ことの次第はこうである。
バンクーバー空港内でアメリカからカナダに入るということで入国審査か何かで、長い行列ができていた。この行列の中には、私達のツアーメンバーではない人が何人もいた。むしろ、その人たちの方が多かった。
そして、何故か、その行列はいつまで経っても前に進まなかった。
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そして、私たちのツアー一行の何人かがトイレにいって、もどってきて、当初いた位置に戻る。その位置から後ろの人で事情を知らぬ人は割り込みと勘違いするであろう。
それもツアーの一行「三十五人のうち一人や二人がトイレに行き戻ってきたのではない。十人余りが列からでてトイレ…その後、列に割り込むとなれば秩序崩壊となる」(当時の手記より)
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帰国直後の当時の手記から続きを記そう。
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バンクーバー空港で立ち回りを演ず。
私の前にいた外国の年配の紳士や女性や子どもを無視して、私のツアーの一行はどんどん前へと割り込む形で舞い込んでいった。1~2人ならばともかく、大勢がとなると、これでは秩序は乱れる。
勘違いした他国の若者も列ではないと思い、列の前へ入ってくるであろう。
こうして、私の前の人間などを見ているとついにキレた。(若しくは筋書き通りに催眠で次のセリフを言わされた)。
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怒鳴るような調子で「Don’t cut in the line」と何度も言った(旅行記より)。
考えれば、日本人相手なので英語でなく日本語で先に言えばよかった。
「Don’t cut in the line」ではなく「割り込むな」、と。
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その後、ツアー客前に余分なことを言う。
{「…行政機関に注意を喚起させようか。行政指導を甘くみてはならない。法的拘束力はなくても行政指導は一定の意味を持つ。問題が多ければ、一時の営業停止などは可能なはずである(勿論、その判断は客観的に行われる)。外務大臣は誰か。岸田か…」などと叫んだようである》(旅行記より)。
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なお、現地係員が間に入る。私は現地係員に「You are right!」と言った。
係員はこたえた。「Yea!」(イエイ)、と。
(この後)飛行場内の待合室を歩いていると各所で、係員らしき人が私に聞こえるように「Yea!」と言っていた。通常でもこの種のトラブルで参っていたと想像された。
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この問題に関する【原則】は以下※注1の通りである。相当派手にやったため新聞にでも掲載されたかと思ったが、帰国後、バンクーバーの新聞を調べることは決してしなかった。Hero(ヒーロー)は疲れた!
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尚、何人かが尋ねた「Korean?」。
私は「No, (We) ashamed Japanese(恥じ入っている日本人・恥ずかしながらの日本人)」と返答した。なぜかコリアンがいたるところで強調された旅でもあった。
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なお、この列は不自然なことも多かった。
また、帰国直後の手記には次のようにも書いている。
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常識上は、全員列に参加せず、先にトイレに行き、トイレ後に全員が集合し、そして全員で列の後ろに並ぶのが望ましい。まして乗り継ぎ飛行機の待ち時間は四時間あった。もし、日本人ツアーがあのときのことをしばしばやっているならば、すでに現地係員から苦情がでているであろう。まず当時のビデオ判定を。
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だが、今考えると、完全に催眠であった。
上記にも書いているが、英語が余りできない私が、日本人相手に何も英語で言う必要はない。
ともかく、列から出てよく見える形で、日本人のツアー相手に、「Don’t cut in the line」(割り込むな)…。
その後、何かを英語で言ったようであるがもう今は覚えていない。
そして、「…外務大臣は誰だ。岸田か。岸田を出せ」と叫んだのである。
それも、ツアー一行以外の人も含めて約百人のこの列のみか、他の人が大勢見ている前でやってしまったのである。後に、食堂を探して歩いていたときにはバンクーバ空港の人が全員私を見ているような気がした。気のせいではないのは、後に出会った係員も確か私に向かって「Yea!」(イエイ)と言っていたからである。
なお、岸田氏に関する箇所は日本語で言ったか、英語で言ったかは覚えていない。
ちなみに、この岸田氏が2024年現在の日本の総理である。
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そして、私に話しかけてきた現地係員に、「You are right」、と。
確か、こういったと思う。
「You are right. (他の係員を刺して)He is right. She is right. I’m right. (日本人ツアーを指さして)They are wrong.」と言ったと思う。
これは、確か、映画「Miracle worker」(奇跡の人)の中の台詞である。
これからこの映画の脚本を持ってきてcheckをしてみよう。
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訳者・坂雅人『(奇跡の人)The Miracle Worker』(ヘラルド・エンタープライズ株式会社)1980、の141ページにヘレンの兄・Jamesの次の台詞があった。
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「I said let her go. She’s right. She’s right. Kate’s right. I’m right and you’re wrong.」(いかせなさいといったんです。 彼女は正しい。正しいとも。お母さんも正しい。ぼくだって正しい。でも、お父さんは間違っている)
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《◇―4・映画の台詞から事件の真相を暴く》
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正にこの台詞であった。
今(2024/05/26)、思い出せば、帰国前日にラスベガスのホテルで飲み物を頼もうとした。そこで「水の入った飲み物」という意味で「Mineral wager, please」と言うと、相手が「Water」の発音がおかしいというような形で、「W A T E R」と言った。
これは先のヘレンケラーの兄の台詞の中での「行かせてあげなさい」の箇所に該当する。すなわち、映画ではこの後、サリバン女史がヘレンケラーを井戸の所に連れて行き、そこでヘレンケラーが水に手を触れ、初めて言葉の存在を知り、「W A T E R」という箇所がある。
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ということは、私がこの台詞を言う前日に、アメリカのホテルの従業員は既に、私がこの台詞を言うことを知っていたとなる。
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2013年の中国の旅では随所でテレビが強調されていた。
恰(あたか)も、私がテレビ番組の主人公であると言わんばかりであった。
思い返せば、1995年のタイのたびでも、私がタイの高層と出会うときには、バンコクの人が一斉に注目をしたことがあった。
もはや、映画かテレビ説は間違いないようである。
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しかも、私はどうも、日本国内よりも海外で有名なようである。
2000年頃に、関西学院大学時代の恩師・後藤峯雄先生が私に言われたことがあった。「浜田君、一緒にアメリカに行かないか。君が行けば、面白いことが起こるよ」と。「通訳は私がしてあげるから心配しないで、行かないか」と。
私は当時は既に無収入となっていたため丁寧(ていねい)にお断りした覚えがある。
そのときに、私の母が「行けばよいのに」と奇妙なことを言っていた。
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ともかく、海外での私の警備は皇族並みとなる。同時に、各国がメンツをかけて、私が行く地は綺麗そのものであった。中国でも黄砂どころか澄みきったきれいな空しかなかった。バンコク、ソウルでも交通渋滞などは、ラッシュアワー時間に乗り物に乗っていても一切ない。
中国の旅では現地係員のマーさんが「おかしいですね。いつもはこの道は混んでいるのですが、今日は車がすいすいと走りますね」と意味ありげに言っていた。
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映画説・テレビ説類はもはや確定と言っても良かろう。
駿台事件も、もはや映画説・テレビ説で決まりである。
母と母の姉が、駿台事件のときも、駿台に内容証明を送付して,返答があったときには二人で大喜びをしていた。
息子が危機のときに何がそんなにうれしいのかと、私は不思議に思っていた。
駿台事件も、駿台真相編で語るように、映画テレビ…を悪用しての駿台CMのための芝居への強制参加としか分析できない。
だが、それでも謎はある。
部落問題が強調される謎である。これだけは駿台事件から40年経った今も、何のことかさっぱり分からない。
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唯一のヒントは、亡き友人が2012年にいった「一連の被害は人間違いが原因」という、人間違い論だけである。
友人はその人間違いされた相手の候補者がとして、我が家の住所番地を約70年使い続けたZ家を臭わせていた。
それ以上のことは、駿台真相編で検討する。また、日本のフィクサーMEシリーズでも、Part 3の第四章で、その話は登場してくる。
本格的には日本のフィクサーME・Part 6でクローズアップされることになる。なお、2019年には世界数カ国の指導者から人間違い、住所間違い注意のシグナルが出されたときの状態も紹介することになる。
話を元に戻そう。
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岸田君について、帰国直後に次のメモをしている。
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※注2。
岸田文雄外務大臣。岸田外務大臣など、面識もなく、全く知らぬ人間である。よって、催眠誘導で名を出しただけである。
しかし、今調べると催眠誘導は事実であろうが、面識のない人間ではないかもしれない。
彼は1982年早大法学部卒である。私は早大大学院政治学研究科に名目1977年~1980年、実質1981年まで在籍していた。その間、苦学生のため、幾つもの学部で学部試験監督をバイトでしていた。そこで法学部でも前期・後期試験の監督をしていれば、彼の試験監督をしていたとなる。野田佳彦前総理(1976~80年早大在籍)などの政経学部出身者の試験監督は間違いなくしている。
その他多数の著名人の試験監督をしている。しかも、宮沢喜一氏とも関係していると聞く。宮沢氏の思い出もある。
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彼が後の総理大臣になるとは、当時は、夢にも思っていなかった。
ただし、総理という肩書きは、今は両方の意味で、私にとっては無意味である。
一つ目は、しばしば交代し続ける日本の総理などは、私にとっては余り大した存在ではない。
二つ目は、総理から何の恩恵も受けていないどころか、厚労省により受けた被害の救済にも動かない以上、私が義理立てする必要は一切ない。
要するに、私の早大大学院時代の単なる学部の学生でしかない。
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なお、映画・テレビ説ならば、安倍晋三の評価もまた変更するかもしれない。彼は一度だけ臭わせた次の語句である。
「僕がMr. Hamadaに介入するのは、僕も映画…に参加したかっただけなのだ」と。
映画・テレビ説とすれば、確かに、彼は名俳優である。
二重人格と同時に、名悪役であった。
訳者とすれば、見事に、嫌われ役・悪役を演じたのだから。
そういう意味では見事であった。
だが、1円も報酬を受けていない私は、もはや彼にはかかわりたくない。
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また、私の裏と表の顔を統一しないとややこしくて仕方がない。それ以上に映画説ならば、それにふさわしい報酬が不可欠である。ましてや、有名税は山ほどとられてもいる。(海外などでは事実上のホテル監禁、更に、国内では私の悪用で各種利権をとっている疑い=人身売買の被害がある。)
その逆ならば、ただ平穏な生活がしたいだけである。
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バンクーバー空港での大騒ぎの直後に、新たなメンバーが加わった。帰路に加わるとは奇妙な話であった。しかも、その人物が、私の真似をして派手なパフォーマンス類をしたようである。
恰も、私の真似をした。これを見て、お前も恥じろだろうか。
それとも、その逆で、奇妙な人を出すことにより、私のバンクーバー空港での大暴れを相殺(そうさい)しようとしたのであろうか。
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この後、バンクバー空港での待ち時間4時間は何をしたのかほとんど覚えていない。
ただ、空港内を歩いていると、大勢の人が私に視線を浴びせている気がした。同時に現地の職員に出会うと大抵の人が私を見て「Yea!(イエイ)…」と声を掛けてきた。
やがてファーストフードの店に入ったが、ここでもいろいろあったようであるが、もはや騒ぐ気力はなかった。ただし、ここでノンアルコールではあるが、大ジョッキ2杯程度の飲み物を飲んでしまった。その後で悔いた。
またくるときと同じくトイレ攻撃をされたならばどうなるか、と。
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しかし、くるときとは異なり、飛行機はかなりすいていた。だが、奇妙な尿意は感じていた。さらに、バンクバー空港での派手なperformance(バンクーバー)空港の余波で頭が興奮しており、バンクーバー空港から成田空港までの10時間のフライト中も一睡もできなかった。
なお、途中で夜明けを見た。そのときに、隣の人のタブレットが妙に目に入った。目に入ったというよりは私にみせようとしたのであろう。
そのタブレットには「朝日新聞」がでていた。
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《◇―5・別れの挨拶―握手》
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こうして、成田空港に着く。着くや慌ただしく、リムジンで羽田空港に向かう。確か、関空行き最終便に乗り込む。そして関空へ。
こうしてこの旅は終わった。
いろいろあったが、添乗員の池田さんと別れの挨拶のときがきた。
当時の模様を次ぎのように書いている。
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握手 。
現地バス運転手ジョーさん?は親切であった。
バス乗車用階段で転ばぬよう様々な配慮をしてくれた。それと、バスの窓がいつも奇麗だった。雨や雪続きのため、当然汚れているはずが、翌日も奇麗だった。
今回の旅は飛行機中とバスだけである。前者(バンクーバー行きがけの飛行機で)は真ん中の席続きで撮影不可能。バスの窓が奇麗でなかったならば…。それ抜きでも感謝をしている。
彼と交わした最後の握手は印象に残っている。一期一会(いちごういちえ)の強い握手である。ジョーさんの手は常に鞄(かばん)を運んでいるせいか、手の裏側が固くなっていた。
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現地係員とは、握手か日本式のおじきかで迷い、後者としたが、握手すれば良かった。
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添乗員(池田さん)は女性のため、どちらが良いか打診すると、「握手」と回答があったため、握手した。《2024/05/26 追記:別れのときに、私は尋ねたのを覚えている。「最後は日本式の会釈としましようか、それとも握手としましょうか」と。すると手を差しのばされた。》
この添乗員は、私の昔の女性友達と似ていた。
どこが。
小憎たらしいところが(冗談です)。
握手して驚いた。
体は小さいにもかかわらず〝大きな手〟。
この手、亡き姉を連想した。
姉に向かって〝南無阿弥陀仏〟。
添乗員の人は重要な所では卒がない人だった、と思うが。
☆☆☆☆☆
帰国直後の手記より。《 》内のみ今回(2024/05/26)掲載。
☆☆☆☆☆
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彼女と別れた直後ふと思った。
食事にでも誘えば良かったか、と。
いや、それはややこしい。
もし、🎃オジョウと彼女(池田さん)が同一人物でなければ、余りにややこしい、と。
他方、池田さんとオジョウが同一人物ならば、これまた、食事などに誘う必要がない、と。
異性に関しては大変ややこしく、疲れ果てている。
池田さんについてはこう思わされていた。
お嬢(🧜)→水俣で出会った女性(🐬)→おじょう(🛵)→西田ひかる(🌞)→オジョウ(🎃)→池田さん→オジョウと。
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BBCの児童用英会話教材に「Muzzy in Gondland」があったが、そこに登場する女性と同一である。一号、二号、三号…複製が幾人も登場してくるのである。
ただ言えることは相手はいつも私と会っているようである。他方、私はいつ彼女と会っているのか分からないとくる。
まさに、「Is it fair?(これで公平か)」となる。
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つい先日、「🛵おじょうよ、余りに挑発が多いのでおじょう出てこい。旦那さんと一緒に我が家へ来い」と記すと、西田ひかるがインタネットで突然登場した。
ちなみに、西田ひかるは関東在住のはずが、いつの間にか西宮市に移動してきている。私の母校の一つ関西学院大学は西宮市にある。そして彼女の所在地は西宮市美作町の横の町である。私の現住所が岡山県美作市(以前は、岡山県英田郡美作町)である。
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なお、大きな目と言えば、初代お嬢(🧜)、オジョウ(🎃)、そして、この添乗員の池田さんである。
姉という語に注目をすれば、お嬢(🧜)は私よりも二歳上、🎃オジョウのキャッチフレーズは「何でも知っているお姉さん」、池田さんは私の長姉そっくりの大きな手をしていた。また、おじょう(🛵)は、私の次姉の名前と同じ読み方もできる女性である。西田ひかるだけが姉という語には縁がないだけである。
もう一人のお嬢(🎎)は、逆に、私を「お兄ちゃん」と呼び、妹の振りをしていた。だがだが、なかなかなか、…やれやれ…である。
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さて、この旅を振り返り、次のように締めくくっている。
☆☆☆☆☆
作品。
これで作品(商品)が書けぬ訳がない。
だが、何もない旅とどちらが良いか。書かずとも分かるであろう。
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1995年タイへの旅でもうこれならば二度と海外には行かぬ、フィールドワークさえ凍結すると誓い、約二十年そうした。
だが、今度は物を書き、作品・商品化して生きていかねばならぬ。年齢より後がない。他の仕事も難しい年齢になった。まして、書物を安らぎ文庫で売る起業を目指している。
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ただし、「日本のフィクサーME」シリーズは打ち切りを願っていた。
それにこたえたかの如く、アメリカ政権中枢との接触はなかった。だが「旅に心求めて」シリーズに収録できるであろう。
訪米前にオバマ大統領が苦い顔をしていた。帰国後も同様である。《2024/05/26 この一行は意味不明》
私が勝手に決めた我が友・オバマに一言記す。
既述の理由で、私は一言だけ書く。
「Thank you very much for deep consideration.(深いご配慮有り難う)」。
▽
なお、添乗員にも言った。「sometimes a little too much (deep) consideration」は、オバマ大統領宛ではなく、添乗員に言ったのであるがここは翻訳しない。
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帰国直後の手記より。
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この後、(確か2015年5月頃)米国での写真を阪急交通公社・池田様として同交通公社に送付した。
理由:
①阪急交通公社から安価な旅行の提供を三度受けたこと(中国・韓国・米国)
②当時の阪急交通公社社長は私の関学後輩
逆に阪急阪神ホールディング社長は私の早大政経の先輩
また阪急系列の宝塚ホテルで1年アルバイトをしていたこと。
③池田さんに写真を贈ると約束していたこと。
④私のHP活動のCMも兼用
等々から本格的な写真を相当な枚数を送付した。
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※ただし、この旅行(2015年2~3月)を最後に、海外も行っていないし、阪急交通公社にもお世話にはなっていない。
もっとも、来年初頭に新阪急ホテルが閉鎖されるため、それまでに記念に新阪急ホテルには泊まりに行く必要がある
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下記写真は訪米直前に新阪急ホテルに行ったときの写真である。このときに初めて世界連邦平和像を見ることになる。
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以上で訪米編は終了して、後は以下となる。
政治との大きな関わり合いは、Part3は余りなかった珍しい箇所である。
Part 4から再度濃密となってくる。
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《◇―6・日本のフィクサーME・Part 3の第4章の予告》
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第4章予告
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1・起業への起爆剤―野麦峠祭へ(2015年5月)
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2・起業の起爆剤―広島灯籠流し(2015年8月~)
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同一住所番地二軒問題の登場。
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3・各地でのデマ攻撃
①テレビ媒介で―Mr.プーチンのシリア攻撃と私
②民主党政権時代での「TPP」関連発言の改竄
③丸山和也発言と長崎市長への手紙が同一日の謎
④Part-3全体を振り返って。
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安倍晋三氏の戦略と🤡(ME)活用疑惑。
朝日新聞潰しに🤡(ME)を絡める。謎の☠グループと民主党潰しへの前段階。
安倍晋三の日本国家制覇戦略と私。
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(2024/05/26 14:09追記)
もし、米国の旅が平穏で、楽しい旅だったならばどうなるか。
私は万歳である。他方、原稿の方は難航するかもしれない。
映画・テレビ説ならば、私の原稿以上に、死活問題となる。
そこで、米国の旅は旅というよりも、アドベンチャーの世界となったのであろう。
もっとも、私の方は拙著『旅に心を求めてシリーズ』として、有意義な旅、楽しい旅でも、原稿を追及することができる。
だが、映画・テレビ説のシナリオはそうはなっていなかった。
それが全てである。
私のシナリオではなく、映画・テレビ説のシナリオのみを優先するというエゴ丸出しの世界が私の人生であった。
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併行して書いている駿台事件真相編も同様である。
私のシナリオは「授業を求めて」を中心に「求め続けて」シリーズとして物語を展開するであった。
他方、映画・テレビ説ではそれでは物足りないというよりも、既に描かれていたシナリオがあり、私の目的よりも、彼らのエゴが優先されたのが駿台事件であった。
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要するに、私が授業を求めて、邁進して成功しても、視聴率は余り稼げないと考えたのであろう。それ以上に、毎年そうなると、視聴者は飽きる。
そこで、駿台事件では、女性陣をつかってのドタバタ劇、多数の教科持ちでの苦闘、更には刑事犯罪事件を絡めて、話題をつなぐという脚本が最優先されたようである。
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女性問題などは最初から最後まで駿台事件では存在していない。ドタバタ劇が主人公だったのである。その上、女性問題が存在せずに、女性問題ドタバタ劇は更に面白いという脚本があったようである。
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駿台経営陣にすれば、視聴率が稼げる方が駿台CMの効率はよくなる…が駿台事件の真相である。映画テレビ関係者には、私にとって有意義なアメリカの旅は🆖(NG)であるのと同様に、駿台での優秀な教師を演じ続けることは🆖(NG)だったのである。視聴者が飽きる、それでは物足りない…と。ましてや、毎年その連続となると映画・テレビ類は終わりである、と。
要するに、私との契約を破棄して、私が人身売買され、駿台で催眠と工作で無理矢理ドタバタ劇に参加させられた大人権侵害であった。
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これらは各種Fieldworkや村での生活でも一貫して貫かれる論理である。
視聴率獲得至上主義が全ての回答である。
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後は、部落問題…という謎の解明が残っている。回答は人間違いで間違いなかろうが、人間違いを解説しても未だに脅迫類が絶えぬ謎もある。
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追記―2・
添乗員とのやりとりの箇所は以下だったかもしれない。
ラスベガスからバンクーバー空港までの道中、彼女がいすをどんどんとたたく。やむを得ず呼応する。ブレスレットを出し、催眠契機となる。…そしてバンクーバで大暴れ。この件で彼女に抗議する。すると、彼女が大きな目を見開き…やがて、私を真似たような…人をだしてくる。こうであったかもしれない。
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最後に、大阪駅前の新阪急ホテルが来年初頭で閉鎖ということで、2015年訪米前に、世界連邦平和像撮影にいった2015年2月22日の写真を掲載(今回は私の写っている写真に限定している。通常写真は閉店前には別に掲載を予定している。)
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