(💁正式公開)駿台真相編7-B2・差別文書問題2007-10年見解-1
【更新履歴】
2025年2月上旬から2007~2010年頃の拙著『閉じた窓にも日は昇る』の原稿を貼り付け。更に2025年追記を掲載中。2025/02/17 1:12時点で記載
2025/02/18 23:25 2月16日~18日まで連続催眠攻撃で、この文章の丁寧な見直しを阻止された。そこで、もし、不適切な箇所があれば指摘を願いたい。ただし、指摘する人は実名で、指摘内容を全面公開することを了承していただきたい。なお、催眠攻撃の証拠はパソコンに向かって後で概略を吹き込んでいる。また、本日ハッカー攻撃があったことも参考までに記載しておく。
上記を前書きして、今から公開。正式公開の文字は明日入れる。(今から公開の理由は明日眼科通院など、及び催眠でどうなっているか不明だからである。)公開を遅延できないのは、重要な原稿が山積しているからである。最後に「差別なき世を目指して」公開をする。
なお、不十分な箇所は日付をつけて修正や追加をする。
23:27 23:32 23:34 0:12 微修正。1:13 追記と修正。1:32微修正。
2025/02/19 14:50=正式公開 微修正→15:29 16:01→アムネスティインタの「Sex Worker」人権論資料と浜田隆政の風俗論を添付
→18:12「アムネスティインタ」「私の風俗論」両方削除。削除理由=話題がそれるため。ただし、削除した箇所は必ず別原稿で使用。
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(表紙の写真・🔏を握る姫路の写真)
【公開予定】
7-B1・差別文書問題-2025年見解(今回の箇所)
7-B2・差別文書問題2007-10年見解-1
7-B3・差別文書問題2007-10年見解-2
7-B4・差別文書-2019-24年分析チンプンカンプン編―1
7-B5・差別文書-2019-24年分析チンプンカンプン編―2
7-C1・玉子事件―外部と駿台の共謀示唆/演出
7-C2・エアコン事件-徹底した小細工動員の事例
7-C3・マイク攻撃―証拠隠滅例
7-D1・駿台交渉資料編1
7-D2・駿台交渉資料編2
駿台真相編7-B2では宝島社の第二編・付録―1から抜粋したものに、一部、2025年解説を付けた物である。
駿台真相編7-B3では、前半は宝島社の第五編・備考から、後半は文藝春秋版の「第5編参考箇所」から抜粋した。
なお、上記の各『閉じた窓にも日は昇る』の目次は駿台真相編7-B3に収録をしている。
【今回の構成】
◎付録―1・差別文書について(二〇〇七年版掲載のまま記述)
ただし、差別文書には、2025年2月に社会啓発用に事実誤認箇所の指摘や、各種誤りを指摘するコメントを追記した。
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◎以下、2010年の文書から
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(一)差別について。
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(二)差別文書を渡してきた人物について。
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(三)何故この差別文書を私に渡してきたのか。
A・私を部落解放同盟と対立していた日本共産党員と思って、何らかの目的で、私にこの差別文書を手渡してきたのか。
B・私を被差別部落住民・同和地区住民(以下「同和対策審議会答申」に従い同和地区住民で統一する)と思っての差別文書か。
C・岡映(あきら)氏に絡んでか。
D・この差別文書を私に手渡してきた理由は、明白には分からなかったが、消去法で考えると以下しか残らない。
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(四)駿台ではなく、岡短の件で著名人の名前を出した理由。
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(五)法務省への処理依頼の検討。
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(二〇一〇年四月一四日追記・五月一日微修正)この差別文書取扱いについて。
(私用メモ)
(2025/02/17追記)
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宝島社二編の付録-1
(2025/02/07 22:56 →下記は各種現行法規と照合して、公開部分を一部省略する場合がある。法規参照前。桃色字の2025/02/07記載)
(二〇一〇年解説。この付録―1に記した文書は明白な犯罪に該当するため、少し読みづらくても二〇〇七年の硬い文章のまま掲載する。コメントの追加は別に第五編で行う。)
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◎付録―1・差別文書について
(二〇〇七年版掲載のまま記述):ただし、差別文書には、2025年2月に社会啓発用に事実誤認箇所の指摘や、各種誤りを指摘するコメントを追記した。
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駿台大阪校舎内で、駿台K講師からと言って、見知らぬ学生から八七年末に手渡された(法務省作成冊子か同省が週刊紙に掲載した『不当な要求は断固拒否しましょう・許さないエセ同和。法務省』が表紙となっていた)文書内の手書き差別文について。
同文書からパラパラとめくり以下引用する。(引用箇所の①~④の番号は分かりやすいように私がつけた。誤字・脱字も原文のまま記載し、▲は解読不明文字である。【 】は私の解説。)
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(2025年2月記載)以下の箇所は全てコピー・転用等を禁止する。また後日、法務省などに、駿台で手渡された文書の取り扱いを相談する予定でいる。下記の掲載問題も相談予定でいる。そこで、この箇所は場合によれば一週間程度の掲載とするかもしれない。関係省庁と相談の後で、再度の公開を検討する。
(2025年2月記載箇所)2025年追記箇所は原則、濃い青字(群青色)で記載している。超多忙と催眠被害連続のため、言葉足らずの箇所があれば、私の現況をお察し願いたい。
それ以上に、民主主義の前進、人権の充実のために、更により良い表現や良い解説の仕方があれば、どんどん発信していただきたい。私も参考にする。
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(※注1)K先生とは北山一先生であるが、誰かが北山一先生の名をかたった疑惑もあり、北山先生から直に渡されたり、事情を解説されたりはしていない。北山先生は2023年死亡したというSNSを見たが、事実か否かは不明であり、もし生存しているならばマスコミの方で事実確認をして頂ければ有り難いと思っている。
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駿台真相編-7-B1・差別文書問題-2025年見解
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=49263
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薄い紫色文字は、私に手渡された文書から抜粋した箇所である。
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①(差別文書)「在日韓国人は、職を求め、日本に出かせぎにきている人々あり。(在日韓国人=ヤクザ)と思ってほぼ間違いない。日本の性風俗、スナックなどの何十%かは、Theyがとりしきり、Theyの財源のほとんどはそれである。(カラオケに何で韓国の歌があるんだー)……。部落も一昔前までは閉鎖的(普通の人……生活慣習が全く違っていた)で仲間意識においては全く同一である。Theyのbackには部落解放同盟がいる。……・解放同盟が動くと警察も全く手が出せない。小さな会社はとり引きの相手がこれだと従わざるをえない。その他様々な悪事を行う。ほとんど全国的なヤクザ集団……。」
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《2025年浜田隆政コメント》
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在日韓国の人、在日北朝鮮の人の表記で迷ったが、当面「在日コリアの人」か「在日コリアン」としておく。英語では「Koreans in Japan」であるが適切な日本語が浮かばない。「在日コリアの人」か「在日コリアン」という表記は「North Korea」と「South Korea」の結束への願いを込めて使用した。そこで、(下記にあるように後に知ったが)書類手続き上の「在日韓国人」なる語句は「在日北朝鮮人」に該当する語句がないため、原則として使用しない。
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批判は下記に記した、事実誤認のみ簡単に掲載。
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★
(差別文書の中の一文)「在日韓国人=ヤクザ」
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(私のコメント)この箇所は、解説するのも馬鹿馬鹿しい。
今ならば、孫正義氏が笑うであろう。駿台講師時代ならば、私の早大大学院時代(早大政治学研究科:内田満ゼミ)に同期に在籍していた姜尚中氏(早大政治学研究科:藤原保信ゼミ。現在東大名誉教授)などが苦笑するであろう。
とはいえ、確かに、差別は私が家に監禁される前にはあったが(37年自宅監禁状態のため今は知らないが)、物事を近視眼的に見ては成らないし、一面のみを強調してはならない。孫さんなどは能力のみか、④のコメントで書いている昇華(しょうか){※注8参照}も幾分あったかもしれない。ともかく一面のみの強調は誤りである。
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ただし、私は日本の植民地支配のため、当時の日本の政治が在日コリア差別を戦前に作り出したと考えている。特に、台湾とコリアに対して温度差を変えるという政策を意識的にとったことを疑っている。その政策の結果、コリア(韓国・北朝鮮)では反日意識が高まる土壌ができ、台湾では相対的に(悪魔で相対的に)親日意識が強くなる土壌ができたのではないかと思っている。その政策の結果として差別はあった。
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そうした差別の話を直に聞いてもいる。ただし、④で記すように一面だけを強調し絶対視するのは誤りである。同時に、政策で作られた以上、政策でなくなるものでもある。明日香時代には、コリアからの人は明治のドイツ人、戦後のアメリカ人同様に、重要な知識を伝播する先進国の重要な人達と考えられていた。差別の逆であった。
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江戸時代ですら朝鮮通信使を見るが良い。そこで、明治時代頃から政策で差別がつくられたことを疑っている。政策でつくられたものは政策でなくなるものである。ただし、差別があっても、優れた人物を多数輩出している事実も忘却してはならないし、両面を見る必要がある。そうでないと、偏見・差別を助長することになるし、一面のみを強調しすぎることは事実でもない。同時に、差別なき世を目指して活動している人達・仲間達を忘れてはならない。
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日本生まれではないが、(日本生まれに近い感覚がある)若い頃から日本に来ていた大木金太郎さん(韓国名:キムイル。ちなみに彼は朴正熙に気に入られていたそうである)とは私が16歳の頃、一緒にとった写真がある。彼はコリアの英雄・力道山に憧れて日本に来たそうである。(北朝鮮出身の)力道山ならば、先のような★の箇所を見ると笑わずに怒るかもしれない。
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学生帽をかぶったのが私である。1968年頃と思う。岡山県津山市で撮影。
このとき、猪木さんは、私の前をサーとすぎ、ジャイアント馬場さんは私が撮影できるように何度も私の前を歩いてくれ、大木金太郎さんは、大木さんの方から私に近づいてきて、「写真を撮ったら」と言ってくれたような記憶がある。思えば懐かしい思い出である。
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ちなみに、私は猪木さんのファンであり、後には猪木さんとも色々と縁があった。ただし、大木さんの思い出は幾つもの原稿に書いている。大木さんも苦労はしたと思う。また、猪木さんが生前、北朝鮮でスポーツの祭典を何度もしていた。北朝鮮政府も歓迎していたように思う。
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(写真はクリックで拡大)
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なお、私は朴正熙氏については政治的にはノーコメントであるが、我が友と称していたのが盧武鉉氏であり、後には文在寅氏とも懇意としていた。金大中氏の話は別の所で書いている。
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ただし、党派・宗派中立のため、(大阪生まれの)李明博大統領(第17代韓国大統領=任期→2008年2月25日 – 2013年2月24日)の生誕地に難波から自転車で行ったこともある。彼も「在日コリアン」(狭義には在日韓国人)出身である。日本で生まれて4歳の頃まで日本にいたそうである。
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たしか、記憶では(2025/02/08 2:44何も見ずに書いたのであるが)「大阪市平野区加美南三丁目」が彼の生誕地であったと思う。
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下記に特集をしている。
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6:李明博大統領生誕地とコリアタウン
http://takachan1.xsrv.jp/kizuna2/program4.html
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一言追加。
我が友・文在寅氏に伝言。政治家でもない私には、政策ではなく、韓国の大統領は韓国のシンボルとして、韓国人全体への敬意として訪問したのである。
もし、私がまだ生存していて、宝くじにでも当たれば、韓国再訪をしたいと思っており、そのときには文在寅氏か盧武鉉氏の生誕地に行けたならばと思っている。
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もっとも夢は既にどこかに書いたがソウルから平壌まで(寝袋をつんで)自転車で行くことである。年齢から考えて、これはもう夢であろう。
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総論として、江上波夫氏の「騎馬民族国家説」(騎馬民族征服王朝説)なるものも一度読むことを勧める。私も概略しか読んでいないので、丁寧に一度読みたいと思っている。
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(差別文書の中の一文)「(在日韓国人=ヤクザ)と思ってほぼ間違いない。日本の性風俗、スナックなどの何十%かは、Theyがとりしきり、Theyの財源のほとんどはそれである。」
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(私のコメント)もはや、最初のセンテンス批判の必要性はなかろう。
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(差別文書の中の一文)「(在日韓国人…)…性風俗の経営者が…はTheyがとりしきり…」
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(私のコメント)これは事実かどうかは全く不明である。何故ならば統計がないため回答できない。
なお、性風俗の件はどこかで記すが、アムネスティインタは私とほぼ同意見であり、性風俗従業者・性産業従業者の人権確保を唱えている。私などは従業員の方は労基法・労働安全衛生法、労災、有給休暇、生理休暇…などの人権確保を訴えている。第一、税金を取っていることを忘却してはならない。ただし、性風俗の経営者の出自等のデータを見たことがないため、政治学者でもある私は数値については知らないとしかいえない。
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(差別文書の中の一文)「スナックなどの何十%かは、Theyがとりしきり、…」
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(私のコメント)スナックの箇所は意味不明である。スナックとは食堂・喫茶店等の飲食業であり、それに関するコメントは何か意味があるのだろうか。2025年2月10日少し調べた資料を下記に掲載しておく。
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スナックバー(snack bar)は、カウンター付きの飲食店。
日本では高速道路の休憩施設を除いたアルコール飲料を提供する飲食店を指すが、日本以外ではアルコール類を提供しないものも含む。アルコール以外に軽食(スナック)を提供するバーというのが名前の由来。
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法律上の位置づけ「食品衛生法」に基づき、所在地を管轄する保健所に飲食店営業の許可を得て営業している。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%90%E3%83%BC_(%E9%A3%B2%E9%A3%9F%E5%BA%97
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私も駿台講師時代に多数のスナックにお世話になったが、飲食業の一つのため、文書を記載した人の意味が分からない。同時に経営者に在日コリアの人が多いか・少ないかなどは全く興味ない上に、資料もみたことがないため不明である。再度、上記の英語に注意。Snack(間食、おやつ…)を出す店から来ている。
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因(ちな)みに喫茶店は臨済宗の(岡山県足守生まれ)栄西の「喫茶養生記」集から来ていると解釈している。(私の郷土・岡山県の)栄西が日本に最初にお茶を伝えたと聞いている。
喫茶店の経営者に在日コリアの人が多いかどうかを調べても意味がないが、スナックについても同様である。
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Wikipedia には「午前零時を超えて営業する場合には風営法の届出も必要」と書いてあった。
ともかく、先の意味不明の差別文書を書いた人の記載目的の意味が分からないため、コメントのしようがない。
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(差別文書の中の一文)「Theyのbackには部落解放同盟がいる。」
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(私のコメント)次の疑問であるが、「They」と言うのは在日韓国人をさしているのであろうか。
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もしそうならば残念なことを書かなければならない。部落住民と在日コリアの人が仲良くすることは大変良いことであるが、2004年頃に、大阪で解放同盟の幹部と在日韓国系の団体との間で訴訟があったと聞いたことがある。(この箇所の抜粋は、詳細を知らないため、敢えて掲載しない。ただし、私が嘘を書いたと思われぬように、該当箇所に関するWikipediaの文章を画像コピーしておいた。デマと言われたときに掲載する。)
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部落住民と在日コリアの人に限らず、差別された人たちが手を取り合うことは理想である。しかし、(先の訴訟の件は詳しく知らないため)先の訴訟の件ではないが、不幸なことにときどき、希かもしれないが(希であることを願っているが)、同和地域内での在日コリア差別を1968年から70年代の部落研活動の中で直に聞いたことがある。
40年近く自宅に監禁されている、浦島太郎のような私のため、最近は斯様(かよう)なことが一切ないことを願っている。
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勿論、当時でも(私が部落研活動に熱中していた頃)でも、部落住民と在日コリアの人が仲良くしている場合の方が多かった。また、私の高校ではないが部落問題研究部の中にも在日コリアの人がいた。ただし、どの団体にも言えるかもしれないが、あってはならないことが希にか・幾分かあることもある。
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ここで、上記の差別文書で気になるのは、どうして「在日コリアン」と書かずに「在日韓国人」と書いたのであろうか。北朝鮮の人を何故無視したのであろうか。
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力道山は、言うまでもなく、北朝鮮出身である。ちなみに、金正恩氏のお母さんも大阪で生まれて、育ったとWikipediaには書いてあるが、本人からは直には聞いていない。また、出自類は私の方から尋ねない主義者であり、相手が言ったときに覚えているだけである。
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これ以上は書くまい。余りにも、事実誤認が多い文章である。受験勉強よりも、より広い勉強をすることを勧める。
(2025/02/17 19:07追記:「在日韓国人」という表記については、私も下記の行政書士の解説を読んで最近分かったが、差別文書を書いた人は行政手続き上で「在日韓国人」と書いていたようである)
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(差別文書の中の一文)「解放同盟が動くと警察も全く手が出せない。」
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(私のコメント)
理論上は、犯罪があり、警察官の指揮者が動けと言えば動く。
例えば、「八鹿高校事件」のときには、私の(友達ではないが)知人ともいえる佐々淳行氏が陣頭指揮をして警察官5000人(1974年12月2日)と2000人(1974年12月12日)を動員している事実がある。(Wikipedia「八鹿高校事件」参照)
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資料―1・八鹿高校事件(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%B9%BF%E9%AB%98%E6%A0%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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一番重要なことは、対立などがある場合には、メディアが公平に両者の言い分を並列掲載して、即座に国民に伝えることであろう。それ抜きでは、何が事実かの判定をできない人が多数でよう。
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この差別文書には書いていないが、日本のメディアの報道姿勢には問題があるかもしれない。日本国憲法と法律に基づいて、差別なき世を目指して、マスコミの責務を果たすことは重要であろう。それは長期的のみか、短期的にも差別をなくす道に繋がるであろう。
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下記のような解説もある。下記の行政書士の記載内容を見て、差別文書を書いた人間が「在日コリアン」と書かずに「在日韓国人」と書いた理由らしきものが分かった。
ただし、私は最初に記した理由で「在日コリアン」という語句を使用する。差別文書を書いた人間は行政書士の如く、行政上の記載(若しくは使い分け)を知っていたようである。
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資料2・在日コリアン Q&A
http://www.j-koreans.org/etc/qna.html
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資料3・意外と知られていない?国籍「韓国」と国籍「朝鮮」の違いについて
2019年1月31日2023年9月22日
https://common-s.jp/visanews/kikanationality/
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資料4・在日韓国・朝鮮人https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%83%BB%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA
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②(差別文書の中の一文)「何で部落の中に、右翼の車がいっぱいあるんだ。何で部落が共産党のじゃまをするんだ……。」
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《2025年2月8日の浜田隆政コメント》
私は「右翼がいるから左翼は襟元 (えりもと)を正す。その逆も然り、両方必要」と随所に記している。だが、私自身の経験としては私は都市部の同和地域、農村部の同和地域で子供会…その他の会・会談等でよく出入りしたが、右翼の車に出会ったことはない。勿論、出会っても問題はない。
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私は後に述べるように長期に亘り共産党員ではないが、この文書を渡されたときには、(日本共産党と1969年頃から対立していた)部落解放同盟、(日本共産党支持者が多いという噂の)全解連では、ほぼ同数の会員がいたはずである。ただし、公表値である。また、全日本同和会(解散後、自民党と提携している自由同和会ができた)もいたが、いずれにも属さない同和地区住民の方が多い。ここでも事実誤認がある。
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部落解放同盟のみをとっても分裂前には日本共産党が主導していた時期もあったとの噂もある。例えば、駿台大阪校のあった大阪府では分裂直後まで部落解放同盟大阪府連委員長は岸上茂雄氏であり、彼は恐らく日本共産党支持者と想像している。後に彼は正常化連に移られたようであるが、矢田事件の頃の大阪府連の委員長は岸上さんだった記憶がある。また、朝田善之助氏も一時は日本共産党員であった。
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なお、差別文書を書いた人は「共産党」とは「日本共産党」をさしていると、私は判断して解説したが、「日本」を除く「共産党」とは部落解放同盟の大半は対立していないことは周知と思われる。例えば、部落解放同盟の中国支持グループは中国共産党とは友好であろうし、日本の声グループはソ連共産党とは友好であろう。
政治学者でもある私が見れば幾つもの事実誤認をしているとしか思えない。
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なお、政治学専門家の私が見れば、分裂前の大阪府連は日本共産党系、日本社会党系、日本の声系(旧ソ連系)、中国支持派、いずれにも属さないグループからなっていたように思えた。具体的には日本共産党系が岸上氏等、日本社会党系が上田拓三氏(日本共産党→日本の声?→日本社会党副委員長)、日本の声系(志賀義雄氏や、今は不明も大賀正行氏。いずれも元日本共産党の人では?)、中国系(中国研究会。多分、西岡悟氏と思ったが西岡氏は違っていたかもしれない)、そしていずれにも属さない人である。個人情報で削除か。
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資料5・
自由同和会→2006年現在、23都府県連に9万8000人の会員を持つ。
全国地域人権運動総連合(1970年に部落解放同盟から追放される形で分裂した部落解放正常化全国連絡会議(正常化連)の後身として1976年に結成した全国部落解放運動連合会を2004年に改組):1987年5月の段階では、登録員約8万人。
部落解放同盟→2010年のデータによると同盟員の数は7万人を割り、平均年齢が60歳を超えるなど、組織の高齢化が進んでいる。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%92%8C%E5%9B%A3%E4%BD%93
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次に世論調査ではないが、同和地域では一般に、革新票などが相対的に多いという噂をきいている。消費税反対とか所得再分配を強く求める政党が有利となる確率が高いかもしれない。現時点では不明であるが、1987年頃は消費税はないが、供給サイドの経済学に賛同する人は少ないと想像される。
差別文書を渡された頃(1987年頃)の参議院選挙大阪選挙区を見れば、想像がつこう。ここを丁寧に書いているのは、余りにも事実誤認が多いことを証明しておくためである。(クリックで拡大)
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資料6・1986年~87年の参議院議員大阪府選挙区の投票行動
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③(差別文書)「お前らは、金さえつめば、おどしさえすれば、集団でこざかしく立ち回り自▲達に有利な約束をさえさせれば、おだてさえすれば、同情をうまく引きさえすればどんな人間でも思い通りに操れると信じ切っている。お前らのような奴は存在すること自体許さない。……▲【精か清か、誤字か判読不可】算をしてやる。アドバイス☆先生がされていることと、俺のことが関係あるかどうか、についてはどう思うか。手紙をそえて、これを返して下さい(来週の火曜日)。写真は国産車で、俺がカマをかけてウロウロした時、ついてきたものをとったものですが。外車の写真のフィルム、(まだ現像していないもの)もあります」
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(2025年浜田隆政コメント)
(差別文書の中の一文)「同情をうまく引きさえすればどんな人間でも思い通りに操れると信じ切っている。」
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(私のコメント)「同情」なる語については、部落解放同盟が分裂前の頃に部落研活動を私がしていた頃には、人を見下した雰囲気があり「同情は差別である」と、部落研活動の中でたたき込まれた記憶があり、上記はその逆を書いている。「同情」という語をどう解釈するかの論争は避けるが、部落研活動ではそのように(=同情は差別であると)言う人が多かった。そこで、ここも事実誤認がある。もっとも、「友情」は差別ではない。
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(差別文書の中の一文)「お前らは、金さえつめば、おどしさえすれば、集団でこざかしく立ち回り自▲達に有利な約束をさえさせれば、おだてさえすれば、同情をうまく引きさえすればどんな人間でも思い通りに操れると信じ切っている。」
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(私のコメント)「思い通りに操れる」については、思い通りにできれば、経営者は苦労しない。消費者は神様である。同和地域内でも事業をしている人は多く、そうした経営上の苦労は必ずしているはずである。
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(差別文書の中の一文)「お前らのような奴は存在すること自体許さない。……▲【精か清か、誤字か判読不可】算をしてやる。」
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(私のコメント)当初渡されたコピーでは「清算」となっていた記憶がある。この場合には殺人を連想する危険があり刑法に触れる可能性もある。ところが我が家に忍び込みコピー文書が返られ「精算」と読めるようになっていた。「精算」の場合には刑法に触れないと思う。こうした漢字に詳しいのは国語の専門家がついていた可能性がある。映画狂の国語の先生を連想した。即ち、映画説グループがついていた。我が家に忍び込み、その上コピーを入れ替えるなどとは。更に国語の語彙力…(漢字の知識)から。
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④(差別文書)「大企業なんかでは、部落出身者はやはり門前払いである。俺も一年前までは、それは間違っていると思ってきた。そんなことをするから部落の中で悪いことをするやつが出てくると思っていた。But、色々勉強して分かったが、あいつらは差別されて仕方がない。差別されるなんて子供のいじめじゃあるまいし、いい年した大人が大人相手に、会う前から門前払いしてしまうだけ。相手が嫌がる行動を、あいつらは十分している。全く同情するに値しない。同情したら、それを逆手にとってメチャクチャで、取り返しのつかない。……あいつらは、一歳時からヨボヨボのじいさんまで、狂信的に仲間につくすように洗脳されたヤクザみたいなものだ。そんな狂った奴、何百人も相手にして説得することが100%不可能であることが2年の間でよく分かった……P・S・ここに書いたことが信じられないならば両親にでも見せて下さい。他人に見せるかどうかは自分で判断して下さい。……」
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《2025年浜田隆政コメント》
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(差別文書の中の一文)「大企業なんかでは、部落出身者はやはり門前払いである。」
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(私のコメント)確かに、1971年に岡山県天満屋で就職差別があり、その確認会を見学したことがある。そのときに、就職差別があったことを経営陣は認め、二度としないと誓った。私が部落研活動をしていた頃には確かに就職差別はあった。若(も)しくは一部の企業にはあった。
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当然、これらは国際法、日本国憲法(11条、13条、14条等)、各種法律に違反していることを最初に指摘しておく。1988年から事実上、自宅監禁かにあるため、最近どうなっているのかは不明である。1960年代や1970年代当時は、自分の目と耳で直に確認したことがあることだけが事実である。就職差別は後に記すように絶対に許されるべきものではない。なお、天満屋ではその後、そのときの約束(二度と就職差別をしない)を守っていることを願っている。
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(差別文書の中の一文)「But、色々勉強して分かったが、あいつらは差別されて仕方がない。」
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(私のコメント)同和地域出身で世界的に活躍している人を多数知っているが出自にふれることになるため掲載できないのが残念である。差別などの不当な行為に対しては、一般的には、幾つもの行動が伴う。一つは怒りの発現形態の出口ミス問題、一つは怒りから差別問題(社会的問題)そのものをなくす行動、更には社会全体での民主主義促進活動、一つは昇華(しょうか){下に※注8として解説を掲載}という形態、他には迷いそのものに留まる場合…もあろう。これらは単なる例に過ぎない。
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世界規模で後者(私が使用する場合の昇華)の事例をみれば、アインシュタインはユダヤ系である。またロマ族はスペインのフラメンコ、エジプトのベリーダンス、ロシアの踊りに多大な影響を与え、音楽でもサラサーテのチゴイネルワイゼン(ドイツ語で「Zigeunerweisen…題名は「ジプシー(ロマ)の旋律」という意味である」Wikipedia)、あるいはハンガリー舞曲などに影響を与えている。
※注7・ロマ族→ジプシーなる語があるが蔑称ということでロマ族が推奨されている。ただし、ロマ族に属さない人で…民族をどういうかで論争があると聞いている。
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アメリカのAfrican系アメリカンでも、タイガーウッズがいなければ、モハメドアリがいなければ、マイケル・ジャクソンがいなければ、ハンクアーロンがいなければ…どうなったであろうか。
勿論、我が友・オバマ夫妻もいる。日本の場合も同様である(具体例は、出自は本人が言わない限り、書かない原則のため書けないだけである)。よって、近視眼的な見方であり、深さと専門的な認識が欠如している。
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(差別文書)の④番目全体。
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(私のコメント)私が中学卒業の頃まではジムクロウズロウに見られるように差別は確かにあった。今も、アメリカでは人種差別は昔ほどではないが(私が中学校の頃は日本人が人種差別反対と言ってアメリカ南部に行けば命の危険もあると聞いていた時よりは民主主義は前身しているが)なくなってはいない。
また、人物については一面のみを絶対視して強調するのは事実に反することを再度強調しておく。特に人間の能力を連想させる箇所では注意してもらいたい。そうした一面のみの強調は偏見を助長することになる。同時に一面のみの強調は事実でもない。日本も同様である。
同時に、キューバやブラジルでは黒人差別はほとんどか、全くないのに等しいことから、差別は政策で作られた物である以上、政策次第では必ずなくなるものである。
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(差別文書の中の一文)「同情したら、それを逆手にとってメチャクチャで、取り返しのつかない。」
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(私のコメント)既に③で書いた「同情」の解説を参照。
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(※注8)昇華
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心理学・倫理における昇華(しょうか、英: sublimation)とは防衛機制の一つ。社会的に実現不可能な(反社会的な)目標や葛藤、満たすことができない欲求から、別のより高度で社会に認められる目標に目を向け、その実現によって自己実現を図ろうとすること(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/昇華_(心理学)
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<昇華とは>
昇華は、ストレスや衝動などへの対処「防衛機制」の一つです。
怒りなど不適切な衝動などに対して、これを建設的な形に変換していくものです。
さまざまな防衛機制の中でも、健全な方法の一つとされています。
……
<昇華の例>
まず、悲しみをある種の「芸術作品」に変えていく場合があります。
また、怒りの感情をスポーツなどで発散して熱量とする場合があります。
後は、劣等感をバネに勉強などに集中してビジネスで成功する方もいらっしゃいます。
……
使い方を間違えるとリスクは一部あります。
<昇華のデメリット>
①現実逃避
……
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著者:春日雄一郎(精神科医、医療法人社団Heart Station理事長)
https://kokoro-kichijoji.com/psychiatry/sympandwords/words/syouka.html
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2025/02/08 追記:差別は政策で作られたものである。主として少数の人が多数の人を支配するために、巧妙な対立政策をあみだしていったことに根ざしている。
本来は各国の差別をどのようにして政策で作られたかを研究したかったが、自宅監禁や経済封鎖で世界の資料が入手できずに、もはや生きているうちにはその研究はできないかもしれない。
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そこで、昔、天に向かって言ってみた。
「差別政策を使用すれば、自国の軍隊の死者数は減少するかもしれない。だが、差別政策の悪影響は長期に及ぶ。イスラエル問題の根源的・歴史的原因を考えても分かろう。アメリカの人種差別も同様である。ましてや、即効性のある差別解消の完璧な解毒剤もつくっていない。そこで、人類に対する悪影響は人が思う以上のものである。
原爆同様に、差別政策は大変危険なものである。…」と。
すると、天から声がした。
「分かった、差別政策は使用しない」、と。
オバマ政権の頃であり、Mr.オバマの声のようにも聞こえた。
勿論、気のせいであろう。
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◎以下、2010年の文書から
《文書に関する私のコメント》
右記の差別文書に関して、以下、(一)~(五)の五点を明確にしておく。
(一)差別について。
私は、いかなる差別にも心の底から憤りを感じる。何故ならば、差別は、時の権力者が悪政を実行するために人民を互いに分裂させる必要上から政治で作り出し、再生産したものであり、多くの人民を貧困状態に陥れ、戦争への道へと導くものだからである。
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その前に、高校一年から参加していた部落問題の集会で、いろいろな事を教えてくれた地域の小父さん・小母さん・お爺さん・お婆さんの思い出。(煎餅(せんべい)を出してくれ、お茶を飲みながら、昔受けた差別の話を語ってくれた地域の人たち。)
高校部落研時代の様々な地で出会った多くの学校の仲間達との思い出(一番多感な年代に出会った全国各地の仲間、高校部落研仲間との長く続いた思い出)。
西宮に出てから、飲み屋の小父さんの温かみ。(いつも和やかに話を聞いてくれ、ほんの時たま昔の苦労話をして私を暗に励ましてくれた小父さん。)
金のない時、受け入れてくれた独特の温かみ。(金のない時に何故か地そのものが慰めてくれた場所。)
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西宮市教育委員会時代の同和教育部門に携わった時に、仲良くなった可愛い生徒たち(毎週私のアパートに遊びに来て悪戯(いたずら)三昧(ざんまい)をしていた中学三年の女生徒三人組、よく懐(なつ)いていた中学一年生の男の子数人、この子が大きくなったら嫁にできたらと思ったほど性格の良い女生徒……)……と懐かしい多くの思い出があり、私がこの目で見てきた――特に一五~二五歳の多くの活動をしていた頃の――事実に反しており、①~④の文書は怒りの前に、私には全くピンと来ない。
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私が直(じか)に見た事実、感じた事とは全く違っている。思い出せば温かい思い出は多数があるが、紙面の関係でここまでとする。よって、先のような差別文書には違和感と同時に、激しい憤りを感ずるのみである。
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読者で部落問題をよく知らない人には、白土三平『カムイ伝』(小学館)を読むことを勧める。コミックスではあるが、立派な文学でもあり、日本の文学史上最高峰に位置する素晴らしい芸術作品である。立教大学などでは大学の日本史の授業などにも使用されたこともある全二一巻の大作である。
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同時にNHKなど主要マスコミは、ここ何年も不当な在日コリアン差別、部落差別問題への取り組みを事実上放棄しているため、あらゆる差別をなくすべく真剣に真正面から報道して頂きたい。
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(二)差別文書を渡してきた人物について。
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先の差別文書は、顔も知らぬ生徒から駿台大阪校舎内で、K先生からの贈り物として手渡された、と事実のみを記しており、K先生から直に手渡されたとは記していない。
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(二〇一〇年四月追記)実際に、K先生が関与していたかどうかは(持参者の嘘等があれば)不明のため、その調査及び措置は法務省人権擁護局に委ねるのが適切と考えている。本来ならば、駿台と相談し、駿台経由で右記措置をすべきであったが、本文の如く、当時そうした状況にはなかった。
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尚、現時点でも法務省人権擁護局に任せる事が望ましいと考えている。この原稿が出版される場合には、私と出版社と(場合によれば)駿台とで、同局に相談し、可能な限りでの調査と適切な措置を、同局に依頼する事を切望している。原稿が落選の場合には、私が経済的人権・人身の自由を確保できた時点で、弁護士か同様の法律に詳しい人同伴で法務省人権擁護局に相談し、同局が適切と思う措置を講じてもらいたいと考えている。
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駿台辞職後から今日まで、本文に記すように大病・精神疲弊及び事実上の奴隷労働等々で、私一人では動けない。また、後に、更に第五編でも記すように、(映画説も視野に入れると)K先生は無関係の可能性もあるため遺恨類はないが、日本の民主主義のために放置することは好ましくないと考えている。(追記終了)
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(2025年追記)法務省とか人権擁護局がその本質に基づいた機関か、官僚組織かは今は不明となっている。主要全政党の方を検討している。ちなみに我が家の住所番地を70年使用した)Z3も人権擁護委員となっていた。🤷
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(三)何故この差別文書を私に渡してきたのか。
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理由は私には全く不明であるが、強いて解釈すれば、私の部屋へ不法侵入をしたという脅しとしか考えようがなかった。これからこの文書を手渡してきた理由らしき物を以下A~Dに列挙し検討するが、D・不法侵入の脅しとしか推測できないことは分かるであろう。
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A・私を部落解放同盟と対立していた日本共産党員と思って、何らかの目的で、私にこの差別文書を手渡してきたのか。
結論を記す。私は八七年当時も現在も共産党員ではない。少なくとも岡山に帰った八一年以降から現在(〇八年一月現在)まで、共産党の会議類に一切参加したことはなく、共産党員に購読義務のある「しんぶん赤旗」(日刊紙)も一切購読していない。
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因(ちな)みに、八七年末日本共産党中央本部に救済依頼文書を送付した際にも、「赤旗日曜版の一読者」として救済依頼をすると、事実上、門前払いされた位である。当時、私が共産党員ならば共産党員として八七年末でも救済依頼するに決まっている。依(よ)って、あれだけ尾行すれば、K(あるいはX1)が私を共産党員と思うことはない。ただ赤旗日曜版は、「少年朝日年鑑」同様に政経の授業の参考資料として、八五年頃から一年余り、九三年頃から数年間購読していたことはある。一時、約三百万部の販売部数のため、これのみで誤解することはありえない。
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大昔、共産党関係に関与した時代はあったが、現在とは全く無関係である。
渡辺恒雄読売新聞会長(〇七年一一月現在)は、東大時代に共産党員であった事は本人も語ったことがあり周知事項である。日本共産党と激しく対立していた部落解放同盟元委員長の故上田卓三氏も元共産党員である。
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また、探偵を雇い、私の昔の仲間等に聞いても、八七年当時や現在の、私の事は調べられない。簡単に言えば、私が京大生とし、もし東大大学院に進学すれば、京大当時の仲間・卒業生ですら、その後も私が共産党関連の組織にいるかいないかは、私が自分で言わない限り、一切分からない。
依って、幾ら、探偵を雇い、関学や早大で調査しても、私の関学・早大以外の事は調べられない。親や姉ですら、詳細な事は分からない以上、私の実家付近で調査しても分からない。
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しかし、私の部屋に不法侵入し、過去の書類類を見れば勘違いする可能性は高い。逆に言えば、私を共産党員と勘違いしたならば、私の部屋に不法侵入し誤解したとしか考えられない。結論として、Kからといって先の差別文書を渡してきたのは、私を日本共産党員と思ってではなく、別の理由と思われる。若しくは、不法侵入をして、Dの書類を見て勘違いしたかのどちらかである。
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参考までに、立会人を新免氏(現美作市議会議員・共産党)に依頼した理由を再度記しておく。
第二二章や第二五章に記した如く、政治性からではなく人間性からである。私の哲学では、友人類は人間性で選び、選挙は原則として政策で判断する、である。そこで、政策で一致しても、人間性に問題があれば、個人的につきあうはずもない。また大昔、運動をしていた時の同一集団の人間に対しても、人間的に魅力があれば、党派中立宣言をしている今でもつきあう。(社会党員夫妻がいて、一方が党員でなくなっても、離婚する必要性はないのと同様である。)
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但し、赤軍派の如く暴力崇拝や、収賄・贈賄は当然と考えている一部の政治家などは遠慮する。それ以外は、思想信条ではなく、人間性で友人類は選ぶ。立会人に新免氏をお願いしたのも同様の理由、即ち、新免氏及び新免氏の奥さんの人柄をみてお願いをした。因みに、関学恩師・後藤先生とも大学時代は政策問題で一部相違があった可能性が高い。されど師弟関係は良好であった。友人も同様である。
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分かりやすい例を記す。宮本太郎北大教授は、Wikipediaによれば、「父は日本共産党名誉役員宮本顕治であるが、自身は日本共産党員ではない……。社会民主党の学習会でも講演し、同党の機関紙『社会新報』にも掲載されたことがある」という。だが、宮本顕治氏葬儀時の喪主は太郎氏であった。因って、太郎氏が刑事被害にあい父・宮本顕治氏に救いを求めても当然である。親子だから。しかし、選挙で共産党に票を入れるかどうかは不明である。
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何故ならば、彼は、私と同様に政治学者のため、政治学者の信念として、その都度の具体的政策で検討する可能性が高い。借りは別の親孝行で返せばよい。私も同様である。選挙は悪魔で政策で選ぶ。不義理か。否、新免氏への借りは二二章と二五章に記した形で、必ず、きっちりと後日返す。例えば、新免氏の家族が大病で治療不可と診断された時、私が情報を駆使し、名医を見つけ治癒すれば、「もう、お礼は十分、お釣りがきます」、と新免氏は言うであろう。選挙支援や利権提供と無関係な形でも、世話になった分以上のお返しの仕方はある。
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▽
なお、宮本太郎氏と共産党との関わり合いなどについての記載もあったが、私人のため、必要限度以上のプライバシーは引用としてすら省略する。私に関しても同等かそれ以上に対応して戴きたい。一つ余談を記せば、私の早大政研内田ゼミ一学年上の先輩が途中で中央大大学院に入り直していたため、同時期に中大にいた宮本太郎氏とともに学んでいた可能性が高い。因みに、福田康夫総理(〇八年一月現在)……とも幾つかの知人の点を繋げば私と線があるようであり、世の中は狭いものとつくづく感じる。
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この原稿の中で再度言う。私は「完全党派中立を宣言する」、と。「生命への畏敬」を貫くためにも、「党派中立」の必要性がある。偏見・イドラ類から無縁であるためにも。なお、共産党との縁が切れた理由はプライバシーのため記す必要性はない。人権を取り戻し、能力に相応(ふさわ)しい収入を得だし、社会に影響を与えだした頃に、必要があった時のみ記すかもしれない。ただ共産党に対しては敵対心もその逆も全くなく、良い政策ならばその政策は支持するし、その逆も然(しか)りである。勿論、他政党にも同一原則は貫かれる。今後、もし政経を本職とすることがあり、研究に相応しい予算が確保されれば、全政党の機関紙・誌や内外の主要新聞は購読予定でいる。政経専門家として、当然のことである。
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B・私を被差別部落住民・同和地区住民(以下「同和対策審議会答申」に従い同和地区住民で統一する)と思っての差別文書か。
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それも以下の理由で該当しないと思われる。
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今回の原稿の草稿を一年ほど前に他人に送付し見せたことがある。その時には、私の住んでいる地域が同和地区か否かを当然記述しなかった。そこで、当時の原稿を読んだ人の大半は、私の住む地域を同和地区と考えたであろう。
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そう思われても私は全く構わない。私は、私が同和地区住民かどうかを、一切回答しないことを方針としている。高校時代など高校一年から部落研活動をしたり、部落研究部に所属していたりしたこともあり、私を同和地区住民と、当時から思っていた人もいた。だが、私にはそれはどうでもよい。同和地区住民かどうかを、私は返答する気は一切なかったし、今でもない。
しかしながら、今回、原稿を貴出版社に送付するに当たり、K氏からと言って、私に差別文書を手渡された理由をよりはっきりさせるため、やむを得ず記さざるをえないと判断した。
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結論を記す。
私の住む地域は同和地区ではないと思われる。依って、この差別文書を私に手渡してきた理由は、私を同和地区住民として差別するのが目的ではなかったと推定される。
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(2025/02/19 1:08追記)最後の(五)に当時も書いているが、「尤(もっと)も、親にも誰にも聞いたことがないし、聞く必要もないため悪魔で推測である」。
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C・岡映(あきら)氏に絡んでか。
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二〇〇六年四月に岡短交渉の立会人・新免美作市議会議員に年次報告をしていた後で、この文書が岡映氏に触れているのかと、初めて思わされた。結論から記せば、その解釈は以下の理由で成り立たないし、K氏などがそう考えたとも私には思えない。
まず岡映氏の紹介をする。
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一九一二年七月一〇日生誕。主な経歴は、分裂前の部落解放同盟中央本部副委員長、七〇年の分裂後は部落解放同盟正常化全国連絡会議議長、改組後は全国部落解放運動連合会初代中央執行委員長(政党支持の自由が原則、ただし週刊誌などには共産党系と記載されていた組織。〇四年以降全国地域人権運動総連合に改組)、戦後初代共産党岡山県委員長、七二年に共産党候補として岡山一区から総選挙に出馬。〇六年四月一三日逝去(九三歳)。
岡氏と私の関係は以下の通りである。
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私は、女子校非常勤講師時代の八一年頃、生徒への教育方針などを模索し、様々な人の意見や教育論を聞いて回っていた。林竹二の本を買い漁(あさ)ったのもこの頃である。この頃は高校時代の先輩であるM高校教師、真備高校KH教師(後に改称したOG高校元校長)の家などにもお伺いし、生徒に対してどのように対応したら良いかなどを相談しまくっていた。とにかく、授業をする上で、生徒への対応の仕方のヒントが欲しかった時期である。
※(2025年解説)M高校=美作高校、KH先生=改発先生、OG高校=岡山明誠学院。下記の食堂=ささ寿司
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ちょうどその頃に、私が行きつけの食堂に岡氏がよく来られており、岡氏と懇意であったママさんから「岡先生は仕事柄高校や中学の教師とよく話をされており、そうした教師達の悩みや指導方法もよく聞かれているため、岡先生と浜田先生とで教育問題について一度いろいろと話をしてみられたら」と提案され、共産党や部落問題の件ではなく、授業中よくやりあっていた生徒への対応のヒントを得るために、藁にもすがるつもりでお会いした。因みに、この店のママさんは、私が高校時代に部落研活動をしていたことなどを、全く知らなかったはずである。
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こうして、岡映氏と有意義な雑談類をしながら和気藹々(わきあいあい)と長時間会食をした。その返礼で民主会館に呼ばれ著書を贈呈して頂いたり、庭瀬に移動する八三年頃までは、この食堂で偶然お会いした時には食事を御一緒させて戴いたりした。
偶然お会いした時の会話は店のママさんもいれて、通常の雑談しかしていない。後に岡氏が病気をされた時に、ママさんから見舞いの誘いを受けたが超多忙なため不義理をした。要するに、食堂で知り合った知人でしかない。当時の私の高柳アパートとこの店と岡氏が勤務されていた場所がすぐ近くだったため偶然お会いする機会も増えただけである(全て自転車どころか歩いても数分の場所である。)
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因みに、高校時代から部落研活動をしていた関係で、岡氏の講演はよく聴いていたが、当然、岡氏は私の顔を知る訳はない。そこで、八一年頃の岡氏との出会いと、高校時代に岡氏の講演を聴いた時との連続性はない。要するに、私と岡氏の両方が行きつけの食堂のママさんの紹介による、高校時代とは無関係の出会いでしかない。
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次に以下の四点も明白に記しておく。
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一点目は駿台・近所・早大院などでも岡氏のオの字も口にしたことはない。勿論、駿台への内容証明・抗議文・会談でも岡氏の名前は一切出していない。駿台の件で岡氏に何一つ相談もしていない。
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二点目は、駿台辞職時には刑事犯罪被害が続発中で身動きがとれぬこともあり、最後の会談ですら駿台に一度も損害賠償請求すらしていない。駿台から手渡されたのは、(世界史の某非常勤講師から、非常勤講師でも原則として退職金があると聞いていた)退職金三〇万円のみである。
京都校時代は週四泊五日(八四年は月曜~木曜が授業、金曜が質問日でホテルに四泊し駿台に五日出勤)か三泊四日で講義を四年間し、大阪校時代の二年間も多数の模試作成や、授業もかなりこなしていた。準専任並みに働き活躍し、六年分の退職金として三〇万円渡されても安いことはあっても高いことは全くない。
なお、駿台を通常の大手塾と錯覚していた高校時代の親友が、退職金について「隆(たか)ちゃん、三〇万円とは少し安いとは思わないか」と言った位である。尤(もっと)も、二〇〇六年頃から白黒をつけて、駿台からも慰謝料・賠償金を支払わせるのが本道ではないかと考え始めている。だが、現況では私は動けない。([二〇一〇年追記]尤も、本道かどうかは、良心的第三者と法の専門家の両方に相談した後で検討を開始すべき事項であり、主観は排除せねばならない。)
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三点目は、岡氏を利用して妥当額以上の金を分捕る的(てき)な解釈自体にも無理がありすぎる。何故ならば、岡氏は七二年の衆議院選挙に共産党候補として岡山一区から立候補されており、共産党の重臣がその職にある時に利権獲得に奔走(ほんそう)したというデータは、政治学専門家の私でも、持っていない。依って、新免議員の臭(にお)わした解釈は、理論上も現実面からも、不可能である。第一、既述の如く、駿台に賠償請求すら当時していないため論外である。
尚、〇六年末に岡氏についてインタネットで確認すると、五分以内で今回記した以上の情報が出てきた。八七年頃はインタネットはなかったが、今日(こんにち)と異なり岡氏が現役で活躍されていたため、今以上に岡氏に関する情報は溢(あふ)れていた。差別文書に関与した人間達は、それらを当然熟知しているはずであり、その上で先の差別文書を手渡してきたとなる。
※(2025年追記)某講師とは世界史の中井氏である。後に同志社大学名誉教授となった。
▽
四点目は、私が岡氏に何故相談しなかったのかを解説する。八七年当時、拉致未遂事件被害や不法侵入・営業妨害され、救済を駿台当局・弁護士・警察に求めても門前払いをされ、社会生活が困難な状況に置かれていたことは本文第一〇章で記した。
岡山地方裁判所にも当時行ったが、弁護士抜きでは敷居が高く個人訴訟も不可能と思わされた。そこで、岡映氏に相談しようと考えたこともあった。ただし、それは岡氏を通して、しっかりした正義感の強い弁護士を紹介してもらい、弁護士などを通じて法に基づき刑事犯罪をやめさせるべく警察を動かすことであり、あるいは訴訟をおこし違法行為をやめさすことにあった。そこで、相談したとしても、弁護士紹介や裁判を軌道に乗せるための援助類であるため、その場合には賠償額を決定するのは岡氏や私ではなく裁判官でしかない。
▽
刑事犯罪被害・不法行為の件を岡氏に相談するのを中止した理由は、友人の「岡氏は多忙であり、今(いま)部落解放運動の分裂などでそれどころではない。岡氏の重要な使命である全国的な活動を妨害してはいけない」というアドバイスと、更に刑事被害が激しく、相談すら不可能な状態へ追い込まれたためである。
こうした状況であるため、差別文書に関与した人間達が、岡氏と私の過去の出会いを、通常の手段では知る術(すべ)はない。八三年途中から高柳から庭瀬へ移動し、例の食堂にもほとんど行っていないのだから。また、私の部屋への不法侵入その他の犯罪で知ったとすれば、それだけの金と情報収集能力があれば、当然三点目について熟知しているため、岡氏を通じての賠償云々(うんぬん)説は全く成り立たないとなる。
▽
差別文書に関しても、右記の理由で岡氏に相談できなかった。なお、法務省のパンフを悪用していたため、筋から言って、まず法務省・法務局か人権擁護局に調査をさせ、何らかの対処(差別問題のみならず、法務省パンフの無断使用と内容の改竄犯罪対策)をさせなければならなかったが、それすら当時不可能な状況に追い込まれていた。
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D・この差別文書を私に手渡してきた理由は、明白には分からなかったが、消去法で考えると以下しか残らない。
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当時、アパート内には教育委員会時代の同和地区生徒名簿、真備高校・岡短等の成績書類、実施前の模試、短大実施前試験原稿、様々な地や場での共産党関係も含む昔の機密情報類、悪用時数千万円以上の恐喝可能な犯罪情報を含む機密事項(解職・解雇・離婚・その他大問題につながる個人資料類)もあった。不法侵入自体も大犯罪であるが、当時は室内にこうした膨大な機密文書・書類・資料があり、他人に見られることは第三者の人生を台無しにする危険のある大事件であった。
そこで差別文書は、私の部屋へ不法侵入し機密は見たし、お前のことは全て調べ上げた、またいつでもアパートの部屋に自由に不法侵入できるという脅しとなっていた。
【※注】全体を読めば分かるように、私にはD以外の選択肢は思いつかなかった。しかも、拉致未遂・不法侵入続きならば考えすぎとも言えない。
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(四)駿台ではなく、岡短の件で著名人の名前を出した理由。
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岡短の不法行為関連で文書を各方面に送付した時に、著名人の一人に岡氏や私の大学院時代の恩師・内田満先生(一時自民党顧問)等の名を記したのは、怪文書と思われ門前払いされるのを防ぐ目的でしかない。本文第二二章を読めば明白である。八七年に警察・弁護士・日本共産党中央本部等々に門前払いされた事が頭に痛いほど残っていた。拉致未遂を含むあれだけの犯罪をうけても無視された。轍(てつ)を踏まぬため、即ち同じ失敗を二度せぬため、九八年からは怪文書と門前払いされぬために著名人の名前を出したにすぎない。
▽
記した主な人物は、本文の如く、菅直人(昔私がお会いした市川房枝氏との関係)、小池百合子(知人ではないが関学同期生)、土井たか子(同志社大学教授以外にも関学非常勤講師で私の知人などが履修)、内田満先生(早大大学院ゼミ恩師・自民党顧問)、……と並んで(共産党関係等への救済文書には)岡氏の名前も記したにすぎない。他にも呼びかけ文の一部には大学院時代の学習会で共に勉学した水島朝穂早大法教授や、特に顔見知りではないが同時期に共に早大政研で学んだ萋尚中(カンサンジュン)東大教授などの名も同様の理由で記している。
▽
こうして、これらの著名人の名前を岡短・「機構」関連被害救済文書では記した。しかし、裁判の場合には著名人が絡んでいようとも、岡短や「機構」などの国家が関連した犯罪で賠償額が大きくなった事例はない。それどころか、被害者が計算した逸失(いっしつ)利益額、あるいは誰が考えても妥当と思われる逸失利益分すら、国家が関与した人身被害(水俣病被害、ドミニカ共和国移民問題、C型肝炎被害者問題、薬害エイズ問題……)の場合には、正当な賠償を支払った前例を私は知らない。
▽
ただし、岡短ではなく駿台の件では、(岡氏も含めて)一度も誰の名前も使用していないし、駿台内でも一言も言っていないことも再度強調しておく。
▽
※(2025年度追記)岡短(現・能開大)、雇用促進事業団との賠償交渉で不審人物扱いされぬため、20名余りの著名人の名をだしたが、迂闊にも関学同期生小池百合子の名を書いていた。勿論、顔見知りではない。単なる名簿上、昭和46年度(1971年度)同期生にすぎない。だが1998年度に名を掲載したため、韓国問題でも彼女についてのみはノーコメントを貫いた。昔、だした文書を削除できぬ限り、今後も多分ノーコメントとなるであろう。古い人間タイプの性(サガ)に過ぎない。
あの頃、オバマ、バイデン、クリントン…場合によればトランプ…を知っていれば名はださなかったのであるが。1998年当時、労働省や小渕恵三総理などにも送付したため、門前払いされぬように苦肉の策であった。友人(グリーンクラブ所属)は「小池百合子よりはオリックスの宮内義彦会長(関学グリーンクラブ出身)の名にしとけば良かったのに…」と。
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▼
(五)法務省への処理依頼の検討。
▽
この原稿が本になった場合に、この本を法務省へ送付し、一定の対応を要請する予定でいる。原稿が本にならない場合でも、自宅監禁が解かれ、人権蹂躙が止んだ時点で同様の行動をとる予定でいる。現在は、既に本文で記した理由で対応は難しい。法務省に対応を要請する理由は以下の通りである。
▽
ア・法務省の許可を得ず、法務省の冊子などの一部を使用して、あからさまな差別内容を記述することは、差別問題を除いても著作権違反のみならず詐欺罪に該当する危険な犯罪である。また、同和地区住民、在日コリアンに対する人格権侵害その他の犯罪行為であり、私に対しては実証できれば(三)で述べた理由で不法侵入及び脅迫という大犯罪でもある。
▽
イ・同時に、駿台のK講師が本当にこの文書を私に手渡すよう指示したかどうかの調査も法務省に依頼し、その対処も法務省に委ねる事が適切かと思う。因みに、私に対しての映画説などでバトンタッチ型犯罪ならば、刑事も含めて時効は成立していない。
▽
ウ・法務省のホームページに「『えせ同和行為』を排除するために」が現在も掲載されていた。同時に、法務省の名と法務省の冊子の表紙を利用して、この時の如く差別を助長した人もいた。
こうした法務省の活動を逆手にとった新型差別助長行動について、同省に実態調査をさせ警戒させる必要がある。私は法務省を絶対視してはいないが、現時点でも八七年でも、法務省があからさまに正面から差別助長を計画しているとも思えないため、まず法務省に対策をとらせるのが筋と考えている。八七年当時も、幾分そうした思いはあったが、刑事犯罪被害連続の上に警察などからも門前払いされており、法務省への問い合わせ類は不可能な状況に追い込まれていた。
▽
〇七年一一月に五五歳となり、いつ大病となり、いつ死亡しても不思議ではない年齢となった。八七年に残した課題・この差別文書の後始末もしておかねばならない。それは人間としての義務である。誰が、何故、何の目的で差別文書を渡してきたのかを明らかにすることは、長年差別をなくす運動に取り組み、それを願ってきた私の義務である。この差別文書を渡された時、友人・知人類は「放っておけ」に近い言動をし、こうした文書に怒らなかった。当時は不思議であった。
だが、あと何年生きるか不明の歳に入り、私ははっきり言う。「それは間違いである」、と。
長年差別反対を唱えた人達のすべき態度ではない、と。否、人間として生きるならばこの文書を無視することは間違いである。私だけの問題ではない。この世にある差別を正面から見据え、対処するのが私の・私たちの責務ではないか。それも、今後の差別対策の見本となる形で。良き先例となる形で。可能な限り素晴らしい先例となる形で。
▽
もしこれが映画説であり、差別文書を渡してきたのが映画関係者等であった場合には、XがX1説である場合以上に、こうした差別文書を渡してくることは人間社会に対する挑戦であり、明白な犯罪である。必死の啓発活動を目的とするのではなく、こうした形で差別問題を利用することは、映画(作品)エゴによる人間社会への明白な挑戦である。一部の小説家が、作品エゴにより、本人が嫌がっているのに個人のプライバシーを平気で記すのと同様である。
▽
今回文書を清書するに当たり、私が同和地区住民かどうかなどの質問には一切回答しない方針を覆して、差別文書を手渡された目的を分析するため、同和地区住民ではないと書かざるを得なかった。{尤(もっと)も、親にも誰にも聞いたことがないし、聞く必要もないため悪魔で推測であるが。}
人にどう思われようとも、我が家が同和地区であるかどうかを回答すること自体が、長年差別をなくす運動に取り組み、さらに二〇年以上人権蹂躙をされ続けた私にとっては不自然な事――ある意味では回答してはならない事――であった。
そこで、一言付け加えておく。私は未だに本文に記した理由で独身のため、同和地区住民でも、在日コリアンでも、資本家の娘でも、東南アジアの人でも、アメリカ人でも、……勿論学歴も一切無関係であり、良い女性がいれば紹介して戴きたい。人間的に良い女性ならば、相手も結婚に同意すれば、即座に結婚する。自然な事であり、当然な事である。このことを明白に記しておく。
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この二六年間以上、私は党派中立宣言をし、それを実行している。さらに、私が部落問題に取り組みを開始したのは一五歳の時であり、当時は部落解放同盟は分裂しておらず、日本共産党の人も、日本社会党の人も、その他の政党の人も、無党派の人も一緒に活動していた。貧困者、被害者、様々な差別を受ける者同士がいがみあった時、誰が喜び、その結果はどうなったか。それは歴史が嫌というほど証明をしている。歴史が苦手な人は、最初に紹介した白土三平の『カムイ伝』を読むがよい。
私は、そう遠くない内に、昔のように部落差別に反対する人達が共に手を取り運動するようになることを夢みる。それどころか、全ての差別に反対する人が共に手をとり運動する日を夢みている。八〇年代末から世界で思いもしない事が起こったように、歴史は人が思う以上に変化する時は変化をするであろう。
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最後に、岡短時代の労基法違反構造を分析した、拙著『親方日の丸』の末尾の部分を引用する。
I hope we have a common dream. “More than machinery, we need humanity. More than cleverness, we need kindness and gentleness. And we have to struggle for human rights, for and under ‘Reverence for Life'”
(私は人類が一つの共通の夢を持つことを願う。「機械よりは人間性を、単なる知恵よりは思いやりと優しさを。そして『生命への畏敬』のために、『生命への畏敬』の下で権利のための闘争をしなければならない」。)※英文箇所はキング牧師、チャップリン、イェーリング、シュバイツァーの文章を参考にして私が作成。
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(二〇一〇年四月一四日追記・五月一日微修正)この差別文書取扱いについて。
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1・この差別文書は渡された後、どう処理すべきか、友人等に相談した。返答は(五)と(三)Cの四点目に記した通りである。対処できなかった理由も付録―1等に記述した。その後第三編、四編の日々で身動きがとれない状態となる。やがて、第四編に記した理由で救済依頼文を知人などに出す時、過去のケジメをつけるため、救済呼び掛け文の一部に右記差別文書も挿入した。送付先は友人類三名、親戚四名、重要箇所四箇所(東京法律事務所、神田弁護士、立会人新免議員、主治医)である。
(二〇〇六年一二月二三日に〇七年年賀状とともに投函。送付した文書は控えがあり、送付先も記録保存している。)
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2・次にノンフィクションとして二〇〇七年四月と二〇〇八年二月に某出版社に応募した。この箇所を記入するとかなり字数オーバーとなり門前払いとなる危険性があったが、人間としての義務から、付録―1を掲載して投稿した。(後書き参照。)原稿内容は、前書きに記したように、主として今回の第一編~第四編類似とこの付録―1である。念のため、新免議員と恩師・後藤先生にも渡している。
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3・今回、この原稿が落選した場合には、以下の理由で、この差別文書の箇所は完全削除して、他の出版社に応募するかもしれない。字数制限問題である。
差別文書は掲載するだけでは駄目であり、読んだ人が差別をすまい・許すまいと思うコメントが必要だからである。すると字数制限を軽く超える。又、この原稿のテーマは、この差別文書を中心にしていないため、物語全体の流れを損なう。更に差別文書を掲載する以上、フィクションと思われたならば困るため、駿台の堀江・大滝部長は実名を出さざるを得なかった。両者も記号にすれば、もっと思い切って書くことができたり、文章も読みやすく出来た可能性が高い。
そこで削除し、付録―1等は日本・世界の差別特集として、別の原稿で出版し世に訴える事や、本文(二)の追記、(五)、後書き等に書いた形での措置も検討中である。
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尚、手渡された文書中に、車の番号が写っている物があり、写された車の持ち主の協力があれば、手渡してきた人物の割り出しへの手掛かりになるかもしれない。同写真が同封された理由は、当時、私が不法行為人物を見つけるためと犯罪阻止・防犯目的で、藁にもすがる気持ちで、私への道交法違反車、県外車等々をアトランダムに撮影していたが、それらも全部調べているという脅しと解された。
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4・この差別文書は、二〇〇六年に知人類一一名に送付、更に貴社出版社含めて三社に公表し、私の背負っていた十字架(八七年の如きやむを得ない事情があったとはいえ、差別文書を見逃した事)は、贖罪(しょくざい)されたと思う。特に、映画説ならば、後は政府・駿台の責務であるとも思う。
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5・大滝部長と最後の会談をした時には、私の方ではなく、管理不行き届き責任のある大滝部長の方が逆に怒っており、その威嚇などで、この差別文書の相談等はできなかった。それ所か、他の被害も丁寧に解説できなかった位である。参考までに、今回は、大滝部長に送付した内容証明書と八八年一月会談の内容を第一〇章の最後に追記記載した。
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6・宝島社ミステリー部門に応募した理由は字数制限にゆとりがあったためである。私の十年以上思っていた仮説を第五編に今回付け加えることも可能となった。第五編は、私が今本当に思っていることを記したが、ノンフィクション部門ならば、門前払いされる可能性が高い。又第五編の仮説が事実ならば、付録―1の解釈も少し変わる。
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(私用メモ)
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(修正前原稿)修正→二〇一〇年五月一日午前11時から12時すぎ。修正理由→昨夜寝ている間に催眠かけられ、催眠強制のため。
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私の方は次の原稿(『旅に心を求めて―懐かしきの心を求めての旅特集』、『旅に心を求めて―教材編』、『Dorothyと10人の出会い・改訂版』、「新免議員・青山委員報告」、(政府等宛)『恐るべき労基法違反・決着用改訂版』)を九月末迄に全部仕上げ東京へ行き、今度は直接手渡しや嘆願も含めて措置、更に、10月~12月は大学公募応募と、本年前半原稿落選時には、『閉じた窓には日は昇る・?社版』(候補出版社は現在まだ4社以上残っている)の書き直し、次に『旅に心を求めて―不条理編』を来年2月までに書き直し集英社へ。全体を通じて大著『生命への畏敬』シリーズの再会《再開》。
これら全部の資料・史料集め等もある。更にその間に最悪時には塾講師の応募類と殺人的スケジュールがあり、とても今書いている原稿に留まっている暇はない。
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今回の原稿は、嘘は一切書いていないが、駿台告発、岡短告発が主目的ではなく、著述業を商売とする上での就職活動であり、生活の糧とするための印税が目的でしかない。差別解放運動の分裂その他に関することも今回の原稿では目的ではない(差別問題は、まとめて、別原稿で処理する。例・生命への畏敬等)。
尚、上記の原稿の後は、「草の根の美を求めての旅」、学術論文・「日本の政治構造の分析・〝自治会と町内会〟について」、ノンフィクション『求め続けて』(一般用版)〈、〉『生命への畏敬』シリーズ他、合計一五程度の原稿が控えている。構想どころか相当数下書きすらある。宝島社用に構っておられないが真理であるが、催眠ではどうしようもない。
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修正で一部割愛された部分は、催眠強要で車関係を書かされたため字数問題からである。この時点でもう第五編どころか、後書きまで、更に目次も清書は終わっているため、字数が増えると、頁数が全部変更となるからである。よって、修正頁は一頁も増やせないのである、追加すれば、その分何かを削らねばならない。またITとか姉とかは、今回、漠然としておいてあげようである。裁判時などにのみ特定にすると方針を変えた。勿論、IT氏の場合には「岡氏は、今それどころではない。解放運動の分裂を解決するという大問題がある」があるが、よいが姉の場合にはそうはならず、姉弟のよしみで、字数問題もあり濁したにすぎない。
(修正前文書は次の頁)
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※(2025/02/17追記)姉の問題とは、姉が1987年当時「この差別文書はお前の字に似ている」と言った箇所である。(記録では姉は後に「覚えていない」となっている。)私の字は悪筆であり、差別文書の文字よりも悪筆である。後にポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)に対しての救済依頼文「恐るべき労基法違犯」に資料として付け加えた、精神疲弊の証拠文の文字などを見れば分かろう。小渕恵三総理・小泉純一郎総理・官直人総理等(いずれも当時の肩書き)、三度に分けて延べ百人の政府関係者・国会議員等に送付しているため私の自筆の証拠があろう。
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これらから、1987年秋当時は駿台関連者が「自作自演」の逆手の罠をしかけたかと思うようになった。ただし、当時を振り返れば、拉致未遂被害…で身動きはとれなかったかもしれない。ともかく、当時の駿台では第二次世界大戦前の謀略事件のオンパレードであったため尚更、各種罠を警戒していた。
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ちなみに、私は駿台とは「授業だけをする」という契約で駿台の教壇にたったのである。女性ドタバタ劇に無理矢理絡めるのが分かっていれば、1981年1~3月頃に誘いがあった県立高校で教壇に立っていた。(条件は「専任として二年間教壇に立ってくれ。その後も悪いようにはしない」であった。)駿台の教壇は1981年4月からである。詐欺というか、契約外労働(女性ドタバタ劇強制参加)を強いられたが後の感想である。人生の無駄であった。