徒然なるままに№17・写真残酷物語・第一話後のオバチャン(3)

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徒然なるままに№17・写真残酷物語・第一話後のオバチャン(3)

《見出し》(七)花音痴―この花、何の花→花の名を聞くと小母さんが逃げる。黒柳徹子さんとの常識外れ名勝負、(八)撮影原則―再度、仕事以外ではカメラ使用の厳禁を、(九)催眠強制撮影被害。2013年訪中、写真トラブルは中国でも詳しく知られていた。最後にメルケルさん、ドイツ民謡『故郷を離るる歌』をやろうよ。

■更新

2018/07/17 5:12


(七)花音痴―この花、何の花

今度こそは当初予定のリズムで記す。
下記写真2枚を御覧いただきたい。

一枚は我が家の「百合と子蛙」である。

※写真はクリック一度でパソコン画面大、二度で巨大

『百合と子蛙』我が家の百合(03-016-25-f)

もう一枚は、阪神尼崎駅前の「花」である。

阪神尼崎駅前の花(16-021-025)


ここでは、「百合」と書かずに「花」と書いた。
何故か。
もし、後ろの小母(おば)さんと下記の逸話がなければ、私は大恥を書いていた。
尼崎のホテルに着くや、まず、私は聞いただろう。

「阪神尼崎駅前に、面白い花が大量に咲いていました。あの花は何の花ですか」、と。
するとホテルの人はどう答えただろうか。
しかし、私は聞かなかった。
もう、この花の名前は1996年頃に知っていたからである。

1996年頃とは43才頃である。
逆に言えば、43才頃まで、この花の名前を知らなかった。
それを知るきっかけになったのが「後ろ」の小母(おば)さんとの会話である。
この話は実話である。
拙著『日本のフィクサーME・上巻』(Kindle・Kobo各百円)に書いている。
徹子の部屋での逸話とあわせて紹介しよう。
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……
また、プロ野球四百勝投手・金田正一氏との対談では、「国鉄(当時スワローズ)の金田です」の自己紹介に対して「ところで、どちらの駅にお勤めですか?」と尋ねたという。こうしたことを思い出し、二〇一〇年頃我が家で独(ひと)り言(ごと)を言ったことがある。すると、〝てっつぁん〟はふてくされ、二〇一〇年秋の番組で投げやり型で私に反論をしてきた。

「私は、昔、ある宿に泊まったことがあるの。すると、もの凄く綺麗(きれい)な山が見える部屋だったの。そこで女将(おかみ)に尋ねたのね。あの山、随分綺麗ね。何という山なの」
女将は半ば怒ったような雰囲気で言ったそうである。
「あれは富士山です」、と。

黒柳徹子が富士山を見に来たと考え、彼女のために心遣(こころづか)いしたのに、富士山も知らないの、という雰囲気で。その後彼女は当てつけがましく、私に「私はどうせ世間知らずですよ」という雰囲気で投げやり風に言った。そこで私は馬鹿馬鹿しくなり、投げやり型で応(こた)えた。

「応えるって何を言ったの。慰めでもしたの」

「いや、九五年頃、僕が隣の家の畑で綺麗(きれい)な花を撮っていたときの話をしただけさ。当時、花の撮影をしていると、隣の小母(おば)さんが出てきたんだ。そこで僕が小母さんに、『この綺麗な花は何という名前なの』と尋ねたんだ。だけど、小母さんは答えず、気まず悪そうに逃げるようにその場を去っていったんだ。

その花をいろいろな地で撮っていたため、その花の名前が気になり、花事典やインタネットで花の名前を調べたよ。もの凄(すご)い時間がかかったね。花の名前自体が分からないのだから、調べようがないもんね。花の写真はあっても名前が分からないのだから。根気強く、花の写真を片(かた)っ端(ぱし)から見ていった。するとそっくりな写真があったんだ。その写真の下には百合(ゆり)と書いてあった。ああ、これが百合なのか。初めて知ったよ。当然僕だって百合の名前は知っている。何故(なぜ)ならば英単語を覚えるときにLily=百合とあったんだから。名前も聞いたこともあるよ。花も見たことがある。だけど、花に名札がなければ花と花の名前が一致しないだろ。

『隣の小母さんも知っているならば教えてくれればよいのに。名前が分かればすぐに事典で調べられるのに』と言うと、五つ上の従姉(いとこ)が、『それは多分、言えないと思うわ。その小母さんの心理がよく分かるわ』と言っていたけどね。

因(ちな)みに、花は田舎のため多数見ているし、花の名前も、英語やドイツ語の本を原文で読んでいると多数出てきた関係で、辞書を引き覚えているんだ。だけど辞典には写真が掲載されていないものがほとんどなんだ。せいぜいイラストまでだ。そこで、花と花の名前が一致しないものが大半なんだ。大学時代には花と名前が一致するのが十程度しかなかったよ。亡(な)き姉が、いつも僕が花の名前を知らないので面白(おもしろ)がっていたんだ。因(ちな)みに、僕が写していた花は、百合、具体的にはテッポウユリという花だった」

私の話を聞き、黒柳徹子は啞然(あぜん)とし、私は世間知らずの横綱ではなく大関だったのか、という顔をした。

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抜粋終了
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これは実話であり、この近所の小母さんが「後(うし)ろ」の小母さんである。
要するに、私の花への関心度と知識はこの程度である。
私の長姉や次姉ならば知っているであろう。

とは言え、花を見るのは気持ちが良いとは思う。
ただし、私が恥を書かないように名札をつけてもらいたい。

(八)撮影原則―再度、仕事以外ではカメラ使用の厳禁を


この夏、私の近所や親戚の人の墓参りを大量にしようと考えている。
そのときに、後ろの小母さんの墓にも参る予定でいる。

いつも、小母さんは私がこうしたミスをすると、「知らなくても恥ではない」と言ったが、百合はそうはいかなかった。
今度は、墓の下から言うかもしれない。
「隆ちゃん、写真代金は高いかもしれないけれども、百合の花の件で花の名前を覚えたら良いと知ったとすれば、授業料は更に高いわよ」と。

とは言え、私も本年で66才になるにも拘(かか)わらず、花の名前はまだ十幾つ程度覚えただけである。正確に言えば、花の名前は幾つか知っていても、実際の花を見て名前と一致するのは十程度かもしれない。

 ▽
だが、この年になって、もはや英語やドイツ語の学習をしたいと思わなくなったのと同様に、もう花の名前は覚えても仕方がないとも思う。

私の花への関心度はその程度である。また、花はどこに咲いた花かを重視する。即ち、仕事に関係する地の花か・無関係の地の花かである。同じ花でも、日野富子の墓周辺の花とか、義民の碑の花は撮影価値があるし、通常の地の花ならばさほど撮影価値はない。前者の場合には『旅に心を求めて』シリーズの原稿に挿入できるが、後者ならば原稿での活用はないからである。

なお、私が自分で最初に植えた花は秋桜(コスモス)であった。
しかし、タイプが違うコスモスであり、どうなったかの逸話を「気が向けば一言」に掲載している。これも実話である。

気が向けば一言【徒然】№011:ああ、無情!雑草抜き、今分かった、あれは花であった
○http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/%E3%80%90%E5%BE%92%E7%84%B6%E3%80%91%E3%81%82%E3%81%82%E3%80%81%E7%84%A1%E6%83%85%EF%BC%81%E9%9B%91%E8%8D%89%E6%8A%9C%E3%81%8D%E3%80%81%E4%BB%8A%E5%88%86%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%81%E3%81%82/

【徒然】№011:ああ、無情!雑草抜き、今分かった、あれは花であった



私も、昨年11月で65才となった。
いつ、冥土に召されてもおかしくない。
そうした今日、近所・親戚との、昔の思い出を振り返り、親戚・近所といがみ合いながら死ぬのは好ましくないと考え出した。
その一貫として、本年夏に、近所の、昔の小父(おじ)さん・小母さんなどを思い出しながら、墓掃除のついでに、我が家の墓界隈(かいわい)にある、墓参りをしようかと考えている。

幸いに、後ろの小母さんとは死ぬまで、もめることはなかった。だが、誰の謀略か不明も、多くの近所の人達ともめるように仕向けられた。ほぼ全てが、私が播(ま)いた種でではなく、他の誰かが播いた種か、誹謗(ひぼう)中傷やデマが原因であった。

だが、それでも、人生の最後は良い思い出の方を重視したいと思うものである。

今回の写真残酷物語は、こうした目的から軽快に明るく記す予定でいた。ところが、誰が怯(おび)えたのか不明であるが、催眠や催眠誘導の連続、記述妨害の連続であった。
誰かよからぬ人間が、何かデマを飛ばしたのかもしれない。
だが、それでも、人生の最後は良い思い出を重視したいと最近考えるようになった。


後ろの小母ちゃんは(1)や今回の(3)の如く軽快に記す予定でいた。ところが、(2)は重く、ごく一部であるがシリアス(辛辣)な内容となっている。寝ている間、記述前での催眠類、更に下書き内容改竄(かいざん)類などの関係である。
余分な記述を強いられたのみか、逆に、下書きなどに書いていた重要なことを清書段階で書き漏らすような細工もあった。記述漏れの重要な点は下記の内容などである。

(★注3:2018/07/13 2:21) これはまんざら嘘でもない。何故ならば、私はうしろの家への請求額は0円のため、三百円もらっても請求額よりも三百円多い。15円もらっても請求額より15円多い。五千円もらえば五千円多い。1万円もらえば1万円多いともいえる。再度言えば、近所の人間に請求したことは過去一切ないことのみが事実である。
 《この部分は突如書いたのではなく、逆である。下書きしており、掲載するはずであったものが、何故か、清書では漏れていた部分である。2013年に従兄弟に送付の手紙にも明記していた部分である。2018/07/14追記》


上記を確実に記載予定が漏れ、後に(2)に追記した箇所である。

ただし、トラブルが多いため、仕事以外ではカメラ類は一切使用しないと2013年に宣言したため、その通りとする予定でいる。
なお、この宣言は1994年にしていた。実際に、同年末の家族旅行のときも母や家族写真は撮っていないに等しい。
次姉の子(姪)も、1995年に姉から撮影を依頼されたが、撮影した後でプリントもせずに、フィルムごと姉に贈呈し(私は当時から現在まで所有していない)、「僕にも数枚でも良いのでプリントをくれ」として処理したくらいである。
「近所・親戚の写真撮影はトラブルの原因となる」と明確に言ったのは私である。それもカメラを開始した1994年に言っている。

それが様々な形で…である。しかし、2013年に再度宣言し、今度は今現在も実行中である。近所・知人の撮影原則は以下しか応じないと宣言しHPに掲載してもいる。


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(B)撮影について(2013年に姉・…に送付した文書より抜粋)
……
《知人・友人類で撮影が可能な場合》
①撮影場所が仕事(原稿等々)に関係する地であること(例:野麦峠、広島原爆ドーム)
②同上の地にて、撮影対象を生かすために人物をオブジェの如く配置する場合。
③上記①への協力(車での案内等)があった際には、その返礼で①に限定して撮影と贈呈。
④これらの写真は仕事活用するに当たり、私が無条件で自由に使用できること(私に対して、各人の肖像権の放棄)。
⑤但し、①は既に撮り必要ない地や自分一人で行く予定地などを除く。
……
※母・誠死亡を契機に、カメラ・写真は昔の如く仕事以外には使用しない原則に戻し、姉等に通達した文書より抜粋。

○http://h-takamasa.com/Blog-2/Archives-3/item/222/

撮影原則(近隣・親戚)

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抜粋終了
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なお、後ろの小母さんと1995年頃、後ろの家の庭での会話を紹介しよう。
私「万一、近所・親戚類を撮っても、御礼は絶対にお断りとしている」
後ろの小母さん「たかチャン、それは当たり前」
「タカちゃん、写真は道楽や」
私(仕事で使用しているがややこしいので)
「小母さん、本当にそうや。だから母や姉以外からは絶対に御礼はお断りとしているのだ」


実際に、私が直(じか)に相手と話すときには写真贈呈の際に御礼お断りを何度も言っている。そして、高額の礼をされた場合に返金できぬ状態のときは、もはやその家や、関連者の家などの撮影は行っていない。(私がシュバイツァーなどの影響を受けたことは随所に記した通りなのであるが。)

ところが、母が生存中には母が何かを言った疑惑がある。特に母の姉妹(私の伯母)などには。私の方はチンプンカンプンで、年月が相当経(た)ってから気づくことが多かった。だが、それらは今日の原稿以上に、もっと面白おかしく、いつか記したいと思っている。

さらに、今回の原稿では、何故か狂ったように原稿妨害の兆しなどがあるため、伯母類の思い出は別の機会にしたいと考えている。
今回は後二話程度にしたい。
結婚式関連の話題である。
一つは科学技術の発展からコスト問題を論じる。かなり学術的となるかもしれない。同時に今日のデジタル化に至るまでの、企業の歩みと挑戦、それと私との関連などである。
後一つは、百メートル走者が走ればいつも新記録がでる訳ではない。写真も同様である話の延長類である。向かい風類の問題も含めて。
こうした視点から二話を論じるかもしれない。
激しい謀略・策略・デマの気配を感じたが、ありのまま事実を知るそう。そのとき、誰も困る人間はいないと思う。



(九)催眠強制撮影被害

なお、写真でのトラブル問題は世界中に知れ渡っていた。
2013年中国に行ったときに、ツァー仲間などから様々なカメラ関連の挑発があった。
「プロの腕を見せてもらおう…」
私はカメラのプロではない。私は教師であり、今は生涯教育類も含めて著述業者である。自分の本に使う写真を著作権の関係で自分で撮っているだけである
だがややこしいので次の一言を言った。
「私はプライベートではもう撮らないと宣言している」、と。
すると、中国のツアーでは翌日は蚕(かいこ)さんの所に、その後で中国の結婚式場につれていかれた。しかも、本物の結婚式の最中であった。
そして新郎新婦が私の前に立ちはだかり、撮ってくれと言わんばかりであった。だが、私はシャッターは一枚も切れなかった。
すると、ツァー仲間が言った。
「撮る振りだけでも良いし、一応撮って、デジタルだから後で消去すれば良い。とにかくシャッターを切ってあげなさい」と。
それでもシャッターは切れなかった。
かなりの時間新郎新婦が私の前にいたが、やがてあきらめて離れた。
中国(訪中)と韓国(訪韓)の話は『日本のフィクサーME・パート2』で記述予定でいる。下書きは相当終了し、2017年出版予定でいたが、出版待ち原稿や超多忙で未(いま)だに出版できずにいる。


最後に二つ。
一つは催眠的な被害である。拙著『閉じた窓にも日は昇る・下巻』(Kindle、Kobo各百円)
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⑥撮影問題。
 私は授業屋・プレゼンテーション屋である。だが、「機構」か、映画説か、誰の仕業・陰謀・挑発かは不明であるが、撮りたくないものを何度撮らされたか。二〇〇二年四月頃、村の河原に十以上の鯉幟(こいのぼり)が突如出現。何度、撮影を拒否しても抵抗も空しく撮らされた。当然、怒り狂った。


 当時、我が家界隈の散髪屋にも小さな鯉幟があった。どうせ撮らされるならば、こちらが良い。近隣の鯉幟は豪華とはいえないかもしれない。だが、孫が大きくなればなるほど写真はその意味を語る。祖父が死した後はさらにその意味を語る。あるいは百年後、千年後でも写真は何かを語り続ける。川の鯉幟は十以上、川もある、花も探せばあるかもしれない。だが、そこに何があるのか。何もない。十年もすると村人は言うであろう。「見たことのあるような川だけれど、この川の鯉幟は〝何〟。じゃ、古里(ふるさと)の川じゃないわ。では一体この川はどこの川」と。懐(なつ)かしさも何も沸き起こらないであろう。まして、川の鯉幟は十よりは百、百よりは千、千よりは万が良いし、立派な物がよい。しかし、孫の祝い用の鯉幟は立派なのも結構、立派でないものも結構、自分で造ったものでも結構、いずれも結構である。どのような形態であれ、そこには人の想い(愛と情)がある。こうした事が他にも多々あった。


 第一、金はどうなるのか。私の老後を誰か見てくれるのか、となる。まず過去の膨大な作品群の補強写真を。これを崩されると餓死する。蟻地獄から抜けてから、飽きるほど故郷(ふるさと)は撮り、無料でみんなに配ればよい。その逆では、蟻地獄、底なし沼の道でしかない。
……
☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆
抜粋終了
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このとき、私は一回目は拒否した。何とか催眠はおさまった。二回目も拒否した。相当頭が悶々(もんもん)したが撮らずにすんだ。…その内、通院帰りに、川の鯉のぼりの前を通るともはや夢遊病者の如く撮影を強要された。(2012年4月3日等)
撮っている最中も、撮った後も怒りまくった。
これをやられると打つ手がない。
正式に正面から依頼をすべきである。だが、それでも撮影の優先順位があり、どうなるかは不明である。今ならば私の仕事(作品・原稿)に関係していなければ門前払いである。

 なお、このときに畑に入らされたと思うが、それで私に文句を言うのは幾ら何でも汚いと思う。さすがに、この件では誰も畑問題を言わなかったと想像するが。
一番畑に入りたくないというよりも、撮影したくなかったのは私である。

私は刑事犯罪被害(拉致未遂被害)等で1988年から我が家へ事実上監禁されている。
だが、表の世界で何かをした実感がない。これでは死にきれない。
そこで、私の人権回復を願う。
同時に、もはや人生の大勝負では田舎では無理である。だから、田舎や家からの解放も願っている。

また、内容が辛辣(しんらつ)になりかけたため、再度明るく書こう。
メルケルさん。
ドイツ民謡に良い歌があります。
その歌を用意してください。
確実にドイツ特集をしますから。
歌のタイトルは『故郷を離るる歌』(Der letzte Abend)
これが何故かドイツでのドイツ語版ではないのです。
ドイツで活躍した鮫島さんの歌を下記に掲載します

○https://www.youtube.com/watch?v=Om_fVtk39qA

 



(連絡事項)
①昨日(2018/07/16)23時頃「徒然なるままに№16・写真残酷物語・第一話後のオバチャン(2)」に大きな追記を二つ。
②知人間での写真撮影費用は相手への精神抑圧となる危険があるため公表しない。尚、従兄弟宛手紙に何故か単価類があったが、今回の家などでは相当違っているとしか思えない。超多忙で私がミスをしたのか、改竄(かいざん)かは不明である。だが、外部には公表しないが正式方針である。正当な理由があれば別である。