《🚧準備中》駿台真相編8-2・駿台時代の解けぬ謎と辞職直後の世界と政治介入(西山、Z3、👮、🎬、🎬、👺):8の後半
【表紙写真】(📷表紙の写真:)
▽
※当初〈◇―1〉としていた「永久の世の映画…」は最後に回す予定でいる。
【更新履歴】
2025/05/08から下書き開始:4/25から安らぎ文庫へ下書き掲載(非公開);
略
2025/05/22 西山との対比で、(重要)ベネッセ運営の岡山進研予備校のヨシダという女性を巡る奇妙な問題を思い出したので記載しておく。5月17日には岡山進研予備校の最後のオーナーであった福田総一郎氏をNHK プロジェクトXで見た。同上、9:22から本日のメモは重要であるかもしれないため安らぎBlogで下書き状態のまま公開に入る。2025/05/23はベネッセの関係から1997年の不可解な交通事故と警察の関係を就寝時に催眠解説させられる。
略
2025/05/27 夕方に 正式公開予定(長くなったため、二分割する。今回は2万7千文字で打ちきり、残りは次回に回す。)
略
2025/06/04 朝かあ記入中:今 12:20:《◇―5》から下書き開始する。13:30~14:59記述。少し休憩を挟む。途中土手の竹対策と墓まで散歩。17:56から再会中。
▼
【公開済み】
7-A群:1987年前半の刑事犯罪
7-B群・差別文書問題
7-C群・刑事犯罪の大がかりな仕掛けと状況
7-D群・駿台交渉資料編
【駿台真相編-8】
8-1:駿台時代を今振り返っても解けぬ謎(西山、Z3、👮)
8-2:駿台時代の解けぬ謎と政治家介入、そして駿台辞職直後の世界(西山、Z3、👺、🛵、🌈)→今回の箇所
《🚧準備中》駿台真相編8-2・駿台時代の解けぬ謎と辞職直後の世界と政治介入(西山、Z3、👮、🎬、🎬、👺):8の後半
■
【今回の構成】(今回も一万文字を目処も…どうも2万7千字余り。)
《◇―序》今回の内容全体を貫く柱(永久の世の映画説本質論)。
《◇―1・西山に絡められると、被害が何故40年以上続くのかという謎》
《◇―2》🤡我が家の住所番地を70年使い続けたZ3と駿台事件との謎。
《◇―3》☠(謎のXグループ)とは何か。👮警察官関与と利権?
上記は前回:下記が今回
《後半の◇―序》
《◇―4》催眠類が多数使用と生活不可能問題。
《◇―5》🛵おじょうの涙と行動の謎とその後の世界(急遽追加項目)
《◇―6》政治家(安倍晋三等)絡みと、催眠強制・強制労働と彼らの利権疑惑
《◇―7》永久の世の映画説と現世の論理矛盾
《◇―8》駿台辞職直後の世界「閉じた窓にも日は昇る(文藝春秋用原稿から抜粋)」
《◇―9》「ポリテクカレッジ岡山時代に受けた危害」へのバトンタッチ論。
《◇―後半の序》
本日(2025/06/04)コンクリートミキサー車が多数走る。11:50 時点で90台を超えたであろうか。12:27時点では百台を超えたように思われる。
以前、コンクリートミキサー車が走ったとき、Z3の死亡、安倍晋三銃撃事件、(意味不明であるが)エリザベス女王の死去と続いた。死者以外のときには、住所二軒問題の本質に迫る原稿が多かった。何も起こらなかったことは過去には前例がないことを強調しておく。
本日、X.com等に記載した文書を掲載しておく。
▼
▼
☆☆☆(X.com)☆☆☆
浜田隆政@Takamasa_Hamada
25-155-1【🚛】10:11
既に、コンクリートミキサー車が我が家前を40台以上通る。
2022/7/8→下記を掲載すると同時に #安倍晋三銃撃事件 が起こる。👺#安倍晋三🤥
🤡生存している限り #山上徹也 最高裁判決は不可能が常識
▼
https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1545235485085552640?s=20&t=ELn_cds0IHSAn36zWWtJBw
☝
2022/7/8のTwitter
↓
■Retweet
□https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1545235485085552640
浜田隆政@Takamasa_Hamada
22-189-1【🥴催眠】
①昨日188-1~188-4は就寝中の🥴催眠で調べに従う。
実名及び💻画面はキャプチャー済み
②後に国際情勢について🥴語る。
🤡方針→本年年末迄は一切🤐に反する。
③本日もコンクリート ミキサー車が何台か。
→🤡は本日すべきことが山積で🥴独り言等🆖
掃除もしたい
✒11:35掲載
午前11:37 · 2022年7月8日
☆☆☆(X.com)☆☆☆
(2025/06/04の全体アドレス)https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1930070102223008065
☝
(ReTweet部分)
▽
☆☆☆(X.com)☆☆☆
25-155-3【🚛】10:32
既に、コンクリートミキサー車が我が家前を既に60台以上通ったか
▽
※コンクリート=権威=浜田稔(東大名誉教授)=Z3の父と同姓同名
Z家→我が家の住所番地70年使用。別住所も併行使用
ミキ→🧜お嬢の名の一部
▼
https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1545253782409203713?s=20&t=ELn_cds0IHSAn36zWWtJBw
☝
2022/7/8のTwitter:襲撃直後
■ReTweet
□https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1545253782409203713?s=20&t=ELn_cds0IHSAn36zWWtJBw
浜田隆政@Takamasa_Hamada
22-189-2【#安倍晋三】氏。
午前11:40頃、安倍氏銃撃され、#心肺停止 。
私とは…腐れ縁というか…がある。
しかし、斯様な犯罪は民主主義の危機。
▽
安倍晋三氏の奇跡的快復を祈る。
✎12:48記載
▽
安倍元首相 銃で撃たれ心肺停止か 40代の男を逮捕【速報中】 | NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220708/k10013707601000.html
午後0:49 · 2022年7月8日
☆☆☆(X.com)☆☆☆
(2025/06/04の全体アドレス)https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1930076072978330051
☟
(ReTweet部分)
▽
《◇―4》催眠類が多数使用と生活不可能問題。
■
■
《◇―5》🛵おじょうの涙と行動の謎とその後の世界(急遽追加項目)
2025年6月2日未明に四つの音声吹き込みをした。そのときに、奇妙なことに気がついた。
2025年6月2日-01:47伊藤詩織と東京教え子
2025年6月2日-02:04伊藤詩織と東京教え子2
2025年6月2日-02:16🛵おじょう(タナカ)
2025年6月2日03:38-平野真理氏は犯罪に関与したか否か
▽
以下は思いつくままの下書きであり、後で、大幅に修正をする。
上記の4つは全て、おじょうの涙に関する内奥である。
▽
疑問点から記す。
🛵おじょうと事実上決別になる際のおじょうの涙である。
義も疑問点を過剰書きしてから解説を行う。
▽
①人間の涙はあれほど大量にでるのであろうか。人間の物理的問題である。
▽
②何故、あれだけ泣けるのであろうか(まだ付き合って4ヶ月目であり、🤡は福山雅治ではない)
▽
③過去の女性が事前に虚構の鳴き方を事前に示していた。(🎎お嬢の涙は一滴もでない嘘なきであった。東京の教え子は、既に記した如く、花をつまんでの物理的涙であった。)
▽
④🛵おじょうは、後に私が傷つかぬように用意周到に準備をしていた疑惑ある。
▽
⑤🛵おじょうとの決別は規定路線であっった疑惑。(さもなければ横家・後藤は登場できない。その場合には西山に幾ら振り回されても、人は私に同情するだけとなる)
▽
⑥🛵おじょうとの決別場所を京都に操作した理由。(実際にはその3日前に大阪で別れていた可能性が高かった)
▽
⑦🛵おじょうの涙は私にではなく、別人に見せる目的の涙であった疑惑。(私が気になったのは、おじょうの涙よりも、側にいた男の子がおじょうの涙を凝視していた姿であった。)ここで、昨夜、平野真理氏関連に見せる目的での計画か罠であったと催眠が解説をした。真偽は不明である。もし、事実ならば、平野氏は🎬映画説グループの罠にかかったとなる。催眠解説をそのまま、後で記載する。
▽
⑧🛵おじょうの復讐の欺瞞(おじょうへの最終手紙は1987年後半か88年前半である。復縁を求めたが返答はなかった。同時に、復縁は🛵おじょう次第では2001年まで可能であった)
▽
⑨私への催眠と西田ひかるの役割。
▽
⑩🛵おじょうと私。そして、今後の…。
▽
▽
①~⑩の順番を無視して、思うがままに記す。必要時には後で整理する。
▽
🛵おじょうとの別れと思わされたのは、1986年2月末か3月初頭である。場所は京都である。本当はその3日前に大阪で決別となっていた可能性が高かった。
その話は後で記す。ともかく、深刻な亀裂となったとき、🛵おじょうの目から大量の涙が流れ続けた。当時も不思議であったが、物理的に、生理的にそのような大量の水分が目から出るのであろうか、と当時驚き、今は疑問に思っている。
▽
というのも、各種事項は🎬説の関係で全て予告されていた。京都女子大卒の女性の好きな振り詐欺が予告されていたことは既に記した。倉敷市で労基法違犯に遭うことは1981年の倉敷英数学館の労基法違犯で予告されていた。ちなみに、後者で嶋坂先生に出会う。彼が後にポリテクカレッジ岡山の教壇に私をたたせた人物である。
女性の涙についても事前に予告をされていた。関学時代のお花さん(ハナオカ)さんが泣いたのは松田聖子型であった。勿論、私が女性を泣かすことはない。多忙さに苦しんでいる彼女の涙であるが、水は余りでていなかったように見受けられた。次が、同じく関学時代の🎎お嬢(カマタ)である。こちらに至っては、見てる私が恥ずかしくなる出鱈目な嘘なきである。涙どころか、泣く演技も無茶苦茶。当時ですら「●●さん、よくやるな」と声をかけたかったが、「いいじゃない。わたしが面白いんだから」とふてくされるのを警戒して、見ていた。ようやるなと呆れかえって見学をしていた。何故泣いたのかは、当時も、今も不明である。いな、誰が見ても分かる嘘なきであった。
▽
東京で教えた教え子の涙である。これは★既に〇●で紹介した。
伊藤詩織氏と後に対談したときに、彼女が「バリバリ」と奇妙なことを言っていた。彼女はブラックボックスという本を書いたが、この女の子の涙のブラックボックスを解説しよう。要するに、鼻をつまんで息を思い切りだし、瞑り的に涙を出す方式である。何故、そのようなことをしかも後に記そう。長姉が絡んでいたことは間違いない。この子の母親も協力して、家を留守にし、窓のブランドを閉めて出て行かれた。イモともどこかに疎開させて。
そして、彼女が私を怒らせる。腹は立たないが一応小言を言う。すると、彼女が泣こうとするが涙がでない。「ちょっとまって」と言って、鼻をつまんで息を思い切り吹き、目から水分を出そうと試みる。本の少しでてくると、「じゃあ、続きをはじめようか」である。当時はあきれたが、かわいらしいとも後に思った。
これを映画にしよう。🎬彼女が親しくしてくる(小学校5年、6年といっても小学校4年生程度の体格である)→🎬🙅私を怒らせる(ここは放映しない)→🎬母親が窓のブラインドを閉め、先生「ちょっと出かけてきます。1時間程度で戻ります」の場面を写す。→🎬窓のブラインドと密室を強調して長々tと写す→🎬👩の涙から再度家の中を写す。するとブラックボックスの中身は鼻つまみであった。これが伊藤詩織が私にふってきたバリバリ事件である。
▽
お母さんはときどき、笑いを我慢していたフシが随所にあった。何故斯様なことを🎬映画説グループの長姉に頼まれたのであろう。ちなみに、👧と週二度教えていたが一度はこの子ともう一人の子カマタサヤカさんとを同時に一対二で教えていた。彼女(カマタ)さんは、後に中村メイコ番組「パパいってらっしゃい」(NHK)で一時間番組に二度登場している。1984年春のことである。この後で西山✉事件が勃発する。なお、カマタさんが📺に登場したときに、🎎お嬢は岡山に一軒屋をかりてきていた。そこで、🎎お嬢に、「教え子が📺にでているので見てくれ」と電話をしたことを覚えている。ちなみに、お嬢の今の名字もカマタである。
これらの黒幕の一人が私の長姉である。長姉が死亡したときに、👩の母親が「ご愁傷様です」と言いながら、クスクス笑っていた謎もとけよう。
同時に、カマタさんが登場したのは中村メイコ番組である。姪子である。こうしたダジャレが随所に地ラバメラレ手織り、私は後には喜劇のドタバタ劇にしか思えなかった。👩に尾も切り、私の手を噛ますことを指導したのは長姉であろう。通常は思いつかない。この発送は、長姉の長男が幼少の頃、私に戯れてやっていた遊びである。長姉の指導であろう。
▽
▽
本来ならば結婚となっていははずであるお花💐★(※)との関係をぶつしたのは姉である。催眠悪用であった。関学に押し込んだ人間の一人も長姉である。理由は後に述べる、この世で私が結婚するならば🧜お嬢ときまっていたそうだからである。このお嬢は、結論から言えば、信じようとまいと変身をとげる。ここも一つのポイントとなる。ササヤマ在住の友人は「🧜お嬢→🐬(水俣で出会った女性)→🛵おじょう」は同一人物と終始言い切っていた。
▽
▽
話を元に戻そう。
いいですか。私が🛵おじょうと知り合ったのは1984年11月頃だよ。彼女との言い合いが1985年2月末前後だよ。しかも、同棲をしている訳でもないのだよ。頻繁にデートをしたといっても、8回~15回程度だろうか。もっと少ないだろうか。肉体的関係の深さは無関係であるが関連づけても、⛸の橋本聖子と高橋大輔類と…布袋と安倍昭恵の中間程度か前者に近いかであろう。それでも出会ってすぐ…などは犯罪となるため、…で計算すると短いん期間だ。
▽
すると、万一、物理的手段ではなく、感情から泣くということがあるだろうか。私は木村拓哉や福山雅治とは違うのだ。顔が違うのだ。ただし、彼らが上とは書いていないが。
▽
出会って4ヶ月未満、恋人雰囲気になって1月余り…で、万一、別離となっても、あれだけの涙がでるだろうか。
彼女の性格ならば、他の男性などは簡単に見つけられるであろう。
実際に、仲人さんは、人気№1の子だと言って、私に紹介をしてきたのだよ。
▽
▽
私に変わる男性などは簡単にいるだろう。
再度言えば、どちらが上かは言わないが、福山雅治や木村拓哉とは顔のカテゴリーが相違している。
イーロンマスクの如く金があるかと言えば、私は非正規労働者である。
授業などで生き甲斐を求めている…と言っても彼女は教師ではないし、第一、私の授業を聞いたことがない。そして、男性にも結構人気がある。
付き合いの期間は上記である。短い。
何のための涙だろうか。
ただし、感情移入で泣けとすれば、🧜お嬢=🛵おじょうのときだけである。だが🧜お嬢はモテモテであり、何故、私に…の謎は最後で検討しよう。
▽
▽
それでは、私の言動で悲しみが…は違う。実際ならば別れる寸前はその数日前の大阪ナンバだったのだから。その話も後で知るそう。何故、別れる必要があるのかは、今ならば、簡単に説明できる。結論を言えば、事前に別れる時期は決まっていたのだから。
▽
▽
当時の流れを見れば一目瞭然となる。
▽
▽
(17:57から再開)
当時の流れ
🛵おじょうとは、1984年末から頻繁にデートをするようになっていった。
事実上の初デートとも言えた。
多く野女性とデートはしていたと後に知ったが、🎎お嬢が典型例の如く、今から考えれば片側通湖のデートであった。
相手が私によりそうときには必ず言う。
これが「(付き合っている)●●さんだったらいいのに」と。
単純な私は友人でもある●●さんを意識すると同時に、これは私に恋心を持って寄り添っているのではない、と。
▽
要するに、どれも相手をしてくれない犬が、知らぬ人を見ても喜びはしゃぎ回るのと同様である、と。そこで、絶対に何かやましいことを考えてはならない、と。
女性にもたれられても、これは恋とか異性とかではない、と。
相手がそう考えていなくてもである(相手は甘えて楽しむ、私は女性と見てはならないと耐える。これをもってして、サゾ女性と言わずに何と言おう)。
▽
あるいは、結婚する意思を持てない女性に誘われてどこかに行く時も、同様である。これは、付き合いでの食事であり、デートではない、と。
そこで、結婚を前提にして付き合う女性と様々な所に行ったの初めてであった。
1985年前後に行ったのは鳥取・小浜、那岐山近くの菩提寺、私の言いつけの場所・大芦高原(第二安倍政権で安倍昭恵が真っ先に来た地)…と。更に駿台の授業が終わる度に、可能な限り食事を共にした。
▽
1985年1月に我が家の両親にあわせ、同じく彼女の両親にもあった。そのときに彼女の父親が「うちの子とどういうつもりでつきあっているのか」と聞いたので「結婚堰堤でつきあっており、私は早く結婚した方が良いと言っていますが、彼女が何かしたいことがあるので最低でも一年間はできないと言っている」{2000年の覚書を読むと一年ではなく三年となっていた。少し長すぎると思うが…}。
すると、父親が「うちの子がそう言っているのならば仕方がない」であった。
▽
1985年2月がピークかもしれない。
2月4日は彼女の誕生日でデートをしてバラを贈る。
次に京都の愛宕山に登る。
バレンタインデーには返礼で手作りのものをもらう。
この頃、旅行に行く(泊まりでの)約束もしていたと思う。
早ければ3月の上旬にでも海の見える所で泊まりで行く予定でいた。
駿台の藤村先生が「先生、もう、彼女ととまりがけで旅行にいきましたか」と何度も聞いていた。
▽
▽
こうして、彼女と3月頃に海の見えるところに泊まりがけで旅行して、後は結婚へと進むはずであった。
だが、それではその後どうなるのか。
▽
▽
いつも書く話である。
私の夢。
授業が生き甲斐であり、授業に没頭したい。
同時に体も鍛えたい。
毎朝早く起きて情報収集と教材研究、昼から授業、帰りに温水プールで泳ぎ、できる限り自転車で通勤する。最低でもプールには自転車で行く。
時間がもったいないので、一気に④種類の泳ぎ方で200メートル泳ぎ、インターバルは柔軟体操と腕立・腹筋の繰り返し、そして柔軟体操。
また同上で200メートル泳ぐ。
もう一度同じことをして、200メートル泳ぎ、即帰る。予定は30~40分を目処とする。
▽
家に帰るや教材研究のみ。これが33歳(1985年)頃~80歳近くまで続くことになる。80歳からは畑や庭、そして温水プール、その後は読書とビデオ等のみを視聴し、各種原稿を記す。
▽
これでは映画説ならば御陀仏である。視聴者が飽きる。浮気類はしない。その前に他の女性とは一対一であう場所をなくす。
全く面白くないドラマとなろう。
しかも、大学校にしても予備校にしても、金八型ではなく、授業という演出を行うだけである。
▽
授業という演出(Presentation)でも、生徒や一般の人を飽きさせないことはできる。ただし、それは毎年違う人を教えることを前提としてである。
契約上は毎年違う生徒を教えるのであるから問題は一切起こらない。
▽
だが、🎬映画説グループならば同じ観客のため致命傷となる。駿台も正規の授業ではCM効果が低い。契約外労働を幾つもさせて、面白おかしくし、視聴率を取らないとマイナーな政経・現代社会という教科では駿台CMは不十分となる。
▽
▽
そこで、駿台大CMと🎬映画説グループは上記の形で🛵おじょうと私が結婚をすんなりすると御陀仏となる。更に、駿台に入ったときから長い脚本があり、予定が狂う。
授業苦闘→駿台女性ドタバタ劇→多教科持ちでの苦闘→刑事犯罪被害の中での授業模索という大きく言って四パターンで駿台講師時代6年間を持たすという脚本が事前にあったとしか分析出来ない。
▽
▽
その脚本に従えば、私と🛵おじょうが結婚すれば御陀仏となる。更には西山、横家、後藤を雇った意味がない。横家と後藤の出番は百パーセントなくなる。西山にしても、この二人(横家・後藤)がいないと、万一、催眠で何度も西山熱を起こしても、私への同情が強まるだけである。千歩譲っても、101回目のプロポーズでしかない。人は私に対して気の毒と思うか、私を物笑いの対象にするだけである。
🛵おじょうがいるといっても、彼女は駿台の職員ではないため、その存在は分からない。結婚した後も西山熱を起こすのは人道に反するし、離婚という大騒動と詐欺という大犯罪となる。
駿台女性と付き合うということは結婚前提でしか不可能であると当時は思っていたし、今も思っている。
▽
催眠による離婚、更には離婚をさせた上で西山に断らせるという選択肢まではなかったようである。
▽
▽
更に、🎬映画説グループにすれば、駿台講師時代以降のプランもある。こうして婚前旅行前に破局という結論はでていた。具体的には1986年駿台大阪校、88年駿台辞職…というシナリオは既にあったと想像される。
🛵おじょうはどうなるのか。
いや、この方が🛵おじょうにもよい。どうせ、駿台女性とは上手くいかないという結論がある以上、おじょう1号、おじょう2号、おじょう3号…として、おじょう群はフル活動できるのだから、万一、🛵おじょうが私に関心があっても「おもしろいことはあっても」困ることはない。
こうして、1985年婚前旅行前の破局は既定路線となっていた。その証拠はこれから記す流れを見れば一目瞭然である。
■
■
🛵おじょうによる破滅策動の開始。
まず、🛵おじょうは、破滅させた後で私が悔やまないようにする戦術をうってきた。具体的には、愛宕山に登ったときなどは行きも・帰りも随所で手を上げると、遠方の男性が手を振って応えていた。えらく知り合いが多いと不思議に思ったが山登りの関係で出会った人だろうと思った。
だが、食堂に入っても、食事中におじょうが右手をあげると、遠方の男性が右手をあげて合図をしていた。なんでだろうと不思議に思ったが、不思議なままでおわった。
▽
ほとんど随所であった。
▽
次に、バレンタインの贈り物の中に「私が彷徨うことを暗示」何かがあった。同時に、駿台の映画狂藤村先生がしきりに、私と🛵おじょうのことをきいてきた。「先生、まだ彼女と泊まりの旅行に行っていないのですか」と。
こうして、🛵おじょうは何等かの集団(藤村氏が絡んだ以上🎬映画説のグループ)との係わりを強調し続けた。
更に、奇妙なことを言っていた。
簡単に言えば、私と🛵おじょうが肉体関係を持った後でも、私に好きな人ができれば去っても文句を言わないというような趣旨のことを言ったような気もする。
この意味は不明である。
▽
最後のセンテンス抜きで、私はこの頃はお嬢と会うのを楽しみとしており、同時に、婚前旅行を具体的に考え始めていた。
▽
▽
そうした矢先に、🛵おじょうが破局戦術をうってきた。
場所は大阪の確かナンバである。
人が見れば幼稚であるが、幼稚であるが故に私は怒る。いや、私でなくても、ホストクラブのホストやプレイボーイでない限り、誰でも怒ることをしてきた。
大半単純な戦術である。
▽
数日前にマクロン大統領がマクロン夫人につきとばされるような映像が流れた。あれである。それも何度も。
マクロンの場合には思い当たる節があったかもしれないし、結婚してから長い月日が経ってもいる。
▽
わたしの場合んは3ヶ月余りである。
だが、一定の時期からは🛵オジョウとは手を繋ぐか、腕を組んで歩くことにしていた。ところが、ナンバでは、手を繋ごうとすると手をたたかれるか払いのけられる。腕を組もうとすれば突き放される。その繰り返しであった。
理由を聞いたが、理解可能な理由は何一つ言わない。
そこで切れた。
あと、一回やられるか、あるいはこうした雰囲気が続くならば、タンカをきり、この場で即座に別れることにした。簡単に言えば「人を馬鹿にしているのか」と怒った。
記憶は定かではないが、私は通常は最初に腕をくんだり、手をつないだりするときには必ず相手の許可をとっている。それが習慣化してから許可はとらない。
▽
こうして、あと一回何かおかしなことをしたり、いったりすれば、次のことを言い、ナンバで別れることにしていた。
「私はあなたが何を考えているのか分からない。人を馬鹿にしているとしか思えない。あなたとの付き合いはここまでとさせてもらいます。私は先にここで別れて帰ります」と。
私は家に監禁されるまでは、女性は夜には必ずもよりの駅か家まで送るという習慣をもっていたが、この日は夜ではなく昼だったので、ナンバで啖呵をきり、その場で別行動をとり、もう付き合いは破談とするつもりでいた。
ましてや、付き合いだして4ヶ月程度であるため、訳の分からぬ人とは別れるならば傷は浅い方が良いという思いもあった。
▽
考えてというよりも、怒り、俗にいう切れてしまった。
我が友・岡山県人がみていたならば言うであろう。
「よく言った。それでこそ男だ。婚前旅行の約束をしていても、馬鹿にされてまで付き合うな。岡山県人\(~o~)/」と。
私の親友でも、高倉健でも全員が同じ事を言うであろう。
▽
▽
すると、私の顔色を見て何かを考えたのか、彼女が「もう分かった。機嫌は直った」と言った。そこでナンバでの破局は延期された。
ただし、不信感はかなり残った。
今、分析すれば、ここで別れたとなれば、余りにもみっともないし、後の物語が続かないと思ったように思える。
▽
即ち、別れるとしても、もう少し高尚な形としたい。同時に、別れる場所は大阪ではなく、京都で、それも彼女が知っている店と決まっていたようである。
こうして、単細胞人間MEに充分不信感を植え付け、京都で食事中に、気になるような言動をして京都で破局にする計画がなされる。
▽
▽
その言動は言い方次第では余り問題にならないし、言い方次第ではかなり気になるし、言い方次第ではその中間となる。
後にササヤマにいる友人が「どうしてそんなことを言ったのだろうか(そういう言い方をしたのだろうか)」と言った。
恰も、彼女が敢えて、一番堪える形で言ったとことを暗に示唆していた。
▽
▽
この後、トリプルでダメージが来て三日ほど食事が一切できなかった。
トリプルとは一番目にナンバでの不信感の植え付け、二番目が言い方(これは文書にしても仕方がない。言動のみならず雰囲気など総合問題がある)、三番目が催眠によるオクターブの高さである。 催眠も加えられた根拠は次に出会ったときに証明されることになる。同じ言動でも、言い方・雰囲気でダメージは異なることを最悪のやり方でやったとなる。腕を組む、手を繋ぐのを拒否するのでもやり方・雰囲気で全く違う意味を持つのと同様である。
彼女を擁護すれば確信犯である。敢えて別れるためにやったのである。
別れる理由は、横家と後藤を登場させるためである。更に西山の策動で本来被害者の私を加害者に変更させるためである。また、駿台事件が終了した後でおじょう群でさえ尾を引かすためである。
▽
▽
ただし、彼女は別れる理由をナンバの低次元ではなく、高次元に変える目的と、最後の言い合いを大阪・ナンバではなく、京都にしたかったようである。
▽
▽
その三日後くらいにあった場所は彼女が指定した店と思う。私は京都ではスナック類以外は通常の大衆食堂の一軒程度しか知らないため、彼女が食堂は決めていた。スパゲティ関連の店が多かったような気がする。
▽
▽
本日の就寝中(2025/06/04)の催眠解説では、彼女はその場所で私と彼女の会話を誰かに見せるために、選んだ場所だというのである。正かと思うが、催眠が言うには駿台講師の平野真理関連の誰かに見せるために、その場所を選んだそうである。
私の母がよくやる手である。
▽
私に喧嘩を売り、怒らせ、そして、特定場所へ誘導して怒鳴らせるという手口である。
具体的には、金がないときにうしろの写真を催眠強制で撮らせられたが処理できないので、最低限度の処理する金を相談すると、通常の人では耐えがたい暴言をはいた。
大まかに言えば「金もないのに写真をとり、お金を少し出してくれとはお母ちゃんに死ねというのか。このアホ。お前は誰のおかげで御飯を食べて行けていると思っているのか」
これを怒鳴りながら言う。しかも、明白に催眠強要で撮らされたことは絶対に間違いがないときにである。
▽
更に暴言を吐いた。確か「(催眠で撮らせたのが明白なときに)お前はお金もないのに写真を撮って、誰のおかげでいきてこられたのか。お前はお母ちゃんに死ねというのか 」とヒステリックに叫び、そして私に反論は一切させずに、裏に出る。
当然、私は催眠強要が明白なため怒り、母を追いかけ、催眠問題(若しくは催眠疑惑であったならば母がうしろの家を撮ってあげたらと言ったので撮らされたため…)も出し言い返そうと裏に行く。
母はヤッタと言わんばかりに今度は口答えをせず、私に怒らせ言い続けさせる。
その余日、後ろの小母さんが「タカちゃん、お年玉をあげる」といって一万円入ったお年玉袋をもってこられたようである。
私は母から受けるとややこしいため、返そうと思ったが、写真代金ではなくお年玉と書かれており、更に、近所でもうしろの家にのみに近く写真を渡す羽目となっていたため、近所への口実(お年玉をもらったのでやむなく写真をうしろの家だけ撮った写真を渡したと言う口実)に使えという催眠でうけとらされる。
後に20年に亘りこの一万円で風評被害に遭う。(ちなみに使用した金額はその数倍であるが、うしろの小母さんが足りたかと聞いたときには、『足りた、足りた、余って弱ったので🍦(アイスクリーム)を買うと食い過ぎた』と返答した。すると小母さんは『良かった、良かった』と喜んでいた。ただし、何故か小母さんの娘さんに風評被害を飛ばされた疑惑があった。この話は訪中の際でも人は知っていた。
なお、小母さんの息子は『本家のはそんな人ではない。お袋はかわいい。妹は…』と言っていた。
▽
▽
母に何度もやられた特定場所へ誘導するというやり方である。
そして、🛵おじょうの選んだ店で、催眠・ナンバから続く不信感・更に言動の言い方からかなりきついことを言わされたようである。
そのときに、彼女の目から大筋の涙が何度もこぼれ落ちていた。
当時も不思議であったが、今でも、あんなに涙がでるものなのであろうか、と不思議に思うことがある。
▽
※※※2025/06/05 0:02追記(場所はどこにいれるか不明)※※※
🛵おじょうについては、1985年に別れてから長期懐かしんでいた。最低でも1995年までは熱がまだ残っていた。復縁の可能性は2001年まであった。だが、それから24年が経ち、彼女を美化しすぎていたかもしれない。昔の記録を見ると次のメモがあった。
☆☆☆☆☆☆
尚、駿台女性は無茶苦茶であった。また田中さんのも今考えると私が彼女に振り回されていた。三年は仕事云々はじゃれ事である。通常は結婚して良いとなれば即結婚し結婚した後で双方仕事したければすれば良いとなる(結婚して仕事の足手まといは子供の存在のみである。他は大学院生の結婚の如く子供さえいなければ結婚せずにつき合うよりは結婚した方がプラス面の方が多い。食費も安くつく。住居費も一定そうである。その他の無駄もなくなる)。彼女の言動は駿台の女性につぐか対等並いい加減さが他にもいくつもある。「浜田さんの事は今は好きではない。しかし将来好きになる可能性はある(orない事はないかもしれない)」他は言う必要性が全くない。面と向かって一定恋人的付き合いをした後で言うは人を馬鹿にしている発言である。あるいは「三年間は結婚できない。その間に浜田さんに好きな人ができて浜田さんが去っても文句は言わない。(当然その逆もしかりである的発言)」。こんな馬鹿な言動が他にもいくつもある………。もう面と向かって他に好きな人がいれば私がいてもアタックして良いとの変なお墨付きである。こんなの寛容とは言わず双方に隙ができいずれ潰れるのは時間の問題である。前の彼…も電話等でいきなり言う必要はない。今考えたら振り回されている。但し、駿台の女性よりも田中さんを評価したのは実際に本格デート他でつき合ってくれたからである。
▽
結婚する気あればさっと結婚すべきであり、少し迷う部分があっても、「結婚前提で絶対に双方別れる迄他の異性とは(仕事外では)接しない事他双方きっちり付き合い、一定合意したら即結婚しましょうが結論である」。通常は本格的につき合って3カ月目で客観的には大半が当たる。特に見合い形式の場合には。統計調べねば不明も見合いして3カ月で結婚した場合と見合いして3年して結婚した場合の離婚率は同じはずである。見合いして結婚までの期間が不必要に長ければまず結婚迄行かないケースが大半である。結婚と仕事は両立するかは子供の問題さえなければ理論上は同じはずであり、経済的には結婚した方が規模の経済が働き生活は楽になる。勿論デート代も相当浮く。大学院生他大半そうである。院生が結婚せずに本格的につき合っていたら経済的にもの凄い負担である。
☟
以上記述終了:2000年7月20日15時40分。
☆☆☆☆☆☆
上記の色文字を読むと、尚更、大粒の涙の意味は不明となっている。一部省略したが、やはり、故意かどうかは不明であるが、怒らせる言動となっていた。
要するに、①ナンバでの奇妙な態度、②…を(明白に)故意に苛立たせるか怒らせる形で言っていた記録が残っていた(今回は彼女の今の生活を守るため省略。同一の内容でも言い方次第では誰も怒らないものを故意に怒らせる形としか分析できなかった)、③私への催眠でのオクターブの高さである。
ここからの結論は、🛵おじょうが横家・後藤登場させるために自分で潰したとしか分析できない
※※※2025/06/05 追記終了(場所はどこにいれるか不明)※※※
▽
しかし、私の印象に残ったのは、彼女の涙ではなく、やや離れた所から食い入るように見つめ続けていた少年というよりも幼い男の子の姿であった。異常なほど🛵おじょうの涙を見続けていた。
▽
このときの幼い男の子が平野真理氏のお子さんではないかと催眠は言うのである。だが、平野氏は1982年に産休のため、お子さんは1985年だとまだ3歳であるが、5歳以上に見えた子供であった。
ともかく、催眠解説では、🛵おじょうが誰かに私が怒っている姿を見せるために、この店を選んだそうである。
▽
▽
なお、私は暴力ではないが、このときに彼女の頭を軽く揺さぶっている。これは絶対にしない。私は神田正輝同様に女性には一切暴力及びその匂いはさせない。ましてや、付き合い出して4ヶ月目程度である。そのような不信感があるのならば、未練があっても黙って分かれる道を選ぶであろう。結婚して20年目の奥さんではない。
結婚して20年目の奥さんにでもしないかもしれない。
トルドーカナダ首相が、催眠類で女性に暴力とかその匂いがする行為をとらされると彼はショックを受けるであろう。私もこうした行為をさせられ、ショックを受けた。それは私の行動ではない、と。
▽
妹の如く形の12歳下の姪にもそうした行為は絶対にする訳がない。弟に近い10歳下の甥に至っては幼い頃にじゃれて思い切り噛みつかれても、一度もたたいていない。せいぜい、長姉を呼び、長姉が物差しをもってきてたたいてい引き離しただけである。
よって、私の性格に反する行為をとらされていた。丁度、1997年の下倉敷の交通事故と同様であった。
▽
▽
その後、彼女とはもう一回あった。1985年4月上旬頃ではなかろうか。もう、冷え込んだ雰囲気で、彼女は長かった髪を短く切っていた。これで終わりと思わされた。
だが、ここで二つ書いておく。
彼女は男性には人気のあるタイプであり、私の代わりは簡単に見つけられるであろう。同時に、彼女が大泣きをするほどの長い付き合いではない。3下越余りである。そして、私は福山雅治や木村●●の如く、女性が憧れるタイプではない。また、私の最大の長所であるプレゼンテーション類は彼女は見たことがない。
通所は大泣きをするよりは簡単に対応済ませて、別の彼氏を捜すと想像される。
要するに、彼女は横家・後藤登場のために、身を引き、同時にその涙を流す場を誰かに見せるために、シチュエーションを設定したという仮説である。
もう一つは、彼女との終わりはここではない。
▽
本当の最後は1987年末か1988年初頭の復縁依頼の手紙を無視されたときであり、彼女との復縁の可能性がなくなったのは、これから述べるように2001年頃である。要するに🎃オジョウ登場と🎃オジョウと話が弾みかけてからである。
ちなみに、🎃オジョウと合うときには、何故か、近所の🛵おじょうとファーストネームが一緒の人が「タカマサちゃんどこへ行くの」と声をかけてくることが多かった。
結論から言えば、🛵おじょうの涙が誰か(例:平野氏)を罠にかけることが目的でなかったならば、付き合って3ヶ月の私に涙を流すことはありえない。
だが、本当の涙が少しでも混ざっているならば回答はササヤマの先輩が言った「🛵おじょう(タナカ)は🧜お嬢(ミキ)だ」となる。結論を読めば誰もが私に同情するであろう。
結論への道はこの後で記す。
▽
▽
私の記憶では、🚺女性催眠関連の催眠が解除された後の1988年前後に、🛵おじょうに復縁の手紙をだしたが、返事がなかった。そこで彼女の意向を尊重して、彼女のアパートなどには一切いかずに諦めるべきだと考えていた。大筋は当たっているが、本日、過去の覚書(2000年)を調べると、復縁の打診をしたのが1986年となっていた。
▽
駿台女性に関する催眠が解除されたのが1986年の春である。深見係長からの大阪行き打診の電話を了承し、受話器を置いた途端に一気に催眠は解除された。上記の覚書が事実ならば解除されて即、復縁のお願いをしていることになる。
▽
▽
ともかく、🛵おじょうに対して復縁を申込み、返答がなかったため、彼女の新しい彼氏などの問題も考慮し、静観しか方法はなくなっていた。
▽
▽
その後、記録と論理では🛵おじょうへの思いは1995年3月までは確実にあった。1989年のグリーンフィールドの歌は🛵おじょうを思い出しながら翻訳した記憶がある。また、1995年3月にタイに行った時に「北上夜曲」を歌ったときには🛵おじょうに思いを馳せてうたっていたからである。
▽
▽
こうして、🛵おじょうへの思いは続いていた。だが映画説であろうが、🛵おじょうの復讐という形の筋書きか何かを誰かが面白半分に脚本にいれたかったようである。
記録上は、1996年頃、最低でも夏にベネッセの田中由紀子という担当者がいた。彼女からの暑中見舞いの文字は🛵おじょうと似た字であった。
そして、田中由紀子氏により徐々にぬるま湯型労基法違犯がおこなわれた。即ち、代価が一緒でする仕事項目を増やされた。恰も、🛵おじょうの復讐と言わんばかりであった。ベネッセを除いても、そうした復讐劇でも悪用を考えたようである。恐らく犯人は🎬映画説グループと思う。
▽
▽
だが、私は🛵おじょうへの未練というか思い出だけが残っていた。それでは迫力がないということでその思い出や、彼女への思いを打ち切る必要がでてきたようである。その役割をテレビアイドルの西田ひかるが行うことになる。西田ひかるのような性格やタイプ
は嫌いではないが、所詮テレビの中の人間であり、熱を上げることは絶対にない。ましてや、当時やテレビとの対談などを思っていなかった頃である。
▽
だが、西山美千代同様の催眠熱で、西田ひかる熱がピークに達していく。日程一覧では西田ひかる関連の覚書が1996年夏頃に登場している。ときを同じくして、ベネッセの進研模試担当者の一人が田中由紀子氏であり、彼女の筆跡は🛵おじょうとよく似ていた。
▽
▽
なお、西田ひかるは途中で🛵おじょうの真似を開始した。えくぼをだしてみたり、「田中の目がね」CMに出たり、…と。
▽
▽
だが、西田ひかるはテレビの中の人間のため、🛵おじょうと出会えば復縁の申込みをしていたであろう。要するに、西田ひかる熱を催眠で起こされるが、🛵おじょうとの復縁は2001年頃までは偶然出会えばあり得た。それも確実に近くあり得た。
私の方からは最後の手紙で返事が来ていないため、動けない状態にはあった。
▽
▽
🛵おじょうとの復縁を遮断したのは、1999年12月登場の🎃オジョウである。2000年後半頃から、この女性と👰結婚を真面目に考え出していく。2001年頃にはその意思は確定していた。「気が向けば我が家にどうぞ」と声をかけ、我が家の現住所を渡そうとしたがはぐらかされた。帰りは、嵐となり、家に戻ると当時80歳前の母が「お前はアホだ」と笑いまくっていた。
▽
🎃オジョウは途中で名前を変えたが、2022年までは付き合いは続いている。今、消息不明であるが消息がわかればまた会うことになる。すると、出会ってから26年の付き合いとなる。もっとも彼女は過去にも一度行方をくらましたが名前を変えて、二~三年おいて戻ってきた。今度はどうなるかは不明である。
🛵おじょうとの違いは、はっきりと嫉妬をしてくれるところである。有り難いと思うときもあるが、怖いときもある。
こうして、🎃オジョウ登場と共に🛵おじょうは脳裏から消えた。
▽
▽
もっとも、🛵おじょうと西田ひかると🎃オジョウは性格が似たところがある。同時に、西田ひかるは🛵おじょうのえくぼを強調して彼女の真似をしたり、🛵おじょうの名にちなんだ「田中のめがね」のCMにでたりしていた。🎃オジョウと会いにいくときには、既に述べたように、🛵おじょうとファーストネームが同一の近所の人が「タカマサちゃんどこに行くの」と声をかけることが多かった。
▽
ササヤマにいる先輩は「🧜お嬢と🐬(水俣で出会った女性)と🛵おじょうは同一だ」と言っている。なお、🛵おじょうについての過去の覚書を見ると、やはり、一端潰して、駿台女性横家・後藤の登場出番を作ろうとしていたとしか分析できない。
以上が経緯である。
▽
本日、覚書を見ていて🛵おじょう以外でも各種挑発(🍻等)に対して簡単に反論できるが、相手の旦那や🧒・孫などを考えると幸福追求権の関係から反論はためらうであろう。そこで、私が言った如く、異性間の話では被害者がいない限り、他人が立ちいってはならないということを強く感じた。どうしても聞きたいことは裁判所を通して聞けが正論である。最低でも、私の場合ならば立会人を通じて文書で聞けとなる。立会人と相談して回答する必要度と他人の幸福追求権を天秤にかけて返答を検討する。何度も主張してきたこのやり方が一番紳士的であり、人権と民主主義に一番ふさわしい対応の仕方であることを再度確認した。
■
2025/06/05 1:27感想:昨日予定外に起床するや書かされたが書いて何か意味があったのであろうか。🎃オジョウの件は写真をとっていないため、文書で記録を残すであろう。そういう意味では🛵おじょうについても同様であるが、🛵おじょうの件は何度か書いているため、今回書く意味があったのであろうか。
■
■
《◇―6》政治家(安倍晋三等)絡みと、催眠強制・強制労働と彼らの利権疑惑
■
■
《◇―7》永久の世の映画説と現世の論理矛盾
■
■
《◇―8》駿台辞職直後の世界「閉じた窓にも日は昇る(文藝春秋用原稿から抜粋)」
■
■