「日本のフィクサーME・パート3」第4章訪米・第1節・開業・起業を目指して

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「日本のフィクサーME・パート3」第4章訪米・第1節・開業・起業を目指して


2023/09/28 13:20添付(3章2節から移動)

 


(1)開業・起業を目指して
2012年11月に、は60歳となった。
本来ならば、65歳から年金生活で老後を過ごせるはずであった。だが、幾つもの詐欺に遭い、このままでは老後破綻は時間の問題となっていた。国民年金も65歳から支給となっており、それまでの5年間は一円も入らない。

母が死亡して、当初思ったよりも、大きな額の相続があったが、その金額を平均死亡年次で割り、それに毎年の国民年金支給額を足しても、生活保護支給額(生活扶助以外に、医療扶助、冠婚葬祭扶助…の合計額)以下であった。また生活保護と異なり、固定資産税支払いや、医療費、病気のため止められない生命保険掛け金、更に、家の修理費などがいるため、あの額で寿命を全うすることは不可能であった。

朝日新聞か何かが、恐らく、私を指してであろうが、「死ぬのが先か、金が枯渇するのが先か」とか、「金がある内に死ねるだろうか」などを書いていたような覚えがある。
正に、その通りの状況にあった。

だが、年齢から言っても、私の分析ではインフレ、それも今のようなインフレではなく、いずれハイパーインフレが起こると読んでいた。すると、残る手段は起業・開業しかなくなっていた。安らぎ文庫を中心とするインタネット類活用で起業を考えていた。

父・浜田耕治の岡山師範一年後輩であった福武哲彦氏が福武書店(現・ベネッセ)を一代で起こしたことを考えると、不可能ではあるまい。三木谷君がおこした楽天は、私がポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)を辞職した頃に起こした企業である。

ともかく、さいは投げられた。
2013年~14年は母の問題の後片付けと、インタネット活用での起業のアイデア固めであった。そして2014年頃から構想が固まってきた。2015年1月から本格開始でいた。
起業内容は、未だに妨害が多いため、詳細に語ることはできない。ただし、私が書いた電子書籍を売ることだけではない。それはOne of themであった。
他の内容は起業秘密のため伏せて、既に公にしている執筆業のみを解説する。

大きな軸は、当初は、私が旧労働省職場で受けた労基法違反・契約違反、更に後に分かった詐欺被害への賠償交渉を勝ち取る過程を文献にして売るであった。2013年からは、次の課題を付け加えた。即ち、世界連邦樹立を目指して活動して、その結果、世界連邦が樹立されるまでのドキュメントを掲載して売るである。それが『日本のフィクサーME』などである。

それ以外に、シリーズ物として、何が幸せかをFieldworkを通じて追及する『旅に心を求めて』シリーズも目玉とする予定でいた。各人が金や名声、更に小さい範囲では学歴などを求めて行動する。それが成功すれば幸せと考えているからである。だが、その目標を達成しても、幸福になれると言うのが事実でなかったならばどうするか、である。

宝くじにあたって、不幸になった人がいるくらいである。それを察知して、宝くじに当たった人が、その賞金を全て寄付か、受け取らなかった(もしくは燃やした)という事例を聞いたこともある。そこで、重要なことは、宝くじに当たった人の運命をたどることである。私の主観抜きで、事実を追い求めることである。もし、宝くじにあたって不幸になった人がいて、そして、性格的に自分もそうなりそうであったならば、進路を変えた方が良い。そのシリーズが旅に心を求めてであり、天武天皇・持統天皇・天智天皇、あるいは日野富子の足跡や関連地に行ったのもそうした題材を提供するためであった。『積み木崩し』の著者は、彼の文献がヒットして、幸せになれたであろうか。

逆に、幸せであっても、それに気づかない人もいる。当たり前と考えているからである。そして、当たり前のものをなくして、初めて、自分は昔、幸せであったと気づくが、後の祭りである。こうしたシリーズものを、通常の文献ではなく、文字・映像・写真・イラスト・音声…と組み合わせて、小さなソフトに凝縮された、21世紀型の作品(従来の本でもなければ、カセットでもなければ、映画でもなければ、絵本でもなければ…という珍しい作品)をつくって生活の糧を得ることを目指した。

一時は、退路を断つため、失敗すれば自殺はできないが、死亡という覚悟で思い切って投資をしようかとも考えていた。だが、妨害が余りに激しく、そこまでの投資は老後破綻を早めるだけの危険があり、中途半端な投資しかできなくなっていった。

それでも2013年から3年間は「石の上にも三年」で脇目も振らずに、突っ走る予定でいた。ただし、構想が遅れたため、安らぎ文庫創設が2015年となった関係で、石の上にも三年は2015から3年後の2017年と目安をつけた。その間は動き回る、と。動くとは、材料の仕入れだけではなく、営業をしまくるであった。勿論、肝心の作品群を作らねばならない。ただし、科学の限界というか、あまりにも、進化が遅いため、当面は通常の書物に見えても致し方ないであろう。

『旅に心を求めて』シリーズは妨害が多く、逆にかかわりたくなかった政治の世界に巻き込まれたため、それでは『世界連邦』構想を巡って動いた、その有様を公開する『日本のフィクサーME』シリーズが先行することになった。なお、このシリーズは第1巻に該当する、『日本のフィクサーME』(Kindle、KOBO各百円、$1)に見られる如く、大変面白い、コミック型で描いている。購入して読んでもらえば分かる。

ところが、第2巻該当(『日本のフィクサーME・パート2』)以降は、政治経済の情報だけくれにせかされて、ユーモアをふんだんに入れることはできなくなっている。もっとも、これらは正式公開でも全て下書きと割り切り、後に、楽しく仕上げることも不可能ではあるまい。


こうして、器財が健全な内に、私の体力が十分ある内に、資産の枯渇が目に見えてきて焦りがでる前に、一気にFieldworkをできる限り多くすることを心がけた。誰かが「大きな旅行は生涯一つでよい」などと言っていたが、同じことを、長距離を専門とするトラックの運転手に言ってみるがよい。「これは旅行じゃねえ。仕事だ。馬鹿野郎」と怒鳴られるであろう。

ところが、私の起業妨害で、車や電車に乗り、遠方に行けば、旅行と勘違いをさせる集団が存在していたようである。こうして村での各種妨害が発生する。だが、その解説をすればするほど、業務妨害は激しくなり、起業は完璧に潰されるという危惧があった。

例えば、韓国の旅を例にとろう。この旅では安重根と伊藤博文を対比して、『旅に心を求めて―不条理編』シリーズの一部にする予定でいた。安重根記念碑にはいけた。のちに伊藤博文記念碑にも行けた。しかし、一つだけ求めて動けば、経営効率、コストパフォーマンスは低い。そこで、韓国に行った際には、一気に竹島(独島)に行くことも検討していた。目的は、斯様な小さな島というか岩で、日韓両国が争うとは愚かであることを説得するためであった。
だが、このツアーは韓国経由でしかできない。すると、著名な日本人が韓国経由でいけば、竹島・独島は韓国のものと認めたことになるという不安があったようである。実際に、日本政府から自粛要請をされたように思えた。更に、万一、そうなったならば困るということであろうか、訪韓の際には主要なカメラ・レンズがほとんど故障という憂(う)き目にあっている。

要するに、こうしたことを村人に解説したならば、もうその時点で、企画は潰される。私はガラス張り公開主義者であるが、それは仕事を成し遂げた後でしか無理な事項がある。

こうして、体が満足に動き、予算が一定組める内に一気に行う必要があり、一部の人が驚くような形で動くことになった。集めた材料の整理は多少おいても可能であるが、集め回るときに、老いたならば不可能な部分がでてくるからである。

それでは、萩・光市へのフィールドワークの後で考えていたField Workは何だったか。
もっとも急いでいたのは「野麦峠への旅」であった。何故ならば、私の処女本『旅に心を求めて―不条理編上・下』の上巻の表紙を飾る写真がなかったからである。電子書籍では表紙が意味を持つことが多い。野麦峠は、1989年6月に訪問している。だが、その時はコンパクトカメラの上に撮った枚数が少ない。『同上書』は2015年初頭を予定していた(実際には2015年1月30日発売)。そこで、何が何でも、2014年中に野麦峠に行かなければならなかった。

逆に萩・光市は2014年でなくても、2016年でも17年でも問題はなかった。だが、政治が絡んだようである。世界遺産問題である。
野麦峠、即ち、女工哀史に関連地である富岡製紙工場は、私が2013年頃から、若しくは、電子書籍ではない原稿は2010年からいくつかの出版社に送付していたためか、2014年6月に世界遺産となってしまった。逆に、萩市などは2015年に世界遺産を目指していたようであり、その後押しとして、萩・光市を優先させられる謀略に陥った。

ちなみに、萩市は安倍晋三氏の選挙地盤山口一区である。光市は岸信介の孫・岸信夫氏(安倍晋三氏の弟)の選挙区・山口二区に該当する。
催眠や謀略で動かされている以上、私の悪用(いわば人身売買)がなされるのである。

2013年以降の国内の大型フィールドワークと世界遺産の関係は以下の通りである。
①野麦峠=2013年から視野にいれ、14年初頭から動きかけた→14年6月世界遺産、
②萩市=2014年4月訪問→15年世界遺産
③長崎市=2016年訪問→17年世界遺産、
日光=2017年上京の際に就寝中何度も日光に行け催眠があった。私は遊びや観光旅行ではないのでノーと言い続けた。だが執拗に長期催眠で説得された。そこで条件をだした。目的地。早稲田、三鷹世界連邦平和像、田中正造か佐倉惣五郎が終了すれば行こう。これで、漸く、催眠攻撃は収まった。だが、東京で妨害三昧のため無理となった→日光はその頃世界遺産に立候補していたことを後で知ったが落選したようである。
要するに、全て世界遺産に絡められていた。関与した人間に政治家がいれば、おそらく、金か票の取り集めという利権が流れていたのであろう。

2023年9月28日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA