(💁正式公開)駿台真相編―具体的展開解説05-4㊦・京都校二号館女性㊦

(💁正式公開)🆕駿台真相編―具体的展開解説05-4㊦・京都校二号館女性㊦

 

【更新履歴】2024/09/16から下書き開始。2024/09/16も。2024/09/17 8:03下書き。2024/09/17 8:45 から清書作業をゆっくりと開始。

2024/09/17 13:28 正式公開。13:35 レイアウト修正。2024/09/18 3:02微修正


【駿台事件全体構想】
駿台事件真相編―1・催眠
駿台事件真相編―2・ゼノンの詭弁と駿台事件の手口・女性編
駿台事件真相編―3・企業と私―駿台大CM編
駿台事件真相編―4・駿台CM作戦と映画女性活用編
駿台事件真相編―5・駿台CM作戦―女性刺客四人組活用編(その1・黒幕編、その2具体的展開、その3と4展開解説付き。その5・その6・その⑦=世界からの情報)
駿台事件真相編―6・駿台CM作戦―超多忙時代のあえぎ(岡山予備校。能開大との因果)
駿台事件真相編―7・駿台CM作戦―業務妨害から刑事犯罪被害へ
駿台事件真相編―8・駿台CMと🎬協同で☠映画説グループを絡め作戦と能開大・村への移行


【注意箇所】個人情報を掲載理由(毎回掲載)
下記理由(この事件に絡んで何人かが死亡…や私自身も命を落とす危険が何度もあったことなど)で、実名での公開を原則とする。
下記はZ家(浜田稔・正典)家であるが、どうも、我が家(浜田耕治・隆政)との家間違いが駿台事件の原因の一つのようであるため、駿台事件も実名とする。同時に、駿台講師時代も拉致未遂被害や学内外での業務妨害や刑事犯罪被害に遭(あ)ったため尚更である。

※疑惑も含めれば死亡者は10名以上、MEの世界を含めれば20名以上かもしれない。ただし、私は完全に無関係である。


個人情報公開理由(📢浜田稔・正典家の登記簿上の住所648-5の場所には2024年5月頃から浜田正典氏以外の人がお住まいなので注意ください。)

 

各種個人情報が出てくるが、
(A)我が家の住所(戸籍=現住所=登記簿:祖先は1600年代後半から系図あり:本家)を使用され、各種被害(2017年のみでも2万円損失させられたことをはじめとして多数)、その他の膨大な被害(灯油のみでも無断で5回いれられかけ、実際に2度いれられた)があること、
更に、
(B)我が家住所番地無断使用者・浜田正典氏(司法書士)に是正を求めても改善されず、
(C)該当者自身の職業が司法書士という法の専門家であること、
(D)上記の行為により、生活に支障を何度もきたしたこと(例:死亡は嘘の疑いが高いが、浜田正典氏が死亡した際には葬儀屋が我が家へ来て私が対応、霊柩車も最初我が家へきたようであるなど)…その他膨大な被害があること、
(E)私が意味不明の40年近い被害を受けている原因が家間違いの疑惑があること、
(F)多くの情報網を持っている世界の我が友=世界の指導者が10人以上、暗に原因は家間違いであることを示唆したこと
(G)深い事情を知っていると思われた、亡き友人(司法試験にも合格したと言っていた)が「トラブル被害の原因は人間違い」を明言したこと、
(H)岡山県美作市役場などに相談しても適切な対応はとられなかったこと、
等等から、個人情報であっても、私の生命を含む人権を守るための、超法規的措置もかねて公開に踏み切った。個人情報を含む人権は濫用してはならない。公共の福祉との整合性より公開可能と判断

 超法規的措置と言っても、浜田正典氏は司法書士事務所の関係で使用住所の一つ位田648-5は各種ホームページで公開されていること、…で、彼ら(司法書士)の住所はCM扱いとなっているため、(私への人権蹂躙を阻止するという)正当な理由抜きでも、今回の情報公開は合法とも考えている。

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上記は下記を一部修正して抜粋
私の人権編:⚔⑧―40年の人権侵害全貌解明:8月16日編(8月24掲載)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=40006
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表紙の写真は問題の🔐を握っている姫路

【駿台真相編-05-3と4の構成】
(序)
(1)駿台講師への道
(2)私の生き甲斐と駿台CMの矛盾―契約詐欺
(3)私の女性像と西山🙅NO決定
(4)西山好きな振り詐欺第一弾と催眠女性熱動員の暴挙(人権侵害)
(5)人生の終わり―西山への手紙催眠強制
(6)駿台ドタバタ劇強制・契約外労働と🛵おじょう
以上まで。駿台真相編05-3予定:長くなったので上記(3)迄を05-3A(㊤)と(4)~(6)05-3B(㊦)と二分割する。

以下(駿台真相編05-4予定)

(7)横家・後藤本格登場→駿台真相編05-4㊤

以上が今回の㊤、(8)は今回の㊥で記す。
(8)西山好きな振り詐欺第三段とドタバタ劇強制参加(労働)・契約外労働→駿台真相編05-4㊥

(9)~(11)は次回の㊦で記す。→駿台真相編05-4㊦

(9)横家の使命と催眠悪用言動―2号館ドタバタ劇
(10)西山別人と入れ替わり疑惑と恐怖(パワハラ類似)
(11)駿台経営陣の1983年講師室係組🚺四人組限定政策



【表紙の写真】(クリック一度で拡大、二度で巨大)

1995年フィルム式カメラで撮影:駿台事件の鍵を握る姫路(姫路城前の堀で撮影):95-093-07A-f-1tif

(9)横家(2号館講師室係)の使命と催眠悪用言動―2号館ドタバタ劇


年表35: 上記のゲームに巻き込まれ、二号館有志による食事会を流すという約束違反をする。後悔=無責任。私が全部金を出すと言っていた以上約束違反であった(★脚注2)

年表36: 岡田課長が、「西山さんも本当は浜田先生に気があるのでは」と冗談とも本気ともつかぬ言動をするくらいに西山の行動は通常の理性では判断不可能であった。

年表37: 横家・後藤のどちらと見合いかを多数に相談。🎎お嬢(カマタさん)、斉藤(早大院同期)、マリーサ(フィリピンの友人)、後に親友・恵美(関学時代の親友・彼には横家にまってほしいを言わされた後の夏会談の可能性もある)→全員が後藤さんと返答

こうして、岡田課長(駿台京都校2号館課長)にどちらと見合いの斡旋(あっせん)をしてもらうか迷っていた。
友人類にも聞いた。
早大の友人(サイトウ)は「後藤さんにしておけ…」と。
お嬢🎎(カマタ)も「後藤さんの方がよい…」と。
愛媛県にいる(関学大の)親友(エミ)は「浜田の話を聞いている範囲では、後藤さんの方がよい…」
フィリピンの友人女性マリーサは「話を聞いている範囲ではこちら」と言って後藤さんを指さした。
私自身はまだ白紙であったが、これが筒抜けであったのであろうか、真逆のことが起こる。これも催眠のなせる業である。

※※※※※

(2024/09/17 9:03追記)この頃、駿台京都校界隈にあった、居酒屋でも相談をしたことがある。なお、そこでの言動は、「催眠」に支配された言動も相当ある。第一、催眠がなければ西山に💌(手紙)を出すことは絶対になかった。その店で働いていた女性は、後に、福岡県に引っ越したと挨拶状がきた。ちなみに、2000年以降に、当時の店を探したが、方向音痴のせいか見つからなかった。

 🎃(オジョウ)は「駿台の辺りの店、全部なかったでしょう」と先に明言した謎もある。先の女性の住所は年賀状類に保存している。有利になろうと・不利になろうと、隠すことはない。

 ただし、プライバシーが絡む問題は国会とか裁判所での真偽、若しくは質問者にも責任をもってもらうため、立会人・新免氏経由で質問をしてほしいと各種交渉文には明記をしている。常識である。

※※※※※

何故、両者への対応が白紙かと言えば、横家・後藤さんの性格も生き方も全く知らないからである。もっとも、横家は高校時代の部落研究部後輩・船田さんとの(催眠)刷り込み現象があり、性格などは船田さんの性格を想像していた。だが、別人であれば、当然、後藤さん同様に生き方・性格…何も全く分からない。


年表38: 1985年夏前【🥴催眠】横家に「待っていてほしい」と意味不明言動をさせられる。

1985年夏前に駿台の教師だけのパーティがあった。
私はこのときに横家さんが来ていることは知らなかった。
勿論あっても何も言う予定はなかった。
このパーティに行くと横家さんが受付をしていた。
トイレに行くと横家さんだけがいた。通常は受付女性は二名である。
またこの種のパーティ受付に駿台講師室係女性がくるのであろうか。
過去、横家、西山、タケウチ、後藤、コンドウ、「カミ」…などを見たことがない。
また、受付は大抵二人である。

結論から書こう。
横家を見ると、突如「待っていてほしい」と催眠で言わされたのである。
青天の霹靂であった。
言わされたものの意味は全く分からなかった。
何を待っていてほしいという意味であろうか。
後に実家に戻ったときに、そのことは忘却していた。
当然、次回、横家さんに会うときに何を言うかなどの準備は全くしていなかった。
未だに、目的語は不明である。
「何を待っていてほしい」のだろうか。
目的語は何だろうか。
この種の予期せぬ言動を過去に催眠で何度かさせられていた。

関学時代に、お花さんなる女性の件を書いた。
少し、彼女に熱をあげた時があった。
もっとも、私は常時催眠で揺り動かされており、それが私の意思かどうかは不明である。
愛情やその種の感情抜きで、生き方、性格…で理論上、この女性ならば良いと分析された女性が一番良いと思っている。
愛情は後でつくればよい。

お花さんの件は下記「駿台真相編05-4㊥」の抜粋を参照。

ここの一言は明白に催眠である。加害者はまず長姉である。

もっとひどい例は絶対に言わないことを催眠で言わされ、当時催眠の存在を知らずに、その後始末で、新左翼の集会に一人で乗り込んだことがある。いずれ記そう。当時は今と異なり、党派中立・宗派中立ではなく、新左翼の諸君は私を民青関学のボスと考えていたときである。正に高倉健の世界であった。
このときも明白に催眠での思いもせぬ一言言動である。

※※※※※

駿台真相編―具体的展開解説05-4㊥・京都校二号館女性㊥

https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=46027

 この種の突拍子もない発言の代表例は、大学のときのお花さんを誘ったときに、友人も同伴と言わされたこと(長姉がゲラゲラ横でわらっていた)(※2参照)、友人の件で新左翼学生の集会に一人で乗り込まざるをえなくなった件、1997年美作市巨勢下倉敷(制限速度が30㎞か40㎞)の交通事故で事故現場を尾原(制限速度が50㎞か)と催眠刷り込みで思わされ、30㎞程度しか出ていなかったスピードを48㎞と勝英警察署内で言わされた件などがある。

※厳密にはスピードメーターを見ていないが、直前に車を止めて、うしろの車に全て抜かせ、徐行=15㎞を目標としていたが、センターラインオーバーのトラックを見てアクセルを少し踏まされ、交通事故となった事件である。後で関連リンクを添付予定(※3)。

ともかく、私もびっくりした。

(※2)2024/09/13 12:02追記:過去に思いもせぬ言動を催眠で言わされた一例

👩回想№6:お花(🌷)
1973年か?🌷
№6:🌷お花さん(花岡):日本のフィクサーMEで登場。同級生も一浪のため1つ上。
彼女が酔って意識なし…勿論何もなし…も別れ際に突如意識回復。又デートを申し込み成功したが、長姉の家から☎〈電話をして〉で☎〈電話会話の最後に〉時催眠言動で後に潰れる。姉が笑いを我慢できずクスクス笑っていた。この☎〈電話〉で潰れた。
今回初公開も彼の旦那さんが竹中●●氏(超有名な元大臣)と同一高校同級生のはず。

女性回想リンク集(全体ほぼ終了)

http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?item=43794

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意味不明の1985年まっていてほしい(催眠言動事件)解説。工作と催眠に関するBlogを以下掲載する。

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気が向けば一言【徒然・私事】№139:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違いと言う(5)。
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1122/
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………

こうして15時25分記述開始。
就寝中の質問事項は二点あった。
α)1985年5~6月のS〈駿台〉予備校講師室係C〈西山美千代〉に関して「話合い」問題。
β)1985年夏のS〈駿台〉予備校講師室係E〈後藤幸子〉さん事件?である。


結論から書こう。
現時点では明白に言える。両事件とも、私にはちんぷんかんぷんに等しく、催眠型行動である。以下、可能な範囲でそれを実証しよう。

βから書こう。
これは1985年夏頃の講師用パーティで、講師室係E〈横家幸子〉さんに、「待っていてほしい」か何かを言って握手をした話である。指一本女性にふれていないの例外がこの握手である。

不可思議な項目だけ箇条書する。

①この日、私はE〈横家〉氏がS〈駿台〉予備校講師パーティに来ているとは全く知らなかった。よって、こうしたことを言う予定も何もなかった。講師パーティには先に書いたように職員幹部(男性)しか通常は来ない。この日は受付としてきていたようである。

②受付はトイレ問題もあり、通常は複数のはずであるが一人であった。

③「待っていてほしい」類を言わされたが、「何を待っていてほしい」という意味なのか全く、言った私自身が今も、当時も分からない。

④実際に、何もE〈横家〉さん向けに動く予定はなかった。当然、次回会うときの準備もしていない。そこで先の言動は言った私自身が意味不明である。これは当時もそう思い、後の記録でも随所に記載している。

⑤言った場所はパーティ会場入り口であり、中には多数の講師がいた。ドアがあいていれば見える箇所での握手である。

⑥この頃はまだ、D〈後藤〉さん、E〈横家〉さん、どちらの性格も何も分からず、見合い該当を計画するとしても、どちらとしたら良いか不明であった。よって、動くはずは百パーセントない。(ちなみに、現在でも、全く性格は分からない。会話量から言っても当たり前である。)

⑦訳のわからぬ「まっていてほしい」を言わされた後、予定もないのに「こんなことを言ってどうするの」と戸惑った。当時は催眠なる状況を知らなかったが、何を待って貰(もら)うのかは言った私自身が全く分からず、呆気(あっけ)にとられていた。

以上。

{2020/01/05 1:41 はっきりと事実を記す。まだ、D〈後藤〉さん・E〈横家〉さん、どんな人か全くに近く分からず、何も決めていない。同時に、催眠でも熱上げがかかっていなかった。そして、この日のパーティにE〈横家〉さんが来ているとは思っていなかった。よって、言わされた言動は百パーセント催眠による言動である。}

もし、これが契機でE〈横家〉さんと話が進行しそうになれば、それ以降はどうなったかシミュレーションしてみよう。
まず、一度、外で会って話をしたいとなったであろう。
彼女には彼氏がいたそうであり、即座に、断られたであろう。この件のすぐ後で婚約発表である。
だが、彼氏がいなかったとしよう。
その場合には下記を参考にすれば分かるように、S〈駿台〉予備校を30歳程度で辞めて家庭に入る女性ならば、断られたであろう。実際に見合いでは不安定な職業ということで、決まりかけたと思った話が壊れている。
これは既に書いた箇所を読めば分かろう。
要するに、会えば見合いでいう一回目で断られたとしか分析できない


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気が向けば一言【仕事】№121・日本のフィクサーME・パート2付録編⑩・「奇異な人生と謀略の仕掛け人・仕事編」

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1054/

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ところで、こうした初見合いに該当する会談の申込みを直(じか)にE〈横家〉さんにできるか。当時は、一号館事件の件でE〈横家〉さんとは少し話をしていたので、可能にも思えるが、ここは下記の理由でE〈横家〉さんの上司O〈岡田〉課長経由での打診となっていたと思う。

理由は、一つは二号館は一号館ほどガラス張りではないとはいえ、会話は隣接する職員室に筒抜けである。
二つ目は監視カメラがある可能性も高い。
三つ目はD〈後藤〉さんとE〈横家〉さんとの対人関係上、E〈横家〉さんに直接の声かけはすべきではない。私とD〈後藤〉さん、E〈横家〉さん三人で…仲良くという問題があった。
四つ目が致命的である。
E〈横家〉さんの上司O課長とは、私は親しくしていた。そして〈岡田〉課長が、1985年の夏前頃に私に言ったことがある。

浜田先生、二号館の女性に関心があるときには、僕を通していってください」、と。同時に以下のことも言われたと思う。
「先生以外でも、そうした打診はあるのです。僕を通された方がよろしいですよ」であった。
そして、流れたが前回記述の如(ごと)く夏頃に、私とO〈岡田〉課長、D〈後藤〉さん、E〈横家〉さん、E〈横家〉さんの友達の既婚女性、+?人で食事計画まであった関係もある。
五つ目は一号館での揉(も)め方上、直(じか)にの打診は困難であり、先の有り難い言葉があればO〈岡田〉課長経由で打診となっていたであろう。

では、何故(なぜ)しなかったか。
私はS〈駿台〉予備校の女性と事実上の見合いをするときにD〈後藤〉さんがよいのか、E〈横家〉さんがよいのか全く分からず、動く気があの時点では全くなかったからである。(その後は、何もなければ上記の合同食事…であろうが、結論は下記の如く出ていたであろう)。
逆に言えば、会う気があれば、O〈岡田〉課長に相談していた。結構仲良くしていたこともある。
一号館の課長は独身であり、さらに、接待にはつれていってもらったが、そうしたことを頼める関係にはなかった。

《まだ見合い相手としてD〈後藤〉さんかE〈横家〉さんか決めていなかったが、仮にE〈横家〉さんとの見合いの件を》O〈岡田〉課長に相談した場合にどうなったか。{《 》内のみ2019/05/04 12:12追記}
一応、かなり正確なシミュレーションをしておこう。
98%の確率で、一回目の見合いの前に、O〈岡田〉課長経由で断られていた。一対一で会うことすらなかったであろう。根拠は明白である。この年の8月頃に(この件の一ヶ月後頃に)、E〈横家〉さんは長くつきあっていた男性と婚約をしたと聞いたからである。

だが、万一、彼女が迷っていて私と会談したならば。この頃は、相当揉(も)めていたのでO〈岡田〉課長同伴であったのではないかと思う。その場合には先の「不安定な職業」の状態ということで、通常ならば断られるであろう。
例外は、生涯仕事をし続ける予定の女性のみである。霞(かすみ)を食っては生きていけないという原則がある。
ただし、清貧を理想とし、共にバイトをしながらでも生きていこうということもあろうが、そういう女性はS〈駿台〉予備校職員にはいないであろう。

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話を元に戻して、その後駿台にいくと、男性諸君から次のことを聞いた。
横家さんは婚約をされました、と。
それはお目出度いことであるが、それでは総合的な流れからいって、横家さんが、私が催眠で待っていてほしいというのを事前に知っていたとなる。
これが事実ならば、残念ではあるが、彼女は催眠という傷害罪への共犯者となる。


もし、催眠が分かっていれば、催眠で1985年夏前に「まっていてほしい」と突如言わされたが、催眠なるものの存在を当時知っていたならば、横家なる🚺女性に、正直にその趣旨(あれは催眠言動であること)を相手に伝えて、謝罪したであろう。今ならば下記を先に見せていたかもしれない。

一太郎 – [自己意思反し

何をまっててほしいのか意味不明だからである。生き方も性格も一切不明のみか、法型・契約型で言えば次の問題もある。(もしくは次のようになっていた。先手をうっての婚約発表である。)

主観を除いて、今(2024/09/17)法律型若しくは契約遵守型で筋論上の整理すれば、「待っていてほしい」とは「岡田課長経由で見合いの打診をするのを舞っててほしい」となり、万一、そのようにしていれば、岡田課長経由で断られていた。冗談で婚約などできるものではない。それぬきで駿台で専任か、他の学校で専任になっていなければ通常は駿台の女性職員相手では難しいであろう。私は非正規。

ポリテクカレッジ岡山専任契約はあったが、詐欺であった。駿台真相編06で述べるように詐欺であることを山﨑駿台理事長は知っていた可能性が高いか、彼が仕掛けた罠を疑っている。西山、横家の件も同様である。(ちなみに、催眠があるのに過去のデートがあったとは、見合いを除けば、ほぼ全部受け身のため、可能であった。)

ともかく、事実は、当時は、何の行動準備もしておらず、何の行動予定もなく、意味不明状態となっていた。

その前に、女性🚺Nazoが示している如く、最初から罠にかける計画があったと分析される。

第一に、横家がもし私に好感をもっていても、横家と会話する前に、西山に手紙を手渡し、ことわられたこと以外には何もないのだから、通常は余り気にしない。

 既に述べたように、西山好きな振り詐欺第三段に、万一ひっかかっていてすら、本当に私に関心があれば、横家とは異性として付き合っておらず、デートもしていない段階のため、通常は余り気にしないか、私を無視する程度である。

 横家は彼女では一切なく、見合いを打診する候補の一人でしかなかった(それも、「横家が私に本当に関心があるならば」見合い候補の一人であり、そうでないならば、私の方で何等かの努力をする気は一切なかった

 横家の側は下記から判断して、使命・工作どおりに動いただけである。通常は横家と西山の示し合わせての謀略と分析される

第二に、横家が婚約する直前に斯様(かよう)な真似はしない。

第三に催眠を悪用して、私に突如「待っててほしい」と言わせ、それに横家が協力することはない。

第四に、もしこうした計画がないならば、🛵おじょう(タナカさん)は自分から潰れるような工作はしない。

第五に、西山好きな振り詐欺と横家の件の直前に🚺Nazoが種明かしをしている

第六に、2016年以降、世界からか誰からか不明であるが、西山美千代、横家注意の各種シグナルがでている。

要するに、西山好きな振り詐欺第三段と似たことを、横家の協力のもとで、横家にも催眠悪用でやられたということである。即ち西山=横家である。ただし、その工作にひっかかったとしても、余り大した問題に通常はならない。西山とも横家とも肉体関係どころかデートも一度もしたこともない段階ではせいぜい笑い話程度であり、大阪校での刑事犯罪被害や、ましてや駿台辞職や、更には40年も尾を引く話ではない。

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新ひと言2019/5/8公開:駿台:二つのドタバタ劇:1985年
№140:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違いと言う(6)

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1126/

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◇―1・1985年の二つのドタバタ劇の記述は必要性がないことの証明》


昨日(2019/05/05)起床時、消したはずの二階階段廊下の電気が点灯。だが、一日無事に過ごし、最後に、日程表記述しようとするや零時頃から翌朝午前四時にかけて駿台の件で独り言開始。明白に催眠類。
だが、下記αとβから、本来記述は必要ない。確定申告で言えば、必要経費などを引き、納税学ゼロ円が決定した後で、医療費領収書、保険掛金などの書類を提出し、すべて丁寧(ていねい)に見てくれと言うが如(ごと)しである。意味がない。提出する必要もない。


《αの理由》
私はS〈駿台〉予備学校の女性に対して、ストーカー行為・セクハラ行為・強姦などの犯罪・パワハラ行為・結婚詐欺などは一切していない。これが全てである。それ以上は必要ないが、参考までに記せば、どの女性にも指一本触れていない、予備校外で会ったことはない、学内でも人前でしか会話をしていない、会話時間は六年合計で一人当たり10分程度である。(ただし、学内での仕事への協力要請約10分と婚約が決まった女性への電話時間を除く。)


《βの理由》
物事の本質は、女性と揉(も)めてS〈駿台〉予備校辞職ではない。どう分析しても、私が辞めざるをえないようにするために女性人(陣)登場、若しくは女性人に何かを依頼したとしか分析できない。それらは、『閉じた窓にも日は昇る―付録編』(出版待ちの本)に記述している。次回、一部紹介予定。

これは、結論が先にあり、その結論に何が何でも合わすという形で、物事を進行させられている。謀略を練り、謀略にかからねば、別の謀略を。それでもかからねば、後に述べる催眠まで動員。だが、アクシデントで催眠ミスがあったならば、無理矢理解釈でこじつけを行い、物語を進行する。こうした手口が随所に見られた。

《γの理由》
上記に記した、催眠(私の外的リモートコントロール)で動かされたとしか、思えない事項が相次いだ。上記の全責任は、私ではなく、催眠類をかけた人間にある。私は被害者でしかない。

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また、次の如く以下三つは方程式の如く同一構造となっていたことが全てを語っている。🚺Nazoの奇怪な行動=西山好きな振り詐欺第三段=催眠での横家へ「待っていてほしい」言動である。

1985年4月頃、会話ゼロの女性🚺Nazo→私が授業に遅れそうなので、1号館から2号館に走って行っていると、(それを計算して)2号館から1号館に歩いていたNazoが突如、360度回転して、走って逃げる。その後、怯えまくる。私が追いかけたと錯覚をされる。

1985年5月ころ西山好きな振り詐欺3段=気が散るので「普通に…」会談をタケウチに申し込む。女性三人(西山、タケウチ、カミ)がはしゃいで大喜びをする。私が、西山にアタックしたと思わせる。

1985年6月か7月初頭

催眠で横家に「待っててほしい」と言わされる→意味不明で何の準備もしておらず→次に学校に行くと横家が婚約発表がある。男性職員が気の毒そうに私を見ている。同時に、思い出せば、当時、催眠で何等かの感傷的雰囲気か、卑怯な罠芝居への怒りを誰も見ていない場所(多分、電車の中か)で短時間(約10分程度)とはいえ、起こさせられる。映画説ならば、こうして、汚い芝居がつくられていった。

上記三つは同じ構造となっている。馬鹿馬鹿しい話と言いたいが、所が、それが業務妨害・刑事犯罪被害に繋がっていく。それも40年以上続く被害である。

2018年7月(第二次安倍政権)、一連の首謀者と思わされる如く、🚓パトカーの警察官が「まつもと」を強調した後で松本サリン事件の麻原彰晃(あさはら しょうこう、1955年〈昭和30年〉3月2日 – 2018年〈平成30年〉7月6日:本名・松本 智津夫)が処刑される。正にオウム真理教か何かにとりつかれた如く被害が続くことになる。

違いは、随所で山﨑(当時の理事長・山﨑春之氏)が強調されたことである。

もう一つは「ひとまちがい」だけを強調しておけと世界がアドバイスしてきたことである。


年表39: 1985年夏:横家さん婚約発表。

【🥴催眠】でショック的(正確には驚く的)な感じを10分前後もたらされた可能性があるが、催眠熱もまだなく、完璧な催眠による反応・強制演技にすぎない。

第一、性格も何もしらず。更に、後藤か横家とどちらと見合い打診かも決めていない段階であった。もし相手が私に関心があるのが嘘ならば、私の方で何とかしようとする努力は一切する気はなかったことはいつ考えても事実である。性格も生き方も知らない上に、容姿も特に私好みではない。

年表40: 1985年夏決定。これをもち、見合いも含めて駿台女性は全部切る。ただし、見合いは🛵おじょう(タナカさん)と正式に破綻通告していないため不可能であった。🎎お嬢(カマタ)のアドバイスは自然消滅をまてであった。


(10)西山別人と入れ替わり疑惑と恐怖(パワハラ類似)


年表41: 1985年秋から、西山美千代が別人になった如く粗く(荒く)なる。私は別人に入れ替わったと思ったくらいであり、95年には別人となったと明確に記載をしている。良妻賢母型からヤクザの姉御型に変化していた。

 この頃は恐怖を感ずるときすらあった。最後にはヘアスタイルを姪(長姉の娘)の幼い頃と同じにした記憶があるが定かではない。なるべく顔を見ない・視線を合わさない努力をしていたからである。偶然、視線があうと髪をかきむしって怒る真似をしていた。また、かんざしを強調したときもあったような記憶もある。

なお、別人との入れ替わり事件は、駿台辞職直後に、松江の友人の結婚式に参加したならば、彼の叔父が別人と入れ替わっていたことがあった。ちなみに、彼の叔父は税理士であり、我が家の住所番地を70年使用し続けていたZ家の三男(Z3)は司法書士であった。{弁護士🆚(対)公認会計士、税理士🆚(対)司法書士}。
この友人が一連の危害の原因は「人間違いにある」と明言した友人であるそのときに、彼は糖尿病を強調していた。Z3の父も糖尿病であった。この友人は、2019年に私がカード詐欺に遭った日に死亡した。その頃、私がよく行っていた岡山県赤磐市でカード詐欺(西山ファーム事件 西山美千代社長)が世を賑わせていた。

また、1987年の教え子(👧回想№ 23)の女性も後に入れ替わったとしか思えない。
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駿台大阪校2年目(1987年)に岡山の予備校卒業生(当時20才くらい)の【№23】👩NHと付き合う。このままゴール(結婚)までと思うも、突如彼女が機嫌が斜めかつ🤡を事実上〈私を〉遮断してきた。

誰かがデマを彼女に飛ばした疑惑…があり、干渉者に怒り狂う。真偽をつきとめたり、№23が岡山に戻ったりすれば確認しようと思うも、就寝中に後にでてきたのは№23の偽者と諭(さと)される。

そういえば顔が違ったか。更に、彼女は岡山の生徒にも拘(かか)わらず、駿台講師前田先生(政経担当)の名を何度もだし〈て〉いた不思議さあり、本物か偽物か分からなくなり断念。
👧回想リンク集→http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?item=43794
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(関連)
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一言Blog:2020年10月4日公開
【駿台】№207 女性問題でっちあげ被害の謎と、引き続くトラブルの謎、更に人間違い被害疑惑(4)・駿台女性の謎と人間違い説。
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1386/

この中の「《◇―4・医学部志望女学生の謎》」参照。
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私は一貫して別人と入れ替わったと解釈している。

もはや駿台校舎一号館では女性職員の顔は可能な限り見ないことにした。
下を向いていて、疲れて顔を見上げたときに、偶然西山の顔が飛び込んだ。怒りくるって、髪をかきまわしている仕草をした
私は一瞬恐怖を感じた。
まるで、ヤクザの姉御ではないか、と。

確か、1995年頃覚書に書いた記憶があるが、前半の西山と後半の西山は違う人物ではないか、と。
人を入れ替えたのではないか、と。
前半の西山は良妻賢母型を臭わせ、弱々しい感じがしていた。容姿はさほど美形ではなかった。少なくとも私の好みではなかった。
後半の西山はヤクザの姉御を連想するように攻撃型となっていた。容姿は突如美形に代わっていたように思えたが、物騒で顔をまともにみていないので詳細は不明である
とにかく、下を向いて顔を見ない努力をしていたことを覚えている。(モニターがあるのが事実ならば、その姿が写っていよう。)

西山も人物が入れ替わったのが事実ならば、1984年初頭からこの時まで、これは完璧な業務妨害・契約外労働・強制労働の明白な証拠でしかない。
同時に、何故か、長姉の娘、即ち私の姪の幼い頃の髪型に変えていた謎もある。
姪が、何の関係が?

これが駿台事件前半の流れである。後半は大阪校に移動してハ調を変えて危険なリズム(刑事犯罪被害)となる。


年表42: 1986年春に、深見係長からの大阪校異動の電話。その受話器をおくや、【🥴催眠】は西山熱は全て解除された。なお、🥴催眠での熱は西山のみであり、後藤・横家は見合い相手にどうかというレベルの催眠であった。熱まではかけられていなかった。
1986年を持ち、駿台催眠熱は解除された。ここで、四人組の使命は終了した。

 



(11)駿台経営陣の1983年講師室係組🚺四人組限定政策



駿台内では駿台四人組以外の女性は拘(かか)わらせないという方針があったと、2023年度から催眠解説があるが、真相は不明である。ただし、結果とすればそうなっている。
更に言えば、駿台🚺四人組の中でも横家と後藤だけが登場できるように徹底した仕組みがなされていた。
理由はそれを目的で雇ったのだから。同時に既に組まれていたシナリオが狂うためだからであろう。ただし、どうして西山・横家に限定したのかは、私には分からない。私の好みではなく、私が決めたのではない。更に生き方も性格も全く今なお知らないのだから


ともかく、催眠解説では駿台及び映画説のハプニング恋愛対策を徹底してとったとのことである。実際に、1983年入社組の女性以外は少しでもハプニング恋愛の危険があれば、自主退職か配置換えが必ず起こっていた。

①1982年駿台講師室係で唯一、関心を持つ危険のあった🚺A(名前は知らない女性)は1982年度入社して、同年度で退職をした。京都校1号館の吉田課長にいわせれば、「お茶くみなどはできません(若しくは、お茶くみなどをするために駿台に来たのではありません)」ということであった。
なお、吉田課長が彼女は「同志社大学文学部卒」とか、更には、私が聞きもしないのに彼女には彼氏がいたと私に言った謎もある。もっとも🚺Aはサクラか、それとも西山熱の前座作業としての催眠的関心だったかもしれない。

②京都校1号館講師室係🚺女性で1982年度以降相対的に一番口をきいたことのある女性は1983年4月か1984年4月に結婚して配置換えされた。クサカさんだと思う。口をきいたといっても、全て人前であり、同時に大した分量ではない。

担任をもっていたウエノさんとは彼女の担任していた生徒の件で数度口をきいた。
講師室係以外の女性で唯一口をきいた女性職員かもしれない。すると、1985年春(1984年度の終わり)に結婚すると言って駿台を辞職した。結婚祝いを二号館で渡した覚えがある。こうして、万一、道がそれそうな危険のある女性は全て排除された。

④既に書いたように、1984年入社してきた、容姿のみならば好みと思わされた女性(Nazo)は1985年4月か5月には逃げる振りをして、絶対に近づかせないというあからさまな手口をしていた。西山の怯えと瓜二つの演技をこの女性がしていたが、何故、西山の怯え方を知っていたのであろうか。駿台経営陣が絡んでいたとしか思えない。勿論、この女性とは終始口をきいたことも近づいたこともない。
挨拶(「おはようございます」「こんにちは」)も二年間でも二、三度程度であり、それらは例外とする。二、三度とは、そのくらい、職場で、偶然でも見たことがないということである。

コンドウさん(1984年度1号館講師室係、1985年度2号館講師室係)。
1985年度に、1号館から2号館駿台講師室係に異動してきた近藤さんが、二号館講師室で、一度だけ冗談該当のことをしたため、私も笑った。すると、すぐ側にいた化学の北山一先生が「おまえらできてるのか」と冗談をいった。その年度の終わりに結婚して北海道に行くと言って辞めた。
近藤さんとは駿台時代合計で(彼女の在職年数2年間で)5分程度しか口は聞いたことはない。それでも、翌年には近藤さんは(確か医師と)結婚して北海道に行くという名目で駿台を辞職した。
以前記した、👩女性回想№11女性(関学の同級生・🌝KG)と同じパターンであった。真偽不明であるが、彼女も結婚して北海道に行ったという噂をきいたこともある。それも相手は医師だったような記憶もあるが、ここは定かではない。
今(2024/09/17)、考えると1983年度入社駿台京都校講師室係🚺女性四人組以外は拘(かか)わらせないことを強調するためであったように思われる。

⑥🚺生徒=マキサカ(👩女性回想・【№19】👩MK)

など。
一度、私が常宿としていたニュー京都ホテル(駿台京都湖1号館の真横にあったホテル)一階にある軽食堂で、彼女と軽食を食べていたならば、表三郎氏(英語担当)の顔が飛び込んできた。駿台でのハプニング恋愛をおそれていたのかもしれないし、何らかの監視役だったのかもしれない。

マキサカは(今考えれば)結婚対象とすれば問題ないように思えるが、当時は、私とは年が違うと考えていたため、私を教師として私に寄ってきているならば、それを尊重しようと考えたので🚺(女性)としてみるのは相手に迷惑と考えていた。手紙は数年に亘り送ってきてくれており、今でも懐かしく思っている。後に、考えれば、駿台講師室係女性とは3歳程度しか違っていなかった。それと私の早とちりである。早とちりについては下記参照。

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安らぎBlog:2021/08/21公開

教育・女性をめぐる各種デマへの反論―4⑥・駿台、更に謎の差別文書の謎―⑥(=その6・駿台と相似形が岡山で等)

http://h-takamasa.com/Blog/?p=26538

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上記の中の【(B)駿台京都校時代の🚺女性の思い出】参照。

彼女も酔って意識のない振り(別れ際には正気であったため…)をしてくれたのであるが、下記の通りであった。私は嘘は言わない。単細胞人間MEである。「彼女も」とは三人以上こうしたケースがあったからである。こちらの方が映画「男はつらいよ」である。よく考えれば、IK先生(石川正明先生)は既婚者でもあった。

駿台講師室係四人組の方は、これは犯罪映画の方でしかない。思い出すのも、催眠緩和がなければ気分が悪い。

1996年頃に、駿台に復職願いを出す前後だった気がするが、ホテル関西の近くで、(駿台か誰かが仕組んだのかもしれないが)西山美千代らしき人物がでてきたときに(本人と思わされたので)、「もう、私の目の前にでてきてほしくない」と明言したが、人間違いを恐れて大声をだせないので聞こえなかったのかもしれない。この頃に大阪駅前で岡田課長らしき人物を見てもいた。

☆☆☆今回教師名を記すIM=石川正明先生☆☆☆

「……しかし、当時は随分年が違うと年を気にしていた。
すると、彼女が察知したのか、次のことを言った。
「私も年は気にするかもしれない。しかし、化学のIM先生(駿台で今でも化学の大家)ならば、私はついていくかもしれない。(伴侶としては可能である)」
IM先生は私とも何度も顔を合わせており、会話もしたことがある。私よりも、5歳か6歳年上の教師である。今(2021/08/20)調べると、私よりも三歳年上であった。

私は、彼女の上記の発言を、次のように解釈した。
私も「彼女は私も好感を持っている(化学の)IM先生〈石川正明先生〉にあこがれているのか。それならば、より潔癖に彼女に接しなければならない」、と。

更に、私も年をとり、60歳を超えた頃に当時を思い出すと、ひょっとすると、彼女は「IM先生ならば…」と言ったのは私と彼女の間の年の差ならば関係ないということだったかもしれない、と。」

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まだまだあるが、ともかく、当初予定の駿台講師室係1983年度入社四人組以外は拘(かか)わらせないという方針が貫かれていたとしか思えない。もっとも、これらは2023年度頃からの催眠解説で分かったことである


要するに、何かあれば、1983年に雇った西山・横家・後藤の役割がなくなるではないかと言わんばかりであった。こうして、「1983年入社組で指定された女性以外には絶対に女性…は起こさぬという配慮がみられた」、という催眠解説が2023年頃からなされている。
その上で、西山、横家、後藤には絶対に進展しないようにとの申し渡しが事前にあったと想像される。いや、何か、怨念(おんねん)が絡んでいるように思えて仕方がない。特に西山の場合には。しかし、その対象者は私ではなく、我が家の住所番地を70年使用していたZ3に思えて仕方がない。要するに人間違い(ひとまちがい)である。


駿台側が準備した女性、西山美千代、横家(幸子)、後藤はフル活用せねばならぬと、汚い手(謀略、工作、配置換え、催眠、こじつけ)のオンパレードであった。

ともかく、せっかく準備した女性を無視されると、コストがとれない。またシナリオが狂い、大変であると言わんばかりであった。


全体の流れの本質の一部が下記Blogにあるかもしれない。

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安らぎBlog:2019/05/10公開
補章ー2・追記―3・(A)2016年追記・「予備校文化と水俣への旅」と(B)2017年追記・「駿台辞職の経緯」
http://h-takamasa.com/Blog/?p=11579

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《◇―3・山崎春之理事長》

駿台のトラブルが深刻化するときに、不可思議なことがあった。何かの用事で京都に行ったときのことである。京都駅の新幹線乗り場で、見たことのある人に出会った。その人物は上下ともに真っ白い服装をしていた。山崎春之理事長(やまざき はるゆき、1926年 – 2010年1月13日)であった。お供なしでいたが、まず間違いないと思う。

山崎理事長(肩書きは当時)とは、駿台のパーティの席で何度かお会いしている。当時の関西地区最高責任者から、数度、「こちらが政経の浜田先生」と紹介されたことがある。丁寧にお辞儀をされ、大変腰の低い方と感心した覚えがある。また丁寧なお礼状なども頂いたことがある。勿論、こうした出会いでは双方面識があるとは言えない。

しかし、当時、駿台の仕事に未練があった私はこのときに、山崎理事長に直訴しようかとふと思った。しばらく考えたが、やはり十分な面識がないため、直訴はやめとした。

ともかく1988年1月に駿台辞職となった。その後、第三部で登場する岡短の教壇も去り、月日が流れ、老後の見通しも全くない中で将来のことを考え、駿台復職に向けて最後の手紙を山崎理事長自体に送付しようかと考えたことがあった。2010年のことである。

そこで、山崎理事長の消息を調べた。思いつき、調べた丁度(ちょうど)一週間前に死亡されていた。一週間前とは私が駿台への最後の復職を考えたときのことである。

なお、山崎理事長と出会った日、私が新幹線に乗ろうとすると、トムクルーズかチャップリンかの如く、歓声が起こっていた。恰(あたか)も、私が有名人の如(ごと)くに。その時点で、〝日本のフィクサーMEの道〟あるいは裏のTVタレントの如く道を歩むことになっていたのかもしれない。


もっとも、私は、もはや政経関連よりは芸術に生きたいと思っている。同時に、現在の私の総合力では、もはや駿台復職よりは、職業選択の自由、人身の自由が保証されたならば、別の道を歩むであろう。もし、人権が回復されたならば、駿台復職ということを考えることはないであろう。悪まで、自宅監禁、人身の自由剥奪(はくだつ)下での、選択肢の一番手として考えただけである。

ちなみに、駿台の政経担当者は次のレベル4の思考をする。
尖閣列島を巡っての菅直人元総理と温家宝中国前首相の会談(レベル1)→大学教授か著名人がそれを分析(レベル2)→それを別の大学教師などが入試で出題(レベル3)→それを有名予備校講師が分析し問題集へ(レベル4)→それを高校教師や地方予備校講師が授業で教える(レベル5)。
私自身は、先の例ではレベル1に関わっていた可能性がある。すると、レベル4やレベル5の仕事は無理である
この例以外でも、類似事項が山ほどある。

また、自分の人生の最後をかける場としては、人身の自由が確保されれば、駿台復職などを余り考えることはない。第一部、第三部で登場の職場も同様である。悪まで、人権剥奪が続くならば、駿台復職という選択肢を1990年以降や2010年頃に考えただけである。

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《◇―4・最後に》
 この求め続けては、恋愛問題、女性問題などではなく、「授業を求め続けて」に関する著作である。そこで、女性の件などは書きたくなかった。ところが、テレビを始め随所で最近も挑発をされ、やむなく追記した。これでは、作品(商品)が台無しとなる。簡単に言えば、これも、営業妨害の被害の一つである
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1986年度に駿台大阪校に異動してからは、事態は更に悪化し、業務妨害・刑事犯罪のオンパレードとなる。そして、駿台辞職を余儀なくされる。だが、駿台を辞職すると、更なる激しい攻撃が開始することになる。もはや、とっくの昔に、駿台女性四人組は姿を消しているにもかかわらず…。女性問題などでは一切なかったことの証明である。それと比例して、人間違いが随所で強調されてもくる。

2024年9月17日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA