「2013年の真相」№6・第3節-1・中国の旅①(日本のフィクサーME・パート2の一部に該当):正式公開
2020/12/26 21:14 下書準備掲載 (β)本体のみ。後日、(α)の2020年追記・解説、(γ)の写真や動画挿入予定。
2020/12/28 17:12修正:17:22修正 17:30修正
2020/12/30 18:59📷の入替作業等。19:20写真を一枚入替、別に三枚追加し、正式公開へ。
2020/12/30 19:20 正式公開
(📷は一度クリックでPC大、二度クリックで巨大)
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2013年の真相―№4
α(一番上に2020年追記)
β(真ん中本体・原則小学館に送付したまま)
γ(📷写真・🎦動画の挿入)
2020/12/04 14:10時点はβのみ。後でαとγを掲載予定。
全体目次は下記。今回は序章の第一節の続きと第二節の前半部分。
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α(一番上に2020年追記)
第1章では読者は第4節及び第5節(特に第5節)に興味を持つであろう。しかし、文章の流れから第3節も飛ばすことはできない。そこで、こうした冗長にも思える箇所(今回の第1章第3節など)のため、写真、動画、イラストなどをフル活用となる。写真が文章に不可欠な理由の一つである。同時に、写真には当時の長いメモ一枚の画像に凝縮されてもいる。
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β(真ん中本体・原則小学館に送付したまま。ただし、写真添付は今回のみ)
第3節・中国の旅
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こうして中国の旅は始まった。旅の詳細は、別原稿『旅に心を求めて―懐かしきの心を求めての旅』で、現地で写した膨大な写真とともに、いつか出版する。第3節では旅の概況だけを記す。思わぬ形で中国指導部との会談に至った経緯(第4節)への予備作業である。
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中国の旅は大まかに言うと、上海から蘇州へ、蘇州から杭州へ、杭州から上海への六泊七日の旅であった。
一日目は、全日空一五三便で、関西空港を十六時頃発ち、上海空港に一八時三十分頃到着する(以下全て日本時間で記載している。中国は日本時間より一時間遅れである。よって、上海空港着は現地時間では十七時三十分となる)。上海で十九時頃レストランに立ち寄り、二十時頃出発する。その後、降りしきる雨の中を、高速道路経由で蘇州へ向かう。蘇州着が二十二時二十六分であった。
この間の模様を拙著「旅行管理」と「旅行記」より引用する。
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―☆☆「旅行管理」「旅行記」より抜粋☆☆―
久々に飛行機に乗ったが、飛ぶ瞬間は面白い物である。思わず、吹き出しそうになった。
(1)関空から上海空港へ。関空を発ったときは、視界良好で日本の島々が見渡せ、飽きることなく見ていた。やがて、海だけが見えるであろう、と思っていた。そして、その海に鑑真和上渡日の姿を想像しよう、と。だが、海だけの場所にかかるや、雲に入ったのか、全面真っ白で何も見えなくなった。そして、上海空港に着くまで、そうした状況であった。だが、真っ白い世界の中で、何も見えなくても、飽きることなく外を見ていた。
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(2)上海着。上海空港には、現地の人が迎えに来ていた。馬(ま)ーさんと言った。迎えのバスがずらりと並んでいた。どのバスに乗るのかと思っていたが、いずれにも乗らず、やがて案内されたのは小型マイクロバスであった。ツアーメンバーは六人いたが、運転席を除けば四列ほどで、前から順に一組ごとに座り、空白の行はない状態であった。私は一番後ろに座った。そして後ろの長い座席を独り占めし、荷物も全部置け、大変満足であった。〝最初は〟。
ところが、このバスはものすごく跳ねるバスで、少しの段差でも大きく跳ねあがった。そして一番後ろの座席はタイヤの上で一番ダメージが強く、バスの中で寝ることは絶対に不可能な状況であった。尤も、最初はバスのせいではなく、中国が居眠り防止か、車がスピードを出さぬように道の全てに段差を設けているのかと思っていた。
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【📷:現地を走ったマイクロバス】
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(3)夕食のレストラン。
閑散としており、他の客は誰もいなかった。料理は全部なまぬるかった。だが、全部、私好みの味で、私が一番好きな部類の味付けや食べ物であった。私はこうした料理が一番のご馳走である。この旅は、料理は期待できる、と、感じたときであった。
他の人は熱くなく、不満足にも見えた。だが、私の期待は外れ、翌日からは朝食以外は全部美味しくなかった。尤も、通常の人用のご馳走を出されると、私は食べられないのであるが。中国ならば北京ダック等々、アメリカならば七面鳥などは食べられないのである。翌日からは朝食以外は美味しくなかったが、食べられる物のため助かった。ともかく、最初の日の食事は満足であった。
【📷:食堂の写真】
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(4)上海から蘇州へ。この間は家だらけであった。私は田舎道で田園風景かと思っていたが、高速道路経由で大阪から明石に進むような物であり、これならば夜中も昼も同じと思った。
【📷:夜の道中】
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(5)ホテルでは風呂の水が出ず、冷蔵庫も電気が入らず、手洗いは水漏れの感じを受けたが、面倒なため、何も言わずにいた。チップは相場が五~十元と思っていたが、馬ーさんは五元と言った。だが、私は十元置きたかったのであるが、トラブル連続のため五元とせざるをえなかった。
―☆☆引用終了☆☆―
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最初のホテルはハワード・ジョンソン・ウジョン・ビジネス・クラブ・ホテル(蘇州威連豪生酒店)であった。ここに二泊する。
【📷ホテルの写真】
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この夜、Y氏にホテル裏のコンビニに案内してもらう。中国滞在中はその後も、毎日コンビニに行くことになる。日本の自動販売機で百五十円、コンビニで百三十円相当の五百ミリ・リットルのお茶・炭酸飲料が三元台であった。ビールもアサヒ本生五百ミリ・リットルでも五元もしなかった記憶がある。Y氏の話では人件費が安いからとのことであった。毎日大体三十五~五十元の飲食物の買物をした。なお、乳酸菌飲料は大きかったが、大抵の店では冷蔵庫類に保管せず、常温保存であった。更に、賞味期限か消費期限かは忘れたが、期限は半年程度となっていた。日本では通常二週間程度となっている。また、コンビニは日本ほど発達していなかった。
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中国で使った金は、初日に馬ーさんを通じて両替した一万円(五百六十元)でも使い切れなかった。五百六十元でも七日間で消化できず、帰りにはまだ百元以上残っており、空港で無理矢理キーホルダー・爪切り等を買った。それでもまだ残っている。毎日チップを枕元や直に渡し続けても。飲食物を大量に買っても。毎日ビールや食事の不足分を買い続けても。魯迅の本などを買っても。(正確に計算すると一万円=六百四元、即ち、一元=一六・五元である。)
【📷蘇州のホテル・蘇州威連豪生酒店の写真】
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中国二日目は千灯に行き、水郷古鎮と運河観光をした。その後、錦渓に、午後からは蘇州夜曲で知られる寒山寺へ、次に獅子林、虎丘斜塔、刺繍研究所へと慌ただしく過密スケジュールをこなした。この合間をぬってレストランに行くことになる。蘇州のホテルに戻ったのは(日本時間)二十時頃であった。
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水郷古鎮
それからコンビニに行き、カメラの手入れをし、翌日の杭州の資料に目を通すのである。更に、その合間にトラブルへの対処が待っていた。
なお、この中国二日目は日本時間の午前五時頃起床し、腕立四八〇回、腹筋二四〇回、スクワット三百回、柔軟体操等々を行う。戻ってからも行ったため、合計で腕立て六百回、腹筋三百回、スクワット三百回、柔軟体操、歩く等の運動も全て完了し、トラブルがあっても気分爽快であった。
ただ、この日、ホテルを出るとき、私と似た真っ黒の服を着た数十人の筋骨たくましい人たちが、私達の車の周辺にいた。恰も、私の身辺警護であるというが如しに。
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【寒山寺の📷】寒山寺(かんざんじ、簡体字: 寒山寺、拼音: Hánshānsì)は、中国江蘇省蘇州市姑蘇区にある臨済宗の仏教寺院。
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【🎼蘇州や曲の歌】
Soshu Yakyoku 蘇州夜曲 1 – 李香蘭
https://www.youtube.com/watch?v=w0ht7Wkkc3s
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(蘇州の)風景と共には下記参照。
【蘇州夜曲】アン サリー( Ann Sally )絹針弘己写真集Traditional jazz
https://www.youtube.com/watch?v=O8S9u8IfDwM
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この日は、雨が降り、蘇州の運河撮影にはこの上ない趣を与えてくれた。ただし、文書では簡単に書いたが実際の模様を当時の旅行記から引用しておこう。
―☆☆拙著「旅行記」より引用☆☆―
……Ⅰ・千灯と錦渓。天気は曇りであった。突然、雨が降り出す。この雨は、撮影上は大変歓迎できる雨であった。運河と雨は非常にマッチする。しかも、中国の場合には洋画と異なり水墨画の世界である。雨は水墨画の世界に近づけてくれる。
ただし、首にVC24~70(八百グラム余り)というレンズをつけてD800(一キロ)というカメラを掛け、左肩に五十ミリレンズをつけたD90のカメラを、右肩には七キロのカメラバック、そして傘をさしての撮影である。まさに曲芸師の世界である。その上、ツアーのため、どんどん歩かれ、立ち止まってゆっくりと撮影を検討する間もない。全く知らぬ、そして撮影情報も持っていない地で。
―☆☆引用終了☆☆―
【📷】錦渓鎮(きんけい-ちん)と運河遊覧
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中国三日目は蘇州のホテルを出発し、無錫市にて三国城を見、太湖を遊覧し、淡水鎮守店を見学した後でレストランにて食事をとる。その後、烏鎮 (うちん)を見学した。最後に、杭州のホテルへ移動し、ホテル着は二十時頃となった。やはり、強行軍である。
中国四日目も強行スケジュールで、早朝起きてホテルで食事をとり、ホテルを九時半頃(現地時間八時半頃)出発し、紹興にて魯迅記念館と魯迅の生家を見学した後で、紹興酒酒造所にて紹興酒の試飲をした。その後、バス移動で六和塔、西湖遊覧、茶芸店と西冷印社を見学し、中山公園で絵画を鑑賞した後でレストランで食事をとった。
最後に清河坊で夜店を見学し、杭州のホテルに戻ったのは、二十一時五分であった。この後、例によってコンビニに行く。それからカメラや持ち物の手入れをするのである。しかも、翌日は上海へ行くため、上海の資料にも目を通さねばならない。
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【📷】無錫市(三国城・太湖遊覧)
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