(💁正式公開)駿台事件真相編―01・催眠の怖さと駿台事件とは何かを語る。
今回は下書き段階でどんどん次の事項に進み、完全に書き上げてしまう。その後ポリテクカレッジ岡山事件も同様に一気に記す。その、半年後に両方とも修正の繰り返しと清書をする。(もっともいつまで生きているか不明で清書までできるか否かの保証はない。)
【更新履歴】
2024/05/19 22:02 正式公開。2024/05/20 1:30 ゼノンの詭弁と駿台女性の話を追記。
2024/05/20 9:55 ゼノンの詭弁は沖縄電文漏洩事件同様に話題を置き換える手口と判明して、次ページ駿台事件真相編ー02に移動。なお、この件を書くきっかけは簡単に以前掲載した解説を添付しようとするとそのブログのこの箇所が紛失していたことを契機に催眠で誘導されたものである。起床後に、例の煙に巻く一連の手口と判明して移動。なお、昨日上川外務大臣の「女性が子供をうまねば…」発言が起こった日であった。移動作業中、Z家に黄色若しくは金色の車がとまっていた。正確にはZ家横の旧皆木家の前にとまっていた。
(表紙の写真)良くないのを故意にはる。それでも気が向けば一枚まともなのを最後につけるかもしれない。今でも頭にきている。(クリックで拡大)
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(2024/05/19 18:10~)駿台事件とは何か。
本質から記すためには催眠類被害の事例を抜いては無理である。
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各種イドラやマインドコントロールではなく、催眠若(も)しくは催眠類である。
各種イドラとすれば、東大と他大学に合格すれば東大に行きたくなるなどである。高校時代に聞いた事例では他大学と東大と両方合格して、東大を蹴った事例としては上智大学の方を選んだ生徒が一人いた程度である。
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私の関学行きはマインドコントロールの疑いが高い。催眠までではない可能性がある。(多分、日本のフィクサーME登場のお嬢が関学に行っていた関係であろう。)
ただし、催眠かどうかを簡単に見分けられる催眠と、なかなか見分けがつかない催眠がある。
ひどいときには、したくないことをさせられかけ、催眠と分かり抗議をしていても強引にやらされるときもあった。代表例の一つが、我が村の川の鯉(こい)のぼり撮影である(上の写真)。
撮影前も撮りたくないと抗議し、催眠がかかって数日間は粘りに粘った。だが、抵抗できないレベルまで催眠の度合いが高まり、ついには撮らされた。
撮っている最中も、「何故撮らされるのか」と独り言で抗議に抗議を重ねた。撮影後も怒り狂い、何度もぼやいていた。
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こうした催眠による一方的撮影で何度も怒鳴っていた。
もう「無理矢理撮影をさせるな」と。
母は「もう、誰もお前に撮ってくれとは言わぬ」と笑った。
だが、一年か二年するとまたも、何度抵抗しても撮らされることがあった。
これとは別の説得型催眠や、催眠とは思わずに、相当後で催眠と気づく催眠類もある。
ともかく、この各種催眠を多数投入され、起こったのが駿台事件である。
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なお、この催眠は当初は父や長姉類を連想する映画説グループであったが、駿台事件の頃から☠(謎のXグループ)も絡んできたように思われた。後には、👺(日本の将軍様)グループも絡んでくる。その他も絡んでいるかもしれない。
※日本の将軍様とは戦後の総理の一人に該当する。
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そこで☠(謎のXグループ)か👺(日本の将軍様)グループが催眠をかけて、私に何かを書かせると、数日後に、最初のグループが催眠をかけて、その訂正を書かすという奇妙な事例も幾つも発生してくる。
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これから紹介する、駿台事件は、過去と異なるか、それとも過去以上に各種利権が絡んできた催眠悪用事件であった。
さらに、そこに、各種工作・罠(わな)などが多数登場する。そして、この罠・工作類には心理学の専門家が仕組んだと思われる事例も多数見受けられ出す。また、戦前の日本の謀略を思わす各種工作も登場してくる。
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なお、駿台でのきっかけとなったと思わされた女性NM熱は先の川の鯉(こい)のぼりの例に該当する催眠であった。手紙を出すまでに約1年抵抗をしたのを覚えている。一年抵抗できたとは、即座に…という催眠ではなかったようである。
粘る余地を故意に与えた催眠であった。だが説得型催眠ではなかった。私の意思を説得してではなく、強引な形で一方的に決めつけた催眠であった。
これらも後に実証していく。
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後には何人もの死者や私自身が何度も殺されかけたため、緊急避難として超法規的措置も兼ね、次回からは原則として実名で記す。同時に、四人組女性の一部などは、名前に(映画説の各種罠の)ヒントがあり、名前を書かねば説明できないからでもある。
駿台及び映画説グループが四人組を採用する際には、遊びか何かで名前もそのときの選抜材料にした疑惑もある。出身大学名も同様である。
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※駿台女性が多数登場ではない。四人組であり、それ以外は偶然恋愛も許さぬと少しでも危険があれば駿台側が自主退職や配置換え…でハプニング愛はNGであった(後に実証)。逆に四人用意した以上、(映画説関連の🛵おじょうが故意に手を引き…などの演技…で)全員フル活用するための、映画説グループと駿台のCMエゴ…等も実証しよう。そこで、まともな手段では駄目ならば催眠類(🛵おじょうとの別れ…等など)も同上するとなる。
これは関学でも見られた。多分、お嬢がいたので私は関学行きが決まったのであり、関学にいってお嬢と会ったのではないようである。関大🆚関学の余波で授業料が安い国公立…は😭。ともかく、登場予定メンバーをごり押しでもフル活用するというエゴである。
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ともかく、今回は骨子を簡単に記して、後で各種肉付けをする。
(A)駿台事件の本質は一言で言えば下記である。
①契約違反
②強制労働
③駿台内での業務妨害及び他の仕事関連での業務妨害への(事実上の)共犯罪
④幾多の刑事犯罪
⑤傷害罪若しくは同罪への共犯罪
⑥(多分故意に)人間違いを誘導し、その後の私の人生を破壊した罪などである。
⑦自己の才能の向上を破壊した危害(ここも逸失利益に該当)
⑧各種病気への加担の疑惑
⑨結婚を含む通常の生活や人生の安らぎ等を剥奪(はくだつ)したこと。
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これらの骨子を個別に記す前に、駿台事件全体の概略を記そう。
次に、個別の骨子、その後で徐々に肉付けを行う。
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(B)加害者群
1:🎬テレビ・映画説グループ
2:駿台経営陣と駿台に投入された人物群(女性四人組…など→本質からは付録とも言えるが謎である)
3:☠(謎のXグループ)である
4:その他
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(C)使われた武器
1:催眠
2:心理学手法
3:各種契約違反
4:あからさまな刑事犯罪
5:人間違い
6:人物入替えと偽者
7:戦前を彷彿(ほうふつ)させる各種謀略
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(D)なお、結論から言えば女性問題は下記の如(ごと)く、実際には登場していない。
登場していないものを登場させたと思わせ、謂(い)わば、「ゼノンの逆説」(資料も兼ねて駿台事件真相編―02に掲載)の世界で論争を仕掛けられたのである。
ただし、その「ゼノンの逆説の世界」問答の誘因となった、女性四人組の骨子は今回も後にするが、過去の記述とはかなり別角度となる。
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上記を具体的な語句を連ねて記せば以下となる。
駿台と私は駿台の教壇で授業をすることとその代価を前提に契約を交わした(①)。
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ところが、恐らく駿台のCMのために、🎬(映画説)グループと結託して、(視聴率類をあげるために)後に登場する駿台講師室係🚺京都校四人組を絡めてのドタバタ劇に強制的に私を参加させて、私の人生と生きる目的を剥奪した事件であった。
ドタバタ劇への強制は、🚺四人組の芝居のみならず、強力な催眠類により私の脳を自由にコントロールして、無理矢理参加させるという激しい暴力行為に該当することをなした。若しくはその協力=共犯を行った。
私は斯様(かよう)なドタバタ劇への参加の意思は全くないし、そうした契約もしていないし、その代価若しくは賠償も得ていない。📢重要な契約違反である😡。同時に(催眠と各種謀略、詐欺による)📢強制労働である。私の大嫌いな世界であった😡。
②~⑤
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こうして、私の才能を培うことを妨害し、同時に生きる喜びであったプレゼンテーション行為、そして私の安らぎと通常の社会生活を長期に亘(わた)り破壊した。(⑦)
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更には、駿台と映画説グループで、人間違いを故意に誘導して、☠(謎のXグループ)を絡めて、後の私の仕事を妨害し続ける土台を構築した犯罪などである。(⑥)
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🚺女性問題などは最初から最後まで存在していないことも後に再度証明する。
更に、証明は大変難しいのであるが、恋愛詐欺のみならず、催眠類を多数使用した若(も)しくはそれへの協力をした犯罪などである。
また、後の病の原因などを創造若しくは加担した疑惑もある。
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後の病とは三度の大吐血に至った十二指腸潰瘍、自律神経失調症…などである。なお、この本質原因は当初は雇用促進事業団運営のポリテクカレッジ岡山(能開大)に求めていた。今も相当の責任は能開大及びその運営権者雇用促進事業団(後の雇用能力開発機構、その財産を受け継いだ独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構[JEED])にも相当の責任、場合によれば駿台以上の責任がある可能性もある。
これらは、駿台事件の後で能開大被害事件を書いていけば、新たな事実が判明するかもしれない。
病気については、上記以外の別の短期的な病気類も駿台紹介のホテル内で外部から何らかの菌・ウィルス…を注入され引き起こされたと思われる病類も存在する。
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ただし、躁鬱(そううつ)病の激しい状態及びその原因は、能開大にあると現時点でも思っている。
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催眠術を悪用した犯罪で、催眠術事件が発覚した事例。
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コペンハーゲン催眠殺人事件 (Copenhagen hypnosis murders、デンマーク語:Hypnosemordet) とは1951年3月29日にデンマークのコペンハーゲンで起きた銀行強盗事件である。
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この事件は実行犯のパレ・ハードラップがビョルン・シュー・ニールセンに催眠術をかけられて銀行強盗と殺人を行ったとされた事件であり、催眠術をかけたニールセンが正犯として無期懲役になり、実行犯のハードラップが心神喪失無罪になった判例でもある。ハードラップは銀行の出納係と支店長を射殺して金を手に入れることに失敗して自転車で近くの通りまで逃走後に階段の吹き抜けに隠れていた所を警察に逮捕された
……(Wikipedia)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E5%82%AC%E7%9C%A0%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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その他の事例として、次の10の事例をあげているブログもある。
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1. 盗撮魔の催眠術師(イギリス)
2. 広東人の催眠カルテル(アメリカ)
3. 目が見えなくなる暗示をかけ女性を暴行した催眠術師(アメリカ)
4. 催眠術師の銀行強盗(アメリカ)
5. 患者を催眠術で性の奴隷と思い込ませたセラピスト(イギリス)
6. ロシア人女性2人組の催眠強盗(ドイツ)
7. 患者に性的暴行を行ったセラピスト(イギリス)
8. ジャカルタの催眠術強盗事件(インドネシア)
9. 顧客女性らに催眠術をかけ性的暴行した弁護士(アメリカ)
10. 店員に催眠術をかけ強盗を働いた犯人(イギリス)
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カラパイヤ 不思議と謎の大冒険2017年01月17日
https://karapaia.com/archives/52232358.html
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上記のBlog編集者は次のコメントをしている。
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催眠療法なるものが存在し、実際海外では禁煙治療や不安症治療などに有効な効果を上げているという事実は知っていたけれど、テレビとかで見た催眠術がうさんくさすぎていまいち信用できていないわけだが、こういった犯罪例を見ると、やはり洗脳と一緒で、催眠術に落ちる人もいるということだね。
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下記は真偽は全く不明であるが、ロバート・フランシス・ケネディ(英語: Robert Francis Kennedy、1925年11月20日 – 1968年6月6日)暗殺に関与したサーハン・ベシャラ・サーハンについても次の記述がある。
真偽は不明であるが、催眠術問題の大きさの一例としての参考掲載にすぎない。
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この事件も兄の暗殺と同じく謎の部分が多い。サーハンは暗殺動機を「ロバートが親イスラエル的言動を行ったため」と発言したものの、その後「銃撃の瞬間のことは覚えていない」と発言したことから、「サーハンは犯行時に何者かによって催眠術を施されていた」という説もある。また、銃撃直前にサーハンが会話をしていた女性がその後衣服を事件現場周辺に脱ぎ捨てたまま姿を消したほか、ロサンゼルス警察がなぜかサーハンが撃った銃弾のめり込んでいるドアを壊し、また2000枚以上の証拠写真等をなぜか早々に焼却廃棄して捜査を切り上げるなど(その後FBIが捜査を受け継いだ)、捜査状況についても不審とされる点が多い。裁判の結果、サーハンは終身刑となった。
(Wikipedia)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3
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彼の近況について、Wikipediaは以下の掲載をしている。
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その後行われた裁判でサーハンは終身刑となり、数度に渡り裁判のやり直しを求めたもののすべて却下されている。なお、サーハンは1989年にインタビューに応じ、「銃撃の瞬間については覚えていないものの、自分が犯人である」と述べている。現在はカリフォルニア州のプレザントヴァレーにある刑務所に収監されている[1]。2021年8月27日、カリフォルニア州当局は仮釈放を勧告した[2]。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%B3
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私の過去の大事件の大半かほぼ全てが催眠悪用であったため、今回は催眠から駿台事件の真相にはいった。
小中学校時代の催眠被害→後日、幾つか紹介しよう。
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高校時代の催眠
柔道部を突如辞めさせられた事例
女性熱が正に一秒で別人に変更させられた事例(部落研後輩🚺の事例):同様の手口が1984年1月に駿台京都校で起こる。西山熱である。この数ヶ月前でも、駿台辞職直後に考えると晴天の霹靂(へきれき)であった。
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大学時代の催眠事例
お花さんと破談の一言催眠。
新左翼学生の拠点に一人で乗り込まざるを得なくなった催眠一言言動
お嬢…催眠ストップ事例
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大学院時代の催眠事例
幾つかかあるが、修論清書終了数日前の字下げ…で大騒動催眠。
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そして駿台講師時代を迎える。
今回は骨子だけなので、いずれ、小学校から駿台までの催眠事例の幾つかの肉付けをして解説しよう。
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催眠類の証拠は、この10年間書いたBlogやSNSでも誰でも確認可能かと思われる。
更に、別角度からも、いずれ実証する。
勿論(もちろん)、催眠に関与した人物の誰か一人が証言すれば、もはや説明は不必要ともなる事項でもある。
次回の公式Blogでは、日本のフィクサーME・Part 3第3章第7節「帰国への道―バンクーバーでの大暴れ、再度、私は何者か」で分かろう。「外務大臣・岸田を出せ…」なども言ったと思う。(今の総理である。2015年当時は総理なるなどとは夢にも思わず。)
もろに、これから催眠行動を起こすというシグナルをだされ、その通りに大暴れした事例を記す。数百人を前にしての大暴れであり、覚えている人も多いであろう。その上に、催眠であった証拠が幾つもある。
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尚(なお)、駿台事件を絡めて、催眠類で動かされているのが明白に分かったのは駿台辞職してから1年以内ではないかと思う。
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※肉の部分の一部。
今回は可能な限り、骨子だけとして大急ぎで一気に大枠(駿台講師直前、駿台講師時代、駿台辞職まで)を書いてしまいたい。今、完全に詰んでおり、何が起こるか不明のため急いでいる。そこで肉の部分は例外として玉に記すのみとしたい。
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少なくとも、1989年12月には川崎医大附属病院の心療内科に行き、「私は催眠をかけて動かされているとしか思えない。医師の方で、私に催眠をかけて、その事実を調べてほしい」とはっきりと依頼した。
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医師の返答は「私は、確かに、催眠をかける技術は持っているが、あなたにそれが必要とは思えない」と、断られた。
そして、そのときに初めて自律神経系統と思われる薬を処方された。また、(確か最初は断ったと思うが)睡眠薬を1週間分処方された。睡眠薬は後にも先にも使用したのはこの一週間のみであった。
ちなみに、このあと、1か月後頃からは、突如、急速に意識というか気力が大きく減退して、何もする気がなくなっていく。それが後に4年間続くことになる。
当初は薬を疑ったが、別の医師がその判定をしないため、同時期に受けたポリテクカレッジ岡山での各種嫌がらせや契約違反が原因と考えるようになった。
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なお、このときの医師は、駿台の「いわさ」部長に雰囲気が似ていたことを覚えている。
次回、この病院に行くと、先の医師ではなく別の医師が出てこられた。その後は岡山県の実家近くの原田医院経由で薬を受けとることになる。
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なお、川崎医大附属病院に行った経緯は、原田医院に入院していたが、「恐るべき労基法違反」に記している事項で、不安を抱き、東京の代々木病院に救済を求めた。すると、代々木病院がこともあろうに原田病院に直(じか)に電話をしてきた。
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同病院のことは拙著『恐るべき労基法違反』(本年・2024年全文実名化と大幅修正予定)にも少し書いていると思う。
無料配布ページは下記
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http://www.h-takamasa.com/rensai/custom.html
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より詳細には、拙著『閉じた窓にも日は昇る(下巻)』(Kindle、Kobo各百円)で発売中に書いている。
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そこで主治医に呼ばれて、主治医が「代々木病院に行くなとは言わぬ。その代わり条件がある。川崎医大附属病院心療内科にいくことを条件とする」と言われたので、やむを得ずいくことになったのである。
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ちなみに、原田病院の医師は私の亡き姉の母(私の母とは相違)の実家の親戚と聞いたことがある。また、原田医院の婦長さんは私の父の教え子であり、懇意にしていたようである。この婦長さんが、原田医師の奥さんだと思う。
父のかかり付け医も原田病院であり、父を車で同病院まで送迎したときに長時間またされたことが何度もあった。父にいきくと、医師の診察が終わった後でコーヒーか何かをだされ、ごちそうなっていたそうである。{簡単に言えば映画説類での原田医院登場である。父・長姉が自由にできる…}
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私の主治医に近い存在は青山医院(美作市福本)であった。私の祖父の主治医が青山医師(美作市湯郷)であり、私はその医師の娘さんの旦那さんを主治医としていた。その医師の息子さんが今の私の主治医である。
そして、1989年11月に体調が悪化して、今の主治医に相談したならば明日から入院した方が良いといわれた。そして紹介状を翌日とりに行く予定(確か入院は田尻病院か美作中央病院のどちらかの病院のはずであった)でいたならば、先手を打った如(ごと)く、真夜中に大吐血に見舞われ、父が馴染(なじ)みにしていた(あたかも父の自由にできる)原田医院に連絡をつけ、同病院に入院した経緯がある。{※映画説グループ=父や長姉などの脚本としか思えない。}
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そして、原田医院から川崎医大付属病院に数度いかされた。、その後はうつ病を激しくした状態に陥り、再度原田医院に1993年まで入退院や通院することになる。93年に再度の大吐血で、ようやく、原田医院から田尻病院か美作中央病院のどちらか…で救急車で田尻病院に移送された。ようやくとは、1989年に入院予定の病院の一つだったからである。
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そして、原田医院では映画説を連想させる各種事件が起こる。病室で貧血で倒れかけると何人かが、慌てて走ってくる音がした。しかし、意識を取り戻すと一斉に引き上げた感じがした。恰(あたか)も盗撮でもされているが如(ごと)しであった。
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次回は、駿台事件真相編―2:駿台に登場前後の模様(映画説グループと駿台の利益の融合、大型催眠と苦闘、更に女性四人組登場)を掲載予定でいる。
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