徒然なるままに№16・写真残酷物語・第一話後のオバチャン(2)

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徒然(つれづれ)なるままに№16・写真残酷物語・第一話後(ウシロ)のオバチャン(2)



※今回は、近所からのお年玉の話である。同時に誹謗中傷がとびかった気配を感じられても、誤解類を解かなかった理由も掲載している。特に後ろの小母さん生存中はそうであった。今でも単価公表できぬ理由も読めば分かる。なおこれらの話の一部も中国でも結構知られていた。国際的な話も後に登場するかもしれない。写真トラブルの話は、近所の人よりは中国(政府だけか、中国国民全体かは不明)などの方が実は詳しいのである


更新 2018/07/12 18:49

2018/07/13 2:23

2018/07/13 14:10 (追記を含む修正)

2018/07/14 1:44 枚数数値の確認可能も確認していない部分をその通りに記述修正。

2018/07/14 16:29 ごく一部微修正。

2018/07/16 22:49訂正と追記。主として青の薄い色の部分

2018/07/17 0:07 母依頼の4W(2500円)の話

(三)人目を忍んでの撮影哀史


この家を撮ったときの逸話を二つのみ書こう。
昔、ボタンとこの家も撮ったことがあった。この家に別の家関連写真4Wを1~2枚贈呈したときに、何故か、小母(おば)さんはその写真を知っておられ、ボタンの花と家の方が良いと言われた。

「タカちゃん、ボタン、ボタンの方」、と。
だが、この写真はゴースト問題とフレア問題で技術的に甘い感じがして、その写真を渡さなかったと思う。そして村のアルバムには別のこの家の風景写真を考えていた。

単細胞の私は、小母さんがボタンと家の写真が良いのかと思い、ボタンとこの家を撮り直した。しかし満足いくものでなかったため、それらも渡すことはできなかった。ところで、この撮影に当たっては、見たことのある人が道などを通る度に、私をキョロキョロ、不可思議な目で見られた。あの男の人(私)はこの家(後ろの家)の人ではあるまいに、と。(★1){寝ている間にそれは嘘だろ、面白おかしく抜きで正直にせよ」と催眠があった。回答は★1参照。
理由を解説はできない。すれば、12軒以外の別の家も類似なことをしなければならなくなる。それに、それをし出すと、私にお礼をしない訳にはいかないと考える人が必ずいる。

そこで、丁寧に説明すると、別の家も撮らねばならなくなる。それ以上に、他人の不審な目のみでは、先の理由で解説する訳にはいかない。
もう既にこの家関連は十分撮っていたため、止(や)めようか。
脳が言う。「いえいえ、それはなりませぬ。キチント決めるまで撮るのが本道」、と。


さて、このボタンの花と家の件が一段落すると、今度は家を撮ってほしいときた。
村のアルバムとしても、この家の花は十分撮っていた。後ろの家はそれ以上に撮っていた。
だが、家を撮れと言われれば、…で再度家に。

記録を見ると、1997年夏頃、母から「後ろの家を撮ってほしい」と母経由で依頼があった。2013年9月17日に記録を見直すと、「後ろの娘さんが、百合(ゆり)よりも家を撮ってほしい」と言っていたとの記録がある。
そこで、後ろの家の写真は既に十分撮り、渡してもいたが、要望に応えて、後ろの家を撮るため、毎日数度、後ろを見ながら撮る時期を狙った。そして、梅の花・雪・青空と三拍子かさなった日(後ろでは五十年に一度の機会)に撮る(フィルム三種使用)。

渡した写真でよくある質問。
「どうして、隆政さんは▽▽を撮ったのだろうか」
回答「お宅が依頼したので(撮ってくれと言ったので)」。
こんな馬鹿な問答が結構ある。
勿論、知らぬ家ならば、よほど珍しくない限り即座に断る。

※これ以外では「村のアルバム」と「我、思わぬのに、我あり」で撮っただけである。

【注箇所】
(★1)ボタンの花撮影時に人が怪訝(けげん)な目で見たは嘘(うそ)かもしれません。事実かもしれません。覚えていません。しかし、他の撮影時には怪訝な目で何度も見られたことは事実です。だから、多分と訂正しました。
 尚、敷地や畑内に入るときには、結果として、原則その家の許可を取っています(例外は叔母の家等を除く。また「村のアルバム」作成関連の詳細な理由・将来的意義等は先の関係で省略し、単に「少しお邪魔し、撮らせてもらってよろしいか」という形でしかないが)。それでも、その家の住人の主が2人(夫妻)とか4人(夫妻・祖父母)の場合には、その間で連絡がなければ同様に怪訝な目で見られました。また、敷地に入らず、県道や河川敷などから撮影の場合には許可は取りません。山の上からの望遠撮影も同様です。
 なお、組合(ブロック)内では原則事前に各家ごとに(その家の誰か一人に)許可を取っていますが、組合(ブロック)外では川の鯉のぼりの件の如(ごと)くものは許可も何も私が拒否しているのを無理矢理やらせられたとなり、私が憤慨をしています。次週、面白おかしくこの話も紹介しましょう。
 そうしたことはトラブルの元でやめたら。その通りです。せざるを得ない状況に追い込まれたのは前回と次回参照。今、しなくて済み、一番喜んでいるのは私自身です。万歳!
 勿論、撮影した写真はプライバシー権などで、私自身は活用はできませんし、する予定も現在一切ありません。
 本当は、この箇所はもっと面白おかしく書きたかったのです。(写真ではなく)この原稿を商品にするならば、その方が売れるのです。結局事実に基づき記してしまいました。商売あがったり

【2018/07/16訂正と追記】
本日、寝ている間に、後ろ贈呈写真をチェックせよと指示あり。
撮影写真の一部として、従兄弟送付157枚チェック。
するとボタンの花の再撮影が見当たらず。

上記、文書の勘違い原因は下記三点。
①記述前夜に、寝ている間に、4年以上見ていない上記157枚が私の脳で再現され、そこではボタンの写し直しの写真らしきものが見えた。ここで再撮影と考えた。
だが、本日上記にはない。誰かがそれを隠したか、上記①が催眠型で頭にすり込まれたかのいずれかであろう。私自身は重要写真でないため詳細には覚えていない。

②後ろの小母(おば)さんが、何かのときに「タカちゃん、ボタン、ボタンの方」と言ったのは事実。(他の写真贈呈時か村アルバム作成時かは不明)

③人が、撮影時に、怪訝(けげん)な目で見たのも事実(この家の何の撮影かは不明)


そこで、①~③を組み合わせて、面白おかしく書こうとした。ところが、再度催眠型で波長が変わり、ごくわすかではあるが責任論とも思わせる波長となっていた。面白おかしく型波長は、次回の後ろの小母ちゃん(3)をみれば分かる。多分、明日掲載。

(結論)後ろの小母さんは良い小母さん。
後ろの小母さんが、私に何かをするときには、タカちゃんにとって良かろうと思いする。後ろの小母さんだけではなく、田舎にはこうした人が何人かいた。少なくとも、村の相手に対して自分が得をしようとする人間はほとんどいないか、全くいないのが事実である。


上記の文書では、後ろの小母さん像の誤解を与えるため、真実がでて良かった。私にとっては本当に良い小母さんであった。先にも書いたように、人を利用して自分が得をしようとする人間は私の家の界隈(かいわい)にはいない。
(では、随分良い村…いや、しがらみだらけで大変。世界の歌でドイツ特集のときに、ドイツ民謡「故郷を離るる歌(Der letzte Abend)」を特集しようとするとドイツ語版では何故か見当たらなかった。日本語版ではあったが。私の大好きな歌のテーマ『故郷を離るる歌』の実現を長期夢見ている。)

(四)お年玉事件

 当然、無料で渡す予定でいた。
このときの撮影チャンスを待つ時期(依頼された1997年夏)は短大などで授業をしていたため、その金で写真代は捻出(ねんしゅつ)する。
短大辞職等は考えていなかった。撮影のチャンスは98年1月24日にようやくやってきた。ところが、岡山短大「辞職願い」送付が98年1月13日であり、同許可が98年1月23日であった。その後の賃金はもとより、それ以前のパート労働法関連有給休暇分すらでなかった。無収入である。記憶では当時の貯金を含む全所有額は6万円である。これでは、他に必要物もあり写真プリントはできない。

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拙著『恐るべき労基法違反』から以下抜粋。
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九七年度を分かり易(やす)く言えば、岡短投資用費用(父の遺産、母や姉からの援助金などからなる私の貯金類)はこの年度で枯渇すると試算され、翌九八年度にはもう岡短への私財投資は不可能となっていた(具体的貯金額は九五年二月二〇四万円、九六年一月一〇一万円、九七年三月一七日には三万円となっていた)。


すると、偶然かどうか不明も、私をこの岡短から追放若しくは解放する動きが明白にでてくる。まず、九七年初頭からの労基法違反の嵐で精神を更に疲弊させ、そして①MK課長の登場、次に学生のゲリラ戦(②型と③型である。①のMK課長は、一言で言えば、「(労基法違反)官僚型仕掛けストーカー人間」であろうか。②はR・SY型の突進型学生である。③は、今日の高校などに不満を持ち、私をドラマ金八先生型裁定者として色々な実験をして、私の裁定を仰ごうとしていた学生集団群である。②及び③には一部の事務員も加担していた。

あの賃金で全てに回答していたならば、私は餓死する。こうした只働き強要の猛嵐となる。この岡短時代の本質は教育問題ではなく労働問題である。しかも、強制・貢ぎ労働の疑いも強い。

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(抜粋終了)
『恐るべき労基法違反』3章4節(82ページ)
http://hamatakachan.uh-oh.jp/wp-content/uploads/2016/07/529357ad65ee605588431010dd4571e1.pdf

(全体のダウンロードページは以下)
http://www.h-takamasa.com/rensai/custom.html
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そこで、母が依頼した以上、後ろではなく母にプリント代金を出すように要請した。簡単に言えば、母が母の生まれた家の写真を撮ってくれと言えば、私に金がなければ、生まれた家の主ではなく母が出す義務がある。だが、後ろの件では母が出さぬと言った。勿論言い合いしたがそこまでである。そこまでとは、写真を作品レベルの大きさ(4W等)にせずに、打切りとするである。

ところが、更に追い打ちをかけてきた。私が(購入済みのフィルムで)後ろの写真を(当面渡せなくても)念のため、補強撮影などをしていると、母がヒステリックに(今考えれば芝居で)わめき「金がないのに写真ばかり撮って」と泣き叫ぶ真似(まね)型挑発をしてきた。
私にすれば、母が後ろの写真を撮ってほしいと言い、その通りにすると、私に激怒するとは言語道断となり、私も切れる。当時のメモには次のように記している。

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当時の手記より、誤字脱字などを修正して掲載
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※「母親の無茶(むちゃ)な言動+催眠→怒り&後に体調悪化の一因。
:[悪まで例えばの例]母=上の小父(おじ)さんが足が悪いのでH町へ送っていけ→私=送迎→母=金がないときに何でそんなことするかと超激怒→これでは生活不可能。
[具体的]母=後ろの写真家を撮ってほしいと私に伝える(8月)→機会を狙いチャンス待ち続け雪の写真を撮る→後ろの写真の件で=母=写真・・・と泣きわめく。/尚(なお)万一、(母に)請求しても請求額は2枚最高500円、1枚最低250円のとき。LLの相場は既に慣例時で母は知っていたはず。若しくは4W(2500円)が限度=下書きに掲載あるが清書漏れで2018/07/17 0:06追記
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(抜粋終了)
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 こうして、私を相当怒らせた後で、母は逃げるように(今考えれば誘導する形で)台所へ、次に裏の戸をあけ外へ、次に風呂場の後ろまで誘導し、そこで喧嘩(けんか)を再開した。後ろへ聞こえていたらまずかったと思ったが後の祭りである。今考えると後ろへ聞こえるように母が誘導したとしか思えない。何故ならば裏の戸を開けるときににっこりと母が笑ったような記憶がある。

しかも、私はこの頃は精神疲弊{躁鬱(そううつ)病を激しくした状態}である。{岡短辞職直後に、岡山県の私立高校から是非専任にと誘いが、予備校にも、我が家にも電話であったが、とても教壇に立てる状況にはなく、生活に困っていても断ったくらいである。}

この日の約1週間後、後ろの小母さんがお年玉と言って1万円持参してきた。当初は弱った。参ったである。後ろからは(1)の①に記した理由で金をもらう予定はなかったからである。方針もある。

だが、返還は気まずいばかりか、返還してもどうせ今度は商品で何度も持参するであろう。同時に、組合各家の写真を相当撮ったが、かなり渡したのは後ろだけである。次が上であるが、後者は後ろよりも少ない。

そこで、近所から「どうして後ろだけに渡し、自分の家にはくれないのか」という噂が出るのを警戒し、そうした場合には「後ろの小母ちゃんからお年玉をもらったので後ろの家は特別なのだ」で、組合(ブロック)の他の家ともめるのを避けるのに利用できる、とも思い返還はしなかった。しかし、うれしいの逆で弱ったが当時の心境であった。(★注2・2018/07/12追記追記箇所)
なお、当時、雪・梅の花・青空と後ろの写真はRPプリントの4Wサイズ(B4に類似サイズで額縁に入れるには一番よいサイズ)は断念していたが、ではこの金で4Wにして渡すことにした。もしこの金を渡されていなければ、4W(RPプリント)で渡すことはなかった(できなかった)。

この件から、スーと何かが抜けて行き、後ろの家撮影意欲は皆無となった。村のアルバムも1999年6月完成で、もはや、三箇所の例外を除き、村は撮らないと宣言していた。ところが、その三箇所以外、更にはその三箇所撮影終了後も、私が何度拒否しても、催眠型で撮影強制された。撮る前も、撮っている最中も、撮影後も怒りまくっていた。もう、この年になった以上、それらは怒(いか)らずに、面白おかしく、次回一部のみ紹介しよう。

(★注2:2018/07/12追記)RPプリント4Wで別の某家の小母さんからもその家の写真を欲しいような表情があったが、できなかった。その理由は、某家のは私の目から見ると写真が決まっていなかったからである。これでは、画家ルオーではないが悔いが残る。生き恥をさらすようなものである。私のプライドもガタガタとなる。相当長期に亘り、(下手な出来の写真で)恥ずかしい思いをする。4W(B4)、今で言えばA3、A3ノビ、半切、A2、A1は作品宣言をした写真となる。そこで後ろには渡しても、某家には渡せなかった。

 同時に、お年玉の一件から、後ろの家のみか他の家も御礼等をしだしたらと、御礼問題を気にして一切撮れないし、渡せないとなった。

 お通夜の写真のみ例外としたが、一回のみ撮影した後で、線引き問題から、その後は親戚・近隣のお通夜も葬儀も一切撮影すらしていない。母のお通夜・葬儀・法要も、(近隣の有無にかかわらず)叔母・伯母のそれらも一枚も撮っていない。

 なお、近所の叔母が叔母の親戚の寺と桜を撮ると、その数日後に「ほい、隆政、2500円」と渡してきた。丁度、4Wプリントの値段である。そこで、私はやむなく、寺に「桜と寺」の写真4Wを母経由で渡した。この写真は私の目から見ると良くなかった。まさに生き恥である。私の全裸写真をお寺に渡した如くである。ルオーではないが、何とか返して貰い、燃やしてしまいたいような羞恥心にいまだにとらわれている。作品とは自分の分身だからである。一番良いのは撮り直して交換であるが、仕事以外は一切撮らないと宣言しているし、その寺の知り合いの住職も亡くなられ、それもできない。




(五)後ろの家撮影全費用は幾らであったか。


 これは後ろの小母さんが生存中は催眠があっても懸命に隠した。だが小母さんが死亡したこと、及びしつこい催眠挑発のため、2013年9月17日に概算をさせられた。面倒なので95年から98年2月の間の撮影に限定して、しかも30分ほどで簡単に分かるものだけをピックアップした。
しかし、2018年7月にざっとそのメモを見たが、かなり数値が違っていた。私がミス?したのか誰かが数値を改竄(かいざん)したのであろう。(一番下に★注4を2018/07/13追加。)
 だが、この家(後ろの家)から金類をもらう予定がない以上、数値計算の時間だけ無駄である。また下記理由で詳細計算をすることは中止した


念のために、2013年9月に記したメモの一部を紹介しておく。
後ろの家と花に限定した撮影枚数は157枚、(漏れやポジ撮影で原本を捨てたのがあるため200枚以上と推定される)。

贈呈した写真は過去渡した写真はネガ4W(B4サイズに類似)=1枚(もしかして2枚)。RPプリント4Wが一枚。RPプリント2L(=LL)が十枚以上、ネガKingサイズなどが10枚以上であろうか

【2018/07/16訂正】
撮影枚数は不明であるが、簡単にパット見てピックアップし従兄弟に送付した(後ろ関連参考用)写真は間違いなく157枚。ポジで消却や良くないのはカウントしていない。またデータベースで「後ろ」となければ検索ででてこない写真がある。よって、合計二百枚程度の撮影は事実の確率が高い。

しかし、贈呈枚数の4Wは事実であるが、RPプリントのLLとネガのキングサイズは枚数は現在は不明である。従兄弟に送付のときに調べたならば事実かもしれないし、超多忙でミスったかもしれないし、後に改竄(かいざん)されていたならば違うであろう。
 一九九五年~九八年にかけての贈呈は畑と家の写真、小母さんの写真(これは一枚のみで無視可能)、百合の写真、雪と家の写真の四回か、それともボタンの花やその他の花をいれての五回から六回に分けてなのかは覚えていないし、後者はなかったかもしれないし、調べない。

要するに、LLやキングなどの贈呈枚数は不明である。同時に調べない。ブラックボックス若しくは不明である。また調べないことが誰にとってもよい。

請求額は零円である。その場合には不明が一番よい。
「お年玉」という手を使われたため…多少ややこしくなった。請求額が零円のときに赤字とか黒字という言葉自体が存在しない。本来は、何ももらわず、単価も全く不明が誰にとっても一番良かった。

ともかく、本年小母さんの墓参りをして、昔の思い出に浸る予定でいる。
今回の原稿のリズムは後ろの小母さん(3)を参照。(2)だけが、相当催眠誘導で本来のリズムを壊されていた。本日から明日未明にかけて、これ以上の催眠がない間に(3)をさっと記述予定でいる。掲載も早めに行う予定でいる。



しかし、それらは氷山の一角であり、贈呈用一枚をつくる作業は以下となる。作成過程は以下である。

①大量撮影する。

②ポジの場合にはルーペや様々な方法でチェックしてましなものをLサイズで試しプリント。ネガの場合には同時プリント(LサイズかKingサイズで行う)。

③再度濃淡及び表示場面指示(あと0.5EVと1EV明るくとか暗く、左右上下きられているため、上か下か、右か左かどちらをだすかの指示)で修正依頼をLサイズで再注文

④上記のLサイズ(ネガはキングサイズ中心)でましに見えるものを選び2Lサイズへ

⑤2Lサイズでピント精度、被写界深度確認する。今一つの場合には下記

⑥再度濃淡及び表示場面指示(あと0.5EVと1EV明るくとか暗く、左右上下きられているため、上か下か、右か左かどちらをだすかの指示)で修正依頼を注文。

⑦ただしシュミレーションでの指示のため、まだ明るく、更に暗くとかその逆もありうる。その場合には再度⑤と同じことをお金を支払い行う。(満足するまで繰り返し行う。何回かは不明。)


⑧この2Lがこれで決まっていればこれを見本に注文し→後ろ用RPなどの2L版となる。よって2L(一枚)の単価は最後の写真一枚RPならば250円+フィルム代+現像代ではなく、この課程を全部入れると約?円前後となる。これらを概算すると…
★当初従兄弟(いとこ)宛手紙などにその数値を記載していたが、今回見ると数値が違う確率が90パーセント以上ある。{一番下の★注4参照。}その前に最後に記す理由で単価公表はしない。(この価格250円は母などに言っていたことや上記の昔の記録文公開で書いたので公開。)

⑨これらの中からずば抜けた物をRPプリントの4W=B4サイズに類似(これはどうも叔母が知っていたようなので公開する。某店では2500円であった)として贈呈。

⑩ただし、見本通りにならなければ手焼きでない限り、金を再度支払って、指示をつけての4Wの再注文となる。

この①~⑩の流れで最後の贈呈用とか作品用一枚ができる。
 なお、上記の単価にはカメラ・レンズの減価償却費や、何度もラボに行ったときの交通費・ガソリン代はゼロ円として計算している(撮影用の労賃・食事・飲料水代金は零円としていることは言うまでもない)。

※2018/07/12追記。上記に漏れあり。③の後で⑤と同様な指示をして、焼き直しをする。よって、ここでの最後の番号は⑩となる。



当時の単価のごく一部紹介既に公開済み基本材料と、世話になった店で扱っていない商品のみに限定。また具体的印刷枚数は、贈呈相手への精神負担関連から原則として記入しない)

1994年~98年2月頃に限定の撮影枚数約157~200枚{荒くカウントしても157枚は確認。ポジなどは一部消去したり、漏れがあったり…。}


単価は、世話になった店においていないフィルムの値段のみ公開する。
 また現像代も公開しない。更にプリント代金も公開しない。理由は店それぞれのサービス問題で価格は違う。勿論材質も違う。更に相談料問題もある。そこで、高いか安いかは値段のみでは言えない。
なお、世話になった店は下記表の如(ごと)く、その店が良いと思うラボに送付し、問題があれば間に入り交渉してくれたり、どのように指示を出したりしたら良いのかをアドバイスしてくれる店であった

尚、下記表の如く、ポジならば①我が家~②某店~③T現像所~④岡山か、大阪~⑤T現像所~⑥某店~我が家である(コダック、クリスタルプリント、6Wや4W、半切等)。(ネガの場合やポジの現像・Lサイズプリント等の)簡単な場合でも①我が家~②某店~③T現像所~④某店~⑤我が家である(ネガの場合でも4W、手焼き、クリスタルプリントなどはT現像所経由で岡山か大阪に移送される)。

 Lサイズを一枚焼き直しをするだけでも同様であり、Lサイズたった一枚の注文ですら嫌な顔をしない丁寧(ていねい)な店であった。時には、その一枚ですら相談にものってくれた。単価のみでは高いか安いかは分からないことを明確にしておく。勿論、用紙などの材質問題もある。
{今ならば、現像やRPのLサイズですら、①我が家~②某店~③T現像所~④高松のラボ~⑤T現像所~⑥某店~⑦我が家となる}


【フィルム代】(世話になった店にない商品のみ)
①プロビア100(RDPⅡ)→?円
②ベルビア50(RVP)→約(消費税込み)千円(同上店にはなかったと思うため価格記入)
③Astia 100(RAP)→約千円(同上店にはなかったと思うため価格記入)

   万一、記憶間違いならば①か②であろう。ポジ、ネガの使用数は間違いない。なお2011年製造中止となり、ベルビア100Fと類似となっているとウィキペディアに記載があったが違う。後に発売されたVelvia 100、Velvia 100Fとは発色が異なり、おとなしい発色をする。人物の肌色などに適したフィルムであった。詳細は後に技術論で記す。
④プロビア400F→約千五百円(同上店にはなかったと思うため価格記入)
⑤フジ400 →?円(余り高くない)
⑥Reala Ace→?円(余り高くない)。リアラと呼ぶISO100のネガ。

【現像代】
①~④(ポジ)は約?円×4本+α。(α=増感・減感時は何割か増加)
⑤~⑥(ネガ)は?円×2本


【プリント代金】(既に母や叔母などが知っていた単価のみ。後は機密)

(ポジ)

選択用Lサイズプリント=→(?円+消費税)×約38~50枚か?枚数は確認可能も現時点では面倒なため未確認。数値38~50枚は単なる想像のため削除。

注文つけてのLサイズの焼き直し(?円+消費税)×?枚
2Lサイズ=(250円+消費税)×チェック用(私が所有)多分?枚
注文をつけての2Lサイズの焼き直し(250円+消費税)×●?枚
上記の中から良いものをセレクトした2Lサイズ=(250円+消費税)×贈呈用多分10枚以上

(ネガ)
Lサイズかキングサイズ=一枚?円くらい×約50枚 枚数は確認可能も現時点では面倒なため未確認。右数値50枚は単なる想像のため削除。
注文つけての焼き直し(?円くらい)×?枚


ネガ4W(サービス?円くらい)贈呈は1~2枚か?(一枚は必ず贈呈したのを覚えている)

ポジ4W=2500円+消費税


さて、幾らになるかは皆様の想像にお任せしよう。
ただし、撮影哀史ということで、その点から一言記そう。

「お金をぼった」的雰囲気を至る所で受けた。
されど、反論はできない。
何故ならば正確に計算し公表すると、万一不足があったならば、その家に不足分を請求したことに該当する。そこで、計算はできない。

さらに、概数計算で、馴染(なじ)みの店の単価を記すと、高いとか・安いとかの印象を読者に与え、前者ならば馴染みの店の営業妨害となる。

これらを考えると反論もできない。
幾らぼったような陰口が富んでいる気配を感じてでもであった。
これが今回、タイトルの「撮影哀史」である

なお、当時のこの店の仕上げサイクルを記しているため、アルバイトの人が器械で適当にバンバン焼くという方式ではないことは分かろう。価格とはそうした点も配慮し高いか安いかという物であるが、読者は価格のみを見る傾向があるため、単価は公開できない。

□(クリックで拡大)

贈呈・作品用写真注文のサイクル(1995~2000年頃)

※追記

 漏れあり。③と④の間にもう一つあり。③を⑤と同様に指示をだし、再度焼き直しをする過程が漏れていた。よって、最後の⑦は⑦ではなく⑧となる。面倒なので他は修正しない。こうした記述は写真史とか科学の発展史として、将来、多少意味をもつかもしれない。

 また上記は作成過程の流れの解説(一般用)であり、親戚・近所類の作成時の単価には(序)の減価償却費や交通費は含めてない。その前に請求予定・もらう予定ないため費用計算も通常はしない。ただし、それでも御礼されたり、誹謗中傷等の気配を感じたときに、やむをえずザット見るときがある。その場合でも原則として、上記表の(序)は費用には通常含めない(本当は含めるものであるが)

【1995年~2001年の②以降の一段階ごとの経路】は以下。
(1)家→車で写真店A→津山現像所→写真店A→車でとりに行く→そしてチェック。
(2)4W、6W等=車で写真店A→津山現像所→岡山のラボ→津山現像所→写真店A→車で引取りに行く。②から⑦まではいずれもそう。

 ※一時は(ネガの)キングサイズですら、津山現像所から岡山へ移送のはずである。

 ※コダックやクリスタル焼き→車で写真店A→津山現像所→大阪のラボ→津山現像所→写真店A→車で引取りに行く。
(3)4Wの場合には上記(②~⑦)となり、このサイクルを5~6回繰り返し、贈呈用一枚ができる。
(4)2Lですら②~⑤と四回繰り返して、贈呈用の一枚ができる。

ポジの現像やRPプリント(Lサイズを含む)はちなみに約6年前は以下であった。
我が家→自転車で写真店A→津山現像所→高松のラボ→津山現像所→写真店A→自転車で引取りに行く。②から⑦まではいずれもそう。こうしてこのサイクルを七回行うとなる。


(六)後ろの小母さんへの当時の返答。

後ろの小母さんが「たかちゃん、足りた」と聞いてきた。
私は答えた。「足りた、足りた。余った金でアイスクリームを買うと、食い過ぎて困った」と。
すると、後ろの小母さんが、大変うれしそうな笑顔を浮かべ、そこですべて終わっていた。ちなみに、小母さんの表情は多く渡し過ぎて損をしたという表情とは無縁であった。本当にうれしそうであった。私に言うわせれば、これで全て上手(うま)くいっていたのだから、他人が介入せねば万事OKだったのである。

(★注3:2018/07/13 2:21) これはまんざら嘘でもない。何故ならば、私はうしろの家への請求額は0円のため、三百円もらっても請求額よりも三百円多い。15円もらっても請求額より15円多い。五千円もらえば五千円多い。1万円もらえば1万円多いともいえる。再度言えば、近所の人間に請求したことは過去一切ないことのみが事実である。

 《この部分は突如書いたのではなく、逆である。下書きしおり、掲載するはずであったものが、何故か、清書では漏れていた部分である。2013年に従兄弟に送付の手紙にも明記していた部分である。2018/07/14追記》


要するに、これで終わりでよかったのに。
足りたかどうかも、含めて、もはやこれで終わりが誰にとっても良い。
それ以上の謎解きは止めた方がよかろう。
(村のアルバム関連以外は、場合によればそれも)「我思わぬのに、我あり」が本質と思われる。
ちなみに、撮った写真はどうする?
当然、近所類の写真はプライバシー権に配慮して一切使えない。
使えない写真を撮ってどうするか。

どうしようもない。
母が墓で「うらめしや」と言っている。
だが、母も言うであろう。
「まあ、それでも、後ろの小母さんのだから、まあよいか」
否(いな)、
時が経(た)てば分かるであろう。
若しくは冥土で分かるであろう。
ひょっとして、父が仕組み、母が共謀であったなどが…。


私は昔に戻りたい。
こうしたとき、大昔の私ならば言ったであろう。
「今更、誰かが文句を言ってどうなる。もうアイスクリームを買って食った。当時はまだ水洗便所ではなかった。だからその糞でも畑にまいておけ」、と。
これは名案である。
これで、事実上「写真残酷物語・第一話」は終了。
これが全てである。
ちなみに、江戸時代は糞尿は売れた時期があった。逆に、石油は燃える汚い、飲めない水として嫌われた存在であった。
世の中、何が、幸運(幸うん)か分からない。

(2018/07/13追記)1994年~1999年6月までは村のアルバムを作るという母との契約があった。勿論、個人使用はプライバシー権問題などからできない。50~100年後には意味を持つであろう。しかし、上記終了後や、必要がないものや、目的終了の家では…では…?


この家の写真を過去使用したことはないと思うし、また今後使用することは一切ない。プライバシー権問題などがある。更に使用の必要性もない。
ただし、過去に一枚だけ暑中見舞いか年賀状何かでこの家のお孫さんだけに送付したことがある(記念になろうと思い)。他の人には別の年賀状か暑中見舞いを使用している。
私のHPなどに掲載できるはずがない。また必要性もない。この家以外の家も原則同様である
なお、ときどき、百合の花(子蛙と百合)を使用したものがあるが、あの花は我が家の敷地内にある百合の花と、我が家の前で絵画とともに撮影した百合の花である。この家の長男に送付した百合(百合と子蛙)は我が家の敷地内の百合の花である
では、何のために撮ったか。第一話で書いた通りである(村のアルバムの関係で撮っただけである)。それと既述の如く、この家の住人から撮影依頼(少なくとも事実上の撮影依頼)…があったからである。若しくは「我、思わぬのに、我あり」が真相である。大義的な面は次回の村の撮影の不可思議について記す(ただし、次回はジョーク型で書く方針である)。


次回は付録で、このときの撮影にまつわる面白い話を記す。
次回は正真正銘のジョークである。
私の好きなジョークである。
同時に我が家の百合と子蛙の写真を公開できれば公開する(これは我が家で撮った白百合の花の方である)


本日2018/07/11 23:33掲載。明日掲載前に突如かかされた部分は紫色で表記する。私は誤字・脱字を除き明日新たな分を記す予定はない。催眠類で追記させられる危険があるため、23:34記しておく。2018/07/14追記→ミスで、通常の追記の一部も紫色で記した箇所がある。

2018/07/13追記(従兄弟宛送付手紙の控え文書《特に単価部分》は改竄された疑惑が多数あり。少なくとも下記疑問があった)