日本のフィクサーME・Part3:第2章6節・政治に翻弄されたボン―安倍晋三氏から志位和夫氏まで(ME: Part4と5の一部にも該当):正式公開

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日本のフィクサーME・Part3:第2章6節・政治に翻弄されたボン―安倍晋三氏から志位和夫氏まで(ME: Part4と5の一部にも該当):正式公開

 


5月22日Facebookに記入。後日、加筆や修正をして掲載

2023/06/14 大幅修正予定

2023/06/15 今日2:13全面変更の事実上、新原稿下書き終了。清書は別ページに移動して行う。10:50:資料の一部を挿入。11:15同様。

2023/06/16 21:17 ページ移動し、徐々に清書作業予定。6月18日か19日には清書を終わらせ正式公開予定。21:50から清書作業の一部を開始。23:13から日程表掲載で中断

2023/06/17 10:34~から超スローペース(合間に掃除・整理等いれながら)清書化作業開始、11:15で中断:12:30から再開で◆―3に重要な資料を添付:13:55中断:14時半~16:25中断:16:50~17:15。墓掃除のため中断。👰ほしい。👰くれば余計に忙しくなって。しかも、絵は👰ではなく🎃。21:25再開~21:56(二階氏インフルエンザ、高血圧、奥さん死去…の中での二階降ろし批判関連の当時の資料掲載):中断.

2023/06/18 16:14少しだけ追記。から19:40頃から再開し、20:53分中断(石原慎太郎氏が昔、日本共産党に憧れた時期があった話や民学同か民青に所属していた話などの資料追記。他にも竹中平蔵氏、都留重人氏の資料も追記)。22:20再開~22:49 中断。23再開、23:47中断。6/19   00:05 誤字脱字の最終チェック前

 

2023/06/19 10 時45分に正式公開予定。14:39正式公開

2023/06/19 9時~10:43 昨日(2023/06/18)の岸田総理早大訪問に絡めた催眠問答、早大大学院時代に志位氏と知り合いでは…を無理矢理書かされ、総理は他にやることがあろうと😠ながら追記。真面目にやれ。国民は泣いていると再度😡。11:19 微修正。12:23大幅追記。12:27レイアウト調整。14:39追記と誤字脱字修正

 


表紙の写真(誕生寺)写真はクリック一回でパソコン画面大、二度で巨大

誕生寺:2019年11月15日撮影:同年春に誕生時に行く際には大変なことが…。レッドパージに巻き込まれた疑惑が

 

《◆―1・志位和夫氏批判をせよ…と誰かが》

最近では2023年5月21日である。
📺テレビか何かで、私に「志位和夫氏批判をせよ」という。
何故、志位氏批判を私に迫ってきたのだろうか。
考えられることは三つある。
一つ目は、私を日本共産党員と疑っての所業である。
二つ目は2016年から、志位和夫氏と安倍晋三氏が接近し、両者で私に接近したという節があるという説である。
三つ目は志位氏が私に「親しげ」にしたからだという説である。


世界の読者に、まず志位和夫氏という人物紹介をしておこう。
ただし、ウィキペディアからの抜粋にとどめる。何故ならば、私も後に記すように志位和夫氏については何も知らないからである。勿論、テレビを通じての対談もない。彼の文献も論文も読んだこともないからでもある。

☆☆☆☆☆☆
志位 和夫(しい かずお、1954年〈昭和29年〉7月29日 – )は、日本の政治家。日本共産党所属の衆議院議員(10期)。日本共産党中央委員会幹部会委員長(党首)。
1990年から2000年まで同党同委員会の書記局長を歴任した。2000年に現職に就任[1]。
経歴
千葉県印旛郡(現在の四街道市)生まれ[2]。千葉大学教育学部附属小学校、千葉大学教育学部附属中学校、千葉県立千葉高校、東京大学工学部物理工学科卒業。

大学1年生の時、小選挙区制反対運動をきっかけに日本共産党に入党した。宮本顕治の長男・宮本太郎の家庭教師を務めていた。大学卒業後、党東京都委員会に就職、早稲田大学などの青年学生運動を担当。1982年(昭和57年)から日本共産党中央委員会で勤務した。

☆☆☆☆☆☆

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E4%BD%8D%E5%92%8C%E5%A4%AB

☆☆☆☆☆☆

(私は赤旗日刊紙は1981年春以降読んでいないため、彼の論文は読んだことがないのである。また私が部落解放運動や民主主義活動に足を突っ込んだ頃は彼は中学二年生である。中学生の書いた原稿は読まないし、入手もできない)

(2023/06/19 7:56 追記)

 昨日(2023/06/18)岸田文雄総理が突如、早稲田大学を訪問した。その後寝ていると、Wikipedia引用の中に、「(志位氏は)早稲田大学などの青年学生運動を担当とあり、ここで志位氏を知っているのでは…」と催眠があった。志位氏のことは全く知らない。〈物価高の今日、総理は他にしなければならないことがあるだろう。国民は怒るで😡。〉

 その前に、大学院時代は、学生運動はしていない。早大の学部生(大学生)で、当時学生運動をしていた大学生は一人も知らないし、大学生も大学院生のことは何も知らないと思う。少なくとも、私は全く知らない。私が早大在籍当時に、早大で学生運動などがまだあったかどうかすら知らない。アルバイトと研究だけの生活であり、早大一号館(当時早大政治学研究科があった場所)と早大図書館(以前は一号館の前にあった)の往復でしかない。例外は研究会に該当するものだけである。

また、大学院生の中にはバイトで別の大学の非常勤講師をしていた人もいたかもしれない。大学院生は大学生と教師の中間である。年齢も考えれば良いであろう。大学生では一切ない。

 大学生の点検は前期試験、後期試験の(特に政経学部と法学部)試験監督のときしかしていない。野田佳彦君、大塚耕平君、岸田文雄君、稲田朋美氏…の顔は当時確実に、試験監督の際に見ていたであろう。それ以外に大学生と接触することはない。私は早大大学院時代は内田満ゼミに所属したが、大学生の内田ゼミのメンバーは知らないくらいである。

私が早大院在籍当時(正式には1977/4~80/3、実質的には81/3まで)、江川紹子氏(多分、1978/4~82/3早大在籍か)などが内田満ゼミいたことになるが、面識はない。彼女に聞けばわかろう。同時期に同じ早大政経学部内田満ゼミにいても、大学生と大学院生は別物である(否、学部は早稲田大学政経学部政治学科、大学院は早稲田大学大学院政治学研究科で別組織となる。万事が万事そうである。今は同一のようであるが、当時は校舎も違った。私は当時一号館であった)。

 その前に、志位氏に私の早大大学院当時(1977~80年)に、私と会ったかどうか、あるいは早大大学院在籍当時の私のことを知っているかどうかを直にきくべきである。志位氏は隠す必要がないので、ありのままに喋ってもらって結構である。

▽ 

 時間がとれれば、公式HPのprofileを改訂する際に具体的な組織との関与歴も明記する(妨害や催眠がなければ本年中にプロフィールを含むHP全体を大改定を行い具体的に記載しよう。妨害せずに待てば本年中にはケリがつく)。

今しないのは、HPが煩雑となるからである(公式HPのprofileの箇所に一回明記し、後は、それをひな形として、その抜粋や引用型としたいからである。そうでないと何度も重複問答と記述をさせられる。例:写真の件、、特に結婚式写真の件、プリンタの件、小銭の件、女性、駿台トラブルの件、住所二軒の件、車の件…激しい挑発と催眠で、ものすごい重複問答や記述をさせられ、多大な時間を潰された経験からである。偶然ではなく故意にやっているのであろう)。

同時に、プライドを損なわない形で記載したいからであるわずか三行程度で全てが分かると同時に、女性の件以上に、(どのようなデマか未だに不明であるが)問題がはっきりとするであろうが、人権を標榜している私のプライド問題がある。

 本来、戦前の治安維持法の尋問返答の如く記載する必要すら全くない。ましてや、私は私人である。女性の件と言い、この件と言い記載させられることが屈辱そのものである。学生運動(自治会健全化運動)や本格的にしていたのは関学時代(1971/4~75/3)であるが、この頃は赤旗日刊紙はとっていない。当然、関学の日本共産党員は誰かも知らない。民主主義運動を本格的にしていたのは1968/4~75/3までであるが、この期間は赤旗日刊紙はとっていない。

逆に早大院時代(名目は1977/4~80/3、実質は81/3)は赤旗日刊紙を定期的に購読しているが、学生運動は一切知らない。大学院生は学校教育法では学生であるが、事実上は学生ではないのだから。(自治会運動・民主主義運動≄民青≄共産党→=イコールではない。ちなみに赤旗日刊紙定期購読期間全体は空白期間を含めても75年途中~81/3迄であり、それ以外は一切購読はしていない)

だがその前に、この種の挑発は日本国憲法13条幸福追及権、19条思想良心の自由、国際人権規約B規約18条等に違反した挑発である。国際人権規約には法的拘束力があるはずである。そして、結果として日本国憲法22条や国際人権規約A規約などに規定された(私の)経済の自由をも破壊してきた事実がある。

 ◆―7で幼児教育の必要性を強調しているが、その前に小学校2、3年の頃の算数の計算もした方が良いのではなかろうか。》


一番目は、現在の私が日本共産党員ではないことを、一番良く知っているのが安倍晋三氏と思う。何故ならば、官房機密費などで調べ回った疑惑があるからである。
少し暇ができれば、私と組織との関わりを具体的な年月日で公式HPのprofileか何かに記載を検討している。即座にできないのは超多忙のためである。
可能ならば、公式HPの大改定(大リフォーム)にあわせて行いたいからである。
何故急がないかは私は公人ではない。同時に(女性…も含めて)プライバシー類を書くには抵抗があり、自己の尊厳を失わないことを前提にしか書くことはできないからである。
人前で全裸になってはならないのと同様にプライバシーは守る権利のみならず、義務があるからである。


ここでは二点だけ記せば十分であろう。
赤旗日刊紙を読んでいる人が全員日本共産党員ではない。しかし、日本共産党員は全員赤旗日刊紙を取り、読む義務がある。
私が同紙を購読したのは1975年春頃から1981年春頃の間のみである。それも空白期間が半年あまりある。
同時に、私の党派中立は1982年頃からである。
これで計算できなければ、小学校算数やり直しである。

二番目は『日本のフィクサーME』パート4とパート5の世界であるが、ここでも幾分触れることにしよう。
ただし、順番の関係で最後に記す。

三番目は(私への「親 (した)しげ」さは)、志位和夫氏にかかわらず、何人かの首相をはじめとして、該当者は何人もいる。この現象は2000年頃から徐々に開始されたように思う。



《◆―2・政治家の私への「親しげ」さについて》


世界の読者に向けて記すため、主人公は志位和夫氏から、我が愛すべき総理・安倍晋三様を中心に記すことにする。その前に少し流れを解説する。

私が労働省所管(現厚労省所管)、雇用促進事業団(後の雇用能力開発機構運営)のポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)で激しい労基法違反に遭遇し、病気となり辞職をさせられた。なお、同大学校には専任条件で教壇に立っていたが、辞める前年には「専任そんなものなれる訳がない」(森脇一雄課長:1997年頃の肩書き)という専任詐欺も発覚していた。


この大学校は、衆議院と参議院で骨格が決まる、いわば労働省系大学(校)である。5千人を超える職員を有する「機構」と対決するには一人では無理であった。それも相手のトップは労働省事務次官をはじめとする、労働省のトップ官僚の天下りであった。そして被害は労働法違反が原因での対決である。もはや、残された道は、総理大臣及び主要政党に救済依頼を出す道しかなくなっていた。

そして、2000年4月3日小渕恵三総理(私の早大大学院政治学研究科先輩に該当)に救済依頼文を書留送付した。出すや、まさにその日に緊急入院の臨時ニュースがながれた(実際には4月2日に救急搬送されたとのことであったが、私の方も同日に書留送付予定でいたが、同日が日曜日の関係で一日延期した経緯がある)。やがて死去された。
だが、これを契機に政治家の何人かが近づいてきだしたようである。クリントン夫妻と知り合ったのもこの頃である。

だが、賠償交渉は暗礁に乗り上げたままであった。
先の流れから、小泉純一郎氏は私に興味を持っていたようである。
この小泉氏に救済依頼文を送付しようと考えたのが2003年頃と思う。
2004年には小泉純一郎氏などに救済依頼文書を送付する。
すると、小泉氏は裸で飛び込んできた。
小泉政権は2001年に誕生したが、もし、自民党総裁三選禁止をなくせば2021年頃まで続いた可能性があるくらいな支持率と絶大な人気を謳歌(おうか)した。最低でも、2015年頃までは続いたであろう。


それを見た、他の政治家も私に関心をもったようである。
だが、私ことボンがどのような思想をしているか不明のため、裸で飛び込んで来る度胸はなかった。

次に接近してきたのが菅直人氏であった。

その関係で野田佳彦氏もかなり近かった。特に、野田総理の頃はオバマ政権のためであったこともあろう。
そして、その後に、接近してくるのが、我が総理安倍晋三様である。
この安倍様の真似をする政治家も増えた。その一人が志位和夫氏ではなかろうか。


志位和夫氏が小泉政権、安倍政権、福田政権、麻生政権、鳩山政権、菅直人政権、野田佳彦政権で、私に「親しげ」…はなかったと思う。
救済依頼文書は主要政党党首全員に送付していたため、「親しげ」にしてくれれば救済について問い合わせをできたのであるが、していないのだから、気のせいではあるまい。
まず、順番が逆になっている。
それとも、2010年頃から政経関連の原稿を出版社へ送付したり、2015年頃から電子書籍発売したため、それを読んで、私の考えている政経の世界を理解したからであろうか。

ともかく、2010年頃までは、私は後に述べるように小泉政権の相談役的な形で思われていたのだから。

なお、安倍晋三様は、最初は遠慮がちに、次には私を警戒し、突如豹変して「親(した)しげ」に変化し、同じく突如、私に喧嘩を売りに入る。

その経緯を次に語ろう。



《◆―3・ボンに対する安倍晋三様の豹変(ひょうへん)続きの対応》

(a)ボンへの警戒
第一次安倍政権では師匠=小泉純一郎≓浜田隆政(私・ボン)という形で遠慮がちであった。所が、第二次安倍政権になると、今度は、ボン(私)の徹底的な警戒に入る。
どうも、安倍政権崩壊が私の原稿「親方日の丸」(Kindle、KOBO 上下百円、1$で発売中)と同時進行であったため、この原稿の執筆の関係で第一次安倍政権が崩壊の一因となったと思っていた節があった。

そこで、既述の如く、ボン包囲網をつくる。第一次安倍政権になり、まず、安倍昭恵氏を私の古里美作市へ派遣する。2013年春のことである。
更に、2014年には安倍昭恵氏を(我が家から約2㎞の)湯郷温泉にまで接近させてくる。
同時に、安倍氏が声かけをしたという噂もある萩原誠司氏(元岡山市長、元衆議院議員)が美作市長となる(2014年春:当初「小泉チルドレン」の一員と思っていたため、私はやりやすくなると思っていたら逆であった。小泉氏とは接触がなく、逆に安倍氏と…の気配であった)。
また、2013年~14年にかけて、私の執筆する原稿を徹底的に検閲をしてくる。

就寝中の催眠類をかけてくるのは、当初は、私の父や長姉類のように思われた。次に、☠X群がその仕組みを知ったのか、駿台講師時代かその直後から介入を開始した気配があった。更に、第二次安倍政権から安倍氏…の流れ疑惑の催眠も入ってきたように思われた。

そこで、私がHPで公開する原稿内容を先に催眠をかけて言わせ、それならば書いてもよろしいという検閲体制としか思えないことが何度もあった。
かなり評判が良かった「毒饅頭(どくまんじゅう)の教育」や「偏差値のイドラ」などは事前に玄関で大きな声で内容を言わされ、テレビからであったか安倍氏が「それでは良かろう」という具合であった。


第二次安倍政権では、第一次安倍政権崩壊の最後の日の屈辱感から、なりふり構わず、長期政権を目指すと決意していたようである。そこで、戦前の治安警察法、新聞紙法…を彷彿させるやり方が随所でみられた。
安倍氏による朝日新聞攻撃もこの頃最高潮となっていた。それが翌年の朝日新聞従軍慰安婦報道攻撃(2014年)となる。私の想像では、安倍氏は朝日新聞倒産というよりも、朝日新聞懐柔を目的としていたように思われた。安倍氏の性格から言えば本当は倒産を狙いたいが、朝日新聞は新聞業以上に、巨大不動産屋という側面があり、新聞の発行部数が零になっても倒産しない可能性があるからである。そこで懐柔を狙った節(ふし)があった。


朝日新聞攻撃は従軍慰安婦報道追及型ではなく、安倍軍団が自由に動かせる人物系統の人間を朝日新聞の中に放り込んできたり、同新聞社内でスパイ活動に従事したりする人物群を作ってきたりした気配があった。更に新聞の質を落とす工作まで行われたとしか思えなくなってきた(ぜんぼう/全貌を把握できていない朝日新聞は書いた記者擁護と新聞社のメンツ守りで必死にさせられた)。まさに戦前の戦術である。

しかし、安倍様は朝日新聞以上に、私の原稿や発言を気にしていたようであった。



(b)安倍晋三氏の豹変(ひょうへん)とボンへの接近


その安倍氏が、ボン攻撃から一気に手の平をかえて、私に接近するようになってくる。
理由は以下である。
1・拙著『親方日の丸』(Kindle、KOBO上下各100円)は安倍政権打倒で書かれた物ではなく、私自身の救済のために、雇用能力開発機構分析をするのが目的と悟ったことである。

2・私の知名度が世界に浸透していたこと及びMr.オバマと私が急接近しつつあったこと。
そこで、Mr.オバマとうまくやるためにも、私への接近の必要性があった。

3・安倍晋三氏の選挙区・山口三区の中心である萩市に、2015年以降の予定であった同市へのフィールドワークを、催眠類で前倒しさせ2014年に行かせ、翌2015年に確実に萩を世界遺産にする試みが成功したこと。この時は光市(岸家の選挙区)と萩市(安倍氏の選挙区)に行ったFieldworkであった。

4・2015年に安倍内閣支持率が初めて30%台をつけ焦りがでてきたこと。
その頃、小泉政権時代を思い出し、私の利用価値を見いだしたと思われる。
そこで2015年から、私に接近を開始もしくはその準備を開始し、2016年には急接近をするようになってくる。実際に、私が今月の歌をG7にやらされた翌月頃から安倍政権は12ヶ月に亘り、NHKの世論調査で50%を割ることは一度もなかった。逆に縁切りをした2017年5月か6月からは、安倍氏の総理辞任まで一度も50%を超えることはなかった。いずれもNHKの世論調査の支持率である。

世間一般の人から見れば「親しげ」に見える。その頃、(官邸によりほされる危険を感じた)何人かのアナウンサーなどが私になんとかしてくれと泣きついてきたように思われる件も多発した。


5・同時に、私を利用して、部落解放同盟か民主党(民進党)潰し(つぶし)を画策したように思われた節(ふし)があった。前者とすれば、そのときに、志位氏が登場したのではなかろうか。というのも、部落解放同盟と日本共産党は対立関係に長期あったからである。
この5番は徐々に分かるであろう。私も現時点ではまだ分からぬことが多い。なお、民主党は2016年3月27日に民進党に改組し、総選挙のさなかの2017年9月28日に(謎の)解散となる。

(もっとも、民主党の凋落の要因は2012年の消費税2度連続決定と、それ以上にその決定過程にあったことは何度も記した通りである。同時に、私が同年に野田総理に「消費税値上げ…は先に衆議院解散をしてからではないと、公約違反のイメージで民主党だけが一人負けする」と予告というよりも、アドバイスを何度かしていた。野田氏は「民主党がどうなっても、(国家のために)やらなければならないのです」と返答した。だが私の予測通りに、民主党は一年後には議席が1/5になり、支持率も半分以下となった。)

なお、☠Xグループがこの頃から、潰されては困ると安倍氏に急接近というか、安倍氏の提灯(ちょうちん)持ちになった疑惑もある。
私に今月の歌・日本を伊勢志摩サミットにあわせてするように、拷問型徹夜で強いたのはまず☠Xグループと思う。

【資料】

A:野田佳彦総理へのアドバイス

1:2015年11月20日公式HPで正式公開のもの(HP掲載開始が2015年、SNSの実質的使用が2013年のため、野田佳彦総理に助言した直後には掲載手段がなく、即座の記載は無理であった。)

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私は言った。「私はフランスの一介の人間が1950年につくった消費税なるものは日本の政治風土には向いていないので反対である。どうせあげるならば累進課税のある所得税の方にすべきである。

だが、その議論は今はおき、消費税を上げるとしてすら、今のままの状況であげたならば民主党の一人負けになる。万一、消費税値上げ法案を国会に提出するならば、衆議院を解散してからにせよ。そうでないと、国民は幾ら三党合意と言っても、民主党が消費税を上げたと考え、民主党の一人負けになる」と彼を諭した。
そのときに、野田君は強い調子で言った。
「万一、民主党が敗北しても構いません。消費税を今上げることは日本のためなのです。だから、万一、それで民主党が敗北をしても構いません」と言い切った。

全文は下記

Blog15-095・現代社会を斬る・第一回―2015年後半の日本経済。

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=3948

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2:日本のフィクサーMEで5%嘘を入れて総合的に記載したもの

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日本のフィクサー〝ME〟続編メモ(七)・1・野田佳彦総理への助言と当時の政治を振り返って

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=17064

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B:朝日新聞の安倍晋三氏代役行為の一例(他にも奇妙なことが山ほどある)

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権力を監視する役割を果たすべきマスメディアに身を置く人間が、元首相の依頼を受け他社の雑誌編集部に対し原稿チェックを要求するという「暴挙」に出たことが大きな波紋を呼んでいます…朝日記者が安倍元首相に頼まれ週刊ダイヤモンドの編集に介入…朝日新聞の記者が、自分には重大な誤報を止める使命があるのだと気負い込み、他メディアである週刊ダイヤモンドの編集部に、ある記事のゲラを見せろと要求したそうである。…

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「MAG2NEWS 2022年4月15日」

また“安倍絡み”。朝日記者が『週刊ダイヤモンド』記事に「検閲要求」の傲慢

https://www.mag2.com/p/news/535635

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私の原稿では

気が向けば一言・280・はかなき民主主義―朝日新聞の某メディア介入?

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1824/

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C:朝日新聞のボン攻撃及び新聞劣化の証拠

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朝日新聞による性報道は未成年被害者が学校や村で特定できることにつながりセカンドレイプとなっていた。

朝日新聞3月24日の記事が特に問題→長崎県の同一中学校で、再婚女性で、女の子が二人で、年齢明記から分析すると同一中学校に共に同一時期に在籍となり、…該当学校では誰なのか完全特定が可能となる書き方であった。恐らく学校や地域で、被害者はセカンドレイプに遭った可能性が高い。
同時に👺に頼まれてのボンへの印象操作攻撃と分析。

当初は🤡は朝日新聞の下記記事の問題箇所を、被害者が困らないように、●●●等伏せ字で公開したが私以外で一般的に出回ってしまったため、問題をはっきりさせるため、今回は朝日新聞記事のままである。特に大きな問題点は学校や地域で被害者が特定可能な書き方にある(確実に特定されている)。迷ったときは、

被害者の人権を守るため、被害者の弁護士に相談する義務もある。

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Facebook 9月24日投稿記事より
https://www.facebook.com/photo/?fbid=3209885402414523&set=pcb.3209888562414207

 

写真の説明はありません。

 


よりわかりやすく問題店を指摘したSNSなどがあるが現在見つからない。
いつか、再度調べて掲載。

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※一時、文在寅政権(韓国)の時に与党系新聞や政府の行動が私に対しておかしい時があった。

安倍晋三経由ならば、彼らは信用しない。そこで、当時は革新系・左派新聞という印象がある朝日新聞の誰かが嘘を流したと分析した。いずれ分かろう。

これも安倍氏工作による朝日新聞破壊攻撃の一つである。

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気が向けば一言【政治】№118・日本のフィクサーME・パート2付録編⑧・2013年訪韓の経緯―2

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1028/

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《◆―4・ボンと安倍晋三氏の対立の開始》


安倍氏にすれば、ぼんこと、私の利用価値はあった。最低でも支持率問題で。
そこで、私を切る必要性はなかった。
ところが、2017年になると急遽、私への対応に変化が起こる。
理由は簡単であった。


Mr.トランプがアメリカ大統領になったからである。
Mr.トランプに関する情報は不足していた。更に、彼が何を考えているかは、誰にも分からない。ひょっとすると、Mr.トランプ自身も分からない可能性すらある。
ただし、2017年前半にMr.安倍氏に入った情報では、Mr.トランプは大のオバマ嫌いであるという情報であった可能性があった。

そこで、Mr.オバマの匂いのするものを全部排除しようとした疑惑がある。
日本ではそのシンボルとしてのボン(🤡ME)切りである。
ボン切りの頂点であった、2017年6月頃であったか、安倍氏と麻生太郎氏との会談で「(ボン切りについては)…小泉純一郎氏の田中真紀子切りと同様で、その内に支持率は回復する」と言ったのを聞いたことがある。


その逆も然(しか)りであった。
Mr.オバマと対立するものにはどんどん接近をすることによって、Mr.オバマ離れを強調する。
その典型例の一つがロドリゴ・ドゥテルテフィリピン大統領Rodrigo Roa Duterte :大統領任期2016年6月30日~2022年6月30日)の2017年6月来日問題などである。もっとも、これはフィリピンの国内事情で延期され、2017年10月末に来日し、官邸主導で天皇、皇后両陛下と会見となる。

Mr.トランプとの急接近の仕方も異様であった。もうなりふり構わずであった。


ボンへの接近、ボン・私への「「親しげ」」さをアピールするため、2017年1月までは、経団連会長(榊原定征第13代経団連会長)、NHK籾井会長、安倍晋三氏の当初のブレーンの一人・浜田宏一氏などと私の会談をセッティングしていたのが急変する。Mr.プーチン2016年末の来日の際の私とプーチン氏との会談セッティングもまず安倍氏であった。
激変であった。もっとも榊原氏は米倉 弘昌 第12代会長の関係かもしれない。米倉さんは対中貿易を重視していたため、ボン(私)に大変興味をもたれており、和気藹々とした関係にあったからである。そう言えば、第11代経団連会長・御手洗冨士夫氏を紹介しようとされたのも米倉さんであった。ところが、第14代経団連会長・中西 宏明氏(在職期間2018年5月31日~2021年6月1日)からは経団連の方もボンとは疎遠となった。そして、経団連は今は見ての通りである。 もはや第4代経団連会長・土光敏夫(在職期間:1974年5月24日~1980年5月23日)氏の頃は夢物語である。それどころか、日本の企業自体が総論としてガタガタになりつつある。

この激変は随所でみられていく。
自民党幹事長・二階 俊博氏と安倍氏の関係も冷え込む運命にあった。安倍氏が二階氏を登用(2016年8月:第52代、53代幹事長)したのは、自民党総裁三選禁止を撤廃(2017年3月実現)するため、次に中国と韓国を視野にいれてであった。また、オバマ政権では二階氏ともうまくいくと考えていたようであった。二階氏が幹事長に登用されたころ(2016年8月)に安倍氏が、私に二階氏は韓国の朴槿恵政権ともうまくいくし、習近平氏ともうまくいく。「どうだい」と私にテレビから(恰も、うまい人事だろうとにっこり笑って)言っていたことを覚えている。


ところが、自民党総裁三選も可能になった。更に、韓国は文在寅政権となっており、もはや韓国とうまくやっていく意思もなくなっていた。オバマ政権では、日米韓の連携関係のため、二階氏は貴重な存在であった。
しかし、日米韓連携を重視するオバマ氏は去った。しかも、安倍晋三氏とあうんの呼吸であった朴槿恵氏も去った。
セメント対立の文在寅政権とうまくやる必要はないともなっていた。Mr.トランプは日米韓連携よりも、日本と韓国の天秤外交を考えていた節(フシ)もあった。

もっとも二階氏が自民党幹事長の要職にいたのは2016年8月~2021年10月であり、即座に二階氏を排除することは試みは何度もあったが、勢力分布などからできなかったようである。同時に安倍氏の面子(薄情と思われぬようにする必要)もあり、何度も祭り上げ(副総裁か衆議院議長か何か…に祭り上げ実験を奪う)は実際に何度科試みられたが失敗したようである。

特に2018年12月は危なかった。
まず、二階氏は12月4日にはインフルエンザと診断され、その後は高血圧の症状で入院し(12/10)、更に伴侶・二階怜子さん(12/23死亡)…の時期であった。
その頃に、二階降ろしが画策されているという情報が入った。
私は、これは人情に反していると、SNSかHPで批判し、二階氏擁護に回った。
右翼ならば武士道に反している、と。
人道に反している、と。
伴侶の死の時期などを利用するものではない、と。
その頃のSNSかTwitterが出てきたら紹介しよう。


要するに、安倍氏にすれば、ボン切りの必要性はなかったが、トランプ対策で、オバマ色排除でボン切り強行を急いだように思われた
ともかく、Mr.トランプが政権についたときに安倍氏はあわてふためくというものではなかった。

【資料】(二階氏の件の際の資料)

浜田隆政@Takamasa_Hamada
18-340-5【二階】昨日インタネットで知る。
自民の #二階俊博 幹事長が入院、インフル回復も高血圧症状。
早期回復を祈ります。否、願う。
また #谷垣禎一 氏の姿を11月と昨日見る。
何よりです。
今後党派(#自民 #民主 #共産 #社民 #公明 …)を問わず、この種のメッセージは遠慮無く行う。
午後2:29 · 2018年12月11日

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1072362719981068291?s=20

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本日、気になるネットを見て、慌ててYouTubeで二階氏をさがした。
二階 俊博(にかい としひろ、1939年2月17日 – )自由民主党幹事長である。
何故、気になったかと言えば、二階氏降板の臭いを感じたからである。
私は党派中立・宗派中立であるが、(出会った)人は思想・信条に無関係に大切にする。温かく見守ってくれていた二階氏には、私と考えや政策の一部が違っていても好感を持っている。同時に、現在の日中関係改善には二階氏の存在は大きいこともある。

……

しかし、安倍晋三氏には大きな貢献をしたことになる。だが、安倍氏が二階氏を目の上のたんこぶと感じ始めると排除にかかる可能性が高い。しかし、それでは日本人の人情が許さない。それを考慮して、棚上げ、祭り上げを行う危険がある。副総裁などの名誉職に祭り上げ、実権を奪うやり方である。
下記に掲載の如(ごと)く、二階氏の病と気落ちを利用して。
そこで、昨日(2019/01/22)の時事更新には二階氏を掲載しておいた。

☆☆☆☆☆☆
公式HP・時事更新(2019/01/22~1/29)より抜粋
☆☆☆☆☆☆
「党派中立・宗派中立でも、これだけは言ってもよいだろう。二階氏の健康完全回復と健康維持を願う。奥さんの不幸もあり、大変でしょうが、日中改善、更には日韓関係改善には自民党内では貴重な存在。マレーシアのマハティール首相は93才でも…御覧の通り。なお、自民党以外でも、こうした形で掲載する予定でいる。同時に、不適切統計問題のニュースとしても取り上げた。」
☆☆☆☆☆☆

気が向けば一言【政治】№122・日本のフィクサーME・パート2付録編⑪・2013年訪韓の経緯―3企業説―1(2019年1月24日正式公開)

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1061

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☆☆☆☆☆

☆二階氏は現在(2023/06/19)、自民党の幹事長ではない。そこで、二階氏関連を記述しても、私にはメリットはない。しかし、人間の情というものがあり、私はそうした信義に厚い人間というだけの話である。



《◆―5・レッドパージの雰囲気と選挙利用政策》

ここから、私も相当部分がちんぷんかんぷん状態となっている。
現時点では分析不可能である。


🤡(ボン)へのレッドパージの開始は2019年4月である。しかし、その兆候は2017年秋である。
ちなみに、右側からのこうした攻撃を受けたのは1952年生誕以来初めてではなかろうか。
ましてや、党派中立宣言をして40年近くなってからである。
実際にそうした色がつく行動をしていた時ですら、右側からの攻撃は受けたことがなかった。それが完全に党派中立をした数十年後とは一体何だろうか。
簡単に言えば、読売新聞社長の渡辺恒雄氏(昔、日本共産党の東大の細胞長、今で言う支部長)に今レッドパージをするようなものである。
何をやっているのだろうか、となる。


2017年秋に、安倍氏が私を利用して民主党(民進党)潰(つぶ)しか何かを画策していたように思えた。先に述べたように2016年から本格開始をしていた。
そのときに私も罠にかけようとした疑惑である。
確か、鳩山由紀夫氏のReTwitterの一部をReTweet実験で更にReTweetした時と思う。(場合によれば資料で掲載。)
もっとも、これは安倍氏ではなく、☠Xグループの所業かもしれない。恐らく催眠型でさせられたのだと思う。


安倍氏が斯様(かよう)な攻撃をして来たのは何故だろうか。
当初は、安倍氏がスパイか何かで、我が家界隈の人間から得た誤情報を真に受けたと考えていた。例えば、Z家のデマ…。
しかし、私に関する情報を相当仕入れていて、勘違いをすることはあるまい。
更に、安倍氏は変わった性格で、右翼ではあるが、人間的に左翼系を毛嫌いするわけでもない。
同じ鷹派でも小池百合子氏と安倍氏の対立は本物のようである。
他方、安倍氏は民主党時代の野田佳彦氏や前原誠司氏に対しては好意的なのである。
また、大昔、学生運動にも参加していたとの噂のある塩崎恭久氏を第一次安倍政権では官房長官にしたくらいである。
更に、自社さ連立政権{1994年(平成6年)6月30日から1998年(平成10年)6月までの自由民主党・日本社会党(1996年1月19日以降は社会民主党)・新党さきがけによる連立政権}を経験し、左翼アレルギーは余りないはずである。


安倍氏の盟友である、麻生内閣では日本共産党委員長(後の議長)宮本顕治氏の息子・宮本太郎氏を 内閣官房安心社会実現会議委員(麻生内閣)にしているくらいである。
恐らく、村山内閣では村山氏に嫌悪感を示していた訳ではあるまい。
すると一体何だったのだろうか。
2017年の件は現時点でも不明である。


2019年春は簡単である。
私が🚴自転車で誕生寺(浄土宗始祖法然生誕の地:下の拝む像は誕生寺にて私が気に入った像である。後に法然の像の写真も掲載しよう)にフィールドワークに行く際に、途中で片山潜の生誕地を通った。少し寄っても、わずか数分である。

長年、社会科教師であった私は当然撮影するに決まっている。この片山潜記念碑撮影から赤攻撃が開始する。私の本音😆、😂、そして例の一言。「アホか」となる。(『求め続けて』付録編で丁寧に記すが、私は英語の教師ではなく、社会科の教師である。何故、そうした勘違いが起こったかは、ポリテクカレッジ岡山での専任詐欺被害に由来している。)

何人かの人物が「思想良心の自由」と私を擁護したが、そうした高尚(こうしょう)な次元ではない
笑止千万である。
経済の自由の問題であり、妨害は業務妨害に該当する。
共産党・社民党・立憲民主党どころか自民党議員や公明党の国会議員で片山潜の経歴を知らぬ議員はいない。何故ならば、高校入試や大学入試に毎年どこかで出題されているからである。

誕生寺:2019年4月8日:

誕生寺:2019年4月8日:法然上人像

【片山潜記念館】(重要な町の観光資源の一つです)

誕生寺道中:片山潜記念館撮影:2019年4月8日13時頃

(片山潜祈念碑:社会科の授業で必要な写真。仕事)

誕生寺道中:片山潜記念碑撮影:2019年4月8日13時頃


わかりやすく言えば、アメリカの社会科の高校教師が民主党員であっても、リンカーン(共和党)の生誕地近くを通ったならば撮影するのと同様である。あるいは、共産党嫌いであっても、アメリカの社会科教師が、中国で毛沢東生家近くを通れば撮影するのと同様である。
日本の保守・鷹派議員でも、高校・予備校の社会科教師が片山潜生誕地を通れば撮影は当然と考える。常識である。
日本での常識が通じないとなれば、これはアメリカなどの外国首脳…と推測された。ただし、外国首脳が直に日本国内で策動することは、内政干渉と話題となり困難である。そこで、必ず、日本政府の許可がいる。そして、どちらかの手先が策動をすることになる。候補者は☠Xグループのみか、官僚始めとして多数いる。

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【片山潜に関する日本史の入試対策例】

(別に政治経済の入試、倫社の入試、現代社会の入試、公民の入試でも頻繁に出題される、入試頻出項目である。)

https://nihonsimondai.com/meijisangyou.html

観光業対策例:(岡山県)久米南町HPから:

地元にとっては少しでも観光客に来てほしい。そこで、この地(片山潜生誕地)も重要な観光資源となる。今回の如(ごと)く攻撃は観光業自体への破壊攻撃であり、資本主義の一番の原則(経済の自由)に反する行動である

久米南町/片山潜記念館 (kumenan.lg.jp) :←クリックでリンク。

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ひょっとして、フィールド妨害の依頼人はMr.トランプだったかもしれない。(ただし、日本政府の許可なしでは不可能である。)
何故ならば、彼は大統領となったときに、二人の人物をモデルとした。ニクソンとレーガンである。そこでニクソン政権の側近であったキッシンジャー氏を訪問している。それらから、私は、Mr.トランプはニクソン氏の米中接近を念頭に米朝接近を検討する余地があると分析し、米朝首脳会談を呼びかけた。しかし、それ以前から、彼の脳裏にはそうした発想があった可能性はある。
レーガンのスターウォーズ計画から、宇宙を強調し、宇宙軍を創設した。
Make America great again. America is First.とニクソン、レーガンのフレーズも使う。
ニクソン、レーガンと言えば、マッカーシズム共鳴で有名でもある。
そこで、私が片山潜の記念碑撮影といえば、祭り男・トランプ氏ははしゃいだと想像した。

私は、後日安らぎブログに『求め続けて・第三部補章』として経緯を記すが、英語の教師ではなく、社会科の教師である。担当した教科は政経・現社・倫社・日本史…である。大学入試は世界史である。
長年社会科の教師をしていた人間が片山潜の生家近くを自転車で通り、撮影しない教師がいるだろうか。ちなみに、私は萩市では伊藤博文の記念碑や田中義一の記念碑を撮影したが、誰も私を右翼とは言わなかった。ちなみに、田中義一よりは、片山潜の方が入試にでる頻度は高い。なお、岡山市では犬養毅(木堂)生家も撮影している。光市でも伊藤博文生家を撮影しているが、誰も私を保守とは言わない。

犬養毅―1(1987年撮影)

犬養毅―2(犬養毅記念館内にで:1987年撮影)

犬養毅―3(犬養毅記念館内にで:1987年撮影)


政経以外では、法然鑑真日蓮、…の像、栄西修行の地を撮影しているが、誰も浄土宗、日蓮宗、曹洞宗に狂っているとは言わない。社会科教師ならば誰でも近くに行けば撮る。
ところが、お祭り男🃏が騒げば、ごますり男・安倍様もさらに彼を喜ばそうとする。
単なるそうした次元としか分析できないのである。

これはレッドパージではなく、選挙活動ではなかろうか。
Mr.トランプの常套(じょうとう)手段である。
類似例では、トランプ氏ではなかったかもしれないが、「Mr.オバマは出生時のアメリカ国籍をもっていない」と大騒ぎの前例がある。政治的な効果を分析しよう。
これで騒ぎを起こせば、(視聴率に飢えている)マスコミが乗ってくる。すると、ものすごい選挙運動となる。しかし、費用は一円もいらない。同じ量の宣伝をしようと思えば、幾ら選挙費用がかかるか計算すればよい。
しかも、効果は抜群である。
難解な政策を延々と訴えるよりも効果は高いとくる。
おまけに、相手陣営の動きを止められる。(何故ならば)オバマ陣営は反論するために多大な労力を要求されるため、身動きを一瞬止められるからである。

同様にレッド(赤攻撃)…は話題になり、無料でマスコミ…が騒ぎ、安いコストで選挙運動に悪用できる。大変コストパフォーマンスが高い手法である
同時に求心力も高まる。
冷戦期と異なり、今は完璧に議員等のCM目的が本質である。
しかも時には無料で大CMとなる。
選挙費用換算では…は幾ら儲かっていると思うか。
だが、私はそうした次元の馬鹿馬鹿しい話にいつまでも付き合わされるのは御免被(こうむ)る

政治学者でもある私が分析すれば、この手口と思われた。
なお、私の考えは政経の世界№50に記載する予定でいる。
ちなみに、私が左でも右でも中道であっても、その影響が国内外の我が友に行かないとなれば、私自身が「赤だ」とか「赤でない」等と説明する必要性はない

共産主義者でも、社会主義者でも、社会民主主義者でも、民主社会主義者でも、労働党…でも、保守でも、右翼でも、極右でも、国際条約・憲法・各種法律・公共の福祉に反していない限り、バッシングしたり、不利益を与えたりしてはならない。同時に、私はそうした思想でもって、人を評価したり、人間性を判断したりすることはしない。

それでも党派中立宣言をしているため、党派中立を言わねばならないかもしれない。
しかし、以前は、私への赤攻撃が国内外の友人の支持率などへの影響を気にして解説したのであるが、もうそうした心配がないとなれば、執拗(しつよう)に記したり、解説したりするのは時間の無駄と考えている。同時に名称には注意を。労働党でも、イギリスの労働党と北朝鮮の労働党は、どちらが良いかではなく、違う性格をしていることを忘却しないことも重要である。
民主党もアメリカの民主党と日本の民主党は違っていたはずである。こうした幼稚な議論ももはや馬鹿馬鹿しいと考えている。

同時に、プライバシー権、幸福追求権を守るためにも、本来無視が原則の事項でもある。こうしたことへの反論はそうした人権をなくすのに貢献するであろう。

 しかし、挑発が余りにしつこいので、妨害催眠・挑発がない限り、本年中に、私の組織との関わりを具体的な年月日で公式HPのプロフィールに掲載しけりをつけよう。それは、全裸で人前を歩くのと同様に、私人がプライバシー公開をさせられる屈辱そのものでもある。

 更に、こうした手口が蔓延すれば、戦前の治安維持法への道となるため、本来は無視が正論であった。被害者のいない女性との付き合いも同様に無視が原則である。私へのこの間の挑発は狂っているとしか思えない。

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【関連資料】

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片山潜
[生]安政6(1859).12.3. 岡山
[没]1933.11.5. モスクワ
日本における労働運動の先駆者,社会主義者。旧姓藪木。 1884年渡米,苦学してエール大学を卒業した。この間キリスト教に入信し,キリスト教社会主義の影響を受けて労働・社会問題に興味をもった。
95年帰国,ただちに職工義友会に参加。労働組合期成会結成時には幹事として活躍した。
1904年アムステルダムでの第2回国際社会主義者大会 (第2インター) では,G.プレハーノフとともに副議長となり,軍国主義打倒の演説を行なった。
07年『社会新聞』を発刊。議会主義,普通選挙運動を主張し,幸徳秋水らの急進論と対立した。
10年の大逆事件後,11~12年東京市電争議を指導,投獄され,出獄後 14年弾圧を避けて渡米,22年ソ連に渡り,コミンテルンの執行委員となった。
以後国際プロレタリア運動に大きな役割を果し,ソ連は国葬によって生前の功に報いた。
主著『日本の労働運動』 (1901) ,『我社会主義』 (03) ,『自伝』 (22) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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コトバンク「片山潜」より抜粋
https://kotobank.jp/word/%E7%89%87%E5%B1%B1%E6%BD%9C-45001
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Wikipediaでは以下(18カ国語に翻訳がある)

片山潜 – Wikipedia

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《◆―6・私への「親しげ」さ…と止(と)まった時計》

2023年5月21日に🥴催眠が「志位和夫氏が…」と。
それのみで志位和夫氏批判は無理である。
🤡(ME)は彼の本や論文等は読んだことがない。
📺テレビを通じての対談も小泉氏や菅直人氏と異なり、実質的にはない。

当時(2000年~2015年頃までに)見ていた政治家の出る番組は、TVタックル、朝まで生テレビ、サンデープロジェクトであり、ニュース番組は筑紫哲也 NEWS23である。後に、報道ステーションも見始めた。ここには志位和夫氏はコメンテーター型では登場していない(選挙後の各政党党首のひな形コメントを除く)。そこで、全く見ていない。

 2016年以降も同様であるが、NHK番組に時々、志位氏が登場してコメントを言う機会が増えた。記憶ではNHKのみでしか、志位氏のコメント類を聞いていない。これは、安倍晋三氏がセッティングしたとしか思えない。

 知らない人の批判は不可能である。賛美も批判も、知らないのだから、両方できないというだけの話である。


「親(した)しげ」だけでは…各氏も「親しげ」にであった。
小泉純一郎氏も…が、(志位氏と異なり)で実際親しい…Thankのみである。
菅直人氏も…が(同上で)…実際親しい…Thankのみである。
2015年からは、安倍晋三氏も…Mr.トランプ登場まで…で、志位氏の数倍に「親しげ」であった。それならば筋を…。
私は党派中立で平等対応でしかない。
第一、「親しげ」のみならば、小泉政権時代の浜田幸一氏すら…であった。


私が政治に絡んで知っている政治状況は以下の頃である。
自民党=佐藤栄作総理、田中角栄 幹事長。
社会党=成田知巳委員長、石橋政嗣書記長。
公明党=竹入義勝委員長:矢野絢也書記長。
民社党=春日一幸委員長、佐々木良作書記長。
共産党=野坂参三議長 、宮本顕治委員長 、不破哲三書記局長。
アメリカ→ジョンソン大統領ニクソン大統領の時代である。

なお、🤡(ME)が民主主義運動に足を突っ込んだ頃、志位氏は中学生であった。
知るわけなかろう。
常識というものがあろう。



後に、授業の関係で主として世界レベルのみ調べたが、この頃はもう現実政治とは無関係で学術的レベルの話である。
即ち、中曽根康弘首相、レーガン大統領、サッチャー首相、…漸くゴルバチョフ書記長登場…でトラブル続きで時計が止まる。この頃、河野洋平氏が新自由クラブで…ある。

そして、駿台辞職(1988年2月)後は⏱時計は完全に止まる。

🤡(ME)は約40年以上、赤旗日刊紙は読んでいないため、日本共産党の現在は知らぬ。
私は、共産党同様に知らぬ 維新の会自体の批判もしていない。
公明党関連のコメントも40年以上、正確には約50年していない。
私が公明党関連の文献を読んだのは政治学者・ 藤原弘達氏の『創価学会を斬る』(1969年出版)の出版妨害事件疑惑の頃である。その後、この約40年以上(約50年=半世紀)は公明党を含めて全然知らないため何のコメントもしていない。


私は今後、しがらみを切り、右翼・中道・左翼無関係に良い物は良いで紹介予定でいる。
ちなみに、一番応援したい政党や政治家は(私)の人権救済を実現した人物もしくは政党である。
次が、目に見える形、即ち国会で浜田隆政問題を正面から浜田隆政の名を出して取り上げた政党もしくは議員等の個人である。
雰囲気では駄目である。
小渕恵三総理、小泉純一郎総理、菅直人総理、神崎武法公明党代表、山口那津男公明党代表、不破哲三共産党委員長、志位和夫共産党委員長、土井たか子社会民主党委員長、福島瑞穂社会民主党委員長 …延べ百人に救済依頼文を書留送付したが、誰も動かずが実情である。


公式HPのProfileに後日、詳細な、私と幾つかの組織関連年表を掲載予定でいる。
現在でも公式HPのprofileを読めば大体分かるはずである。
http://takahama-chan.sakura.ne.jp/profile.html
赤旗日刊紙を読んでいる人が全員日本共産党員ではないが、日本共産党員は全員赤旗を読む義務があるはずである。
そこで上記Profileを読めば簡単に分析できるはずである。
アホかとなる。
だが、私が日本共産党員かどうかは他人には関係あるまい。

レッドパージの真似開始は2019年春(兆候は2017年秋頃…)
だが、小泉政権時には自民党相談役…と思われ、(日本共産党国会議員)穀田恵二氏 、(左翼系と思われる政治学者)山口二郎氏に睨(にら)まれていた。
しかし、菅直人政権や野田佳彦政権では民主党の相談にものった。
そこで、第二次安倍政権前半では、民主党相談役と突如思われ、 野中広務氏が「君にはだまされた」と📺(テレビ)から無念さをにじませ…であった。
大学院恩師・内田満先生(1930年1月4日 – 2007年1月26日)が自民党顧問から民主党に変化されたという噂を聞いたのは、この頃だったかもしれない。その頃は、先生は亡くなられていたが。


(読売新聞社長)渡邉恒雄氏(元日本共産党員で東大の細胞長)、 (サムエルソンと懇意にしていた日本を代表する経済学者)都留重人氏(一時、アメリカ共産党員だったそうである)、 (戦後日本のフィクサー、現総代総長田中愛治氏の父)田中清玄氏(元日本共産党員)を見て、レッドパージをする人はいまい。
逆に言えば、市川房枝氏の戦前の一部のみを見て市川房枝氏を軍国主義者という人はいまい。時は流れる。
記述するもアホらしい。
志位氏に話を戻せば、物事には公平・公正さと、それ以上に知らぬ人・知らぬ事は評価も批判もできないという当たり前の話である。
党派中立決定した相当後からは、(終戦を知らずに、1970年代まで戦争状態にいた)小野田寛郎・横井庄一状態に長期おかれてもいる。

 

(2023/06/18 16:10~23時にかけて)追記

そういえば、石原慎太郎氏も学生時代は、今の民学同か民青かにはいっていたそうである。同時に、当時は日本共産党に興味をもっていたとも聞いている。

岸信介が戦後最初に入党しようとした政党が日本社会党であることは既に記した。また、若き日の彼は、資本論(若しくはマルクスの文献)なども読んでいたそうである。

竹中平蔵氏…。その他、書けばきりがない。

【資料】

①市川房枝

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…翼賛体制との関わり
市川は国策(戦争遂行)への協力姿勢をみせることで、婦人の政治的権利獲得を目指す方針をとり評論活動を行った。1940年(昭和15年)に婦選獲得同盟を解消し「婦人時局研究会」へ統合。1942年(昭和17年)に婦人団体が大日本婦人会へ統合。大政翼賛会を中心とした翼賛体制に組み込まれ、市川は大日本言論報国会理事に就任[注釈 4]。

公職追放
戦時中に大日本報国言論会理事であったため、1947年(昭和22年)から1950年(昭和25年)まで公職追放となる[注釈 5]
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Wikipediaより抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E6%88%BF%E6%9E%9D
☆☆☆☆☆

②石原慎太郎

☆☆☆☆☆
慎太郎が高校一年の時だった。学生運動が盛んになろうとしていた昭和23年に、民主学生同盟にいち早く入り、学内に社会研究会を作った。日本共産党へのヒロイックな気持にかられていた時、母は“大衆のために両親や弟を、そして地位も財産も捨て、獄につながれても後悔しない自信があるなら、私は反対しないが、その覚悟をしてほしい。それならお父さんが、どんなに反対しても、私は賛成する” この言葉にそのあくる日から彼は学生運動を離れている。
— サンデー毎日1956年9月9日号「五つの道をゆく“石原慎太郎”批判」
☆☆☆☆☆
Wikipediaより抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E
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③竹中平蔵

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和歌山市立吹上小学校、和歌山市立西和中学校、和歌山県立桐蔭高等学校に進む。高校生時代は日本民主青年同盟(民青同盟)に所属していたが、在校中に決別[42]。1☆☆☆☆☆☆☆☆☆
Wikipediaより抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E8%94%B5
☆☆☆☆☆

④岸信介氏
☆☆☆☆☆
このころの岸は社会主義に関心を寄せてカール・マルクスの資本論やフリードリヒ・エンゲルスとの往復書簡などを読んだものの[23]、国粋主義的な北一輝と大川周明の思想の方に魅了され[24]、上海で大川に説得されて帰国[25]していた牛込の北を訪ねている。後の満洲国への関与などに対する大川の影響を岸は認めており[26]、北も「大学時代に私に最も深い印象を与えた一人」として「おそらくは、のちに輩出した右翼の連中とはその人物識見においてとうてい同日に論じることはできない」と岸は語っている[27]。
……
1953年(昭和28年)、日本再建連盟の選挙大敗により日本社会党に入党しようと三輪寿壮に働きかけるも党内の反対が激しく入党はできず、1月13日自由党入党の意向を表明し、首相吉田は了承し、3月18日に正式入党、4月公認候補として衆議院選挙に当選して吉田から憲法調査会会長に任じられて自主憲法制定を目指すも[57]、1954年(昭和29年)に吉田の「軽武装、対米協調」路線に反発したため自由党を除名された。
☆☆☆☆☆
Wikipediaより抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B
☆☆☆☆☆

岸信介氏については、私は『岸信介』(原彬久著、 岩波新書、1995年)を読み、彼の上記の話(戦後、彼が最初に入党しようとしたのは日本社会党であったこと)を知っていた。しかし、私がそれを📺(テレビ)等に向かって言うと、多くの人がでたらめをと間に受けなかった。その後、Wikipediaに上記が掲載されたといういきさつがある。
岸信介氏とは第56・57代総理大臣で、安倍晋三氏の敬愛する祖父である。

(2023/06/19 12:18)

ちなみに、余り知られていない人名では、日本共産党と対立していた部落解放同盟の朝田善之助氏(解放同盟元委員長)、上田卓三氏(解放同盟元委員長)、大賀正行氏も元日本共産党員であり、作家の安部公房氏…、政治学者では田口富久治氏、藤田省三氏…、経済学者では長州一二氏(元神奈川県知事)、…実業家では堤清二氏…などが共産党員若しくは元共産党員である。その他書けばきりがない。

西洋と異なり政治風土の問題だろうか。党派中立をしている私にはどうでも良いが、世界と日本の違いの参考資料として掲載した。

今回の原稿関連で調べていると面白い記事にであった。
「宮本太郎」 (日本共産党中央委員)である。
日本共産党委員長宮本顕治氏の息子も「宮本太郎」氏(北海道大学名誉教授、中央大学教授:内閣参与等歴任)であるが、別人のようである。ちなみに、宮本太郎氏の家庭教師が志位和夫氏とWikipediaに掲載がある。
通常ならば人間違いが起こるであろう。
同様に、私に対する人間違いも実に根が深いようである。
ただし、前者の宮本太郎氏についてはWikipediaに(1910年-2008年)とあり、死亡されているので見分けがつこうがややこしい。
人間違いは実にややこしい。

下記は二人は別人。宮本顕治氏の息子は後者(人名クリックでウィキペディアの説明箇所にリンク)。

宮本太郎 (日本共産党中央委員) – Wikipedia

宮本太郎 – Wikipedia(麻生太郎内閣時代の安心社会実現会議の委員も歴任)



《◆―7・最後に》


《◆―5》に関して付け加えれば、私に対する思想的な攻撃ではなく、サディズムの傾向を帯びた様相となっている。
宗教で言えば、昔のオウム真理教を、政治で言えば専制主義者、暴君の行動様式となっている。左翼では昔の中国の四人組を連想させる様相となっており、心理手学的には異常が随所に見受けられる。
教育学的には幼児教育時のミステークと分析される。
高等教育ではなく、情操教育を含める幼児教育である。
上記については、安倍氏とは特定していないし、現時点では特定できない。

ただし、安倍氏については、晩年の行動様式に変化が見られ、安倍氏への参謀に誰か新しい人物が加わったとしか分析できない。
それについては第7節で述べることにする。

また斯様(かよう)な現象が生じる原因は幼児教育、民主主義教育の普及が不十分であったことに由来すると思われる。
自分の思うように動かないのが民主主義であることを忘却しているようである。
自分の思うように動く…を専制主義という。
なお、戦争にコストがかかるのと同様に、民主主義の樹立にはコストがかかることも忘却してはならない。
橋やダムを無料で造られないのと同様に民主主義は無料でできるものではない。
高等教育を拡充しても、民主主義は成熟しない。
むしろ、幼児教育の欠如が、今の日本社会の特徴ともいえる。

(付録)https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1670645244537507841?s=20

①🐻早大卒🎌総理8人で東大19人についで第二位(第三位が京大5人、第四位が慶応4人)。(2023/06/19まで)
②🤡(ME)が早大大学院修了後が7人
③(ME)の🤡救済依頼送付(2000年)後が5人
🤡闘争文書2000年送付後の🎌総理は #早大5、#慶応 1 #成蹊 1、#東大 1、#学習院 1 東工 1
🤡(ME)が早大大学院に行く前は早大1<慶応2<京大5<東大16

偶然ではないような

 

 

 

 

 

 

2023年6月19日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA