【💁🆕正式公開】駿台事件真相編―5-2・駿台CM作戦―🆕女性刺客四人組活用編(その2・具体的展開修正版)

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【💁正式公開】🆕駿台事件真相編―5-2・駿台CM作戦―🆕新女性刺客四人組活用編(その2・具体的展開・修正版)

 


【更新履歴】
2024/06/21 12:22掲載開始。2024/06/24 4:31追記作業。
2024/06/25 18:38追記中。ページ内の行下げができなくなった22:17分割。23:46 住所二軒問題の図表添付:後で、小見だしを付ける予定。2024/06/26 0:30付け加え。

2024/06/27 から清書作業継続中。(可能ならば)明日・2024/06/28正式公開予定。

2024/06/28 1:55 正式公開 :2:18 微修正


駿台事件全体構想
駿台事件真相編―1・催眠
駿台事件真相編―2・ゼノンの詭弁と駿台事件の手口・女性編
駿台事件真相編―3・企業と私―駿台大CM編
駿台事件真相編―4・駿台CM作戦と映画女性活用編
駿台事件真相編―5・駿台CM作戦―女性刺客四人組活用編(その1・黒幕編、その2具体的展開、その3解説付き。その4世界からの情報)
駿台事件真相編―6・駿台CM作戦―超多忙時代のあえぎ(岡山予備校。能開大との因果)
駿台事件真相編―7・駿台CM作戦―業務妨害から刑事犯罪被害へ
駿台事件真相編―8・駿台CMと🎬協同で☠映画説グループを絡め作戦と能開大・村への移行


個人情報を掲載理由(毎回掲載)

下記理由(この事件に絡んで何人かが死亡…や私自身も命を落とす危険が何度もあったことなど)で、実名での公開を原則とする。
下記はZ家(浜田稔・正典)家であるが、どうも、我が家(浜田耕治・隆政)との家間違いが駿台事件の原因の一つのようであるため、駿台事件も実名とする。同時に、駿台講師時代も拉致未遂被害や学内外での業務妨害や刑事犯罪被害に遭ったため尚更である。
※疑惑も含めれば死亡者は10名以上、MEの世界を含めれば20名以上かもしれない。ただし、私は完全に無関係である。

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個人情報公開理由(📢上記の648-5の場所には2024年5月頃から浜田正典氏以外の人がお住まいなので注意ください。)

 

各種個人情報が出てくるが、
(A)我が家の住所(戸籍=現住所=登記簿:祖先は1600年代後半から系図あり:本家)を使用され、各種被害(2017年のみでも2万円損失させられたことをはじめとして多数)、その他の膨大な被害(灯油のみでも無断で5回いれられかけ、実際に2度いれられた)があること、
更に、
(B)我が家住所番地無断使用者・浜田正典氏(司法書士)に是正を求めても改善されず、
(C)該当者自身の職業が司法書士という法の専門家であること、
(D)上記の行為により、生活に支障を何度もきたしたこと(例:死亡は嘘の疑いが高いが、浜田正典氏が死亡した際には葬儀屋が我が家へ来て私が対応、霊柩車も最初我が家へきたようであるなど)…その他膨大な被害があること、
(E)私が意味不明の40年近い被害を受けている原因が家間違いの疑惑があること、
(F)多くの情報網を持っている世界の我が友=世界の指導者が10人以上、暗に原因は家間違いであることを示唆したこと、
(G)深い事情を知っていると思われた、亡き友人(司法試験にも合格したと言っていた)が「トラブル被害の原因は人間違い」を明言したこと、
(H)岡山県美作市役場などに相談しても適切な対応はとられなかったこと、
等等から、個人情報であっても、私の生命を含む人権を守るための、超法規的措置もかねて公開に踏み切った。

 超法規的措置と言っても、浜田正典氏は司法書士事務所の関係で使用住所の一つ位田648-5は各種ホームページで公開されていること、…で、彼ら(司法書士)の住所はCM扱いとなっているため、(私への人権蹂躙を阻止するという)正当な理由抜きでも、今回の情報公開は合法とも考えている。
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上記は下記を一部修正して抜粋
私の人権編:⚔⑧―40年の人権侵害全貌解明:8月16日編(8月24掲載)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=40006
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(序)駿台事件と人間違い疑惑

 

駿台事件は人間違い絡み起こったとの各種印象操作が多いこと、私自身も斯様な被害に遭う心当たりがないこと、世界の首脳が駿台事件よりも「同一住所番地二軒問題」を重視せよ」とのアドバイスがあったため、下記の如く、私の家の住所問題から掲載している。

【図表-1】濵田正典と濵田隆政比較図:世界の首脳は駿台事件よりも住所二軒問題を優先せよと言う。

濵田正典と濵田隆政比較図:世界の首脳は駿台事件よりも住所二軒問題を優先せよと言うが

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【図表-2】電話帳と住所修正版

駿台事件京都校時代構造:駿台CMと🎬(映画・TV)視聴率が目的で人間違いを原因とし(若しくは誘導され)、工作と催眠により、私が危害を受けた。

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【図表-3】駿台女性熱と催眠

駿台事件真相編-Copy版

下記は大きく拡大可能(二度クリックで巨大)

 

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(Ⅰ)具体的な展開(1982年4月~1983年末)

 

★略年表

時期は忘れたが、高校時代の同級生の妹が汽車の中で私に好きな振りをする。同級生はケラケラ笑っていた。同級生は京都女子大卒であり、彼女の母は私の叔母・山埼と同窓生であった。ここで、好きな振り詐欺、京都女子大卒、山埼が強調されていた。
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1:1981年4月真備高校講師、(ベネッセ前身の福武書店経営)岡山進研予備校講師、進研模試check、倉敷の予備校講師
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2:1981年秋駿台の採用試験(模擬授業=表三郎、矢田祐三部長試験官)11:22(11月22日)合格
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この頃倉敷の予備校で嶋坂先生(ポリテクカレッジ岡山に私を行かせた人:京都外大教授等歴任・彼の父が京都外大学長)と知り合ったか。
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同年、いきつけの店のママさん(当時の店の名称は笹寿司)から店の常連客・岡映氏(分裂前の部落解放同盟副委員長)を偶然紹介される。後に食事会を。
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3:1982年4月駿台の教壇にたつ(政経担当):この頃の理事長は山﨑春之氏であった。
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4:1982年秋ポリテクカレッジ岡山から招聘

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5:1982年秋・ポリテクカレッジ岡山専任の関係で駿台辞表を書きかけるや即専任延期の電話がかかってくる(盗撮の如し)
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6:1983年4月ポリテクカレッジ岡山の教壇にもたつ→何故かポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)でも山埼が強調される。
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7:1983年4月講師室係四人組🚺入社・西山・タケウチ・横家・後藤→横家(同志社卒:横の家を暗示)は1984年秋までその存在すら知らず、西山(京都女子大卒)は少し会話をして、83年夏前に生き方が違う等々で話しても時間の無駄と思った女性である。
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8:1983年夏:(大学時代の笹山にいる友人に誘われて)熊本市へ:後に調べると 歴史教育者協議会(略称:歴教協)が主催。
オプションツアーで水俣へ行く→水俣で出会った女性に❤熱をあげる。
脈があるとしか思えず。これだ、と。→Ⅱの写真Ⓒ参照。
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9: 水俣から戻った1983年9月から:
①駿台京都校講師室係・西山が突如、(駿台事務所内で、私が廊下を通るときに見えるように計画の下で、赤ちゃんをあやしたりして)私の関心を引こうとしだす。
②中谷臣先生(世界史)から食事に誘われる。2022年頃分かったが中谷氏は歴教協会員のようであった。それでも、何故、私が水俣に行ったことを知っていたのだろうか?私は同会の会員ではないし、一切無関係である。
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10: 1983年末お嬢(🎎)が岡山市へ引っ越してくる。
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11: 1984年1月🥴催眠熱開始(水俣で出会った女性から突如西山へ熱が移動の謎):高校生クラスの👧女生徒と西山の視線があい恰(あたかも)も火花が散ったように思えたのを契機に西山熱催眠状態へ。
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12: 1984年2月(真備高校講師時代同僚)木下さんへ(一度会ってほしい趣旨の)手紙を送付する。(後に矢田事件・木下発言との語呂合わせでの🥴催眠誘導を疑う。)
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13: 1984年3月、早大大学院時代の教え子・鎌田さんが📺テレビ登場(中村メイコ番組)→即、教え子と同姓の岡山市に来ていたお嬢に電話をして、「教え子を見てくれ」と。
→このテレビ番組から駿台事件が本格開始する。
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14:1984年春頃上京。容姿と雰囲気のみでは理想中の理想の女性に出会う。【🥴催眠刷り込み】で、1984年駿台入社🚺Aと人物がダブらされる(★真相編05-4の脚注参照)。この女性には幾つもの謎がある。この女性Aが、今考えると各種鍵を握っていた。名前は当時も今も知らない。1985年度二号館の受付女性である。
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15: 1984年夏前:池田動物園で見合い女性とデート:

英文科(大阪大英文科卒)ということで、東京にあった居酒屋孔雀のお孫さん(英語のエキスパート)を連想させられる→お孫さんは🛵おじょうと同姓である。

おじょうとの出会いで🌈(虹)が出た。また、2015年訪米の際の添乗員登場の池田さんをも予告していた。訪米時にも🌈虹がでる。
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16: 【🥴催眠】1984年9月頃、西山熱がしつように起こり、西山へ手紙を手渡すことになる。【⚔工作】手紙を手渡す前にも各種小細工があった。
→速達で「私には好きな人がおり、先生の好意にはお応えできません」と返答がくる。なお、手紙には住所も電話も記述されていなかった。
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17: 1984年秋=駿台の廊下で西山に「おせわがせしました」と一礼をする。西山はむっとした顔をした謎がある。その後で西山のあからさまな怯(おびえ)えまくる演技が開始する。後に(1985年度が開始するや)先の🚺Aが全く同じ真似をして(故意にやった・誰かに依頼されてやったと)事実上の種明かしをする。
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18: 1984年10月頃か=【⚔心理学的工作】二号館で講師室係女性後藤と横家が何があったかと歌舞伎役者の如く派手な演技で私を見続けて各種反応をあからさまに示す。(あからさまな芝居型演技は1997年にはポリテクカレッジ岡山で森脇課長などによりなされる。)この演技のため、私が不審人物でないことを証明するため→(やむなく)後藤・横家と会話をさせられるようになる。それまでは二号館講師室係の顔も名前も覚えていなかった。1984年夏までは、二号館講師室係に誰がいたかは未だに知らない。
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19: 1984年11月頃か岡山中学・高校から専任でスカウトされる=駿台から引き留め(お嬢🧜を意味する松茸三昧の店、政経のみで3年生活保障確約。立会人=深見係長と川端三郎先生。後に大滝部長から🎬藤山寛美の劇の券を渡される)
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20: 1984年11月頃=虹を見るや🛵おじょう(田中さん)と出会う【見合い:仲人さんは人気№1と言っていた子である】。池田動物園で出会った女性が東京の田中さんを連想させており、🛵おじょうの予告役となっていた。同時に2015年訪米の際の添乗員池田さんの予告役ともなっていた。🛵おじょうとの出会いでは虹が出たが、訪米の際にも、池田さんといるとレイクパウエルで大きな🌈虹が出た。(駿台事件は、もはや書くだけ時間の無駄といつも思うのはこうした・🌈虹などの問題からである。)
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この頃、何故か、🎬映画狂藤村尚美先生(国語担当)と会話が多くなる(この年か翌年初めに藤村先生に30万円を貸すがかえしてくれなくて参る。なお、駿台辞職時の退職金が30万円であった。)この頃化学の某講師が「とうそん先生」と読んだ謎もある。
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21: 1984年11月~12月頃:(授業直前も含めての)🚺「カミ」のからかい。
①授業直前の西山の怯えの演技は堪えるため、カミに事情を言って西山に「普通にするように言ってほしい」と依頼。
②🚺「カミ」が舞い上がり→西山を出す・引くの遊びを始めたため(西山も覚えているはずである)、「カミさんも普通にしてほしい」と再度要請する(10分の休憩時間=授業前は堪える)→すると「カミ」が「先生はまだウジウジ…」と私に😠怒った謎がある。私が怒ったのはなない。
藤村先生が「先生、カミさんこそ美人、よく見ろ…」と私に何度も言っていた頃である。藤村氏が何かをやった(🚺カミに何かを言った)のだろうか。本年2024年催眠でカミがその頃髪型などを変えていただろう…と。催眠による解説は駿台真相編05-3か4の具体的展開の解説編で記そう。
③やむなく(京都校1号館)吉田課長にも事情を言う。この件でカミは左遷も含めてペナルティは受けていないし、私もそれを(ペナルティを受けないことを)願っている雰囲気で言動していたことを銘記されたい。
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22: 1984年11月~1985年2月🛵おじょうとデート三昧。この世の春と当時は思っていた。

私の両親にあわせ、🛵おじょうの両親にも挨拶にいく。おじょうの父が、「結婚問題」をきいたため、私はどんどん進めたいが、🛵おじょうが約一年はしたいことがあり…で進展の遅延を解説。🛵父「うちの娘の方が言ったのならば、仕方がない」であった。
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23: 1985年1月に全く興味もない小泉今日子(一人二役)の🎬映画を見させられる。その直前に藤村氏から🎬映画(恐怖映画と思う)の券を渡される。

🥴催眠:小泉今日子=横家、次に連続して横家=(高校時代部落研後輩)船田さん連想と催眠刷り込み現象が起こる→以降、船田さんと喋っている感覚となったため、会話がスムーズの要因の一つであった。それと横家の話上手(乗せ方のうまさ)であろう。

しかし、船田さんの性格を除去すれば横家の性格は全く知らない。後藤さんと同様、生き方や性格などは検討もつかない女性である。

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24: 1985年2月京都愛宕山へ=🛵おじょうとこの頃がピークと思うや、バレンタインで贈り物をされ、その直後から関係が突如悪化する(おじょうの横家・後藤登場させるための演技と後には分析している。🎬その前に至る所でおじょうが手をあげ、知らぬ男が手をあげて返し→異変を感じてもいた。):🎬映画視聴率🤝🏢駿台経営陣CMが本質と後に分析している。
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25: 1985年3月頃【🥴催眠】(違って入れば4月頃)おじょうと会談。もはや修復困難と判断:この会談前も会談時も私に催眠がかけられていた。証拠あり。多分、破綻促進用。当時の恋の指南役・🎎お嬢は「何もせずに、自然消滅がよい…」と私に助言をしたことを覚えている。
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26 : 1985年3月下旬か🚲(自転車)で峰山峠越え
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27: 1985年春。深見正明係長と何かの用事で会談。その際、西山の件も解説。
深見氏「西山さんが浜田先生の手紙くらいで怯えるとは、私には信じられません。…西山さんはそうしたことは慣れていると思いますので、先生の手紙くらいで…」と何度か強調した。次に、私の持っていた鞄(男はつらいよの車寅次郎と同一の鞄)を強調した。「先生、良い鞄をもっていらっしゃいますね」と。
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28: 1985年4月🎬(映画狂)藤村夫妻が岡山市へ来訪、金甲山へ案内。そのときの写真は真相編05-3で紹介予定。この頃福武書店経営の岡山の予備校に紹介したか。福武書店→ベネッセに名称変更。福武書店創設者福武哲彦氏は私の父の岡山師範一年後輩。後に駿台と提携し、駿台・ベネッセ模試などができる。
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《1985年前期》

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29: 駿台京都校2号館で男女問わず合同食事会の準備(人選は横家にまかす。ただし、岡田欽之課長は参加の確約をとっていた)。
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30: 駿台京都校1号館西山・タケウチなどで再度の好きな振り遊戯開始(西山の好きな振り詐欺第三段=3回目)
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31: 1985年4月か5月か、口もきいたことがない女性Aが私を見て逃げ回る(西山の真似である)。私は困って、杣田先生、横家…に相談も誰もが「そんなことがあるか。きのせいだ」と最初は相談にものってくれなかった話である。

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【🥴催眠】確か1984年春に東京で見事なまでの女性に出会う。その直後にAが84年4月に駿台入社と思う。催眠で東京の女性=この女性Aと同一と思わされるが、会話も全くしていないし、物欲しげの目つきでも見ていない、人前でも1984年は近くであったことすらなかった。1984年とは西山事件の年と書けば十分であろう。付き合い…女性としては全く眼中になかった、もしくはそうした状態にはなかった。未だに名前も知らない女性である。
駿台では容姿ならばこの女性Aと思ったか・催眠で思わされた。東京の女性が効いていた。1985年度から京都校1号館から2号館受付に異動した女性である。

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1985年横家にこの女性Aに(あれでは仕事にならないので、教室にいく途中会うや走って逃げられる等々ではいずれ誰もがびっくりするため)普通にしてほしいと再度依頼→横家がこの女性に伝えてくれるや即、正常になる。(ただし、その後も人前も含めて一切会話もせず、近づきもせず、完全無視を貫く。この女性AとはAが正常になった後で挨拶のみ二度程度で、駿台講師時代には全く会話すら一度もしたことがない。)

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この🚺女性Aが今考えると各種🔐(鍵)を提供していたようである。(西山の怯えは演技であることの暴露、「普通にして」依頼で十分効果があること=1号館は故意に出鱈目をやっていたと、西山催眠熱の暴露、83年入社講師室係四人以外は排除が貫かれていたこと…を本人の意思にかかわらず、全て暴露した女性である)

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32: 岡田課長から釘刺し=駿台女性とつきあいたいときは必ず岡田課長を通すように。岡田課長が代理で打診すると。それ以外は禁止と。私も合意。もっとも、これはタケウチへの「普通にして」会談申し込み後であったかもしれない。
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33: 【🥴催眠】タケウチに「普通にして…」会談申し出を言わされる。私の決定は2年間は無視(経過観察)を方針としていた。「普通にして」申し込み会談すらしないと決めていた。ところが、タケウチの(私関連の)コピーをしてくれたのを見るや即真逆の反応(催眠の所業)。
この頃、平野真理氏(英語講師)が加わったようで、その関係でカミは突如おとなしくなっていた。
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34: 上記の好きな振りゲームに巻き込まれ、二号館有志による食事会を流すという約束違反をする。後悔=無責任。私が金を全部出すと言っていた以上約束違反となっていた。
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35: 岡田課長が、「西山さんも本当は濵田先生に気があるのでは」と冗談とも・本気ともつかぬ言動をするくらいに西山の行動は通常の理性では判断不可能であった。【心理学の応用】
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36: 横家・後藤のどちらと見合いかを多数の人に相談。お嬢(🎎鎌田)さん、斉藤(早大院同期)、マリーサ(フィリピンの友人)、後に恵美(関学時代の親友・彼には横家にまってほしいを言わされた後の夏会談の可能性もある)→全員が後藤さんと返答。
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【写真】フィリピン友人女性マリーサ。(写真・図表は全てクリックで拡大)

フィリピン友人女性マリーサ。日本の女性の一部は嘘ばかり。当時を懐かしみ、友人女性も添付。駿台女性…が如何にデマかが分かろう:肖像権問題より絵風加工。駿台女性・岡山女性同一の形で絵風加工し、必要時全公開検討:写真85-003-14A-fMT:掲載目的は駿台絡むデマ粉砕のため

フィリピン友人女性マリーサ(誰が見ても美人で聡明な女性であった。流暢な英語を話していた。日本語も堪能に近い)。本当に、📺テレビのアイドルかと思ったこともある。フィリピンの住所と電話番号を渡されたが、フィリピンに行く機会はなかった。勿論、一対一で会ったことはない。
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37: 1985年夏前教員だけの打ち上げ会。【🥴完全催眠】で横家に「待っていてほしい」と意味不明な言動をさせられる。横家が受付に来ていることすら知らぬのに。現在(2020年代)の女性待ち伏せと同じ状況。この件は計画した経営陣が知っているであろう。勿論、私の方は次に会うときの準備も何もしていない。
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38: 1985年夏:上記37の後で駿台に行くと、即、横家さん、婚約発表。
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39: 1985年夏決定。「これをもち、見合いも含めて駿台女性は全部遮断」。ただし、他での見合いは🛵おじょうと正式に破綻通告していないため不可能。🎎お嬢のアドバイスは自然消滅をまてであった。後には平穏にするため後藤の強調にすぎず。また第一印象はそうでもあった。ただし、性格は皆目見当もつかない。今でも同様である。同じことが駿台講師室係全員に言える。
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40: 1985年秋から、西山美千代が別人になった如く荒くなる。私は別人に入れ替わったと思ったくらいであり、事実の可能性が高い。1995年には別人と入れ替わったと明確に記載をしている。良妻賢母型からヤクザの姉御型に変化していた。
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恐怖を感ずるときすらあった。最後にはヘアスタイルを姪(長姉の娘)の幼い頃と同じにした記憶があるが定かではない。なるべく顔を見ない・視線を合わさない努力をしていたからである。偶然視線があうと髪をかきむしって怒る真似をしていた。
またかんざしを強調したときも。私は一貫して別人と入れ替わったと解釈している。
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これが駿台事件前半の流れである。後半は大阪校に移動してハ調を変えて危険なリズム(明白な業務妨害、刑事犯罪被害の連続)となる。
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41: 1986年春:深見係長からの大阪校異動の電話。その受話器をおくや、西山への【🥴催眠】熱は一瞬にして全て解除された。なお、🥴催眠での熱は西山のみであり、後藤・横家は見合い相手にどうかというレベルの催眠であった。熱まではかけられていなかった。
▽
1986年3月を持ち、駿台催眠熱は解除された。ここで、四人組の使命は終了した。ところが、駿台事件を記載する前後に必ず、催眠で彼女らを回想させられる。性格も・生き方も知らぬ女性にも拘(かか)わらずである。全て催眠のなせる業である。
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(Ⅱ)上記の中からめぼしいもののみを解説していく。

当時の理想の女性像を三つの写真で表現する。

Ⓐ:新しい社会における男女のありかた。
写真は浜田隆政撮影。写真の中の文は平塚雷鳥の有名な文書の一部

14-037-032_文字

 

解説は以下参照。
☆☆☆☆☆☆
エッセイ・写真―1回・万国の女性よ自立せよ。
★『万国の女性よ、自立せよ!』
――朝まで生テレビ録画『女性が輝く社会』を昨日見て、私が最後に言った言葉の続き。
https://takahama-chan.sakura.ne.jp/p-essay/custom7.html
☆☆☆☆☆☆
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Ⓑ:理想の家族像。
公民権運動を偲んでObama家族が行列に参加している写真(無断活用、著作権侵害🙇。問題がある場合にはMr.Obamaから直に抗議をしていただきたい。もっとも、著作権はオバマ夫妻ではなく、カメラマンにある)。
私の理想の家族像はこうした形である。

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Ⓒ:実際に、熱をあげ、未だに一貫して良いと思った女性。(ただし、丸三日間しか会っていないため、詳細は不明である。)

▽
1983年に熊本市での歴教協分科会と水俣に行ったときと両方で出会った女性。
この写真の中に❤(熱をあげた)女性がいる。美人ではないが、第一印象では完全にこれが良いであり、迷いなし。
ただし、実際に付き合わねば不明な部分はある。
社会、教育、人権に興味を持っていることは間違いない。この女性とどうやってコンタクトをとるかを1984年1月まで考え続けていた。
▽
水俣参加者の住所録はあったが、後に見ると名前と電話番号のみとなっていた。該当すると思われる人物は2名おり、どちらだろうかと迷い、どうしたものかと考えていたが、駿台が休み(政経の場合には2月中旬頃から4月上旬まで完全休みとなる)に入った頃に最後の(関東行き…など)賭けをするか迷っていた。ところが、先手を打たれて1984年1月に突如の西山熱に置き換えられた。
こうした前例は過去最低でも3例ある。ときには数秒で意識が変化するなどである。(高校部落研後輩の水島🆚船田、水俣で出会った女性🆚西山、岡山の予備校での滝沢🆚吉田…)。変化の要因は何もない。正に突如であり、半年後に考えると青天の霹靂(へきれき)型が多い。
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水俣に行ったときに出会った女性。1983年。この写真の中に❤の女性がいる。美人ではないが、第一印象では完全にこれが良いであり、迷いなし。ただし、実際に付き合わねば不明な部分はある。社会、教育、人権…は🆗

水俣に行ったときに出会った女性。1983年。この写真の中に❤の女性がいる。美人ではないが、第一印象では完全にこれが良いであり、迷いなし。ただし、実際に付き合わねば不明な部分はある。社会、教育、人権:写真番号83-002-19A-f

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▽
実際に1984年春休みに東京へ行ったと思うが、その前に突如の西山熱が起こり、当時は催眠類は知らなかったが、この熱がおかしいと思い、それを回避するため(今考えれば軽度催眠誘導で)真備高校講師時代に同僚であった木下さんに見合い依頼該当の手紙を出す。これらなどで上京した時には水俣の子の件は忘却をさせられていた。
(木下さんも軽度の催眠熱の根拠は矢田事件に絡めて木下(先生)という名字をだしたかったのであろう。更には手紙を考えると突如の偶然出会いにすればおかしすぎる電車の中での突然の出会いという証拠もある。ただし、真備高校講師時代には、確かに、私は関心はあったが脈が全くなかったと感じていた女性である)。
▽
さらに1984年春の上京の際には、見事なまでの-私の好み容姿ではPerfect型女性を目にする(この女性の横にはマスコミで有名な女性がいたので)偶然ではあるまい。正に🎬映画・📺テレビ説である。
その直後に、東京でであった女性≓(入れ替わり)と暗示をかけられた女性(刷り込み現象催眠があった女性A)が駿台に入社してくる。
(14番と31番に書いている女性である。刷り込み現象であり、実際には少し違っていたと思うが)どうせ玉砕ならばこちらにいく。すると西山は玉砕ではなく、好きな振り詐欺を既に一部していたとなる。後に記す孔雀関連での紹介見合いは1983年春か84年春かは覚えていないが、こちらの方は間違いなく1984年春である。
▽
こうして、東京に行ったときには水俣女性は脳裏から外されていた。(該当者2人に☎電話をかけて当時の写真を手渡したい…で動いたり、当時のツアー主催者に写真をみせたりして、該当者をきくことも可能であったが、1984年1月に全部忘却をさせられていた。)
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なお、この上京の際に、孔雀のママさん(田中さん)と孫さんの両方から見合いを勧められた記憶がある。どちらか一方…と迷うと、お孫さんが見合いなので両方連続しても構わないといったが、抵抗があり、ママさん(お婆さん)の方を優先した。どこかの法人理事長(多角経営の経営者)の娘であり、これでは無理であろう。
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この店のお孫さんを連想させる女性が1984年夏に見合いして池田動物園に行った女性(英語が専門)であり、この店のお孫さんと同姓の女性が1984年秋に登場してくる🛵おじょうである。
(そう言えば、🛵おじょうは孔雀のママさんに顔は似ていた)。
ママさんと言っても、80歳は超えていたであろう。なお、どちらか一人ということで見合いした女性が何となく、🎃オジョウと似ている感じがしている。
▽
因みに、丹波笹山の🌙先輩は「水俣で出会った女性はお嬢(🧜)だ(化けたのだ)」と言う。また、水俣で出会った女性とは駿台大阪校での刑事犯罪被害開始直前の夏休みに岡山の歴教協の講演会で出会ったのではないかと思う。さらに、「🛵おじょうも同じだ。あれは🧜お嬢だ」と臭わす。なお、🧜お嬢を別の絵文字で表せば🐭(ミッキーマウス)や、🍄‍🟫(松茸)、🎍(松)で表現されるときもある。🧜はMermaid=人魚=人形=Dollの洒落である。

▽

コンクリート「ミキ」サー車が強調されるのもこの関係である。あるいはディズニーが強調されるのも同様である。もっともコンクリートは防災の建機・浜田稔東大名誉教授をも意味している。

{なお、笹山の🌙先輩は🎎お嬢🧜お嬢の関係は笑って教えてくれない。🧜お嬢は私よりも2歳上であり、🎎お嬢は私のことを「お兄ちゃん」と呼ぶが、一浪しているため同い年である。しかし、それも嘘かもしれず、彼女の方が年上と言うこともありうる。両者共通点は「お人形さん」みたいと言われていたことである。大きな相違点は、🎎の旧姓は私と同姓(浜田)である。他方、🧜の方は嫁いで、浜田になったという噂を聞いたこともあるが、後者は真偽不明である。}

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駿台女性事件とは、もはや🎬映画・📺テレビ説での、🥴催眠と🎬脚本にそったこじつけであり、私抜きでのドタバタ劇であることは解説の必要はあるまい。馬鹿馬鹿しい。駿台事件は、賠償前提でしか角きが起こらないのはその関係である。賠償抜きでは時間の無駄である。

人生あと僅かで本音を記す。駿台女性の件で苦境にたつと、🎎お嬢は喜び、友人も喜びまくり、私が仕事面で苦境に立つ度に母と母の姉(伯母)は喜び回っていた。ただし、この世ではドメスティックバイオレンスは大犯罪である。女性の件、特に駿台女性の件の如く、私の意思がどこにも存在していないことは生存の意味がないと常時思っている。

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Ⓓ駿台講師室係・西山への当初の印象。

当時の私の生き甲斐・目的は授業にあった。伴侶はMy better halfであり、共に授業を求めていける女性を考えていた。
駿台🚺(女性)とは生き方が違うと思い、一切眼中になかった。
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ところが、二段階の催眠が使用された疑惑が高い。
まず、1982年度の講師室係🚺(同志社文卒=名前を覚えていないので学校名で記した)への軽度の催眠での関心をもたらされる。
この🚺(女性)Bは客観的に魅力があったかもしれないが、会話手段もなく、銀行の受付の人と同様に接する方法は何もないため、通常ならば何の感情も起こらないであろう。ただし、私が考えていた、予備校職員女性像とは違うという感覚をもたらされたのみである。
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こうして、駿台講師室係🚺女性でも、私の生き方にあわせられる人がいるかもしれないと思わされる。
共稼ぎ志向、波瀾万丈となるかもしれない人生、教育・人権・社会に関心のある🚺女性以外は眼中になかった。当然、それまでは駿台講師室係🚺女性は眼中になかったのを、この女性の出現で少し変化をもたらされた可能性がある。
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この女性は一年で辞めることになる(1983年春で辞職)。吉田課長が「彼女はお茶くみなどをしにきたのではない」と言って辞めたそうである。その後で、私が聞きもしないのに、「彼女には彼氏がいました」などと私に解説を突如した謎がある。(彼女も駿台のシナリオに入っていた可能性がある。しかし、絡めるのは1983年度駿台京都校入社4人組と決定されており、前座の役を果たしたのであろう。)
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83年度入社組の西山美千代については、83年夏前までは通常の感覚であった。記憶では駿台講師室係女性は伴侶対象外としていたが、前年の女性Bから念のためにどのような人物群か…の実験で西山と口を少しきき、第一印象でやはり、生き方が違うとしか思えず門前払いした記憶がある。人生観(人権・社会・共稼ぎ・万国の女性よ自立せよ…型人生観)と違う。喋っても時間の無駄、無視が当時の心境であった。
西山を簡単な会話相手(といっても1回1~2分を数回程度である)としたのは、容姿などが好みではなく、女性として意識しなかったので気安く口をきけたからにすぎない。真逆が第一印象であった。その後(1983年夏頃から)は1984年夏までで挨拶以外で、西山と口は利いたのは皆無に近いと思う。
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(Ⅲ)駿台女性事件の具体的展開
これ以降は重くて動かぬため、ページを変えて書き換え予定。

2024年6月28日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA