(💁正式公開)駿台事件真相編―🆕6―(1)・駿台CM作戦―超多忙時代のあえぎ(ベネッセ―駿台―能開大と一本の線)

(💁正式公開)駿台事件真相編―🆕6―(1)・駿台CM作戦―超多忙時代のあえぎ(ベネッセ―駿台―能開大と一本の線)


駿台真相編-6は2024/06/19 と2024/10/03 23:52 追記にメモを貼り付けていたが、ほぼ全面的に構成、内容をかえて、ここに掲載する。

以前のメモは下書きとして暫く掲載したままとして、数ヶ月後には下書き保存に回す。以前のメモのアドレスは以下である。

●https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=44135

2024/10/25 23:17から新下書きを開始

2024/11/06 21:17からMemo追加。途中で何故か、消去させられて、再度貼り付け作業。2024/11/07 10:00頃からMemo貼り付けや下書き作業。2024/11/08 21:09一部追加。

2024/11/08 21:13 長いため、更に追記も予定しているため㊤と㊦に分離予定。

2024/11/09 19:28 少し貼り付け。本来本格的作業予定も15:00~19:00にかけて催眠独り言で阻止される。契機は🐶散歩を見てか。それとも午前のZ家の🔥というよりも煙を見てか、その亜かは不明。

2024/11/09 22:07 から3~4分割して、順次修正や写真を添付しながら、数日間隔で掲載を予定。2024/11/10 16:08追記。2024/11/11 1:47微修正

2024/11/11 20:21 清書化作業中。2024/11/12 11:11から再開。

2024/11/12 16:51 正式公開。(本日午前5:30に催眠型で起こされ、同時にきっていたはずのパソコンがOnとなっており、その後に二階🚽(トイレ)に行くや催眠で、駿台で手渡された差別文書の話をさせられる。本来はこの話は駿台真相編07に掲載予定でいたが、しつこい催眠のため、今回も簡単に記載しておいた。更に、予定外の文書を幾つも追加させられ、文書の体裁や最初の構想はガタガタとなり、😡(怒っている)。 17:04・17:16/17:20:17:28追記。18:12 タイトル名少し変更。18:18微修正

2024/11/12 22:02 👩女性回想KGさんの箇所で一番重要なαが漏れていたため追記。(何故か、この原稿の引用はいつも非掲載となっている)。23:02微修正。2024/11/13 12:18下の方のタケウチの箇所に追記。

 

 


【駿台事件全体構想】
駿台事件真相編―1・催眠
駿台事件真相編―2・ゼノンの詭弁と駿台事件の手口・女性編
駿台事件真相編―3・企業と私―駿台大CM編
駿台事件真相編―4・駿台CM作戦と映画女性活用編
駿台事件真相編―5・駿台CM作戦―女性刺客四人組活用編(その1・黒幕編、その2具体的展開、その3㊤㊦と4㊤㊥㊦展開解説付き。その5・その6・その7=世界からの情報、その8
駿台事件真相編―6・駿台CM作戦―超多忙時代のあえぎ(ベネッセ―駿台―能開大と一本線):(1)~(4)にわけて掲載。
駿台事件真相編―7・駿台CM作戦―業務妨害から刑事犯罪被害へ
駿台事件真相編―8・駿台CMと🎬協同で☠映画説グループを絡め作戦と能開大・村への移行


【注意箇所】個人情報を掲載理由(毎回掲載)
下記理由(この事件に絡んで何人かが死亡…や私自身も命を落とす危険が何度もあったことなど)で、実名での公開を原則とする。
下記はZ家(浜田稔・正典)家であるが、どうも、我が家(浜田耕治・隆政)との家間違いが駿台事件の原因の一つのようであるため、駿台事件も実名とする。同時に、駿台講師時代も拉致未遂被害や学内外での業務妨害や刑事犯罪被害に遭(あ)ったため尚更である。

※疑惑も含めれば死亡者は10名以上、MEの世界を含めれば20名以上かもしれない。ただし、私は完全に無関係である。


個人情報公開理由(📢浜田稔・正典家の登記簿上の住所648-5の場所には2024年5月頃から浜田正典氏以外の人がお住まいなので注意ください。)

 

各種個人情報が出てくるが、
(A)我が家の住所・位田646(戸籍=現住所=登記簿:祖先は1600年代後半から系図あり:本家)を使用され、各種被害(2017年のみでも2万円損失させられたことをはじめとして多数)、その他の膨大な被害(灯油のみでも無断で5回いれられかけ、実際に2度いれられた)があること、
更に、
(B)我が家住所番地(位田646)無断使用者・浜田正典氏(司法書士)に是正を求めても改善されず、
(C)該当者自身の職業が司法書士という法の専門家であること、
(D)上記の行為により、生活に支障を何度もきたしたこと(例:死亡は嘘の疑いが高いが、浜田正典氏が死亡した際には葬儀屋が我が家へ来て私が対応、霊柩車も最初我が家へきたようであるなど)…その他膨大な被害があること、
(E)私が意味不明の40年近い被害を受けている原因が家間違いの疑惑があること、
(F)多くの情報網を持っている世界の我が友=世界の指導者が10人以上、暗に原因は家間違いであることを示唆したこと
(G)深い事情を知っていると思われた、亡き友人(司法試験にも合格したと言っていた)が「トラブル被害の原因は人間違い」を明言したこと、
(H)岡山県美作市役場などに相談しても適切な対応はとられなかったこと、
等等から、個人情報であっても、私の生命を含む人権を守るための、超法規的措置もかねて公開に踏み切った。個人情報を含む人権は濫用してはならない。公共の福祉との整合性より公開可能と判断

 超法規的措置と言っても、浜田正典氏は司法書士事務所の関係で使用住所の一つ位田648-5は各種ホームページで公開されていること(ただし郵便受けや各種書類では我が家の住所位田646を使用されることが多い、ごく希に岡山県の土地位田646-2も使用)、…で、彼ら(司法書士)の住所はCM扱いとなっているため、(私への人権蹂躙を阻止するという)正当な理由抜きでも、今回の情報公開は合法とも考えている。

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上記は下記を一部修正して抜粋
私の人権編:⚔⑧―40年の人権侵害全貌解明:8月16日編(8月24掲載)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=40006
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駿台事件真相編―🆕6・駿台CM作戦―超多忙時代のあえぎ(岡山予備校。能開大と一本の線)

表紙の写真は問題の🔐を握っている姫路

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下記、桃色箇所が今回の原稿の範囲。

(序)駿台真相編-06・全体の概要

(1)私が務めた各職場の結合形態と私の父との関係

(2)駿台CM作戦―事件第二部の開始―相似形であった駿台女性事件岡山予備校女性事件の比較
――駿台真相編1986年度の話題提供が女性から超多忙生活へのシフト

(3)各職場連携工作の意図―犯人・犯罪隠蔽作戦

(4)☠(謎のX)の存在疑惑と、人間違い誘導疑惑について


※(🎃オジョウの示唆)

🎃オジョウが言っていた。「今回のような文書を書いても仕方がないと。小渕恵三さんに手紙を出してどうなった。…同じことよ」と。

 {※私が小渕恵三総理に書留送付を送達した日に、小渕総理緊急入院の臨時ニュースが流れ、間もなくして小渕総理は死亡した。ちなみに、小渕総理は、早大大学院政治学研究科の私の先輩であり、私の大学院時代の指導教授とも知り合いであった。}
私も書いても意味はないと思うが、催眠誘導記述である。第一、私は『日本のフィクサーME・パート3』を書いていたのである。所が第3章訪米が終わった頃から第4章に入れず、「駿台真相編」の記述を強要され参っている。
この世では裁判か国会で取り上げぬ限り、書いても意味はないと思うことが多い。🎬映画・テレビ説グループの単なる話題提供へのエゴの犠牲と思うことが多い。



 

駿台事件真相編―🆕6―(1)・駿台CM作戦―超多忙時代のあえぎ(岡山予備校。能開大と一本の線が)

(序)駿台真相編-06・全体の概要

駿台事件の本質は、映画説グループの視聴率稼ぎと駿台経営陣の大CM作戦が本質と何度も書いた。
私は、自分の生き甲斐を「授業の演出・プレゼンテーション」においていた。だが、それでは駿台CMにならぬ・🎬映画類の視聴率はとれぬということで、女性陣を絡めたようである。女性陣といっても、1983年入社京都校講師室係四人組に限定してではあった。

しかしながら、🚺女性問題?といっても、下記図表の如く、デート所が外で会ったこともない。会話も人前での僅(わず)かな時間でしかない。
そうした状況ではこの奇妙な🚺女性問題?ではいつまでも話題提供は不可能(視聴率稼ぎはできぬ)ということで1986年からは契約違犯による授業破壊工作が行われる。契約違犯による多教科への誘導に起因する超多忙さ、その中で授業を守るための私の行動との両方をテーマにしようとしてきた。後に述べるように(トイレ利用や他の職場との裏での提携という)かなり汚い手口であった。

この実証をするのが駿台真相編-06の課題である。


なお、この時期(1986年度)には更なる超多忙と精神的追いつめを狙って、今度は催眠で岡山の予備校🚺女性職員2人が絡められる。駿台と全く同様の手口であった。


催眠女性熱の度合いは駿台よりも岡山の方が強かった
だが、岡山の方は1年で終わり、終わった後は一切催眠での解説強要も、催眠類で思い出しをさせられることもない。
女性を絡められた経緯などは三~四行と簡単に記して終わりである。即ち、催眠で熱をあげさせられ、参ったで終わりである。他方、駿台の方は膨大な時間をかけて、何度も催眠での思い出しと、催眠独り言を強要された。それも40年近くである。
この違い(岡山の予備校女性職員回想と駿台女性職員回想強要との違い)はどこから来るのであろうか



おまけに、🛵おじょう(タナカ)や、岡山の女性と異なり、駿台職員女性は美人だったなどの印象操作や、その他のこじつけも甚だしくやられた。卑劣なことには催眠で、(1983年度入社)駿台京都校講師室係🚺四人組への怒りや不愉快さを緩和するという汚い手もうたれた。
なぜ、そこまで駿台講師室係🚺女性職員四人組を擁護というよりも、ヤクザの因縁型で押しつけるのであろうか。

容姿類は全てではないが、容姿ですら嘘の印象操作が多い。法解釈上問題がないと判断したため、駿台や岡山の予備校職員、更に当時登場した女性群の写真かイラスト絵を駿台真相編06-(2)等で掲載することにした。見れば解説の必要性はなくなるであろう。
肖像権といっても、人権の濫用と公共の福祉の制限があり、彼女らがそれに違犯(催眠への共犯、ドタバタ劇という契約外労働・強制労働・賃金不払い労働…に加担)した以上、私の生活防衛上、指名手配の犯人の肖像権やプライバシー権が制限されるのと同様に、公開は許されると解釈した。

更に、駿台事件に関連した形で嘘か本当か不明であるが、何人も死者がでている以上、緊急避難・超法規的措置にも該当する。実際に、私は駿台講師時代に拉致未遂被害に遭ってもいる。勿論、駿台大阪校内ではあからさまな業務妨害・授業妨害の被害を被ってもいる。その原因として、最初の🚺西山への手紙を起因とされている謎もある。
そして、これらの職場での出来事は因果関係があり、その繋がり型を事実に即して解説していくのもこの(6)のテーマである。

なお、駿台CM作戦は、この超多忙さだけではまた人は飽きるということで駿台真相編(7)から刑事犯罪被害の連続となる。

同時に、恋愛詐欺とか各種工作類は犯罪である。被害も、業務妨害や健康被害にまで及んでいく。通常ならば経営陣から依頼されても、私ならば何億円もらっても断る。それでは彼女らが何故引き受けたのか。

ここから、☠(謎のXグループ)の存在や、人間違いを連想する要するに(我が家の住所番地を70年使用した)Z…に怨念(おんねん)があって、その恨みをはらすために、駿台CMに協力したのではないかという疑惑である。これらは、岡山の予備校職員との対比で明白になるであろう。

※ZやZ3も一定の段階から実名に変更する。


最後に、女性が異常に強調されるが、それは人間違いに関連しているのであろうか。

更に、Z(浜田稔・千代子・正典)家内にあった、姫路に移動された皆木家が強調され続ける謎もある。

※我が家の方は浜田耕治・誠・隆政家である。ただし、稔家も別に男のお子さんが2人、我が家の方も耕治の娘が別に2人いるが、人間違い問題とは無関係と判断したため、当面は実名は共に記さない。

駿台真相編-07や08でその問題を検討することにする。


あるいは、差別をにおわされることが最近多いが、これも人間違いに起因しているのであろうか。
また、ポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)を辞職した後の2000年頃から、突如幼児・児童が強調されだし、第二次安倍政権以降は更にその強度が強くなった。これについて言えば、私は本来は子供好き(子犬・子猫・子兎…好き)ではあったが、その種の児童愛…の趣味は全くない。それでは、何故、長姉や父などの映画説に女性児童をからめようとしたのか、その種の印象操作をしようとしたのであろうか(※参考1)。話題提供のためであろうか、それともZ…の人間違いを助長するためだったのであろうか。

※Z家の老婆が大昔に皆木さんに言った言葉(⚔の原因となった言葉)が一字一句正確に分かれば、その謎が解ける可能性があるかもしれない。勿論、無関係の可能性もあるが、人間違い問題被害の原因は相当特定できるようになるであろう。

(参考1:2024/11/10 16:08追記:18:09微修正)

長姉の子。長姉等が何かを企み、催眠と睡眠薬を多数使用したと思われる。私はボーと、…催眠…次にバタンとぐっすりと突如寝るか、ときにはグラデーション型で睡魔が増しドタン型で寝ていた(☆)。ただし、催眠という犯罪や無断で睡眠薬類を使用するという犯罪を除けば、後は皆様が気にしたり、考えたりしたりする次元の話ではない。ともかく、睡眠薬か催眠類かは不明であるが、バタンと倒れるように寝るタイプ型ですらここ数年でも何度もあり、その都度記録をしている。

 

勿論、グラデーション型で睡魔が襲ってきて耐えられなくなり寝るタイプや、自然型で猛烈な睡魔型…等数種のパターンがある。駿台講師時代に何度も徹夜をしたし・できたが、この種の睡魔がくれば抵抗不可能であったであろう。明らかに薬型としか思えない睡魔である。例外は催眠類型もあるかもしれない。

寝むらされた後のことは何も知らないが、昔は何もなかったのではないかと想像している。目覚めたときはいつもよく(ぐっすりと)寝ていたのであるから。

ただし、後には(特にここ数年は)、目覚めると歯が削られていたり、歯が折れていたことがある。勿論、就寝中に催眠類で目覚めてから言う台詞を頭にたたき込まれたり、起きてから行う行動類はたたき込まれることは昔からあったと分析される。最近はない日の方が少ない。

私は睡眠薬などには抵抗を持つ方であり、使用は信頼できる医師と相談しない限り御免被る。私が直に睡眠薬を手渡されたのは1989年末の川崎医大附属病院心療内科での一週間分のみである(これも私は最初は断ったが、飲むことを勧められ、やむを得ずに飲んだだけである)。後は処方されていないし、購入したこともない。

だが、ここ何年も種明かしで、睡眠薬類を何度も使用されている件は日々日程表をみれば分かるであろう。長姉が何を企んでいたかは不明であるが、下記のように図示している(絵文字の部分参照)。長姉や父などだけが知っている。これが全てである。

なお、姪(長姉の娘)が1987年(この頃姪は22歳か23歳くらいの時)に結婚間近な女性友達と私の庭瀬のアパートに一週間ほど居候したことがある。後に考えると(必要性は一切ないのに)睡眠薬をもられていた疑惑があった。私の方は最初は姪は歓迎であるが、後には(一週間近くとなると)教材研究ができずに😠…👿…😡…であり、睡眠薬よりは(授業準備への焦り心や不安などから)精神安定剤を必要としていた。

上記の精神安定剤は冗談であるが、睡眠薬の必要性はないが、長姉などの映画説グループが世間に全貌の真相がわかるように、敢えてどこかで睡眠薬入りの飲食物を工作していたのであろう。要するに種明かしのための工作であろう。若しくは眠くなる催眠類かもしれないが、私には不明である。

分かるのは、突如バタンと😴寝る、あるいはときには突如徐々にではあるが抵抗不可能型の眠くなっていく被害を何度も受けた不思議さだけであった。奇妙な形で寝むりにつくパターンは数種あった。駿台等で何度もした徹夜型教材研究は不可能なタイプの睡魔であった。

(参考箇所)

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気が向けば一言【徒然・私事】№138:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違い、と言う(4)。

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1118/

上記の【2019/04/29 13:55 追記】からの箇所参照。

☆☆☆☆☆

浜田隆政 (Takamasa)@Takamasa_Hamada
20-293-1【回想】
🤡末っ子。
故・長姉🧛‍♀️実は生存?
通常🤡の若い母の年🧛‍♀️
🧛‍♀️は🤡かわいがるも怖いも事実。
約十下の甥姪は弟・妹感覚
→可愛いは事実。
→怖い🧛‍♀️の娘も事実→理論を🧐
🥳の🧛‍♀️と🧙‍♂️父→悪戯🎦。
🧛‍♀️が😂でいつか🤡🥴と?🥴全てを語る。
🧛‍♀️・🧙‍♂️=🤪😁🤫🤣…😹と。
🤡は全然面白くない🤷

2020年10月19日

おまけ

【徒然】
🧛‍♀️長姉はもっと凄い。
長姉の子=姪(#ミッシェル夫人 と同年齢)。
全て長姉の悪戯🎦。そして父の。
🧛‍♀️死亡は嘘で、🧛‍♀️生存を疑う🧐。
いずれ🧛‍♀️が😂ながら、全貌🤡🥴と?🥴を語る。
🧛‍♀️と🧙‍♂️父=🤪😁🤫🤣…😹

🤡は全然面白くない。
🧛‍♀️は🤡を単細胞と認識。
頭が良い。

友は選べても父母姉は選べぬ😿

We can choose our friends, but we can’t choose our brothers, sisters and parents.

№6のお花さん(🌷){長姉関与で催眠で潰された}と№9(🌝満月の女性KG){催眠事例}を組み合わせれば全て推測はつこう。🤡(ME)だけが全くおもしろくない

☟☆☆☆☆☆

(総合案内所・リンクブログ)

女性回想リンク集(全体ほぼ終了)

http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?item=43794

☆☆☆☆☆

🌷お花=ハナオカさん、KGさん。

(2024/11/12 17:27追記)以下については以下参考
(参考)№6:お花(🌷)(ハナオカ)
①1973年か?🌷
②№6:🌷お花さん:日本のフィクサーMEで登場。同級生も一浪のため1つ上。
彼女が酔って意識なし…勿論何もなし…も別れ際に突如意識回復。又デートを申し込み成功したが、長姉の家から☎で☎時催眠言動で後に潰れる。姉が笑いを我慢できずクスクス笑っていた。この☎で潰れた。
今回初公開も彼の旦那さんが竹中●●氏と同一高校同級生のはず。

③「気が向けば一言」
④№222👧女性回想―4・大学時代(その3):関学
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1448/


★KGさん:🌕の🚺KGさん(2024/11/12 21:51追記のαの資料の関係で匿名に戻す。αが一番分かり易い)

(2024/11/12 22:00 一番重要なのが漏れていたため追記)今考えれば、後に揉(も)めたときのために、わざわざ岡山市まで遊びに何度か来てくれた可能性が高い。彼女が全ての🔒鍵である。実際に、私の父・浜田耕治は彼女を連想する地(岡山市KG)で死亡した。彼女関連のリンクは一部№8~№9に掲載も、重要な方(下記α)が抜けており、それも追加して下記にまとめておく。

③=「安らぎブログ」《これが一番分かり易い》

④⑤⑥=
(これが🔒)α)何故かこのブログは引用してもミスして非掲載が多い。(これで催眠悪用問題は全て分かるはず)
教育・女性をめぐる各種デマへの反論―5・催眠と女性―満月の女・KGさんの謎:
2020/10/04正式公開
http://h-takamasa.com/Blog/?p=26871

《下記は少し分かりにくい物もあり》
β)関学時代№8~9の箇所にも掲載。気がむけば一言。
👧回想―6・(大学5)[№回想―6・(大学5)[№227]:関学時代5・🔏を握る👧登場
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1465/
掲載日2021/02/07

関連:1981~82年頃参照(下記は再度該当箇所で掲載)αβを理解するためにはγを読めばさらに分かる。
●(γ)気が向けば一言【SNS妨害】№255・Facebookで規約違反と判定され、非表示とされた箇所の検証(4):橋本聖子氏
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1616/
2021/07/30

δ)また以下にも、🌝の女性KGさんは登場してくる。
(気がむけば一言)【駿台】№207 女性問題でっちあげ被害、引き続くトラブル、更に人間違い被害疑惑(4)・駿台女性の謎と人間違い説。
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1386/


(2024/11/12 12:01追記)

※(☆プライバシー事項の当初の原則)プライバシーは守る権利と共に義務がある。

全体として被害者はいない。少なくとも私への催眠問題を除けば被害者はいない。また、総論として、皆様が関心をもつ次元の話ではない。

ただし、裁判が可能となったり、国会で審議が可能となったりしたときに、誰が何を言ったかを明確にすると共に、そうした工作に政治家が絡んでいた場合に、税金や官房機密費が使用されたかどうかを明確にするためにも、私は何も書かない、言わない方針もあった。万一、書けば、浜田隆政の書いた物をみて色々と想像したと逃げられるからである。そこで、何も言わずにおいて、裁判所などで明白とする方針であった。ところが、催眠で無理矢理「👧女性回想」を書かされ、相当頭にきていた。

当初の方針では、誣告罪、プライバシー権侵害、幸福追求権侵害、業務妨害・営業妨害、脅迫罪、嘘が入っていた場合には更に名誉毀損罪、税が絡んでいた場合には政治資金規正法、場合によれば脱税…などの犯罪の追及をするためにも、原則として、プライバシー項目は、私以外の被害者がいないと判断したため、書かない方針としていた。

上記の「👧女性回想」を書かされ、本来ならば名誉毀損罪、誣告罪…で刑事、最悪でも賠償請求・慰謝料請求ができた項目が少し減らされた可能性がある。あれは、プライバシー・幸福追求権原則からも、これらの賠償請求問題からも書くべきではなかった。第一、私は政治家ではなく民間人である。それも、特別な報酬を得ているセレブではなく、何の報酬もえていない民間人である。

一例をあげれば「酒…を飲まして…」云々などの私への風評被害などは100%損害賠償、慰謝料を得ていた。(この項目などは、政治家や公人でもない私が返答する義務がないこともあり、ましてや被害者もいないため、)沈黙をするとこの件で約20年に亘(わた)り風評被害に遭(あ)った。オバマ・福島瑞穂氏…が笑ってこの件は消えたが、国会・裁判所…で誰が何を言ったか分かれば、100%賠償を得ていた項目であった。いや、後に裁判になればまだ賠償が入るかもしれないが、風評被害の相手は防御策を打ったか逃げた可能性が高い。その視点からも、裁判・国会審議までは沈黙が必要な場合が多い。可能時には来年頃に国会議員周りをしたいと検討している。裁判は過去二度以上試みたが執拗な妨害で不可能とされていた。

その種の問題で裁判などが待てない場合などは、拙著「恐るべき労基法違犯」(主要政党・政府・国会議員・主要新聞社等延べ百人に書留送付済み)の中で国会、裁判所での問いあわせが必要と明記もしていた。例外は、文書等で立会人・新免議員経由で問いあわせがあり、新免氏などが(国会・裁判所審議を待たずに)返答した方が良いと言った場合のみ、「同書」に書いている方式で公開を検討するであった。新免氏経由での問い合わせすら一度もないのが事実である。



(1)私が務めた各職場の結合形態と私の父との関係

 

序・私(浜田隆政)の父=浜田耕治(学校教師)

A・浜田耕治―(ベネッセ前身の福武書店創始者)福武哲彦=父の岡山師範一年後輩(当時は同一時期に寮生活と思われる)。

B・福武哲彦→岡山の予備校・岡山進研予備校も経営→名誉校長・尾野作次郎

C・尾野作次郎→真備高校(現・岡山明誠学院)の経営母体であった当時(真備学園)理事

D・(ベネッセ)福武哲彦氏🤝(駿台)山﨑春之氏の疑惑→後に哲彦氏の息子・福武総一郎氏時代に駿台ベネッセ提携模試

E・途中絡んだ(灘高校を目標としていた)岡山中学・高校の校長・桐山公雄氏=昔、真備高校の非常勤講師、更に岡山中学・高校解任後に、先の(ベネッセ経営の)岡山進研予備校校長に就任。

F・(ここだけ仮説段階)私をポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)の専任にする画策をした嶋坂敬朗先生(別名・伊沢敬朗:元京都外大教授・甲南大学講師、奈良女子大学講師…:彼の父が京都外大学長を歴任)が映画説と関係していたことは明白になりつつある。嶋坂―🎬映画説―駿台だけなのか、嶋坂―駿台なのかを今調査中である。図式化すれば、ポリテクカレッジ岡山(能開大中国)―嶋坂先生―駿台となる。

特に、ベネッセと駿台、駿台と(労働省所管)ポリテクカレッジ岡山(能開大中国)の関係が重要な項目となる

ここでは上記A~Fの相関関係図だけを記述し、(3)で犯罪・犯人隠蔽政策の仮説を展開する。簡単に言えば、駿台の責任逃れの工作である。1983年駿台京都校講師室係🚺女性四人組登場前から、既に、私の駿台放逐と、(ポリテクカレッジ岡山等との専任確約を悪用して)、後の駿台の責任逃れや賠償責任逃れか賠償額の縮小工作がなされていたということである。

これらを徐々に証明していく。



A~Fの関係について。

当時、私の父と福武哲彦氏がいた頃の岡山師範本科第一部の学生は百人前後で全寮制であった。同じ寮で生活していたため、先輩・後輩としての付き合いはあったと思われる。それが証拠に、大変小規模な岡山の予備校(福武書店が経営で校長除き職員数4~5名、後に7~8名)の職場に、もはや大企業となっていた、福武哲彦氏が忘年回や新年会に何度も来ることはなかろうし、当時の職員も不思議がっていた。現在、ベネッセの職員は1万6千人程度である。

※ベネッセコーポレーション:従業員数 連結:16,637人、単体:80人(2023年3月31日現在)

当時、宴会が終わった後で、福武哲彦社長がスナックなどに行く際に、職員に耳打ちをして私の方を指指して「あの先生も連れてこい」と言っていた。二次会に指名をうけた教師は私とあと一人いたか・どうかであった。そこでレミーマルタンかヘネシーを飲ましてもらった。数度あった。

ちなみに、ベネッセの労基法違犯で、私との関係がおかしくなったころ、福島保君が2007年にベネッセの社長となる。福島君と私は同じ林野高校卒業(同期生)である。当時の生徒数は一学年普通科180名、家政科90名の合計270名であるが、私は理科系にいた関係で同じクラスに二度閉じ込められ、福島君と同一クラスになることはなかった。それでも、双方ともに顔も名前も知っている。

それに対して、父の場合には一学年90人程度のみならず、全寮制のため、福武哲彦氏と生活を共にしており、当然知っていたと思われる。ちなみに、福島君が社長になったことは、ベネッセの子会社ラーンズが私に実質的労基法違犯や各種違法行為・嫌がらせ行為を何度もしたことなどから、ベネッセ経営に支障が来さないための人事という側面もあったかもしれない。というのも、他でよく見られる現象だからである。

彼の力もあったであろうが、全く無関係の確率は極めて少ない。



ベネッセ・ラーンズの労基法違犯については後にどこかで触れる。大変高くついたであろう。ベネッセ経営が不振となった本質の可能性が高い。ベネッセ子会社ラーンズは世界のMr. Hamadaのみならず、私は無料でベネッセ系列予備校の建て直しに奮闘(1985年度等の6名余りの有名講師のブッキング)した後で、私に恩を仇で返したのであるから、私ではないが誰かが怒ったのであろう。

子会社・ラーンズに私に害を加える動機がないため、駿台時代の謎のXグループか、駿台の教員が駿台ベネッセ模試を作成しており、その取扱をベネッセ子会社・ラーンズがしていたため、何かちょっかいをかけたのかもしれない。

私が駿台で講師をしていた頃に、私よりも後に入り、当時若手であった、英語の桜井博之君の名をラーンズが送付してきた模試類で見た覚えもある。桜井君が関与していたとは言っていない。ただ名を見たと書いただけである。

ちなみに、下記の岡山師範同窓会名簿は1982年に作成されている。1982年とは、私が駿台の教壇に立った年である。これも偶然ではないかもしれない。
余談な話ではあるが、父の上に名があるベル・串田(ベル くしだ、1913年11月20日 – 1994年12月2日)氏は日本の洋画家として知られている人物である。

もっとも、父の交友関係よりは、私の交友関係はレベルが違っており、私の交友関係や各種線は福武哲彦氏や息子の総一郎氏ですら、無名に近い存在でしかない。山﨑春之氏ももはや同様である。「日本のフィクサーME」シリーズなどでわかってきたであろう。
それが駿台事件の本質のもう一つの側面である。私=浜田隆政活用の駿台CM作戦や各種利権である。ニュージランドに移住した福武総一郎氏もニュージランドの地でいずれ分かってくるようになるであろう。(※参考2

ちなみに、岡山の予備校で、駿台京都校講師室係🚺女性四人組と同様の事件が相似形で起こる。福武哲彦氏が生きていれば無理であった。その関係の如く、岡山の予備校での女性を絡めた事件の直前に福武哲彦氏(1915年 – 1986年4月26日)が亡くなり、1986年の途中から息子の福武総一郎氏が社長となった。

なお、私と福武書店(現・ベネッセ)が蜜月のときには、福武書店は飛ぶ鳥を落とす勢いであった。岡山本社、東京本社建設…と。
私が福武書店と関係を直に持った時(1981年)にはまだ本格的なビルディングは一つも所有していなかった。岡山のどこかの学校の廃校校舎を利用していた(確か木造建築物であった)。だがその後、もの凄い勢いで成長路線を遂げた。私に危害を加えるまでは…の話である。駿台予備学校も同様の運命をたどるか、既にたどっているであろう。それどころか、予備校ならば予備校文化全体、格闘技ならば格闘技界全体、学校ならば学校教師希望者の増大という形で、私はその分野全体に影響を与えていたようである。

※※※(参考2)※※※

実際に、私と関係を持った企業は原則として全て急成長をとげ、関係がなくなるや成長が止(や)んだ企業は多い。

ニコン、ベスト電器(1995~2000年代前半頃)、福武書店・ベネッセ、駿台、楽天、…とある。エプソンにも幾分いえよう。福武書店・ベネッセとは主として1981年~88年、ただし、1990年途中から開始したベネッセとのトラブルを含む薄い付き合いもいれれば2002年頃まで)、それ以降縁を切った。その経緯を見ればほぼ例外なしであてはまることが分かろう。


同様の動機で、私を専任確約で招聘(しょうへい)詐欺をやったとしか思えないのが、ポリテクカレッジグループ(労働省所管、雇用促進事業団)である。当時、総合大学とは別に短期大学校約28校の設置に併せてのことだと思う。当時約五千人以上いた職員と予算の命運がかかっていたための専任招聘(しょうへい)詐欺をにおわされている。

2010年頃までは、こうした経済界の大物と表から知り合いかと驚いた。ところが今や、『日本のフィクサーME』の世界では、こうした経済人レベルの方がME登場のボンと知り合いかと逆に驚くであろう。息子さんの福武総一郎氏との出会いは後で記すが、後五年このまま過ごせば、(現在はNew Zealandでは、私はまだ無名に近いかもしれないが)New Zealandでも私の名はかなりでてくるようになるかもしれない。そのときに分かるであろう。アーダン首相が今でも首相でいてくれたならば福武書店・ベネッセが私にしたこと{私のベネッセ系列予備校での無償での教師獲得努力(1985年頃)…に対して、ベネッセが駿台…と関係してから、誰に依頼されてか不明であるが同社及び子会社ラーンズが労基法違犯・嫌がらせ(2000から2002年)で対応したこと}を伝えるのであるが。総一郎氏もまだ知らないかもしれない。


超巨大企業(北欧などの国家以上の規模を誇る企業)では、私の存在は既に知っていたり、各種関係を持ったり、あるいはそうなりつつある(Microsoftではビルゲイツ、FacebookのCEO、最近はイーロンマスク…と。日本の企業でも経団連会長米倉さん、御手洗さん、経団連会長以外でもソニーの出井さん…と。勿論、豊田章男氏ともテレビで対面をしている。)。超巨大企業ではなく、通常の巨大企業では、国家情報を入手できぬため、何も気づかない場合が多い。自惚(うぬぼ)れではなく、世界の経済・政治の流れの中で私の存在抜きでは理解できぬ部分がでてきた以上、はっきりと書いた方が良い。

世界の政治家の名前はもはや出す必要もなかろう。政治・経済界以外でもマザーテレサとの対面…と膨大な世界の著名人との出会いがあった。グレゴリーペック、マイケル・ジャクソンなどの芸能人の話も既に書いた通りである。

書き忘れていたが、孫正義氏(ソフトバンク)や三木谷君(楽天)、パナソニックの故森下洋一元社長、オリックスの宮内義彦さん…阪急電車の故・大橋太朗氏(元社長)…など書けばきりがない。

なお、🎬映画・テレビ説グループは、学校の授業では生徒は毎年入れ替わるため、同一授業でも問題ないが、テレビ・映画の視聴者は連続してみているため、それでは困るということで授業以外を常にテーマとしようと策動をしていたようである。

※※※(参考箇所終了)※※※

【資料】上が浜田耕治(私の父)岡山師範昭和9年本科第一部卒業

岡山師範-浜田耕治-1Mm

【資料2】下が福武哲彦(ベネッセの前身福武書店創始者)岡山師範昭和10年本科第一部卒業

出典:『岡山師範(男子)卒業生名簿』(編集・同作成委員会)、昭和57年3月20日発行。(製作:福武哲彦。株式会社福武書店)

B(福武哲彦・ベネッセ)とC(岡山進研究予備校・尾野作次郎)は今回の原稿では時間の関係で省く。

D(駿台)についても、ベネッセとの提携前から、(駿台の東京の職員から接待に何度か誘われ、進研模試の話をきかれたり…と)私には心当たりがあるが、今回は略すかもしれない。

F(岡山中学・高校)とG(ポリテクカレッジ岡山・現能開大中国)は(3)で触れよう。

◎全体の仮説を先に記す。

仮説の本質は🎬映画・テレビ説と、🏢利権の融合、更に人間違いを絡めた話題提供にある。それを遂行するための手段は各種工作と催眠類の使用であった。

現時点では、🎬映画説の関係者に、私の父や姉(長姉)などが絡んでいるようである。いずれも死亡となっているが…、私は長姉は生きていると思っている。

仮説では、父などの🎬映画説グループが、🏢企業・法人などに話をもちかけて、私を人身売買若しくは話題提供というエゴで奴隷状態においた疑惑である。

具体的な図式は以下のようになる。

父が、父の後輩であった福武哲彦氏(福武書店・現在のベネッセ創始者)と何等かの相談をした疑惑である。同時に、大学院博士課程まで進む予定でいた私に対して、バイト三昧で疲れたことなどを利用して、催眠類でしきりに、高校教壇に立つように私の脳をコントロールした疑惑がある。

時期は1980年前後である。そして、1980年度に岡山県等の公立高校政治経済の採用試験を試しに受けてみた。

しかし、修士論文(1980年3月提出)の後で、今度は印刷用の卒論の書き直しのため、本格的採用試験準備をせずにの受験であった。

 卒論は大学卒業時に作成(1975年春に提出:卒論原稿は指導教授に見せ、内容は全学生にゼミ合宿で報告終了、作成過程も随時ゼミで報告済み)したが、引用の仕方等の指導教授の指定様式に適合していなかったため(様式の例:著作者名、文献、出版社名、初版年次…の順番や『 』等の様式のこと]以外の本文の内容自体は合格。脚注もつけていたが年次と出版社名等の順番などがちがっていただけである)、また(学園紛争などの関係で、指定されていた)法学部自治会室での印刷機使用が事実上、私の場合には不可能であったため各ページ50部程度の印刷はできていなかった。当時良質コピーはない時代であったためコピーも無理であった。確か、大学卒業年次は学園紛争で後期試験は中止となったはずでもある(全教科レポート提出での単位認定となっていた)。

※法学部自治会(室)は、反帝学評の関西地区最大拠点との噂を聞いたこともある。

当時は特注の良質の真っ白いコピーはモノクロでも一枚100円前後した可能性がある。しかし良質コピーすらなく、一枚20円程度の灰色コピーしか通常の店にはおいてなかった。卒論の印刷板を大学院を修了した後で東京で作成しなおした。ただし、余りに長い{200字詰め原稿用紙換算で1000枚以上…と長い、それをファックス原稿用紙に記載した物であるが、それでも50枚よりも遙かに長い}ので、各50部単位となると無理ということで、簡易版に書き直したものである。

 短くせずに、そのまま様式のみ変更して書くならば、当時の体力では長くても一ヶ月以内(見積もりでは20日前後)で簡単にできたのであるが、書き直しの際に、再度資料確認や、一部新たな事項を付け加えたりする作業のため半年以上かけておこなったものである。それ抜きでも、短くするのはときには長くするよりも大変でもある。清水幾太郎氏の『論文の書き方』(岩波新書、1959年){ちなみに、文献についてこの書き方では指導教授の様式に適合していない}などを参照すれば、短くすることが如何に大変かは分かるであろう。

映画会社の指示で、できあがった映画を短縮させられた黒澤明監督やチャップリンの苦労も分かろう。両方の卒論は今でもそのコピー等は保存している。両方とも後にワープロ化もして保存している。

採用試験は当然不合格であった。だが、1981年3月に強烈な高校教壇に即座に立つような執拗な催眠があった。もはや抵抗不可能なまでの催眠類であった。しかし、教員の公募などはどこもしていない時期である。同時に、私の方は既に幾つもの家庭教師や塾などで仕事をしていたのみか、一年ほど待ってもらっていた家庭教師の予約だけで3人以上を別に抱えており、東京を去るとしても早めに言う義務もあった。

催眠類で、突如学校の教壇に立ちたい衝動から、採用試験類はない時期にも拘(かか)わらず、出身地・岡山の幾つかの学校に採用してくれるようにと手紙を送付した。若しくは催眠でさせられた。送付した学校は福武書店経営の岡山進研予備校、真備高校(女子高校)、そして倉敷英数学館の三つであった。三校とも「それでは来てくれ」と返答があった。そこで大急ぎで岡山県に戻ることになる。

岡山進研予備校は経営者が先の福武哲彦氏である。その予備校の名誉校長・尾野作次郎氏が、真備高校の理事をしていたと後で知った。

尾野作次郎氏でインタネット検索をすると、{尾野作次郎・友野澄雄著『口述の教育史―一教育者八十年の回想 (1983年) 』福武書店、1983年1月1日}という本がでてきた。
真備高校で、最初に揉(も)める原因(話題提供の素)をつくられたのが友野先生である。この話は既に「駿台真相編-04」で記した(下記参照)。ただし、真備高校の友野先生は上記の人物ではなく、名字は同一であるが名前は違っている。だが、映画説類でこうした謎かけが随所ででてくるため記しておいた。

※※(引用開始)※※※

☆☆☆☆☆

〈大社中学校・真備高校〉共に、主役は私でもなく・生徒でもなく、別の教師による騒ぎが本質であった。目的は上記の如く、何かないと、おもしろくないので事件を起こすであった。
☆☆☆☆☆☆

真備高校では、友野先生により事件は引き起こされ、やめるときには改発先生の演技か、それとも誰かにだまされた改発氏が行った茶番劇である。
真備高校は随所に書いたように、やめた本質は労働条件問題であり、実質は私が専任にしてほしいと校長に直談判したならば、断られ解雇されたのに等しい。
何故ならば、他の数校からのオファーはいずれも専任か専任前提であった。具体的には(私は他の学校、即ち駿台甲府高校若しくは駿台予備学校や井原高校での専任や専任前提の口があったが、真備高校が専任といえば真備高校にいる予定でいたが)それを断られた以上、事実上の解雇に等しい。真逆である。

それも真備高校は(始めて教える)倫社担当(50分単価1600円、但しボーナスはあったし、能開大と異なり、交通費もあった。それも岡山の実家換算であった。総合するとポリテクカレッジ岡山よりはよかった)であるが他校は専門の政経担当という話であった。一言№269参照。

cf. 駿台が1年目50分6000円、1987年が9000円、休日等は半額、一時金、新幹線はグリーン車・ホテル代支給、夏期・冬期講習はその1.5倍(1987年50分9000円、1987年夏等50分13500円)、別に出張手当もでた。模試作製や採点は別料金で支給される。担当は政経一本という契約であったが、後に罠にはまる。井原高校は専任教師と完全同一待遇で2年、その後は悪いようにしない…が真備高校辞める前に口があった他校の労働条件であった。)


☆☆☆☆☆
気がむけば一言・【回想】No.269:1981年回想・真備高校辞職の真相
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1681/
☆☆☆☆☆

それを改発先生の演技と、2年1組担任松尾先生、2組担任田中先生の退職問題と絡めて生徒問題に置き換えられたのである。
さらに、それをもっともらしくしたのが先の友野先生の演技であった。

こうして、大した教壇ではないものを、生徒が大変型に置き換え、大社中学校とのアナロジーとしたのである。

友野先生が何をしたかの話は下記の通りである。

☆☆☆☆☆
回想:真備高校の大変な事とは。
真備高校という女子高校の教壇にたつ。2年7組、8組、9組はおとなしかった。1組は少し元気がよかった。とはいえ、後に考えれば、私の中学校時代に比べればおとなしかった。私の級友などは授業中に、少し散歩をしてくると、教室をでてブラブラして帰ってくるものもいた。
私も学校の器物の一部を手套で割ったり…と。思い返せば、2年1組でも、私の見た世界から言えばかわいらしいものであった。

(私の中学時代)

私は単細胞であり、悪気はなかったが、みんなが学校にあった木の板を手でたたいても割れないのを見て、私が(空手の)手套(しゅとう)でやったならば一発で割れた。教師が来て逃げたが、逃げ遅れた人が殴られたと聞いたので自首をした。
私「私がやりました。殴ってください」と、殴ったと聞いた教師のところに行った。
教師は拍子抜けの顔をして唖然として、注意のみですまされた(叱られるというよりも簡単な注意で終わった記憶がある。とにかく教師は呆気にとられていたのをうっすら覚えている)。思えば、あの頃から映画説だったのだろうか。音楽の授業中の話は後日。

私も、過去の所業を忘れており、生徒が授業中に喋ると非常勤講師間で愚痴を言っていた。
すると、友野先生が来て、「よし、わしが代わりに説教してやる(or 叱ってやる)」と言った。
私は何のことか意味不明で唖然としていた。
次の週、行くと、「わしが代わりにたたいてやった」と言う。
驚いた。まずい、と。
一番まずい理由は、彼女らは教師にたたかれるレベルの悪いことはしていない。判決で言えば、注意レベルである。体罰禁止以上に、罰が違っている。
そこで、やむをえず、2年1組全員に謝罪した事件である。
今、考えれば、友野先生は生徒に人気のある方であり、あっさりしているタイプのため、せいぜい、出勤簿でポンポン程度であろう。若しくは、言っただけで何もしておらず、たたいたというのは嘘だったかもしれない。
これも映画説のなせる業である。

なお、当時の、私の体力は、友野先生と腕相撲をしても、彼が両腕で体重をかけても、私は片手で友野先生に勝ったであろう。

……

☆☆☆☆☆

駿台事件真相編―04・駿台CM作戦と映画女性活用脚本編

https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=44257

〈私は着痩せするタイプのため、ポリテクカレッジ岡山辞職後に健康診断をかねて撮影した上半身裸像を貼っているので、上記のBlog等を見れば分かる〉

※※(引用終了)※※※


そして真備高校では当時放映されていたテレビの学園ドラマ{1981年のテレビドラマ・『ぼくらの時代』{1981年6月9日から1981年9月22日まで、TBS系列にて放映された学園ドラマ}と併行で様々なことがあった}ことも既に記した。ときにはそっくりな事件もあった。(駿台真相編05-1参照。)
こうして、🎬(映画説)―父―福武哲彦―尾野作次郎―真備高校というラインもあったようである。なお、上記文献{=尾野作次郎・友野澄雄著『口述の教育史―一教育者八十年の回想 (1983年) 』}は1983年1月1日に出版されているが、私がポリテクカレッジ岡山の教壇に立ったのも1983年4月からである。出版社も福武書店というおまけつきである。


更に、福武哲彦氏を通してか別ルートかは不明であるが、(駿台甲府高校経営者であった)駿台とも話をつけたようである

ただし、駿台甲府高校の採用試験に合格したが、駿台予備学校にまわされた経緯がある。駿台の方も既に述べた如く、全国展開前に大CMをしたくてその話に飛びついたのであろう。更に、当時の駿台は小学校―中学校―高校―大学―大学院という縦のラインをつるくためにも、また海外進出をするためにも大CMを必要としていたように思われる(参考3)。場合によれば、駿台理事長・山﨑晴之氏が同じ受験産業ということで、どこかで知り合いとなっていた福武哲彦氏を通しての商談であったのかもしれない。

(参考3)→「駿台事件真相編―03・企業と私―駿台大CM編」○https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=43877

それが証拠に、後に駿台とベネッセ(旧福武書店)は模試作成で提携をしている。


ただし、🎬映画説グループは一箇所に私を閉じ込めると話題提供にならぬため、駿台から一定の時期に私を放逐する計画を最初から練っていた可能性が高い。

私の生き甲斐は学校革命、即ち、学校のドラマならばテーマは授業におくにあった。拙著『求め続けて』(現時点では学校内での簡易製本無料配布のみであり、出版はしていない。ただし、私のブログでは期間限定で紹介済みである。)そこで授業の模索を終始していた。野口英世が黄熱病の研究をするようなものである。
だが、彼らのシナリオは違っていたようである。

各種の形で学校を舞台とした映画かテレビ類の構想があったようである。これが1981年度である。
結論から言えば、一年のみは女子高校で模索する姿を、次の一~二年は東大合格者が年1500名以上であった駿台予備学校の教壇で模索する姿(1982~83年度)を考えていたようである

だが、授業が軌道に乗ると視聴者が飽きるし、駿台の方もマイナーな政経の授業ではCM効果が低いということで、どんなことをしてでも、無理矢理女性を絡めるというシナリオがあったようである。1984~85年度である。それも後に記すように、何か目的を持っていた女性四人組(1983年度入社駿台京都校講師室係🚺四人組)限定で絡めたようである。(おそらく人間違いを悪用して…)

しかし、それでは視聴率は二年が限界と考えたのか、1986年度からは超多忙な日々へ{駿台真相編06-(2)参照}、1987年度は業務妨害・刑事犯罪であえぐ姿をテーマにしていたと分析される{駿台真相編06-(3)参照}。

1988年以降も、1~2年間隔で話題提供を強いられた。しかし、1988年以降は職場類で女性がいても、女性問題の「ジ」の字もなかった。

そこで、駿台時代には生徒指導問題もだせないため、生徒の暴れ回る・はしゃぎ回る役割を講師室係女性が演じたのが本質であった。駿台CMのために。ただし、2010年頃から女性問題は登場するが、それはZ家👵(老婆)を始めとする、私に言わせれば女性問題ではなく、「女性が問題」騒ぎと挑発のみが例外であった(駿台も客観的には同一であったとも言える)。

 もっとも、駿台からは引き継ぎで、テレビの世界で西田ひかる(参考4)なる女性が登場したり、🎃(オジョウ)群がお初天神近くで登場してはいた。

※※※(参考箇所開始)※※※

(参考4)駿台予備学校講師時代の最後(1987年)に登場した女性は「ユアサ」と言った。日本史のフィールドワークを兼ねて行った岡山県高梁市にある山城・備中松山城で出会ったというよりも待ち伏せをしていた女性である。彼女は当時、阪神デパートに勤めていた。

駿台を辞めたのが1998年1月末前後であるが、そのときに登場したのが、西田ひかるであり(1988年1月末前後デビュー)、今度は女性の登場は現実の世界からテレビの世界に舞台がうつされることになる。そして、西田ひかるが強調したテレビドラマが、「デパート物語」である。先のユアサ氏と同じデパートである。なお、西田ひかるは今は兵庫県西宮市美作町の近くに住んでいる。私の実家が岡山件美作市(平成の大合併前は岡山県英田郡美作町)である。

なお、先のテレビドラマでの西田ひかるの相手役が髙嶋政宏であった。彼の父は高島忠夫であり、忠夫氏は関西学院大学に進学しており、そのときの渾名はボンであった。私と同じである。そこで、『日本のフィクサーME』では私のことを「ボン」と称している。政宏君の母は寿美花代氏で西宮市生まれ・育ちであった。こうして駿台の件はテレビの世界と融合を開始する。ここでも駿台事件は🎬映画説・テレビ説との合致が証明されていた。

ともかく、駿台事件の本質の一つが、私を利用しての駿台CMであったとしか分析できない。企業戦争は政治の世界の戦いよりも激しい。当時の駿台は全国制覇を目指して、河合塾や代々木ゼミと天下統一を目指して激しい予備校戦争をしていたときでもあったため尚更である。

地方に知名度の低い駿台が大CMをする。それが私の悪用へと繋がっていく。当然、契約外労働であり、女性と催眠をつかっての、強制労働であった証拠でもある。なお、ユアサ氏と最後のデートのとき(1987年8月末)に、彼女が京都付近で「お寺の話」を延々としだした記憶がある。「東本願寺と西本願寺が…」どうだこうだ、と。お寺とは🧜お嬢(Miki)の生まれた家も同様にお寺である。なお、ユアサ氏との出会い(正確には彼女が待ち伏せしていたの)は、「男はつらいよ」で山田洋次氏が何度もロケ地とした岡山県高梁市の備中松山城であった。もはや、駿台事件の真相の回答はでていると思われる。

映画説・テレビ説に立った上でのCM上の話題提供である。だが、それでは私と取り交わした契約違反となっている。

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教育・女性をめぐる各種デマへの反論―4⑦・駿台、更に謎の差別文書の謎―⑦(=その7・大阪校時代・不可思議な女性出現の謎)

http://h-takamasa.com/Blog/?p=26744

上記の中の〈(B)駿台大阪校時代―女性回想1・女性YZが山城で私を待ち伏せの謎(1987年)〉箇所参照。

☆☆☆☆

強調しておけば、彼女と大阪府枚方市で待ち合わせをした。私が岡山のアパートから大阪府枚方市の彼女が指定した場所まで車でいくことになっていたが、私は大変な方向音痴であり、確実に不可能と後で思った。すると、突如、駿台大阪校の生徒2人(両方とも五浪と言っていた)が岡山に遊びに来た。そして、その内の一人が、枚方出身ですと言って、私を彼女との待ち合わせ場所まで車で案内をしたというおまけ付きである。駿台時代に五浪の生徒が何度か強調された謎もある。三郎(表氏が三郎)、四郎(政経の前田氏のコメントを書いた人のペンネームが表四郎)、五郎(五郎は京都校・大阪校の五浪の生徒で強調されていたが、別に私と友好関係にあった福﨑君が五郎であった)と。

なお、彼女(ユアサさん)との最後のデートの直前には1983年に水俣で出会った女性と岡山の歴教協の場で出会ったと思う。もし違っていればややこしいので、話しかけなかったため正確な確認はしていない。私は岡山でこうした教員の研究集会があるのを知らなかったが、当時ときどき寄っていた書店(確か平和書房と言ったと思う)の経営者に勧められて見学をしにいったときのことである。

※※※(参考箇所終了)※※※



当然、映画類のためのドタバタ劇参加強制、それどころか後の授業妨害や刑事犯罪被害などは大犯罪である。両親が許可したと言っても大犯罪である。そうでなければ、戦前に親が子供を身売りしたのは問題がないとなる。
人身売買、奴隷労働、強制労働、契約外労働、賃金不払い労働に該当する大犯罪である。


そこで、駿台の方もその逃げ道を作ったように思われる。
それがポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)である。(更には同じ手口で登場した岡山中学・高校専任での招聘問題である。)

ここ数年疑っているのは、この学校は駿台経営者が計画的に、後の賠償逃れに、嶋坂先生などを通して私をこの学校に誘導した疑惑である

{参考6で駿台の逸失利益型賠償回避政策か賠償逃れ政策としてポリテクカレッジ岡山へ誘導した疑惑の資料を掲載する。また、この大学校と駿台の奇妙な関係や岡山中学・高校専任招聘問題は駿台真相編06-(3)で一部記述予定でいる}

なお、ポリテクカレッジ岡山は労働省所管の大学校であった。だが、この学校で激しい労基法違反・契約違反攻撃に遭い続けた。ポリテクカレッジ岡山教壇にたった最初の年には、「ヤマザキ」という学生が強調された。ただし、大変真面目な学生であった。同学校勤務時代でももっとも感じの良かった学生の一人である。それ以外でも随所でヤマザキが強調されていた。{男性従兄弟がヤマザキ産業を辞めたのも、駿台に行った頃ではなかったであろうか。ポリテクカレッジ岡山の教壇に立つ頃は神戸のヤマザキの叔母…。コンビニでヤマザキ…が目に入ったり、ヤマザキパンとか…と。}

映画・テレビ類とすれば、労働省所管の大学校で労基法違反、契約違反のオンパレードとなれば、視聴率稼ぎで大変好都合である。
そこで、倉敷にあるこの労働省系大学校での労基法違反で苦しむというシグナルとして、私が岡山に戻った1981年度にこの倉敷英数学館という予備校の教壇にも立たせたのではなかろうか。
というのは、この倉敷英数学館は賃金遅延(労基法違犯)の常習だったからである。

倉敷で労基法違反被害にいずれ遭うというシグナルであろう。

ちなみに、この大学校・ポリテクカレッジ岡山には1983年度から教壇にたったが、この学校が中心となるのは駿台辞職年度の1988年度からである。88~89年度は学生・職員の突如の豹変、1990~93年度はうつ病の激しい状態と十二指腸潰瘍による入退院の日々、94~95年度は再度の復活、95年度半ばから98年1月は精神疲弊と学校での各種実験被害…と続く。

その後の舞台は村に引き継がれる。不思議な形で、全く意味不明の形で同和問題か何かがにおわされるのは2000年5月にZ家内にあった皆木家に姫路40の車が止まってからである。こうして激しいテンポで話題提供を強制され続けさせられる。

 


※※※※※(2024/11/12 16:40突如の挿入文書)駿台事件の差別文書の謎※※※※※

―この話は駿台真相編07で掲載予定でいたが、連日のしつこい催眠挑発でこの問題を言わされ続け、本日、ここに挿入した。これでは、文書の流れが無茶苦茶になるではないかと😡(怒っている)。何故、駿台真相編-07記載まで待つことができないのであろうか。

駿台講師時代やポリテクカレッジ岡山講師時代には部落問題の「ブ」の字もでたことはなかった。ただし、駿台真相編07で記すように、1987年末頃に、突如意味不明の差別文書を渡される事件があった。正に晴天の霹靂であった。丁度、駿台で1985年度にNazoという女性が登場して逃げた事件同様に意味不明の話であった。差別文書の謎は駿台真相編07で簡単に経緯を記すが読めば分かるように、空から隕石がふってくるような話である。

☆☆☆☆☆

🆕駿台真相編―具体的展開解説05-3・駿台登場と京都校一号館女性㊦(A後半)

https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=45741

①を解説するためには1985年度前半の2号館へ異動した受付女性Nazoを思い出せば良い。
私は二号館の授業に遅れそうなので、一号館から二号館へ必死で走っていた。それを事前に察知して待ち伏せしていたと思われる🚺Nazoが二号館から一号館に向かって歩いてきていた。
当然、私とすれ違いとなり、それだけである。ところが、先手を打って、私を見るや360度回転して二号館に向かって走って逃げた。すると、周りで人が見ていた場合には、私がこの女性を走って追いかけていると錯覚される。こうした噂は立つのは早い。

その後、🚺Nazoは二号館内でも私を見るや逃げ回った。これでは、私は仕事にならない。この🚺Nazoは1984年度入社組であるが、部署の関係で会話もしたことは皆無であり、偶然出会ったことすらほとんどない。1984年度は西山熱で参っているときである。1985年は🛵おじょう、…横家・後藤…でそれどころではない。この件は駿台真相編05-4(京都校二号館編)で記すが、横家を通して「普通にして…」で簡単に解決した。気のせいでは一切なかった。

ちなみに、🚺Nazoの逃げ型は西山とそっくりであった。どこで、西山の猿芝居を知ったのであろうか。

or

🆕駿台真相編―具体的展開解説05-4㊥・京都校二号館女性㊥

https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=46027

(手紙を手渡し、断られ、「お世話がせしました」と一礼をしてお詫びすると)…
女性🚺NM〈西山美千代〉の激しい怯え攻撃が開始する。まさに攻撃であった。
(後に、1985年1学期頃2号館受付の子が何の契機もなく、会話もゼロで、私はこの🚺〈Nazo〉を好き・嫌いの感情もなく・その他全く無関係にも関わらず、🚺NM〈西山美千代〉と同様の真似をしたが、社会生活に支障を来したことで、それ以上に激しい🚺NM〈西山〉の行動の「攻撃」は証明されている。後者は🚺YK〈横家幸子〉を通じて問題解決となった。)

女性🚺NM〈西山〉の激しいおびえが始まる。今考えれば猿芝居の如しであった。ビクッ、極端に怯えた表情をして、さあ逃げようと本当に逃げる…的な雰囲気であった。あれでは仕事に支障を来すレベルであった。
どの程度かは、その約7か月後に、会話時間がゼロ、名前も知らない🚺女性〈Nazo〉が同一の真似を開始した。この女性は1984年度入社か1985年度入社か不明であるが(多分、1984年度と思うが)、1985年度に京都校2号館(窓口での)受付となった女性である。
会話ゼロのため、どんな人か全く知らない人であり、友人との会話でもこの女性の話はしたことがないし、独り言でこの🚺〈Nazo〉の話は言ったこともない。勿論、女性NM〈西山美千代〉の件、更には後に述べる女性🚺GT〈後藤〉、🚺YK〈横家〉の件で近づくわけもない。

この名も知らぬ🚺(女性)〈Nazo〉については、先の🚺NM〈西山美千代〉の行動で京都校1号館で何かあったか、若しくは2号館の授業の関係で1号館から2号館に走って行っていたならば、この女性に出くわし、この女性が慌てて逃げた(確か走って逃げた)という話である(馬鹿馬鹿しい話である)。

その後も、この女性は女性NM〈西山美千代〉をやや軽度にした対応がみられた。私は授業に間に合わないので急いでいただけである。この女性が私を見るや怯(おび)えの振りを開始しだした。度合いは女性🚺NM〈西山美千代〉ほどではないし、部署が講師室係ではなく受付であり、講師室係と異なり仕事に大きな影響はないが、仕事にいくのには参った。もっとも故意にやっていたならば犯罪(私への業務妨害などの犯罪)になる可能性がある。

日本史担当のSM教師〈杣田善雄〉(後に京都の花園大学と思っていたならば大手前大学で教授となっていた駿台講師)にその種の愚痴(ぐち)か相談をしたら、「気のせいだろう」と言われた。だが、奇妙ではあるが、何度も同じである。そこで、これから登場する🚺YK〈横家幸子〉に相談し、彼女からこの🚺〈Nazo〉に何か誤解されているのではないかと言って貰った。その後は完全に正常となった。逆に言えば、気のせいではなかったことになる。

なお、この🚺〈Nazo〉の名前は当時も今も知らない。(当時は🚺YK〈横家幸子〉が言ったかもしれないが覚えていない。聞いていないかもしれない。)この怯(おび)えを激しくしたのが🚺NM〈西山美千代〉であった。しかも部署が悪い。講師室係である。

☆☆☆☆☆

駿台で差別文書を手渡された件(1987年末の事件)は上記の🚺Nazoと同様に謎である。ある日突然、知らぬ人間が「北山先生からの贈り物」といって、文書を手渡してきただけである。

帰宅後か駿台内でかは忘れたが、中を見ると意味不明の差別的表現が羅列されていたという話である。当時は拉致未遂事件などが起こる前後であり、対応不可能となったが、関西地区最高責任者大滝部長との会談でその話もしようと考えたが、誰かが大滝部長に事前に何かを言ったようで、理由は不明であるが怒っており、この話はできず仕舞いとなった。

Nazoと同様に謎の話である。現時点で考えると意味不明であるが、近所や印象操作ではみんなが(我が家の住所番地を70年使用していた)Z家を臭わしているようである。というのも、Z家👵(老婆)が絡んだ二階🚽(トイレ)に行くと、催眠でこの話をさせられるからである。この話は、『閉じた窓にも日は昇る』を2010年に宝島社か文藝春秋の応募原稿に掲載したと思う。違っていれば、2007年小学校版か2008年集英社版であろう。それまでは、駿台内外での刑事犯罪被害、ポリテクカレッジ岡山での躁鬱病状態…で、お蔵入りをしていた話である。

※『閉じた窓にも日は昇る』{Kindle、上下共に各百円で発売中}には字数の関係で書いていない。ただし、『閉じた窓にも日は昇る・付録編』をだしたときに、この話も挿入するかもしれない。『同上書・真相編』もいずれ出版するかもしれないが、未だに、この話の真相は不明のため途中経過しか書けないかもしれない。


ただし、いずれの出版社からも出版されなかったため、契約上破棄されているはずであるが、何故か、仙谷由人氏が内容を読んだような顔をしていた。

詳細は駿台真相編07で記す。ともかく、駿台内のため、関西地区最高責任者・大滝満夫部長に処理を委ねる手もあったが、先の状態で会談が事実上できずに、「先生、三年後には戻る気があればもどってください。駿台は両手を開けて待っています」の言葉で会談を打ち切られ、駿台辞職となって今日に至っている。ちなみに、約三年後の1990年に駿台京都校に復帰の打診をしたが門前払いをされた。

(意味不明の)差別文書の件は何が何かさっぱり分からないが、駿台CMのために、駿台経営陣の一部が仕組んだ可能性もある事件であった。ともかく、先の🚺Nazoの件と同様に「何の目的か」は謎の話である。客観的に言えることは駿台経営陣にすればCM効果は高かったであろうという程度である。

近所の諸君はZ家👵(老婆)や(我が家の住所番地を70年使用していた)Z家を臭わしていたが、私はZ家の人間ではないため、分かる訳がない。🤷である

本日(2024/11/12)より一週間ほど前にX.comで世界に調査を依頼したが、念のために、駿台真相編07でも、誰が何のために斯様なことをしたかの調査依頼を世界のメディア、世界の首脳相手に依頼する予定でいる。なお、世界の我が友(世界の指導者)の一部は、駿台事件、能開大事件、村のトラブル…ではなく、「同一住所番地二軒問題だけを書いておけ」というメッセージがあったように思えた謎もある。

※※※※※(2024/11/12 16:45突如の挿入文書終了)※※※※※


 2001年度以降は今は省略。ただし、2018年度の諸事件を通して、2019年度から催眠類や各種謀略・工作を通じて物語全体の解説がなされだしていく。


再度言えば、1981年度に教壇にたった倉敷の予備校である。ここでは賃金支払遅延を含む労基法違反のオンパレードで泣かされた。詳細は今回は省く。この予備校は後に倒産したが、倉敷で大労基法違反に遭(あ)うことをここで予告されていた。実にこの予備校以上の労基法違反に遭遇する。それも労働省の職場とも言える所で。

同時に、この倉敷の予備校で嶋坂先生と出会うことになる。嶋坂先生は京大・京大大学院で博士号を取得して、京都外大・甲南大学、奈良女子大学などで教壇にたっていたそうである。彼の父が京都外大の学長にもなっている。彼は湯川秀樹博士にも習ったと言っていた。
ポリテクカレッジ岡山の箇所で記しているが、彼が執拗に、私にポリテクカレッジ岡山の教壇に立つ話を聞きに行ってくれとポリテクカレッジ岡山に私が行くように仕向けた人物である。

嶋坂先生は、駿台の藤村先生(国語担当:映画狂の教師)同様に、連帯保証人となり、その尻拭いで京都外大教授を辞めて、奥さんの実家・岡山に来て伊沢という奥さんの名字を使用していた。連帯保証人…で駿台の藤村先生を示唆し、名字が幾つかあるということで駿台で政経を担当していた前田先生(別名杜先生)を示唆していた。ちなみに、関係はなかろうが、嶋坂先生が教壇に立った大学として、京都外大以外では表三郎氏が卒業した甲南大学と、表氏の奥さんが卒業した奈良女子大学の名をだしていた。もし、表夫妻が自然科学の一般教養をとられていれば嶋坂先生に習っていた可能性がある。


嶋坂先生は、まず、映画説グループの人間と思われるが、駿台との関係もある可能性がある。というのも、ポリテクカレッジ岡山に専任前提と騙されて教壇に立ったが、この学校で「山﨑」という名が妙に強調されていたからである。当時の駿台理事長が山﨑春之氏であった。

なお、ポリテクカレッジ岡山で精神疲弊が激しくなる=躁鬱病の躁状態開始直前頃から、山﨑という名字の私の叔母が我が家へ毎年来られるようになる。この叔母の学友がH氏であり、H氏の娘が私と同級生であり、彼女の妹が私に対して好きな振り詐欺の真似をした。同級生の卒業大学は京都女子大であり、ここで西山美千代登場の予告はなされていた。そして、ここ数年(本年が2024年)、山﨑という手紙が我が家内で散乱している謎もある。叔母の子が姫路に移動した。そして、我が家の住所番地を70年使用したZ家内に皆木家があったが、Z家との確執で姫路に移動された。この皆木家が昔住まわれてた家の前に車(姫路40の車)が止まり、その車の主が我が家内の畑を歩き回った2000年から村のトラブルが本格開始する。

1983年度入社の駿台京都校講師室係🚺タケウチが(西山事件💌の起こる前に)114銀行を強調して(私は🚺講師室係女性の親の仕事先などに興味はないのにしきり114銀行言っていた謎があった)、この皆木家(姫路移動後に金融機関の宿直をされていた)の暗示役となっていたことは既に記した通りである。{2009年に我が家の土地の件で岡山県の担当者ともめたときの担当者名がミナギタケウチでもあった。また、我が家の🐶が10月14日生まれと思う。そこで名が14。}

ともかく、こうして、私の父・浜田耕治―福武哲彦(ベネッセ)―岡山進研予備校―真備高校、ベネッセ(旧福武書店)―駿台、駿台―ポリテクカレッジ岡山という関係がなりたっていく。更には、真備高校―岡山中学・高校(桐山校長)―岡山進研予備校→駿台orポリテクカレッジ岡山という関係疑惑も登場してくる。駿台真相編06(3)参照。

要するに、ポリテクカレッジ岡山の専任詐欺を隠蔽するため、若しくは駿台からの賠償額を減らす目的と分析されるが、途中で岡山中学・高校校長の桐山先生が絡んでくる。手口は全くポリテクカレッジ岡山と同一であった。その話は駿台真相編06-3で記す。

ちなみに、この桐山先生は昔真備高校で非常勤講師をしていたそうである。更に、岡山中学・高校で専任条件で1984年に(1985年度から専任ということで)私を招聘(しょうへい)されたが、私が行く気がなく、断ろうとするや、私が先に断ってはまずいといわんばかりに、桐山先生が先手を打たれて、同校を辞め、福武書店(現・ベネッセ)経営の先の岡山進研予備校の校長になられた。

 {なお、岡山中学・高校とは、時期は違うが、NHKの井上あさひなどが卒業している学校である。私が教壇に立っていれば彼女の担任になっていたかもしれない。これを読んで井上あさひが言うかもしれない。「まあ、残念だったわ」と。こんなとき、真面目な文章では冗談を書くのはやめておこう。}

駿台での業務妨害・刑事犯罪で私を放逐した責任やポリテクカレッジ岡山での専任詐欺…を恰(あたか)も岡山中学・高校の専任の話で隠蔽するがごとく形と成っている。

こうして職場群はすべて繋がりを持つと同時に、各種犯罪やその他の工作もつながりをもつことになる。これらは、駿台真相編06-(2)と(3)、あるいは駿台真相編07で更に明確になっていくであろう。

(※参考5)何故、ポリテクカレッジ岡山を専任第一候補とさせる理由が駿台にあったか。(駿台専任待遇での逸失利益は大きくなると考えたのであろうか。大谷翔平君待遇の方がもっと大きくなるのであるが?

私の逸失利益計算について(駿台講師の事例):同志社法学研究科・早大政治学研究科・関学法学部卒業資料

https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=35955

 

 

2024年11月12日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA