「日本のフィクサーME・パート3」第2章世界連邦と起業を目指して・第2節不可思議な人生への転落と日本のフィクサーME誕生:💁正式公開

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「日本のフィクサーME・パート3」第2章世界連邦と起業を目指して・第2節不可思議な人生への転落と日本のフィクサーME誕生:📢💁正式公開

 

(1)著作は、原則として、十二回の見直しをして作成している
(2)この文書は、故意に嘘(うそ)を5~10パーセント程度いれている。

(3)『日本のフィクサーME』登場人物のキャラクターなどは以下を参照願いたい。

※日本のフィクサーMEシリーズの注意点全文の雛形は下記参照。
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=36999


【更新履歴】

2022/10/29 2時30頃~5:17にかけて下書かメモ段階を掲載。5:31追記。6:04微修正

2022/10/30 0:16下書修正作業の一部:16:17 同作業。21:58 同作業:メモ 山﨑→山埼

2022/11/01 15:08 私の救済依頼文書と小渕恵三総理死亡の関連などを一番下に追記。15:22追記

2022/11/02 17:00~18:50清書作業

2022/11/02 19:01 正式公開

 


《◇―2・妨害の嵐・誰が妨害者か》→《◇―2・不可思議な人生への転落》

【前書き(2022/10/29;22:57~)】
私が駿台事件について唯一言えることは、催眠類で操られ、私の意思抜きで、物語が進行したことだけである。私には何が何か未だにさっぱりわからない。
よって本来何も書くことがない。しかし、真偽不明も、就寝中の催眠解説や、この間の各種挑発類での印象操作から伝えられたことをまとめてみた。催眠解説には事実もあったが、嘘もあった。現世では裁判か国会で真相を解明せねば、私には真相は不明である。それどころか下記の如く、何が何かさっぱり分からない。


 

【人権剥奪(はくだつ)の開始】
今考えると、幼小の頃から不可思議なことはあった。だが、一年に一度程度であった。しかし、1984年から不可思議なことがない日が一年に数日程度となった。それ以上に、業務妨害・営業妨害・仕事妨害が激化した。

ことの始まりは駿台講師時代の1984年からであった。詳細は、拙著『閉じた窓にも日は昇る』(Kindle上・下、各百円、海外では$1で発売中)に記載している。また、今の見解は『同・真相編』に掲載することにする。そこに駿台講師時代の話も記す。今回は、結論だけを記す。

【奇妙な世】
どういう世の中か知らぬが、私は裏の世界では、何の映画かテレビ番組か不明であるが、どうも主人公のようである。しかし、表の世界でもかなりのCM力を持っているようでもある。
そこで幾つかの企業などが、私のCM力を利用したがっている。

【駿台予備学校の教壇へ】
1982年に駿台予備学校講師となる。
今考えると、こういう仕組みとなっていた。
その頃、駿台予備学校グループは全国展開を目指していた。しかし、駿台予備学校は東京以外では知名度が余りなかった。代々木ゼミナールや河合塾よりも知名度はなかった。そこで、どうも私に白羽の矢がたったようである。私はその頃、高校教師を目指していた。そのときに駿台甲府高校の教員募集があった。そこで応募した。

一次試験は書類審査、二次試験は一般教養と専門教科の試験であった。いずれも合格し、三次試験に臨んだ。三次試験は模擬授業であった。私の模擬授業の審査は当時駿台予備学校の看板講師であった表三郎氏や、当時の関西地区最高責任者矢田祐三氏など約4名が審査に臨んだ。
この試験にも合格した。合格通知は11月22日であった。11月22日は、私の誕生日であり、11・22は重要な場面で登場する番号でもある。早大大学院最終合格の発表も11月22日、2015年にアメリカに急遽(きゅうきょ)いくことになったのも11・22という数字が関係しており、長崎に2016年に出発したのも11月22日であった。この11・22は後にも何度か登場するので注意してもらいたい。

私は、駿台甲府高校の教壇に立つものとばかり思っていたが、打合せに行くと、何と駿台予備学校の教壇に立ってほしいとのことであった。まよったが条件がよいのでいくことにした。条件は、①50分5500円(実際には50分6000円であった)、待ち時間などは半額の50分3000円、一時金支給、通勤は岡山市のアパートでも実家でもどこからしてもよい、交通費は新幹線のグリーン車料金、出張旅費は3000円程度か、ホテルでの飲食は駿台持ち(私の方針でホテル外での食事を自腹ですることを原則とした)、専任にはなれる可能性の方が高い、駿台甲府高校への転校も今すぐは無理であるが可能性はある、雑務や進路指導…は一切しなくてよく、授業だけに専念すればよいという条件を提示された。万一テキストなどを作成すれば、別に原稿料を支払うであった。何よりも担当教科は専門の政経であった。それまでは岡山の真備高校などでは全く知らぬ倫社を担当していたので、専門教科ということにも魅力は大きかった。

そこで、駿台にいく直前には岡山県立井原高校から二年間専任教諭できてくれ、その後も悪いようにはしないという誘いがあったが、確実に専任になれるように駿台にいくことにした。


こうして順風満帆(じゅんぷうまんぱん)に見えたが、今考えると次のようなシナリオがあったようである。

【全体のシナリオ】
映画関係者は駿台で(1)女性に絡めてどんちゃん騒ぎをさせ、視聴者を満足させる。駿台の方はそれに協力し、全国的CMを図る。
さらに、映画担当者などのシナリオでは既にこの時点から、(2)人間違いを絡めるとなっていた可能性が高い。
同時に、映画関係者はこの時点以前から(3)部落問題を絡めるつもりでいた疑惑がある。

【シナリオ(1)】
(1)については、結論だけを記す。

1983年から女性を何人か絡めるため、いわば私用に何人かの女性を雇った可能性が高い。

それ以前に、何人かの女性が私に好意を持つ振りをするという実験をみせられていた。職業として見合いを周旋しているパーティに参加すると、何人かの女性が私を興味深げに見ていた。それでは脈があるかと思えば、全部断られた。
次に、私の高校時代の同級生の妹が私に関心があるように私を見つめていた。私は「まさか」と思った。同級生は、今考えると、妹さんが芝居をしており、それを知っていたため笑いを抑えきれずに、何度も笑いを我慢した表情から笑いを漏らしていた。
尚、この同級生は京都女子大に進学していた。駿台手紙事件の駿台講師室係NMと同一大学であるが、確か、その頃はまだNMは駿台に入社していなかったと思う。さらに、この女性の母親は私の親戚…ヤマザキと関係していた。ヤマザキとは駿台理事長の名字である。こうして、駿台での女性たちの好きな振り、ドタバタ劇は事前に知らされていた。

【シナリオ(2)】
(2)の人間違いは最初からシナリオにあったと思うが定かではない。
脚本にあったように思えるのは、矢田部長がしきりに、私が一橋学院という予備校で教壇に立っていたと言ったことである。私は正直に一橋ゼミナールで教えたことがあると言ったのであるが。そこで、場合によれば、最初から人間違いを絡める計画があったのかと想像したが、(2)は定かではない。

【シナリオ(3)】
(3)については、最初からどのように絡めたのか不明であるが、その計画があった疑惑がある。
まず、私に対応してきたのは矢田部長である。大阪で矢田と言えば、当時は矢田事件を思い出した。矢田事件とは以下を参照願いたい。

☆☆☆☆☆☆
Wikipedia「矢田事件」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6
☆☆☆☆☆☆


次に駿台で女性に絡めたドンチャン騒ぎに巻き込まれたときに、国語の藤村(尚美)先生{男性講師}が登場してきた。藤村先生は映画狂であった。その先生を化学の某講師が駿台関連の冊子の中の藤村先生の箇所を「とうそん先生」と読んだ謎がある。某講師は京大で博士号を取得している秀才である(後に登場する科学のK先生とは別人)。彼が、藤村(ふじむら)先生の呼び方を間違えるはずがない。藤村(とうそん)とは島崎藤村を連想する呼び方であった。

次は何の意味もないが例の11・22である。
部落解放運動の父と呼ばれている松本治一郎氏が亡くなったのが1966年11月22日である。映画「橋のない川」の監督・今井正氏が亡くなったのも1991年11月22日である。また、1974年に八鹿高校事件が起こるが、この事件が起こったのも11月22日である。私は母親に11月22日に生んでくれと頼んだ訳ではないので、私に苦情を言われてもどうしようもない。なお、八鹿高校事件について知らない人は下記を参照願いたい。

☆☆☆☆☆☆
Wikipedia「八鹿高校事件」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%B9%BF%E9%AB%98%E6%A0%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
☆☆☆☆☆☆

なお、上記の語呂合わせなどで、部落問題との結び付きはないと言われれば、その通りである。ともかく、部落問題が強調されるが、私には何が何かサッパリ分からない。それも38年間全く意味不明なのである。これ以上考えても、死ぬまで意味不明と思う。ましてや、亡き友人が言った「人間違いが原因」が事実ならば、他人がしたことゆえ、私に意味が分かるはずが全くない。

恐らく、山埼春之理事長(当時)は知っておられたのではないかと思う。だが山崎理事長は亡くなられた。ひょっとして、表三郎氏も知っている可能性がある。というのも、先の如(ごと)く、私の採用を事実上決定したのが表氏(三次試験の模擬授業の審査担当)だからである。何か知っておられるようにも思えるので、必要時には政府関係者や国連の人権関連担当者などが直(じか)に聞いてもらえれば有り難い。私が見た範囲では、正義感は強い人のように見受けられたので、知っていれば何か教えてくれる可能性がある。私への各種実験よりは、比較的正直な人への聴き取り調査の方が有益と思う。

なお、この(3)も単なる語呂合わせのため確かではない。
だが、私には全く意味不明である。私は公式HPのprofileに記したように、平等と差別なき世を目指して部落解放運動に参加したが、単に子供会活動への参加や、地域の老人達が昔受けた差別の聞き取り、更には実態調査を手伝うことなどであった。それらで他人の恨(うら)みを買うことは考えられない。KKK団日本版ならば別であるが。

☆☆☆☆☆☆
浜田隆政公式HP内のprofileの箇所(真ん中は完成。左右は下書に近い段階)
http://takahama-chan.sakura.ne.jp/profile.html
☆☆☆☆☆☆

 駿台を舞台にしての脚本で、私に明確に分かるのは(1)🚺女性を絡めたドタバタ劇だけである。
これは事前に予告されていた。それも女性の出身大学まで明示して。
このドタバタ騒ぎの内容を今回は結論の概略のみ記す。

1983年春に🚺NMが登場する(入社してくる)。
1983年夏前に、私は好みではないため、余分な会話はすまいと考えた女性である。
しかし、1984年1月に催眠類使用で突如無理矢理熱をあげさせられる。私は何度も拒否したが、一年余りやられると、もう抵抗できずに手紙を出さされた(1984年9月)。

その後、心理学が各種応用された。私なりの言葉で言えば行動心理学である。
🚺NMに怯(おび)えさせる。
二号館講師室係🚺YKと🚺GTが私に何があったかと訝(いぶか)しがる。それも歌舞伎芝居の如(ごと)く極端に。
当然、心理学上、私は不審人物ではないことを証明するため、両者と短いが雑談をせざるを得なくなる。それまでは、私は京都校二号館講師室係の顔も名前も覚えていない。今でも1984年9月以前には誰がいたのか全く知らない。

そして、理事長か映画…かXグループかいずれかから事前に指示を受けていたと、就寝中に種明かしがあった🚺YKと🚺GTが演技を開始する。前者は親しげにくる。後者はただ表情で好きな振りだけをする。そして、🚺NMは怯えるはずがないのに、あからさまに怯える演技をする。深見係長が言っていたが、「NMさんが、怯える。私には信じられません。浜田先生の手紙くらいでNMさんが怯える。私には信じられません」と、笑いながら何度も首をかしげていた。
その時に、私の持っていた鞄を見て、映画「男はつらいよ」の寅さんの持っている鞄を暗示するような何かを言われたような覚えがある。
詳細は『閉じた窓にも日は昇る』の中で記す。

駿台事件について簡単に雛形(ひながた)で解説する。(下記をクリックすれば拡大する)



【ここ数年、世界から駿台ドタバタ劇の種明かしが…】

結論を記す。
二名についてのみ記す。分かり難(にく)いかもしれないが女性の略号は今回は書かない。

(女性1)私が梓美千代氏(福岡県出身の歌手)を例にして、福岡県の美千代を調べてくれとSNSに掲載するや、西山ファーム(西山美千代社長)でのカード詐欺事件が飛び込んできた。同時に、そのときに、私もカード詐欺に遭(あ)ってもいた(2019年4月)。世界の…たちからの情報であろう。

(女性2)についても幾つも不可思議なことがあったが、これは世界の方から私にアドバイスがあった。
丸山和也事件である。丸山和也氏が、私の原稿のメモをもじってオバマ大統領不愉快発言若しくは事実誤認発言をした。その日は私が長崎市長宛に手紙を送付した日であった。なお、この丸山和也氏の出身高校が龍野高校であり、女性2と同一である。


☆☆☆☆☆
政経の世界№2―丸山和也・〝奴隷〟発言から議会制民主主義まで
の1~3迄と付録編を参照願いたい。

政経の世界№2―丸山和也・〝奴隷〟発言から議会制民主主義まで・1のアドレスのみを記す。
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5364
後の関連箇所は上記のアドレスの箇所あたりを見てもらえれば分かろう。
☆☆☆☆☆


女性1と女性2については、誰かが、私に催眠類を多投した。
一人については女性熱自体が催眠であったことは何度も記した。また後日再度丁寧にどこかで記す。

もう一人については催眠熱すらまだなかったのが、突如、講師のパーティで意味不明の「待っていて欲しい」なる言葉をいわされた(1985年夏前)。この女性は私が催眠で言うのを知っていて待っていた節(ふし)がある。
というのも、私はパーティにこの女性が受付に来ているなど全く知らぬし、通常は二名のはずであるのがこの女性のみしかいなかった。更に、そのような言動を言う意図は全くなかったし、言わされた後も意味が全く不明であり、次に会うときにも何の準備もしていなかった。次に会ったときには、この女性は長く付き合っていた男性と婚約したと聞いた。

一体何でしょうか。
これは芝居ではなく一人芝居ではないでしょうか。そんなことに延々と付き合わされるのでは、私は生きている意味は全くないでしょう。

ちなみに、駿台京都校の岡田課長には「浜田先生、駿台の女性職員と付き合いたいと思えば、必ず、僕をとおしてください。僕が直(じか)に聞いてあげますから。直にはしないでください」と言われ、私も了承していた。そこで仁義からも言うはずはないし、その前にどんな女性かどんな性格か全く知らない。勿論、相手も、私のことを全く知らない。

全て催眠と謀略のなせる技であった。

要するに、映画説で、この種のドタバタ劇をする。「映画だよ。だから、映画狂の藤村先生を登場させたのだよ」と何度も後に暗示を受けている。
駿台の方はそれを承知で、私を採用したのであろう。全国展開の前のCM活用にちょうどよい、と。
山崎理事長が生きていれば、全貌(ぜんぼう)を語ってくれたかもしれない。

【駿台ドタバタ劇の後で】


このドタバタ劇が終了した後で、岡山の予備校でも相似形で同様のドンチャン騒ぎ被害に遭(あ)い、映画のシナリオでの女性熱は実証されている。

更に、駿台予備学校辞職後にはテレビに西田ひかるなる女性が登場し、再度、今度はテレビを通じての催眠女性熱を約6年に亘(わた)り実証された。もはや、女性催眠熱は百バーセント間違いはない。更に、『閉じた窓にも日は昇る:付録編』(本質編)に物証的なものを幾つも記そう。


【業務妨害・授業妨害の開始】

駿台辞職前に話を戻す。
1986年に駿台大阪校の政経講師前田先生(別名杜先生)と(京都校担当の)私の入替え打診があった。その瞬間に駿台女性熱は数秒で消えた。
そして、大阪校に異動すると、今度は授業妨害が起こる。

ここで使われた手口は後にも何度もなされた。

原則は「雨だれ石をも穿(うが)つ」方式である。職員などが直に危害を与えてくるときには、水が石に当たった程度でしれているだろう型である。だがそれを長期にしつこく行う。すると、水でも石を割るほどダメージがあるとなる。駿台辞職後は能開大でも何度もやられ、今は村でもやられている。

もう一つは部外者を雇い、錯乱活動を行うである。若しくは、生徒や…を買収し、問題行動を起こさせるである。

これは岡山の予備校でも、後に能開大でもやられた。前者の写真を一枚のみ下記に掲載する。
こうして兎(と)も角、仕事妨害を徹底して行われ始めた。あからさまに営業妨害・業務妨害が開始したのが大阪校に異動した1986年春からである。

【📷はクリックで拡大】

無関係学生や部外者の乱入が駿台、岡山の予備校、駿台辞職後は能開大で起こる

その後今日(2022年)まで36年業務妨害・営業妨害は行われている。

それらは随所で記そう。『日本のフィクサーME・パート3』では第三章のアメリカ行き直前での激しい妨害模様を記そう。

なお、大阪校で業務妨害に参っている頃、何かの用事で京都に行った。その帰りに、京都駅の新幹線乗り場で上下真っ白い目立つ服を着た人に出会った。確か、山﨑春之理事長であった。お供なしであった。恰(あたか)も、直訴するならば今したらと言わんばかりであった。
その直後にどこからか拍手が聞こえたような気がした。当時は全く映画…等を思いもしなかったが、それでも恰(あたか)も芝居か何かでの拍手のように聞こえた。

後に、就寝中の催眠型解説で、理事長…のCM目的で、映画かテレビでの話題提供用脚本に従って、駿台でのドタバタ劇に無理矢理付き合わされたと思わされている。


ということで①は確定している。催眠を利用しての、何人もの女性を絡めたドタバタ劇で、女性達は映画「007」同様に、依頼されて芝居をしただけである、と。
そして、そのことは駿台関係者の何人かは知っているということである。

【(2)人間違い…シナリオについての追記】

(2)については、私は半信半疑であった。だが、2019年4月に世界の指導者の何人かが人間違い注意、同一住所注意、携帯電話注意…のシグナルを送ってきた。
そこで、私も人間違い問題に正面から取り組むことにした経緯がある。紳士的なやりかたは、他人のことを一切書かずに、私のprofileや自伝・回想類のみを記すことであろうと考えている。

上記との関係抜きで、本年(2022年)、奇妙なことがあったことを追記する。
我が家と同一住所番地の家が存在している。Z家としよう。Z家に住む、私より一才上のZ3氏が本年6月に死亡した。なぜか、真偽不明と思わされているが。
葬儀屋は我が家へ来た。確か、霊柩(れいきゅう)車も我が家へ来たと思う(玄関に家間違い注意の掲示をしていたので、霊柩車の職員は我が家には入らなかった。)
Z家は、江戸時代には我が家の所有地であったようである。明治以降の祖先とは無関係の家である。明治から1953年までのZ家の住所番地を私は知らない。Z3氏が言うには1954年に彼の母が役場に我が家と同一住所番地で戸籍申請をしたとのことである。
Z3氏は私よりも一才上であり、小学校・中学校・高校も同一であり、高校時代は身長・体重も同一であり、大学も一部似ているが、駿台の件での人間違いに関係しているかどうかは、私には一切不明である。駿台以外では彼との人間違いは多数あったことは事実である。

後日、我が家の家系の一部をプロフィールに掲載しよう。明治以前は実名で記そう。



【(3)部落問題に絡めたというシナリオについての追加】

(3)の部落問題に絡められた疑惑を強調されているが、意味が全く分からない。それも38年間も。犯行声明を含む声明を相手が出さぬ限り、死ぬまで、私は意味が分からないであろう。もう、分析は無理である。同時に、犯人、Xグループが誰かはまだ正確には特定できていない。

駿台予備学校で1987年11月頃に、化学のK先生(超有名進学高校卒、京大卒)からと言って、生徒風の人間から意味不明の差別文書を渡されたが、これもまた未(いま)だに何の意味か不明である。
当時は威嚇(いかく)か脅しに思えた。というのも、前者(威嚇について)は夜中の車の写真が何枚も添付されていたからである。後者(脅しについて)は、私のアパートへの不法侵入などを連想させられると同時に、私は1975年に西宮市教育委員会時代に同和対策課にいたが、そのときの資料類(生徒名簿類)を見たという脅しにも思えたからである。
K先生が本当に絡(から)んでいればK先生は実名表記とするが、現時点では生徒がK先生の名をかたっただけなのか、K先生が絡んでいたのか不明のため略号のKとしている。政府関係者、国連人権関連関係者が直(じか)にK先生に確認をしてくれれば有り難い。


それ以外に部落問題絡みと言われても何のことか意味が全く分からない。私が差別なき世を目指して活動し続けていることは世界の多くの人が知っている周知事項である。要するに真逆のデマを飛ばされれば5~10年程度かそれ以上の期間に亘(わた)って意味が全く分からない。その手口で真逆デマも随分やられている。小さな話では、私がU家に何度も入っている。真逆である。「U家の人が何度も我が家へ入っている」である。私は葬儀関連以外では入っていない。

部落問題絡み…については、何度も記すように、どういう意味か全く分からない。出てくる回答は、「人間違い(ひとまちがい)」以外にない。ちなみに、Xグループについても、どの団体か未だに特定できていない。雲をつかむような話である。「ちんぷんかんぷん」という言葉はこのためにあるのだろう。


この問題に絡めて、安倍晋三氏のことを記そう。第二次安倍政権になってから、安倍晋三氏は上記に関連する某団体を潰(つぶ)したがっていたように見受けられたことがある。その際に、私を利用しようとした節(ふし)があった。『日本のフィクサーME・パート4』で既に書いた通りである。若(も)しくは、その団体を巻き込んで民主党潰しを画策していたのかもしれない。

ところが、その団体か何かが、2016年頃から安倍晋三氏の提灯(ちょうちん)持ちに変質をしていったように思えた。

その後は、安倍晋三氏は利用価値がある間は何もせずにいてやろう、利用価値がなくなれば、その時は…のように見受けられた。
他方、その団体は安倍氏に取り入ることにより、利権類を維持したい。しかし、安倍氏の力が落ちれば、寝首をかろう…というような雰囲気を感じていた。


なお、安倍晋三氏は第一次安倍政権では、私に対して紳士的であったが、第二次安倍政権になるや、ガラッと変わった。その第一弾が、次回記す、「安倍昭恵氏、私の故郷・美作市登場」である。もっとも、2016年春頃から、私に急接近し始めたと思うや、2017年のMr. Trump氏登場と同時に、再度コロッと豹変(ひょうへん)する。その話は2017年以降を舞台とした『日本のフィクサーME・パート5』で記そう。


【本来の原稿へ】


駿台予備学校事件の話は、大変不愉快で、私は真相をどんどん書いていきたいのであるが、もはや世界のミスター・ハマダとなっており、世界の私の読者は駿台事件には余り興味を持たないため、駿台事件は最小限にとどめなければならないと何度も自戒している。これらはせいぜい、『閉じた窓にも日は昇る・真相編』で幾つもの証拠をつけて記すにとどめたい。

私は自分の言いたいことを書いてすっきりさせるためにHP活動をしているのではない。読者を獲得するためにしているのである。

もはや、世界のMr. Hamada(ミスター・ハマダ)がこの種のことを書いても人は興味を持たない。そこで、この話はここまでとし、いよいよ、安倍昭恵氏の(私の故郷)岡山県美作市登場の謎に入りたい。その後でミスター・オバマ(2015年訪米前後)などの話を記そう。

同時に、駿台事件の真相は映画関係者がいずれ全容を語るであろう。また、駿台の一部の人(恐らく当時の山埼春之理事長)は相当事実を知っていたであろう。表三郎氏については、表氏に迷惑がかからない範囲で、良心的なメディアが直に聞かれることが望ましい。もっとも、表氏がどの程度知っているのかは不明である。


また、私の公式HP掲載のprofileをみせた上で、駿台講師室係🚺女性NM、🚺GT、🚺YKに直に聞いてみたらどうだろうか。可能ならば、私も立会人をつけて、「何をされていたのか、誰にたのまれたのか…」を直に聞いてみたい。


尤(もっと)も、会いたい訳では一切ない。🎃オジョウが彼女ら(🚺NMや🚺YKら)と実は同一人物であるという雰囲気を臭わしたことがある。そのときにはオジョウへの想いにややブレーキがかかった。1996年頃、誰の仕業か不明であるが🚺NMが私が当時泊まっていたホテル関西付近にでてきたように想えた(別人かもしれぬし、本人だったかもしれない)。私は不愉快で捨て台詞(ぜりふ)を吐いて去った。その感情は今も一貫して同一である。だが、死ぬ前に真相を知る必要があると思っただけである。🚺YKについても類似である。

ともかく、催眠がとけた今振り返ると、異性問題や恋愛問題などとは全く無縁のドタバタ劇であった。同時に、催眠多投で、私・浜田隆政は不在でもあった。思考力を停止させられた操(あやつ)り人形の私の抜け殻(がら)はいたかもしれないが。


【追記―1・偽者強調の謎】。

駿台を辞職するや、即、生物の川端三郎先生そっくりな声の人に何度か出会った謎がある。川端先生とは先生が亡くなるまで年賀状のやりとりをしていたが、どうして川端先生そっくりな声の人が登場したのであろうか。後に、村でも川端先生を連想させる人が勘違いか何かをした気配を感じたことがある。

同時に、駿台辞職するや、友人(拙著『日本のフィクサーME』登場の布袋さんのモデル)の結婚式(1988年3月上旬)があった。そのときに、彼の叔父さん(税理士)が別人と入れ替わっていた謎がある。恰(あたか)も、偽者登場と言わんばかりであった。またその結婚式の後で、車に乗っていると偽警察としか思えぬ人間に絡まれた謎もある。なお、事件の本質は「人間違いが原因」と明言したのは彼である(2012年4月)。そして、人間違い問題に取り組み始めた2019年4月に彼は糖尿病が原因で死亡したため、誰との人間違いかの確認が未だにできていない。

これらのことは私にとっては意味を持つかもしれないが、今の私(世界のMr. Hamada)が書けば、多くの読者ががっかりするつまらぬ次元となっている。世界の読者は世界の指導者の裏話や、現実世界で起こった事件の深層を読むことを望んでいるのである。本当に目障(めざわ)りで弱っている。


【追記―2・何をしても無駄の話】
日本のフィクサーMEに登場するオジョウは私に釘(くぎ)をさした。
「小渕恵三総理に手紙を出してどうなった」と。
私は答えた。
「だした、正に、その日に小渕恵三氏緊急入院のニュースが流れた…そして死亡した」と。
これは事実である。(詳細は※1参照)

 因(ちな)みに、筑紫哲也氏(1935年6月23日 – 2008年11月7日)には私の救済依頼の手紙をだした数か月後に肺癌(がん)を公表し、やがて亡くなった。駿台の理事長であった山埼春之氏に手紙で駿台事件の調査依頼や駿台以降の謎の業務妨害について何か知っているか、更には当時は駿台復帰の打診をしようと考えると、私の意図を察していた如(ごと)く、その一週間ほど前に山崎氏はなくなっていた。山崎春之氏(やまざき はるゆき、1926年 – 2010年1月13日)も肺癌であった。

要するに、もう、この種のことを書いても意味はないのではないかと思っている。
現実の世とあの世が結びついているのではないかと思う、今日この頃である。
あの世では差別なんてある訳がない。すると、もう何を書いても時間の無駄と思うのである。

第一、書いても・書かなくても事態は何一つ変わらないし、意味はサッパリ分からないのである。もう無理である。無理とは理解は不可能という意味である。さっぱり分からない。


【追記ー3・日本のフィクサーME、更に世界のミスターハマダへの道と引退の模索】

小渕恵三氏や小泉純一郎氏、菅直人氏等総理や国会議員・政府職員など、延べ百名に書留で救済依頼文書を出する羽目になった経緯は以下である。

1:駿台事件(業務妨害と外部での刑事犯罪被害):1988年1月駿台辞職

2:能開大が豹変→労基法違反、強制貢ぎ労働疑惑、部外者の乱入と授業破壊被害
これらで健康を害し、ドクターストップで辞職。辞職伺いは1998年1月。
そこで賠償交渉を能開大と運営権者・雇用促進事業団(後の雇用能力開発機構)にだした。だが、交渉は人をからかった内容であった。

能開大及び事業団との交渉の中断

能開大が労働省(厚生労働省)所管の学校であり、重要なことは衆議院・参議院を通して決まる学校のため、残る手段として、政府・議員・総理などに救済依頼文書を送付する。

(結果)
小渕総理→即入院、そして死亡(※1参照)。

だが、ここから今度は本格的に国内外の政治家などが私にテレビ対面をするようになる。
小泉総理→テレビを通して私に接近。ここから日本のフィクサーME登場となる。
菅直人総理→温家宝首相と菅直人首相の間に入るなど、世界の政経へのデビューとなり、本格的な世界のミスターハマダの誕生となる。

(願望)
2017年1月ミスターオバマが大統領辞職と同時に私も政経からフェードアウト宣言した。
所が、安倍晋三氏のちょっかいの雰囲気が2017年春から開始し、手を引くことが難しくなり、今日に至る。今度こそ、政治の世界から蚊帳(かや)の外へ、外へと思い続けながら今日に至ったとも言える。だが、その願望は少しずつ実現しつつあるように思える。
『日本のフィクサーME・パート3』で記したように、このままでは老後破綻である。しかし、私は政治家になる気はない。よって政経への関与は老後破綻を早めるだけとなっている。私の老後破綻対策は起業である。そこで本道に戻りたいということでもある。

(参考)
能開大グループは現在、雇用能力開発機構の分家の 「独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構」に受け継がれている。プラスの財産を相続した場合にはマイナスの財産(私への賠償責任)も相続したことになる。


(※注1)
※小渕恵三(おぶち けいぞう、1937年6月25日 – 2000年5月14日)。

 第84代総理大臣。早大文卒、早大大学院政治学研究科修了。早大大学院政治学研究科修了の私の先輩にあたる。
2000年4月2日に脳梗塞発症で緊急入院、4月3日に緊急放送で報道される。私が救済依頼文書を仕上げたのが4月1日である。その手紙を4月2日に出すことも考えたが、2000年4月2日は確か日曜のため、翌日の4月3日に林野の郵便局から小渕恵三氏などに書留送付をした。
小渕総理が必ず読むように、夜明け前の早大の写真を封筒の裏に貼り付け、当時まだ小さかった早大大学院政治学研究科後輩であることも封筒の裏に明記して送付した。家に帰るや小渕総理緊急入院のニュースが流れた。
昨年(2021年)我が家の土地(美作市位田●4●)の住所の名義変更に関して関連者に協力文を書き上げた(正に)直後に近所の親戚のボスが死んだ。翌日、🚹従兄弟の家の郵便受けにその文書をいれるや、その従兄弟死亡の電話があった。小渕恵三氏の時も正に同一タイミングであった。

ちなみに、私の早大時代の指導教授内田満(うちだ みつる、1930年1月4日 – 2007年1月26日)先生も早大政研出身であり、同時に、先生はその頃は自民党の顧問をされていた。内田ゼミは大学院にすれば大きいとも言えるが、ゼミ生は一学年四名であった。私と入れ違いとなった寺島実郎氏などが内田ゼミの先輩である。

尚、この手紙を堺に早大卒(特に政経卒)の総理が多数登場するようになる。
 1998年小渕恵三総理:第84代。早大政研修了。
 2001年森喜朗総理:第85~86代:早大商卒。
 2007年福田康夫総理:第91代:早大政経卒。
 2011年野田佳彦総理:第95代:早大政経卒。
 2021年岸田文雄総理:第100~101代。早大法卒

またその他の総理でも、菅直人総理(2010年第94代)は早大卒ではないが、私が市川房枝氏と対談した頃(1970年代)の市川房枝氏の選挙参謀であった。
小泉純一郎総理(2001年、第87~89代)とは救済依頼の書留文書を送付してからは腐れ縁ができ、安倍晋三総理(2006年~2007年=第90代、2012年~2020年=第96-98代)とは見ての通りである。

 日本のフィクサーME

今回はここまでとする。次回はよほどのことがない限り、「安倍昭恵氏、私の故郷・美作市登場の謎」を書けることを願っている。