「2013年の真相」№5―2節の1・第2節・中国への旅の真の目的(日本のフィクサーME・パート2の一部に該当)

「2013年の真相」№5:第2節・中国への旅の真の目的(日本のフィクサーME・パート2の一部に該当)


2020/12/26 20:58 下書準備掲載 (β)本体のみ。後日、(α)の2020年追記・解説、(γ)の写真や動画挿入予定。

2020/12/27 20:27 αに大幅追記。22:05レイアウトなど微修正。


 

(📷は一度クリックでPC大、二度クリックで巨大)

2013年の真相―№4
α(一番上に2020年追記)
β(真ん中本体・原則小学館に送付したまま)
γ(📷写真・🎦動画の挿入)
2020/12/04 14:10時点はβのみ。後でαとγを掲載予定。
全体目次は下記。今回は序章の第一節の続きと第二節の前半部分。

2013年の真相・目次

 



α(一番上に2020年追記)2020/12/27 19:58追加記述。

今回の本文№5は大変短いので、12月29日には「2013年の真相」№6の下書を掲載し、№6は30日には正式公開をします。

今回の掲載に関しては三点のみコメントを記す。


①新免昌和元美作市議会議員と私の関係や私の党派中立・宗派中立については下記参照。

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💁→(公式ブログ)浜田隆政回想録―1・1982~2020年:党派中立への道

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=29431

浜田隆政回想録―1・1982~2020年:党派中立への道

💁→(公式ブログ)政経を語る№33・偏見の流布と学問、情報、常識、科学、報道
(日本のフィクサーME・パート6下書兼用)

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=29044

💁政経を語る№33・偏見の流布と学問、情報、常識、科学、報道(正式公開)

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②世界連邦樹立について
2013年頃は起業を目指し、世界連邦樹立過程をドキュメントで描き、その本の収益で老後を考えていた。最悪でも、HP活動のCM料で生活は可能と考えていた。すると、HPへのハッカー攻撃の連続で、HPに広告を付けるのを断念せざるを得ない状況に追い込まれた。
更に、世界連邦樹立を目指す行動そのものも様々な妨害を受け続けた。2013年当時と異なり、もはや、世界連邦樹立、世界統一軍樹立は時期尚早となっている。当時は、アメリカ、ロシア、中国が一致すれば四年程度で樹立できると考えていた。サミットはロシアを含めてG8であり、米中合同軍事演習などもあった時期である。そこで、国際連合の樹立期間から、上手くいけば四年で樹立できると計算していた。

今後は、作品寿命が短い政治経済関連から芸術関連に軸足を移す可能性が高い。とは言っても資金枯渇まではほんのわずかな期間となっている。
ともかく、世界の歌・アメリカ特集まではやりたいと考えている。その後は不明である。
政治経済からは、2017年計画通りに、フェードアウトできることを願っている。ただし、世界連邦樹立への兆しが見えてきたり、そのために私の力が必要になったりしたときには、その時点で考えよう。

③駿台予備学校について。

下記の文書に駿台予備学校復帰云々(うんぬん)も将来の選択肢に思える形での記述があるが、当時は60才であり、今は68才で事情が違う。それ以上に、駿台に復帰できる自由や人権を取り戻す確率は、現時点では、私が総理になる確率と同様である。勿論、政治家になる意思はない。

私を総理に結び付けた最初の人間は後藤田正晴氏であった。2000年前後の話である。「君は総理を狙っているかもしれないが、まだ早い。君は今はせいぜい大臣クラスだ」、と。私が47才の頃のことである。しかし、一貫して、私は政治家になる意思はない。

駿台云々で教壇に立つことが可能ならば、総理や、起業大成功、本のメガヒット、テレビでのコメンテーター…も全て同様の確率があることを意味する。その場合に駿台という選択肢はでてこないであろう。逆に言えば、私が現実の世界で世に打って出るをの阻止されている場合には、(私の願望の有無に拘わらず)駿台ですら復帰は阻止されるということでもある。

具体的問題として、駿台及び大学教壇に立つことは、世界の歌の中止、日本のフィクサーMEシリーズも途中で止め、HP活動の中止、さらにその他の動きも全て中止することを意味する。(日本のフィクサーMEシリーズはパート6までメモ及び構想は既にある。妨害がなくてもパート6をもち中止予定でいる。パート6は現在であり、可能ならば2021年1月21日までを範囲としたい。)

第一、政経で教壇に立っても、入試問題の作成者が知らぬことを話せない。某事件を入試出題者が「…○○である」と書いているのを、私が「いや、それは違う。実は、私が▽▽と■■の間で仲介したのだ」(例:菅直人首相と温家宝首相の件など)とは言えぬ。だが、私が言うのが事実である。
①ディシジョンメーカー(政策決定者)→②政策遂行者→③学者による分析→④入試出題者→⑤入試分析者となるが、私が①にかかわったケースもある(かもしれない)。①や②に関することを授業で喋(しゃべ)ることはできない。また、適材適所でもない。キッシンジャーは政経模試をつくるのではなく、回想録しか書けないのと同様である。もはや何をか況(いわ)んやとなってしまった。

数年前から、突如駿台を意識させられる事項が続き、降りかかる火の粉を払うために駿台の件を思い出さされただけである。何故、駿台の件を今更思い出さされたのかは私には一切不明である。それどころか、駿台講師時代のトラブルの件も何が何かさっぱり分からない。30年以上経(た)ってもである。亡き友は「人間違いが原因」と言っていたが、何のことか分からない。

駿台の件と、写真残酷物語の件は何度も同じことを言わされるし、同時に世界の読者が興味を持たないし、私自身も書いても時間の無駄と感じており、手を焼いているのが本音である。



β(真ん中本体・原則小学館に送付したまま)


 第2節・中国への旅の真の目的

当初の主目的は、『旅に心を求めて―懐かしきの心を求めて(鑑真)』の原稿作成目的で、中国の(鑑真和上修行の地)揚州に行く予定でいた。
第二の目的が、日米中間の橋渡しをし、それを『日本のフィクサー〝ME〟・パート二』として別の原稿でまとめることであった。


観光旅行とは無縁の仕事若しくは就職活動でしかなかった。しかし、諸事情で揚州行きが無理となったため、主目的は日米中の接近への橋渡しへと変化した。
ただし、日本の右傾化、特に、二〇一三年四月二十一日に麻生外務大臣の靖国参拝があったため、もはや日本抜きで中国とアメリカの橋渡しを重要な目的とした。即ち、それを使命として中国に行くことにした。そのときの模様を拙著『旅に心を求めて―懐かしきの心を求めて(鑑真)』と美作市議会前議員・新免昌和氏宛手紙より引用する。
【📷唐招提寺の写真】(写真は一度クリックでパソコン画面大、二度クリックで巨大)

唐招提寺:鑑真和上の墓:📷№16-018-166


 ―☆☆『旅に心を求めて―懐かしきの心を求めて』より☆☆―
 だが、まだ心を取り戻せず、最後の賭として、鑑真和上の古里・中国への旅をすることにした。ただし、その旅は、日米中の橋渡しになるという別の目的もある旅である。万一、オバマ大統領と習近平氏の仲介役となれれば幸いである。 
 ―☆☆引用終了☆☆―

【📷オバマ大統領の写真】(オバマ大統領のSNSから拝借予定)

オバマ大統領


【習近平国家主席の写真】(人民日報日本語版か何かから拝借予定)

習近平国家主席



―☆☆新免氏宛手紙より抜粋☆☆―
 鑑真ゆかりの地として、中国の揚州、西安(昔の長安)、鑑真が日本へ渡航を志したり・難破したりした主な地として上海、杭州、蘇州があります。鑑真和上関連の原稿のため、本年は予算の関係で上海・杭州・蘇州を訪れる可能性が高くなっております。格安ツアーを探すと、予算が往復旅費・宿泊費・全食付き・現地の移動代込みで二万九千九百円だったからです。……一番重要な関空発の揚州ツアーは全て催行中止となり、成田発揚州ツアー(軽く十万円以上)は成田迄の交通費及び宿代も含むと二十万円程度となり、当面は無理なようです。


 ……本年の中国行きは……(『旅に心を求めて―懐かしきの心を求めて・続編』)……。更に、『日本のフィクサー〝ME〟・パート二』に一部記す予定でおります。
 出版社への送付作業は、(定年七十歳の私大)大学講師応募、(駿台等定年がないか、七十代でも活躍できる)大手予備校応募と並ぶ重要な就職活動です。二〇一四年四月までには就職を決めたいと考えております。」(新免氏宛手紙・二〇一三年四月二十五日)
―☆☆引用終了(誤字・脱字等一部修正)☆☆―
【📷寒山寺での鑑真和上写真】

(帰宅後に鑑真和上像と気づく。撮影中は雨でビッショのため、ただ寺の中を必死で写していたのみである。撮影結果はご覧の通り、全く良くない。今考えると、鑑真和上像を撮影できるのは、ここしかなかったので百枚近く撮るべきであった。唐招提寺は鑑真和上像どころか、そのレプリカまで撮影禁止である。他人の写真では著作権にふれる。そこで、鑑真和上像を私の書物で本格使用しようと思うと、再度寒山寺に行き撮り直ししかない。

左が鑑真和上像:📷13-024-299



こうして、旅の主目的は鑑真研究から、米中の橋渡しに中心が移動した次第である。ただし、この時点ではまだ中国首脳部とどのようにしてコンタクトを取るかは不明であった。

【📷大阪城内世界連邦平和像】

大阪城:世界連邦平和像: 📷15-003-055

 

 

2020年12月27日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA