権利のための闘争【(厚労省所管)能開大】労基法違反200万損失加害者世取山清、後に異例の出世の謎-1
数年前に下書き若しくはメモを保存していたが、超多忙で未公開であったもの
2024/03/01 一部追加して18:29 公開:2024年度に駿台被害、能開大被害、それに偽者事件を本格的にまとめて公開予定でいる。 19:26レイアウト修正
2024/03/01 21:53 写真画像が消えたためコピー添付
2024/03/07 13:27 タイトルの世鳥山清を「世取山清」に訂正。何故、世鳥山の誤字のチェック漏れがあったのだろうか。それとも…
(表紙の写真)
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《◇―1・概要》(2024/03/01 追記)概要。
概要:世取山清課長は、各種労基法違反をやった人物である。そして、1998年の労働省<現・厚生労働省所管>所管ポリテクカレッジ岡山(現・能開大)との賠償交渉で、彼の行った事項の解説をした。
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ところが、彼は後に、異例の出世を遂げる。能力開発大学四国の副学校長、次に同校系学校長、雇用能力開発機構本部勤務、「独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構」に移動、その後はJICAからセネガルへ派遣と。能開大グループの学校長は通常は有名大学教授の天下り指定席であり、雇用促進事業団や後の雇用能力開発機構職員はなれないのである。ところが、異例の人事で、彼は学校長となっている。それも、私が雇用促進事業団本部と交渉中に彼が行った犯罪を告発した後でなっているという不可解な事実がある。
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なお、もう一人のMK課長とは森脇課長であるが、この人物も出世をとげる。
私に危害を加えた人物はご褒美として、出世をしている。逆に言えば、私に危害を加えれば出世させるという契約(利権)による危害行為と解釈される。
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ここでは、世取山清氏が行った犯罪のごく一部のみを記載している。なお、実名を出して問題ないのは、大きな犯罪であり、それも労働省の職場での労基法違反であり、同時にこの告発は既に小渕総理・小泉純一郎総理・菅直人総理を含む、国会議員延べ100人と政府機関に書留で救済依頼文書を送付しているからでもある。私は裁判を望んだが各種手段で誰かが妨害をした謎もある。もし、世取山氏に言い分があれば、堂々と私宛に文書を送付してもらいたい。住所は能開大中国にあるはずである。その文書は私のHPでガラス張り公開をすることを約束しておく。
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後に、私が「世界のMr. Hamada」となるや、彼らは逃げをうってきている感じを受ける。もし、世取山氏がJICAに天下りをしたのを知っていたならば、当時の理事長は私とも縁のある緒方貞子氏のため、彼女に直に世取山氏の悪行(彼の出世のために故意にやった疑惑が高い大労基法違反50×4年=200万円の損失と私の健康破壊行為)に関する文書を送付していた。
なお、彼は下記の如く、最後は「誰かにおどされてやった」(入れ歯の如く、歯を強調している謎がある)というが如く、写真を載せていた。多分、世界の首脳の誰かが彼の居場所などを調べて情報をくれたのであろう。それまでは、私は彼の消息は何も知らなかった。
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《◇―2》世取山清氏の行った労基法違反の一部。< >は今回実名化した。世取山氏以外でも相当やられている。
首脅しの単位認定権剥奪を行ったME<前田昇>課長<1988~90年度>一人が問題のある課長ではなく、次の課長のYK<世取山清:1991~93年度>課長はこれから述べるように 1992 年 3 月に労基法 2 条 2 項違反を行い、それが私の十二指腸潰瘍再発と大吐血に繋がる。やがて、課長も替わり 95 年度から今度は牧歌的なHM<浜崎徳男:94~96年度>課長になると、課長が窓口にたたずに非常勤講師担当者の事務員FJ<藤井光生(多分1983~)>氏により、労基法 2 条 2 項違反他多くの不法行為や過失の連続となる。FJ氏が大
人しくなりかけたと思うや、97 年度からは後に記す労基法違反等をしても今度は居直り強硬派(正確には
労基法パワハラ型)のMK<森脇一雄(97~)>課長となりついにはドクターストップとなる。
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こうした中で、労基法違反により十二指腸潰瘍(かいよう)再発と吐血を引き起こされることになる。一九九一年末か九二年初頭頃に、Y<世取山清>課長から正式な場で次年度(九二年度)から週二回四齣(こま)(=四〇〇分)授業を担当してほしいと正式依頼があり、私も合意し労働契約は締結(ていけつ)された。当時の体調から仕事は週二回が限度と考え、九一年に政経を担当していた河合塾を辞めることにした。
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河合塾の方が賃金が遥(はる)かに良くても、(専任確約のある)短大を選ぶと同時に、労働契約をY<世取山清>課長と結んだ時点で契約遵守(じゅんしゅ)のため、その気があれば九二年度は福山校でも仕事があると明言されていた河合塾にも連絡を一切しなかった。
勿(もち)論(ろん)、他のバイトも探さなかった。ところが、一通の通知が九二年度授業開始間際に来た。週二日四齣(こま)(=四〇〇分)が週一日二齣(=二〇〇分)となっていた。私への問い合わせもなく一方的に。
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簡単に言えば、年収約八〇万円が年収四〇万円に一方的に減額されたということである。九二年度の、まともな学校関係の教壇探しは不可能な時期であった。
因(ちな)みに、四月に出講すると岡短全体では英語は増えていた。ただし増加した一齣は、私と同姓の別の浜田という人が持っており、驚くというよりも怒りと同時に呆気(あっけ)に取られた。
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国民年金掛金一〇万円余り、通院費・医療費が年約一〇万円、(病気のため止(や)められない)生命保険掛金年八万円強、車の任意保険四万円、車税四万円強、車のガソリン以外の維持費(車検積立代やオイル代等)一〇万円強、これらの合計のみで約五〇万円である。勿論、他に授業の元手・教材費もいる。もはや生活は不可能となり、極度の心労を感ずる。おまけに、年収八十万円と試算して英会話学校への申込金も支払っており、赤字は百パーセント確定した。それまででも、口論をしながら七十代の母親(二〇一〇年現在九一歳)の内職や父親の年金を当(あ)てにしていたが、もう限界となる。
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五月頃からバイトを探し続けるが時期が悪い。なかなかバイトが見つからずに心労が蓄積し、同年夏には腹痛が二年ぶりに再発する。漸(ようや)く、九二年九月か一〇月頃にN塾を見つけた。N<能開>塾では大したストレスはないし、私の一番嫌いな労働条件のルーズさは皆無であり、明細も賃金も労働契約もきっちりとしていた。だが、もはや先の心労から体にガタがきており、夏に再発した腹痛が勤務を開始した数箇月後の一二月から激化し、休職を余儀なくされる。正月明けを待ち、九三年一月三日にH<原田>病院に二〇日間の再入院をする。退院後、N塾から病気再発の危険性があるならば、仕事に穴をあけぬために自主退職を促(うなが)され、結局辞職となる。
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ところで、N塾退職後の九三年四月、岡短の授業開始日に英語が五クラス(五齣(こま)=五〇〇分)に増加しているのを知り驚く。しかし、私は週一日(二齣(こま)=二〇〇分)のままでY<世取山>課長に不信感を抱く。〝Y<世取山>課長は狂っている〟が、当時の心境。九二年度週四齣担当契約を事実上の無連絡で一方的に二齣に突如変更され、年収を半額の四〇万円にされた経緯があるにも拘(かか)わらず。専任確約で招聘(しょうへい)され、長期貢ぎ労働を強いられたにも拘(かか)わらず。過去の経緯から言って、私が五齣全部を担当するのが、常識上も道義上も、当然のことであった。
もし、そうなっていれば、授業は同じ内容を五回リピートするだけで年収は二・五倍となる。すると、両親への寄生額は病気を考慮するとギリギリの可能範囲内に減少し、バイト探しはせずに健康回復に専念していた。だが、Y課長の無責任な行動のため、同年五月から再々度バイト探しを余儀なくされる。
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そして、八月上旬に父が危篤(きとく)となり、同月中旬に死亡する頃から体調が再度悪化する。今分かっているだけでも十二指腸潰瘍(かいよう)の完全再発と悪化である。父の病気・死亡に絡む金銭面の危機が原因と思われる。こうして、ついに一〇月一五日に再々度H<原田>病院に入院する羽目となった。そして入院先のH病院での想像を絶する大吐血となる。同病院では処置不可能と診断され救急車で翌日T<田尻>病院に移送される。内視鏡検査では十二指腸に一センチと〇・五センチの二つの潰瘍があり、血圧は上が七〇(診断書記載)という状況であった。
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尚(なお)、父の死に際しては、病的無気力さに加え、(★資料―一や第一六章記述の如く)映画か何かで父の仕業(しわざ)による病気と考えたときもあり、悲しみはなく涙一つ流さなかった。通夜も葬式も必要以外は二階で寝ていたような状況であった。ショックはなく、ただ、父が得ていた年金が減額されるという金銭問題等での心労が加わり、吐血となったと思われる。
何故(なぜ)ならば、駿台辞職後は母の内職のみならず、父の共済年金に寄生を余儀なくさせられていたのだから。しかも、九〇年の意識後退後は、一線に復活する能力も病気で喪失(そうしつ)していたのだから。また幾つもの塾のバイトですら、岡短の労基法違反で奪われていたのだから。こうして、一〇月の大吐血へ繋(つな)がったと推測される。そこで、九三年大吐血の本質は、左記の流れの如く、九二年三月の労働契約違反にあったと推定される。
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①岡短と九二年度(仕事前年倍増)労働契約締結→②(病状上仕事セーブの必要性から)岡短契約遵守(じゅんしゅ)のため、河合塾などを辞める→③労基法二条二項違反・契約遵守違反で九二年度契約が一方的に破棄され予定年収半額・約四〇万円とされる→④四月に出講すると私の労働契約時間は半分にされたにも拘(かか)わらず、岡短全体では英語は増えており強い不信感と憤り=強度悪質ストレス→⑤バイトを探すが時期が悪く見つからずに心労蓄積→⑥同年夏から腹痛が二年ぶりに再発→⑦一〇月N<能開>塾でバイトを開始するが⑥で再発した腹痛が激化→⑧休職し九三年一月初頭、H<原田>病院二〇日間再入院→⑨N塾から病気再発危険問題から自主退職を要請され辞職→⑩同年四月、短大授業開始日に英語が五齣(こま)(=五〇〇分)に増加しているにも拘(かか)わらず、私は週一日二齣(=二〇〇分)のままで、Y課長に不信感・憤(いきどお)り=悪質ストレス→⑪再々度五月からバイト探し→⑫八月に父が死亡し、父の共済年金問題などから金銭の危機→⑬(岡短労基法違反ストレス・父死亡による金銭危機等の結果)九三年八月十二指腸潰瘍(かいよう)完全再発・激化→⑭一〇月大吐血、と推測される。
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尚、労基法違反への抗議は、
(1)病気のため(八九~九三年は完全無気力状態で知力が機能していなかったため)、
(2)管理職の機嫌(きげん)を損(そこ)ねると専任確約が御和算になることを恐れたため、
(3)説明も相談もなく事情がさっぱり分からなかったため、不可能であった。
(1)のみでも病気による抗議能力が欠如しており、「権利に胡座(あぐら)をかいていた」とはみなされない。
しかも、その病気の原因も、岡短の不法行為・単位認定権剥奪(はくだつ)等により引き起こされていた。
だが、関学卒・早大大学院修了で、ある分野では人並み以上の能力を持っている人間が、事実上一年中拘束され毎週往復二百キロの所へ通い、この頃は年収が上がっていたとはいえ僅(わず)か四〇万円くらいであるにも拘(かか)わらず、その仕事を首になることを極度に恐れる状態におかれていた。解雇されぬために、九三年一〇月から六〇日入院したときは、三度目の入院のため極秘とし、同時に入院三〇日目くらいから、(風呂及び着替えその他で)自宅に半日程度帰ると、医師を騙(だま)して出講せざるを得なかった。岡短の解雇を極端に恐れる状態に置かれていた。八九年三月頃の首脅しでの単位認定権剥奪(はくだつ)は相当効(き)いていた。
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上記は拙著『恐るべき労基法違反』の第2章4節に一部加筆を加えたものである。
第2章4節のPDFアドレスは以下。
https://hamatakachan.uh-oh.jp/wp-content/uploads/2016/07/ba60d190a18c1fbbeb2914aae19156ec.pdf
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《◇―3》その後の世取山清氏
●https://www.facebook.com/Africahiroba/posts/932896130083123
★セネガル★セネガル日本職業訓練センター技プロアドバイザー叙勲★ 7月21日(月)職業訓練・研修・手工業省にて、セネガル日本職業訓練センター機能強化プロジェクトチーフアドバイザーの世取山清専門家に対するライオン勲章の授与がありました。現…
アフリカひろばさんの投稿 2015年9月3日木曜日