日本のフィクサーME・Part 3・第3章「開業・企業を目指して訪米」・第6節光るラスベガス―1:THIS IS THE AMERICAN
【更新履歴】
2024/02/26 13:43から掲載準備開始
2024/02/26 15:33 15:07頃突如Z3家…で人が…で、その後始末などで15:33で中断していた。飲み物等の関係で暫く休憩して、16:10頃再開。一部忘却したひらめきなどを思い出す必要もある。16:48、漸く再開、相当の遅れのみか、最後の結論部分(5)のメモ前で一部記載内容を忘却。後で思い出せるか否か。
2024/02/26 19:19 一番重要な(5)番を記載。相当思い出したが、掲載項目の全部を思い出せたか・否かは現時点では不明である。
19:30 夕食の準備と夕食をしてから続きを掲載しよう。19:50追記。21:07~→清書作業開始。
2024/02/26 23:53 一応終了。再度誤字脱字checkをするかもしれないが一応終了。今から正式公開。ただし、正式公開💁案内は2024/02/27 00:10頃から行う
23:56微修正
■
■
参考メモ(X.comより)
24-057-5【😡】午前6:30就寝
①朝=催眠が昔のZ家が🤡同一番地図公開しろ→突如紛失の謎。
②FixerME3章6節-1の(5)アイデア閃き中にZ3家(正典氏宛)訪問者
③原稿掲載写真突如紛失。
④☎15:29~15:53=フジオ君は広島一区か🙄
⑤16:33③出現も(5)アイデアは少し忘却
日本のフィクサーME・Part 3 第3章訪米:「開業・企業を目指して訪米」各節の構成
第1節:「開業・企業を目指して訪米」
第2節:訪米への道と訪米と開業への妨害三昧
第3節:訪米―相棒登場😹
第4節:西部の大地、そして私は何者か
第5節:ペイジ・グランドキャニオンからルート66―先住民に想う等
第6節:光るラスベガス
第7節:帰国への道―バンクーバーでの大暴れ、再度、私は何者か
※都合で第5節は後回しにして第6節に入る。
(第6節―1の表紙写真)
▼
第6節―1の構成
(1)・方向音痴の私―シンガポールの旅が脳裏をよぎる:回想マハティール氏。
(2)・ラスベガス滞在ホテル付近に、トランプ氏経営ホテルがヽ(゚∀゚)》
(3)・当時の格闘写真
(4)・「This is America」論争と「THIS IS THE AMERICAN」(2024/02/26記述)
(5)・当時のアメリカが意図したもの―「Hand in hand」(2024/02/26 15時半頃から下書き掲載開始)
→(2024/02/26 17:01記載)SNSに順次掲載した如く妨害で中断中。メモ前の妨害連続数件でアイデアの一部を忘却
■
■
ラスベガス、それは賭博の街。
その街、Las Vegasは光った。
▼
▼
(2024/02/26 13:56記述)
今回の「This is America」(本当は「THIS IS THE AMERICAN」)は別の視覚から三つのBlogに掲載する。
A:🕊公式Blog=(政経)政経的側面から→:今回の原稿と次回の原稿
B:📖安らぎBlog=(芸術分野)英文法・語学の側面と音楽界への影響
C:📷写真物語館・絆の間・訪米編→(写真分野)私が訪米時に撮った写真から、私の主張:
■
■
(1)・方向音痴の私―シンガポールの旅が脳裏をよぎる:回想マハティール氏(1989年)。
(2024/02/26追記)
今回の原稿を書くには時間がかかった。
今回はアメリカ最後の日の夜にラスベガスを歩いた話である。
原稿を書くのに時間がかかった理由は、私はラスベガスでどこをどう歩いたのか、未だにさっぱりわからないのである。2週間ほどかけて調べているが結局未だに分からない。
▼
私は随所に書いているように極度の方向音痴である。
1989年シンガポールの旅では、中国人街に行き、ホテルに戻ろうとすると、道が全く分からず、中国人街を23時頃でて、ホテルにたどり着いたのは午前6時頃であった。夜があけていた。もちろん、タクシーで帰ろうとしたが、そのときには来るタクシーの運転手さんが中国語しかしゃべらないのである。英語で言っても通じないか、通じない振りをされた。
▽
そこで、中国人街から、ハイアット・リージェンシーホテルまで歩いて帰る羽目となった。ところが、何度もくるくる回り元の場所に出て、誰かが何か小細工をしたのかと多少頭にきて、私は意を決した。倒れるまで歩いてやる。ただし、明るくなったならば地下鉄の付近で地べたに寝てやる、と。こうして歩き回り、やや明るくなり、人が通り始めた。中国人街を出た後はそれまで誰一人に会うことはなかった。そこで道を聞くこともできなかった。
▼
このときの模様は拙著『旅に心を求めて・教材編』第15章に記している。まさにアドベンチャーであった。大学校での教材として活用したが、未だに公の出版はしていない。
▽
しかも、中国人街に行った日は、現地ツアーに申し込み、早朝起床してマレーシアのマラッカに行った日であった。夕方戻り、即、中国人街に行き、歩きに歩き、もう堪能(たんのう)したので帰ろうとすると、中国語のオンパレードで、お手上げとなった。そして、早朝起床して、マレーシアで歩きに歩き、戻るや即中国人街で歩きに歩き、更に23時から午前6時頃まで歩き続けたというアドベンチャーであった。
▽
シンガポールには8月に行ったが、シンガポールの8月は暑い。夜も暑い。用心深い私はシンガポールの小銭を多数もっており、何度も自動販売機で喉の渇きを潤したので熱中症で倒れることはなかった。足には幾つもの豆(水疱)ができていた。
ちなみに、この頃のマレーシアの首相がMahathir氏であった。そこで、Mahathir氏との関係は1989年からともいえる。
※マハティール・ビン・モハマド(Tun Dr Mahathir bin Mohamad、1925年7月10日- )は、マレーシアの政治家、医師。同国首相(第4代:1981年 – 2003年、第7代:2018年 – 2020年)、暫定首相(2020年2月24日 – 3月1日)などを歴任した。(Wikipediaより)
▼
▼
(2)・ラスベガス滞在ホテル付近に、トランプ氏経営ホテルがヽ(゚∀゚)》
本題に戻そう。
シンガポールでは7日間か8日間同一ホテルに泊まっていた。そして、まだ帰国するまで日数があった。そこで、戻るや昼過ぎまで寝ることができた。
だが、アメリカは翌日午前4時にモーニングコールで、早朝ラスベガスを発つのである。もし、ラスベガスで迷子になり、午前6時にホテルに戻るとなると、帰国ができなくなる。
そこで、ホテルを出ると塔が見えたので、その塔とホテルの往復だけにしようかと考えた(2013年の韓国訪問の際と類似している)。
▽
今(2024年2月)に調べると、塔の名前はストラトスフィアー タワーというようである。ホテルからこのタワーまで行き、そして戻ってみようと考えた。
二つの道しるべだけを覚えた。ホテルの裏口か・表口になるのかは不明であるが、細い道を出るとWESTGATE という文字が見えた。そこで、ここからタワーまで歩いて戻るだけにした。
▼
地図もなく、方向音痴のため、当時はホテルから南に向かって歩いていたと思ったが、今調べると北に向かって歩いていた可能性が高い。
なお、地図を調べると、私が滞在したホテル界隈にはプレスリー通りがあったことを知った。更に驚いたのは、そう遠くない場所に「トランプ インターナショナル ホテル & タワー ラスベガス」があった。トランプ前大統領が経営しているホテルである。また、もう少しゆくと「フランク・シナトラ」にちなんだ通りもあった。
▼
こう書けばロマンがあるが、当時は全く何も分からず、睡眠は日本を出てから合計しても3~4時間程度である。その上、アメリカ最後の日は吹雪に見舞われ、そしてラスベガスでは雨が降りしきっていた。その中を重い器財を持ち、傘をさして歩くのである。一番困ったのはメガネが曇って前が見にくくなることが何度もあったことである。
▽
そして、道が分からず歩道が狭いところを歩いたせいか、ウェストゲートからタワーまでの往復で人には出会わなかった。写真を見れば分かるが見るべき物も何もなかった。2024年2月26日確認すると帰りにはウェストゲート(WESTGATE)付近で数人が写っていたが、帰国直後の手記や当時写真を見た時には滞在していたホテル界隈以外では人と出会った記憶がないのである。改竄(かいざん)被害が多いためありのままに書いておく。
▽
もっとも二群の人物がいた。一人は雨の中を自転車で走行した人である。これは後に調べると現地の治安関連のパトロールか何かのようである。もう一組は出会ってはいないが、後にみるように、撮影をさせていただいたカップルである。
▽
写真のタイトルは長い名称であるが、略して「This is the American」である。英語をミスしたと誤解されることを恐れて、略すときに「This is America」と書いた。すると、「それはアメリカではない」「これがアメリカだ」という形で「This is America」という歌が登場してグラミー賞をとる。このグラミー賞のときにはレディ・ガガの関係か何かでミッシェル夫人も登場していた。さらに、それをもじって「This is not America」という歌が南米でヒットする。この流れは安らぎBlogで記そう。
※「This is America」が2018年に発表され、第61回(2019年)グラミー賞をとる
▽
「THIS IS THE AMERICAN」に関する話は三つのBlogで異なった視点から掲載する。
私は写真タイトルを本当は「This is America」とせずに「This is the American」としたかった理由を公式Blogでは政治経済や社会の視点から記す。
安らぎBlogでは英文法などの語学の視点と先の音楽の流れから記す。
この写真物語館では「旅行」ではなく「旅」というものの視点及び両者(公式Blog)と安らぎ文庫Blogの視点の一部だけを記す。
▼
▼
今回は、アメリカ最後の日・「光るラスベガス」前半である。中心は「THIS IS THE AMERICAN」である。次回は、「光るラスベガス」後半である。当時のアメリカ首脳と結局出会えたかどうかなどを記す。また、カジュアルとは逆のアメリカ社会の姿を見て多少驚いた話など、アメリカ社会と文化なども記す。
その後は帰路での版クーバ空港事件で、写真物語館・絆の間(訪米編)と「日本のフィクサーME」第3章は最後となる。
▽
なお、私がアメリカについた日と帰る日に宿泊したホテルは同一であり、「リヴィエラ(Riviera Hotel & Casino)」である。ちなみに、このホテルは「2015年5月4日をもって閉鎖され、同ホテルの24階建てモナコタワーが2016年6月14日午前2時に爆破解体された」(Wikipedia)そうである。私が滞在したのは2015年2月末と3月1日である。
また、このホテルを一時はトランプ前大統領が大統領になる前の頃に買収への動きをみせていたそうである。
▼
このホテルの解説は以下の箇所を参照されたい。
日本語版Wikipedia→
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%A9_(%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB)
英語版Wikipedia→https://en.wikipedia.org/wiki/Riviera_(hotel_and_casino)
■
■
(3)当時の格闘写真
以下、帰国して間もなく記した当時(2015年)の手記と改訂版写真を掲載する。誤字脱字は今回訂正している。また、後にこの写真贈呈をして問題となったときに記した文書や安らぎBlog掲載の英文法・語学の視点から一部、今回の掲載にあたり引用している。この箇所は写真物語館・絆の間から抜粋した写真で原則として、掲載している。そこで、写真全体を見るには写真物語館・絆の間を参照してもらいたい。逆に文章の方は写真物語館ではかなり省略しているし、清書段階で更に省略予定でいる。
☆☆☆☆☆
(📷正式公開は2024/02/27の夜を予定している)
写真物語館・絆の間・訪米編・光るラスベガス―1
http://takachan1.xsrv.jp/kizuna/program9.html
☆☆☆☆☆
■
《◇―1・ソウルタワー同様にラスベガスタワーを目指す》以下の大半は写真物語館から抜粋
(本文)訪米・7―1・ラスベガス、それは賭博(とばく)の街。
その街、ラスベガスは光った。
●
「17時前にラスベガスに戻る。……ホテル着後、雨がかなり降っていた。
結局、この旅では事実上の撮影抜きで帰ることになるか。またラスベガスを一切見ずに帰るか。グランドキャニオンは一切見ずに帰国することに近い。ラスベガスも同様か。
▽
そこで、外出しようかと迷う。雨以上に問題なのは方向音痴ときている。迷ったあげく、ラスベガスを二百メートルだけ歩くことにした。雨のラスベガスである。
……
途中、光る金色の中に人物の足だけをオブジェとして入れて写したかった。しかし、歩いている人がおらずに弱った。もっとも、一度のみ遠方で人がみえ、大急ぎでシャッターを切った。雨の中、重いカメラ機材を持っていたため、……であったが、満足のいく写真があった。人がいなかったのは雨だからだろう。ただし、私の泊まっているホテル周辺だけ人がいた」
▼
▼
①ホテルを出てすぐに写す。(この場所を変える目印とした。)
現地時間3月1日17時59分から撮影開始(日本時間3月2日午前10時59分):(写真№ 15-007-006m )
写真はいずれもクリックでパソコン画面大、二度クリックで巨大。
②ラスベガスのタワーを目指して歩く。(写真№ 15-007-15 m)
③ラスベガスの駅(2024年に知ったがモノレールの駅のようである。駅名は調査中である(写真№ 15-007-19-edge m)
④ラスベガスのタワー(写真№ 15-007-20-edge)
【写真掲載】
⑤ラスベガスタワー2
★これ以上歩くと道が分からなくなる危険性があるためもどることにした。結局、ぬれただけで何も見なかったに等しい。これがラスベガスか。田舎の商店街の如しが当時の感想である。2024年に他人が撮ったラスベガスの写真を見ると全然違うではないか。(写真№ 15-007-23)
▼
《◇―2》帰路につく―光るラスベガス・「This is America」(「THIS IS THE AMERICAN」)
▽
⑥ホテルに戻る道中。(人をいれて写したいが誰もいない)(写真№ 15-007-27)
【写真】
⑦ホテルへ戻る道中―2(写真№ 15-007-45-2 )
【写真】
⑧-1・ようやく人が見えたので大急ぎで写す。(写真№ 15-005- 53-01-01)
⑨同上-2(写真№ 15-005-51-b1 )
⑩同上―3・撮れた(写真№15-007-050_-2023-4-edge)
⑪同上―4・撮れた!この写真のタイトル
「This is the American」(これがアメリカというものなんだ)(写真№ 15-007-50-K3 )
▽
正式なタイトル(この五行全部がタイトル:本質的タイトルは「THIS IS THE AMERICAN」)
This is an American. (これがアメリカ人だ!)
This is America. (これがアメリカだ!)
These are the Americans. (これがアメリカ国民だ!)
THIS IS THE AMERICAN. (これがアメリカというものなのだ!)
※最後はthe+形容詞で、抽象化した。
▽
ただ、残念ながら、このフレーズの前にI hopeが必要かもしれない。
I wishをつけなくてもよいことを願う。
その後の「This is America」解説原稿2024/2月から(語学と音楽の視点から)作成中である(2024年2月中には作成したいと考えている)。公式Blogでは別視覚から解説を記述予定でいる。
☟
このタイトルの意味とタイトルが巻き起こした騒動は(4)で記す。
そこで、このタイトルの詳細な解説は後回しにして、今回の続きの写真を掲載する。
▼
▼
《◇―3》ホテルに戻り、今度は別の出口から大通りに出て、「サーカス・サーカス」という建物の近くまでゆく。その後で再度、即、戻る。
若(も)しくは、帰路途中で少しだけ寄り道をしたのかもしれない。
⑫ピエロには趣がある。(ラスベガスの街は暗かった。道化師・🤡登場後に光輝き始める) 楽しく、哀しい。だから、画家・ルオーがしばしば題材とした。ルオーのピエロは最後に笑う。――人生の最後に笑(え)みの笑いを浮かべる。(写真№ 15-007-78 )
【写真】
※現地時間 2015年3月1日18時45分:[日本時間3月2日11時46分]
最初の撮影は暗かった。だが、この瞬間からラスベガスは徐々に明るくなっていく。
⑬ホテル付近を散策中に―Circus Circusで見た道化師(写真№ 15-007- 064)
⑭メガネも曇り、フィンダーが曇り弱る。
メガネは強度近眼用眼鏡、ファインダーには弱い老眼鏡をいれての撮影。
だが、両方とも湿度で曇る。おまけに雨中でレンズ5本を交換しながらの撮影である。レンズの電極部は濡らさぬよう最大限の注意を払う。フィルターも何度も変える。撮影はいつも疲れ果てる。(写真№ 15-005-68-1 )
⑮撮影は、いつも格闘技。(写真№ 15-005-59 )
⑯アメリカの旅で――帰国直前に――初めて撮影に臨めた。
いつか、心ゆくまで撮影できる日がくることを願い、はや二十年(2024年時点では三十年近く)となる。
体力問題も考えれば後がない。撮影は、器財運搬ではハンマー投げ選手の心理、撮影中は格闘技、本番に備えて筋トレ・柔軟体操もしっかりと準備も必要
だから、自分の欲しい器財をそろえて、自分の思うように撮影に臨める日が一、二年のうちにくるように。(2015年記載した箇所である。2024年ではもう御陀仏🙏か)(写真№ 15-007-75 )
⑰光撮影の技法を約10持っているが、ラスベガスではこのうち、5つほどしか使えなかった。何しろ、雨の中を、カメラとレンズ五本、ストロボ、各種フィルターを持ってあるいているのだから。(写真№ 15-007-70-t )
※光技法メモ→ボケ利用、ブレ利用、多重露出、ストロボ変則活用、ガラス・鏡類利用、フィルター利用(サニー・スノークロス、ラジアル、)、色変化(フィルター利用、色温度利用)、ライト、フィルターが濡れたのを逆に利用
▽
最初の撮影は暗かった。だが、最後の方から徐々に明るくなっていく。そして、次回掲載「光るラスベガス―2」ではラスベガスの街は雨にも拘(かか)わらず、光った。
▼
▼
(4)「This is America」論争と「THIS IS THE AMERICAN」(2024/02/26記述)
この写真を巡って、帰宅後に近所の娘さんの結婚式メッセージの裏側にこの写真を使用すると一悶着(もんちゃく)あった。その際に記した解説文から当時の撮影模様を引用する。
▽
(α)写真・芸術・作品とは何か
▽
☆☆☆☆☆☆
……
《◇―1・仏作って魂入れず》
世間の人が理解できる言葉で書けば、「仏作って魂入れず」は良くない。
……
また、「論語読みの論語知らず」という語もある。要するに、被写体には本質なるものがあり、それを捉えるという点である。
…《◇―3・This is the American.(これがアメリカというものだ)及びEternal Love(永久の愛)について》
▽
他方、Bの写真は解説の必要がなかろう。
夜の暗い、雨の中を中高年のアベックが傘もささずに手を繋(つな)いで歩く。
傘をさせば、手はつなげない。
何故(なぜ)ならば歩道が狭いのだから。
日本語で言えば、「降りしきる雨の中を、傘もささず、手をつなぎ、歩く。なぜならば、傘をさせば手はつなげない」となる。
▽
これが写真、絵などの本質なるものである。
それならば、こちらの方が結婚にはよかろうとなった次第である。写真や絵には本質なるものがある。
否(いな)、人を見るときも同様である。
※(参考)ユージン・スミスの「楽園」という世界的・歴史的写真をインタネットで見ること。…
☆☆☆☆☆☆
▼
(β)当時の撮影状況
☆☆☆☆☆
《◇―5・Bの写真の撮影状況》
ところで、この場面でシャッターは約4枚切った。だが全部ブレていた。
何故か。
二つ理由がある。
一つは、訪米の際には五日間合計で五時間しか寝ることができなかった話は既にした。
そして、アメリカを最後にする日がこの写真を撮ったときであった。
しかも、雨の中、ほとんどずぶ濡(ぬ)れで、器財及びカメラマンベストの荷物を入れると十キロ程度となり、そして傘をさして片手で写したり、傘を置き雨の中で写したりしたのである。
ともかく、眼鏡が水で曇り、大変であった。
しかも、暗い。写真は明るくなっているが相当暗かった。ほとんど人が見えない状態であった。
▽
同時に、技術的なことを言えば、2015年の科学では何をしてもぶれる。
この写真のデータを記そう。シャッタースピード1/30秒《30分の1秒》、絞り開放f 2.8、 ISO 800である。カメラはD800という(ほとんど)プロ用のカメラであるが、まだ作品にするときにはISO 800が限界、ISO 1600だと博打(ばくち)的な面がある。
よって一番明るく撮ったに近い。
F値(絞り開放)とISOナンバーが限界である。
シャッタースピードは一分弱四枚撮るため、モニターで確認不可能となり、チェックできずに、私の脳のシミュレーションで1/30秒とした。
▽
1/30秒とは、もし、手振れをしなくても、相手が歩いている以上被写体ブレが起こる。
よって、多少のブレはもう除外し、無よりは有がよいと考えた。今考えれば、1/60秒という手もあったが、モニター確認は不可能な状況であった。
同時に、1/60秒でも被写体ブレは一定起こる確率も高い。
何よりも露出がアンダーとなる。
パソコンのモニターはバックからLEDなどの光を当てているので見られるであろうが、プリントとなると、あのときの状況(暗さ)ではISO800、絞り開放f2.8では、1/30秒勝負とシミュレーションした。
▽
▼
以上(α)と(β)は下記「安らぎBlog」から抜粋
☆☆☆☆☆☆
写芸楽№3―仏作って魂入れず(写真「鎮魂の灯火」と「永久の愛」の比較について)
http://h-takamasa.com/Blog/?p=12253
☆☆☆☆☆☆
■
■
(γ)「This is the American」を英語文法ミスと笑う人への返答
☆☆☆☆☆☆
人生、あとわずかでぶっちゃけて言えば、私の英語「This is the American」が「curiouser and curiouser」(本当はmore curious で)と言ううならば、「Me, too」(本当はI, tooで)が何故🆗オーケー:OK(All Correct の頭文字だそうだ)なのかとなる。
▽
私の「Alice in wonderland」作者同様に、私の遊び心と考えても良いし、私の造語と考えてもよい。後者でも「アベノミクス」なる造語よりも良かろう。
この論調は写真物語であり、安らぎ文庫関連は「芸術・語学・教育・本、私の書籍関連」のHPのため、面倒でも、もう少し追求してみよう。
▽
言語学・教育学上は、二つが本質となる。
一つは、(人泣かせの)「THE」の語源から派生するニュアンスである。リンカーンが「ゲティスバーグ(Gettysburg)」の演説の下書きで何度も「the」か「a」か「無冠詞」か迷い、書き直したそうである。
もう一つは言葉の裏側の意味である。この二つの側面からゆっくりと検討しよう。
…
言葉の裏の意味とはChicken(鶏)ならば「弱虫」、peacock(孔雀)ならば「得意ずら👺、威張りや」さん…《中略》…、色でもBlue(青)ならば「憂鬱(ゆううつ)」
…《中略》……
国でもChinaならば「陶器」、japanならば「漆」や「漆器」、Dutchならば「割り勘」…を意味する。「American」とか「America」ならば何を意味するであろうか。若(も)しくは何を意味してほしいのだろうか。ちなみに、ジャストシステムのソフト・一太郎で「アメリカ」とうてば、絵文字の「🗽(自由の女神)」が登場する。…
▽
……
《面白くない堅い話》
①The+形容詞(名詞のAmericanではなく、形容詞のAmerican)で抽象名詞と考えてもよいし、
②通常の英文法での名詞「アメリカ人」というならば「This is the (●●) American」と考えても良い。実際に、Google翻訳で「これが本来のアメリカ人だ」で英語にさせると「This is the true American」とでた。Trueの省略と考えてもよい。
③さらに、解説文では「THIS IS THE AMERICAN」と全大文字で記した。
▽
ちなみに、「The + 形容詞」で抽象名詞化は不可算名詞という説もあるが、必ずしもそうではないという説もある。また国名にThe をつけて人とする場合には下記のBritishやSwissの如く「最後がsh、ss…と制限があるが、アメリカはそうではない。そこで単なるアメリカ人ではない。
……
(浜田隆政語録)「英語とは自然言語であり、表現であり(時には演出やレイアウトの如しものであり)、それゆえに変化するものであり、その結果、(目的遂行上の)道具でしかない。」
☆☆☆☆☆☆
☟
☆☆☆☆☆☆
(γ)の箇所は安らぎ文庫
私の作品・「This is the AMERICAN」の意味とアメリカ社会への影響(正式公開前:下書き段階:2月末頃に正式公開予定)
http://h-takamasa.com/Blog/?p=32195
☆☆☆☆☆☆
▽
上記箇所で掲載予定でいるが、現時点では下書き所か殴り書きメモ段階であり、日本語すら誤字脱字だらけであり、読める段階ではない。今しばらく見るのはご容赦を。掲載は、2016年に私の文書改竄された疑惑があるため、防衛上、ブログにメモ段階から載せて、掲載しながら下書き、次に清書へと進む予定でいる。
■
(β)が写真物語館の内容である。
(γ)が安らぎBlogに掲載予定の内容である。(また音楽の話もここで触れる)
(δ)が公式Blogの内容である。今回の(1)(2)(5)の部分に該当箇所である。
また、写真人物はアメリカ自身が用意した桜の可能性もある。それでは彼らは何故、こうした設定したのか。同時に、私が何を表現したかったのか。それらは公式Blog「日本のフィクサーME」第3章訪米で論じることになる。
(α)は全Blogに共通する項目である。
要するに、このTHIS IS THE AMERICAN の話は、公式Blogでは政経・社会的側面から、安らぎBlogでは英文法及び芸術の側面から解説する。写真物語館では、当時の状況から人間の感情面から解説する。
■
■
(5)当時のアメリカが意図したもの―「Hand in hand」
(2024/02/26 15時半頃から下書き掲載開始)→《即座に故意に冗長な内容の電話を受けて中断》
→(2024/02/26 17:01記載)SNSに順次掲載した如く妨害で中断中。メモ前の妨害連続数件でアイデアの一部を忘却
メモのごく一部がSNS(Facebook等)に残っていた。以下である。
「新事実。
①訪韓と訪米の共通性。
②マハティール氏との出会い(1989年)などを思い出したり。
③例の写真モデルは🇺🇸のサクラ…。
#舞子ビラ でも、#姫路 でも、#厳島神社 でも、#岩国 でも、#中国 でも、昨年までよく行っていた #赤磐市 #周匝 でも、#美作市 #湯郷 でもあった話。
🇺🇸(USA)の目的は何だったか。
🤝(Hand in hand )啓発せよ…であったと私は信じたい。」
▼
上記であるが、掲載の構想はまだ即座には思い出せない(2024/02/26 17:11現在)
▼
サクラさんの事例写真の一部(赤磐市周匝:2022年4月4日撮影)
この女性は15時25分頃に橋の方向にいったのである。(美作市や鳥取方面等の)北向き方向に行ったと思う。
▼
ところが、いつの間にか、今度は15時51分頃真逆のコースを歩いていた。要するに、岡山市方面の南側に向かって歩いていた。
それ自体は問題は一切ない。🌸桜の時期だから、サクラはつきものであろう。
▼
岩国の事例:2014年9月2日18時6分頃
(類似例が岩国でも)この女性は往復はしなかったが、タイミングは上記と同一であった。過去、全国で、何十カ所・何十回とこうしたことがあった。
この種の事例は、地元湯郷をはじめとして随所でみられた。特に舞子ビラ公園が印象深い。勿論、神戸のポートピア…でも同様であった。海外の中国でも随所で同様なことがあった。
▼
長崎市眼鏡橋の事例:2016年11月23日
(長崎では目がね橋にて)→この🚺(女性)は、拙著『日本のフィクサーME』登場の🛵「おじょう」(🌈)女性とそっくりな顔をしていた。というおまけつきである。
▼
2023年の姫路撮影などでは鎧兜(かぶと)の人がもろに撮ってと長時間🤡(ME=私)の前に立っていてくれた。
そう言えば、そこまで露骨ではないが、島原城でも類似であった。
これらの事例を必要時に掲載すればもの凄いページとなる。山ほどあるというよりも、毎回あるに等しい。
▼
ここから出される結論は、私が撮影した写真はアメリカ政府の方が「これを撮ってくれ」と通常は希望していたと推測される。
当時はオバマ政権であった。
すると、ミスター・オバマの願いは何だったかが読み取れる写真である。
だから、私はあの写真は歴史的写真と言ったのである。
▼
アメリカ政府要人との接触模様は次回記す。
結論から言えば、完璧な潔癖さがあった。
しかし、写真を通じて、彼らの心の内を覗(のぞ)いたと解釈している。
その解釈とは何か。
次回の日本のフィクサーMEでは、私もそれを可能な限り、写真で語ろう。
その写真の中には世界平和への、僅かではあるが光明が写っていると思っている。
そのとき、ラスベガスは光(ひかり)輝いた。それも写真で証明しよう。
本日(2024/02/26)、突如の妨害でこの一番肝心な部分をあわや忘れるところであった。
▼
▼
もう一つ、忘れてはならないことがあった。
それは、訪米と2013年12月のソウル訪問との類似性であった。
随所で韓国が強調された。
帰路のバンクバー空港でも韓国が強調されていた。
二度目にラスベガスの塔に向かって撮影したときにはトムクルーズと思う大きな立て看板が写った。
ソウルタワーに向かって、ソウルの街中から撮ったときには少女時代というグループの立て看板が写った。
両者ともに縁があった人物である。
▼
これらのことは当時は意味が分からなかった。
どのように強調されたかをこれから記そう
だが、最近疑っているのは、訪韓の際に🎌(日本)政府が何等かの関与をした疑惑である。
同じことを訪米の際に企んでいた気配があった。
▽
なお、狙われたのは主として、往路は成田空港からバンクーバ空港、帰路の際にはバンクーバー空港であった。
それ以外にも、何等かの企てをしていた気配があった。
▽
それが証拠に、このフィールドワークを契機に、私のフィールドワーク潰(つぶ)しが一気に行われる。逆に、私の仕事目的でのフィールドワークでなく、催眠を多数投入されて、どうして行くのかわからない地に行かされる被害も続発してくる。しかし、相手の地域から私は一円ももらっていない。すると、依頼した人間は日本政府か誰かに、お礼をしていると分析される。
そのお礼は票かもしれないし、お金かもしれない。
▽
その典型例の一つが、既に記した京都府宮津泊であった。
宮津の件は下記二つを読めば実態が分かろう。
正に強制・貢ぎ労働、更には奴隷労働であった。なお、豊岡泊お宮津泊に催眠で切り替えられたため、久美浜には再度行き直しの羽目となる。このフィールドワークの目的は拙著『日本のフィクサーME 』の関係で🧜お嬢に関する撮影が目的であった。
☟
☆☆☆☆☆
京都:久美浜:撮影日2017年4月5日:旅に心を求めて№7-2・久美浜と如意寺-1→2018年3月2日掲載
http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=2991
☆☆☆☆☆
▽
☆☆☆☆☆
京都:宮津:撮影日2017年4月5-6日:旅に心を求めて№7-4・宮津と帰路→2018年3月16日掲載
http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=3028
☆☆☆☆☆
▽
ともかく、この後にで起こる激しいフィールドワーク妨害の事例を第4章以降で記せば分かるであろう。2015年5月の野麦の旅では、もはや、フィールドワークは無理と判断せざるをえなくなった。その後の大型フィールドワークは挑発と催眠による、私の操り人形化であった。しかし、私は一円も得てない。
だが、相手側(例えば宮津ならば)元をとろうと必死であったように見受けられた。マイクロバスに乗るや即催眠撮影のオンパレードとなっていた。通常は誰かに代価を支払っていたとしか思えない。
▼
▼
♬今月の歌・🎼世界の歌も、日本の将軍様👺は私🤡と私の行動を悪用しようとした。少なくとも、その気配を随所で私に感じさせていた。
▽
ただし、分からないのはフィールドワークの方は完璧な妨害であり、その妨害の有様を隠そうとしていた。他方、世界の歌の方は、その妨害の有様を特に隠そうとしていなかったという謎がある。現時点での直感では利権問題からであろうと想像している。具体的な金銭類の場合には脱税のみか、強制労働・貢ぎ労働(すなわち、奴隷労働)という大変な犯罪となる。
▽
🎼世界の歌・今月の歌の方は具体的な金銭類をえていないのかもしれない。
単に、海外首脳に対して、恩を売り、相手から感謝されるのを代償としていたのかもしれない。
そこで、強制労働の証拠がみつけにくい。もしくは、世界の歌・今月の歌の方は日本以外では開催国決定に関する催眠強制があまりなく、私が候補としている国を(私のパソコンなどを盗み見て)事前につかみ、それを相手国首脳に伝えて、自分の居心地をよくするだけだったのかもしれない。そこで、強制がバレにくいのと、金などのやりとりがないので、平然としていたのかもしれない。
▼
訪米の際に、日本政府がどの程度関与したのか、いずれ分かるかもしれない。
いや、日本政府ではなく、政治家の一部の人間のみの私腹類だったのかもしれない。というのも、次々回紹介するバンクーバー空港での大立周りのときに、「日本の外務大臣は誰だ。岸田か…」とわめいたが、当時の外務大臣・岸田文雄氏は何のことか分からないという顔をしていたからである。
そこで、政府ではなく、政治家個人とか後援会団体の一部だけが甘い汁を吸っていたのかもしれない。
▽
ただし、甘い汁は政治家の一部かもしれないが、訪米の際には日本政府の一部(官僚の一部)や、👺(日本の将軍様)に依頼された人物やグループが関与したのは相当の確率で事実であろう。
▽
本日(2024/02/26)の激しい記述妨害をされた原因がわかろう。この一番重要な(5)番に入る直前から、今日(2024/02/26)の連続妨害が起こったのだからである。
▼
ともかく、次回は、今回の写真を元にして、写真で今後の世界を表現してみよう。
ただし、ミスター・オバマ(2015年訪米時の大統領)は大変ジョーク好きであり、そのジョークの一部は書いても、誰もが喜ぶだけであろう。