(💁正式公開)駿台事件真相編―6―(2)・駿台CM作戦・大阪校編―女性問題から超多忙生活工作へ

(💁正式公開)駿台事件真相編―🆕6―(2)・駿台CM作戦・大阪校編―女性問題から超多忙生活工作へ

―相似形であった駿台女性事件🆚岡山予備校女性事件の比較


【履歴】

2024/11/15 17:00 下書き該当を貼り付け。

2024/11/18から清書化作業・写真添付作業を開始中。2024/11/19 1:26も清書作業中段階で公開。これから寝るが起床後は、下記文書の誤字脱字程度しか修正はしない。(6)番も数行程度の変更としたい。ただし、写真でユアサ氏などを付け加えを検討したり、藤村先生の写真を一枚削除する予定でいる。

2024/11/19 1:28 上記条件付きで仮公開・正式公開ではない。正式公開は明日の昼頃を予定。8:18 清書作業再開

2024/11/19 10:42 正式公開。(ただし、藤村先生の顔が判別できる写真への置換えと、ユアサという女性の写真を本日の夜にするかもしれない)10:55:11:26微修正

2024/11/19 17:37 ユアサ氏の写真と、彼女と会う前日に尋ねてきた駿台大阪校の男子生徒、更に藤村氏の顔が分かる写真を掲載。合計3枚の写真を追加。17:49微修正

 


【駿台事件全体構想】
駿台事件真相編―1・催眠
駿台事件真相編―2・ゼノンの詭弁と駿台事件の手口・女性編
駿台事件真相編―3・企業と私―駿台大CM編
駿台事件真相編―4・駿台CM作戦と映画女性活用編
駿台事件真相編―5・駿台CM作戦―女性刺客四人組活用編(その1・黒幕編、その2具体的展開、その3㊤㊦と4㊤㊥㊦展開解説付き。その5・その6・その7=世界からの情報、その8
駿台事件真相編―6・駿台CM作戦―超多忙時代のあえぎ(ベネッセ―駿台―能開大と一本線):(1)(2)(3)(4)にわけて掲載。
駿台事件真相編―7・駿台CM作戦―業務妨害から刑事犯罪被害へ
駿台事件真相編―8・駿台CMと🎬協同で☠映画説グループを絡め作戦と能開大・村への移行


【注意箇所】個人情報を掲載理由(毎回掲載)
下記理由(この事件に絡んで何人かが死亡…や私自身も命を落とす危険が何度もあったことなど)で、実名での公開を原則とする。
下記はZ家(浜田稔・正典)家であるが、どうも、我が家(浜田耕治・隆政)との家間違いが駿台事件の原因の一つのようであるため、駿台事件も実名とする。同時に、駿台講師時代も拉致未遂被害や学内外での業務妨害や刑事犯罪被害に遭(あ)ったため尚更である。

※疑惑も含めれば死亡者は10名以上、MEの世界を含めれば20名以上かもしれない。ただし、私は完全に無関係である。


個人情報公開理由(📢浜田稔・正典家の登記簿上の住所648-5の場所には2024年5月頃から浜田正典氏以外の人がお住まいなので注意ください。)

 

各種個人情報が出てくるが、
(A)我が家の住所・位田646(戸籍=現住所=登記簿:祖先は1600年代後半から系図あり:本家)を使用され、各種被害(2017年のみでも2万円損失させられたことをはじめとして多数)、その他の膨大な被害(灯油のみでも無断で5回いれられかけ、実際に2度いれられた)があること、
更に、
(B)我が家住所番地(位田646)無断使用者・浜田正典氏(司法書士)に是正を求めても改善されず、
(C)該当者自身の職業が司法書士という法の専門家であること、
(D)上記の行為により、生活に支障を何度もきたしたこと(例:死亡は嘘の疑いが高いが、浜田正典氏が死亡した際には葬儀屋が我が家へ来て私が対応、霊柩車も最初我が家へきたようであるなど)…その他膨大な被害があること、
(E)私が意味不明の40年近い被害を受けている原因が家間違いの疑惑があること、
(F)多くの情報網を持っている世界の我が友=世界の指導者が10人以上、暗に原因は家間違いであることを示唆したこと
(G)深い事情を知っていると思われた、亡き友人(司法試験にも合格したと言っていた)が「トラブル被害の原因は人間違い」を明言したこと、
(H)岡山県美作市役場などに相談しても適切な対応はとられなかったこと、
等等から、個人情報であっても、私の生命を含む人権を守るための、超法規的措置もかねて公開に踏み切った。個人情報を含む人権は濫用してはならない。公共の福祉との整合性より公開可能と判断

 超法規的措置と言っても、浜田正典氏は司法書士事務所の関係で使用住所の一つ位田648-5は各種ホームページで公開されていること(ただし郵便受けや各種書類では我が家の住所位田646を使用されることが多い、ごく希に岡山県の土地位田646-2も使用)、…で、彼ら(司法書士)の住所はCM扱いとなっているため、(私への人権蹂躙を阻止するという)正当な理由抜きでも、今回の情報公開は合法とも考えている。

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上記は下記を一部修正して抜粋
私の人権編:⚔⑧―40年の人権侵害全貌解明:8月16日編(8月24掲載)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=40006
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駿台事件真相編―🆕6・駿台CM作戦―超多忙時代のあえぎ(岡山予備校。能開大と一本の線)

 

下記、桃色箇所が今回の原稿の範囲。

(序)駿台真相編-06・全体の概要

(1)私が務めた各職場の結合形態と私の父との関係

(2)駿台CM作戦・大阪校編―女性問題から超多忙生活工作へ

―――相似形であった駿台女性事件🆚岡山予備校女性事件の比較

(3)各職場連携工作の意図―犯人・犯罪隠蔽作戦

(4)☠(謎のX)の存在疑惑と、人間違い誘導疑惑について


06-(2)駿台CM作戦・大阪校編―女性問題から超多忙生活工作へ
―相似形であった駿台女性事件🆚岡山予備校女性事件の比較


《◇―1・1986年度の概要》


私の被害の背景には映画説グループの視聴率稼ぎと、様々な団体・組織の利権(特にCMによる利権)が絡んでいるようである。

その上で、一貫してテーマとされるのが「苦闘編」である。謂わば、テレビドラマ「おしん」の世界である

同時に、視聴率、CMのためには話題となるテーマを、視聴者が飽きぬように変えて行かざるを得ないと、加害者グループは考えていたようである。

①真備高校では、「女子生徒に手を焼く姿」を演出しようとしていたようである。実際には大学院時代の塾の懐いた生徒よりも大したことがなかったが各種小細工や猿芝居を弄(ろう)して印象操作をなしていく。

②駿台教壇にたった1982~83年度は、(一年間の東大合格者1500名以上を誇っていた)駿台予備校での授業模索をテーマとした。

③駿台1984~85年度は「女性ドタバタ劇」に催眠も悪用して無理矢理絡められる。
ただし、ホストクラブ通い女性の人生滅亡以上の被害と、契約外労働・強制労働被害、謂わば(女性ドタバタ劇強制参加という)奴隷労働に置かれた。

④1986年度には政経・現社・日本史・英語・模試作成・監修担当、その上に岡山の女性も絡めての絶体絶命・超多忙下での授業死守の姿となる。

⑤翌・1987年度前半は業務妨害、後半は業務妨害と各種刑事犯罪被害と続く中での模索が焦点とされた。

1987年度の件は駿台真相編07で記すが、最後には、意味不明の部落問題を絡めようとした疑惑もあった可能性がある。青天の霹靂であったが、2000年以降から、徐々に(我が家の住所番地を約70年使用していた)Z3との人間違い危害が原因と臭わされている。
だが、それが事実ならば、私には更に真相は不明となる。何故ならば、私はZ家の人間でもないし、Z3でもないからである。皆目見当が付かない状態となっている。

1988年度以降も、順次、新たなテーマの下で各種被害を受け続けている。常に読者が飽きぬように新話題となっている。なお、人間違い問題は2019年から相当真相に近づいてきたが、ここ数年は人間違い危害から「利権」問題に話題のテーマを変更されつつある。
この両方の「キーワード」は駿台時代に当てはまっていたようである。


《◇―2・駿台の契約違反により超多忙の世界に陥れた工作とその結果》


駿台真相編06-(2)の世界に戻ろう。
駿台で、女性陣が登場した話は駿台真相編05-1~05-8で記した。何度も書いたように、「女性問題」(正確には女性ドタバタ劇)は1~2年ならばともかく、それ以上となると視聴者は飽きる。視聴者が飽きれば、🎬映画説グループのみではなく、駿台もCM効果がなくなる

そこで、駿台京都校から駿台大阪校に異動した1986年度は人間の限界を超えるかもしれないという超多忙な日々に見舞われることになる。それも、駿台真相編06-(3)に記すように、駿台経営陣(関西地区最高責任者大滝満夫部長など)により、「トイレ悪用」という汚い手を使ってやられた契約違反{私と関西地区最高責任者大滝部長・京都校校長川端三郎先生等の間で政経一本で三年間[1985年度~1987年度]の生活保障をするという契約があったが、それをトイレ悪用と岡山の予備校を絡めて破棄した}に起因した被害であった。

女性問題というが、私を見て即座に分からぬのだろうか。貴君らは正に裸の王様である。
昨日(2024/11/06)Mr.トランプが大統領に当選した。彼は私を見て即座に分からぬのだろうか。
私の容姿や雰囲気が女性に騒がれたり、騒がれたいと思ったりするタイプかどうか分からぬのだろうか。

ちなみに、私の家が檀家となっているお寺の住職の嫁さんは簡単に即座に言った。「見たら分かります」と。
我が友・Mr. Obamaですら、勘違いを…することがあるとすれば、小学校の子供の如く、物事は単純に考えた方がよいときもあることを勧める。

ということで、視聴者諸君はいずれ、「おかしい」とか「Mr.浜田に女性問題、そんな阿呆な…」と思い出す(気がつく)。そこで女性陣はもう終わりとして、次の話題提供として、仕組まれていたのが、各種契約違反と、各種罠を利用しての限界を超える超多忙な日々の中での授業への葛藤であった


当時の状況を拙著『閉じた窓にも日は昇る・上』(Kindle上下各百円)から一部抜粋しよう。

一九八六年に駿台大阪校に異動する羽目となった。同時に、日本史も兼ねることになり、多忙の限界を超えてくる。駿台大阪校で政経と日本史を週四日、岡山市の予備校でも政経と日本史を週二日、岡山県倉敷市玉島の岡短で英語を週一日担当し、それに何本もの駿台模試作成、進研模試のチェック、短大の(前期・後期・再試・追試)試験問題作成・採点などである。こうして毎週、実家・美作、岡山市、倉敷市玉島、大阪と飛び回り、その上で数年に及ぶ大きな障害となる大阪でのトラブルと岡山でも女子職員に絡めた揺さぶりに見舞われる。

その上に、次に、一教科当たりの教材研究不足などを利用しての心理的揺さぶりが開始された。まず、心理的揺さぶりがしやすいように、初めて担当した日本史も、政経講師などが一番不得手な所のみを担当させられた。当時、駿台では日本史は古代~近世と近現代史に分割されていた。政経と相当重複する近現代史などは担当から一切外された。

現代史などは駿台日本史講師陣よりも政経専門家の私の方が詳しいことは常識である。実際、『日本の歴史26・よみがえる日本』(中公文庫、一九七四年)は歴史学者ではなく政治学者・鑞山政道(ろうやままさみち)氏が執筆されていた。だが、現代史などの箇所は一切担当できず、先土器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代……江戸時代までの担当となる。
更(さら)には、日本史のテキストか私の参考書類かは忘れたが授業直前に誤記述版に置き換(か)えられ、後に元に戻された疑惑がある。(この件は私の勘違いか、事実とすれば奇異すぎて現時点でも被害断定記述はできない。)その他でも、授業でミスするような策略がなされていたとしか思えないことが多々あった。

同時に、『日本史初めて教師』としての心理的揺さぶり言動や、生徒にその趣旨の宣伝をしたことを暗に私に知らせる形での揺さぶりもなされた。」(同上書参照)

さらに、その逆の手も打たれていた。
他方では、八六年度の生徒のアンケート(学校で集計された表・統計ではなく、生徒の自筆で記入された用紙類)を読むと、白々(しらじら)しさを超越したベタ褒(ほ)めに近い内容の記述がかなりあった。白々過(す)ぎてまともには見ていない。恐らく、学校が保存しているアンケート結果とは相違しているであろう。
私が日本史を途中で止(や)めないようにするための誘導か、あるいは、私が担当していた日本史受講者の大半はX1の指揮下にあるという脅しであろう。」

現在でも、HPなどのアクセス分析は、その種の誘導や操作疑惑がある。いっとき、アクセス分析の更新時間を十分過ぎた頃、アクセス解析を見ると少なかったが、我が家の住所番地を70年使用したZ3が深夜戻ってきて、クシャミか咳をした途端に極端に増えたことがある。今でも、アクセス数を通じて、彼らがさせたいことへと私を誘導している疑惑がある。


《◇―3・ダメ押し的に、岡山の予備校職員女性を絡められ、教材研究妨害をやられる》


超多忙の中で、ダメ押し的に、さらに女性問題(女性戯れ遊びごっこ=催眠悪用による契約外労働・強制労働被害)が岡山の予備校(岡山進研予備校、今は合併して岡山進研学院となっている)でも起こされる。

催眠や工作で、駿台事件の原因は無理矢理女性問題らしく思わされていた。催眠下でも意味不明で、何度も「あれが女性問題ならば、幼稚園や保育園は女性問題だらけだ」と思っていた。無茶苦茶であった。

岡山の予備校でも、1986年度のある日、突然、女性職員タキザワさんに激しい熱を催眠で植え付けられる。ところが、同じ1986年度のある日、突然に、その熱がタキザワさんからヨシダさんに変化する。まさに同一日であった。該当日の朝までタキザワ熱であり、昼からはヨシダ熱であった。
何でだろう?

※※※(解説開始)※※※
(参考)原則実名表記に変えた理由

①これらの女性を絡めたドタバタ劇により、私の人権蹂躙被害、老後破綻の道に陥ったばかりではなく、関連死亡者や、私自身が殺されそうになったり、拉致被害を受けたりしたことから、関係者は全員に対して超法規的措置で実名とした。

②実名にすることにより、捜査機関や各種人権団体が直に本人から聞き取り調査をしやすくするためでもある。

③なお、個人の氏名・写真などは個人情報という形の人権に属するが、他の人権に抵触する行為や公共の福祉に合致しないことに関与した場合には、その種の人権(肖像権等)は制限される。指名手配の犯人に肖像権がないのと同様である

ただし、念のために、岡山の女性は原則としてカタカナでの名字表記のみとしている。名字のため、結婚していれば姓は変更しているであろうし、同姓でも各種感じがあるためカタカナ表記とした。

同時に、岡山の女性職員とも一度も指一本触れたこともなければデートもしたことがない。そこで、彼女らに伴侶がいても、嫉妬などの家族問題は起こらないこともある。

⑥彼女(タキザワ・ヨシダ)らも、福武哲彦氏か誰かに何かを依頼されていたとしか分析できない。実証されれば、刑事犯罪となる。ただし、司法取引に該当する形で、彼女らが私に協力すれば、それらの罪は問わないことを検討している。
※※※(解説終了)※※※


ちなみに、タキザワさんは、駿台女性と異なり、新年会・忘年会も同一、職場でも多少会話をしている。それも1981年~86年度までである。
容姿も美形である。
職員のほぼ全男性が彼女に関心を持っていた可能性が高い。

ただし、私は理系の人間であり、各種シミュレーションを先にする。
確かに、彼女は魅惑的であるが、性格が私とはあうまい。私はのんびりとした・優しい女性とか、穏健な女性が良い。言い合いとか、小うるさいのは叶(かな)わない…ということで距離を置こうとしていた女性である。

近づけば、駿台とは異なり、催眠抜きでも、他に女性が登場せねば、彼女に熱をあげる危険があると分析をして距離をおいていた。
彼女も私とは距離をおいていた。(多分、彼女は野暮な男性は🆖(ノー)。私は🤡(ME=浜田隆政)よりももっと良い男性が良いであろうか)。
ともかく、女性・男性という問題を除けば、職場での人間関係とすれば、双方良好の類いであった。


しかし、油断をすれば彼女に熱でもあげたら危険と警戒をし、職場の誰かと上手く結婚でもすればよいのにと本気で思っていた女性である。

1986年夏頃まで駿台女性、及び🛵おじょう(タナカ)であり、その後も、駿台女性トラブルは1986年2月まで続いていた。それが一瞬にして1986年度前半に彼女(タキザワさん)に対して激しい女性熱が起こる。当然、催眠である

ちなみに、駿台でもよくぼやいていた。
「福﨑伍郎君(英語担当)という二枚目で理知的な教師がいるのだから、そちらで騒げ」と。
本当に独り言でぼやいたときもある。

なお、このタキザワさんとは、1984~85年度に駿台女性の件を何度か相談したことがある。彼女が言っていた。「先生、いまどきの若い女性は授業が良いとか…で憧れる職員などいないですよ」と。然りである。

さらに、不思議なのは、ある日の午前中は彼女への熱であった。所が、昼からはヨシダさんに熱が移動しているのである。過去にも前例がある。高校部落研究部後輩のミズシマさんへの熱が数分でフナダさんに移動したことがあった。
駿台も同じである。水俣で出会った女性を思っていたら、高校生コースの子と西山の視線があい、火花がちったように思えた瞬間に西山熱が起こる。催眠である。無茶な。


こうして、1986年度は先の殺人的なスケジュールの上に、はるかに駿台時代以上の女性熱を催眠で起こされた。なお、ヨシダさんという女性は良く知らないが、生き方が違うとしか思えなかった女性である。容姿は本田美奈子に似ていた。
しかし、一瞬見て、即座に私とは生き方が違うと判断したと同時に、特に好みの容姿でもないため、タキザワさんとは異なり間違っても彼女に熱をあげることはないと、安心していた女性である。

丁度、駿台の西山美千代と同様である。1983年度の8月末までは、間違っても、この女性に熱をあげる心配はないと女性として意識していなかった女性が西山美千代である。ところが、まさかの催眠熱である。

※※※(解説)※※※
駿台の西山は「ニシヤマ」とせずに、フルネームを漢字表記としたのは理由は以下である。
私が世界に「福岡県の梓みちよをもじって、福岡県の美千代」調査依頼をすると、その返答の如く「西山ファーム事件、西山美千代社長…山﨑も悪い」という返答のような記事が私のパソコンに飛び込んだこと、更に、かなり悪質な刑事犯罪疑惑があるため、実名とした。当初はカタカナ所か、女性NMと表記していた。
簡単に言えば、世界の首脳などの助言があったように思えて実名とした。

横家幸子も同様である。彼女も当初は女性YKとしか表記しなかった。しかし、(横家の高校先輩である)丸山和也事件以降から実名が望ましいと思わされている。なお、横家は名字のみで名前は知らなかったが、アルバムにはってある写真の名札を丁寧にみると、以前はなかったと思ったが名前があり、ほとんど読み取れないが、強いて解釈すると「幸子」のように思えたという経緯がある。2024年か2023年のことである。
こうした物の白黒は裁判所が一番ふさわしいと考えている。
※※※(解説終了)※※※

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西山に関して世界からもたらされた情報:実名化を検討した経緯

駿台事件真相編―05-5・駿台CM作戦―世界からの女性刺客情報(前半)

https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=44895

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横家に関して世界からもたらされた情報:実名化を検討した経緯

駿台事件真相編―05-6・駿台CM作戦―世界からの女性刺客情報(中)

https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=45030

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なお、ヨシダさんに戻していえば、理論で考えれば「ありえない女性熱」であった。理論とは、ヨシダさんとは口は聞くチャンスはあったが、面倒できいていない。そこで会話量はほぼゼロである。
次に容姿は特に好みではない。ただし、下に掲載している写真を見れば分かるが、今の若い男性には持てるタイプ(アイドル型)かもしれない。私はAKB48などのアイドル型には興味がない。ちなみに、西山はアイドル型でもない。容姿も私好みでは全くなかった。
駿台女性の件同様であった。


先の「人権と公共の福祉の視点」(その解釈が無理な場合には超法規的措置)から、下記に、女性全員(駿台のヨコイエ・ゴトウ、岡山のヨシダ、タキザワ、🛵おじょう・タナカ)の写真を全部掲載した(ただし、西山の写真はない。駿台辞職直前に登場した🚺ユアサも犯罪には関係があるまいということで掲載していない。念のための掲載も検討中である)。
掲載写真は、絵風加工、網目をいれて拡大しても人物確認が難しいように処理している。加工が少ない写真は解像度落とし拡大できないよう措置している。
私の名前も明記しているが、「ダウンロード禁止」等も写真に書いておいた。

一枚のみ大きい写真があるが、それは集合写真であり、福武哲彦(ベネッセ創始者)、尾野作次郎(同系列予備校名誉校長・真備高校理事)、桐山公雄(岡山中学・高校校長:昔、真備高校教師)、嶋坂敬郎先生(私をポリテクカレッジ岡山に行くように仕向けた教師・別名伊沢)の顔を確認しやすいようにするためである。特に、嶋坂先生の顔を駿台関係者の誰かが知っていれば、私の描いた仮説が全て適用できるようになるからでもある。

それ以外でも写真を見れば何等かの情報提供者がでてくる可能性があるからである。無関係と思われる職員は全員、顔にペンキを塗り、肖像権確保をしている。

《写真掲載》

①駿台女性(どちらがゴトウか横家幸子かは省略する:加工写真:犯罪が実証されれば加工抜きの写真を掲載する)

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🛵おじょう(タナカさん):加工が僅かな方は解像度をおとして拡大できぬ形で掲載(ほとんどこれよりは余り大きくならない形で処理)
→彼女からの被害は不明のため、苦情がある場合には我が家を知っていると思うため、友達同伴かお子さん同伴でご来訪を。土産は特にいりません。

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岡山の女性(どちらがタキザワさんか、ヨシダさんかは明記していない。一枚は絵風加工、一枚は編線をいれた上で軽度の絵風加工及び拡大できぬように処理済み、後の一枚は解像度が350 kbあるが集合写真で拡大確認が必要なためであるが網目をいれている。(下記A~Eを読者に確認してもらうため縮小はできなかった。特に、Eの嶋坂先生を駿台関係者が知っているかどうかが大きな鍵を握っているからである。知っていれば、駿台とポリテクカレッジ岡山の関係及び、駿台経営陣の意図は明確となる。)

集合写真の中のAは浜田隆政(私)、B尾野作次郎(ベネッセ・岡山の予備校関係者。一時は真備高校の理事も兼用)、C福武哲彦(ベネッセ創始者)、D桐山公雄(岡山中学高校校長、後に岡山の予備校校長。昔、真備高校でも教壇に立っていたという)、E嶋坂逸郎(京都外大元教授、他に甲南大学講師、奈良女子大学講師等を歴任。私をポリテクカレッジ岡山へ行くようにしむけた人物。彼の父は京都外大元学長)

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④駿台女性の件を相談していたフィリピンの友人🚺マリーサ。場合によればイルマの写真も掲載検討。念のため絵風加工している。良き友人であったが、旦那さんが心配や嫉妬することは一切ない。駿台・岡山の女性も伴侶の嫉妬は完全に不必要でもある。

彼女は(タガログ語は元より、日本語もかなり話せた上に)英語も堪能であった。流暢な・明晰な英語であった。そして聡明(そうめい)な女性でもあった。

当時、フィリピンのマルコス大統領の話をしていた覚えがある。私がマルコスの英語は分かりにくいと言うと、彼女は「発音はそうかもしれないが、英語の文体に直せば、しっかりした英語を話している」と言っていた。彼女の英語の発音から、彼女はアメリカに留学したか、アメリカへの滞在が長かったと思われる英語の発音であった。

そこで、当時、彼女とイルマをポリテクカレッジ岡山の教壇にゲスト出演を依頼しようかとも考えたが、ポリテクカレッジ岡山との各種代金交渉問題などから未遂に終わった覚えがある。

まだ、アキノ女史が登場する前の話である。

(場合によれば)駿台時代に最後(1987年度)に登場した女性・ユアサも掲載検討中

(駿台女性だけ美人論デマ批判や女性紹介が目的ではなく、事件の真相解明が目的での写真掲載である。当然、世界や国連などの聞き取り調査などをしやすくするための掲載である。そこで、必要性がまだ判明できていないため、今は掲載していない。

ただし、彼女と最後のデートで小浜に行く前日に、私が指定された枚方市の某場所に岡山から自家用車では方向音痴で行けないと思い出すや、即、駿台大阪校の生徒二人が岡山市に来るといってきた。翌日の話をすると、「僕は枚方出身です」と一人が言い、私と彼女との待ち合わせ場所までの道案内をしてくれた。もし、彼らが来なかったならば、待ち合わせ場所には自家用車でいくことは不可能であったと思う。更に、この二人は両者ともに五浪と言っていた。こういう不自然なこともあったため掲載するかどうかを2024/11/19の夜までに判断をする)

87-001-21Aak-150-f:1987年夏

(下の写真)上記の前日に突如、私を訪ねてきた駿台大阪校の教え子(両者ともに五浪中):(撮影場所は、岡山県高梁市備中松山城)

この内の一人が(岡山県)高梁市に行った翌日、彼女との(大阪府…の)待合場所まで案内してくれた。彼らがこなければ、自家用車でユアサ氏との待合場所までは極度の方向音痴のため行けなかった。

上記の女性と出会ったのもこの城の前であった。上記の女性は私が話しかけやすいように、セルフタイマーを工夫してコンパクトカメラで撮影中のため、「シャッターを押しましょうか」と声をかけたのがきっかけである。駅から歩いて一時間半以上の日本一高い山城に一人…である。猿も出没する山である。その後、高梁駅まで車で送った関係で、お礼を渡したいと言われ、出会ったのが二回目。その後が小浜で三回目。余りにもできすぎた話であった。

87-001-13A-faのコピー:1987年

⑥女性ではないが、駿台時代に登場した藤村尚美先生(国語担当:映画狂):人物の顔が特定できないものか・特定できるものかどちらか一枚掲載予定(藤村先生は最近某HPで顔入り写真がでていたこと及び事件の仕掛け人の可能性もあり人物が特定できるものにした方がよいかと思っている。)

藤村先生が最近の某HPで映画関連で活躍中が掲載されていた。ちなみに、その解説の中で藤村先生が「林屋辰三郎」氏を強調していた。林屋辰三郎氏の弟子の一人が上田正昭氏である。上田氏は亀岡市出身であり、駿台で政経のライバルであった前田先生(別名・杜先生)が上田氏との対談をしていた亀岡市の記事を読んだ。また、部落解放同盟のHPのトップには長期に亘り、島崎藤村の「破壊」の映画が紹介され続けている。その横には狭山事件の石川氏の特集があった。駿台で、藤村先生のことを石川先生が「とうそん先生」と呼んだ謎もある。

なお上田正昭氏はハンナン事件後に、部落解放同盟の第三者委員会の座長を務めたと思う。ちなみに、私は解放同盟が立ち直るためには、第三者委員会の設置が必要と家で独り言を言っていたが、それが伝わったかの如く、第三者委員会が作られた。単なる偶然かもしれないが参考記述である。

(2024/11/19 10:51)今調べると、部落解放同盟のHPには「部落解放運動に対する提言委員会」との記載があった。

「解放新聞」(2007.03.19-2311):部落解放同盟中央本部のHPでは下記「提言委が初会合 上田正昭さんを座長に選出」(部落問題資料室)参照。

http://bll.gr.jp/archive/siryo-syutyo2007/news2007/news20070319-2.html

映画狂の藤村先生が映画の視聴率(=駿台CM効果)を気にすることはありうる。これ以上の解釈は今はしないが、視聴率稼ぎ目的で、誰かが部落問題を1987年末に絡めたことはありうる。その手段が人間違いを悪用した疑惑である。(藤村先生の顔がでていた写真を掲載していたが、奥さんの顔も分かるため暫く両方とも顔の分からぬ写真を掲載しておく。本日(2024/11/19)の夜には藤村先生の顔ははっきりと分かるが、奥さんの顔のみ判明不可能に修正した写真に置き換える予定でいる。)

85-001-08A-1-fkk:1985年

 

 

※藤村先生と嶋坂先生の関係などを調査中である。それと駿台の前田先生(当時の政経担当)の兼ね合わせである。前田氏も人権関連の某NPOの立ち上げに関係があったようである(名称は今回は略す)。



《◇―4・女性問題は駿台と岡山で相似形であったが、後に駿台のみが長引いた謎》


登場する女性は催眠を悪用若しくは催眠という犯罪に協力して、事実上、私に危害を加えているため、肖像権などの人権の一部は主張できない。憲法が保護する人権は公共の福祉の制限と濫用してはならないと定めており、それに抵触している場合には肖像権などの一部は主張できないと思う。(参考:指名手配の犯人の写真や氏名等々を考えれば良い)

上記の写真をみれば分かるように、「駿台女性は(駿台女性だけが)美人…」という風評類は嘘も嘘と誰でも即座に分かる。美人かどうかはどうでも良いが、卑怯な形で、そうした特別扱いは卑劣である。
ともかく、写真をみれば、容姿のみでは駿台女性を思うことはないことは即座に分かろう。
性格については「優しい女性」か「怒りっぽい女性」か「口やかましい女性」か…何一つ知らない。
限度を超えたならばうぬぼれか、自己のプライドで人を犠牲とか、…悪質と人は思うであろう。実際には誰かに依頼されての工作だったとしか思えない。


ちなみに、この両者(タキザワ・ヨシダ)への熱は駿台の西山と同一度数であった。しかし、駿台女性の件とは大きな違いがある。彼女らが1987年度からベネッセ本社に異動するや即座に脳裏から消えた。更に、後にも催眠類で延々と思い出さされたり、独り言を言わされたり、何かを書かされたりすることは一切ない。

それでは、何故、駿台女性について延々と催眠をかけられたり、言わされたりし続けるのであろうか。矛盾というものではない。

「駿台女性は美人だったから」は写真をみれば分かるように普通である。岡山の女性との比較はやめておくが見れば分かる。

やり方がきたない。
何が汚いかと言えば、催眠をつかって、文書を書く直前に印象をよく思わされたり、美形だから…の印象操作を催眠をつかってやらすとは…。しかも、それにより駿台トラブルを正当化している疑惑があるため、尚更はっきりとさせるためにも写真掲載に踏み切った。

それ以上にしつこい。まさに暴力団の因縁の如しと感じることが多い。しかも、「ヤクザの風上にもおけない」という諺もあるが、それにすら反している

何故、(催眠熱とはいえども)熱を本格的にあげさせられた岡山の女性についてはその後は一切問われず、(催眠熱でも)駿台では一人しかあげておらず、更に、駿台外では会っていない駿台女性を優遇するのか。平等に反するし、事実に反するといつも怒っている。

なお、岡山の予備校女性への熱は、私の父の後輩であったベネッセ創始者・福武哲彦氏が死亡した(1915年 – 1986年4月26日)後で起こされている。さすがに催眠熱のため、福武哲彦氏もスナックなどで、私と共に飲んだため気が引けたのであろうか。ただし、この死亡も事実か否かは不明である。

催眠の証拠の一つとして、ヨシダさん等が福武書店(ベネッセ)に異動したときには息子の福武総一郎氏(現在ニュージーランドに在住・ベネッセの事実上のオーナー)が恋でもしたかと思わされた始末であった。
当時は、この福武總一郎(ふくたけ そういちろう、1945年12月14日 – )氏が副社長であった。1984年か85年頃に事務長か校長かどちらかから何かの席で紹介されたと思う。彼が40歳前後のときであり、私も彼も若いときであった。


《◇―5・高校時代の頃から多くの女性が登場したが揉めなかったのに、何故1984~86年だけ揉めた疑問》

1983年頃~87年度は異常に女性が登場したと以前書いたが間違いであった。映画説の関係からか、昔から膨大な女性は登場していた。違いは、駿台講師時代は、女性が歌舞伎役者型で私に気があるのかと思わされたり、そのような芝居をしたりした上に、催眠がきつかっただけである。

大学時代でもものすごい女性が登場したが、全く覚えていないし、女性問題などは一切なかった。その上、大学時代などは何度も、今考えれば何人もの女性とデートもしている。だが、全く女性などは登場しなかったと錯覚をしていた。

デートとは、私が決死の覚悟で誘っていくものと思っていたからであろうか。大学時代のは、「泳ぎに行こう」「大阪城に行こう」「奈良に行こう」…と誘われたので行ったのであり、デートではなかったと思っていた。

相手が「デートで奈良に行こう」と言ってくれればデートとして認識をしたが、「奈良に行こう」「泳ぎにいこう」といわれれば、泳ぎにいったのであり、デートをしたとは思っていなかった。それでは、私がその女性達に関心がなかったかと言えば、催眠熱だったかもしれないが、何度も熱をあげている。

ただし、巧妙な手口で、デート?への誘いは熱をあげる前後をねらっており、熱をあげている最中ではない。
なお、奈良…については丁寧には書かないが、書けば残酷物語であった。サゾ👩、🎎お嬢と言った理由も分かろう。こうした実体を伴う女性は何人もいる。ただし、彼女らとは良い思い出でもあり、双方、未だに友好的感情を持っているという自信はある。何人かは結婚式の招待状もくれた。手紙でのやりとりも何人とも長期おこなってもいた。異性を除いても人間関係としての友情は残っている。

駿台講師時代は、真逆であり一度も駿台外ではあっていないし、デートどころかまともにも会話をしていない。
多くの女性が次から次へと登場したのは駿台時代以前であり、駿台時代は催眠のみで、女性は一人も登場していないのが事実である。例外は教え子類のみである。あとは蜃気楼(しんきろう)と同様に実態のないものでしかない。


次から次へどんどんと女性登場は駿台時代も関学時代も別の時代も同様であるが、駿台時代以外はトラブルなどは一切なかった駿台のみが歌舞伎役者演技とか多様な形や完璧な好きな振り演技のため目立ったのであろう(そのように錯覚させられたのでしかない)。

駿台以外は自然な形態のため何とも思っていなかった。30年以上経ってから、「あれはデート」かと思ったのが全てである。次から次へと女性が登場したのは駿台時代以前であり、客観的には駿台時代は駿台の職場内では女性は一人も登場していないのが事実である。催眠での妄想でしかない。

教え子以外の唯一の女性が🛵おじょう・タナカである。これのみが唯一の例外であった。もう一人いた。駿台辞職直前に登場したユアサという女性である。ただし、彼女はきっちり精神的距離をとり、心理的に私が心底近づけないようにしていた。今考えると、彼女は最後のデートのときに、お寺の話ばかりをしていたため、お嬢類の化身かと思う始末である。

あらゆる意味で駿台は狂っていたというよりも、駿台CMエゴ丸出しであった。若しくは後に記す謀略・工作のため、延々と理屈づけをしたのであろう。

なお、岡山の予備校女性は福武哲彦氏に依頼されて工作を開始したのならば、駿台女性は山﨑春之氏に依頼されての猿芝居と分析される。もし、岡山の予備校女性が全貌を語れば、芋づる式に駿台女性の工作も判明しよう。
しかし、私は授業に行ったのであり、駿台女性とドタバタ劇をするために駿台に行ったのではない。駿台が絡んでいる以上、当然、契約外労働、強制労働…となり、その分の賃金も代価も支払われていないとなる。

その上、この種のトラブルは危険である。ホストクラブなどで何かある以上に危険である。職場にいづらくなるのみか、精神的ストレスもたまり、酒量も増え、健康上からも大変危険である。同時に、もし、私とは異なり、気性の荒い人に斯様な仕打ちをすれば、ストーカー行為、強姦のみか殺傷事件が起こるかもしれない。

それでは、何故、駿台経営陣は斯様な芝居を打ったのであろうか。
それは、次に記すように、企業群のための大CM狙いにあったと分析している。

だが、女性陣の良心が痛もう。
岡山の予備校の女性職員は主として、私への催眠だけに依存して、さほどの行動はしていなかったかもしれない。それでも、刑事犯罪の共犯者となる。場合によれば、ベネッセ創始者福武哲彦氏に頼まれ、その上に哲彦氏と知り合いの父などに何かを言われていたかもしれない。それが事実でも、犯罪行為への加担という事実は相殺されないことは言うまでもない。

なお、駿台女性職員に至っては、岡山の予備校と異なり、女性陣自身の積極的な行動・攻撃が見られた。彼女らの良心の呵責はないのであろうか。それが徐々に記す、「人間違い」説、人間違いから来る怨念(おんねん)説である。ただし、駿台当局はそれも承知で誘導した疑惑がある。理由は次の《◇―6》等を読めばある程度は分かろう。

 

《◇―6・企業群の大CM作戦展開と映画説》

こうして駿台と岡山の予備校では、女性問題?を絡められた。「ちょっと Just  待って Moment」。それ何。女性問題。
女性問題と言えば、我が家界隈でも20年近く女性問題が…。Z家の👴(老婆)から始まり…後は書くまい。

女性問題など、私にある訳がなかろう。アホかとなる。(ただし、正確な女性問題とは、被害者がいることを指す。だが、私はそうした高尚な次元抜きでもあるわけがなかろう。人を見るにはその人の親友を見ればわかる。私の親友の代表人である、柔道・空手両有段者、それも両方初段🤣…を見れば分かろう)。

同時に、駿台辞職後(1988年度以降)は、職場類では女性は一切登場していない。あとは、テレビの世界の西田ひかると、🎃オジョウ(なお、🎃はハロウィーンを意味するシンボルであるが正にその通り)のみである。
駿台などでは、CMのための話題提供の一種として時期限定で捏造されただけである。横家幸子とゴトウとの会話開始のきっかけは正に歌舞伎役者の世界であった。

西山美千代が怯(おび)え回ったことからの風評被害か何かのせいで、横家とゴトウが二人で順番に私の顔を「ジー」とのぞき込み、二人で顔を合わせて大きく首をひねる。「いよー、はっと」。
歌舞伎役者が目を大きく見開き、首を大きくひねる…。その繰り返しであった。今ならば完全無視であるが、当時は現実の世のみ、催眠や工作、謀略のない世界のみ考えていたため、これでは不審人物扱いされると思わされた。そこで、私という人物を知ってもらうため、口をきかざるを得なくなる。
これが西山に手紙をだした後である。それまで、この二人とは口も聞いた覚えはない。顔は横家などは、全く覚えてもいなかった。

駿台経営陣らに示された脚本通りの演技だったとしか思えない
完璧な、歌舞伎役者の演技であった。

同じことが、ポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)の1997年度である。私が横山さん{横山という職員は二名いたが、名簿から判断すると横山豊さんと思う}のプリント印刷を手伝うかどうかをめぐって、森脇一雄課長と横山さんのにらみあいである。歌舞伎の芝居としか思えなかった
「いよー、パッパッ」の世界である。
茶番劇にもほどがあろうであった。それでは、ポリテクカレッジ岡山での演技を命じたのは誰だったのだろうか。所管のトップである労働省の官僚であろうか。それとも、雇用促進事業団経営陣であろうか。

一個人ではなく、駿台もポリテクカレッジ岡山も学校ぐるみでの茶番劇であったといいきって良い。味方も敵もなく、学校側が、先に私の味方役と適役を準備して、事前にシナリオに従い演技をしたのであろう。私はそうした労働契約をしていない以上、完全な強制労働・貢ぎ労働・奴隷労働でしかなかった。


ところで、岡山の予備校での攻撃が開始するのが1986年度であるが、先手を打つが如く、1986年4月26日に(一緒に何度かスナックに誘われた)福武哲彦氏が死亡する。なお、翌1987年度は女性の絡みがなくなるかわりに駿台での業務妨害・授業妨害と刑事犯罪被害が激化していく。

ちなみに、攻撃の前には通常は二つの事が強調される。一つは人間違いを暗示するため、二人の浜田、もう一つは映画説を暗示する語句「シンガポール」などである。場合によれば「私の父」が強調されるときもある。

倉敷英数学館(1981年度)では二人の浜田が存在した。倉敷にあるポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)で、世取山清課長による大労基法違反被害(1991年度と思う)のときも二人の浜田が強調されると同時に、世取山氏はしきりに「シンガポール」に前年(私がシンガポールに行った年=1989年)か数年前に派遣されていたことを強調していた。
ところで、最初の岡山進研予備校はこの年(1986年度)に岡山学院との次年度からの合併を決定するが、この丁度10年後の1996年に「 シンガポールより教育代表団訪問」がくる。

私の本格的な海外進出は1989年夏のシンガポール・マレーシアである。次が91年グアム、95年タイ、2013年中国、韓国、2015年米国と続く。

なお、(駿台辞職時の大滝部長の三年後にもどってきてくださいを当てに)駿台復帰の打診に行ったのが1990年である。次に旧友とも言えるマハティール氏と対談したのが2000年前半である。

2015年は言うまでもなく、私の訪米の年である。
今や、私の名は日本よりも世界で有名かもしれない。これは海外旅行をするたびに思うことである。

※※※(2024/11/19 9:00 解説追記)※※※

この不自然さを最初に意識したのは、1989年にシンガポールに行ったときであった。私が購入予定であったシンガポールの社会科教科書は、店にはいるや、店員が「この本ですね」と先に差し出してきた不自然さなどがあった。

特に、1995年のタイ以降は天皇陛下並に交通規制や公害規制がされていた気配を感じた。交通渋滞が有名であった頃(1995年)のバンコクでは、私が通るときはいつも車はスースーと流れた。ソウルでも・上海でも・ラスベガスでも同様であった。中国では添乗員の人が「おかしいですね。この道はこの時間はいつも渋滞しているのですが、今日はスースーと走りますね」と意味ありげに言っていた。バンコクでタクシーに乗ったときも同様であった。

中国には5月に行ったが黄砂どころか澄みきった青空のみであった。国によれば軍隊投入などの物々しい警備状況は「日本のフィクサーME」シリーズで書いている通りである。なお、タイではチェンマイにも行ったが、その約一ヶ月後に、チェンマイでテレサテン{Teresa Teng(Teng Li-chun :Chinese: 鄧麗君 )}が死亡したときには、彼女は私の身代わりになったのかと思うことがあった。

というのは、私もタイ(バンコク)に着いたその夜から体調悪化が起こり、翌日早朝帰国を現地係員に申し出たほどであった。早朝病院に行ったが、各種理由で門前払いをされた。病院まで歩くときにやや体調が改善したため、行ける所までいって、体調悪化が起これば臨時帰国ということでチェンマイまで行ったからである。その後、体調は歩いたり、バスに乗ったりするたびにやや改善したため、チェンマイまで行った覚えがある。途中での1993年大吐血がいつ起こるか不安で、帰る当日を除き、ホテルから一歩も出られなくさせられていた。

私は海外に行くたびに「私は何者か」、ときには「私は何物か」といつも思わされている。

☆☆☆☆☆☆
テレサ・テン(1953年1月29日 – 1995年5月8日、中華圏で使用された名前は鄧麗君〈デン・リージュン〉)は、台湾出身の歌手。1970年代から1990年代にかけて、中華文化圏全域ないし日本、タイ、マレーシアなども含めたアジアにおいて広く人気を博したその業績から、生前から没後も「アジアの歌姫」と呼ばれている。
……
1995年5月8日、静養のためたびたび訪れていたタイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作を起こし、搬送先のチェンマイラーム病院で死去した。苦しみのあまり部屋から出てきたテレサが倒れたところを、ホテルの従業員が発見し連絡。ラーム病院に救急搬送されたが、普段は10分で着くところが道路事情の悪さで30分も要した。応対した医師によると、搬送時には既に心肺停止状態で、心臓マッサージや電気ショックによる蘇生が45分間行われたが、現地時間17時30分(台湾時間同18時30分、日本時間同19時30分)に死亡したという。42歳の若さだった。

Wikipedia「テレサテン」より抜粋。
https://en.wikipedia.org/wiki/Teresa_Teng
☆☆☆☆☆☆

再度書けば、私がタイに行ったときはどこに行っても車はスースーと走っていた。帰国当日のみホテルから出られたため、タイのスラム街の視察に行こうとタクシーを頼んだが、1時間ほど引きずり回され、行けないようにされていた。そのときも車はスースーとバンコクの至る所を走っていた。なお、タクシー代金は一時間走り、日本円では千円未満、多分、五百円前後であった。
東南アジアではタクシー代は安いと聞いていたが、幾ら何でも、これほど安いことはあるまい。不思議な話であった。ちなみに、私が1952年11月生まれのため、日本の学年度で言えば、私はテレサテンと同級生となる。

いや、後に記すが日本でも、人がびっくりするようなことがときどきある。日本が新幹線の販売で数兆円損をした話などは「日本のフィクサーME・パート3 」の第3章で記そう。あるいは、電車がタクシー代わりに来て、人が爆笑した話などもある。これを読めば、駿台CM説・🎬映画説=視聴率稼ぎによる女性仕掛けが明確となろう。

駿台も、ポリテクカレッジ岡山も、いずれ判明する話のため、その責任逃れ工作をしていた疑惑がある。それを駿台真相編06-(3)で記すことになる。

※※※(解説終了)※※※

駿台が誠意ある対応をとらぬときには、世界に向けて不買運動を呼びかけることを検討する必要があろう。

駿台予備学校の海外進出模様は以下の通りである。


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駿台予備校では1992年(平成4年)、シンガポールに初の海外校をオープンしました。これは現地のシンガポール日本人会に所属する同校OBのリクエストに応えた物だったそうです。
続いて中国で1994年(平成6年)に駿台香港校、2003年(平成15年)に駿台上海校をオープン。
2005年(平成17年)にはマレーシア、米国・デトロイト、2007年(平成19年)に中国・浦東、2010年(平成22年)にタイ・バンコク、2013年(平成25年)にインドネシア・ジャカルタ、2014年(平成26年)に台湾・台北、2015年(平成27年)2月には米国のニューヨークとニュージャージーで海外校を徐々に開設していきます。
いずれも現地在住で日本へ帰国予定がある日本人が主な対象。日本の大学合格を目指す生徒たちに、海外での受験勉強をサポートするのが主な目的です。
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2015年(平成27年)2月には米国内に駿台予備校が2校オープンしました。このように日本の大手進学塾・予備校が、海外諸国で校舎を開設する動きが増えています。
教育熱心な海外諸国では現地の予備校がすでにある国も多いなか、なぜ日本の各進学塾・予備校は海外へ進出するのでしょうか。また、日本発の各校は現地でどのような役割を果たしているのでしょうか。どんなことが学べるのでしょうか。これらの点に注目し、具体例を挙げながら、進学塾・予備校の海外展開について概要をまとめました。

スタディピア
https://www.homemate-research.com/useful/22623_cram_023/
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ともかく、偶然ではない形で、正確には契約違反を隠蔽(いんぺい)しながら、超多忙な日々を創設されていく。それも激しい状態であればあるほど、話題性が高くなり、CM効果は高くなるため、攻撃の熾烈度は当然高くなっていく。その上で、何が何でも失敗させるという駿台の方針が明確にでてもいた。

恐らく、私が駿台の教壇に立ったときから、場合によれば駿台の試験を受けたときから、計画のほぼ全貌(ぜんぼう)がきまっていたと想像される。1987年末に大事件があり、88年初頭に辞めることも決まっていたと推測している。


次の駿台真相編06-(3)では、駿台とベネッセ、ポリテクカレッジ岡山等々の相関関係と、駿台及び各学校の責任逃れとも思われる各学校間の連携工作を事実に即して記すことにする。

私は駿台には下記(『求め続けて』)の如く、生き甲斐であった授業(プレゼンテーション・Presentation)を求めて行ったのであり、その契約を当時の関西地区最高責任者・矢田祐三部長と交わしている。

最後の面接のときに、「私は授業だけが生き甲斐であり、授業だけに専念したい」とはっきりと申し出ると、矢田部長は「それでよろしい。駿台の方もそれを望んでいるし、その体勢を整えています」と回答した。ここで契約が成立している

ところが、更に実証していくが、学校CM目的でのドタバタ劇(別の言い方をすれば女性に恋愛詐欺を故意にさせての被害連続)への強制参加を強いられている。

商品を盗めば泥棒であり、この世では刑罰を受ける必要がある。私の無断活用は私の労働力商品を盗んだことに該当し、大変な犯罪である。資本主義社会では特に重い犯罪となる。私は労働力商品を売り、その金で生活などの必要物を購入しているため、これ(契約外労働・ドタバタ劇等への無料労働強制・奴隷労働)を続けられれば必然的に老後破綻の道となる。大変な犯罪となる。

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安らぎ文庫・2019/5/2 正式公開

『求め続けて』第1章・補章-2:授業を求めて(1995年作成・2017等微修正)
http://h-takamasa.com/Blog/?p=11573

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2024年11月19日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA