「2013年の真相」№26・第4章ソウルへの旅・第3節・ソウル会談・二日目―安重根記念館内にて(下) :💁正式公開

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「2013年の真相」№26・第4章ソウルへの旅・第3節・ソウル会談・二日目―安重根記念館内にて(下)

・📢(日本のフィクサーME・パート2の一部に該当):💁正式公開


【更新履歴】

2021/07/15 18:11 下書掲載

2021/07/15 20:13 📷掲載。追記は明日少しのみ予定。公開は明日で下書公開も原則せず。

2021/07/16 14:47正式公開(ただし、誤字脱字は今後修正する場合がある):14:52微修正

2021/07/16 15:21 重要な追記。落下事故及びカメラ器財故障の犯人に関する6つの仮説掲載(韓国政府説、北朝鮮説、日本政府説、企業説、Xグループ説、映画説)

 


2013年の真相―№26
α(一番下に2021年追記)
β(上に本体・原則小学館に送付したまま)=2014年初頭の文書(後の追記は追記時期明記)
γ(📷写真・🎦動画の挿入)

全体目次は下記。今回は4章第3節(上)。

№10以降読みやすくするため、βとαの順番を逆にする


2013年の真相・目次


β(上に本体・原則2014年初頭小学館に送付したまま):γの写真とα)2021年追記は本日


第3節・ソウル会談・二日目―安重根記念館内にて(下)

その後は、ソウル駅界隈を回った。場所はソウル駅、南大門、南大門市場である。それらを見て回り、撮影計画を練った。
夕日とソウル駅、夕日と南大門、夜景とソウルタワー、と。撮影スポットは昼の内に決めておいた。

【南大門】

南大門(ソウル):2012/12/10 14:01:📷№13-073-221

そして、私の計画した時間通りに、計画した場所で撮影した。
なお、安重根記念館内では撮影禁止と言われたため一枚も撮っていない。通常はこうした記念館内では撮影可能な場合が多いが、規則に従い撮影しなかった。
(犬養毅記念館、北村西望記念館、広島平和記念館、佐久間象山記念館、松下村塾、小泉八雲記念館…魯迅記念館、魯迅誕生地、上海博物館等では撮影はOKであった。最低でもストロボ及び三脚禁止程度である。)
規則は規則のため、誰一人館内にいなくてもその規則に従った。


【安重根記念館】

安重根記念館(ソウル):2012/12/10 12:23:📷№13-073-183

 なお、ソウルタワーと夜景撮影に五十分近く時間をかけたが、その間、警察官かガードマンか不明の人が、私の側(私から三十~五十センチの距離の所に)に終始いた。ただし、撮影妨害は一切されていない。これらは、別の原稿『旅に心を求めて―不条理編二』(安重根と伊藤博文)の中で紹介予定である。ソウルでのアドベンチャーも同様である。

【街から見えるソウルタワー】

ソウルタワー(ソウル)→試し撮り。夕方を待つことにした。この撮影中に警察官の服を着た人が私から30cmの所に50分ひっついていた。SPmの如くに:2012/12/10 14 :10:📷№13-073-236

ソウルタワー(ソウル)→先の警察官に似た人が常時撮影中ひっついたため、通行人は一切私によらなくなる。それまで何人かがはなしかけていた。確かに安全ではあった:2012/12/10 14 :16:📷№13-073-245

 

★★★(夕方出直し)★★★

【ソウル駅】

ソウル駅(ソウル)→夕方を待ち再度出直し:2012/12/10 16: 56:📷№13-073-268

【南大門】

南大門(ソウル)→夕方を待ち再度出直し:2012/12/10 17:08:📷№13-073-282

【ソウルの街並】

ソウルの街並→夕方を待ち再度出直し:2012/12/10 17:10:📷№13-073-290

【ソウルタワー】

ソウルタワー(ソウル)→夕方を待ち再度出直し:2012/12/10 17 :22:📷№13-073-304

ソウルタワー(ソウル)→夕方を待ち再度出直し:2012/12/10 17 :40:📷№13-073-325-1

ソウルタワー(ソウル)→私の得意技・光多重露出:2012/12/10 17 :46:📷№13-073-335-r2

【ソウル駅】

ソウル駅(ソウル)→夕方を待ち再度出直し:2012/12/10 18: 06:📷№13-073-268


なお、ソウルに来て、コンビニでパンを買って食べるだけでは、この運動量では持たない。そこでやむを得ず、一か八かで食堂に行くことにした。何故、食堂に最初から行かなかったのか。それは言葉の壁を強調される挑発にあったからである。
ソウル一日目(十二月九日)にコンビニで買物をし、料金を英語で尋ねると、料金の数字をハングル語で言われたため分からずに困った。しかもソウル市内ではほとんど英語は通用しなかった(道を尋ねたとき……、と。)そこで、食堂でも同様であることを懸念し、食堂へ行けなくなったのである。これにより外食を阻止されたに等しい。ただし、コンビニ従業員の対応は通常であり、それ以外には問題はなかった。

ともかく、これだけの運動量では僅かなパンでは腹は持たないため、背に腹はかえられず、日本語の標識がある店に入る。しかし、日本語は通じなかったように思われた。
ただ、メニューにウオンの表示があったため、会計ではさほど困らなかった。なお、このときに食べた食事は実に美味しかった。チャンポン麺が三千五百ウォン、とんかつが六千ウォンであったが、どちらも素晴らしく美味しかった。前者は日本のチャンポン麺とは異なっていたが大変美味しかった。それでも、英語も日本語も通じぬ所が多いとなると、その夜もやはりコンビニとした。(空港での両替は一万円=九万四千ウォンである。)

【向かって左側の巻き寿司の絵の箇所が一度だけ食事をした店、それ以外はすべて向かって右側のコンビニ(主としてコッペパンのようなパンを購入=これがソウルの食事全貌)】(焼き肉どころかキムチも食えず):右側のコンビニは写真の一番右側の店が切れて四分の一程度写っている店である。

ソウルで入った食堂(一度のみ)、他は右端のコンビニで全食事・パンを購入:2012/12/10 13 :31:📷№13-073-206



しかし不思議なことに、二日目の夜は、前日のコンビニで前日の店員が今度は金額を日本語で言った(きゅうせんうぉん、と)。韓国・台湾・中国の人は日本人と同じ顔をしている。ソウルで出会った人の誰が日本人で誰が韓国の人かは分からない。一九九五年のタイ旅行では外出は体調悪化により封じられ、中国では鍵により相当封じられ、韓国では言葉の壁により一部制限された。一番問題なのはタイである。後の二箇国については、特に何も思っていない。言葉で外出を封じられた経緯をもう少し書く。

先の食堂では、「This is a good lunch」と、「Good」を強調したが、それでも通じず、「カムサハムニダ」(ありがとう)と言うと、店の人は「アニョハセヨ」(今日は)と言った。私がホテル内で必死に覚えようとしていた二つ目の言葉である。
因みに、一日目の飛行機の機内食後に、「This is a delicious lunch」(美味(おい)しい昼食でした)と言っても通じず驚いた。通じぬはずがないのであるが。

そこで「This is a wonderful lunch」(すばらしい昼食です)と言い換えてようやく通じた。大韓航空機の機内食はシンプルではあったが、見事といって良いくらいに味もしっかりしており、感心した。先の店もコストパフォーマンスが高い料理であった。

なお、先の店ではチャンポンにシジミ類の貝が入っていたが全部食べた。実は、貝は好きではないが、小さい貝のため食べられる範囲であった。味も良かった。帰りの飛行機でも、ヨーグルトは苦手であるが、ヨーグルトにoriginalと記載があったため、全部食べた。過去食べたヨーグルトと異なり美味しかった。


 二日目夜のホテルの中では、昼間のソウルの歩行者専用道路を単車が走ったり、歩き煙草をしている人を見かけたり、歩行者専用道路の点字ブロックの上に車が止まっていたり、「カムサハムニダ」とか「アニョハセヨ」と言おうとしても、なかなか言葉が出ずに笑われたりしたことから、気分が幾分高揚していた。おまけに疲れもある。

さらに、翌日は午前四時に起きて帰路につく〈て〉ので、LED付き目覚まし時計を持参してきたが、そのライトを誰かが点けっ放しにしていたため、電池切れが起これば翌朝目覚めぬ可能性もあったことから、気分は余計に高揚していた。(なお、フロントで一応モーニングコール[Wake me up call~]は依頼していたが、それでも通じたかどうかという不安もあった。)

そこで、この夜は韓国に対して苦言を言った覚えがある。
「ここは、大阪か!街のつくりのみではなく、交通マナーの悪さ。単車が歩行者専用道路を走るのを見かけ、点字ブロックの上には違法駐車があり、おまけに信じられぬが歩き煙草の人もいた。手に火のついた煙草を持って歩いている人である。日本文化を一時拒否すると言いながら、日本の悪い所ばかり真似をしているではないか。

ソウルは人口一千万人と聞く。当然障害者、高齢者も多いはずである。にも拘わらず、車椅子どころか、押し車を押している老人や杖をついている障害者・高齢者を一切見かけないのは何故か。
それは歩行者専用道路を単車が走り、違法駐車があり、点字ブロックには車が止まっているからではないか。これで、障害者が外を歩けるか。なお、高齢者はほぼ全ての人が何らかの障害を持っている。足が痛いとか、目が悪いとか、耳が遠いとか、腰が痛いとか。彼らがこれで外を歩けると思うか。人口一千万人のソウルで老人・障害者が相当いるにも拘わらず、見かけないということはどういうことか。


韓国は儒教社会であり、高齢者を敬うと聞いていたが、これは事実ではなかったのか。日本ほどではないかもしれないが、これでは先進国と言えるであろうか」、と。

ついでに語学の不満も言っておいた。

「詰め込み型で英語学習をしても、外で必要最低限の英語が通じないのでは語学教育は無駄ではないか。学校教育では、〝習うより慣れろ〟で簡単な英語だけで良いのでは。外国語の必要が出てくれば、そのときに放っておいても勝手にマスターする。

また、私がカムサハムニダとかアニョハセヨと言おうとして間違えると笑ったが、それでは、韓国の人は日本に来れば日本語で挨拶を、タイに行けばタイ語で挨拶を、フィリピンに行けばタガログ語で挨拶をしてみれば良い。
因みに、私は〝ありがとう〟だけでも日本語・外国語を含めて合計四十以上覚えている。〝こんにちは〟も同様である。すると頭がパンクしてしまい覚えられないのである。一度、フィリピンにでも行き、タガログ語で〝ありがとう〟と、〝今日は〟を即覚えられるかどうか実験してみれば分かる」、と。


言葉についてはつまらぬことを言った物である。語学についての愚痴は見苦しい。笑われてもどうでも良いことである。
ちなみに、ある中国人が日本に出稼ぎに来て、飲食店で懸命に日本語を覚えようとしていた。
お客さんが、「ねえちゃん、天麩羅うどん一つ。」
店員「はい。天麩羅いっちょう。」
別のお客さんが「かつどん一つ」。
店員「はい。かつどんいっちょう。」
更に別のお客さんが「灰皿たのむで。」
店員さん、暫く考えて、「はい。灰皿いっちょう。」
これを聞いて、周りのお客さんが爆笑したそうである。多分灰皿という献立があると思ったのであろう。しかし、他人を怒らせる言動をしない限り、ビジネス上で大きな間違いをしない限り、間違えて外国語を言っても愛嬌にすぎない。通常ならば、私もそう思うのではあるが、如何せん精神が高ぶっていたのであろう。

ただ、これには後日談があり、家に帰るや、もうハングル語など覚えようとは一切していないのに、いとも簡単に「アニョハセヨ」と「カムサハムニダ」が言えるのである。まるで、韓国にいるときには、催眠でその言葉が出ないようにさせられていた如しである。

ともかく、ソウルはまるで、大阪の如しであった。因みに、街のつくりは日本の都市と同様であり、歩行者専用道路も同様であり、人間の顔も日本と同様であり、TV番組の編集も日本そっくりであり、言葉を除けば海外に来ている気は全くしなかった。むしろ、長崎や神戸の一部の方が海外に思えるくらいである。ソウルが、日本とは違う、先進国にふさわしい都市となることを願う。
ここまでは、過去の私の旅行からすれば余りたいしたことはなかったとも言える。

 最後の日(ソウル三日目)は大変であった。午前三時四十分頃目覚め、腕立てと腹筋とスクワットを行う。そして帰宅準備をし、ホテルを午前四時五十分頃チェックアウトする。迎えの人が午前五時過ぎに来る。その頃、ソウルの街に雪が降り始めた。

 問題は帰りのことである。途中免税店に寄ることになっていた。
まず、現地係員が、「車の中の電気を消してもよいか」と、運転の途中で尋ねてくる。 私は走行中は本を読まないので問題ないと返答する。
やがて、別のホテルで女性二人を乗せる。
今回のマイクロバスは、来たときとは異なり、相当小型(七人用くらい)であった。私は一番後ろの座席に座り、前に二人の女性が座り、その前が運転席である。私の席から出口に出るには、通路が狭いため、ヘリコプターの後部座席や大型トラックの真ん中の席の人が隣の人をまたいでから外に出るときのように、前のめりで出ることになる。なお、車の入口は高く、車に入るには通常のバス同様に階段型のステップがある。しかし、このステップが来たときの車とは違い相当狭く、小さかった。

 やがて免税店についた。一番後ろから体をすぼめて外に出ようとした。
まず約十キロのカメラバックを持っているため、腕と頭を最初に出し、次に踏み台に足を乗せようとした。
目の前が真っ暗になった。
踏み台がない。
恰も、エスカレータの如く自動収納された如しである。狭すぎたのか自動的に収納されたのかは不明である。当然、前のめりで倒れた。
多分、このときに足は地面についていないと思う。腕若しくは腕の肘と、足の膝から落ちている(両膝を同時に打った)。十キロ近い物を持ち、狭い空間から前のめりで体を出し、最後に踏み台を踏もうと思うと踏み台がなければ、通常は頭の方から膝の所までで落ちる。
ちなみに、外は真っ暗、車の中の電気は消してあり真っ暗、車のライトも消されて真っ暗であった。雪は降っていたが、足を地面に着ける前に落下したため、滑って転んだのではない。

このとき、現地係員の女性が大丈夫ですかと尋ねた。柔道をやっていたため、返答には癖がついている。「大丈夫です」、と。柔道の練習中に痛いことがあっても、相手が故意にやったのではない場合には、返答は一つである。「大丈夫です。」

 飛行場で、ズボンをまくると膝の皮がむけて血が出ていた。
体重七十キロに服とバックを加えて九十キロの重みを両膝で受けたのだから。両膝で良かった。片膝ならば、重さから膝の骨が折れたり・ひびが入ったりする危険があった。今から考えると、マイクロバスから降りるとき、落下するような陰謀があったとしか思えない。

【脚の写真】ただし、怪我をしてから13時間後。帰国し、我が家(美作)に戻り、治療後に撮影。落下事故当初は血が脚の下まで少しではあるが流れていた。

帰宅後撮影:怪我をしてから13時間経過&風呂&治療後。我が家で撮影のためもう傷はほとんどわからないが、当初は足の指まで血が流れていた:2012/12/11 19 :29:📷№13-073-372

次に、ソウルから関空まで二時間弱連続で、激しい金属音に見舞われた。さらに、関空ではパスポート紛失事件が起こった。

誰が画策したのだろうか。三日目を問題としている。なお、この日、実家のある高速バス停留所から自転車を置いていた駅まで歩いて帰る途中に、JAの所で警察官が事故調査か何かをしていた。行きがけは加西サービスエリアで兵庫県警が何かをしていた。


【日韓の警察の類似性】(日本と韓国で連絡を取っていたのでは)

前日道を聞いた警察署にお礼に。親切な牧歌的警察官はおらず、日本で見た警察官に似た警察官がいた:2012/12/10 12:57:📷№13-073-202

加西サービスエリアにて。関空の行きがけに見た日本の警察官:2012/12/09 12 :54:📷№13-073-004


 犯人が誰かを、韓国政府が濡れ衣を負わされても良くないため、明白にしなければならない。帰宅してから、私が言った一言は「表のルールのみか、裏のルール違反は卑劣である。同じ転ばすとしても、受身がとれぬ体勢で人を転ばしてはならない。十キロ近いカメラバックを持っていたため、受身がとれぬ体勢で。格闘技をやっている者ならば、私の言っていることは分かるであろう」、である。

 ただ、それでも付け加えておかねばならないのは、帰りの飛行機の機内食は、コンパクトかつシンプルではあったが、やはり見事な味であった。

第4節・帰国後の暴風(ここ以降は次回)


α(一番下に2021年追記)


次回、訪韓の際の余波問題を取り上げる。
具体的には、張成沢(チャン・ソンテク)問題、朴槿恵大統領支持率低下へなどである。

なお、2013年12月の訪韓は2013年5月の訪中での演説が効いたのか、宿などではかなりの情報漏れブロック体制があったような感じをした。その後はますます、フィールドワーク妨害が起こる。

そして、この旅では、韓国を何一つ見ず・韓国名物を何一つ味合わず、ただ単に安重根の墓参りのみをしたに等しい安重根記念碑、安重根記念館のみの旅であった。
現在のコロナ禍のオリンピックどころではない、コンビニでコッペパンのみの旅であった。

2021/07/16 15:17 重要な追記
車落下謀略を含む一連の妨害などについての犯人仮説は下記に収録
(ただし、カメラ器財故障、落下事故…の犯人はそれぞれ別人の可能性もある)

☆☆☆☆☆
【犯人6つの仮説】
☆☆☆☆☆☆
①(韓国謀略説)訪中の後で、従軍慰安婦肯定論を私に結びつけられ、その誤解から器財をやられた。韓国国民の反感をかった。
……
②(北朝鮮説)訪中の際に、#張成沢 #金正男に絡められ誤解をされ、北朝鮮政府ににらまれた
……
③(ニコンのライバル社説)カメラメーカーの争いは熾烈(しれつ)であり、まさに企業戦争であった。
……
④訪韓の最大目的は安重根記念碑撮影であった。さらに、当初は韓国から竹島(独島)に行くか、それとも板門店に行くかを検討していた。そこで、日本政府関連の一部か何かが、その妨害工作をした。
……
⑤映画説で話題提供を図り続けている人間による仕業。
……
⑥さらに、その中で、私の周辺で、白土三平の『カムイ伝』型で、私と近隣の親戚をいがみ合わす工作(近隣・親戚間との分断・対立策謀や謀略)が2002年頃、遅くとも、2005年頃から徐々に進行していた。その関係者達による一貫した攻撃の一部かもしれない。
その工作は、該当者のアキレス腱(けん)若しくは琴線(きんせん)を狙い、徹底的に、ときにはこじつけてでも無理矢理、私と該当者と対立をするようしむけてきた。

【①6つの仮説】
気が向けば一言【政治】№117・日本のフィクサーME・パート2付録編⑦・2013年訪韓の経緯―1
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1025/
☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆
【②韓国政府説(朴槿恵政権説)】
気が向けば一言【政治】№118・日本のフィクサーME・パート2付録編⑧・2013年訪韓の経緯―2:18:25追記
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1028/

ボン:
そうなのだ。
ところが、何故か、僕の先の風俗論に結びつけられた雰囲気をもたされた。
そして、その後で、同年・2013年訪韓だ。
そして、韓国で不可思議なことが幾つもあった。
その一つが、何度も書いた器財故障問題だ。
また、言語の壁を強調された問題もあったけれども、極めつけが、真っ暗闇で車から降りようとして、ドアを開け、外にでると、地面がなく、アリスワンダーランドの如く、「ア、ア、ア~」、やがて膝をゴツンとコンクリートへ…と、(いわば車からの転落事故と)なる。

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☆☆☆☆☆
【③企業説】
気が向けば一言【政治】№122・日本のフィクサーME・パート2付録編⑪・2013年訪韓の経緯―3・企業説-1
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1061/
気が向けば一言【政治】№123・日本のフィクサーME・パート2付録編⑫・2013年訪韓の経緯―3・企業説-2
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1063/
気が向けば一言【政治】№124・日本のフィクサーME・パート2付録編⑬・2013年訪韓の経緯―3・企業説-3
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1066/
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☆☆☆☆☆
【④日本政府説】
気が向けば一言【政治】№130・日本のフィクサーME・パート2付録編⑭・2013年訪韓の経緯―4・政治説
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1089/
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【⑤北朝鮮説、⑥Xグループ説、②韓国説裏付け資料】
【政経】№99・日本のフィクサーME・パート2付録編②・2013年訪韓と後の諸事件との関連(公開開始)
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/946/

②+③韓国説裏付け資料と③北朝鮮説】(朴槿恵支持率と韓顧客の推移)
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【⑦映画説】
気が向けば一言【変恋】№119・日本のフィクサーME・パート2付録編⑨・「お嬢(🧜・🎎)から、女性C、そして🎃オジョウと🎦映画説」
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1036/

気が向けば一言【仕事】№121・日本のフィクサーME・パート2付録編⑩・「奇異な人生と謀略の仕掛け人・仕事編」
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1054/
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