「2013年の真相」№4―1章・1節・訳ありツアー(日本のフィクサーME・パート2の一部に該当):正式公開

「2013年の真相」№4―1章・1節・訳ありツアー(日本のフィクサーME・パート2の一部に該当):正式公開


2020/12/04 14:52掲載 (β)本体のみ。後日、(α)の2020年追記・解説、(γ)の写真や動画挿入予定。

2020/12/16 23:39 (β)の公開用下書掲載中。2020/12/17 0:18連続掲載。

2020/12/17 18:12 (α)部分一部追記

2020/12/18 21:01 (β)に写真を添付。

2020/12/21 20:56 (α)関連箇所を記述中。

2020/12/21 21:25一応完成 21:41微修正

2020/12/22 00:01正式公開予定。(誤字脱字を含む微修正は行うかもしれない。)

2020/12/22 18:04 Twitterの一部がポップアップしていないリンクアドレスがあったため、ポップアップしている同一内容のリンクを貼り付け。


 

(📷は一度クリックでPC大、二度クリックで巨大)

2013年の真相―№4
α(一番上に2020年追記)
β(真ん中本体・原則小学館に送付したまま)
γ(📷写真・🎦動画の挿入)
2020/12/16 23:41からβのみ順次掲載開始。後でαとγを掲載予定。
全体目次は下記。今回は第 1章の第一節。

2013年の真相・目次

 



α(一番上に2020年追記)

2020/12/17:項目のみ記載、内容は後日。

2020/12/21 20:55 関連ブログ類を掲載した。


①当時の状況→日中一触即発状況。少なくとも小競り合いは。中国挑発外交にも見えた。

(参照)☞(公式ブログ)「日本のフィクサーME・パート1からパート2へ―我が目で見た民主党政権から自民党政権へ⑦⑧」の中の、特に【◇―12・2013年の執拗な、中国挑発政策の謎】を参照。

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=27209

②第二次安倍政権で、安倍晋三氏が真っ先にしたことの一つが、日本のフィクサーME登場のボン(すなわち、私)対策であった可能性が高い。安倍昭恵氏の件は事実である。2013年3月頃、安倍昭恵氏が私の故郷・美作市に来訪したことから始まる。一連の安倍氏の関連の動きの箇所は以下である。

(a)安倍昭恵氏、美作市福本の棚田名誉会長、美作市湯郷へ来訪、…。

(b)今回との関係の有無は不明も、トヨタモバイル基金(会長は豊田章男氏)が2億円以上、美作市に寄贈…。

(c)今回との関係の有無は不明も、小泉純一郎チルドレンの一員とも言われた萩原氏が美作市長に…。

 小泉純一郎氏と私は腐れ縁がある。だが、(私と同じ岡山県の)萩原氏の件は何も相談どころか、何も聞いていない。当時、安倍晋三氏が幹事長で…という噂もあるが、萩原氏は後に舛添要一氏と一緒に…もあり、特に意味はないかもしれない。少なくとも、中央政界では全く「無」に近い。同じ小泉チルドレンでも、私と関学同期の小池百合子氏の方が目立っていた。少なくとも、2005年の萩原氏の衆議院選挙関連では、岡山選挙区にもかかわらず、小泉純一郎氏からは全く何も聞いていない。名前すら、彼が美作市長になるまでは全く知らなかった。中央政界では「無」に近く、この原稿に名を書いても、世界はおろか、国内でも誰も関心を持たないであろう。大昔の小泉政権時代に、小泉純一郎氏に「政治のブレーンは誰…」の如くことを何気なく聞けば、小泉氏が「…一人はあんたとこ…」と、多分関学の宮内さんを指してのことと思われた。宮内氏とはオリックスの宮内会長である。萩原氏のことは「は」の字も聞いたことがない。

◎第二次安倍政権になってからの、安倍晋三氏関連の美作市への接近模様は以下である。

☞「気が向けば一言【政治】№123・日本のフィクサーME・パート2付録編⑫・2013年訪韓の経緯―3・企業説-2」

  ○http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1063/

☞「気が向けば一言【政治】№124・日本のフィクサーME・パート2付録編⑬・2013年訪韓の経緯―3・企業説-3」

  ○http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1066/

「気が向けば一言【政治】№130・日本のフィクサーME・パート2付録編⑭・2013年訪韓の経緯―4・政治説」

  ○http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1089/

(同上一言№130の中のTwitterがポップアップしていない場合には、同一内容を下記に掲載しているのでこちらをご覧いただきたい)

(公式ブログ)気が向けば一言【政治】№130・日本のフィクサーME・パート2付録編⑭・2013年訪韓の経緯―4・政治説

  ○http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=24173

③私が経済や世界遺産選定に及ぼした影響。

☞(公式ブログ)「日本のフィクサーME・続編メモ:(二)・党派中立宣言と伊勢志摩サミット協賛の裏話―4(監視社会)」

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=15363

☞(公式ブログ)「日本のフィクサーME・臨時編⑦―不思議な人生と新しい社会を目指して」

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=25601

④2013年訪中の際に、何故か、写真代金挑発…が多かった謎がある。

 ちなみに、写真残酷物語一話は1998年の事件。2013年ですら、15年以上経っており、何故、この頃に突如挑発を受けたのかは謎である。かなり、写真に絡む挑発が多かった謎がある。母死亡の翌年、若しくは偶然の一致かもしれないが、第二次安倍政権発足からとも言える。

 また、何か女性に絡めた挑発の気配も、2013年から開始する。相当長期間に亘り、気のせいか、若しくは冗談と思っていた。後に知ったが、安倍昭恵氏と布袋(ほてい)氏とのキス?報道が2015年されていたようである。布袋とは拙著「日本のフィクサーME」登場人物である。同姓の人がいないように、変わった名字としたのであるが、同一姓の人が安倍昭恵氏絡みで登場していた。なお、布袋氏のモデルが、私の危害の原因は「ひとまちがい」であると明言し、当初、真に受けなかった私が、本格的にその件を記述し始める頃、布袋さんのモデルは死亡した。これは実話である。

 やむなくかなり解説をしかけたのが、実に、2020年頃からである。プライバシー権・幸福追求権より、記述はすべきでないが私の見解であった。

しかし、30年以上受けた(意味不明の)危害が、人間違い被害だった可能性が高く、やむを得ず、(ジョーク以外は実話である)【👧回想】でメモをし、後に、(嘘を5%入れたフィクション)「日本のフィクサーME」シリーズでまとめようかとも考えている。同時に、2020年の選挙で、(国内外の)我が友人が私に絡めて不利になることは問題があり、やむを得ず、こうした問題も徐々に書きかけた所である。私は党派中立・宗派中立であり、個別選挙支援は原則としてしない方針である。しかし、私との絡みで、我が友人達が不利になる場合には、やむをえず、火の粉を払わねばならない。火の粉とは選挙と無関係な「女性」「写真代金問題」「思想問題」などである。



⑤下記本文関連の経済界首脳関連の資料の一部。(経済界の話は1章3節などに登場してくる。)
☞(総合案内所・冠婚葬祭ブログ)「追悼―森下洋一様(関学前理事長・松下電器元社長)
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?service=8296

★【日本のフィクサーME・パート2関連原稿】(2013年の出来事の裏の真相)

(1)パート2付録編{主として「気がむけば一言」に掲載}・

(2)パート1~パート2へ。{公式ブログに掲載}

(3)2013年の真相{現在掲載中の原稿。出版社にも数社送付済み}

 



β(本体・2014年記述)・2020年8月に少し追記(追記箇所は全て追記記述をつけている。)


第1章・MR・習近平、プリーズ―中国への旅(中国会談全貌)

 

 

 第1節・訳ありツアー

 

二〇一三年五月九日、関西空港発十六時十分の全日空機で中国へ旅立つ。大阪から関空へ向かう道中、空は快晴であった。乗り物好きの私は、飛行機の窓側の席で外の風景を見続けていた。窓からの風景は、最初は青空であった。やがて薄い雲が見え始める。

その雲の隙間から海や島々が見えた。だが、十七時四十九分に雲の間から少しだけ青空がのぞいたのを最後に、その一分後から雲が一面を覆い出す。飛行機の周りは真っ白い世界となり、何一つ見えなくなった。やがて飛行機は一八時二十六分に上海空港に着いた。
【📷・上海空港】(写真はいずれも、クリック一度でPC大、二度クリックで巨大)

上海空港:2013年5月8日:18時30分(日本時間:中国との時差は1時間)



上海空港には馬(マ)ーさんと言う人物が迎えに来ていた。送迎車は、ツアーのため、当然バスと考えていたが、小型マイクロバスであった。マイクロバスには「健衡」という文字が書かれていた。私を除く一行は五人しかいなかった。
一人は姫路にいる元公務員であり、私と同い年と言っていた。名はY氏という。中国語が堪能と思われ、中国にしばしば行っているように見受けられた。次が学校の教師か弁護士を連想させる二人の男性が一組で参加していた。
残りは、七十代と思われる夫妻であった。私以外の残り五人は知り合いのようであり、彼らはこの夫妻の旦那さんの方を社長と呼んでいた。この社長は芦屋在住で、全日空の社長と知り合いと言っていた。こうして、私達一行の旅は始まった。旅の最初に、この旅がどういう旅になるかの種明かしがなされた。
【送迎車📷は第3節で掲載】


第一が監視体制の下におかれるという暗示である。上海に着いて最初に行った食堂では、客が一人もいなくて閑古鳥が鳴いているというよりは、臨時休業していたのを、私のために開けているという雰囲気であった。
即ち、徹底的に私を隔離・監視するという暗示である。実際、関空では金属探知機のゲートを通るときにブザーが鳴りまくり、軽度の身体検査を受けた。上海空港でもブザーが鳴り弱った。金属類は何一つ持っていなかった。必要な鋏・爪切りさえ持参していなかった。関空では安全ピンが感知したのだろうとなった。安全ピンとはツアーのバッジをつけるための安全ピンのことである。中国では原因不明であった。

なお、日本を発つとき、関空のボディチェックの担当者に英語でいつもの台詞をいった。「I’m only teacher, meek and humble」(「私は質素で慎ましい、単なる教師にすぎません」)、と。だが、それでは済むまいという雰囲気であった。いつものことである。一体、私は〝何もの〟か。それは私にも分からない。今は日本のフィクサーと称しているが、世界中が注目をしているとしか思えないからである。


第二が、道中、食事は質素にするという暗示である。これは、君(私)のダイエットに協力してあげるのだ」、という意味である。同時に君のことは調べ尽くして全て知っているという意味でもあった。
中国や米国は、驚く範囲まで、私の詳細な情報を収集していた。
上海の最初の食堂で出されたものは、中途半端に生ぬるい食べ物であった。一番、美味しさを感じにくい温度で出されてきた。他のツアー客は美味しくない趣旨の言動をしていた。だが、誤算があった。私は、亡き母に鍛えられ、粗食を数十年食い続けてきた男である。実際、私には大変美味しかった。そこで、余分なことを言ってしまった。「これは美味しいですね。これは豪華な食事ですよ」、と。

これを言ったため、次回からは、温度は適切であるが、今度は本当に美味しくない料理が帰宅するまで続いた。これでは家で自炊した方がましという料理であった。亡き母のつくった料理並みかそれ以下と言えば、私の姉ならば分かるであろう。
その上、お茶の本場にも拘わらず、お茶が大変まずかった。回転寿司チェーンや吉野屋のお茶が酒で言えば特級酒に感じるくらいにまずかった。
この旅では、食事は封じられるという暗示をここで受けた。実際、朝・昼・夕食をレストランで食べ、それ以外にコンビニで飲食物を購入したにも拘わらず、帰宅したときには数キロ痩せていた。穿いていたズボンが途中からずって困った。


しかし、Y氏から、これは「君への中国政府の配慮だよ」という暗示を受けた。と言うのも、二〇一〇年から体重の異常増加が起こり、幾ら減量をしても、体重が減らずに困っていたのである。恰も、男性ホルモン異常から起こった病的な形で。そこで、Y氏は、君のことは中国政府は全て調べている。だから、君の減量に中国政府は協力をしているのだよ、と言わんばかりであった。

実際に、後に述べるように、中国では、私のことは何から何まで知っていた。
高所恐怖症であることも。体重を減少させる努力中であることも。私の仲の良い女性、『日本のフィクサー〝ME〟』ではオジョウという名で登場した女性のことも。私が冗談好きの人間であることも。カメラ関係で親戚・近所ともめたことも。結婚式撮影にはうんざりしていることも。我が家近くの家に写真を贈呈し続け、お年玉と称して一万円渡されたことも。勿論、事実上日本のフィクサーの一員とされていることも全部知り尽くしていた。

因みに、どのホテルにもヘルスメーターが備え付けられていた。なお、食事は全部まずいと記したが、朝食は別で、ホテルのレストランの朝食はいずれも私好みであり、すべて満足した。


第三が、このツアーは訳ありツアーであることを、嫌というほど強調された。
Y氏「今回の旅行費用は幾らですか」
私「基本料金は二万九千九百円です」
Y氏「それも、往復の飛行機代だけではないでしょう。別に何が含まれていますか」
私「往復の飛行機代以外に、六泊分のホテル代、約十八食の食事代、上海から蘇州、蘇州から杭州、杭州から上海までの現地の移動費、それと世界遺産や観光地への入場料及びクルーズなどの乗船料でしょうか」
Y氏「それはどういう意味か分かりますね」
夫妻「私達も、これでは旅行業者の人が気の毒になったのです」、と。
温家宝首相時代からの経緯を知っている私は、簡単に一言だけ言っておいた。

「気にされなくても、業者はCMその他で困ることはないのです」
というのも、私のCM効果はかなりあるとしか思えない経験を過去に何度もしているからである。一例だけを挙げておこう。一九八八年に島根県の石見銀山に行った。観光客は誰一人来ていなかった。

採掘跡のトンネルには電気もついておらず、下も整備されておらず、危険なため入り口には金網があり、進入禁止とかかれていた。単なる、鉱山跡に過ぎず、閑散としていた。勿論、そこに行く道も一車線であり、しかも道は細く、車がすれ違うのも困難な状況であった。
私が石見銀山に何度も行くにつれて、客に出会い始め、観光化も進み、そして二〇〇七年には(「石見銀山は登録延期が適当」と言われていたにも拘わらず)世界遺産となった。こうした地が、私が行った所には山ほどあるからである。


さらに、今回の中国の旅には大きな目的があった。米中接近の画策である。そこで、中国にとっても、私が行くメリットがあると思われた。ただし、私自身は中国の意向を尊重し、胡錦濤・温家宝体制のときに行くか、習近平体制になってから行くか、それは中国が決めてくれ、という方針を立てていた。
シグナルとすれば、料金が正常ではなく、明らかに、訳あり価格と称して、私に来いという合図をしたときに行くと決めていた(これがソウルの旅では裏目に出ることはこのときには分からなかった)。

阪急関連ツアーが二万九千九百円をつけたときに、私は阪急のこのツアーに申し込んだ。申し込むと即座に催行決定とインタネットに表示された。だがこの日程が強行過ぎるため、後日、このツアーをキャンセルした。そして、似たようなツアーであるクラブツーリズムの方に申し込んだ。同ツアーの書類が送られた後で料金を振り込んだ。ところが、同社の方から、催行中止となりましたので、お払いになった料金は返金しますという通知が来た。既に、阪急の方は申込期限を過ぎてしまっていたし、一度キャンセルしていたが、再度申し込めるか、と念のため尋ねると「構いません」という形で、最初からの計画の如く、この阪急ツアーで行くことになった。

▽ なお、阪急とは多少なりとも因縁があるかもしれない。というのは、私は昔、大阪で何度も倒産した安い某ホテルを常宿としていた。だが、関学の先輩であるI氏が新阪急ホテルに宿をとり、私を招待したことがあった。その後、パナソニック元社長森下洋一氏(二〇〇八~一三年の関学理事長)、オリックス会長・宮内義彦氏、シャープ元社長・辻晴雄(第三代社長)など関学出身者が、このホテルで時々私的会合をしたことがあるという情報をインタネットで得たため、このホテルに興味を持ち、この新阪急ホテル群を定宿としだした経緯がある。
【📷森下洋一追悼】

追悼・森下洋一様


学閥等はどうでもよいが、阪急は出身学校でも縁がある会社である。阪急は慶応閥と考えていたが、阪急グループでは関学出身者が社長となるときがよくある。例えば、新田信昭(一九七〇・経卒)阪急百貨店代表取締役社長、大橋太朗(一九六二・経)阪急電鉄代表取締役会長、阪神も阪急と合併したので記せば、西川秀郎(一九七五・経)阪神百貨店代表取締役社長等々である。現時点で彼らがどういう役職についているかは不明である。更に 阪急阪神ホールディングス代表取締役社長の角和夫氏は早大政経学部卒業であり、私の二番目の大学(早大)出身者である。学閥などはどうでも良いが、私の卒業大学(関学)、修了大学院(早大)の二つとの絡みで、訳ありを臭わされたことを強調しただけである。

多分、これらは偶然ではないかもしれない。と言うのも、私の実家近くには田舎温泉があり、アクセスが悪く集客力がないにも拘わらず、一時、吉本興業がこの温泉町で興業していたことがある。そのときの社長か会長かが、関学出身の中邨秀雄氏であった。通常ならば、確実に赤字確定の田舎温泉で、吉本が興業する訳がないとしか思えない。当然、今は吉本は来ていない。

そう、もう一つ思い出した。先輩I氏と私は関学時代に阪急宝塚ホテルで一年ほどアルバイトをしたこともあった。宝塚歌劇の近くであり、私の当時の渾名が、高島忠夫(関学中退)をもじって、〝ボン〟であった。
【📷・旧宝塚ホテル】

ありし日の宝塚ホテル(現在移転):大学時代に一年間アルバイトをしていた。

宝塚ホテルの中


おまけに、私がこのホテル群を常宿としだすと、徐々に料金が下がり、私が昔常宿としていた安価なホテルとほぼ同一価格となった経緯もある。もっとも、私が日本経済を肌で感じるため、ホテル行脚を開始しだすと、新阪急ホテル・アネックスなどは、二〇一三年途中から、徐々に元の価格に戻る途上にある。
【📷・第一ホテル】

第一ホテル・フィルム式カメラで2009年春撮影(格安で泊まった。)ここは旧版神系ホテル

この中国ツアーのため、前日の宿泊先は新阪急アネックスホテルであり、空港へのリムジンバスには新阪急ホテルから乗った。
学閥などは、反学歴派の私にはどうでもよいが、この中国ツアーは、訳ありツアーと意識させられたことを強調しただけである。主催会社との因縁、旅行代金、Y氏などの言動(訳ありよ)、ほぼ同一価格の別会社のツアーに申し込んでも結局阪急に戻された経緯等々からである。それもあり、このツアーへの参加目的は、観光にはおいていなかった。では、私の中国旅行の目的は何だったのか。
【📷/新阪急アネックスホテル】

 

新阪急ホテル・別巻アネックス:2011年フィルム式カメラで撮影。(旧阪急系)・部家中から写す。見える神社が『日本のフィクサーME』に登場の神社。
母が重病のときに、アネックスや本館の新阪急ホテルを利用。ここも格安で泊まる。


 

2020年12月22日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA