政治経済を語る№7・「オバマ大統領の広島・長崎の訪問は?」(その3)

このエントリーをはてなブックマークに追加

政治経済を語る№7・「オバマ大統領の広島・長崎の訪問は?」(その3)

 

 

(4)広島原爆資料館との対立を、私の原稿『旅に心を求めて―不条理編』に絡められた疑惑について。

まず、問題となった原稿の一部を抜粋する。詳細は拙著『旅に心を求めて―不条理編・上』(Kindle版・Kobo版各百円)を読んでいただきたい。HPでの紹介は以下参照。
http://h-takamasa.com/custom.html


《以下、抜粋開始》

原爆投下による米軍等百万人救済説の人へ。
スミソニア展(※注一〇参照)に反対するのは自由であるが、事実上、力で握りつぶした所に問題がある。これでは、人権抑圧国は仲間が出来(でき)たと喜ぶであろう。「アメリカの真似(まね)をしたのだ」、と。本来、意見・見解が違えば、ルールに基づき、理論とプレゼンテーションで相手を潰(つぶ)すのが正道である。だが、力で潰すとなると、アメリカの威信は崩れたと言っても過言ではない。長く訪米を望んでいる者とすれば大変残念である。


○原爆投下犯罪型主張者の方へ。
原爆関連のプレゼンテーションは、まるで「学校の資料集や教科書のような展示会」か、官僚の書いた味も素っ気もない答弁書の如くで、「うんざりだ」と心の中で思っている人は多い。大規模な原爆展を核保有国で開催するときは、訪れた人が戦争反対・原爆反対のみか、交通安全に心がけ、自殺者問題に心を痛め、暴力というものに反感を抱き、テロ等が生まれにくい環境を提供する義務がある。原爆正当化論者ですら、一部共鳴(きょうめい)・賛美をする結果をもたらさなければならない。


そのためには、プレゼンテーションの質が黒沢明の映画以上の物を目指すくらいでなければならず、3章で述べる如く、想像を絶する思考・工夫・努力・期間を必要とし、しかも結果を出さなければならない。主催者の、独(ひと)り善(よ)がりのプレゼンテーションはもう飽(あ)きたという人は多い。下手(へた)なプレゼンテーションならば、論議の賛否は抜きに、徹底的に批判されればよい。目が覚(さ)めるがよい。そうでないと、平和主義者の理論もプレゼンテーションの技術も鍛(きた)えられない。


◎両者及び日米両政府への提案。
第一に、大規模な原爆展をアメリカ国内で開くのを妨害せず支援すること。


第二に、米国の原爆正当化論者にも、同様の展示会を(日米両国で)開催するのを支援すること。


第三に、両方の展示会を通じて、正面から議論し、民主主義を発展させること。


しかし、それ以上に、第四として、私は次の形態を特に推奨する。即ち、論争を棚上げし、「命の重み」を統一テーマとした共同開催展である。日本=「原爆被災展」、中国=「南京大虐殺展」、米国=「捕虜となった軍人の虐待展」、イスラエル等=「アウンシュビッツ展」、ドイツ=「ドレスデン等へのドイツ大空襲展」……等々を同時開催することである。
勿論、アフリカ=「飢饉(ききん)展」、ベトナム=「枯れ葉剤被害展」、カンボジア=「地雷展」等を付け加え、〝命の重み〟を軸とした万博に匹敵する世界共同の大プレゼンテーション展である。


論争は、別の場所で行い、「命の重み」を軸とした共同大開催展である。連合軍百万人救済説も、原爆犯罪説も、根底には〝命の重み〟という共通項目があり、その上でプレゼンテーション等で各主張を訴える。これが、本来のアメリカ型社会のあるべき姿――競争社会の原理――ではなかろうか。


アメリカの寛容さ・度量・民主主義を愛する心・自由と平等を愛する心、具体的には映画『To kill a mockingbird 』(「アラバマ物語」)(※一四)中の(グレゴリー・ペック扮する)アティカス・フィンチの如きをアメリカに期待する。私の提案が実現したときに、遠い将来にどちらかの見解に収斂(しゅうれん)されることがあっても、アメリカの寛容さと民主主義国家としての崇高さは歴史に残るであろう。

(※一四)HARPER LEE, TO KILL A MOCKINGBURD, ARROW, 1960. [翻訳]ハーパー・リー(菊池重三郎訳)『アラバマ物語』(暮らしの手帖社)二〇〇三年。同名で一九六二年映画化され、グレゴリー・ペックがアカデミー主演男優賞を受賞。

《以上、抜粋終了》



(5)資料(4)の解説。

この原稿を最初に記したのが1995年頃である。これを読んだ人が誤解をすることは恐らくないであろう。

しかし、原爆資料館に対してではなく、多くのプレゼンテーションをしている人に対して、(収入のあった駿台講師時代以外のときは)、特に二十年前などは、次のような独り言を言っていたことがあった。
私は超多忙、金も全く入らず、それでもここまでやっている。すると、他の人は、給料・退職金・年金を考えれば、一人で私の数倍のことができて当たり前である。そして、職員の数が二十人ならば、私の百倍以上のことができて当たり前、と。
労基法違反被害の連続で、精神疲弊の最中のため、精神のオクターブも高くなっていたようである。

ところで、最近、寝ているときに、次のような暗示があった。
「王貞治さんが、自分がやったことは誰でもできるんだ。だから、全員が努力すれば、全員が王貞治になれると思って監督をしたならばどうなるか……」、と。

確かに、長期連載コーナー『求め続けて』(第一部から第三部)に記し続けているように、特別な訓練も受けているため、私が特異ではないという保証はない。しかし、私のプレゼンテーション能力が並外れているのかどうかは、チェックする暇がないため不明であるが事実である。

もっとも、今は、家事洗濯、畑・墓の草取り……全部一人で、さらに、収入なしで本格投資や資料収集ができない問題、再就職準備活動、トラブルの連続(最近ではトラブルブログにトラブルすら書く暇がないほどの被害)、しかも、「老い」という魔物も襲ってきつつあり、全く持っている自分の力が発揮できないと悔しい思いをしている。多くの営業妨害などにより、今は、私自身のHPなどの一部がガタガタであり、他人の作品を批評できる立場ではない。もし、妨害などがなければ、今でさえ……とも思う。


ただし、次の二点は明白にしておきたい。
一点目は「The pen is mightier than the sword.」(ペンは剣よりも強し)である。
 プレゼンテーションは原爆・水爆よりも威力を持たなければならない。暴力なき世・紛争なき世・戦争なき世をつくる武器、それがプレゼンテーションである。そして、その結果を確実にださなければならない。それぬきではプレゼンテーションも、学問も、研究もアクセサリーと同一でしかない。
 同時に、民主主義の実現にとって不可欠なものでもある

二点目は、平和をプレゼンテーションしている人は、時にはライバルではあっても、仲間である。目的は一つである。だから、彼ら・彼女らが私を上回ることは、有り難いことである。
どの世界でも同一である。柔道の山下氏を上回る選手が続々登場すれば山下氏は喜ぶであろう。井上康生君も、現役時代の彼を上回る選手が続々登場すれば、井上君は大変喜ぶであろう。
そして、オバマ大統領が被爆地を訪問することは、平和を願っている人は誰もが歓迎しているということである



本題に戻る。オバマ大統領の広島再訪、長崎訪問についてのコメントを記す。
まず、私的な立場での話である。私もオバマ大統領もジョーク好きである。しかし、ジョークは時には大変疲れる。そして、私は疲れた。詳細な内容は、オバマ大統領が大統領を辞めて数年後に、面白おかしく、フィクションも交えて、『日本のフィクサーME・パート3』で記す。(この本で、『日本のフィクサーME』シリーズは終了予定でいる。)

だが、オバマ大統領の原爆被災地訪問はジョークではない。その点は、私的な面を抜きに、政治学者としての見解を記す。


オバマ大統領の生きてきた道、更に彼の政治信条などから考えれば、かなりの確率で、オバマ大統領の広島再訪、長崎訪問はありうると考えている。
ただし、本年はアメリカ大統領選挙の年であり、それへの影響は無視できない。後継者(ヒラリー)が不利になってはならない。その問題抜きには、大統領は自由には動けない。


そこで大統領支持率などは大きい問題となってくる。幸い、ここ数日は、Gallupでの世論調査では、本年最高の54パーセントをつけ続けているそこで、今のまま推移すれば、私はオバマ大統領の広島再訪、長崎訪問の確率は高いと考えている。極論すれば、よほどのことがない限り、ありうると想像している。

訪問時期については、調べてもオバマ大統領のスケジュールが入手できないため、不明である。ただし、五月頃に知ったが、本年G20が中国の杭州である。現時点では9月4日、5日が予定されている。すると、中国への行きがけか、帰りに日本に立ち寄る可能性もある。だが、詳細なスケジュールが入手できないので、G20前後にオバマ大統領の重要な別の仕事があるかもしれないため、これ以上の分析はできない。

私との絡みで言えば、オバマ大統領の行動は、上記までは分析可能であるが、肝腎(かんじん)の私の行動は営業妨害を含む各種妨害のため、全く分析できない。即ち、不明である。これが全ての事実である。


最後に、学習でも、運動でも、早く伸びる人と、遅く伸びる人がいる。同様に、資料館の展示物なども一度で全部吸収できる人と、一度とか、長時間見ても受け入れられない人もいる。前者の人ならば長時間で一度が良いであろう。後者の人ならば、一回あたりは短時間として、何度も訪問するのも良いであろう。私は後者である。それが、青春18(日帰りならば往復2300円程度)で広島に連続して訪問し続けている理由であった。本年は(3)の理由で広島は無理であるが。


人間には、それぞれの個性があり、その個性面については、人に危害を加えぬ限り、誰も干渉してはならないと思う。

以上で、本文終了
以下は蛇足文。





 ◎追記及び蛇足編。

私は先の如(ごと)く、超多忙な中で、さらには経済封鎖の中で、もっとひどいときには、諸挑発で、ほかにすべきことがあっても、無理矢理、書きたくない原稿をかかされるときもある。

そうしたある日、小田実氏(おだ・まこと、1932年6月2日 – 2007年7月30日)が「文書はもっと短くしなければならない」というようなことを、私に向かって言われたような気がしたときがあった。


私は、「もし、時間があったり、適正な原稿料を支払われたりしていれば、そのように努力もしよう。ましてや、書きたくないものを書かされているのである」、と、独り言を言った。
しかし、小田氏の助言も頭の隅にあり、「ふるさと」という作品{『閉じた窓にも日は昇る・上』(Kindle版・百円)に一部収録}では、リズムよく短い文を書いてみた。その直後に小田氏は亡くなられた。
ちなみに、私は小田氏に対して一貫して好感を持っている。小田氏も同様であったと思う


藤田まこと(1933年4月13日 – 2010年2月17日)さんが生前、先の『閉じた窓にも日は昇る』をさしてか、「出版社の懸賞原稿で当選しないとか、本が出版されないのを人のせいにしてはならない。それなりの訳があるんだ。自分を、作品を謙虚に見なければ」とアドバイスをされた。


そのときに、堀内孝雄氏が、次のように言ってくれた。
「あのね、あの人(藤田まことさん)駄目、駄目ですねん。あの人、私の作品『都会の天使たち』を聞いて言いました。『これ駄目でっせ。これ売れませんわ』、と。そんな人ですよ」、と。
堀内さん大好き。


ところで、それならば、これではどうか。『旅に心を求めて―不条理編・上』をまとめ、見せようと思うや、藤田さんは亡くなられた。
堀内さん大好きと書いたが、それでは、私が藤田さんを嫌いかと言えば逆である。
藤田さんは、私が好きな俳優の一人であり、「はぐれ刑事純情派」で、藤田さんをよく見ていた。勿論、藤田さんも、私に敵意を持って言ったのではない。親しみから言ったのである。小田氏に至っては、アドバイスをしてくれたのであろう。


この種の言動に対して、いろいろ思うこともあろう。しかし、みなさんにはまだ強みがある。私が書いたこと・言ったことが不快ならば、より優れたプレゼンテーションをして、私や相手をびっくりさせられることができる。


他方、私の方は、私の作品に少しアドバイスか何かをした人に次の作品を見せようとするや、みんな死んでいった。言い逃げである。みなさんは良い。私は言い逃げの予定はないのだから。

ちなみに、井上ひさし氏(1934年11月17日 – 2010年4月9日)の場合もそうであった。私の『閉じた窓にも日は昇る』を見られたのか、私にジョークとはこう書くんだと、ある記事を書かれたように思われた。そこで、『日本のフィクサーME』(kindle版・kobo版各百円)を見せようと思うや、亡くなられた。


これまた「言い逃げ」である。井上ひさし氏はよく知らないので、黒柳徹子さんの番組「徹子の部屋」に向かって言ってみた。
「井上ひさし氏は若いときに悪いことばかりしてたんじゃないの」{悪いこととは憎めない悪戯(いたずら)類を指す。同時にジョークとして言っているので誤解のないように}。徹子さんは興味津々という形で乗ってきた。もっとも、井上ひさし氏と私とは「憲法9条維持派」・護憲派という共通点はある。

ともかく、私と異なり、少しでも批判めいたことを言ったり・書いたりした人に「これを見ろ」と言えるだけ、他の人は良いのではなかろうか。私の如(ごと)く、「言い逃げ」ばかりされていてはむなしくなる。

同時に、平和をつくるために、暴力・紛争・戦争をなくすためのプレゼンテーションという使命も、お互いにあろう。そして、何よりも(暴力・紛争・戦争をなくすという)結果を出さねばならない。

※私のプレゼンテーションについての考えは、本来は各種作品や作品としてのHPを見せるだけで良いのだが、激しい営業妨害でそれらの一部がガタガタの面がある。そこで、過去のプレゼンテーションの歩みを記した、拙著『求め続けて』(第一部から第三部)を読んでいただければ幸いである。
7月~8月は『恐るべき労基法違反』PDF無料配布の関係で中止しているが、9月から、再度、次の箇所で第二部と第三部を連続掲載予定でいる(来年前半終了予定。)掲載箇所は以下。
http://www.h-takamasa.com/rensai/
その後は電子書籍などで出版したいと考えている。