Blog15-92・売春は法律で罰すべきか否か―現在は本質を忘却した悪法(現代のイドラへの挑戦): 2015年10月24日

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売春は法律で罰すべきか否か―現在は本質を忘却した悪法(現代のイドラへの挑戦)(2015年10月24日掲載)

 

私は現代のイドラ(ベーコンの言う偏見)への挑戦として、第一弾では偏差値問題をとりあげた。第二弾として、風俗問題である。
①売春は法律で罰すべきか否か。(私見=罰則を設けるべきではない)。
②児童ポルノ法はあれでよいのか。(私見=今の児童ポルノ法は親方日の丸法であり、芸術上も、人権上も問題が多い。)
今回は、①についての私の見解を以下記す。その後で結論のみを簡単に述べる。なお、下記の文章は友人・布袋(ほてい)さんとの会話という形式をとっている。布袋さんの本名は記せない。また、文中のボンとは私(=浜田)をさす。

 

 

 

……「最初の女性Aに関しては、僕は『万国の女性よ自立せよ』とは違うタイプということで、拒否していたんだ。あの種のタイプは男性と結婚するのではなく、職業とか相手の年収と結婚するという感じもあったんで、双方無理ということで門前払いしていたんだ。この女性に限らず、大半の女性は永久売春を望んでいるからね。相手の人間性に憧(あこが)れて結婚するのではなくて、永久に養って貰(もら)うために結婚する人が多いからね。これを永久売春というんだ。勿論(もちろん)、そういうタイプを批判も非難もしてはいないよ。永久売春が良いか悪いかは、人身売買でない限り、法や他人の立ち入る領域ではないからね」
「それは、ボンが結婚できないので、その僻(ひが)みだろ」
「まあ、好きなように言いなよ。
ところでね、売春だってそうだ。道徳から禁じたんではないんだ。人身売買・強制労働などの視点から禁じたんだ。古代は売春に該当することは宗教儀式だった。性は五穀(ごこく)豊穣(ほうじょう)と結びつけられることが多く、未(いま)だにその名残(なごり)は祭りや彫刻等に残っている。だから、僕の想像では、大昔、五穀豊穣を祈る儀式として性行為を人前でし、その儀式への貢(みつ)ぎとして、踊(おど)り手達に貢ぎ物や奉納物が贈呈されたと思うんだ。依(よ)って性行為と代価の貢ぎものだから買春だ」
「面白(おもしろ)い話だね。それにボンが婦人問題研究部に入っていたなんて、ボンが東京にいるときは知らなかったよ。その永久買春とか買春禁止法についての見解も諮問(しもん)したの」
「したよ。それだけではなくて、アグネスチャンなんかが児童ポルノ反対を唱(とな)えていたときに、杓子定規(しゃくしじょうぎ)に子供の裸を禁止するのは余りにお役所仕事的と問題提起までしたよ。だけど、これについては全然影響力はなかったね」
「興味があるから、その話をしてみてよ」と布袋さんが、興味津々(しんしん)の目つきをして尋ねてきたので、私は今までの持論を展開した。

 
   ――★★★ボンの風俗論★★★――
(1)歴史。
  百年くらい前まで、アフリカかどこかで、男性が大地とセックスをする儀式をしていた。同様に日本でも大昔には性は五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る儀式と結びついていた。時には、大地への生け贄(にえ)として、人を生き埋めにする儀式よりは、民衆の同意を得られた。
  性は、子供を産むことと結びつくだけに、五穀豊穣の儀式と結びつきやすかったのである。同時に大昔は多夫多妻(たふたさいさい)制の時期もあった。マルクスのノートを元にエンゲルスが記した『家族・私有財産及び国家の起源』等を読めば、多少ヒントは得られるであろう。但(ただ)し、エンゲルスなどは肯定も否定もせず歴史を紹介しているだけである。こうした段階では買春は問題がない行為であった。五穀豊穣の儀式として、人前で性行為をし、そのときの奉納物や祈祷師(きとうし)へのお礼同様に代価が支払われていたが、有(あ)り難(がた)いことでしかなかった。踊り手や行為をする女性の中には代価を目当てにする者もいたことは疑う余地もない。こうして性行為の代価として物を貰(もら)う以上買春である。

 

  (2)問題点は何か。
  大昔の買春というのは、私が解釈する自然法に照らせば問題はなかった。後に売春が問題となったのは二つの理由からである。一つは私有財産の維持上の問題からであり、もう一つは、更(さら)に重要な意味を持つ人身売買・強制労働と結びついたためである。
  但(ただ)し、前者の場合には男性が買春することは問題なく、女性が不倫やそうした行為を夫以外とするときのみ問題視された。特に、鎌倉時代などは、土地が絶対的なものであった。そこでその土地を自分の子孫に残すことが、武士の生きる道とも言えた。
  だから、鎌倉時代の大戦時などは、兄弟で故意に対立する陣営に分かれて戦(いくさ)に参加した。そうしておけばどちらが勝っても、先祖代々の土地は〝家〟としては守ることができる。そのくらい、土地などを子孫に伝えることは重要であった。そうしたときに、もし女性が浮気をして子供を懐妊(かいにん)などすると、何のための努力か分からなくなる。
  男性は女性が子供を産む道具と考えて、女性を〝奥にしまい〟浮気をさせずに、自分の男の子孫に自分の財産を残すための手段と考えていた名残(なごり)が、〝奥(おく)さん〟という語である。大奥も同一である。また、裕福(ゆうふく)な家では、確実に自分の子孫、しかも男の子に土地・財産を残すため、側室制度すら存在していた。因(ちな)みに、女性が浮気をしても、相手の男性と寝てすれば犯罪となり、立ってすれば大した罪にならないか無罪とした国があったという記事を昔読んだ記憶がある。要するに、昔は立ってすれば妊娠しないと想像したのであろう。愛情からの嫉妬(しっと)以上に土地を自分の男性子孫に残すことが絶対的命題であった。
  因(ちな)みに多くの日本語にこれらの問題の名残が存在している。例えば、奴隷という字に見られる如(ごと)く、女性が経済的に男性に従属した時点で、男性に跪(ひざまず)くから来ている。更(さら)に、嫁という字自体が男性と結婚するのではなく家と結婚することを意味していた。家とはウカンムリ(=屋根)の下に豚(ぶた)などの家畜(=財産)がいることを意味する。
  即(すなわ)ち、結婚とは、女性が相手の家と結婚し、そして財産を守り、主人(=旦那(だんな))に養って貰(もら)い、奥にしまわれ浮気を封じられ、主人の男の子を産むための道具であり、主人に跪(ひざまず)くが従来の日本語の意味である。なお、旦那(ダンナ)という語はサンクリスト語のドナーに由来していると言われているが、単に言葉の輸入としか分析できず、日本の文化ではない。ドナー(英語のdonnar、ラテン語のdonare[与える])という意味であるが、日本では右記の如く、実体(本質)はそうではなかった。また、このときに女性を見れば、財産目当ての結婚であれば永久買春であり、親の意思で本人の意に沿わない結婚ならば人身売買でしかなかった。買春よりも悪い奴隷そのものを意味した。
  勿論(もちろん)、結果として幸福なこともあろうが、それは曾根崎(そねざき・曽根崎)心中に見られる如く、売春婦とお客さんの間ですら起こりうる確率並でしかない。そこで、財産から生じた買春禁止発想は、浮気も含めて女性のみ禁ずるであり、男性は無関係となる。
  買春禁止のもう一つの流れは、人身売買、強制・蛸(たこ)部屋労働と結びついた所にあった。そこで、本来ならば強制労働、貢ぎ労働、監禁労働、蛸部屋労働、人身売買、常識を逸脱(いつだつ)する低賃金労働等々を全て強力な罰則で禁じるのが筋(すじ)であった。今でも、性以外に事実上のこうした奴隷労働は野放(のばな)しとなっている。エリート医師ですら研修医という名の下に二十年くらい前までは、月数万円で過酷(かこく)労働させられての鬱(うつ)病死などは珍しくなかった。今日でも、海外から研修生の名の下に日本に来て、来日費用を借金して雁字(がんじ)搦(がら)めにされ、安価な賃金で過酷労働を強いられている人もいる。しかし、一般論で全ての蛸(たこ)部屋・貢ぎ・監禁労働、研修医・大学非常勤講師などの人道に反する実質低賃金問題に対して罰則強化をすると、日本の安価な労働力確保が不可能となるのを恐れて猛反対がでるため、買春のみを対象にしたとしか思えない。勿論(もちろん)、労基法等で蛸部屋・貢ぎ・監禁労働を禁じているが、事実上の貢ぎ労働(例・サービス残業等々)には罰則適用をしなかったり、摘発を本格的に行ったりしてはいない。その代表例が私が遭遇(そうぐう)した……大学での労基法違反被害である。更(さら)に、労働面を強調すると、研修医、パート、非常勤講師等の各方面に波及(はきゅう)するのを恐れ、買春禁止法一条に『性道徳に反し』と一応書いたとしか思えない。
  お金を目当てに性行為をすると法律に触れると言っても二重の意味でグラデーション問題がある。まず第一に、結婚でも財産目当て――あるいは相手の職業・地位などを目当て――に結婚する場合は立派な買春である。正確には永久買春という。因(ちな)みに、財産目当てでの結婚は合法であり、お妾(めかけ)さん・パトロンも合法であり、通常の買春宿は犯罪であり、デート喫茶型は今論争中である。私は、強姦(ごうかん)類や結婚詐欺(さぎ)等は大非難するし、結婚詐欺でなくても{関係を持つか否かに拘(かか)わらず、その気もないのに好きな振りをし相手から金品を取る}恋人詐欺も買春制度以上に大犯罪だと思う。しかし、(結婚詐欺を除く)これらの恋人詐欺等は合法となるケースが多い。第二が、どこまでを買春というかである。手を握る、キスをする、性行為をする……等々というグラデーション問題がある。

 

  (3)買春を巡(めぐ)る二つの潮流。
  分かり易(やす)い例としては、デンマーク型の解放の方向と、日本型のように禁止の方向に入った韓国との二大潮流がある。
  福祉の国・デンマークでは一九九九年の刑法改正により、一八歳以上の売春は完全に合法化された。既(すで)に、合法化されている主な国はタイ、インド、オーストラリア、ドイツ、オーストリア、ギリシア、チェコ、チリ、ブラジル、アメリカのネバダ州(それ以外の州は禁止)、スイスやオランダなどは一六歳以上は合法、イギリスは組織としては駄目であるが、個人としては合法(イタリアも類似)、挙(あ)げればきりがない。
  逆に、過去合法であり、最近禁止となった例では韓国がある。韓国では、チケット茶房、ルームサロンなどを通じて売春が行われ、一時はGDP比で約四パーセント(日本円で二兆円以上)とも言われていたが、外国人女性を騙(だま)して入国させ、監禁して売春を強要する事件が続発する弊害(へいがい)から、売春行為を厳(きび)しく取(と)り締(し)まる「性売買特別法」を二〇〇四年から施行(しこう)した。要するに、道徳からではなく、刑事犯罪、特に労基法上の大犯罪という視点からの規制の方向となったと推定される。
  今後はデンマーク型が買春関連の趨勢(すうせい)となりそうである。但(ただ)し、暫(しばら)くは振(ふ)り子(こ)に動くと予想される。道徳からではなく犯罪防止が本質のため、その種の犯罪{監禁・蛸(たこ)部屋労働・強制労働・人身売買}が減れば規制緩和(かんわ)へ、緩和しその種の犯罪が増えれば規制へ、また後に緩和へと。

 

  (4)今後のあるべき姿。
  本来性道徳などは存在しない。更に道徳は歴史とともに変化する。明白に存在するのは他人に危害を加えてはならない、である。次に男女において真の恋愛が存在するならば、契約は守らなければならない、である。前者は刑法の対象とし、後者は法の対象とせずに当事者に原則として委(ゆだ)ねるか、せいぜい民法の対象とすべきである。というのも、不倫の例として、映画監督の新藤兼人(かねと)と女優・乙羽信子のケースなどでは、家族の人には申し訳ないが、純粋で感嘆(かんたん)する部分すらある。
  要するに、買春とか、不倫とか、浮気とかの善悪は両当事者とその家族が決めることで、国家や他人が口を出すことではない。夫も、妻も、浮気や買春はお互いに構(かま)わないと言うならば問題はない。逆に夫婦の間で双方浮気をしないという契約をしたならば、しないことが道義となる。浮気が良くないのは結婚のときなどに双方でそうした契約をしているからに過ぎない。
  クリントン大統領の女性問題も契約問題に過ぎない。神との契約問題、即ちキリスト教徒ならば、「汝(なんじ)、姦淫(かんいん)することなかれ(Thou shalt not commit adultery)」違反となる可能性がある。だが、神がアラーの神ならば、一夫多妻制を認めているため、対応の仕方(しかた)次第では問題のないケースも考えられた。もっと大きな問題なのはミスタ・クリントンとヒラリー女史との契約違反という形としてしか、私は捉(とら)えていない。ヒラリーや娘さんとの契約問題でしかない。だから強制労働などと無関係なときは、国家やマスコミが{当事者からの要請(ようせい)がない限り、同時に厳密な契約問題の視点以外では}関与すべきではない。私事・民事不介入が私の解釈である。
  法規制は先の二種のグラデーション問題のため困難であり、また買春問題は法規制しても地下に潜(もぐ)り、反社会的勢力の資金源となるだけである。昔の米国の禁酒法みたいに。同時に、絶対原則は蛸(たこ)部屋、強制労働は絶対に許してはならない、ということだけである。それ以外は当面は自由とすべきである。
  但(ただ)し、将来的には禁止ではなく、死滅が望ましいと考えている。死滅とは禁止を意味しない。男女同権となり、男性も女性も自分と合致する仕事先を見つけることが簡単となり、貧困がなくなり、男女の出会いの場が多数できたときに、買春などは死滅を開始し始める。そのときには、男女は職業・年収ではなく相手の人格・性格を選び結婚するようになる。そうなれば永久買春を含む買春は自(おの)ずと死滅する。尤(もっと)も、一夫一婦制が永久に存続するかどうかは不明である。それらは何千年か後の人が決めることである。道徳は歴史とともに変化するのだから。そこで将来のことは分からない。
  結論として、私は人身売買・強制労働・蛸(たこ)部屋労働・監禁労働と結びつかない限り、永久売春どころか売春、妾・パトロン云々(うんぬん)も非難していない。ただ私は結婚だけは永久売春派ではない。だから、ふとそうしたタイプの女性、つまり……予備校講師時代に登場した、おかしな演技をしていた女性Aとは合わないと思っただけである。考え方の違いに過ぎない。第一、今の日本の政治経済では、女性が職業が不安定な人と結婚すれば、女性差別がある以上将来餓死(がし)するか生活保護となる。だから、通常の買春同様に、永久売春もやむを得ないと思うし、批判も非難もしていない。
  しかし、結婚を考えるときに相手の職業を気にするというのもおかしな話である。相手の職業や財産と結婚するのかと言いたい。誰(だれ)も可笑(おか)しいと思わないのは、政治の貧困さが原因である。
   ――★★★ボンの風俗論終了★★★――

 

私が持論を述べていると、布袋さんが性に関してどこから買春禁止法違反に抵触(ていしょく)するかというグラデーション問題について、私の意見を補完してきた。
「二重の意味でグラデーション問題という所、僕が補足してあげるよ。つまり、どこまでを買春というか。手を握る、キスをする、性行為をする……等々というグラデーションで境をどこで切るかという問題の所だ。大阪を始め幾(いく)つかの都道府県ではおかしなもんだ。将来の世代への歴史として残しておくけど、噂(うわさ)ではお金を払っての性行為は禁止だけど、お金を支払ってお尻{肛門(こうもん)}でするのは禁止ではない都道府県は多いんだ。アハハハハ」
「えらく布袋さんは、そうしたことは詳しいね」と私が言うと、布袋さんは慌(あわ)てて笑うのを止(や)め、顔を真っ赤にしてうつむいた。しかし、ほんの少し間(ま)を置き、良妻(りょうさい)賢母(けんぼ)志向型でもある布袋さんが、俗に言う家事労働価値説を唱(とな)えてきた。
「だけど、専業主婦も家事をしているんだ。立派な労働だよ。だから財産は夫婦両方の物となり、原則として夫婦間ではどちらかが相手の金を使っても窃盗(せっとう)とはならないんだ。親子は別だけどね」
「いや、僕が言っているのは、歴史的謂(い)われだ。同時に、結婚し、仕事もせず家事もしていない人だっているよ。裕福な人の中にはね。マルクスの本の中に『猿が人間になるにつれての労働の役割』という論文があるんだけど、労働が人間を進化させるんだ。だから、そういう意味でも女性は社会進出をした方がいいと思うよ。因(ちな)みに、僕の造語(ぞうご)も紹介しておくよ。『人間が猿になるにつれての学校の役割』という語をね。そのくらい、今の学歴社会及び学校は良くない。プラトンが生きていたら僕に同調すると思う。話がそれるから今日(こんにち)の学校批判は今日(きょう)はやらないけどね」……

 

 

 

 

●解説( 2015年10月24日)。下記の解説は、超多忙の中で、本日、見直しもほとんどせずに一気に記した文章である。以下に誤字脱字があればお許しを。

同上文書は、『日本のフィクサーME・下巻』第5章第10節から抜粋した。今日、追記したいことは山ほどあるが、長くなるため結論だけを記し、後日、上記作品とは別に問題提起をする。なお、この原稿の箇所をめぐって、某政治家と確執ができたようであるが、それらの情報公開は『同上書・パート2』か『同上書・パート3』で記すことにする。
【結論】。問題の本質はたこ部屋・監禁・強制労働にある。よって、そうした事件をすべてなくさなければならない。だが、それでは研修生利用・非常勤利用・サービス労働・過労労働強制問題に波及する。そこで、性とか道徳という名で問題を切り離し、売春禁止法ができたとしか、私には思えない。

他方において、売買春なる語はグラデーション問題から判別は無理であるし、同時に後に述べる理由で刑事罰の対象とすべきではない。再度言えば、判別すら不可能である。

第一のグラデーション問題として、どの行為までが許されるか。お金を払っての女性器への男性器の挿入は違法であるが、肛門ならば違法とはならない。その他を含めて線引きが不可能である。
第二のグラデーション問題として、お金を主目的とする売買春は違法であると言う。だが判別は不可能である。現行法では、二号さんは売春には該当しない。ところで、私はよくお初天神に行く。ここにある像のお初と徳兵衛が現在生きていて、売春宿で出会えば刑罰対象となる。
もちろん、スナックかどこかでナンパして関係をもち、後で、女性から品物・金品を甘い声でねだられたときは、これは売春ではない。偶然に出会い、関係をもち、その後で女性がおねだりをしただけである。他方において、風俗店でも、お初と徳兵衛まではいかずとも、通常は人間関係は成立をしており、性関係だけが目的ではない場合が多い。昔、読んだ本ではストリップに某老人が常連となり、彼がいくと、踊り子はその老人を大変優遇したという。老人は、男性ホルモンの減少のため、性欲ではなく、孤独からの渇望心でストリップ通いをしていたそうである。画家・ルオーが好んでピエロと娼婦(しょうふ)を描いた理由がそこにある。要するに、風俗店類とはいえど、人間関係がかなり成立している場合が多い。少なくとも、先のナンパよりは人間関係は成立している。よって、論理上規制は不可能であるし、罰則で規制はしてはならない。
しかし、第三のグラデーション問題がある箇所は判別が難しくても厳しく対応しなければならない。それは、強制労働・たこ部屋労働・貢ぎ労働である。これに抵触している場合は厳しい刑罰とともに逮捕すべきである。グラデーション問題とは、規制すると非正規の一部や研修という名の労働の一部に波及することである。そこでそれを恐れ、それから逃れるために〝性〟とか〝道徳〟を強調したとしか思えない。しかし、第三の強制・たこ部屋・監禁労働類は幾らグラデーション問題があっても厳しく取り締まるべきである。今は、ここの規制を避けるために、風俗、売春を生け贄(にえ)にしたとしか思えない。

では道徳的にどうか。道徳は歴史とともに変わる。現時点でい言えるすべてのことは、伴侶や恋人がいて、彼・彼女と契約した事項(浮気しない……云々の契約をしたならば)は守った方がよいと、個人的には思う。だが、彼女・彼が変わった人間で相手に風俗行きや浮気を勧めるならば、他人が関与する事項ではない。ましてや法律で禁止すべき事項ではない。第一と第二のグラデーションで規制もできない。せいぜい、現行法律があれば、反社会的勢力の資金源に悪用されるだけである。ましてや、警察官などには、こうした問題に関わらせるよりは、泥棒対策や交通問題に取り組んでもらった方がよい。
なお、就職における女性差別・年齢差別などなどをなくし、労基法の強化と違反への厳しい刑事罰を適用したり、多くの情報から仕事でのミスマッチをなくしたり、セーフティネットを強化したり、……男女の出会いの場を多くもうけたり……すれば、歴史の一時期には風俗は死滅するかもしれない(風俗類は禁止ではなく死滅が望ましい)。だが、遠い将来の道徳や倫理感は現在の人間には分からないが回答である。

当然、上記の結論からは、従軍慰安婦問題などには、強制・たこ部屋・監禁労働の疑惑があり大反対である。ましてや、風俗と異なり、従軍であり、命の危険な戦闘地域やその界隈(かいわい)に行かされることを意味する。これは後に論じる。

次回、記す児童ポルノ法は、これも出鱈目(でたらめ)な発想からでており、問題が大きい法律である。では児童を性犯罪から守るには、簡単な方法がある。それを次回紹介する。なお、小中学生が絵や映画のモデルで全裸になっても、次回述べる理由で問題はないどころか、必要不可欠な場合すらある。大昔の人が、現代の日本の児童ポルノ法を見るとあきれかえって笑うであろう。人類は後退した、と。
追伸。現在の世界の趨勢(すうせい)は、売春の合法化の方向にあることも、参考までに付け加えておく。本日多忙なため、アムネスティインタの見解へのコメントは残念ながらできなかった。

2015年10月24日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA