【💁正式公開編・メモBlogと大幅相違】日本のフィクサーME・Part 3:
第3章「開業・企業を目指して訪米」・第6節-2光るラスベガス―2
【更新履歴】
2024/02/26 13:23からメモを順次掲載中である。
2024/03/11 3:11 大幅に原稿メモ追加
2024/03/12 0:25 大幅メモ追加:2024/03/12 2:26: レイアウトと構成検討中
2024/03/14 2:34 (3)番のメモを追記 22:31 構成を追記。
2024/03/15 1:44 (2)の下書きを掲載。12:30頃から全体の構成変更とアドレス類の追加作業。20:38 (4)などに補足や写真挿入。2024/03/16 11:44~2024/03/17 2:34修正作業
2024/03/16 ページを変えて清書作業開始中:正式公開は2024/03/17昼過ぎを予定している。:2024/03/17 14:28写真一枚入れ替え
2024/03/17 13時正式公開予定。(11:56 にテイラー・スウィフトと私と日本外務省、更にはアメリカ大統領選挙の話 と、「世界の有名人との出会い」目録PDFの一部を掲載
☆今回の原稿は、世界の各種選挙…で重要かもしれないため、当初の下書きも手つかず状態でこの原稿と別に保存している。アドレスは下記である。
正式公開編はメモ段階とはかなり違っている。少なくとも重要な追記を幾つもしている。
【🚧メモ編・正式公開Blogは別に公開】日本のフィクサーME・Part 3・第3章・第6節光るラスベガス―2
●https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=42204
【表紙の写真】
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【第6節―2の構成】
(1)アメリカ最後の日を振り返って
(2)撮影―光るラスベガス―2(主として写真物語Blog参照)
(3)私が見たアメリカ社会―「I beg your pardon」を聞いて驚く。
(4)アメリカ首脳との対面と私のJokeへの返答。
(5)世界連邦構想→今回省略。別の章で記述予定でいる。
(6)2015年原稿から(私がアメリカで見つけた物―This is it.)
(7)付録
付録―1・2015年帰国直後のメモ
付録―2・アメリカ特集への妨害について―目つぶり現象。
付録―3・日本の将軍様・Mr. Abe (安倍晋三)氏の臭(にお)い→政経の世界№50と№51参照。
公式Blogと写真物語館について、(6)は両方に全文収録予定でいるが、(2)は写真物語Blogのみに収録予定でいる。公式Blogでは、(2)と(7)付録―3は概略しか掲載できない。ページ数(分量)の関係からである。同時に原稿の流れの関係からでもある。
写真物語館はField Workの記録であり、公式Blog日本のフィクサーMEは、日本と世界を揺り動かした、若しくはそれを裏から見た事実の公開であり、掲載目的が違うからである。
そこで(2)の全文と全写真(光るLas Vegas―2で20枚)は下記写真物語館HPをご覧いただきたい。
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📸写真物語館・絆の間・訪米・光るLas Vegas―2のアドレスは下記である。
(2024年3月18日公開予定)http://takachan1.xsrv.jp/kizuna/program10.html
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今回の後は、帰路―カナダ空港での大暴れである。これを持ち、日本のフィクサーME Part 3 第3章訪米は終了となる。なお、今回の掲載が遅れた理由については(7)の付録―3を参照。
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(1)アメリカ最後の日を振り返って
アメリカに着いたのが2月27日の夜である。
そして翌朝(2月28日)午前5時に起床してペイジ(Page)に行く。名目上はこれがアメリカ2日目であるが、実際は1日目である。
ペイジ(Page)に夜着き、翌朝(現地時間3月1日)午前6時に起床して、ラスベガスに戻る。これが名目上3日目(実質2日目)である。
そして、翌朝(現地時間3月2日)午前4時5分のモーニングコールで起こされ、日本に戻ることになる(これが名目4日目である)。
アメリカ滞在は名目4日で実質(ペイジへの道中、ペイジからLas Vegasへの帰路の)2日となる。名目4日目などは午前4時5分モーニングコールで帰国への道のみである。
だが、アメリカへの旅は5泊6日だろう。そう、この後のアメリカ西海岸時間3月2日から3月3日までは、飛行機を待つ時間、飛行機中の時間などで30時間を超える(約2日にわたる)長い魔の時間が待っていた。
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アメリカの歌手・テイラー・スウィフト(Taylor Alison Swift、1989年12月13日 – )さんが、2024年2月に日本公演をして、その翌日ラスベガスに行けるだろうか、と心配していた。ひょっとすると私のアメリカ関連の原稿を見たのだろうか。
すると、外務省関係(アメリカの日本領事館)の人間が「心配ない」と言った。通常はそうかもしれない。しかしながら、私の場合だけは違った。
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再度、アメリカへの道を具体的に記せば、伊丹空港での待ち時間4時間、羽田空港か成田空港までのフライトは1時間余り、成田と羽田の移動時間も1時間未満、だが成田での待ち時間が4時間以上、成田からバンクーバー空港までのフライトが約10時間、バンクーバー空港での待ち時間が8時間、バンクーバー空港からラスベガス空港までのフライトが行きがけは遅れもあり4時間以上。合計33時間の長い旅であった。
それもアメリカへは正に満員電車に乗るような混み具合であった。小さな椅子で。地元姫新線の椅子よりも窮屈な席で。
その後は既に記したように、長い苦行のみが待っていた。
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この原稿は『日本のフィクサーME』である。テーマにふさわしい内容に戻そう。
アメリカ首脳との出会いはあったか。結論はあった。それではどのような話をしたか。それは(4)の箇所で記そう。
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中国では、帰国する前々日、延々と演説をぶった。後に知ったが、あの演説の一部は中国首脳の一部が聞いていたそうである。
韓国ではソウルに着くや、即、安重根記念碑を目指して雨の中をさまよった。ホテルに戻ってテレビをつけるや、即、朴槿恵大統領が登場してきた。しかし、全身ずぶ濡れの私は、着替えの服を持参していなかった関係で、裸状態のため、事実上の面と向かっての対談は避けた。
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簡単に言えば、2000年頃対面したMr.クリントン、ヒラリー、チェルシーさん(当時18才)のときと同様にパンツ一枚であった。昔との相違は、昔は対談など思いもしていなかった。2013年訪韓の頃は📺(テレビ)等を通じて対談していることを知っていた。そこで、女性大統領の前でパンツ一枚は失礼になると思い、会話は可能な限り避けるようにした。
なお、朴槿恵氏は、私と同じ1952年生まれであった。
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(※参考1)朴 槿恵(パク・クネ:박근혜:Park Geun-hye:1952年2月2日 – )は、韓国の政治家、第18代大統領、第15・16・17・18・19代国会議員である。
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(※参考2)Mr.クリントン夫妻との対面模様は下記参照。
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夢か現(うつつ)か―2。TVでの対話2・マンデラ。
○http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=818
☟
(2024/03/17 夢か現(うつつ)かの公開中の該当者全員のPDF版を追加)
夢か現かアーカイブズ:横型2:
http://hamatakachan.uh-oh.jp/wp-content/uploads/2024/03/39221e36f39de1ed41a9f37eb00f55db.pdf
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(※参考3)テイラースウィフト氏についての覚え書き(2024/03/17 11:35記述:11:41頃掲載)
テイラー・スウィフトと私と日本外務省、更にはアメリカ大統領選挙の話
2024年はアメリカ大統領選挙の年である。第14回世界の歌・アメリカ特集のときにテイラー・スウィフト(Taylor Swift)さん関連の各種情報が私のパソコンに入ってきた。
アメリカの著名人には申し訳ないのだが、私は20年以上監禁され、(催眠もあり)各種作業に没頭させられており、更に幾つかのメディアとの接触を封じられているため、世界の芸能人・スポーツ人の大半は名も知らないのである。
フィリピンで戦後20年以上経っても戦争をしていると思っていた、横井庄一さん状態と同様である。そこで、テイラースウィフトさんの名も知らなかった。
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①ところが、世界の歌が進行する中で、テイラー・スウィフトさんが誰を支持するかはアメリカ大統領選挙の行方を左右する等の情報も入ってきた。
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②さらに、世界の歌との共同企画、拙著『日本のフィクサーME・Part 3』で「光るLas Vegas」を掲載する頃(2024年2月)には彼女の東京公演(最終日2024/2/10)とLas VegasのNFLの王座決定戦(アメリカ時間2024/2/11)に間に合うかどうかという話題が沸騰していた。
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ここで二点のみ簡単に掲載する。
私は、私には1円もならぬ世界の歌を多大な労力と時間を投入し、はや7年間となる。それならば、世界の政治家と歌手の知名度や格と無関係に、私が聞いたり見たりして良いと思ったものだけを掲載したい。ただし、歌手の情報を提供されることは私にとっても有益である。
そこで彼女のコンサート類を膨大にみて、私の主観で良い物があったので世界の歌に彼女も掲載しただけである。それ以上でも、それ以下でもない。私には歌手の知名度・実績、格、影響力は1円もならぬ以上何の関心もない。私が見て・聴いて良いか・悪いかだけが重要点である。なお、2024年のアメリカ大統領選挙は私自身が無関係であることが誰にとっとも良いようであり、近々無関係宣言を出すことも検討してもいる。
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もう一つは、彼女が東京―Las Vegasで間に合わないと思ったのは私の原稿(2015年に一度公開:今回はそれの大幅改訂版である)を読んだ可能性が高い。私のLas Vegas着までには30時間以上かかった。裏に誰かが絡んでいたかもしれない。
私の原稿を読んで、彼女が狼狽した可能性がある。偶然か否か、在米日本大使館が異例の声明文を発表をした。「大丈夫、実は、東京からLas Vegasまでは12時間のフライトだけである」と。私は片道33時間かかり、長期狭い椅子に閉じ込められていた。しかもトイレ問題まであった。
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この短いテーマの箇所は、具体的な資料をつけて、拙著一言Blogにでも掲載するかもしれない。
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だが、アメリカ首脳との対談には時間がかかった。いや、正確には対談はなかったともいえる。対面があっただけである。記憶では会話は一切なかった。
もっとも、私が愚痴を言うと、言葉を使用せずに、面白い反応はあった。それらは(4)で記そう。
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なお、私の旅を近所の人の一部は「観光旅行」と勘違いをした振りをし、近所・親戚の一部は出張などの仕事の一部と漸(ようや)く理解しかけた。実際に、私も当初は、仕事としての旅行(Field Work)しか考えていなかった。老後破綻対策の開業・起業として開始したのだから当然である。だが実際はどちらでもなかった。インディジョーンズの世界、正にアドベンチャーの世界でしかなかった。
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その上、このアメリカ旅行の後の野麦の旅(2015年5月)のField Work妨害に参り、もう本格的なフィールドワークはやめることにした。後には、本格的でないフィールドワークもやめることにした。
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それにも拘(かか)わらず、回数は減ったが、行ったではないか。
それは違う。挑発と就寝中の催眠などを利用されて無理矢理行かされただけである。これらは読者諸君も徐々に分かってきつつあろう。
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ペイジ(Page)からラスベガス(Las Vegas)には予想外に早くついた。夕方である。日本を出てから4時間程度しか寝ていなかった。そして、翌日午前4時にはモーニングコールで起こされ、帰路に就くことになっていた。そこで、少しでも寝なければと思う反面、Las Vegasはどんな所か見るため外に出るかで迷った。まだ食事もしていない。更に雨も降っていた。アメリカ首脳との対面か対談もいつあるか不明でもあった。
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だが、アメリカまで来て、Las Vegasに二度泊まり、Las Vegasを一切見ないというのはお金(旅行代金)などに対して無責任すぎる。おまけに、日本のフィクサーMEの第三部でアメリカを取り上げる予定でもいた。
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そこで、前回記したように雨の中を傘をさし、重い器財を持ち、撮影にでかけることになった。その模様の前半が光るLas Vegas―1であり、後半が今回の「光るLas Vegas―2」である。
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以下、前回の続き写真を掲載する。
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(2)撮影―光るラスベガス―2
→公式Blogでは骨子のみ。主として写真物語館・絆の間・訪米・光るLas Vegas(関連写真約20枚:2024/03/18正式公開)参照。
http://takachan1.xsrv.jp/kizuna/program10.html
上記の中から巨大写真corner第一会場で、順次掲載予定でもいる。
暗かったラスベガスはピエロ(道化師)が登場するや光り・輝き出した。
やがて幻想の世界へ、最後は光と幻想が共存した。
「光るラスベガス」が世界に語る。
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写真Ⅱ―1。ピンボケの写真には、時に、情感がある。人間も同様かもしれない。
――自称ピンボケの魔術師より。(写真№ 15-007-93 )
Ⅱ―2:私が泊まっていたホテル界隈で。(写真№ 15-007-91 )
Ⅱ―3・情感のみか、迫力をだすためのピンボケ。肖像権・プライバシー権保護も兼用(写真№ 15-007-71 )
Ⅱ―4・ピエロの位置は道の向かい側。
即ち、道の逆側。合成ではない。窓を鏡の如くとして窓の反射を利用。私の光を写す独自技法の一つ。(写真№ 15-007-65-1 )
Ⅱ―5・同上・類似写真。(写真№ 15-007-66)
Ⅱ-6・光利用撮影。
私は光を操る技法を十ほど持っている。しかも、大半がオリジナルである。私が自分で開発した。これも、その中の一つ。(写真№ 15-007-067 )
Ⅱ―7・この夜のラスベガスが光りだした。
例のアベックが雨の中、傘もささず、手を取り歩いてから。若(も)しくは、前ページの🤡ピエロ(道化師)が登場してからか(写真№ 15-007-105 )
Ⅱ―8・ホテル・RIVIERA HOTEL & CASINO前にて。
このホテルの一日目、ネイティブ・アメリカン、多分、ナバホ族(Diné, Navajo)のウェイターとの軽食堂での出会いは思い出に残った。最後の夜の、レストランも印象に残る。特に、ウェイトレスさん。(写真№ 15-007-100 )
Ⅱ―9・芸術か猥褻(わいせつ)か――猥褻って何?
性は人類が繁殖・繁栄するための神の導きであろうか。よって猥褻などはこの世に存在しない。ただし、相手がいやがることをすることを、強いて言えば、猥褻という。
更に、多くの人が不快感を感ずる物・感ずることを放置することを猥褻というのであろうか。猥褻と感じない人だけの間で、人に迷惑をかけずにすることは猥褻ではない。 (写真№ 15-007-106 )
Ⅱ―10・性的なるものは美でもある。
多くの人がそう感じるとき、それを猥褻(わいせつ)ではなく、芸術という。下記は芸術であろう。日本の縄文土器も、初期のコカコーラの瓶も共に女性美(女性の裸体)をモデルにしたものであろう。(写真№ 15-007-097-2 )
Ⅱ―11・芸術と性なるものの狭間で。
芸術とは何か。性とは何か。猥褻(わいせつ)とは何か。…最後に行き着くのは「人間とは何か」となる。(写真№ 15-007-097-2T )
Ⅱ―12・19時(午後7時)のラスベガス。ラスベガスには人はいないのだろうか?
私の腕時計は日本時間3月2日11時58分。現地時間3月1日18時55分。ここから、微手ぶれ前提で露出を明るめにし撮り、後で加工しよう!(写真№ 15-007-110 )
Ⅱ―13・写真とは何か。無よりも有を取ろう。
写真は一に場面構成、二にピント、三に露出という。
その前にシャッターチャンスなるものもあろう。だが、どんな状況でも何も撮らないよりは撮った方がよい。無か有か。更に、現在は撮った後で各種加工が出来る時代となっている。1964年の東京オリンピックでは体操選手はウルトラCを目指した。今はウルトラEである。写真も同様である。
加工前提で手振れを気にしない撮影技法は浜田隆政・技能の間参照。2024/03/14・現在再編集前で煩雑状態にある。大幅修正して、正式公開予定でいる。もっとも、優先順位から来年以降となろう。(写真№ 15-007-088-edgeP)
Ⅱ―14・人のいない街。19時(午後7時)過ぎのラスベガス。
宿泊したホテルを写す。ホテル前以外は人がほとんどいなかった。ラスベガスとは、我が家周辺と同じく、田舎なのだろうか。
私はラスベガスは往復500メートルほどしか見ることができなかったため、ラスベガスってどんな所か未だに(2024/03/14現在も)知らない。ただし、その範囲内に、Mr.トランプ氏が経営するホテルがあることだけを後に知った。もし、私がそのホテルに泊まっていたならば、歴史は変わったかもしれない(Jokeです)。(写真№15-007-127)
Ⅱ―15・バンクーバーで「訪米」と「訪韓」の裏は同一、と、多数の人が指摘した謎。
再度、手振れ覚悟で、明るめに!
――右の写真はまさかトムクルーズだろうか。もし、そうならば言いたいことがある。彼が徹子の部屋で、私と対面し、……。そして米国へ。トムクルーズ並みの待遇までは望まぬが、「えらい話が違うではないか!」。右の写真がトムクルーズでなければぼやいても無意味か。
その後で思い出す。バンクーバー空港で多くの人が「ソウル」と「ラスベガス」の類似性、訪米と訪韓の類似性を指摘した。
そういえば、
①共に腐れ縁のある芸能人のポスター(訪韓では少女時代、訪米ではトムクルーズ)、
②両者ともに塔を目指す(ソウルタワーとストラトスフィアータワー)、
③両者ともに塔を目指した日は雨であった、
④両者ともに(方向音痴)迷子問題…、
⑤何よりも、両者ともに随所で日本の将軍様・👺の臭(にお)いがした。
(写真№15-007-142: Edge)
Ⅱ―16・光から幻想へ。(写真№ 15-007-142-1)
Ⅱ―17・幻想(🤡オリジナル・ピンボケ技法)
再度、ボケ(ピンボケ)で!(写真№ 15-007-140 )
Ⅱ―18・幻想から、再度光へ
そして、光へ!(写真№ 15-007-147 )
Ⅱ―19・最後は幻想と光の共存―世界の未来
光るラスベガス――終わり!この日はラスベガス自体がショーを演じた!(写真№ 15-007-146 )
Ⅱ―20・THIS is THE AMERICAN. :アメリカ(人)とは本来はこういう物なのだ。
(写真№ 15-007-50-3edge )
●チャップリンの映画・独裁者より。
We have developed speed, but we have shut ourselves in. Machinery that gives abundance has left us in want.
Our knowledge has made us cynical; our cleverness, hard and unkind.
We think too much and feel too little. More than machinery we need humanity. More than cleverness, we need kindness and gentleness.
Without these qualities, life will be violent and all will be lost. …
{【浜田訳文例】私たちはスピードを開発したが、逆に自らの穴に閉じこもることになった。豊かさを与えてくれるはずの機械は、私たちを欠乏の状態(貧困)の中へと放り出した。
我々の知識は我々を冷淡にし、我々の知恵は我々を非情で思いやりのないものにしてしまった。
我々は多くを考えるが(思想などはもつが)、人を思いやることは露ほどもない。我々が必要としているものは、機械よりも人間らしさである。我々が必要としているものは、知恵(頭の良さ)よりも思いやりと優しさである。
こうしたものがなければ、人生は暴力と化し、全てのものも無に帰すであろう(=全てのものは失われてしまうであろう)。}
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(3)私が見たアメリカ社会―「I beg your pardon」を聞いて驚く。
ラスベガスの街の撮影を終え、帰国準備をしなければならない。だが、その前に食事をしなければならない。
そこで、初日に行った食堂に行った。例の「Beer, good」の店員さんと会うのを楽しみにしていた。彼との会話は楽しかった。
何しろ、「Beer good」、🤡(ME)「Good」、彼「Oh, good」だけである。
その上リズム(波長)もあった。
だが、その店は本日はクローズド(おしまい)か「売り切れ」か何かの看板がでていた。それではどこに行こうかと迷った。何しろ方向音痴と来ている。
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アメリカ本場のビフテキを食べようかとも考えたが、何しろ、もはや一円も入らぬ身となっていた。母が死亡したときに予定より多めの遺産が入ったが、それ以外は一円も収入のない身である。それも、その遺産では、後に入る国民年金を考慮しても、平均寿命までは持たない。(※参考4)
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(※参考4)
遺産が入った額は、駿台の表三郎氏が39才頃得ていた一年間の所得よりも低い。年収ではなく、所得である。それどころか、私の親友(共稼ぎ)夫妻の一年間の年収よりも少ない。この金は母の遺産だったのか・姉からの物だったのか・政府関係者からだったのか未だに不明である。
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政府の試算「老後の蓄えは幾らでたりるか」に対して、政府は一時、2000万円と回答し、国民年金世帯から顰蹙(ひんしゅく)をかった。、この額に絡めて、麻生太郎氏が何等かのリアクションをしたような気になったこともあり、政府関係者も疑った。
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私の逸失利益計算について(駿台講師の事例):同志社法学研究科・早大政治学研究科・関学法学部卒業資料
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=35955
☆☆☆☆☆☆
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夫婦ともに国民年金世帯などがこの金額と2000万円では絶対に無理と政府も認めたと思う。まして、単身で国民年金の人間は、政府関係者は必要な老後用貯蓄試算から逃げた。だが、それは必要額であって、私が妨害されずに、能力をフル回転した場合に、35才から85才の間に私の稼ぐ金は幾らであったであろうか。2000万円ならば一年間あたりでは平均年収が40万円となる。私の能力がそんな額かどうかは世界中が知っているであろう。
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政府の名を出したのは、私が一番被害を受けたポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)は衆議院、参議院を通して骨格が決まる、謂わば労働省(厚労省)系大学校だからである。そして、その大学校相手に、労基法違犯被害、契約違反被害・専任詐欺被害…による長期入退院の羽目となったり、その他の不当な形で業務妨害をされたり…で本来得られた収入を放棄させられていたため、その逸失利益等の賠償交渉をしていたからである。
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ちなみに、大谷翔平君並みで50年連続で稼げば5千億円を超えるで。😡
(※参考5)
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大谷翔平10年1015億円契約、日給なら2781万円 年収500万円の人が2万年以上働く必要
エンゼルスからFAとなっていた大谷翔平投手(29)が9日(日本時間10日)、ドジャースと10年総額7億ドル(約1015億円)で契約に合意した。契約は世界のスポーツ界で史上最高額となり、名実ともに世界最高選手となった。
日刊スポーツ [2023年12月10日17時22分]
https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/202312100000855.html
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2022年の年俸は43億円という。
米大リーグ・エンゼルスは1日(日本時間2日)、大谷翔平投手と年俸3000万ドル(約43億4000万円)の1年契約に合意したと発表した。シーズン終盤の電撃契約を米メディアも続々報道。高い関心が寄せられ、年俸調停を回避した選手として史上最高の昇給額となったことも伝えられている。
THE ANSWER 2022.10.02
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(※参考6)
米メディアが2月26日(現地時間)、散歩中に強奪されていた米歌手のレディー・ガガの愛犬2匹を無事保護したと伝えました。女性が警察に届けたとのことです。なお、同日にガガは懸賞金として50万ドル(約5300万円)を提示しています。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2102/27/news039.html
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私の逸失利益は、通常の世界ならば、上記駿台予備学校の専任給料+手当+原稿料・印税+退職金+(生涯)厚生年金支給額の合計…となる。しかしながら実際は、私は有名芸能人類の役割をさせられているため、大谷翔平君の事例などに近いとなる。少なくとも、レディガガの犬よりは高い。レディガガが来日して、再度会う機会があればきいてみよう。尤も『日本のフィクサーME』モデルの布袋さんならこういうかもしれない。「聞かない方がよい。レディガガは犬の方が高いというかもしれない」と(これはJoke)。
この話は拙著『閉じた窓・真相編』で記そう。
アメリカに戻ろう。
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ともかく、資金が枯渇して生活保護かどうかという瀬戸際のため、アメリカ名物と言ってもビフテキには抵抗があった。しかし、迷子になるよりはよかろう、ということでこのホテルのレストランでビフテキを頼んだ。
ついでに、ポテトチップスやサンドイッチかパンか忘れたがパン類も頼んだ。
私はコンビニのポテトチップスやパン類程度と思い数個頼んだ記憶があるが、単位が違っていたのかもしれない。
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シェフかマスターらしき人が私の近くに来て、 「Huge stomach.(大きな胃・おなか)」、多分、「You have a huge stomach」と言ったように思う。
来ると、確かに大変な量であった。
店の人達は、こういうときに私がどういう英語を言うか興味を持ってみていたように思えた。
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私も苦闘したが、食べられる量ではなかった。
そこで、私は次のように言ったと思う。もう英語は忘れたので間違えていれば、訂正を後でする。
「Your restaurant’s dinner is very good. This bread is very delicious, too. However, I’m afraid I’m full. I was wondering if I could take out … .( I was wondering if I could take the leftover bread to my room. が良かったか)」(あなたのレストランのディナーはとてもおいしいです。 このパンもとても美味しいです。 でも、もうお腹いっぱいです。 テイクアウトできるか迷っているのですが…。(残ったパンを部屋に持ち帰ることができるだろうか・どうだろうかと考えているのですが)だったような記憶がする。
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すると、その店のウェイター係の統率役に該当するような人が、若いウェーターに指示して、持ち帰れるように手配をしてくれた。
英語の達者な人ならば分かるが、私が何故婉曲的な英語を使用したか、である。二つの理由があった。
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一つは、持ち帰りが可能か・どうか不明のバー風の店であり、逆に(職人気質の店などでは)残すことが失礼に当たるかどうか…という難問にぶつかったからである。
もう一つは、英語のリズムを丁寧にしたのは、バーとも見えたこのレストランで、ウェイトレスさんが、日頃から慣れていると思われるバーテンダーの横を通る度に「I beg your pardon! 」だったか、ともかく「Pardon」の語句を何度も使用していたからである。
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ちなみに、私が大学院時代に接した米国人の大半が、shyであり、formal(フォーマル)な英語を使用していた。早大大学院中にゼミに来た、米国人は二人いた。一人はハーバード大学に在学中であり、もう一人はカリフォルニア大学を出て、早大大学院入学にチャレンジ中の人であった。前者はShyな感じを受け、後者もformalに思えた。
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私が、早大以外でも、日本で接した米国人は若きエリートかインテリだったからかもしれない。だが、アメリカでは一般庶民型の人であった。そこで、今度はアメリカ型カジュアル(Casual)英語と思っていたが、違うのかと思い出した。日本以上に上下関係が厳しいのだろうかと想像した。テレビで親しんだカジュアル英語はビジネスや学校など以外の場面限定かもしれない。
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そう言えば、プロレスでも日本に来ていた米国レスラーは、ボスに該当する人(全日本プロレスならばジャイアント馬場さん、新日本プロレスならばアントニオ猪木さん)にはリングを離れると相当丁寧な・紳士に豹変していたことを思い出した。
力道山時代のブラッシー然(しか)りである。
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ともかく、アメリカはビジネスや大学などでは、かなり階級的な社会という雰囲気を受けた。もうアメリカに行くことはなかろうが、もっと、じっくり見学をしないと不明である。
なお、このrestaurantでのビフテキから始まる全食事内容は事前に計算されていた(シナリオに組み込まれていた)のであろう。
そして、私が食べきれずに困ったときにどう反応するか…に興味を持っていたようである。と言うのも、帰り際にレジで勘定をするときに、レジ(確かウェイトレス兼任)の店員さんにチップを渡した。ところが、規定額よりも少し多めに置こうかと思い直して、再度チップの追加に行くと、その女性が、「How sweet of you!(なんて優しいんだろう!)」と言ったからである。
大した額ではなかったと思うが、私には彼女の反応が「おひとよしさんね」と言っているように当時は思えた。
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余談ではあるが、このパンか何かか大変おいしかった。そこで、ホテル内で少し食べ、残りは飛行機内に持って入り、食べるつもりでいた。ところが、ホテルを出る直前に、飛行機内に(なまものに該当する)食物を持ってはいるのは禁じられているかもしれないと気になりだした。というのも、飛行場でのボディチェックでは訪中の際に痛い目にあっているからである。そこで、申し訳ないが全て捨てて帰ることにした。密封され、封を切っていない駄菓子類とは訳が違うと思い出したからである。
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私がアメリカで接した人たちは、大半がマイナリティ(Minority:社会的少数派)であった。先住民系、ヒスパニック系…である。アフリカン・アメリカンの人は税関のときだけであり、アジア系アメリカ人かカナダ人も帰路のバンクーバー空港では幾人も出会ったが、アメリカの旅では先住民が強調されていた。
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私が1989年にシンガポールに行ったときには一人当たり国民所得はシンガポールは日本の三分の一と言われていたが、私にはシンガポールの方が日本よりも豊かに思えた。そして、数十年後には名目的にもその通りとなった。2013年に中国に行ったときには上海辺りの若者を見ていると、豊かに思えた。もし、舵取りにミスがなければ名目的にもその通りとなっていたであろう。
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だが、アメリカに行ったときには、その逆の印象を随所で受けた。そして、それが2016年大統領選挙では、Mr.サンダース現象と、Mr.トランプ現象を巻き起こすことになる。杞憂ではなかったようである。
テレビで見るアメリカは豊かな社会であり、現実に見たアメリカはその逆であった。両方事実であろう。前者はマジョリティ(Majority:多数派)の一部であり、後者はマイナリティ(Minority:社会的少数派)の一部であったことが原因のような気もする。
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同時に、英語音痴(若しくは英語なんてどうでも良い派)の私が言うのもおこがましいが、英語ができないアメリカ人が相当いる雰囲気を受けたことも事実である。それは二重の意味で事実かもしれない。
一つは移民で成り立ってきたため、アメリカ国内でも英語圏以外の言語を日常語としている人が多いことである。もう一つは、喋るときには英語のような気もするが、文書(英文)で書かすと「とんでもない派」が結構いたからである。
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前者の例とすれば、1990年頃に(アメリカ合衆国の準州 である)グアムに行った。現地で、英語でものを尋ねようとすると、かなりの人が逃げるように去って行った。日本語で尋ねると、みんなよってきて、片言の日本語を言って喜んでいた。もっとも、グアムの銀行などの受付女性などは、アメリカのニュース番組司会者の如く流暢な完璧な英語を話していた。グアムの学校教育が全て英語で行われているならばどういうことになるだろうか。
両方とも事実ならば、アメリカの病は深刻かもしれない。
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2000年頃に、英語学習を兼ねて、世界の何人かと文通をした。ロシア人、ドイツ人、…と。ロシア人の書く英語は目が回った。ドイツ人も…であった。そこで、アメリカ本土の人と英語で文通をした。だが、これまたひどい英文であった。私は、当時ポリテクカレッジ岡山と賠償交渉をしていたため、ポリテクカレッジ岡山が同校の学生を使い、英語の文通相手にさせているのではないかと疑った。「アメリカ人、マジカ」と。
私が想像したように、本当にポリテクカレッジ岡山が学生を使ったのかも知れない。だが、そうではないかもしれない。
▽
移民社会、アメリカは随所で膿が吹き出している感じを受けた。New Yorkなどに行けば全く別の感じを受けたかもしれない。なお、アメリカが公用語を英語とする際には激しい論争があったと聞いている。イギリス植民地時代の経験から英語に対してかなり反発をもっていた層がいたのか、それとも移民のうち、イギリス人が占める割合が少なかったからかもしれない。ともかく、公用語を決めるときには一票差で英語がドイツ語を上回ったと聞いたことがある。逆に言えば、二人が寝返ったならば、アメリカの公用語はドイツ語となっていたかもしれない。
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日本でも、私が小学校時代ですら、医者などはカルテは日本語や英語ではなくドイツ語で書いていた時代もあった。安倍晋三氏の祖父(岸信介)も東大受験はドイツ語のみである。なお、岸信介氏は鬼畜米兵教育を遂行し、彼の盟友は英米国人により殺され、戦犯裁判もうけた。更に反米となっていたと想像される。彼は巣鴨をでて、最初に入党しようとしたのは日本社会党である。だが、断られて保守政党に身をおく。
岸信介氏は訪米した頃から豹変をすることになる。一つは、日本の最大の敵はソビエト連邦と考え、敵の敵は味方という論理と、お金の動きであろう。終(しま)いには真偽不明のスパイ説まで登場する始末である。
▽
上記と多少関係するが、後日、私の訪米―死の行進について、『日本のフィクサーME』登場の、我が友人達は下記のような見解を示した。
①布袋(ほてい):
「オバマ大統領は賢明だ。潔癖なボンが、後で、そうした疑惑をいだかれぬための配慮だ」(店のママさんが「お金をケチっただけではないの」と)
②明神(みょうじん):
「いや、訪米の裏で仕切っていたのは安倍晋三だ。一応、オバマの顔を立てる顔をしながら、裏でボンに色々と嫌がらせをしたのだ」(ママさんが小声で「安倍様は中国の江青のような所がおありだからね。嫉妬といい…。それとも日本のお犬様将軍(徳川綱吉)」と江青の二分割かもしれなわね)
③はかせ:
「いいえ、これはマザーテレサ様と同じ境遇を味わってもらうための教訓ですな。首謀者は神様だがな。貧乏神・疫病神さまの仕業ですな」(ママ様が小声で「そういえば、ボン先生は事実上の”かみさん”(自分の妻の呼び方)にいつもいじめられているから、あの添乗員が怪しいわね」)
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斯様(かよう)なことを考えながらベットに横たわっていたが妙に目が冴(さ)え、寝られなかった。同時に、次に書くようにアメリカ首脳がいつテレビに登場してくるか不明のため、何度も、テレビをつけてニュース番組を探していた。
当時の記録では次のようなメモがある。
「翌朝四時にモーニングコールであるが、この夜は何故か一睡もできなかった。そこでテレビを付けっぱなしにしていると、モーニングコール直後頃に、オバマ大統領・バイデン副大統領・ケリー国務長官が三人そろってテレビに登場した。勿論、時間から言って録画で偶然であろう。」と。
次の(4)で本題に入る。
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(4)アメリカ首脳の対談ではなく対面と、私のJokeへの返答。
(2024/03/12 0:24記載):2024/03/15 20:01と2024/03/16 22:44から修正作業
食事を終え、帰国の準備をしていると、もう午前零時を回っていた。
訪韓の際には、朴槿恵氏がテレビに登場した。アメリカでも何かあるかもしれない、とテレビをつけた。
私はCNNを見ようと思ったのであるが、Foxテレビであった可能性が高い。
私はFoxテレビというテレビ局については、当時は、何も知らなかった。名前も知らなかった。
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ところが、アメリカに来てニュース番組を探すと、何故かFoxテレビとなっていた。
Foxテレビが共和党系と知ったのはMr.トランプが大統領になった後でのことである。
もっとも、私は党派中立であり、共和党でも、民主党でもどちらでもよい。
ただ、Mr.オバマ(2015年訪米の際の大統領)、Mr.バイデン(当時の副大統領)、Mr.ケリー(当時の国務長官)を我が友と呼んでいただけのことである。
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思い出メッセージ・ミスター・ケリー:Mr. John Forbes Kerry
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?service=7024
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思い出メッセージ・ミスター・バイデン: Mr. Joseph Robinette “Joe” Biden, Jr.
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?service=7026
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思い出メッセージ・オバマ大統領:Mr. Barack Hussein Obama Jr.
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?service=7027
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ぼんやりとテレビを見ていたが、アメリカ政府首脳は誰もテレビに登場してこない。
この日は帰国であり、朝午前4時5分にモーニングコールがある。
早く寝ようと思うが睡眠不足にも拘わらず、目がさえて寝られない。夜飲んだビールに(覚醒剤などの)目がさえる💊薬でも入っていたのだろうかと思うほどであった。
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こうして、ぼんやりとテレビを見ていると午前4時前となっていた。その間に少しくらい寝たのか・寝ていないのかすら分からない状態であった。
帰国直前の頃、まだ夜明け前か・夜明直前かという時間についに、アメリカ首脳が登場した。
確か、三人そろっての登場だったと思う。
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だが、会話も何も一切なかった。
彼らがテレビで何を言ったのか・何も言わなかったのかさえ覚えていない。少なくとも、私宛への会話はなかった。あれば確実にメモを残すが、何のメモもしていないからである。
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Mr.オバマは気配りというか、配慮深い所がある。何か考えがあったのであろう。その結果、双方での会話は一言もなかったと記憶する
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気配りと言えば、Mr.安倍も気配りをする。ただし、彼の気配りは、営業マンか旅館の番頭のごとき茎張りである。Mr.オバマの気配りは、家族に対するような気配りである。
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なお、この訪米時のメンバーは異質な雰囲気を醸(かも)し出していた。訳ありという感じを受けていた。☠(謎のXグループ)か、日本の将軍様・安倍様の命令を受けた人間達か、映画関係者群かは現時点でも不明である。
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女性の中でも比較的若い女性群は時々官僚の匂いがした。しかし、帰路バンクーバーで大立周りをしたときに、「日本の外務大臣・岸田を出せ」とも言わされたが、帰国直後、岸田文雄外務大臣(2024年3月12日現在の総理大臣)は「何のことか」という顔をしていたため、日本政府関係者ではないかもしれない。しかし、安倍晋三氏の子分型(若しくは出世目当てのご機嫌取り官僚群)らしき人はいたように思えた。
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ただし、バンクーバーでは訪米と訪韓の共通性を同空港の職員らしき人たちが強調をしていた。訪韓の際には日本政府と韓国政府が私の件で何らかの会談を設けていたようである。また別の同意性は(2)光るLas Vegas撮影で書いた通りである。
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しかし、私をアメリカまでわざわざ呼んで何のメッセージも出さぬことはあるまい。だが、双方での会話はなかった。
それでは彼のメッセージは何だったのか。
それが例の写真「This is the American(アメリカとは本来こうしたものなのだ)」だと私は考えている。あのアベックはサクラであり、それがMr. Obamaのメッセージだと解釈している。
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何故ならば、私が行くフィールドワーク先では「これを撮れ」とばかりに、サクラ的な人物が(ほぼ必ず)登場するからである。どこでも、ほぼ例外なしである。
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例えば、一昨年(2022年)11月27日に姫路に行ったときには、下記の兜(かぶと)姿の武者が10分から20分程度、私が撮影しやすい位置に立っていてくれた。
私は上記の人物を50枚くらい撮影している。
(正確には私から2m程度の近くに来てから、デジタルカメラ・D5500で15枚、D800で29枚撮影している。もちろん、私は場面構成の関係で様々な方向に動いての撮影のため常時2メートルの位置から撮影している訳ではない。私のすぐ近くに来た時からの撮影時間はD5500カメラ時計では14:34から14:54の間、D800カメラ時計では14時22分から14時43分の間となっている。両カメラの時計は設定後一定の月日がたつと若干ずれがある。別に他の場所でも数枚撮っている。)
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類似のことは2016年島原城でもあった。
その後、2023年3月31日姫路訪問ときには、2017年倉敷訪問時と同様の船、👘着物姿の女性も登場した。この姫路訪問ときにVietnamの話をするとVietnamの民族服をきた女性が登場した。ちなみに、上記の2022年11月27日に姫路に行ったときにも、最初に着物姿の女性が登場した。
下記である。
サクラだと言わんばかりに花模様の着物をきていた。一つ、二つ勘違いがあるかもしれないが、百のフィールドワークを行えば、200以上そうした事項があるため、Las Vegasで撮影した男女二人は、いつもの如く、サクラとしか思えない。
すると、あの写真がオバマ大統領が私に伝えたメッセージとなる。その解釈などは(6)に収録している。(6)は帰国後に記述した2015年の記述内容である。
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それ以外ではアメリカ滞在中はアメリカ政府との間で特に面白いことはなかった。少なくとも読者諸君が興味を持つことはなかったと考えていた。そして、私はこの写真がオバマ大統領のメッセージと解釈したのは撮影してから数年後のため、当時は不満を言っていたようである。当時のメモに次のような記述がある。
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(2024/03/12 1:08記載:2024/03/16 23:41微修正)
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2015年当時のメモにあるように、《可能ならば、オバマが大統領の間にアメリカに行きたいと思っていた。理由は世界連邦に舵をきるよう話をするためであった。その結果は、タイムラグ(数年間は秘密にして)をおき、作品(仮称『日本のフィクサーME:Part3』)として公表する予定でいた。これらの作品・商品を糧に私は生きて行かねばならないのだから。
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だが、結局、テレビを見ても全くオバマは登場しなかった。そこで、某テレビを見ながら英語で余分なことを言った。
「Mr. Obama is not Mr., but missing(行方不明である).」等々と。
「President Obama is not Mr., but missing.」と言ったかもしれない。英語音痴故、失礼があればお詫びしたい}。テレビも韓国のときとは異なり、無反応であった……》(2015年帰国直後のメモから抜粋: 最初のMr.はミスでMt.と記載していたため今修正。二度目の方は当時のまま掲載)》
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なお、上記の2015年の抜粋箇所は2015年にBlogで公開したため、見ている読者も多いと思う。小泉進次郎君だったと思うが、「Obama ,,, not Mr. … missing」の箇所を見たというが如く笑っていたことを覚えている。
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しかしながら、帰国してからしばらくすると次のようなニュースが飛び込んできた。
☆☆☆☆☆☆
[ワシントン 3日 ロイター] – 米ホワイトハウスは3日、ミシェル・オバマ米大統領夫人が18─20日の日程で日本を訪問すると発表した。女子の教育を支援する米政府の取り組みの一環で、日本を訪問した後、カンボジアを訪問する。訪日中は、東京のほか、京都も訪れる予定。
ジャレット大統領上級顧問は米政府の取り組みについて、十数カ国で平和部隊のボランティアが現地のボランティアを募集・訓練し、現地での取り組みを推進すると説明。
MSNBCとのインタビューで、「経済的な安定に向けた最善策、夢を追い求める一番の方法は教育だ」と指摘した。
☆☆☆☆☆☆☆
ミシェル米大統領夫人が18─20日に来日、女子教育支援の一環で
Reuters
2015年3月4日午前 9:52 GMT+99年前更新
https://jp.reuters.com/article/president-wife-japan-idJPKBN0LZ2L820150304/
☆☆☆☆☆☆☆
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2015年3月3日とは、私が帰国した日である。(正確には3月3日深夜に関空着であり、宿のある尼崎に向かうバスの最終時刻直前であった。我が家に戻れるのは3月4日である)そして、私がジョークがてらに先の言葉をぼやいたのが帰国直前のLas Vegasであった。
偶然かどうかはどうでもよい。
私はJoke-Loverであり、同時に、私が書いているものはいつか文献にして世に問うものである。そこで読者が興味を持てばよい、というだけのことである。
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東京で開催された「女子に教育を」(Let Girls Learn)関連行事におけるミシェル・オバマ大統領夫人のあいさつ
https://amview.japan.usembassy.gov/michelleobama-speech-japan/
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(5)世界連邦構想→今回省略。別の章で記述予定でいる。
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(6)2015年原稿から(私がアメリカで見つけた物―This is it.):(2024/03/16)一部微修正
それは、私が撮った写真・「THIS is THE AMERICAN」である。
既述の如(ごと)く、謀略にあったかのように、飛行機・バスだけに監禁のアメリカ行きの感があった。おまけに5日間睡眠時間なしに近かった。それ以上にトイレで参った。この話は《『「日本のフィクサーME・パート3』第3章訪米・第3節相棒登場から”まさかの”トイレ攻撃まで》
に記している。通常のフライトでも長時間の場合には、座席が通路ではない限り、トイレ問題が起こる。だが、見えぬところで謀略があったため、その被害は数倍に達した。
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「日本のフィクサーME・パート3」第3章訪米・第3節相棒登場から”まさかの”トイレ攻撃まで
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=40873
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おまけに、唯一の観光に近かったグランドキャニオンは雪で視界がほとんどなく、何も見えないのに等しかった。ラスベガスは雨であった。さらに、各種原稿に何度も記した如(ごと)く、超過密日程で外出意欲はなかった。
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だが、最後の夜、疲労困憊(こんぱい)にもかかわらず、翌朝午前4時過ぎチェックアウトにもかかわらず、方向音痴にもかかわらず、雨にもかかわらず、ホテルの外を少し歩いてみた。
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人は歩いていなかった。だがシンボルタワーへの行きがけに自転車一台、帰りに一回だけ人が見えた。大慌てで雨の中、シャッターをきった。レンズのフィルターも濡(ぬ)れているし、遠方のためストロボも使えない。シャッター速度は1/30程度で賭けであった。
▽
さらに、相手がいついなくなるか不明のため、大慌(おおあわ)てでホールドを構える暇もなかった。4枚だけ写せた。そのときの写真が「THIS is THE AMERICAN」である。当初は写真のタイトルを「This is America」としていた。
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正確に記せば、英語音痴の私の頭に浮かんだのは次の英語であった。
「This is an American. (これがアメリカ人だ)」
「This is America.(これがアメリカだ)」
「These are the Americans.(これがアメリカ人だ)」
「THIS IS THE AMERICAN.(これがアメリカ/アメリカ人というものなのだ)」、であった。
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「the American」は複数名詞のため、isは使えない。いや、どうでもよい。抽象名詞にしたのだ、と強硬に主張しておく。つまり、これが本来のアメリカ人というものなのだ、と。
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私の作品・「This is the AMERICAN」の意味とアメリカ社会への影響
(2024年3月24日頃正式公開:現在は閲覧はできるが下書き段階)
http://h-takamasa.com/Blog/?p=32195
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アメリカは多くの戦争を経験してきた。公民権運動前には幾多の差別があった。また、世界で一番優れた国とプロパガンダがなされている。パクス・オブ・アメリカーナという言葉もある。人によればドル帝国という人もいる。
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だが、アメリカの心は、上記なのだ。
日本の心が「義理・人情」に対して、アメリカの心は「愛」、それも「Family」への愛を中心にしていると、私は解釈していた。それを見た。
だから、今回の旅のテーマは(正確には)「THIS IS THE AMERICAN」である。
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アメリカを過剰に美化することはしない。だが、私が撮った写真を見ていて、全て武力で解決しなくても、話せば分かることを再度実感した。
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オバマ大統領と私の考えとは全て一致ではない。対立点も多いと思う。(2024/03/16修正:「多い」ではなく「対立点も全くないこともなかろう」に訂正。)しかし、共通点も多い。世界の繁栄。それも将来は世界の全ての人の繁栄を、と。戦争・核から人の命を守ろう、と。
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だが、それには二つの考えがある。人の命を守るためには、Balance of power、核の均衡、恐怖の均衡(balance of terror)など強力な武力が不可欠だという考えと、日本の憲法9条型(絶対平和的生存権)の考え方がある。
だが、前提は同じだったはずである。殺し合いをこの世からなくそう、と。その道にたどりつく手段が大きく食い違うことが、歴史のいっときにはある。しかし、だからこそ相手の意見を尊重し、自らの意見を点検し磨(みが)くことができる。同じ意見ならば、議会も、議員も不必要である。
▽
私は「国際連盟から国際連合へ、国際連合から世界連邦へ」を唱道している。そして、その構想を練ってアメリカにいくはずであったが、……『同上書』3章の如くとなってしまった。
▽
おまけに、超過密日程、乗り物だけの旅、天気は雪と雨、外出の時間はないどころか寝る時間もない。そして、隠されたトイレ問題危害……。だが、収穫は幾つかあった。その一つが私が撮った上記の写真である。
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不謹慎なことを記す。ラスベガスはカジノの街である。では、世界の平和を守る第一の手段として「徹底した話しあい」(命を懸けての話し合い)に賭けてみたらどうだろうか。私の撮った写真は、それは可能であるし、それは「the road to the Gold」と語っていた。
「THIS is THE AMERICAN」
▽
ラスベガスの街も言っていた。「世界の平和を築くため、世界の人が手をとりあったならば……」、と。そして、私はこの旅で大きな虹を見た。虹の向こうには何があるのだろうか。
「THIS is THE AMERICAN」
▽
再度、今回の旅のテーマを記す。
「This is an American.」(これがアメリカ人だ)
「This is America.」(これがアメリカだ)
「These are the Americans.」(これがアメリカ国民だ。)
「THIS IS THE AMERICAN.」(これがアメリカ/人というものなのだ)
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「THIS is THE AMERICAN」
May Peace be in the world! May the world be peace!
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浜田隆政「写真物語館」・世界の絆の間・訪米編
http://takachan1.xsrv.jp/kizuna/policy.html
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(7)付録
付録―1・当時のメモ・2015年帰国直後のメモの一部を抜粋
(2024/03/16 12:01 誤字脱字等微修正:当時の未修正の下書きはしばらく、下書き公開した箇所に手つかずで保存している。)
(アドレス)https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=42204
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【②記録―1】勘違いゲームが連続で起こる。昼の食堂(昼食抜きで撮影と考えていたが、ツアーで設定・無料の昼食のため撮影中止し食事)でも些細な勘違いゲーム(だが相手は途中で吹き出した)。
夜は初日のホテル。初日の食堂で、既述のボーイとの再会を楽しみにしていたが、満席か何かで断られる。やむなく、ホテル内のもう一軒のレストラン。ここでも、勘違いゲーム。詳細は後日、作品で紹介。
ただし、運んできたコックさんの「Huge stomach.(大きな胃・おなか)」という言葉と、最後に私おつきのウェイトレスさんが言った言葉だけを紹介しておく。彼女が最後に言ったのは、「How sweet of you!」であった。
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【③記録―2】ホテル着後、雨がかなり降っていた。結局、この旅では事実上の撮影抜きで帰ることになるか。またラスベガスを一切見ずに帰るか。グランドキャニオンは一切見ずに帰るに近い。同様か。外出しようか迷う。雨以上に問題なのは方向音痴ときている。迷ったあげく、ラスベガスを(片道)二百メートルだけ歩くことにした。
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雨のラスベガスである。撮影結果は、可能な限り、(2015年)4月末までに浜田隆政写真物語・絆の間で紹介する。途中、光る金色の中に人物の足だけをオブジェとして写したかった。
しかし、人が歩いておらず、弱った。だが、一度のみ遠方で人がみえ、大急ぎでシャッターを切った。雨の中、重いカメラ機材を持ってのため、……であったが、満足のいく写真があった。雨だからだろう。ただ、私の泊まっているホテル周辺だけ人がいた。
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【④収穫―1】このホテル泊は結果として満足であった。
理由はカジノが一階にあった。ギャンブル嫌いの私はもう見ることはないであろう(撮影はプライバシー権を配慮し自粛した)。
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もう一つはマイノリティと思われる人達と多く会えたことである。
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更に、レストラン一つでも、ウェイトレスがバーテンダーに対しての態度などが参考になった。日頃から慣れていると思われるバーテンダーの横を通る度に、ウェイトレスが「I beg your pardon!」と言っていた。カジュアル社会アメリカで。後日、いろいろな角度から検討する。
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【⑤収穫?―2】可能ならば、オバマが大統領の間にアメリカに行きたいと思っていた。
理由は世界連邦に舵をきるよう話をするためであった。その結果は、タイムラグ(数年間は秘密にして)をおき、作品(仮称『日本のフィクサーME:Part 3』)として公表する予定でいた。
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これらの作品・商品を糧に私は生きて行かねばならないのだから。だが、結局、テレビを見ても全くオバマは登場しなかった。そこで、某テレビを見ながら英語で余分なことを言った。
「Mr. Obama is not Mr., but missing(行方不明である).」等々と。{President Obama is not Mr., but missing.と言ったかもしれない。英語音痴故、失礼があればお詫びしたい}。
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テレビも韓国のときとは異なり、無反応であった。若(も)しくはそれに近かった。だが、もう一つの決意をしていた。この訪米を契機に「日本のフィクサーME」シリーズは打ち切りたい、と。
このシリーズの作品はストレスが多大で疲れる。では、この訪米が作品になったかは最後に記す。
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翌朝四時にモーニングコールであるが、この夜は何故か一睡もできなかった。そこでテレビを付けっぱなしにしていると、モーニングコール直後頃に、オバマ大統領・バイデン副大統領・ケリー国務長官が三人そろってテレビに登場した。勿論、時間から言って録画で偶然であろう。
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当時のメモの続きは「『同上書』第3章第7節帰路バンクーバーにて」で紹介することにする。
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付録―2・アメリカ特集(今回記述の原稿)妨害について
(2024/03/11 2:37記述:12:23微修正)
激しく目をつぶり続ける奇妙な現象は数日前からおさまったか、収まりかけていた。
ところが、この原稿を記載しかけるや突如再発した。
やはり、誰かが催眠類を悪用しての悪戯(いたずら)か、それとも安倍晋三氏が生きていて、相変わらず、混乱させる(Disturb)目的の、彼のデマに誰かがだまされているのであろう。
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だが、彼の言うことを信じた政治家・経営者はどうなったかを思い出すがよい。
金正恩氏は安倍晋三氏をさして一言いったことがあった。
「安倍晋三…あれ…嘘つき」と。
また日本のある政治家は安倍氏の変わり身の早さをみてカメレオンの如(ごと)しとあきれていた。Mr.オバマからMr.トランプへの乗り換えの早さをみれば分かろう。
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Field Workは元来、拙著『旅に心を求めて』シリーズや『生命への畏敬』出版のために開始した。もし『日本のフィクサーME』中心になるように仕向けられるのが分かっていれば、アメリカ、中国、韓国のみならず、ロシアにも行っておくべきであったと思うことが最近でてきていた。
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しかし、時既に遅しであり、フィールドワーク類は予算問題や妨害の熾烈さで目的を果たすことを完全阻止されている以上、現時点では永久中止を検討している。
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なお、激しく目をつぶり続ける奇妙な現象から分析すると、この原稿を記すときには妨害が予想される。目的は多分、面白半分からであろう。私も、本年72才になる。そこで、過去の大きな出来事を記録しておきたいと思う。
しかし、妨害が熾烈(しれつ)ならば、この原稿はのんびり記すことにする。
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この原稿のほかにも、世界の歌・アイルランド特集、写真整理、過去のブログ類のbackup(バックアップ)、ホームページ改訂作業、我が家が人間が住める環境にすること…等々と他にすべきことが山積しており、そちらを優先しながら、のんびりと記そう。
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だが、面白半分の妨害は目障りなため、読者が減るのを覚悟で、再度結論を記す。
アメリカ首脳とは対面はしたが、対談はしていない。双方、一言も口をきいていない。アメリカで見た📺(テレビ)に対してさえも。
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なお、アメリカでテレビをつけて、ニュース番組を見ようとすると、何故かフォックステレビばかりが流れた謎もある。私はその頃はフォクステレビという名前も、同テレビが共和党より等々も何も知らなかった。
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(※参考)フォックス放送(Fox Broadcasting Company、FOX)
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FOXニュース(フォックスニュース、英称:FOX News Channel、略称:FNC)
FNCの報道について、保守的・共和党寄りであり、2000年代前半には視聴率競争でCNNを抜き、「FOX効果」が注目された。(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/FOX%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9
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ただし、私の愚痴若(も)しくはJokeに対しては、Jokeでの対応はあった。それらも後に語ろう。
この原稿は妨害が多いならば、のんびりと記して、他の事項を先に済まそう。
Easy-going(のんびり)としよう。
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ただし、妨害に●●思うのは馬場馬鹿しい{「●●」は目つぶり現象のさなかに目をつぶってタイプを打ったため解読不明の文字}。馬鹿もほどほどにである。大層すぎる。あほらしい。
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付録―3・日本の将軍様・Mr. Abe (安倍晋三)氏の臭(にお)い→政経の世界№50と№51参照。
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上記(日本のフィクサーME・Part 3 第3章第6節-2:ひかるLas Vegas―2)の中でこう書いた。
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Mr.オバマは気配りというか、配慮深い所がある。
何か考えがあったのであろう。
その結果、私の訪米中でのMr.オバマと私との双方での会話は一言もなかったと記憶する
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気配りと言えば、Mr.安倍も気配りをする。ただし、彼の気配りは、営業マンか旅館の番頭のごとき気配りである。Mr.オバマの気配りは、家族に対するような気配りである。
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上記掲載のため過去のメモを調べていると、安倍晋三氏に関する未公開のメモがでてきたので、それを公式Blogでそのまま掲載する。ただし、内容は大昔にTwitterに書いたものを項目ごとに整理したものである。
当時、TwitterがWord pressでポップアップしていたため、ポップアップ前提でアドレスのみ収録していたが、Xcomになってからポップしなくなったので、安倍晋三の記録として、今回公式Blog№50と№51に掲載することにした。(2024/03/16現在は準備段階である。)
▼
安倍晋三氏は三度変わった。
当初は、かれなりに正義感をもち、その部分だけは貫かないと自分の恥と考えている所もあった。プロレス出言うベビーフェィス(善玉、いわばヒーロー)である。
▼
だが、第二次安倍政権になり、人が変わった。
これが一度目の変化である。
▼
二度目はMr.オバマが去り、ミストートランプが登場して、躁鬱(そううつ)病の躁病の如く舞い上がった頃である。
▼
三度目はいつからかは分析前である。
従来の彼にない手口が見られ出す。国内外の誰かを参謀としたか、それとも誰かが彼を操っているが如く、過去見られない手口が続出してくる。
ちなみに、この手口は岸田文雄(2024/03/12現在・内閣総理大臣)にも見られるように思えてならない。
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私のメモにあるのは二番目と三番目の変化の頃と思う。
書いた内容は忘却しているため、読者諸君とともに当時のアドレスから文章を浮きあがらさせることにする。
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なお、私に対する態度も上記の流れを反映しているが、詳細に分析すれば五段階あるかもしれない。
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第一段階が、小泉政権から第一次安倍政権の頃である。(この頃は私に対しては丁寧というか、学校の先生に対するような対応であった。)
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第二段階が第二次安倍政権発足頃である。
長期政権を目指し、少しでもそれにプラスになるものには飛びつき、その逆にものには極度な恐れを抱きだす。私に対しては検閲の如く、私の動きを非合法的手段で探し回り、常時私を監視ししだす。
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第三段階はオバマ大統領と安倍氏が接近し出す頃である。下品な言い方で極論すれば、安倍氏がオバマ氏の足にしがみつき、離れまいとしだした頃である。私に対しても手の平を返した如く急接近をし出す。そして、私とも親しいという雰囲気を醸(かも)し出してくる。
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第四段階はオバマ政権からトランプ政権に移行した持点からである。オバマ色の完全排除に入る。日本ではその白羽の矢が私にたったようである。私は彼と対立した覚えがはないが、彼が一方的に攻撃を開始してき出す。そこでやむなく、降りかかる火の粉をはらわざるを得なくなる。
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第五段階は現時点でも謎であるが、国内外の誰かが安倍晋三氏の指南役となり、過去みられない手口が現れてくる時期である。主として、内閣総理大臣を辞任した後で、しばらくしてから見られ出す。ちなみに、この手口は安倍氏以外の世界の大物政治家にも見られ出しているため、国際的なブレーンがいるのではないかと疑っている。この手口はフランス大統領選挙の際にマクロン大統領潰しで出現しかけた。カナダでも(トルドー潰し…で)みられだしたことがある。場合によればブラジルでもいっときみられたかもしれない。
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こうした流れの中での第二段階から第三段階の頃のメモである。
私も何を書いたのか忘れた文書群である。文書は全部で約55からなる。
あらたな解説は数行として、全面公開をする。
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この作業過程で幾つもの謎と鍵が…。
例えば、 2018年3月19日に以下を掲載した。
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18-078-9。現政治特徴
①分断・対立政策
②罠・謀略
③陰に潜む、IT中心謀略部隊
④責任回避構造制度化→忖度と自殺?
⑤スキャンダル等捏造と政治利用
②は多数見た。古賀氏報道ステーション降板も一つと仮説も再検討?自宅盗聴類?
昨年選挙二の舞にならぬ用①②に注意。
⑥贈収賄類→頂点捜査は無理
午後6:07 · 2018年3月19日
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https://x.com/Takamasa_Hamada/status/975660121589035008?s=20
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その後、どうなったであろうか。
②の報道ステーション問題だけを取り上げてみよう。
2024年3月12日に下記X.comに掲載した通りである。
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24-072-4【政経】№50と51分析の意味
2018年3月19日下記を投稿。
#報道ステーション 問題を指摘。
回想すると
#古賀茂明 降板問題
#古舘伊知郎 去る
#後藤謙次 氏も
#小川彩佳 …と
本日公式Blog政経№50で
2014年 #岩路真樹 報道ステーションディレクターも不審死に列挙した人が
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🤡現時点では🧐
午後11:07 · 2024年3月12日
☟·
https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1767553057653748072?s=20
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上記文書との関連で、当時集めた安倍政権時代の不審死関連資料も再検討の必要性を感じだしている。
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関連資料の一つ(これは当時ではなく 2024年3月12日に収録した資料である。)
(資料)下記人物は安倍政権での不審死は14人を指摘
https://www.alphapolis.co.jp/novel/322172037/392684470/episode/6491603
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この続きは公式Blog 政経の世界№50と№51に続く。