夢か-12:・写真家緑川洋一(2)彼の遺言・撮影技法公開

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夢か現実か・写真家緑川洋一(2)彼の遺言・撮影技法公開

 

2001/12/14: OHKテレビ16:00『追悼緑川洋一氏~長陽の海』再放送とのこと→1回目も見たが再放送とごく一部違っていた気もする

 

◎今回の文書は、難解なので、カメラ・写真に興味ある方のみ読んでください

◎重要メモ。海の色様々な光の創造の仕方に関する技術メモ→機会があれば実験予定

 

 

1:私の解釈した基礎理論

海の強い光の反射(特に逆光)時の撮り方のメモ。
①多重露出、
②準に様々なフィルターをかける、
③(相当)アンダーで撮る。

③のため、1回で写るのは激しい光の反射の一部のみである。特に望遠系では、□か△などの光の形で光った部分だけが、②のフィルターの色で写り、それを①により合成し海を様々な形の色の集合体として表現する。尚(なお)、海以外の物は原則はシルエット的に撮る。人形みたいなのと海の例の写真(「海のマリア」として紹介されることもある作品)は合成とのことであった。

 

 

《ここは浜田応用案》合成の応用とすれば、人物を海とカメラの間に置き、動かさずに①で②と③を行い、最後にストロボを使い人物をぎりぎり出す手もある。当然ストロボは人物のみに届く範囲とし、余分なものには一切ストロボが当たらない位置に人物を入れる。若(も)しくはストロボ抜きで人物がシルエット的になるように露出を検討して多重露出を行う。
多重露出の合計でも人物を黒くする方法も検討が必要である。人物は動かさずにおき、空白をつくらないことなどである。少なくとも人物の後ろに光る海をおいたときには人物は動かしてはならない。(光る海の部分には人物をいれないようにする→2015年5月30日時点では意味不明)人物を動かせば人物と光る海が混ざるか透明人間的になるからである。
色の組合せは各種実験するが補色(例→青と黄色、マゼンダと緑、シアンとレッドなどを補色という)などには十分注意を払い使用すること

 

※補色は、絵の具と異なり、カメラの世界では同一の効果ならば零=無色となる。

 

 

2:TVで見たり聞いたりした部分のメモ

①口頭での指示時→緑川氏は「1/250、F22」と言う。助手の女性は「F16-22」と返答していた。
フィルムは恐らくISO100と思われるが、違っていればISO50前後と思われる。
②TVに写ったノートのメモには1/1000等の数値がかなりあった。
③使用フィルターはCCフィルターの大型サイズに似たフィルター。LEEシリーズのような大きさ。枠はなく、ホルダーもなく手でレンズ面をおおい撮影されていた。
④フィルターの色は聞こえたのは赤のみであったが、原色が多かったみたいであった。
⑤フィルターの色の濃度はかなり濃く、原色の一歩手前的な色のようにも見えた。少なくとも赤で言えばCC-R10とかR5レベルの薄い色ではなかった。

 

3:フィルム保存

緑川洋一氏は、フィルムを小袋に入れ保存し、上からルーペで見ていた。
35㎜でもマウントして、重要なものは透明の小袋に入れ、ケースに黴防止剤と同時保存し、ルーペでも袋ごと見た方が良いのであろうか。
またスライド撮影などは重要作品は止めた方が良いかもしれない。ただし、袋保存でも年に1回か最低でも2年に1回は外の空気に当てた方が良いと思われる。

 

フィルムへのゴミは厳禁《ここ以下は浜田が記述したものである》。

フィルムなどへのゴミ付着は興ざめどころではない。デジタル保存の場合には後で簡単に修正がきくケースもあるし、またできなくても原本にゴミやキズが付着していなければデジタル保存しなおせば良いだけのことである。フィルムの原本をやられたらどうしようもない。またデジタルは自分で処理できるが、フィルム原本の修復は自分では不可能である。
プリントでも自己デジタルプリントは自分で適切なときにやり直しがきく。しかし業者プリントは、プリントの汚れを落としても、プリント自体が最初と同じ色でできる保証はほとんどない。それ以上に私は商業モラル(倫理)として耐えられない。同時に作品としても、わずかなゴミが付着してすら、価値は1/10以下に落ちる。

※上記は拙著「覚書:2001/12/14:写真に関するメモ」より抜粋

 

 

※関連文書。

浜田隆政『日本のフィクサーME』第3章・小泉純一郎登場、第一節「光る海」より一部抜粋。

《抜粋開始》
晴天の日の瀬戸の海は光る。しかも銀色に光る。
私が九六年に見た天草から口之津(くちのつ)への海は金色に輝いていた。だが、瀬戸の海はいつも銀色に輝く。輝くというよりも、海が鏡の如く、光を反射し、光を放っているが如くに光る。私は、宇野から高松に行く道中の海を〝光る海〟と名付けている。
写真家・故緑川洋一氏はこの海に魅せられ、瀬戸の海を撮り続けた。彼は光の魔術師と呼ばれていた。晩年、地元のテレビで、彼の技法を公開した事がある。私は釘付けでその番組を見ていた。彼の海の撮影技法は機密事項に等しい。だが、この時には、撮影技法、更には絞り、シャッタースピードの全てを公開した。私は目を疑(こ)らして見た。恰(あたか)も、彼はテレビを通じて、自分の技法を私に伝えようとしているが如くに思えた。というのも、私は彼の写真美術館には九六年と九七年のみで五回以上行っていた。最初の時には、写真集を購入すると、緑川氏自身が出て来てサインをし、本を渡してくれたこともある。因(ちな)みに、彼がテレビを通じてこの技法を私に伝授し、暫(しばら)くして、彼は死んだ。
他方、私は九七年から、車も奪われ、収入もなく、彼の技法で写真をまだ一枚も撮っていない。瀬戸の光る海を、いつか必ず、彼の技法を更に改良し撮らなければならない、と考えている。
《抜粋終了》