日本のフィクサーME・パート5:断片:拉致問題と日韓従軍慰安婦合意(💁 正式公開)

日本のフィクサーME・パート5:断片:拉致問題と日韓従軍慰安婦合意(💁 正式公開)


【更新履歴】2021/10/29 2:08 下書掲載 2:24微修正

2021/10/30 18時~21:34 大幅追加と一部清書開始 21:38~21:55 清書作業を《◇2》までほぼ終了。22:00~22:42 《◇3》と《◇4》を終了。23:04 《◇5》も一応終了

2021/10/30 23:04 掲載準備をして、その後、公開までは一時閉鎖。2021/10/31 0:09追記

 

2021/10/31:  00:12 から正式公開開始(誤字脱字は掲載後でも修正予定)。1:36微修正。


 

《◇―1・2015年の日韓従軍慰安婦合意を巡って》

文在寅大統領が2017年5月10日に登場してきた。
彼が最初に気にした事項の一つが、2015年の日韓従軍慰安婦合意であった。

布袋(ほてい)
ボン、これは日本と韓国の約束事項だ。
それを覆(くつがえ)すと、日本の韓国に対する信用は失われる。
そればかりか、国際間の法秩序は失われてしまう。
その上、韓国政府の大統領が替わるたびに、全て御破算となってしまい、会談は無意味となる。


はかせ:
文在寅大統領様は、それでも、韓国のプライド、更には、過去の虐(しいた)げられた歴史を思うと、耐えられなかったのでしょう。


明神(みょうじん):
それでサー、ボンちゃんはどうしたら良いと思ったのだい。


ボン:
僕は日韓首脳会談合意の内容はほとんど知らないのだ。
敢(あ)えて、そうしている。

そこで、枠組みだけを言った。

①国際的正義―相手の力で合意させられた条約・契約は無効だ。
②契約後に新たな事実が判明した場合。
③この合意自体が、国連憲章や、国際法に違反している場合。
④日本の側から、この合意を破棄したいと申し出た場合。
⑤その他の両国の間での取引。


布袋:
ボン、①の観点から、こういうのはどうだ。
アメリカの意向で、韓国政府はやむを得ずに、いやいやながら合意したというのは。

ボン:
僕がこの目で見た範囲のことを歴史の記録として残しておこう。
一つ目は、この合意終了後に、当時の外務大臣・岸田文雄氏はホットしたという表情は見られなかった。逆に、日本国民から何を言われるか、そちらを心配しているように見受けられた。
安倍晋三総理は、無表情に近かった。ほっとしたとも、上手(うま)くいったとも無関係の無表情であったような記憶がある。せいぜい、愛想笑い程度のように思えた。
安倍氏に…の僕が言うのだからね。

他方、韓国の尹炳世(いんへいせい、윤병세、ユン・ビョンセ)外交部長官はホットした表情であった。
朴槿恵大統領は喜びを隠せない表情であった。
そこで強制とは考えられない。

更に、当時、何故か潘基文(バン・ギムン: Ban Ki-moon、第8代国際連合事務総長)氏がテレビから登場して、僕に元従軍慰安婦の人と対面させ、僕に何かを言ってくれという雰囲気だった。
そこで、僕は、「私が言えることは、あなた方はこの内容で問題がないのですか」であった。
従軍慰安婦の人は「Yes」とも「No」とも言わなかった。
潘基文氏が兎(と)も角、上手(うま)く、この合意ができることを願っていたようだ。


明神:
それでもサー、ボンちゃんサー、アメリカのオバマ大統領の意向で、朴槿恵氏もやむを得ずだったのではないか。



《◇―2・慰安婦問題日韓合意見直しについての提言》

ボン:
ミスター・オバマは国際連合とか国際司法裁判所の裁判官ではない。
そこで、何らかの裁定は下せない。
日本と韓国の軋轢(あつれき)を何とか納めたいだけだ。
極論すれば、(韓国の言い分+日本の言い分)÷2での調整しかできない。{私は、党派中立・宗派中立を宣言していることなどから、韓国側の主張も、日本側の主張も読んでいない。それどころか、合意文にも目を通していない。悪まで、アメリカが日本と韓国をともに重要な同盟国と言うならば、ナショナリズムも絡む問題は、理論からは韓国の言い分と日本の言い分を足して二で割るしか方法はないだろうと書いただけである。

その話は後でしよう。

ともかく、僕は、②③か④⑤を提案したのだ。
②は新事実を探す活動だ。
③は国際法の専門家が過去の前例などから、今回の合意と矛盾した内容を発見することだ。
これら二者は僕には分からない。

そこで、具体的な動きとすれば以下を試みた。
④と⑤の折衷案だ。
要するに、「日本の方から日韓合意の見直しをしたい」と申し出る場合だ。


明神:
ボンちゃんサー、そんなことありうる訳ないだろう。
安倍の殿様だよ。


ボン:
だから④の取引だ。
そこで、僕は、WinWinの上に、日本側から合意見直しをいう取引を思いついた。
確か、トランプ政権と文在寅大統領が登場した頃だ。

2018年ころだっただろうか。
この頃は、米朝首脳会談が軌道に乗りつつあったときだ。
僕の提案はこうだった。
「韓国が日本と北朝鮮の間に入り、拉致問題解決への橋渡しをする」
そこで、
「日本は韓国政府に対して、2015年の日韓従軍慰安婦合意について、日本の側から改訂を申し込む」
これならば…どうだろうか。
韓国政府は、従軍慰安婦の人がよりベターと思う新たな案をだせ、それを新合意とすることを検討する
日本の側は拉致家族問題での進展が見られる。
これが上手(うま)くいけば、北朝鮮の方も、日本との国交回復問題に入れる。当然、戦後賠償問題も前に進む。北朝鮮もかなりの賠償額が得られる
それにより、朝鮮半島の緊張緩和につながり、米朝首脳会談も進展し、「朝鮮戦争終結宣言」も見えてくるという考えを漠然と持っていた。


明神:
ボンちゃんサー、ボンちゃんは拉致問題を政治的取引…と考えていたのか。

《◇―3・拉致問題交渉への提言》

ボン:
それは違う。
2015年日韓従軍慰安婦合意とは無関係に、拉致問題解決にむけて安倍晋三氏に言ったことがある。2017年後半か2018年頃だったと思う。

もし、安倍氏が退路を断ち、拉致問題解決へのマップを提示すれば、私は安倍晋三氏に全面協力をする。過去の経緯(いきさつ)、即ち、私への干渉問題は棚上げして、協力をする。

その代わりに退路を断(た)ってほしい。
2018年中に拉致問題が解決しなければ総理は辞める、と。場合によれば議員も辞める、と。
そうすれば、閣僚も他の議員も今迄とは違うと目つきが変わる。
北朝鮮の方もこれは本気だと、対応が違ってくる。
勿論、安倍氏自身も対応の迫力が違ってくる。
だから、暗礁に乗り上げていたが目処(めど)が出てくる可能性があった。

そして、上手(うま)くいけば、その功績は安倍氏に全て譲ろう、と。


明神:
それでもサー、ボンちゃんサー、取引抜きで、拉致問題に何故そこまで関心をもったのだ。


ボン:
それは僕の境遇と同一だからだ。
僕も人権侵害を受けた。
受けた場所が主として労働省(現・厚労省)所管の職場だ。
そこで、国会で取り上げてくれという救済依頼文を送付した。
革新系にだしたが効果はなかった。ほとんど無視だ。

そこで、今度は自民党の議員などにも出した。
万一、自民党の議員が僕の人権回復を実現すれば、僕は自民党のその議員を半永久に応援するであろう。

拉致家族も同様だ。
まず、彼ら・彼女らは、革新系の人物に救済依頼を申し出た。ところが何の効果もなかった。
具体的には《石岡・有本家は日頃から北朝鮮とパイプがあることをアピールしていた日本社会党系の政治家に助けを求めることにした。石岡の家族は札幌市の日本社会党北海道連合にも相談したが、「本部に連絡をする。国交がない国なので口外しないように」と言われた。「国交がないから」という言葉は、それ以降も外務省や様々なところで言い訳に使われることとなる。(Wikipediaより)

その後で、安倍晋太郎氏とか安倍晋三氏が登場する。

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一方、有本の両親は上京して自由民主党の政治家に助けを求めることを決め、1988年9月、東京都千代田区永田町の衆議院議員会館に自由民主党幹事長の安倍晋太郎を訪ねる。

安倍は夫妻の訴えを聞き届け、当時秘書だった次男の安倍晋三に夫妻を外務省と警察庁に案内するよう命じ、夫妻はここに至って事の次第を外務省・警察庁に伝えることができた。以後有本夫妻は安倍父子に連絡するようになり、安倍父子はこの問題に取り組むことになるが、1989年6月、晋太郎は癌を発症し入院。

幹事長も退任した。以後入退院を繰り返したが、1991年5月、晋太郎は他界した。後継者となった晋三は亡父の地盤を引き継ぎ、1993年、第40回衆議院議員総選挙に立候補し当選。以後国会議員としてこの問題に取り組むことになった。

Wikipedia「北朝鮮による日本人拉致問題」より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E6%8B%89%E8%87%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C
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彼らにすればどの政党・どの議員でもよいのだ。
拉致問題が解決さえすれば。

僕も同一だ。
かすみをくっては生きていけない。
同時に40年近い人権侵害だ。
思想などの前に、僕の人権救済が一番だ。
老後破綻との競争になっている。

拉致家族も同一のように思えた。


布袋:
ボン、ボンが拉致問題に対してどういう対応、提言をしたのか言ってくれないか。


三段階ある。若しくは四段階とも言える。
第一段階は、小泉政権時代だ
このときの見解は、一貫して、拉致問題解決の一番の近道は、北朝鮮の市場開放政策全面展開と、門戸開放及び国際社会への完全復帰の道に舵(かじ)を切らせることである、であった。

当時の提言内容は以下だ。
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提言―6・北朝鮮問題に関する提言(提言自体は2005年頃と思うが、文書化したのは2011年書籍版であり、HPに収録したのが2015年11月27日である。)
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http://takahama-chan.sakura.ne.jp/politics/custom8.html
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第二段階が2017年だ。
このときは米朝首脳会談に向けてまっしぐらだった。
米朝首脳会談を実現させ、北朝鮮の北朝鮮型ドイモイ政策と門戸開放路線への道だ。それが軌道にのれば、自(おの)ずと北朝鮮の非核化は実現される。
同時に僕が提言で記したように、一気に、日本、韓国、中国資本が流れ込み、拉致問題も解決への道を進むと考えた。


明神:
ボンちゃんサー、いつから、米朝首脳会談は可能と読んだのだ。


ボン:
2017年夏頃だ。
特に2017年9月だ。
それらは、いずれ、日本のフィクサーME・パート5で記そう。

トランプ大統領がキッシンジャー氏に接近したことからも、アメリカが相対立する国といつか大きく歩みよるとは思っていたけれどもね。
さらに、上京中に、ミスタートランプが「Remember パールハーバー」と言ったことが更に前に進むと読んだ。


布袋:
安倍晋三氏や拉致家族はどういう反応を示した。


ボン:
安倍晋三氏は、北朝鮮ミサイルを強調して、避難訓練などを始めていた。
そして、米朝首脳会談などはもっての他という雰囲気だった。

拉致家族はこの頃は安倍晋三応援部隊のように見えた。
チャールズ・ロバート・ジェンキンス(Charles Robert Jenkins、1940年2月18日 – 2017年12月11日)の話もいつか書こう。彼が日本に来る上での小泉純一郎氏の奮闘の話などは既に『日本のフィクサーME・下』(事実上のパート1:Kindle、KOBO各百円)で紹介済みである。


はかせ:
それは違いますな。
拉致家族の人達は、日本の将軍様に拉致されていのですわ。
拉致されている以上、将軍様に逆らうと、拉致問題解消に取り組んでもらえないと恐れていたのですわ。
そこで、拉致家族は、🙊🙈🙉では駄目で🤐、日本の将軍様の…部隊とならざるをえなかったのですな。

本来は拉致家族が護憲派でも改憲派でも、安倍様の政策に賛成でも反対でも無関係に、拉致は日本国家の問題として、拉致家族の思想・良心とは無関係に取り組むべきですな。

混同するのは政策よりも、性格の問題ですな。

ボン様も、安倍様には振り回されただけで、ボン様の人権救済などは全く前に進みませんでしたな。いわば、様々な形で痛い目に遭(あ)っただけですな。

拉致家族の皆様も、同様の結果となりましたな。


ボン:
安倍氏は拉致問題は本気でやる意思はあるが、米朝首脳会談に文在寅大統領の蔭(かげ)が見えたのだろう。文在寅大統領と安倍晋三氏の対立はこれは本当にセメントの対立だ。
朴槿恵氏と安倍氏の対立は、狸(たぬき)と狐(きつね)の対立だ。
誰が騙(だま)されたかは書くまい。

そこで、安倍氏にすれば、感情面からも耐えられなかったのだ。
しかし、その頃に、ミスター・トランプが「リメンバー、パールハーバー」と言った。だから、僕はこれは前に進むと読むと同時に実現させる方向で取り組んだ。


明神:
それが、ボンが平昌オリンピックを必死に応援した理由だったのか。


ボン:
平昌オリンピックが成功することは、確実に、米朝首脳会談、南北会談への一里塚になると思っていた。
そして、米朝首脳会談は実現した。

《◇―4・米朝首脳会談と拉致問題行き詰まり》

明神:
第一回首脳会談は門戸開放で国際社会の中で生存しているシンガポール(2018年6月12日)で、第二回(2019年2月27日から2月28日)はドイモイ政策を意識してベトナムだったのだろうか。
ボンちゃんサー、米朝首脳会談はどうなっていくと考えていたのだ。


ボン:
その前に、拉致問題解決について新段階となっていたことを記しておこう。
もし、米朝首脳会談がうまく行けば、いずれ、北朝鮮はベトナムと同じ道をたどったであろう。
ベトナムが今核兵器を持つだろうか。
持たないだろう。
違いは、地政学上、北朝鮮はベトナム以上に急激な高度経済成長が開始することである。

そして、国際社会からも全面歓迎されれば、日朝首脳会談も実現されると考えていた。
韓国と北朝鮮の間での戦争終結宣言もだされたであろう。
韓国資本も北朝鮮に流れる。

日本との関係でも、日朝の国交回復、さらには日朝平和条約への道もひらけていく。そして、日本から北朝鮮への戦争への賠償額も支払われるであろう。
併行して、拉致問題は完全解決への道を歩むと思っていた。
もっとも、韓国に対しては北朝鮮へ太陽政策をとっていることもあり、先の日韓の間での、従軍慰安婦合意の見直しを条件に、韓国が日本と北朝鮮の間に入れば、《◇―1》という案を全面的にだしていた。

アメリカは、簡単に言えば、日本が従軍慰安婦問題で、見直して、韓国と協議をしたいと言っても困ることは何一つないのだ。アメリカにすれば、韓国と日本が激しい対立をすることだけが困るだけなのだ。
極論すれば、アメリカにすれば、日本が従軍慰安婦問題で韓国の主張を全面的に受け入れると心から言えば拍手するだけだ。逆に、韓国政府が日本の言い分を全部認めると心から言っても、反対はしない。
米日韓の同盟関係だけが気になるだけだったのだ。
だから間に入って、調停をすると言っても、単に(日本の言い分+韓国の言い分)÷2しか言えないのだ。

この頃から、拉致家族も、米朝首脳会談、日朝首脳会談へ期待をもち始めていた。
流れは変わりつつあった。
その頃に、僕は、先の提言をしたと思う。
拉致問題解決に向けて、期限をつけてほしい、と。
安倍氏に退路を断ち、拉致問題への大きな区切りを2018年末とか2019年前半とするなどと言ってほしい、と。
失敗すれば総理辞職、場合によれば議員辞職。
成功すればその功績は全て安倍氏に譲ろう、と。
しかし、米朝の動きを見ていて、僕は2018年末を目処(めど)としてもらいたいと思い始めていた。急いだ方が良い、と。

理由は、米朝首脳会談が暗礁に乗り上げることを恐れたのだ。
そこで米朝首脳会談が破談せぬ内に、日朝首脳会談を行い、拉致解決への道筋をつけた方が良いと焦り始めた。その頃に安倍氏に先の提案をしたと思う。
というのも、米朝首脳会談が暗礁に乗り上げ、アメリカが経済制裁を強めると、日本も歩調を合わせねばならない。
経済制裁をしながら、拉致問題解決を言っても、絶対に前に進まない。
だから、米朝首脳会談が暗礁に乗り上げる前に、早急に日朝首脳会談の必要性が生じていたのだ。
それが退路を断(た)って…という提言であった。

案の定、2019年の第二回ベトナムでの米朝首脳会談は、今は詳しく書けないけれども、僕は会談前から流れることが分かっていた。それらを書くにはまだ早すぎるかもしれない。

ともかく、鶏が先か、卵が先かの問題にぶつかり、それを解決できぬ状態が続いていた。
要するに、経済制裁解除が先か、完全な核廃棄が先かという問題だ。
前者を実施して後者が守られなければ、経済制裁解除により、北朝鮮経済が好転し、その得た利益を核開発に回されると、アメリカ大統領はお陀仏(だぶつ)だ。
他方、北朝鮮の方も、核廃棄をして、アメリカと揉(も)めれば、2週間程度で軍事は崩壊する危険がある。イラクをみれば分かる。すると、核廃棄を簡単にできないという危機感がある

このジレンマが解決できていない以上、もはや、会談は前に進まない状態となっていた。


布袋:
ボン、トランプ政権の終わり頃に、トランプ大統領金正恩最高責任者の間で何を言ったのだ。


ボン:
金正恩氏は、トランプ大統領と会談しても、大統領が変わったならば元の木阿弥(もくあみ)となることを警戒していた。
そこで、会談しても意味はないという客観的判断と、他方で民主党政権ができたならば、どうなるだろうかという不安感が入り交じっていた。

だから、僕はその頃に言ったことがある。
北朝鮮に対してはトランプ大統領と何か約束しても、民主党政権でも引き継がれる。国家間の約束だからである。それでも文書化しておく方がよい、と。
特に、バイデン大統領誕生ならば、こと北朝鮮政策で大きな変化はない。
口が滑って、バイデン大統領誕生を前提に、国家間の条約的約束ならば、その保証は私がしようと言ってしまった。

言った以上、その嘆願はバイデン大統領にしなければならない運命となっていた。

しかし、バイデン大統領が、2021年前半に北朝鮮に対して、対話の窓口は開けており、北朝鮮次第と言ったことから私の確約は終了したと思っている。そこで、この時点では、トランプ大統領のときと同様レベルの会談ならば可能となっていた。
後は北朝鮮とアメリカの問題であり、私はもう無関係となる。

今後は口が滑らないように、次のように言っている。
北朝鮮とアメリカでも、中国とアメリカでも、…その他でも、両当事国から依頼されぬ限り、私は全て一切動くことはない、と。両方の国から依頼されたときだけ、該当問題を考えよう。更に、それに専念する時間が私にあれば、そのときにだけ考えると宣言した。

一方の側からの打診だけでは一切動くことも、発言することもないであろう。例外は一般論(枠組み論)とか健康問題(今ならばコロナ問題)などだけである。


更に、余分な一言を言っていた。
北朝鮮政策で、トランプ大統領が何かを約束すれば、バイデン大統領もそれをアメリカ国家として引継ぎをする。しかし、韓国では誰が大統領になるかで違ってくる場合があるので、尚更(なおさら)、私は米朝問題、南北問題などでは絶対に何も言えない、と。
要するに、朴槿恵政権と文在寅政権では真逆に近い。当然、私はその継承性の保証などはできる訳がない、と。
例外は、次期大統領候補が全員、文在寅大統領路線を引き継ぐと公約で言い、文書で残した場合のみである。

しかも、これらも含めて、以降は沈黙予定でいる。
最後に一言、余分なことを記す。
戦略面でキッシンジャー氏の頭脳は明晰(めいせき)であったが、マッカーサーは、比較はできぬが、すごかった。そして、今、必要なのはマッカーサー的発想かもしれない。マッカーサーが日本に対してとった態度は憲法9条とペアでの憲法1条である。その結果、イラク問題と異なり、アメリカが日本を占領中に、ゲリラ戦や各地での武装蜂起などに出遭わなかった。
しかも、イラク以上に、軍事力があり、ナショナリズムが強く、経済力があり、おまけに鬼畜米兵教育を徹底的に受けた国(日本)である。神風特攻隊などが存在していた国でである。

私はマッカーサーを賛美しているのではない。彼の、思考力と戦術が凄(すご)い発想であったと記しているだけである。善悪の価値判断とは別に、悪まで戦略・戦術という技術論の話である。


《◇―5・次回からの「日本のフィクサーME・パート3」について》

次回から、ゆっくりと「日本のフィクサーME・パート3」(2014年~2015年:世界連邦を目指して)に入っていく。
当面は月二回のペースを考えている。と言うのは、10章と11章と2つの章だけが残っている『求め続けて』の公開を月2回予定しているからである。

「日本のフィクサーME・パート3」は2014年光市・萩市への旅から開始し、アメリカへの旅の頃へと進んでいく。山口県への旅は、私は本当は2015年以降を検討していたが、韓国の安重根記念館を訪問したことで、伊藤博文の生誕地や足跡を追う旅を検討しているならば、(日本の将軍様を意識してか)、姉などに「急いで行け」と言われたことに発する。正確には「早く行かないと大変なことになる」と脅しめいて言われたことが予定外に早く行った理由である。(ちなみに、私が萩を訪れた翌年に萩などが世界遺産になったことを考えると、日本の将軍様の恐怖でなく、世界遺産活動に一役買わすために先の言動が登場した可能性もある。)


なお、光市は伊藤博文の生誕地のみか、宮本顕治氏生誕の地であり、松岡洋右氏生誕の地でもある。萩市は、伊藤博文が学んだ松下村塾のみならず、野坂参三氏及び志賀義雄氏の生誕地でもある。

この旅は安重根と伊藤博文対比の人間を問う旅だけではなく、東大・京大🆚松下村塾・適塾という学校論を問う旅でもあり、組織と人間として伊藤博文・松岡洋右🆚野坂参三・宮本顕治、更には、宮本顕治🆚志賀義雄、あるいは野坂参三氏の運命などをたどる旅でもあった。
要するに、人間とは何か、学校とは何か、組織と人間などをテーマとした旅であった。

ただし、時間が取れずに、松岡洋右氏関連、宮本顕治氏関連、志賀義雄氏関連は一切資料集めや関連地に行くことはできなかった。松岡洋右氏については出発前に行く手順も確認していたが時間切れで不可能となった。また志賀義雄氏の生誕地は現地で探して歩いたが手掛かりがなく、失敗に終わった。
次回から、このシリーズを読めば、私の党派中立・宗派中立志向が更に分かるであろう。

同時に、部落解放運動に一部触れることになる。私が高校時代に部落解放運動に関係したのは1968年である。まだ、分裂前であり、自民党支持者も、日本社会党支持者も、民社党支持者も、共産党支持者も、公明党支持者も全員いた頃である。1969年が分裂の年であり、それを肌で感じた。1970年が分裂終了後である。これらを外野からとは言え、肌で感じた視点からも、組織と人間に一部触れることになる。それが、志賀義雄氏(事実上の「日本の声」の創始者)の生誕地にも脚を運ぼうとした理由である。2014年春のことであった。

これらを読めば、駿台講師時代からの訳の分からぬ危害は、人間違いが原因であったことが、私に40年近く危害を加えた可能性があるXグループに分かろう。勘違いや誤解ではなく、亡き友人が言ったように「人間違い」が原因であったことも…。同時に、私が党派中立・宗派中立の道を本当に進んでいることも分かるであろう。