🚧駿台事件:全貌・真相編:全体メモの一部

駿台事件(真相編):全体メモの一部

 


2023/08/31から思い出す度に徐々に記述。

2023/09/02 20時頃から記述再開 と 20時50頃記載するや、次の下書きにはいると同時に21:00頃から突如催眠で「共産党がどうだこうだ」と。何の関係が。漸く、23時から再開。なお、本来本日起床時から記述開始予定が、が下記三段階🥴で阻止され続けた。
①就寝中にTennesseeWaltz 安らぎ文庫①番を入れ替えよ
②入れ替え作業開始を契機🥴→#高倉健 #江利チエミ を書け18時迄没
※その後回覧板隣家持参時芝枯れを見る
上記収まり
③#駿台 事件🖊や🖊契機で共産党がどうだこうだ

23:10から🖊再開できそうも明日は賦役で早く寝ねば。卑怯な催眠。いつものこと。 2023/09/03 0:09まで追記。明日賦役のため、もう寝ねば。激しい誤字脱字のみ修正できるか。

2023/09/04 11:30~ 14:28資料添付。14:28から途中休憩。

2023/10/03 22:01追記。

2024/04/12 0:13 記述。

 


 

表紙の写真(写真はクリックでパソコン画面大、二度クリックで巨大)

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(2024/05/11 追記)駿台事件とは、駿台での、私への業務妨害、各種刑事犯罪被害(特に大阪校時代)と、各種詐欺被害事件である。

加害者の動機は。現時点では🎬映画説に、駿台が協力としての、視聴率稼ぎにあったとの解説を受けている。

なお、上記を可能とするために、女性工作者が準備されていた。

上記の目的を達成するために、各種催眠が多数投入され続けていた。

私の存在はなかった。

後の物語を展開するために、人間違いが利用されたようである。

なお、途中で部落問題が絡んだと思わされているが、心当たりは皆無であり、この謎をとくには、亡き友人がいった「人間違いが原因」以外はありえない。

部落差別をしたか・かかわった人と私とを間違えた可能性が高い。

 

駿台事件が出た以上、論理上、実際上、人間違い以外の回答はでてこない。

 

骨子を先にメモ

事前準備

事前に種明かしがあった。

高校時代の同級生の妹さんが🤡に好きな振りごっこ。同級生は笑いがこらえきれず、別れ際笑い続けていた。この同級英の出身大学が京都女子大であった。

後に京都女子大に絡む、恋愛詐欺が予告されていた。ちなみに、この同級生の母親が、私の神戸の叔母と同窓生であった。叔母の名字は山埼という。

1983年末、大学時代の同級生🚺(🎎お嬢)が突如、岡山市に引っ越してくる。そして駿台事件が終了する頃、いなくなっていた。これから、駿台事件が起こるので様子見にきていたのであろう。拙著日本のフィクサーMEでは「私の恋の指南役」として登場した。各種アドバイスを受けていた。

全国展開前の駿台が私を採用して、一年様子をみたようである。そして、教壇1年目の後半に後に絡む駿台講師室係🚺4名が採用される。

1983年登場してくる。

この4人以外のの🚺は私に絶対に絡まぬように、駿台当局が、徹底した体勢をしいていた。少しでもハプニング恋愛の危険があれば自主退職か配置替えが行われ、私用に準備された🚺以外は一切、私に拘わらぬように配慮されていた。

1983年には、登場人物が一気に登場する。上記の講師室係4人組、平野真理先生、福崎五郎君、そして先の私と仲が良かったお嬢が私のアパートの近くに引っ越してきて用意万端となった。

そして、現時点での想像では、私が駿台の教壇にたつまえから、教師の●●は浜田先生と対立する役を、■■は浜田先鋭が途中で潰れたならば困るので、浜田先生の擁護役という形で役割分担源が決まっていた疑惑である。この場合には同じ穴の狢(むじな)ともいえよう。

私の生き甲斐・目的は授業にあった。

駿台🚺とは生き方が違うと思い、一切眼中になかった。

そこで、二段階の催眠が使用された。

まず、1982年度の講師室係🚺(同志社文卒=名前を覚えていないので学校名で記した)への軽度の催眠での関心である。

この🚺は客観的に魅力があったかもしれないが、会話手段もなく、通常はなにもないし、何の感情も起こらないであろう。

ただし、駿台講師室係🚺でも、私の生き方に併せられる人がいるかもしれないと思わされる。

それまでは、共稼ぎ志向、波瀾万丈となるかもしれない人生、教育・人権・社会に関心のある🚺以外は眼中になかった。当然、駿台講師室係🚺も眼中になかった。

その後は催眠オンパレードであった。ここ20年の催眠状態を見れば分かろう。私の存在はなかった。

「我、思わぬのに、我あり」となっていた。

1983年度、西山なる🚺が登場するがほんの少し会話をして、やはり、これは生き方が違うので話しても時間の無駄と判断した🚺である。

1983年夏、水俣で適切な🚺と出会う。それが起こるや、突如、西山が私の関心を引き出す。

しかし、生き方が違うし、容姿も好みではないし、本格的会話手段もないため、論外としたというよりも、何も思わなかった。

ところが、1984年1月に催眠で熱を上げさせられる。

当時は催眠なる語を知らなかったが、それでも川の鯉のぼり撮影と同様にもう抵抗をした。

だが、9ヶ月粘ったが、催眠のしつこさで、ついには熱を上げさせられる。

その後、横家、後藤と口をきかすために、各種心理学的手法が使用される。

もし、今の如く、催眠という存在を知っていたならば、私は西山に📨を出した後で、あれは催眠ですので、無視してください。本当にご迷惑をおかけしてすみません、と。

横家なる🚺にも催眠で1985年夏前に「まっててほしい」と突如言わされたが、何のことか意味不明であった。だが催眠とい牛組を知っていれば、「まっててほしい」と催眠でいわされましたが、私には何を待っててほしいのか…など意味不明です。お笑いくださいとはっきりと言ったであろう。

催眠なる語を当時知っていたならば、正直にその趣旨をあいてに伝えて、謝罪し、同時に私を無視してもらったであろう。

また、🚺陣は二組からなっていた。

一組は1983年度入社の四人組、あと一つは1984年見合いをした🛵「おじょう」である。

前者は駿台経営陣がら命をうけた四人組であり、後者は映画説グループから命をうけた🚺である。

駿台🚺四人組―駿台経営者🤝映画説グループ―🛵おじょうなどである。

ちなみに、🛵おじょうが自分から潰れるようにもっていかなければ、横家と後藤の登場は不可能であった。

そうなると、せっかく準備をした横家と後藤の出番がなくなるため、自ら潰れる工作をした。

後に、私が勘違いをして悔やまぬように、おじょうは随所で、いろいろな人に手を上げ挨拶をしつづけており、明らかに不自然(後には映画説グループとのコミュニーケーション)を私に見せつけていた。

一環した命題=私の目的が成就できずに、苦悩し続けるシナリオが一貫して貫かれていた。

同時に各種話題提供をし続けさすという一貫した脚本があった。

駿台では、そこで、最初は🚺4人をだして、精神乱れと茶番劇をねつ造した。

それにおじょうも絡めて。

次には苦悩…変として、契約違反となっていた、多数の教科持ちを強いてきた。(駿台で政経・現社・日本史)、岡山の予備校でも同様、岡山短大では英語、駿台模試作成、岡山ではベネッセもし監修…と。1984年度の契約では政経一本で三円間保証とするとなっていたが簡単に破られた。こうして、多数の教科持ちでの苦闘が始まる。

なお、同時期に、岡山の予備校でも駿台🚺ドタバタ劇と同じドタバタ劇が起こる。これには二つの目的があったようである。

一つは駿台での授業などへの妨害、二つ目は駿台と相似形により、催眠などの現象に一定の時期に即座に気づくようにするためであった。

そして、駿台の後半は、各種業務妨害、のちには拉致未遂被害などの刑事犯罪被害にも遭遇し、目的の授業を間座右は困難となるも、それでもまだ諦めずに苦闘しちる姿がほしかったようであ

る。

駿台辞職後には、ポリテクカレッジ岡山()では、前半は各種授業妨害(種として授業仲の私語と漫画読み学生…)、が登場し、中盤は意識不明に近い状態となり、後半は体当たり人間の如く部外者の導入である。こうして業務妨害は続き、それにあえぐ姿がクローズアップされたようである。

要するに、上記の如く、🚺問題が本質では一切ない。だから、ポリテクカレッジ岡山()では🚺は登場してこなかった。もっとも、女子学生はいたが、念をおして「質問は歓迎するが、女子学生は一人では質問にこないように」と何度か念押しをしてもいた。

能開第辞職後は政治の世界に巻き込まれていく。

同時に謎の💀グループが暗躍をしだしてくる。

こうして、村・親戚のトラブル(写真トラブル・冠婚葬祭トラブル・🚖関連トラブル、村でのいじめ構造)が引き継ぎ、私の目的(プレゼンエーション屋への道)や開票・起業を阻止されていく。ここでも🚺問題は一切登場しないか、表だっては登場しなかった。

ただし、母死亡の2012年を境に、2013年頃から徐々に🚺問題を再度絡める疑惑、さらには数年前から駿台の様相を示し、🚺によるストーカー被害が続出してくる。「女性問題」ではなく「女性が問題」なのである。本質は駿台時代と同様となる。

現時点でも不明なのは、どのようにして部落問題を絡めたのかということである。逆に言えば、部落問題が関与してくるならば、「人間違い」以外の回答は論理上はえられない。

こうして、(我が家の住所番地を七十年使い続けた家の)三男との人間違い説が浮上してくる。今度は人間違いを軸にして、私への業務妨害が多発となる。

だが、未だに一部被害が続いている。

出てくる回答は

①未だに、人間違いをしている人がいるのか。

②そのグループの人間が、途中で、私を金のなる気と考えて、中間搾取どころか、私の人身売買をしている疑惑である。

③👺などが、そのグループと私との対立を煽り、そのグループを潰したがっているのかという疑惑である。

この三つが主要な回答である。

要するに、女性問題など最初から存在せず、業務妨害が本質となっており、ときには女性問題をねつ造して、その役賄を果たさせたであろう。

ただし、まだ問題は残っている。

西山美千代なる女性に✉を手渡すと、どのようにして、その後40年間もおを引かすことが可能なのであろうか。

また、催眠熱で何故、西山なる女性でなかったならば困るのであろうか。

姫路が強調されるが、浜田稔家(正典・千代子家)から姫路に移動された皆木さんの件の詳細な解説がなければ、この問題は解決をしないであろう。

奇妙な問いについて。

私が自然状態のときにはAをしようとした。ところが、催眠類でBをさせた。そして Bには各種罠や工作があった。

そこでBの工作にひかかったか・否かという不可思議な問答への回答を強いられている。

本来はAをする予定であり、Bは催眠誘導で後は知らぬで十分である。

それをBにウェートをおき、延々とはたまったものではない。

2024年4月2日に書く予定であった「母」関連の原稿を、催眠誘導で一太郎へ、ところが突如、一太郎からカメラレンズ関連のコメントを書かされる羽目となった。後者には何かトリックがあったのであろう。そこで、Bに固執をして、催眠で強制的に回答を迫られ、迷惑千万である。

本来は、私はBの予定はなくAであったというだけで十分である。

彼ら・彼女らがBに固執するのは、自分らが仕組んだわなにかかったか・否かの欠陥が知りたいだけである。

本来、回答は時間の無駄でしかない。私はAをする予定だったのが、催眠でBに誘導されただけである。これで十分である。

最後に、「日本のフィクサーME」はPart 6から駿台事件、人間違い問題、ポリテクカレッジ岡山(能開大中国)と『日本のフィクサーME』シリーズが融合することになる。

 


(2024/04/11 23:50記述)駿台事件以前にも奇怪なことがあった。

①小学校時代のT君、中学校時代のいたわり事件、高校時代の余興(体育祭事件)、大学時代の出入り、早大院時代の修論…これらは拙著『回想―私の人生』(仮称)で語る。

②教壇類では一種の法則があった。大社中事件、真備高校事件。

②以降を駿台との関連で少し記す。

一連の法則は、視聴率稼ぎのための話題提供に由来していた。どういう映画・テレビ類かは知らぬが、テーマは苦闘編となっていた。同時に、あの世との対比か時間の無駄が強調されていた。

苦闘編とは、私が順調に授業などで完璧に人を魅了する授業などは、一年は良いが、それ以上ならば視聴者はあきる。そこで幾多の妨害をして、私がそれに対して苦闘する、その苦闘編が本質であった。同時に、話題提供が必要不可欠でもあった。更に、あの世が永久の世ならば、この世では時間の大切さを鮮明にするため、出来事のスパンがあきるほど長い所に特徴があった。

結論から書こう。

大社中学も、真備高校教壇も、私が経験した学校時代と対比すれば、問題はほとんどないに等しかった。大社中学も夜の校外学級のため、一種のティームティーチングのため、何もない皆無のような世界であった。真備高校も、2年7組、8組、9組は平均して、林野高校時代の授業の平均値よりも静かであった。2年1組、2組もかつての塾の教壇に比べれば、たいしたレベルではなかった。要するに、ここも何もないに等しかった。

それでは視聴率稼ぎに困るということで、両者とも掃除型で仕掛けがあった。

学校に行くや即事件を起こさす。これは、事実上、現場の教師のより起こされたものである。

大社中学校では、校外学級の校舎での悪戯電話事件では、男子生徒三人組か二人組か忘れたが、そのすぐそばに中学校教師がいた。彼が下手人に近い。真備荒屋では、友野先鋭により、事件は作られる。

共に、主役は私でもなく・生徒でもなく、別の教師による騒ぎが本質であった。目的は上記の如く、何もないため、おもしろくないので事件を起こすであった。

真備高校では、友野氏により事件は引き起こされ、やめるときには改発先生の演技か、それとも誰かにだまされた改発氏が行った茶番劇である。真備高校は随所に書いたように、やめた本質は労働条件問題であり、実質は私が専任にしてほしいと校長に直談判したらならば、断られて解雇されたのに等しい。真逆である。

一言№参照。

気がむけば一言・【回想】No.269:1981年回想・真備高校辞職の真相

●http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1681/

それを改発先生の演技と、2年1組担任松尾氏、2組担任田中先生の退職問題と絡めて生徒問題に置き換えられたのである。

さらに、それをもっともらしくしたのが友野氏の演技であった。

こうして、大した教壇ではないものを、生徒が大変型に置換え、大社中学校とのアナロジーとしたのである。

友野氏が何をしたかの話は…後で記す。

上記の如く、教壇での本質は、話題提供にあり、視聴率稼ぎにあった。そして、その視聴率稼ぎは駿台にとっても大CMとなるため、駿台側には大変なメリットがあった。

だが、駿台で生徒問題を出すことは無理である。

そこで、生徒問題を、今度は女性問題にすり替えたのが駿台事件であった。そのアナロジーが、岡山進研学院の滝沢さんと吉田さん…である。完璧な相似形をなすといういつものシナリオが組み込まれていた。

駿台辞職後の、能開大では、本来本質は女性問題ではないため、全く女性は登場してこない。再度、生徒問題と、労働条件問題の合同をメインとして締めくくりがなされる。

ここでも、話題提供は生徒でも私でもなく、教員ではないが職員によってつくられていく。それが前田課長、世取山課長、藤井氏、森脇課長などである。

ここは総決算のため、真備高校での労働問題(生活問題)、大社中学校などでの生徒問題への置換え、これらを結合させて物語が展開していく。

最後にやめるときには、鉄砲玉の偽学生Sは大社中学の悪戯電話生徒の一人の真似をして体当たり…すぐそばにいた大社中学校の教師の真似を能開大では藤井氏が演じることになる。

友野氏、改発氏…の演技類は世取山、森脇課長などにより行われる

そして、駿台と時間問題では相似形で退職に追い込まれる。駿台の事件に10年を足すと、能開大事件となる。だが、女性問題が本質ではないため、能開大では女性問題は一切倒叙うしてこない。当然、女子高校であった真備高校ですら、女性問題は一切登場しなかった。

本質は、一環して、話題提供と視聴率稼ぎにあり、駿台では生徒問題、労働問題は使用できないため、女性問題を思いついたのであろう。同時に、駿台時代に能開大辞職後の計算もなされており、人間違いを絡めるシナリオがあったのであろう。その人間違いの相手に女性問題があった確率が、理論分析上からは高い数値ででてくる。

女性問題は駿台ではなく、能開大辞職後の話題提供用に、駿台でねつ造されたのであろう。

もちろん、能開大辞職後には女性は登場しない。だが女性問題が一人歩きする理由は駿台時代の茶番劇にある。おそらく、当時の山埼理事長の協力の下で行ったのであろう。

人間違い事件が起こるまで、女性問題は、女子高校の教壇ですら、女性教員が多数いても、一切起こっていない。駿台辞職後も、女性問題は一切起こっていない。もちろん、章が校から高校まで起こっていない。大学院でも同様である。その気配もなかった。大学時代は、多数の女性が登場したが、女性問題は起こっていない。

女性問題などは、最初からない。ただ、人間違いの時期(多分、駿台時代)から無から有が生じたのであろう。それは人間違いに由来する。

この視聴率稼ぎこそが、私を雇った学校にとっては一番大きな貢献要素であった。そこで、駿台は(存在していない)女性問題を下記のトリックで存在したとみせかけるのである。

シナリオがファースト、次に、お膳だてした準備をご破算にしないことがセカンド、…あとは完全無視である。

それを遂行するために、多数の催眠類が使用され、その後、無理矢理のこじつけがなされることになる。

まだ、不明点が多いが、上記の本質=視聴率かせぎ、そんための話題提供・シナリオ最優先・催眠類悪用の実態という本質から駿台事件を斬る。

なお、女性四人組は上記の本質=視聴率かせぎ、そんための話題提供・シナリオ最優先・催眠類悪用への協力を行った人物群である。依頼者は現段階では当時の理事長を疑っている。目的は視聴率アップ=駿台の大CM=横では全国展開、縦では小学校から大学院までの経営確立にあった。

まだ、謎が幾つか残っているが、その謎は後回しとして、分かった範囲まで駿台事件の真相を記す。

残っている謎とは、何故西山美千代という女性に無理矢理、催眠で熱をあげさせたのか。

何故、西山美千代は、私が水俣で出会った女性に一目惚れするまでは(1983年4月から8月までは)動かずに、それを確認(1983年9月)してから策動を開始したのか。

何故、西山美千代という女性に手紙を手渡し、断られて、「お世話が背してすみません」と謝罪とわびの礼をすると、40年も長引く論理が登場するのであろうか。この謎は、アインシュタインでも解けない謎である。

最後は、部落問題が絡んだという印象操作があるが、どのようにして絡めたのであろうか。これも、理解不可能であるが、これだけは人間違い…と言われると「そうなのか」と思うしかない。

なお、人間違いは駿台教壇にたった1年目以降の1983年からはあった。特に、駿台辞職の一か月後には松江の高橋氏の結婚式で彼の叔父が別人に入れ替わっていた。

推定は、人間違いは私が駿台教壇にたったときか、たつまえにそのシナリオはあったとなる。もっとも遅くとも1983年にはあったとなる。

駿台ドタバタ劇のシナリオは駿台専任講師の主立った人たちには、私が駿台の教壇にたつや否や、既に知っていたとしか分析できないし、幾分証拠もある。

同時に、役割分担もきまっていたようである。

理科のA先生(おそらく、北山一氏)は浜田隆政先生と●●から対立の役、B先生(たとえでいえば、石川正明氏)は浜田先生の擁護役、C先生(たとえでいえば、専任ではないが中井氏・後の同志社大教授…)は駿台四人組の工作・仕事が成功するように、そのお膳立て役というように…。種明かし役は、国語の藤村(とうそんとも読める、映画狂の教師)先生…。これらの役に加わらなかったが金森先生なども全貌をしっていたと思われる。もちろん、表三郎氏は山埼理事長から直に何かを依頼されていたと分析している。

私に絡めて女性問題を思いつくことは通常はない。無理である。それを思いついたのは人間違い強調からとしか思えない。

以前、私はあきれかえって言った。私の容貌や雰囲気を見て、「女性に騒がれるか・否か、分からぬのか。真面目にやれ」と。

すると、別の話題にかこつけて、田舎の住職の嫁さんが言った。「見たら分かります」と。

我が姉ともが、腹を抱えて笑っているであろう。

「これが裸の王様だ」と。

なお、幼児・児童を絡めるようなシナリオがあったようであるが、その目的は何であろうか。これも大きな疑問である。私は幼児趣味は一切ない。

だが、大社中学では何人もの女子生徒がなついていたが、絡められていない。

女子高校の教壇は更に一線が完璧に敷かれていた。結構か、かなり人気はあったように思えたが、一切絡みはなかった。この謎は単なる話題提供なのか・人間違いを誘導する問題なのか…なども一切不明である。

女性問題は駿台の四人組(西山美千代・横家幸子・後藤・竹内か武内)限定であり、他では生じていない。相似形の岡山の滝沢さんと吉田さんは駿台事件、催眠活用編の種明かし役であろう。

駿台事件は、目的は話題提供=視聴率=CM=全国展開であり、手段は催眠多投入と随所で心理学に基づいた行動理論が応用されていた。

駿台では女性問題は何もない。それはシナリオ上不可欠であり、協力した駿台も必死で何も起こらぬように手配していたことなどは後で実証する。

間違えても四人組以外の女性が絡みそうなときには配置換えとか、自主退職が即座に行われてさえいた。

駿台職員類とは何もないようにすることが、駿台経営陣の映画協力上の任務と思われた。そして完璧に遂行されていた。

 


本質論(メモであり、誤字脱字のcheckもせぬ殴りかきである)

(2023/09/02 20時頃から。本当は正午頃から記述予定が芝問題に関する催眠、TennesseeWaltzに関する催眠で遅延した)

駿台事件は、私の価値面は雇用促進事業団と同一であり、🚺女性にかこつけた問題は岡山の予備校と相似形であった。その比較分析やその後、催眠としか思えぬ形で解説をうけたことをまとめれば以下となる。

駿台予備学校は、関東では知名度はあるが、それ以外では知名度が低かった。だが、当時はオールオアナッシング、即ち、全国制覇をするか・極論すれば倒産かという競争を代々木ゼミ、河合塾とおこなっていた。
そこで、駿台予備学校全国展開前に、私という裏で極めてCM効果の高い労働力商品に目をつけた。私のCM効果は、後の世界遺産請負成功率ほぼ百%に証明されている。ちなみに、姫路城、広島原爆ドーム・宮島、萩市、長崎市は世界遺産確定の前年くらいにに行かされ、全て世界遺産となった。野麦との関係での富岡製糸工場も同様である。それ以外に関係あると想像されるのが白川五箇山、石見銀山などである。
世界遺産以外にも、東京五輪誘致、ノーベル賞決定(例:山中伸弥氏)などにも影響があっとしか思えない。
同時に、国外にでれば一目瞭然であるが、ビートルズ以上の厳戒態勢が1989年以降は実施されている。交通規制もあるとしか思えなかった。
その理由は、私には不明であるが、駿台予備学校(駿台学園)や雇用促進事業端(後の雇用能力開発機構)は全て承知のようであった。特に臭わされているのがテレビ・映画説である。
駿台予備学校は、関東以外に、北海道、東北、中部、関西、中国(広島)、九州、更には海外を視野にいれた全国展開前に、私というCMの神様の招聘に興味をもった。


ただし、駿台及び映画類関係者はCM効果を私の授業にはおいていなかった可能性が高い。どういうシナリオかはまだ完全解明できていない部分があるが、女性を絡めてどんちゃん騒ぎをすることと、駿台以降につなげる何かを仕掛けることが当時のシナリオであったようである。
駿台以降につなげる何かとは、現時点では部落問題の可能性が高い。だが、どのようにして絡めたのかの完全解明は40年間考えても解明できていない。部落問題を本当に絡められたかどうかすらまだ判定できないのが現状である。勿論、私には絡められるような心当たりは全くない。

2012年以降臭わされているのは人間違い・家間違いを利用したとのことである。今、その家を仮にZ家としよう。(我が家と同一住所番地使用の)Z家のZ3氏(私より一歳年上)と私との人間違いを利用したという解説がしきりになされている。
すると、女性をつかってのドタバタ劇は、ドタバタ劇自体が話題提供用のCM謀略だったのか、後にZ3氏との人間違いを完璧にするための謀略だったのか不明となっている。というのもZ3氏は容姿端麗で一部の女性には大変もてる反面敵だらけの側面があったが、私はその真逆で、女性には容姿のみか、性格・雰囲気から縁遠いが、天真爛漫な面と単細胞の側面があり、敵は極めて少なく膨大な友人にかこまれるという側面を、駿台での女性問題ねつ造によって、同一化する試みがあった可能性がある。
そして、駿台辞職後にはZ3氏とそっくりと見せた後で、様々な手段で社会と隔離をして、私の本当の姿を社会から隠した疑いがある。実際に駿台辞職後は、事実上、社会と完全隔離をされている。


なお、一つの節目とするために、随所に登場する暗号が使用されていた。1122である。早大大学院の最終合格が11月22日、駿台の最終合格も11月22日、アメリカ行きの暗号も1122、長崎訪問も1122…その他ポイントで登場する数値である。1122とは私の生誕日である。

駿台の側では私の受け入れ態勢が整いつつあった。だが、私が本当に駿台の教壇に立つか・否か、即ち、ハプニングで私が駿台以外に行く可能性もゼロではないため、私に絡む女性はまだ準備されていなかった。絡む女性は駿台経営陣が限定した女性であり、そうではない女性は後に述べるように駿台が排除した疑惑すらあった。
また、一定の時期に、私が孤立してシナリオが開始する前に辞めないように、駿台経営陣や専任講師の主立った人間の中で打ち合わせがあった可能性が大変高い。ようするに、化学ならばK教師はいずれ私と対立するように指示がされ、逆に化学のI氏は私の擁護に回るという役割分担などである。また一切からまない教師にはハプニングなどで間違えても絡まないように事前に指示がなされた可能性すらある。非常勤講師の一部にすら、後に、何らかの指示がなされた可能性もある。


(9/2 23時再開)
恐らく、私の駿台の採用試験前から、私の受け入れ態勢での論議が一部の教職員の間であったと想像される。
こうして1981年に駿台の講師試験に臨む。当然、最初から採用と結果は決まっていたと想像される。一次試験、二次試験をパスし、三次試験は模擬授業であった。この時の試験管は3~4人いたが、一人は表三郎氏であった。後は東京校からきた人物と、当時の関西地区最高責任者・矢田祐三部長であった。

(23:46追加)

矢田部長という名から、「部落問題を強調された」後、大阪であった矢田事件を思い出し、最初から人間違い…で部落問題へ誘導脚本に駿台が協力した疑惑を感じだした。


1982年に駿台教壇に立つ。
教壇に立って暫くは駿台側も様子見であったよう。
私が本当に来年も駿台にいるか・どうか…と。
そして、いると判断した時点で、1982年後半の職員採用試験で、下記の女性西山美千代、武内、横家、後藤を私に絡める目的で採用したよう。
彼女らは全員1983年に駿台に入社してくる。
それ以外の女性はハプニングでも私に関わらぬように、ハプニングでも駿台で他の女性と絡まぬように、排除していったよう。

1982年の駿台講師室で少し口をきいた唯一の女性は結婚で日下氏になると同時に配置換えで講師室を離れる。駿台在職中一人だけ関心を持てるかと思った女性は即辞職。
吉田課長の話では「私はお茶くみをできません…」と更に、吉田課長が聞きもしないのに、「先生、彼女には彼氏がいたのですよ」と。私は一度も吉田氏にそんな質問はしていないのに。

また、担任もっていた植野さんが担任の生徒の関係で時々話をしたと思えば、横家・後藤が絡む直前に退職する…と。後にそうした配慮のトリックを説明するといわんばかりに、1984年入社の講師室係近藤さんは数分口をきいただけで、その半年後には結婚で北海道に行く…と。

こうして、1983年入社組で指定された女性以外には絶対に女性…は起こさぬという配慮がみられた。
その上で、西山、横家、後藤には何も進展しないように言い渡しが事前にあっと想像される。
※本日(2023/09/02)写真確認をしていると、駿台講師室係女性は名札にフルネームが書いてあるのを発見。それまで(2023/09/02までは)は駿台講師室係の女性の名札は名字のみと思っていた。その話は西山美千代氏の箇所で記す。

それを見ると横家さんは横家幸子というふうにも見えるがコンパクトカメラでの撮影L写真のため判別は難しい。後藤さんんは名札が向きがわるいため確認不可能。


また教え子の女子生徒と軽食堂に行ったときに、ふと見ると表三郎氏が監視役の如くこちらをみておられた。それ以外にも…と。

逆に、駿台側が準備した女性、西山美千代、横家、後藤はフル活用せねばならぬと、汚い手のオンパレードであった。
まず、西山美千代については、私は榊原郁恵系の私には容姿も私好みではないし、部落問題・婦人問題…の私には生き方も違うのでノーと1983年夏前に門前払いをした。ところが水俣で出会った女性(教育・社会に関心があり、将来も教師をして自立志向型、容姿は美人ではないが私の好みの容姿)に熱を上げるや、西山がそれを契機に自分に関心をもたせよう…と学校で👶(誰かの赤ちゃん)を学校の事務室の中であやしたり…と。
それでも関心がなかったならば、後に述べるように催眠のオンパレード。あそこまでしつこく催眠でやられるや…と、もはや抵抗は不可能であった。
その他でも随所で催眠類が使用された。
理由は、せっかく準備した女性を無視されると、コストがとれない。またシナリオが狂い、大変であると言わんばかりであった。

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(2023/09/04 14:27 挿入=紫とオレンジ部分私がポリテクカレッジ岡山との専任契約のため、駿台宛に辞表を1982年晩秋に書きかけるや、即、専任延期の電話が入った謎。後に部屋を盗撮されていたと考えた。犯人は駿台かポリテクカレッジ岡山か映画関係者かは不明という事件があった。理由の一つは、駿台の方で次年度から準備していた西山・横家・後藤という齣が使えなくなるからと分析された。同時に映画のシナリオが狂うからと。なお、この盗撮されたアパートは高柳であったが、相当前に潰されていた。同様に盗撮の疑惑のあった箇所はほとんど潰された。ニュー京都ホテル(私は今でも愛着を持っているが)、東洋ホテル(中津駅にあったホテル。私が駿台事件を公開し始めた頃、後の経営者のラマダホテルが謎の形で潰した。)恐らく、駿台後半時代に住んだ庭瀬のアパートも潰されているであろう。また、完全解決せずに、ガラス張り公開だけをしていけば、私は潰す気はないが、我が家も潰されるとしか分析できない。証拠隠滅である。駿台の校舎はモニターというか形で公に撮影しているため、潰されない可能性が高い。

 人間については、母の話では「時効狙い」と、私の想像では「自然死」か「突然死」{実際に山崎春之氏(やまざき はるゆき、1926年2月4日 – 2010年1月13日)は死亡。無関係と思うが、事情を知っていた可能性もある息子さんも死亡・山﨑 善久(やまざき よしひさ、1967年 – 2017年8月12日)も50歳で肺癌で死亡となっている}狙いと思われる。

だから、超多忙な私は授業を減らすのに専念していた時期にポリテクカレッジ岡山に行くことになったのは騙(だま)されたからである。
専任前提できてくれ」という言葉に。
後には「うちは給料は安いかもしれませんが、福利厚生が充実していますし、何よりも年金は国民年金ではありません」という殺し文句に。

暫(しば)くして駿台に辞表を書きかけると(1982年晩秋以降と思う)、盗撮されていた如くに、即ポリテクカレッジ岡山から電話があった。
「来年度(1983年度)の春からの専任の件ですが、(中曽根)行財政改革の関係で少し延びます。来年度の春からは無理となりました。しかし、先生の専任は大丈夫です。またそのための最大限の努力はしますので、暫くは非常勤講師ですが来年春からお願いします」であった。

その後の経緯は拙著『恐るべき労基法違反』に詳細に書いている。

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『求め続けて』第3部補章―5「岡短」での授業破壊活動被害と各種工作事件―(5)私が英語ができるか―…であることが専任詐欺にあった証拠🆕:正式公開

http://h-takamasa.com/Blog/?p=30350

💁『求め続けて』第3部補章―3「岡短」での授業破壊活動被害と各💁💁種工作事件―(5)私が英語ができるか―…であることが専任詐欺にあった証拠:正式公開

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(9/2 ~9/3にかけて)

先にシナリオありき、謀略、挑発のみか最後は催眠動員のオンパレードであった。
ただし、西山美千代に手紙を出すとどうして40年間もめるのかは全く今でも不明である。
西山氏に「一度お会いして、結婚前提のお付き合いが可能かどうかをお聞きしたい」という手紙を手渡すと、「私には好きな人がいますので、先生の好意にはお応えできません」という返答が速達できた。
ところが、差し出し人の住所などは一切かいていなかった。そこでお詫びの返答もできなかった。やむをえず、偶然廊下でであっときに、他人が意味不明な形で「お世話がせしてすみません」と言い、深々とおじきをした。
すると、余計に揉(も)めだしたのである。
それが何と、40年もである。私が駿台を辞めても、西山が結婚すると聞いても。恐らく、その後駿台を西山も辞めたであろうが、まだ被害は続いている。
もはや映画説でも理解不可能である。
西山・横家・後藤については、後で各論で述べるが、心理学が随所に応用され、同時に話題になりやすいように変化をつけていた。

西山美千代には催眠をつかってでも無理矢理熱を上げさし、その後でおびえた振りをさせる。すると、私は不思議と同時に、同じ職場の女性がこういう態度をあからさまにするとはうぶで私のやり方が奇異だったかと思わせ、そういう形で脈があるように思わせる。
横家はただ単に楽しそうに話しをさせる。横家と後藤氏の写真はいまでもあるが、笑みは本物に見える。しかし、Z家の小母・千代子さんも、我が家へくるときは2013年でも、2014年でも頭のてっぺんから足の先まで全身笑みであった。演技ではできない。同じことである。映画か何かでスポットライトを浴びていると有頂天になったときに見られる笑みである。自分も準主役になった、と。同時に使命を果たしたと。
後藤さんは、ただ単に私に憧れたという振りをして、純粋に慕い続ける役をする。
私は生まれてこのかた彼女以外でそうした経験はないのであるが。簡単に言えば、そんなものあるわけがない。こうして三者三人が好きな振り詐欺を開始する。
相当、プロ的心理学が応用されていた。
ちなみに、全て1983年度から開始するが、平野真理先生(英語)が私の目の前に登場したのも1983年であった。
後に、同姓同名を利用して、世界から浜田稔、西山美千代…と情報がよせられたが、平野真理氏については、同姓同名で行動心理学者の平野真理氏(東京家政大学で教壇、今はお茶の水女子大学準教授)が登場していたが、まだ、解析はすんでいない。

だが何も実態なしで、その後、大刑事犯罪被害を40年も受け続ける理由の完全解明ができない。
理論分析しているときに、駿台事件の途中か最初で、人間違いが強調される。


だが何も実態なしで、その後、大刑事犯罪被害を40年も受け続ける理由の完全解明ができない。
理論分析しているときに、駿台事件の途中か最初で、人間違いが強調される。

★(2023/09/02深夜から2023/09/03 0:35記載)
本当に人間違いならば、私には意味が永久にわからないであろう。だが、本質は駿台の全国展開前の大CMにある。
どういうシナリオで話題をとろうとしたのかの解析は、人間違いが入り、分析できなくなっている。
ただし、どのようにして人間違いを起こしたのか、そのメカニズムは相当解析できつつある。
なお、人間違いは、駿台に行く前に起こっていたか、駿台講師時代の途中かの判明はまだできていないが、駿台辞職前に起こっていたことは間違いない。
そのヒントが、駿台辞職から1月半後にあった松江の友人(布袋さんのモデル、以降布袋で記す)の結婚式では、布袋さんの叔父さん(税理士)が別人に入れ替わっていた。同時に、その直後に、駿台の生物教師・川端三郎先生そっくりの声の人物に数度会ってもいる。

この後は各論で順次証明をしていくが、ここ数ヶ月は「山崎」が異常に強調されている。もっとも、山崎強調は、駿台に行くや即至る所で強調されている。山崎とは山崎春之氏を指すと考えて間違いなかろう。

簡単に言えば、山崎理事長が、駿台の全国展開前に、駿台の大CMをする目的で私を採用し、私に絡める女性を翌年に採用した。逆に、その女性達以外は一切私がハプニング恋愛をしないように配置換えや自主退職にもっていく。
3人の女性には進展しないように釘をさしていたと思われる。
要するに、何にも実態がなくしてもめさすことが目的であったと分析される。何の目的かは今分析中であるが、女性問題など最初から最後まで一切ないのを勘違いした☠が後で痛い目に遭うことを意識していた可能性がある。少なくとも結果としてはそうなる可能性が高い。一種の罠である。だが何のために。また☠とは何の組織か。

同時に、部落問題が強調されるが何のことかさっぱり分からない。私は部落差別をはじめとする各種差別と戦ってきた人間であり、真逆である。
菅直人元首相や辻本清美氏が何かを知っている気配を感じている。そこで、菅直人氏や辻本清美氏に関与している・関与した組織名を聞き、その組織に直に問い合わせた方が早いと最近考えている。想像では話にならないからである。
まだ一気に判明した時点までの全貌とその証拠を掲載したかったが、本日(2023/09/02)、更新履歴に記載の理由で妨害だらけで、その上明日(2023/09/03)は村の賦役のため、もう時間切れである。本来一気に分かった範囲での全貌と証拠類を掲載予定でいたのに。
逆にいえば、明日(2023/09/03)…のために、本日(2023/09/02)このBlogの記述妨害をされたのかもしれない。

駿台が私を活用したと思われる資料―1(クリックで拡大)

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🤡在籍は1982年~88年1月末前後
○緑は在籍した校舎
○赤は在籍時にできた校舎
○青は在籍時頃から準備室やCMが開始された
○桃は在籍直前も在籍効果を期待校舎

○青の例をとれば1994年開校の福岡校ならば
「1987年、特設会場にて夏期講習会を開設。
表三郎、中田義元、山本義隆、北山一、各先生などが出講」(駿台大阪校Wiki :https://osaka.wicurio.com/index.php?%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E6%A0%A1)である。

同時に駿台1年目(1982年度)後半ですら政経の前田師(別名杜氏等多数の名使用)が「浜田先生は福岡校などの西側対策要員なのだ…」の言動があった。但し、当時の深見係長などが聞いて驚き、その話を大滝部長(関西地区最高責任者)にしてよろしいか」と言ったのを覚えている。

 

なお、駿台大学が創設されたのが、私の駿台採取運年度の1987年でもある。更に、海外展開、駿台国際教育センター 開設年度を調べつつある。私の裏の知名度は日本以上に世界の方にある。

現在校のようである。シンガポールについては1992年開設である。シンガポールとは私が最初に海外訪問した国である。1989年夏であった。その翌年頃、ポリテクカレッジ岡山で大労基法違反を行った世取山清氏が課長として赴任してきた。彼が最初に強調したのは「少し前にシンガポールで活躍した」とシンガポールを妙に私に強調していた。更に、

また、(私が専任詐欺で監禁・強制・貢ぎ労働を強いられた)ポリテクカレッジ岡山などの能開大の発展や推移と駿台は相似形でもあった。女性の詐欺行為と催眠悪用では駿台と類似計であった岡山進研予備校が1986年 に 岡山学院と進研予備校の合併合意を発表後に1987年合併して、岡山進研学院(後に2000年頃まで私も非常勤講師をしていた学校)となったが、その学校に「1996年 – シンガポールより教育代表団訪問」がWikipedia に目立つように記載されている。私への表敬訪問の類似として李登輝氏が倉敷(ポリテクカレッジ岡山の所在地)にきてもいた。

こうして、状況証拠より、駿台の動機=映画・TV類のシナリオ協力が明白になりつつある。そして、駿台側の女性参加者として西山・横家・後藤という齣が準備されてもいた。

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駿台-私の影響-1

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駿台が私を活用したと思われる資料―2

私の件で味をしめたのが、映画・テレビ類をその後も利用の用

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駿河台大学(するがだいだいがく、英語: Surugadai University)…
1987年創立、1987年大学設置。大学の略称は駿大(すんだい)……

キャンパス内は、映画、ドラマ、テレビCM等の撮影場所として学内敷地が利用されることがある。敷地や講義室で主にロケしたドラマや映画には、「愛という名のもとに」「免許がない!」「デボラがライバル」「危険なアネキ」「ごくせん」「はみだし刑事情熱系」等が挙げられる。

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Wikipedia「駿河台大学」を2023/09/04 抜粋

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%BF%E6%B2%B3%E5%8F%B0%E5%A4%A7%E5%AD%A6

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駿台が私を活用したと思われる資料―3(駿台のみならず、予備校・浪人文化そのものを促進した)

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駿台が私を活用したと思われる資料―4(雇用促進事業団が専任詐欺で私を活用した事例との比較分析)

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詐欺の手口(福岡県出身江利チエミ被害の例)

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不思議ねえ、思い出すのがみんないいことばかりなの。
たとえばね、これ昭和43年ごろのことなんだけどね、私、喉をこわして家でずっと寝ていたことがあったの。ひどい熱でね、毎晩のようにうなされて、なにかうわごといったりしていたのよね。そしてある夜、ふっと気がついて「Yちゃん」(Yの愛称)って呼んだら、すぐそばの廊下で「はい」って返事がするじゃない。Yさんは、私の部屋の廊下にフトンをしいて、毎日、私の様態を気遣っていてくれたのよ・・・
Yちゃんと初めて逢ったのは昭和28年ね。それから3年くらいは私のファンの人だと思っていたの…。ところが3年くらいたって、父親の違う姉だって聞かされたの…。
私としては、死んだ兄(トオル兄さんの事と思われます)のことばを信じるしかないでしょ。それから3年くらいたった昭和34年ごろかしら、それまで付き人だった子が結婚して辞めたの。そしたらYちゃんが「離婚されて困っている」というので・・・。
これも私の病気の時だったけど、このころ健さんと別居していて、Yちゃんは私と同じ部屋に寝ていたの・・・ 朝起きると、きまってYちゃんがいないのよね、それで不思議に思って聞いたら・・・ 「チエミちゃんのためにお父さんのお墓(これは「母」の誤植か…またはもちろん実際はチエミさん自身が建てた玉川瀬田「法徳寺」のこと=お父さんが建てたお墓…と表現しているものかと。)にお百度を踏みにいってる」っていうじゃない・・・ 私は涙がポロポロでちゃって、一生この人を放すまいと思ったわ・・・

※しかし、その早朝の不在はお隣のお寺の電話を借りて高利貸しと連絡をしていた…ということ、またすべてが江利チエミを他の親族、雪村いづみ、清川虹子…親しい人々から引き離す手段であったこと… 別居、離婚も吉田の画策によるものだったことが露呈します。

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101) どうしても書いておきたいこと…
2005年07月25日 | 江利チエミ(初期記事・本編):Goo ブログか

https://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/b669de8109e77a4f882fb8d3c24cb561

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(2023/09/04 15:55)現時点で、調査中の項目(不明点)
駿台予備学校の西山・横家・後藤という齣と進研予備校女性職員の滝沢、吉田は完璧な相似形であった。全く、瓜二つで展開された。後者は1986年度に催眠を多数使用されて被害に遭った。ところが、大きな違いがある。
岡山の進研予備校女性の件は、彼女らが親会社の福武書店・現ベネッセに移動した瞬間に、彼女らに関する催眠は止み、もはや今日(2023/09/04)まで彼女らに関する催眠問答や、記述強制は一切なくなった。他方、駿台の方は今日まで何度催眠強制で状況を語らされたり、書かされたりしたであろうか。
だが、女性熱の合計量は岡山の方が上だったのではなかろうか。
この謎が残っている。

(2023/09/04 15:56、16:38)部落問題が臭わされるのは何故か(この項目は独自単元に後日移動)
もう一つは、駿台事件の途中か終わりから部落問題が強調されるが全く意味不明である。岡山の予備校では部落問題は一切強調されていない。
ちなみに、部落問題に関しては、私は以下の活動しかしていない。
①(無料でボランティアとしての)子供会活動
②夏休みなどに、同和地域の父兄から昔受けた差別を聞かせてもらったこと。(歴史の聞き取り調査に該当する)
③実態調査のお手伝い。
上記内容は部落解放運動が分裂したが、どの団体・組織でも協賛してもその逆はない。
④なお、各種高校生集会に参加したり、その応援に行ったこと。大学時代も高校部落研OBとして参加している。これも高校生集会であり、イデオロギー的問題はでていない。例えば、制服🆚私服問題、受験教育の弊害、…や沖縄問題(参加した最初は1968年であり、沖縄からの友がドルを円に換えて、ビザをとって参加していた頃である)、人種問題(アフリカン・アメリカの人と日本の親との子どもの話)等等である。
これも特定団体から目の敵にされる内容ではない。活動は自衛隊基地の視察…まで行っていた。
よって、部落問題に関しては、全団体・組織から協賛されてもその逆はないはずである。 部落問題強調の謎は後で再度記すが、現時点では何が原因かさっぱり分からない。唯一のヒントは2012年4月に松江の友人(布袋のモデル)が「人間違いが原因」ときっぱりといったことである。この友人は同一住所二軒問題の解明を開始した2019年4月に死亡した。死亡した日は私のカード詐欺被害が発覚した日と同一日であった。その4月には西山ファーム(西山美千代社長)…のカード詐欺事件が入った月でもあった。これは、その前に「世界の指導者よ、(駿台講師室係NM)に絡めて、福岡県の梓みちよをもじり、福岡県のみちよを調べてくれ」に呼応していた。
西山美千代とは駿台講師室係、悪質詐欺及び業務妨害犯罪者西山美千代と同姓同名、同一漢字であった。
ともかく、部落問題が何故からまったのかの解明は別の単元に記載予定でいるが、2019年以降「人間違い」が原因としか分析できない。


なお、私が大学4年の頃に八鹿高校事件が起こる。この事件の際には実態を見学に行きたかったが、長姉が大病(後に死亡)で、姉の夫が仕事上、電話番がいなかったならば義兄の自営業は不可能(倒産だ…)といわれて、昼間は大阪の姉の家に缶詰状態で行けなかった。夜は日によれば宿直のバイトもあった。
今、考えれば、姉が死亡が嘘ならば、一切対立部門には関わらないような工作が映画類でなされていた可能性が高い。というのも、八鹿高校事件は「1974年11月22日」起こるという例の1122という数値と一致していた。(このときに機動隊の最高責任者が、私いと後に表でも裏でも、後に腐れ縁ができた、佐々淳行氏であった。)
また橋が随所で強調されるため「橋のない川」関係を調べると、映画監督の今井正氏が死去したのが11月22日であった。今井 正(いまい ただし、1912年1月8日 – 1991年11月22日)。更に、「部落解放の父」と言われた松本 治一郎(まつもと じいちろう、1887年〈明治20年〉6月18日 – 1966年〈昭和41年〉11月22日)が死去したのも11月22日であった。

私が生まれた日付については、私の責任ではない。尚、私と同一年同一日に母系のいとこが誕生していた。名字は山崎に…。女性である。後に人間違いを連想させるような…も私の責任ではない。この叔母が随所で山崎を強調し、叔母の友人のお子さんは私と同級生であったが、その友人と姫新線で一緒すると妹さんが好きな振りごっこをして、友人は漏れ笑いしていた。この友人の出身大学が西山と同じ、京都女子大であった。

これらから、私は不可思議な世界の、筋書きのないドタバタ劇を連想して、途中から駿台事件は無視していたが、世界の友人10人以上から住所二軒問題をやれという指示で、同一住所番地二軒問題を解明していたならば駿台事件に転送され、こうした訳の分からないというか、社会的な意味があるかないか不明の文書書きを強制されている。

なお、松本治一郎氏と言えば、彼の孫・松本龍氏に菅直人内閣で少しかかわり合いをもたらされる。それまで、彼の名前も、顔も何も全く知らなかった。もっとも、彼が高校時代から真面目に部落解放運動やっていれば1968年の部落問題高校生全国集会で同じ会場にいたであろう。この頃は部落解放運動は分裂をしていなかったため確定事項である。
それ以外では無関係である。後に、私は考えるところがあり、完全党派中立・宗派中立となり、40年以上となっている。当然、部落解放運動でも、党派中立・宗派中立の立場を貫いてもいる。
なお、ところが、パトカーに乗っていたお巡りさんが2018年に「松本と(我が家同一住所番地使用の)Z家の小母」を強調した。そして、2018年7月21日Z家小母の三回忌に招待されたが、もはやこの家と関わりを持ちたくないので、欠席して星野仙一記念館(倉敷市)に行くや、その日松本龍氏が肺癌で死亡した。山崎親子と同一病気であった。
さらに、同年、10月11日、松本龍氏の解説をテレビから私にしていた、仙谷由人氏が肺癌で死亡する。その前日には先に名を出した佐々淳行氏が死亡していた。10月10日で110を連想する日に死亡した。

ただし、部落解放同盟分裂前の副委員長岡映氏、後の全国部落解放連合会初代委員長と、1981年、偶然食堂が一緒となり、そこの経営者に紹介されたことがある、だが、単に食事友達でしかない。駿台で教壇にたった1982年頃からはお会いすることもなくなっていた。その誤解かとも思ったが、後に部落問題の項目で検討するように、違っている。同時に、亡き友人が「誤解や勘違いではなく、人間違いが原因」と言い切った謎もある。

この時も上記情報より、私には筋書きのないドタバタ劇に思えてしかたなく、駿台事件は無視したかったのであるが、Z3氏の演技や催眠で無理矢理付き合わされている。何故、無視したいかは老後破綻対策の起業・開業問題や、主たる賠償交渉を能開大においていたため、そちらの闘争に専念したかったからである
また、能開大被害にふれかけるたびに駿台事件に転送される謎もある。
ともかく、同一住所番地二軒問題は、友人を含む世界の指導者10人以上から「やれ(調べ)」より、この問題だけは解かねばならないであろう。正確には、Z3氏(私より一歳上の司法書士)が言うには「うちのおふくろ(Z3氏の母)が1954年に、浜田良一・浜田耕治・誠・隆政家の住所番地で戸籍を申請した」とのことである。
我が家の祖父・浜田良一(学校の校長等で美作市では知っている人も多い)、父・浜田耕治(学校の教頭で教え子も同市では多い。更に福武哲彦氏の師範時代の一年先輩で知り合いであったようである)、母・浜田誠、私・浜田隆政(塾・予備校・高校・大学校教師歴任:西宮・東京・岡山市:倉敷でポリテクカレッジ岡山、京都・大阪で駿台)が実名ならば、住所問題で私に金銭被害などを与えたZ家も類似までは実名が平等であろう。

2023/09/04 16:21記載

Z3氏=浜田正典(神戸の会社を辞めて後は司法書士:尼崎が長い:大学は京都)、彼の母=浜田千代子、彼の父=浜田稔(国鉄勤務)。祖父は知らない。祖母はの名は忘れた。というのも、江戸時代の頃に我が家と関係していた家だからである。曾祖父以降は全く無関係の家である。浜田正典氏と私・浜田隆政の類似性は膨大にある。だが相違点もあった。その相違点を各種挑発や誘導でなくされつつある謎もある。彼は小中高と学業優等生であった。私は勉学に全く価値を置かぬ人間であった。所が、後に勉学の道へ誘導される。受験大学まで類似…。また彼は容姿端麗で一部の女性にはアイドル型であった。私は真逆であり、小学校時代は肥満児で女性は私を無視、中学校時代は悪仲間が多く女性が一部敬遠、高校時代は大半男性がほとんどの理科系、…ところが駿台事件の西山・横家・後藤登場と、岡山での滝沢、吉田登場で…彼と錯覚させられるような操作が。

また、人権問題に高校や大学時代に取り組んでいたのは私であり、彼はそうした物には無縁であったが、2011年に古里に戻り、人権擁護協会の委員になり…他方、私は人権問題への真逆の印象操作を☠がした疑惑がある。同時に、彼は田舎に戻り、彼の母などの件から酒浸りに近くなり、容姿端麗が台無しになっていく。すると、私と区別はつかなくなっていく。

また、同敷地内に両社の父の姉妹がいた。浜田稔家は、千代子さんの対立から姫路に移動された。我が家のいとこ(父の姉の子)は神戸に移動した。他方、神戸にいた、間違い易いいとこは姫路に移動した。

Z家(浜田稔家)の方は皆木家である(記載理由は村のトラブルが皆木家の前にあった姫路40の車から出発したことと、後に登場の既婚女性講師室係武内が114銀行を強調したが、その関係で記載しなければ意味不明となるためである)。我が家のいとこ名は(本人の許可をとるまで)伏せEMとするが、神戸にいた別の従姉妹が姫路に移動したが、これは山崎(駿台理事長と同性)である。

上記の相違点以外の類似点は私も驚くほどある。その一覧表を後日整理して掲載しておこう。

部落問題が絡んだが事実ならば、どの団体・組織かを知りたい。担当直入にその理由を聞けば、まず、人間違いが判明するであろう。

40年間意味不明状態に置かれ続けている、気分の悪さもある。

女性の件。西山美千代…は随所に記したように、常識的には世界の指導者などからの私への返答で回答はでた。横家(名前は昨日・2023/09/03写真から解読すると幸子の可能性が高い:相生生まれ、龍野高校卒、同志社卒)について1995年頃に分析すると不審点が多数あった。だが、無視していたが、2016年長崎市長に手紙を出したその日に、私の原稿「岡映氏との思い出」をもじった形で、龍野高校卒丸山和也氏のオバマ大統領失礼発言が起こる。それ以外の各種情報から、彼女も、業務妨害・激しく行われた刑事犯罪への協力者の可能性が高いとしか分析できなかった。これらも後日丁寧に駿台事件工作者の項目で記載を行う。

ただし、駿台予備学校…はお嬢様・お姫様が多く、犯罪の重要性に気づいていない可能性があるため、明白に、彼女らによりうけた危害を契機にどの程度の犯罪被害(拉致未遂、ひき逃げされる危険性…)に遭ったかも明白にした方がよい。また、関連での死亡者が多数でてもいる(もっとも一部は嘘の死亡であろう。Z3氏などは…)。ともかく、刑事犯罪者への犯罪協力者としての認識を持たせた方が良いと長期考えている。

他方、全く相似形であった岡山の予備校の滝沢、吉田はその後一切無関係を貫いてくれている。この相違はどこからくるのであろうかという謎もある。

23-268-4【#駿台 事件】と写真。先日以下の写真を処理
①おじょう🛵🚺の写真
②#駿台 事件🚺横家と後藤 の写真
③🇵🇭Philippinesの友人🚺マリーサとイルマ の写真
④岡山の予備校🚺滝沢と吉田 の写真
①~④は同じ構造で、同じことが1984~86年の間に起こった。
だが後が全部違う。その謎の解明のため、

※著作権は🤡私、肖像件問題で非公開としているが、絵風に加工すれば公開可能か。
何故公開するか。デマ粉砕のため。
①~④は全部同じ構造で同じ現象も、後が全く違う。何故、駿台だけを強制回顧かの解明のため。
また、駿台女性🚺美人神話を砕くため。①~④は最低でも全く同一で。

公開すれば容姿…は②(駿台)より①(🛵)が良いと思う人が多いかもしれない。
最低でも互角で。
性格は②不明。①は何度もデート。
実際に②横家・後藤は催眠熱ですらまだであり、岡田課長(駿台京都校2号館)への見合い斡旋依頼も迷い中でのドタバタ劇であった。すると、①🛵から②に行く必要性は皆無となる。
当然、②横家・後藤は登場不可能。そこで①が自分で1985年2月中盤以降に潰れる演技をした。
🛵よ、そろそろ白状せよ。もう全てばれている。楽になりましょう。

ともかく、①(🛵)がいれば、②(駿台)の話題すら提供できず。駿台は何のために②横家、後藤を雇ったかとなる。
そこで、映画関係者🤝駿台経営陣:
映画関係者が①(🛵)へ指示、駿台関係者が②(西山・横家・後藤・武内)へ指示が写真からも判明可能となる。
後日、駿台事件全貌編で🖊記載予定も📸写真を掲載できれば、言葉よりも早い可能性がある。
謀略で容姿は①<②と人が勘違いしているだけ。写真公開でこの勘違いがとける。公開時は絵風で肖像件に触れぬ配慮はするため、今、コミック型絵風で本気で掲載を検討している。

又②+西山美千代🆚④の比較→何故辞職後は④については後に誰も聞かぬのか。同じ状況で。
④は聞かずに②(駿台)ばかり聞くのか、の謎。催眠で②(駿台)のみ。何故、何故、何故。
④の吉田は本田美奈子似で現代若者には②(駿台)以上で。
滝沢は西山などよりも、男性に好かれやすいタイプで。
🤡は②(駿台)④(岡山)は性格上全部合わぬと思ったが催眠熱で🤷(おてあげ)が事実。
(🤡の父の師範1年後輩で父の知り合い)福武哲彦(創始者)→④に指示で彼女らが演技。

③(Philippines)は何故揉(も)めなかったか。③は本当の美人で。
美人という範疇(カテゴリー)ではアイドル並みで。多分本当にアイドルでは?
だが終始ともに友好であった。一時揉める危険があったが事情解説手紙で完全回避。では駿台は?
とりあえず③だけでも掲載するか。すると②(駿台)の美人神話が一気に崩れる。嘘ばかり。
性格が重要。然り。②(駿台)は全くどんな人か知らぬ。多分相手も🤡のことは知らぬ。

②③④いずれも同一現象であった→①も含め誰か一人が全貌を喋れば①~④全貌解明可能となる

ただし、駿台事件の本質は🚺女性問題では一切ない。
🎬🎦でのCM等の利権と人間違いの融合にある。

(2023/08/31記述)駿台事件:全貌編

新たな事実が判明しだい積み立て方式

駿台はポリテクカレッジ岡山と相似形。

共に先刻展開前に私を採用し、役割がおわりかけた頃共に、自主退職をしいられた。

浜田隆政個人のCM利用があった疑惑。

また、駿台とポリテクカレッジ岡山がどこかで繋がっていた可能性。ポリテクカレッジ岡山の①年目に山崎が強調された謎。

上記は浜田隆政個人への謀略。

他方、意味不明な挑発類は、我が家の住所美作市位田646にあるようである。

だが、浜田稔・千代子・正典家も1954年以降、「美作町位田646」を使用していた謎。同家の登記簿や美作市の地図では「位田648-5」である。

高橋氏が「人間違い」を強調。

即ち、どこかで位田648―5の被害が間違えて位田646に別に加わった疑惑

 

★(2023/09/03 0:08記載)
本当に人間違いならば、私には意味が永久にわらかないであろう。だが、本質は駿台の全国展開前の大CMにある。
どういうシナリオで話題をとろうとしたのかの解析は、人間違いが入り、分析できなくなっている。
ただし、どのようにして人間違いを起こしたのか、そのメカニズムは相当解析できつつある。
なお、人間違いは、駿台に行く前に起こっていたか、駿台講師時代の途中かの判明はまだできていないが、駿台辞職前に起こっていたことは間違いない。
そのヒントが、駿台辞職から1月半後にあった松江の友人(布袋さんのモデル、以降布袋で記す)の結婚式では、布袋さんの叔父さん(税理士)が別人に入れ替わっていた。同時に、その直後に、駿台の生物教師・川端三郎先生そっくりの声の人物に数度会ってもいる。

この後は各論で順次証明をしていくが、ここ数ヶ月は「山崎」が異常に強調されている。もっとも、山崎強調は、駿台に行くや即至る所で強調されている。山崎とは山崎春之氏を指すと考えて間違いなかろう。

簡単に言えば、山崎理事長が、駿台の全国展開前に、駿台の大CMをする目的で私を採用し、私に絡める女性を翌年に採用した。逆に、その女性達以外は一切私がハプニング恋愛をしないように配置換えや自主退職にもっていく。
3人の女性には進展しないように釘をさしていたと思われる。
要するに、何にも実態がなくしてもめさすことが目的であったと分析される。何の目的かは今分析中であるが、女性問題など最初から最後まで一切ないのを勘違いした☠が後で痛い目に遭うことを意識していた可能性がある。少なくとも結果としてはそうなる可能性が高い。一種の罠である。だが何のために。また☠とは何の組織か。

同時に、部落問題が強調されるが何のことかさっぱり分からない。私は部落差別をはじめとする各種差別と戦ってきた人間であり、真逆である。
菅直人元首相や辻本清美氏が何かを知っている気配を感じている。そこで、菅直人氏や辻本清美氏に関与している・関与した組織名を聞き、その組織に直に問い合わせた方が早いと最近考えている。想像では話にならないからである。
まだ一気に判明した時点までの全貌とその証拠を掲載したが、本日(2023/09/03)、更新履歴に記載の理由で妨害だらけで、その上明日は村の賦役のため、もう時間切れである。本来一気に分かった範囲での全貌と証拠類を掲載予定でいたのに。
逆にいえば、明日…のために、本日このBlogの記述妨害をされたのかもしれない。

(2023/08/31記述)

①🚺

1983年入社組に経営者が限定していた。

①NM→福岡県の美千代調査依頼

福岡県、京都女子大

西山美千代ファーム事件、西山美千代社長

カード詐欺

住所二軒問題

携帯電話がでてきた謎

友人の妹の好きな振り遊び→友人は京都女子大卒。

山崎も悪いという書き込みも多数。

また不気味なのは「あんたの嫁さん」という書き込みがあったことである。

なお、人間違いは駿台時代にはもう起こっていた。駿台辞職2か月後(1988年3月上旬)に、高橋氏の結婚式にいった歳に叔父さんが別人であった。叔父さんは税理士であり、司法書士に対応する仕事である。

{比較では公認会計士🆚弁護士、税理士🆚司法書士と言われることが多い}

横家

龍野高校、同志社商学部卒、家は相生、高校は龍野

中井氏が1983年からいていた謎

そっくりな人に出会う→妹が岡大へ…だが頻度が多すぎた。

丸山和也事件→岡映氏原稿もじり登場。

登場日は私が長崎市長に手紙をだした日。

長崎でも事件

丸山和也氏→龍野高校、早大法学部卒

私の従姉妹のM→息子で勘違いか勘違いのふり。

息子→龍野高校、大阪市大

1985年夏休み前「まっててくれ」催眠で言わされたときにきっちりと受付にいた謎(催眠をしっていたよう)

後藤

大分県、同志社女子大卒

後は全て不明。世界からのシグナルはない。

武内

既婚女性。多分=香川県。京都女子大卒。

私が聞きもしないのに、父が香川県の「114銀行」を強調。

114とは我が家🐶の名前と合致。

また催眠を意味する数字。

同時に、2023年姫路に行った際に、夜疲れ果て夢遊病状態に。すると突如114銀行が目に飛び込んだ。その後も放浪していると、今度は突如播磨信用金庫が目に入った。

皆木の小父さんの宿直場所が姫路の金融機関。播磨信用金庫だったか否かは覚えていない。

もし、後者ならば、武内の役割は、皆木家(浜田正典家敷地内の家)との絡みを意味していたのかもしれない。

そうでなければ、🐶催眠で14イコール114を事前に告げる役割であったかもしれない。

1983年入社組以外は少しでもハプニング恋愛の危険あれば、自主退職が配置換えの謎。

①1982年少し口をきいた🚺は結婚して配置換え=クサカ氏。

②1982年駿台講師室係で唯一、感心を持つ危険のあった🚺は1982年度入社で1982年度で退職(吉田課長にいわせれば、「お茶くみなどできません」ということであった。なお、効きもしないのに、彼女には彼氏がいたと吉田課長が私に言った謎)

③植野さん。駿台🚺職員で一番口をきいたかもしれない🚺。担任していた生徒の件での会談で口をきいたと思う。1985年春に結婚すると言って駿台辞職。結婚祝いを二号館で渡した覚えあり。

④近藤さん。上記を意識させるため、一度彼女の冗談で笑うと、その年の終わりに結婚して北海道に行くと言って辞めた。

⑤🚺生徒=槇坂など。一度、彼女と軽食を食べていたならば、表三郎氏の顔が飛び込んできた。駿台でのハプニング恋愛をおそれていた如し。即ち、1983年に雇った西山・横家・後藤の役割がなくなるではないかと言わんばかりであった。

 

 

 

2024年5月11日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA