「2013年の真相」№8・第4節・歴史は夜作られる(日本のフィクサーME・パート2の一部に該当)
2021/01/17 下書準備掲載 (β)本体のみ。後日、(α)の2020年追記・解説、(γ)の写真や動画挿入予定。
2021/01/17 夕方から清書準備中。
2021/01/18 0:39 正式公開 (ただし、誤字・脱字などは公開後に直す場合もある。)
(📷は一度クリックでPC大、二度クリックで巨大)
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2013年の真相―№4
α(一番上に2020年追記)
β(真ん中本体・原則小学館に送付したまま)
γ(📷写真・🎦動画の挿入)
2020/12/04 14:10時点はβのみ。後でαとγを掲載予定。
全体目次は下記。今回は序章の第一節の続きと第二節の前半部分。
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α(一番上に2021年追記)
(1)今回は、中国での会談というか演説をするに至る過程である。その内容について、今回は項目のみ記す。次回、各項目について、中国で話した解説を掲載する。その際に、その後の情勢の中で変化した点及び必要に応じて詳細な解説の追記を行う。今回は経過のみを簡単に紹介するにとどめる。
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(2)私用のメモである。(些細な問題のため読者はこの箇所は無視していただいて構わない。)
α)小学館送付内容では、下記⑬田子坊でお茶屋の話、⑨新天地で迷子、ホテルについたと⑨新天地で勘違いした話となっている。しかし、当時の時間問題から言えば、お茶屋に入ったのは⑨新天地の直前の⑧🚌バス移動か、⑪外灘前の⑩🚌バス移動の間となる。勿論⑧、⑩が(⑨⑪⑬は近いのでダブって)田子坊ということも考えられる。
β)理論上考えられるのは、⑨新天地で迷子、⑩🚌移動時のお茶屋で下記トラブル、⑪か⑬でホテル着と勘違いのケースである。
ここでは読者の方は、⑨新天地、⑪外灘、⑬田子坊の写真でも楽しんで頂けたらと思う。
中国五日目(2013年5月12日)の日程は以下の通りである。
①ホテル発→8時半(現地時間7時半)~。
②バス移動Ⅰ→9:30~10:50。
③西塘→10:51~11:51。(浙江省嘉興市嘉善県)
④バス移動Ⅱ→11:51~12:55。
⑤七宝古鎮→12:56~13:27。(以下上海市)
⑥バス移動Ⅲ→13:27~14:10。
⑦船にて食事→14:10~14:50。
⑧バス移動Ⅳ→14:50~15:43。
⑨新天地→15:44~16:30。
⑩バス移動Ⅴ→16:30~17:15。
⑪外灘=上海シンボルタワー界隈→17:15~17:40。
⑫バス移動Ⅵ→17:40~17:55。
⑬田子坊→17:55~18:30。
⑭バス移動Ⅶ→18:31~20:10
⑮ホテル着→20:10頃。
【新天地の写真】(ここで問題となるのは⑨以降である。)
(浜田隆政撮影写真は、いずれも、一度クリックで💻画面大、二度クリックで巨大)
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【外灘の写真】
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【田子坊の写真】
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β(真ん中本体・原則小学館に送付したまま)
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第4節・中国首脳部との会談―歴史は夜作られる
会談が行われたのは中国五日目のことである。会談への一里塚は次の三つのシナリオで画策されていた。最初の二つのシナリオを拙著「旅行記」より引用する。
―☆☆「旅行記」より引用☆☆―
……田子傍 〈坊〉。
ここに来る直前、お茶屋に寄った。そこで、私が日本茶の解説をした。喫茶店の語源や吉備真備のことなどである。気分よく、お茶を飲む。どのお茶がおいしかったですか、と、西安から来た女性が日本語で尋ねた。
私は「お茶はどの種類も全部美味しい」、と答えた。
では、買ってください、ときた。
だが、私は荷物が多いので無理であると断った。
店主が執拗にお茶を買えとくる。私が購入しなければ誰かが買わねばならない雰囲気になった。
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ツアー仲間のKさんが、「褒めたら買わねばならない。店主が怒っている」と言う。
そこで、私が「お茶が美味しいかと聞かれたので、美味しいと答えた。だが、荷物が多いので購入できない」……「荷物が多いので持ち帰れないが、美味しいかと聞かれれば、美味しければ美味しいと答えるしかないではないか」とやりとりが続いた。
やがて、ここから解放された。
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しかし、この興奮で今度は新天地で完全に迷子となった。どこでみんなと別れ、どこが集合場所か分からなくなった。ともかく、大量に写真を撮っていたため、その写真をカメラのモニターで見ながら、集合場所を割り出すことにした。……あちこちに行った。……やがて運良くマイクロバスを見つけることができた。
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ちなみに、おかしなことがあった。
Y氏が、事前に「最近健忘症なので……」と、恰も私の記憶がなくなることを予言していた。更には、新天地で降りるとき、私はホテルに着いたのかと全荷物を持って降りようとした。それを見て、(当初怖そうに見えた)サングラスの運転手が、笑いが止まらぬという雰囲気で、ジェスチャーで止めに入った。ここはホテルではない、と彼のジェスチャーは語っていた。
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後に記すホテルでの挑発などで、ともかく、興奮しており、そして、この夜、ホテルで訳の分からぬ職員の挑発を受け、頭が更に興奮し、多分、中国首脳部との対談に入ることになる。
―☆☆引用終了☆☆―
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【📷ホテルの写真】(浜田隆政撮影写真は、いずれも、一度クリックで💻画面大、二度クリックで巨大)
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この日のホテルは、今回のホテル群の中で一番広く豪華であった。ところで、私の部屋の窓は、外ではなく、ホテルの宴会場の方を向いていた。つまり、私の部屋の向かい側が大宴会場であった。そして、この部屋の窓の側にはリンカーンなどが執務の際に座っていたような机と椅子があった。まさに執務室をも兼用していた。この夜、昼間の出来事に加えて、不審な従業員のことで更に興奮させられる。何を興奮したかを、再度「旅行記」から引用する。
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―☆☆「旅行記」より引用☆☆―
この日興奮した、もう一つの理由は、ホテルに入るとノックの音がし、ドアを開けると、突然男性が無断で入ってきた。そして、私のカメラバックにつまずいた振りをし、軽くではあるが蹴った。更に、テレビを勝手につけて、チャンネルをいじりだした。
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私が「What are you doing now?」(何をしているのか)と言っても無視である。そこで、フロントに電話し、英語で「見知らぬ男性が入って来て、テレビをいじっている。この男性はホテルの人間か」と尋ねた。フロントが「入ってきている男性に電話を替わってほしい」と英語で言った。この男性とフロントが電話で話した後で、私がフロントに尋ねると「日本語のテレビ局の設定をしている」と言う。
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そこで、私は返答した。
「I don’t want to watch TV. I don’t like Japanese TV. If I watch TV, only BBC or CNN」
(「私はテレビを見たくない。日本のTVは好きではない。もしテレビを見るならば、BBCかCNNだけとしたい」)。
次に、「Your staff entered my room without my permission. He kicked my bag. I don’t like Japanese TV. What are you doing now?」
(このホテルのスタッフが私の許可なく部屋に入った。彼は私の鞄を蹴った。私は日本のテレビは見たくない。あなた方は一体何をしているのか)と言った。
それから、ようやく、彼は出て行った。
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ここからオクターブが高くなり、「MR・習近平(シー・ジンピン)、PLEASE」とメモに書き、英語で言った。
「My teacher in the graduate school of Waseda university is a friend of Youhei Kono’s, Yasuo Fukuda’s and so on. They are friends of Mr. Xí Jìnpíng or the President of China. In addition to this, I like former prime minister, Wēn Jiābǎo(温家宝), and he also likes me. …」
(私の早稲田大学大学院時代の恩師は河野洋平・福田康夫などと友達である。彼らは習近平氏、即ち、中国の国家主席と友達である。これに加えて、私は前首相、即ち温家宝首相に好意を持っており、彼も私に対して同様であると思う」)等々と言った。
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私は興奮し何度も言った。「ミスタ習近平(シー・ジンピン)、プリーズ」と。
更に、興奮し、フロントから少し離れた所(フロント前)で聞こえるように、「I’d like to see Mr. President, Xí Jìnpíng(習近平), please」(私は習近平国家主席に会いたい)と独り言を装って言った。
―☆☆引用終了☆☆―
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【📷これが問題のテレビ】
この後、精神を落ち着かすため、ビールでも買おうと、例のコンビニのような小さな店に行く。すると、その店の男店主が、「さあ、今日はいよいよ始まるぞ」的な雰囲気で、はしゃぎ回っていた。まるで、ボクシングの試合前の観客が興奮したような感じであった。アントニオ猪木とモハメドアリの異種格闘技戦が始まるぞ、という雰囲気であった。
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第5節・歴史的会談への序幕
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ホテルに戻り、私は椅子に座り、窓に向かい、時には演説を、時には独り言的雰囲気で、私の政治経済理論を喋りまくった。実に日本時間の午後十時三十分くらいから、翌朝午前三時か四時頃までの長丁場である。
この演説と独り言の最後に、「私はずっと、中国の家の屋根ばかりを見てきたが、中国の屋根を見ると太陽パネル発電がないではないか」と言うと、宴会場から一斉に笑いが起こった。
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この意味は、当時の温家宝・菅直人両首相の間に入り、自然エネルギーへの道は、尖閣列島問題解決への重要な意味を持っていることを説いた、私達三人の秘め事であった。それを知っていたと思われ、一斉に笑いが起こったのだと思う。午前三時か四時頃(日本時間)であり、こんな時間に宴会場に人などは通常はいない。しかも、何人もとなると。
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このときと翌朝ぶった演説・独り言の内容を、今回の原稿に掲載している。言わば全面公開(情報公開)に該当する。中国に来た目的は鑑真関係と米中会談の進言にあり、観光旅行はおまけにすぎなかった。この夜が中国でのメインエベントであった。なお、米中の橋渡しをしてくることは、原稿「旅に心を求めて―懐かしきの旅(鑑真)」にも記し、その趣旨を新免前議員にも伝え、更にはその原稿と新免氏宛手紙を、私の机の上において中国へ来たのである。出発前から予告をしていたことである。なお、第5節を歴史的会談の〝序幕〟としたのは、私と中国首脳部との会談ではなく、オバマ氏と習近平氏(字数の関係で以下敬称略)の会談を歴史的会談の序幕にするという意味である。
【📷執務室のような机:裏側は窓に見えるが宴会場・会議室の方(外は見えない部屋である)】
【📷窓に見えるがこの窓から見えるのは外ではなく、ホテル内の宴会場】
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【📷これが笑いの起こった宴会場付近の写真】
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