日本のフィクサーME・パート3・第1章山口県への旅・第6節・点から線へ(萩市・3):💁正式公開

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日本のフィクサーME・パート3・第1章山口県への旅・第6節・点から線へ(萩市・3):💁正式公開

 

 

(1)著作は、原則として、十二回の見直しをして作成している
(ブログは、通常、一回程度の見直ししかしていない。)
今回の原稿は、この十二回の見直し以前の単なるメモである。
そこで、作品時点では大きく様変わりするであろう。
それを頭に入れて読んでいただきたい。

(2)この文書は、故意に嘘(うそ)を10パーセント程度いれている。

どこが嘘かは公開できない。善良な第三者に迷惑をかけないための措置である。
総論として、この文書はフィクションとして書いている。

(3)『日本のフィクサーME』登場人物のキャラクターなどは以下を参照願いたい。
安らぎ文庫>>6-1・『日本のフィクサーME・下』《『日本のフィクサーME』登場人物の紹介》
http://h-takamasa.com/book-01/custom57.html

◎風景描写→字数の関係で、メモではごく一部を除き風景描写は原則として大きく省略する。


【更新履歴】

021/11/29 1:04 ~2022/01/20 3:28までのメモが長いので二分割して、本日別に掲載している。

2022/02/07 3:08下書を分割し保存。

2022/02/07 22時頃から追加・修正作業開始。2022/02/08 0:33一休止。7:04修正作業途中。2022/02/10 2:32 オジョウの項追加。

2022/02/10 23:02修正。

2022/02/12 2:29 追記

2022/02/15 1:03 修正作業。 2022/02/15 1:31から正式公開まで閉鎖

2022/02/15 18時頃~22:55 追記と清書化作業

2022/02/16 00:11から正式公開(ただし、誤字脱字は掲載後に修正することもある。)13:35 誤字脱字一部修正。

 


 

日本のフィクサーME・パート3・
第1章1節:山口県・光市・萩市への旅(部落解放運動分裂模様から世界連邦まで)
第1章2節:山口県の旅への経緯―安倍晋三氏の影登場

第1章3節山口県への旅・伊藤博文生誕の地(光市)

第1章4節:山口県への旅・伊藤博文修行の地(萩市1と2と3)

第1章5節:山口県への旅・萩における人間模様(萩市2)

第1章6節:山口県への旅・点から線へ(萩市3)

第1章7節:オジョウの偽者登場


  写真は全部で20~30枚掲載予定でいる。ただし、写真的・芸術的価値ではなく、今回の文書・内容にふさわしい写真を選択することになる。既に何度か述べたが私はカメラマンでは一切ない。

  今回掲載の政治家関連をみれば分かろう。文書掲載時に写真は不可欠である。しかし、著作権問題があり、それをクリアするためにカメラを開始せざるをえなかっただけである。写真枚数や分量が多いため、第4節は3つに分割することにした。

《◇―7:点と線》

 萩城跡、山縣有朋生誕地、明倫館などには行く時間がなかった。当初は、レンタサイクルで動き回る予定でいたが、小型台風並みの風がふいていたため、急遽(きゅうきょ)、徒歩にしたことにより、不可能となった。

小さな街・萩市での人間模様は凄(すご)かった、しかし、私は早大などでこれ以上の人間模様を味あうことになる。

早大大学院時代…市川房枝菅直人野田佳彦、岸田文雄…。三人の首相と出会うことになる。もっとも市川房枝氏以外は出会ったときを双方覚えていないであろう。と言うのも、金欠の私は大学院時代のアルバイトの一つとして、学部学生の試験監督を幾つもの学部で頻繁にしていたからである。その頃の学生が野田佳彦君(政経学部在籍)、岸田文雄氏(法学部在籍)であったため、必ず何度もみているはずである。多分、大塚耕平君、稲田朋美氏、あるいは教育学部にも行ったため、辻元清美氏などもいたかもしれない。調べると、辻元清美氏とは入れ違いのようである。私が東京を去ったのが1981年4月だからである。

市川房江氏とは、一対一でかなりの時間の対談をしている。

また出会いではないが、私の恩師の関係で、河野洋平福田康夫小渕恵三氏との線も登場することになる。

更に東京時代の下宿(雑司が谷)のすぐ近くが(目白御殿と呼ばれた)田中角栄邸…であった。

人口1億数千万人の日本ですら、わずかな人生の中で、勝手に歴史に名を残す人と出会いまくることになる。点が線となる。

この続きからは、ページを変えて次回記すことにする。

次回、は再度「歴史とは何か」を問い、そして、そのことが再び「世界連邦」樹立を目指しての行動開始への起点となる。

(以上、前回と重複箇所)



 

ここで立ち止まり、再度、「歴史とは何か」を考えよう。

歴史から何を学ぶのか。

司馬遼太郎型人間中心論は学問ではない。

また、今の学校教壇などで行われている物は学問ではない。

それを見事に証明したのが、安倍晋三氏であった。

総理の在職日数では今や日本一である。

すると、歴史でならった偉人は、総理に限定すれば、安倍晋三氏以下となる。必死で安倍晋三の名を暗記し、安倍氏の生い立ちその他を参考書で読めば、その人間は優秀、頭が良いと世間は評価する。こんな馬鹿な学問はない。

再度言えば、将来の社会科での重要語句では山縣有朋・田中義一…は安倍晋三氏以下なのである。数十年後には、先生が教壇で言うであろう。「安倍晋三の箇所にアンダーラインを。いいですか、ここは入試に出ます…。重要語句ですよ」と。予備校の教師は安倍晋三…を重要語句として安倍晋三氏についての入試必須事項を記す。それを覚えた人間は優秀と言われる。秀才である。入試必須事項の一つが「アベノマスク」である。

過去、大手模試三社に関係していた私が入試問題を作成してみよう。

安倍晋三氏の経済政策はどれですか。

{①アベノマスク、②森友事件、③文書改竄、④アベノミクス}

これが、学校の試験であり、模試であり、入試問題なのです。いかに馬鹿馬鹿しいかがわかるでしょう。これも現代との対話です。

また、内容を知らずに、「アベノミクス」なる語の丸暗記を強要するのが今の歴史学である。トイレなどで「アベノミクス」を丸暗記とは、亡国の教育である。私は林竹二氏に倣(なら)って、「毒饅頭(どくまんじゅう)の教育」と今日の教育を批判し続けている。

 

もっとも、司馬遼太郎を始めとする歴史小説家ならば、安倍晋三氏よりも、安倍昭恵氏に焦点を当てるかもしれない。日野富子、北条政子同様に

現在の入試必須語句(日本関連全体)が、萩市、光市に圧縮されていた。また小説家向きの人間模様も凝縮されていた。一部は世界も凝縮されていた。

だが、私が生きてきた道では、それ以上の点と出会った。そして、その点と線の組合せが日本の人間模様を凝縮していた。この点と線は、十年後以降の入試必須語句のオンパレードとなるであろう。もし、1988年から、田舎に監禁されなかったならば、更にどのくらいの人間模様と出会ったであろうか。

もっとも、その後はテレビ・パソコンを通じて、以下の人達とであった。

🇺🇸(アメリカ:USA):敬称略。

クリントン、ブッシュ、オバマ、トランプ、バイデン…

🇩🇪(ドイツ)Merkel、

🇫🇷(フランス)オランド、マクロン、

🇨🇦(カナダ)トルドー、

🇬🇧(イギリス)キャメロン、メイ。対話はないが、ボリスジョンソン氏も。

🇰🇷(韓国)盧武鉉、朴槿恵、文在寅、

🇰🇵(北朝鮮)金正恩

🇨🇳(中国)温家宝、胡錦濤、習近平、李克強、

🇹🇼(中国・台湾)李登輝、馬英九。勿論、対話抜きでは今の蔡英文総統も知っている。

🇮🇩(インドネシア)ジョコウィ、

🇿🇦(南アフリカ共和国)ズマ、

🇮🇹(イタリア)レンツィン、

🇷🇺(ロシア)プーチン、メドベージェフ、

…と膨大な人物と対話などをすることになる。

そうそう、まだまだいる。

🇻🇳(ベトナム)グエン・スアン・フック(阮春福、:(Nguyễn Xuân Phúc)現・国家主席}

🇮🇳(インド)モディ首相

🇲🇾(マレーシア)🇲🇾マハティール氏(Dr. Mahathir)とは数度の御対面もしている。

🇳🇿(New Zealand)アーダン首相。

多分、金大中氏やマンデラ氏とも対面したのではないかと思っている。また、世界の歌の関係で🇳🇴ノルウェー、🇲🇽メキシコ、🇮🇹イタリア、🇪🇸スペイン、🇰🇪ケニア、🇦🇷アルゼンチン、🇵🇭フィリピン等の現大統領や首相も知っている。

まだ名をだしていない世界の首脳は膨大にいる。

世界の首脳以外では、マザーテレサを始めとして、グレゴリーペック、マイケルジャクソン、スピルバーグ監督、トムクルーズ、レディガガ…と更に膨大にいる。首脳以外は超膨大なため、今後関連箇所で随時記すつもりでいる。

将来の入試必須語句のオンパレードである。

これでは、もはや、予備校などで政経の教師などをする訳にはいくまい。ときには、私自身が歴史を動かしたかもしれないことが多々でてきたのであるから。入試問題とその模範解答を見て、それは違う。私が▼▼に言ったのはこうであって、そこで▼▼がこう動いたのであるが、マスコミがそれを知らずに誤報道したのだ。その誤報道を見て、入試出題者が勘違いしたのだと言えるだろうか。秘密問題のみならず、その事実を書いた生徒は大学入試では×となる。だが、私が言っているのが事実である。こんなややこしいことはもう無理である。

ちなみに、私に英語ができるかと聞いた人がいた。馬鹿馬鹿しい。それらは後でいずれ記そう。私が英語ができるかどうかは…として、私が書いた書物のいくつかが、今後英語のみならず、いくつかの言語に翻訳されて世界に流れるであろう、とだけ言えば十分であろう。

ちなみに、ミスター・オバマを私の英語の家庭教師にしようと思ったときがあった。しかし、オバマ相手ではMEはこうなる。🤪。それではDr.ジルバイデンにしようか。それではMEはこうなる。😰。ではでは、Mr.バイデンにしようか。バイデン相手ではMEはこうなる。🥳。そこで英語力は現状のままとなっている。

これらを考えると、今の人物中心の歴史教育は無意味に近いと痛感している。

なお、かつての藩主は今の都道府県知事以下であることを考えれば、いかに、人物中心の歴史教育は誤りかがわかろう。最低でも、如何(いか)に、馬鹿馬鹿しいかが分かろう。

それでは歴史から何を学ぶのか。それを記すのが、私の『旅に心を求めて』シリーズであった。

ちなみに、私は旅行は1993年以降はしたことがない。旅に近いが、旅でもない。

国立国会図書館に資料を集めにいくのと同様のことをしただけであり、古墳の発掘調査の手助けに行ったのと同様なことをしているだけである。

東京の国立国会図書館に資料をコピーする目的で行っても、それは旅行ではない。必要な資料の中に政治家の写真や銅像があることもある。

それらをコピーするのと同様な作業でしかない。要するに、政治家の銅像などを撮りにいくのも同様である。しかも著作権対策にもなる。

それらは、『旅に心を求めて』シリーズに入る以前に、『日本のフィクサーME』シリーズでも幾分かは分かるであろう。

それと意に反して、外交官…の出張にさせられているだけである。

こう妨害が多いと、旅、いや旅行にした方が無難かと思うことがあるが、それでは商品はつくれないため、大金でも入らぬ限り、旅行も旅も不可能であろう。いや、一度だけ旅行をした。2019年村の親睦旅行にやむを得ず行った。あれが旅行である。

後は、国会図書館などへの資料集めや、古墳発掘や、外交官の宿泊なしの外交にすぎない。『日本のフィクサーME:パート2』の中国の旅をみれば分かろう。宿泊なしは『日本のフィクサーME・パート3』第3章で予定しているAmericaの旅をみれば分かろう。Americaの旅では5日間で睡眠時間合計は(ホテルのみかフライト中を含めても)5時間のみであった。

誰かが(日本のフィクサーMEパート2の第2章か第3章で述べる)私の開業予定でいた「安らぎ文庫」創設を妨害するために、村人・親戚などに故意に嘘をつき、村人・親戚を煽って、私の視察活動や資料集め、営業活動…を妨害をしたのであろう。そこで、私の仕事の一部を旅行か旅と錯覚させたのであろう。

α原稿・β写真・γイラスト⇒商品化⇒安らぎ文庫創設、同時に一部HP掲載でCM、更に御当地に各種連絡をとりCM強化、こうしたことの連続でHP自体の読者を増大し、広告収入への道、これらを意図的に妨害したのであろう。その証拠は訪米直前の頃に明白となる。

原稿はトラブル三昧で、仕事関連原稿よりもトラブル関連原稿を書かす=完璧な業務妨害であった。

撮影は機材破壊攻撃、更に近所・親戚をつかっての有形・無形の圧力=業務妨害であろう。

 

詳細な人間模様は『旅に心を求めて・不条理編Part-2』で行う。

《◇―8》以降から、徐々に(『日本のフィクサーME』シリーズでは)、現在の政治家と私との絡みを中心に記述する。後者は情報公開であり、前者は作品である。

《◇―8:次なる旅―世界連邦への一齣を…》

昼食を食べる暇もなく、夜も近くなり、空腹の中で萩の街を歩いていると大村益次郎のメモを見る。
大村益次郎と聞けば、松下村塾ではなく、大阪の適塾を思い出した。
また、2017年の上京の際に、著作権対策で靖国神社の撮影に行った。そのときに、大村益次郎の大きな像を見ることになる。

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以下、ウィキペディアより引用。
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大村 益次郎(おおむら ますじろう、 文政8年5月3日〈1825年6月18日〉- 明治2年11月5日〈1869年12月7日〉)
幕末期の日本の政治家、軍人、医師、学者。維新の十傑の一人。……
戊辰戦争では東征大総督府補佐となり勝利の立役者となった。太政官制において兵部省初代大輔(次官)を務め、日本陸軍の創始者、陸軍建設の祖とされる。
……
周防国吉敷郡鋳銭司(すぜんじ)村字大村(現・山口県山口市鋳銭司)に村医の村田孝益と妻・うめの長男として生まれる。天保13年(1842年)、防府で、シーボルトの弟子の梅田幽斎に医学や蘭学を学び、翌年4月梅田の勧めで豊後国日田に向かい、4月7日広瀬淡窓の私塾咸宜園に入る。1844年6月まで漢籍、算術、習字など学ぶ。同年、帰郷して梅田門下に復帰後、弘化3年(1846年)、大坂に出て緒方洪庵の適塾で学ぶ。適塾在籍の間に長崎の奥山静叔のもとで1年間遊学し、その後帰阪、適塾の塾頭まで進む。
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大村益次郎:2014年4月4日 18:01:14-015-323

大村益次郎:2014年4月4日 18:00:14-018-181


大村益次郎は適塾に進む。適塾の創始者は緒方洪庵(おがた こうあん、文化7年7月14日〈1810年8月13日〉 – 文久3年6月10日〈1863年7月25日〉)である。緒方洪庵と言えば、緒方貞子氏を思い出した。
2012年か2013年頃、中国と日本の関係が最悪状態が続いていた頃、緒方貞子(1927年9月16日 – 2019年10月22日)さんがぽつりとテレビから言ったことがある。
関係回復をミスター・ハマダに頼んだらどうだろうか、と。
少なくともテレビを見ている私にはそう感じられた。

もっとも、その前に私が政府機関に緒方貞子さんを推薦したことがある。
恐らく、田原総一郎氏を通して、皇室関係者とテレビで対談をくまれたことがある。
正確には皇室関係者ではなく、皇室の中の◎◎氏である。
◎◎の箇所はフィクションとしても名前は出せない。

その関係で、皇室との接点がいっときあった。小泉政権時代かいつか忘れたが、皇室問題で再度諮問された気がしたときがあった。そのときに、皇室関連の諮問会議の中心人物に緒方貞子さんを推薦したことがあった。後で噂(うわさ)で聞いた範囲では、本当に緒方貞子さんに打診があったようである。後に真偽を調べてみよう。しかし、緒方貞子さんが美智子上皇后との縁(同窓生…)で主観が入るため適任ではないと断られたと聞いたことがある。

今(2022/01/17、0:53)調べると違っていた。なられていた。

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小泉純一郎首相(当時)の私的諮問機関として、2004年(平成16年)12月27日に設置された「皇室典範に関する有識者会議」に、メンバーの一人として参加した[10]。これは、いわゆる日本の皇位継承問題やそれに関連する制度(皇室典範)について、2005年(平成17年)1月より17回の会合を開き、同年11月24日には皇位継承について女性天皇・女系天皇の容認、長子優先を柱とした報告書を提出した[11]。なお、緒方と平成の皇室とは、上皇后美智子の母校が自身と同じ聖心女子大学であるという共通点がある。(Wikipediaより)

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すると、私が小泉純一郎氏から皇室問題で相談を受けかけたときに、推薦したのでなられたのか、偶然の一致か、それとも別の総理のときにもう一度推薦したときなのか、定かではなくなった。
メモをしていないため不明である。

ひょっとすると田原総一郎氏から◎◎氏紹介以前の、小泉氏のテレビからの相談時からかもしれない。


本題に戻ろう。緒方さんとの線は三つあった。
緒方貞子さんの祖先が緒方洪庵の義兄弟である。緒方洪庵と言えば、岡山県出身で、20年以上前から何度かフィールドワークとして緒方洪庵の生家に行っている。多分、駿台講師時代最後の年の頃からである。
次に緒方貞子さんは下記に記すように、私の岡山市のアパート(岡山市庭瀬)界隈に生家がある犬養毅 (いぬかい つよし、1855年6月4日〈安政2年4月20日〉- 1932年〈昭和7年〉5月15日)の親戚である。
更に、緒方貞子―市川房枝―ボン(浜田隆政)という線があった。

公式HPに次の記載をしている。

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【③UNCHR雑話】
 国際連合難民高等弁務官と言えば、緒方貞子氏を思い出す。緒方氏とは面識はないが、幾つもの接点はある。世の中は狭いと感じる。緒方氏の曽祖父(そうそふ)は犬養毅(元内閣総理大臣)である。私が教員時代に住んでいたすぐ近くに生家があった。その関係で、何度も生家には行っている。そこで犬養毅と言わずに、犬養木堂(ぼくどう)と言っていたら、小泉総理(当時)が一緒に木堂と言ってくれた。偶然であろう!

 さらに、緒方氏の緒方は緒方洪庵に由来している。私が作品・『学問論―松下村塾・適塾vs東大・京大』を完成させるため、緒方洪庵の生家付近(岡山市足守)に何度も足を運んでいた。この作品のテーマを簡単に言えば東大・京大、何の意味もなし(学生が毎年何万人もいて、あれだけか)、である。

 おまけに、緒方貞子氏を政治の世界へと導いたのが市川房枝氏と聞く。市川さんには、大学院時代にアポイントメントなしで、婦選会館に行き、直(じか)にお話をした思い出がある。市川さんと緒方氏との出会いも、アポイントメントなしでの市川氏の電撃訪問ときく。私と市川さんとの出会いも、ある意味で、同様であった。ちなみに、市川房江氏にあったときの、市川さんの選挙参謀が菅直人氏であった、と思う。

 雑談ながら、緒方洪庵の弟子に福沢諭吉と手塚治虫の曾祖父(手塚良仙[または良庵])がいた。その関係で手塚氏は大阪大学医学部に進学した。ただし医者にならないならば卒業させてやる、で卒業できたとの噂もある。
 ともかく、大阪にある緒方洪庵記念館の一階に手塚氏の適々斎塾の絵が飾られている。当然、慶応大学は昔は大阪にあり、大阪大学薬学部と同一の源流とも言える。

 大学と言えば、緒方氏の義父・緒方竹虎氏(1888年~ 1956年)は、私の第二の母校・早大(政経学部)の先輩でもある。

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公式HP「紛争予防・人道支援機関の解説=▼をclick(クリック)」をして出てくる箇所参照。

http://takahama-chan.sakura.ne.jp/custom15.html

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余談ではあるが、上記の手塚治虫の東京時代のアパート(鬼子母神近くの方)が、私が東京時代に住んでいた雑司が谷の下宿から歩いて5分程度の所にある。
緒方さんとの縁は2012年か2013年頃迄かと思っていた。
しかし、後に、さらにあったようである。
緒方貞子さんは2003年頃から国際協力機構 (JICA) 理事長に就任されていた。


そのJICAの中に、私が能開大講師時代に、私に対して契約違反・労基法違反をした人物(世取山清氏)がいたのである。しかも、それはミスからの契約違反・労基法違反ではなく、最近の印象操作ではXグループに依頼されてか、脅されてか不明であるが、私に危害を加えるために故意にやったという印象操作がなされている。

世鳥山清氏を以前YK課長としていたが、機構の幹部となった以上、責任問題から実名にしてよいか・どうかを立会人・新免昌和氏に相談した。新免氏は実名にしてよいであった。そのときの問合せ文書は下記の【資料―1】を参照されたい。

この人物は後のポリテクカレッジ…の副校長、校長、雇用能力開発機構本部勤め、独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構、…。そして、私が萩に行った頃にはJICAのメンバーとしてセネガルに派遣されていた。
JICAは緒方貞子氏が特別顧問をされていた頃である。

緒方さんに相談の手紙でもだして、私に危害を加えた真相解明をすればよかったと後で思った。
私がこの人物がJICAに関係していたことを知ったのが2019年であり、緒方貞子さんが亡くなられた年でもあった。
ところで、何故、このXグループがこの人物(世取山氏など)に…と言うと、どうもXグループは人間違いをしてたようであり、それがほぼ確定されたと思ったのが2019年であった。
岡山県で西山ファーム事件(西山美千代社長)が起こった頃である。私とは無関係な事件であるが、関係者と同姓同名の人物が某予備校に…おり、その人物からの工作被害であったそうである。どうも、駿台事件とポリテクカレッジ講師時代の被害は連結しているようである。

なお、世鳥山清氏を始めとするポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)講師時代から受けた危害については下記を参照されたい。

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(一)このコーナーでは、『恐るべき労基法違反・2010年版』(2016年微修正)を無料で、PDF閲覧及びダウンロード可能とします。
http://www.h-takamasa.com/rensai/custom.html
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直にここにPDFを貼り付けたらよいのであるが、長いため分割してアドレスを上記に貼り付けているので上記から見たり、ダウンロードしたりしていただきたい。

同上、PDFでは人名は全て記号としているが、議員・政党・政府機関には調査ができるよう、全て実名で記述し書留送付している。時間がとれれば全て実名にもどして公開をしたいと考えているが、超多忙で作業がいつになるか不明である。該当機関(能開大中国、高齢障害求職者雇用支援機構、厚労省職員、政党、国会議員…また該当者を含めて当時の職員も…)の人が読むことを願っている。可能ならば、再度送付したいとも考えている。

概略文(呼びかけ文)のPDFは以下である。こちらは短いが、その分だけ事情がわかりづらいかもしれない。

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『恐るべき労基法違反・2010年呼びかけ文』

http://hamatakachan.uh-oh.jp/wp-content/uploads/2016/06/778e505109f7c341df4a77b1ccb6c568.pdf

☆☆☆☆☆

秘密文書ではなく、書留で小渕恵三総理・小泉純一郎総理・菅直人総理に送付した文書であり、別に国会議員・政府機関に延べ100部書留送付した文書である。

ところが、この後ですら、世取山清氏が出世を続けた謎もある。

一体どうなっているのであろうか。

一番良いのは裁判であるが、裁判をする権利を剥奪されている。同時に、厚労省管轄の職場のため、国会でのガラス張り審議を望んでいる。秘密の逆である。

私が生きている間に真相解明を求めている。

【資料・1(世取山清)】

…なお、世取山清氏は、後にJICAと…で #セネガル で…という。#JICA と言えば、先日、#緒方貞子 さんの追悼文を書いたところである。JICA は無関係であるが、たまたま、JICA 関連のインタネットで世取山清氏の名を見たので参考記載しただけである。問題は雇用能力開発機構(現・高齢障害求職者雇用支援機構)など…である。
☆☆☆☆☆☆
拙著Facebook 2019年11月7日記載
https://www.facebook.com/takamasa.hamada.92/posts/2428503293886075

☆☆☆☆☆☆

そこで、私の基準に従い実名にすべきでしたが、2010年版のときには超多忙なため、2004年版と同一の表記(1990年代前半の頃は課長のため、2004年版ではYK課長)としていました。
私の基準に反して、略語のままにしておきますと、「どうしてか」と疑問に持つ人がいるため、私の公開基準に従い、「YK課長」を「世取山清氏(当時課長、後に四国などで学校長歴任)」と変更を順次しようかと考えています。
もっとも課長でも、もはや実名公開してよいのではないかとも思っています。

参考までに、「機構」交渉立会人・新免さんの意見をお聞きしたいので問いあわせさせていただいた次第です。

2020年 6月14日記述( 16日頃投函予定)
浜田隆政
新免昌和 様
超多忙のため、誤字・脱字、文の乱れ及び不適切な表現箇所がありました場合には御容赦いただきたく存じます。

追伸。
最近、おかしな夢をみまして、世取山清課長の1990年代前半のダブルクロス労基法違反は名古屋の浜田という女性と私(浜田隆政)を間違えたダブルクロスではなく、駿台時代に様々な刑事犯罪や違法行為を指図していたX若しくはXグループにより、依頼され、世取山課長が故意に危害を私に加えた疑惑です。
その他の、岡山短大時代の被害も同様だという暗示があるのです。体当たりなどの無法学生も、XやXグループから派遣された偽学生・部外者…であると。若しくは、アルバイトで依頼されて、故意に授業妨害(営業妨害)をおこなった、と。論理的には整合性があります。

それらもあり、国内外の多くの良識人が調査しやすいように実名表記に変えたい願望もあります。JICAに関係しているならば、緒方貞子氏が生きていれば直に頼んだかもしれません。
また、最近、駿台のトラブルは人間違いが原因という暗示もあります。友人の故・●●●●氏は(どのトラブルを指してか不明ですが、インシュリンの注射をしながら)「人間違いが原因」(2012年4月)と断言しました。実際に、私は被害を長期受ける心当たりは全くありません。

立会人・新免昌和氏の返答は実名にしてよいであった。また、世取山清氏について入った情報は以下である。

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トラブルブログ・T20-001【能開大】世取山清氏に関するメモ

http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=29405

T20-001・【能開大】世取山清氏に関するメモ―1(労基法違反人物の実名化)

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次に、「日本のフィクサーME」というタイトルであるが、なぜ、斯様(かよう)なこ(フィクサー…)とになったかを簡単に記す。

 

《◇―9:回想、駿台講師時代から、ポリテクカレッジ講師時代、そして日本のフィクサーMEの世界へ》

(2022/02/12 1:30記述)

 

現時点までに臭わされている話をまとめれば以下である。
長姉や父などが映画…に関与した。
そして、私に白羽の矢がたった。
高校までも、おかしなことが幾つかあったが、偶然の範囲内であった。
そして、現世では私とお嬢が結びつくことになっていたそうである。お嬢(🧜)は叔父がどこかで見つけてきたと思わされている。
このお嬢が関学に進学していたので、私も無理矢理関学に押し込まれたそうである。
その後、私が早大の大学院に進学し、4年後に岡山に戻ってくるやお嬢(🎎)が再度登場し、岡山へ来る。

すると、映画説で知名度が高いため、私の裏のネームバリューから、駿台と能開大が、私に関心をもったようである。(関東でしか知名度のなかった)駿台は丁度全国展開の前であり、(特殊法人)雇用促進事業団は仕事がなくなり、新たな仕事の領域として、教育産業に参入をしかけた時期であった。後者は、正に、職員5千人の命運がかかっていた。
まず、駿台の教壇に立つ。
ここまでは奇異なことがあっても偶然の範囲であった。ただし、後に面白おかしくするためいくつかの種がまかれていたようである。特に長姉は悪戯好きであり、催眠を利用して、🤡は😭、姉は(*^▽^*)などをやったようである。


駿台講師時代に🚺(女性)NMが絡(から)められる。
私は🚺NMは好みのタイプとは異なるため、No(ノー)と言い続けたが、最後は催眠で📨(手紙)を渡す羽目となる。📨(手紙)を渡すや奇異な人生の展開となる。
ちなみに、🚺NMとは駿台講師時代の(授業のための数人で会議室でおこなった会談の15分ほどを除けば)6年間合計で10分程度しか口をきいたことがない。それも全て人前である。セクハラどころか指一本触れたこともないし、デートも一度もしたこともない。ちなみに、どのような人かすら知らない。榊原郁恵派であった、私には容姿も私好みではない。全て催眠のなせる技(わざ)であった。

そして、📨(手紙)を渡し、私の方が断られた。断ったのではない。断られたのである。ところが、これを堺に今度は奇異なことだらけとなり、奇異ではないことの方が少なくなってくる。


駿台の箇所で詳しく書いているが、この🚺(女性)NMは私に対して工作を1983年から開始していたようである。私が📨(手紙)を渡したのが1984年秋である。
何故、この🚺女性が工作をしたのか。
さっぱり心当たりがない。私は🚺(女性)に恨(うら)まれる覚えは一切ない。この件からXグループが絡んでくる。後には刑事犯罪のオンパレードとなる。
さらに、何故Xグループが絡んできたのか。
同時に、Xグループに恨まれる覚えはない。


そのときに、日本のフィクサーME登場の布袋(ほてい)さんのモデル(実存している人物であったが2019年糖尿病で亡くなった)が言った。2012年4月のことである。
人間違いからだ、と。「ひ・と・ま・ち・が・い」と。
要するに、🚺NMやXグループは●●を罠にかける工作をしていた。ところが、●●と私とを人間違いしたのが、私の長期被害の原因だそうである。


なお、1983年にポリテクカレッジの教壇に立つ。このときの種明かしもあった。
雇用促進事業団が生き残りをかけ、教育産業に参入するためのCM塔として、私に狙いをつけたそうである。その頃、私は駿台での教壇に満足しており、同時に多忙で・手一杯で行く気はなかった。特に非常勤では絶対に行く気はなかった。
そこで、「是非専任で」で私を釣ったようである。
だが、本当かどうか疑った。すると相棒の(実名化を検討中)S先生(京大で博士号取得し奈良女子大学講師などを歴任、彼の父は某有名大学学長などを歴任:実名は嶋坂 敬郎、別の名字を使用されることもあった)はこの学校は労働省所管で、大枠は全て衆議院と参議院を通して決まる学校だとうことを強調された。同時に、同校が短大化する前の校長、短大化した後の初代副校長・森本茂樹(さん)は「いや、もう来年度の秋から…ですので間違いない」ときた。要するに話があってから半年程度後から専任(退職金、年金のある専任、場所も地元岡山)ときた。

 今、思い出したが、このS(嶋坂)先生も今回の旅であった山口県生まれであった。


そこで、教壇に立つことになった。当初は法学と経済学担当という話であったが、専任になってもらうためにコマ数の関係で英語も担当してほしいで英語となった。私の方から英語で売り込むはずがない。英語、後に言うが分かる訳(わけ)がない。だが教えられるか、教えられない訳がない。全くわからず、興味もない音楽よりは分かる。さっぱり分からない音楽で、世界の歌を主催できるのだから、英語を教えられない訳がない、ということで教壇にたった。もし、相手が「先生は英語が堪能ですか」ときけば、「堪能(たんのう)なはずがないでしょう」となっていた。

謙遜(けんそん)抜きで書こう。1988年(私が36才の頃)から語学の学習を本格開始し、休眠期(4年間)を除き、2002年頃まで必死でやっていたのだから、ある程度はできるようになっていた時期もあった。それでもしれている。💻インタネットの模試では準英検1級は合格、英検1級を目指しましょう程度であった。もっともその時から20年英語からはなれており今は見ての通りである。
ちなみに大学の英語講師ならば英検1級で当たり前の世界のため、やはり出来ないとなる。ましてやネィティブの英語専門家と比較すれば…何をか況(いわ)んやである。

しかし、私は条件が揃えば、「セサミストリート」並の演出力を持っている。チャップリン並の構想力と凝り性をもっている。英検1級を採る英語力の人は日本でも掃いて捨てるほどいる。だが、セサミを一人で演出できる能力を持っている人間は希有である。それで十分であろう。演出力のごく一部は世界の歌や各種動画作成…でも証明した通りである。だが、まだごく一部しか演出力を紹介していない。これも全てである。ネィティブのアメリカ人でも、セサミをグループではなく一人で演出できる人は宝籤(たからくじ)を買うのに等しいであろう。そして、授業は演出と私は考えている。特に、大教室(250名程度の学生相手の大教室でやるときは。)


話を戻そう。
ところが、Xグループの犯罪被害でそれに手を貸した学校当局の…で駿台を辞めるや、Xグループがポリテクカレッジにも介入してきた。
そして、偽学生を放り込み授業破壊の工作をすると同時に、職員を買収か脅し、労基法を含む各種の契約違反などの危害を加え続けられることになる。
しかし、何故、Xグループがそこまで私に危害を加えるのか。
それはXグループが●●に怒り、●●の人生を破壊しようとしたからだそうである。そして、私を●●と勘違いし続けていたそうである。



私の方は何故、被害を受けるのかサッパリ分からず、ヨブ記の世界の映画版かと思い観念をしていた。
ともかく、種明かしではXグループが世取山課長などを…して動かし、私に危害を加えたそうである。いや、Xグループは雇用促進事業団の幹部類を動かし、その幹部類が世取山氏を動かした可能性が高い。そこでその代償として、彼は出世街道を歩んでいく。



駿台と相似形でポリテクカレッジで被害を受け、年度をもじって進行する。駿台辞職伺いが1987年12月頃であり、ポリテクカレッジ辞職を検討しだしたのが1997年12月頃であり、辞職を決めたのが1988年1月であり、後者は1998年1月である。実際に辞めたのは駿台が1988年1月末か2月上旬、ポリテクカレッジが1998年1月末か2月上旬、辞めた時の体重は両方とも激やせで55キログラムとなる。


そして、今考えると両方とも、学校のCMで私を採り(採用し)、両方とも、Xグループ等の動きで犯罪に加担し、私は被害を受ける。Xグループは●●に大義か何かで怒っていたのであろうが、私は●●ではないためさっぱり分からない。何が何やらさっぱり分からなかった。今考えると38年ほど全く何が何か分からなかった。



駿台とポリテクカレッジの違いは、ポリテクカレッジ時代は🚺(女性)が一切登場しなかった。女学生はいたが、念押しを徹底した。「質問は歓迎します。しかし、女子学生は絶対に複数以上で質問にきてください。一人では絶対にこないように」と。特に1994年以降は。
だが、ポリテクカレッジで大変な目に遭(あ)った。要するに女性問題ではないということである。少なくとも、私の女性問題ではないということである。
第一、私には第7節で述べる、お嬢からオジョウがとりついており、他の女性に何かをするなどはオジョウの化身を除けば不可能だったのである。それらはオジョウが妨害をする。即ち阻止する。初代お嬢(🧜)の登場は私が18才(1971年前半)のときである。最低でも、そこから、私に女性…の自由などは一切ないのが…事実である。すべてお嬢が監視し、お嬢の許容の範囲内の自由しかないのが事実である。お嬢はそれを赤い糸で結ばれて…と(*^▽^*)言っていた。



人間違い…は夢にも思わず、毎回被害続きで、その内、理由は不明も被害を受けるのが当たり前という感覚となっていた。ポリテクカレッジでは女性攻撃ではなく、労基法違反を中心とする契約違反攻撃と、(部外者などの)偽学生の策動三昧による危害であった。
だが、中心は労基法違反を軸とする契約違反被害である。
第一、部外者・偽学生の策動への対応も、労基法違反等で職員と分断されているため、手の打ちようがない羽目となっていた。特に金銭攻撃は激しかった。これで完璧に肉体と精神は破壊された。前者で言えば三度大吐血五度入院である。入院も長いのは、医師が内視鏡検査の後で即言った。「最低でも2か月の入院が必要です」と。


そこで、ポリテクカレッジを辞職した後で、賠償交渉として、雇用促進事業団・雇用能力開発機構を主たる対象とした。だが、この団体は当時は国連の一般会計以上の経営規模を持ち、職員は5千人を超え、理事長は労働省事務次官の指定席であった。所管は労働省である。まともには対応できない。
その結果、小渕恵三総理に救済依頼の手紙を出すことになる。ここから日本のフィクサーMEの世界にまきこまれていく。
小渕氏が即死亡して、MEの世界は極端には広がらなかった。しかも、今度はバイトで仕事を少し請け負っていたベネッセがどうもXグループから依頼されたのか無茶苦茶となった。同時に賠償交渉もストップし時間は止まった。


やがて、私は少し息を吹き返し、最後の賭(か)けのつもりで小泉純一郎氏に救済文書をだした。2004年のことである。ここから完全に「日本のフィクサーME」の世界が始まる。
もっとも、この文書を一年かけて書いたが、その途中からその動きを察知して、小泉氏は動きかけたようであり、日本のフィクサーMEの世界はもう少し早いとも言える。だが、小渕恵三氏に手紙を送付した頃から、もう政治の世界に巻き込まれていったようである。



映画説であっても、スピード違反をすれば捕まる。同様に映画説であっても、Xグループによる危害、駿台当局の問題、ポリテクカレッジでの契約違反…は犯罪である。そして、映画説の中でも、Xグループは●●と私とを人間違いをして、30年以上危害を加え続けたようである。
●●と私の人間違いを最初に気づかせたのが、今回の「山口県への旅」での偽者登場であった。


ただし、日本のフィクサーMEは、Xグループの犯罪やポリテクカレッジによる契約違反問題をテーマとした物語ではない。
日本のフィクサーMEの世界に巻き込まれた私が見た政経の世界の情報公開である。そこで、Xグループや●●の件は最小限とし、作品「日本のフィクサーME」では政経の情報公開を中心として進めることにする。Xグループ、駿台、ポリテクカレッジ(能開大)、ベネッセ…の件は『閉じた窓にも日は昇る』(現在Kindleで上下各百円で販売中)などの別の作品で丁寧に記す予定でいる。ただし、ここは控え目に書いているため、未完の『閉じた窓にも日は昇る・真相編』で本格的に展開することにしたい。



だが、Xグループやポリテクカレッジや●●が、政経の世界に絡んでいるときはその件もふれなければならない。
今回は●●との人間違いを気づく切っ掛けとなった旅のため、また、Xグループとの絡みか何かで部落問題を臭わされるため、少し、Xグループや人間違い、同時にその絡みからのポリテクカレッジの話をせねばならない。
そして、日本のフィクサーME・パート3は山口県への旅で、最初に部落解放運動の分裂の話から入った縁もある。
なお、Xグループが●●に何を怒っていたのかは、私は●●ではないため、今でもサッパリ分からない。当事者ではないため、本当に、ちんぷんかんぷんである。しかし、私は人に恨まれる覚えは一切ないことは言い切ってよい。
同時に、差別反対主義者、差別撲滅主義者であり、その逆では一切ない。
●●は完全に特定はできていないが、良い・悪いは別として真逆のタイプの可能性がある


今回、緒方貞子氏(JICA)の話も書いたので、JICAとも縁をもち、今回登場した世取山氏に呼びかけをしよう。

(2022/02/10 3:07追記箇所)この紫色の箇所は日本のフィクサーME・パート6で記そう。今回はケリをつけないかのみとしておこうか)

世取山清氏、「機構」(雇用促進事業団、後継団体・「雇用能力開発機構」、更にその財産を引き継いだ「独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構」)の諸君、それに関係しているならば厚労省の官僚諸君、ケリをつけないか。

本来ならば、裁判所であるが、事件内容が事件内容だけに、国会でケリをつけないか。私も国会議員に再度依頼するが、(ポリテクカレッジが厚労省所管のため)厚労省の諸君も国会議員に進言してくれ。と言っても、厚労省の官僚諸君の言動は国会議員により左から右だろう。情けないことこの上ない。その上、風見鶏ときている。また、下記に記す企業と並んで井の中の蛙でもある。徐々にわかりつつあろう。同時に、人生をかけた大義の前で、目障り以上に足手まといでもある。

それならば、和解を前提とした裁判にもっていってほしい。人生の最後を締めくくるために、早急にケリをつけたい。

同時に、駿台経営者諸君も、問題を精査し、ガラス張りを前提に適正な形でケリをつけないか。

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駿台の件の下書・メモ集のリンク集PDF(少し、わかりにくい文書が多いため、暇ができれば分かり易く、書き直すことも検討中。)

http://yasuragiblog.h-takamasa.com/wp-content/uploads/2020/12/e78e0d49b626dc872ed2c20734ba9a55-3.pdf

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現時点では拙著『閉じた窓にも日は昇る(上)』(Kindleで百円、$1で発売中)が分かり易いが、まだ途中段階である。同時に真相をまだ書いていない。そこで本質版として、拙著『閉じた窓にも日は昇る・真相編』も、時間が取れ次第電子書籍などで出版予定でいる。

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駿台などは親方日の丸ではないため、私への清算をしないと、経営危機を迎える確率が相当高いことは過去の前例(多くの企業…)から明白である。親方日の丸ではなかろう。

駿台の方も、正式に交渉人を私に派遣して、紳士的にケリをつけたならばどうか。ポリテクカレッジと異なり、賠償額もしれているであろう。だがケリをつけなければ、私が動こうと動くまいと、世の多くの消費者の動きにより、タイムラグをおいて、経営は相当厳しい状態になる可能性が高い。

ベネッセも然りである。ベネッセもXグループに脅されてか、…何かで…だったのであろう。だが、ベネッセの正当な賠償額等は多分、子供の…程度であろう。それを無視すると(私が動かなくても、世界の多くの消費者を敵にまわし)大変なことになると言いたいが、私が原稿を書く度に、もうなってしまっている。(私との)蜜月自体は、社員のボーナスは12か月時代や、女性の就職希望先は常時ベスト10に入っていたのが…今や…である

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ベネッセの件の記述箇所

重要情報公開№6・労基法違反編
(1)―長い付き合いのあったベネッセで何故私が被害を(相互理解の為に記述)
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=8767
(2)―長い付き合いのあったベネッセで何故私が被害を・2(相互理解の為に記述)
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=8882
(3)ベネッセ宛要望手紙の公開第一回
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=9127
(4)ベネッセ宛要望手紙の公開第二回
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=9220
(5)ベネッセ宛要望手紙の公開第三回
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=9348

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世界はポリテクカレッジについては調べ回ったであろう。数年前から駿台についても情報収集を開始したと思われる。ベネッセも時間の問題である。

民主主義の中では裁判、国会などが望ましいが、双方の条件があえば、ガラス張り公開を前提に、我が家などでの交渉でもよい。不当な圧力は当然かけない。また、全面録音をし、必要時には全てをマスコミに公開前提でのガラス張り交渉を願っている。もし、マスコミがのってくれば、マスコミの実況中継での交渉でもよい。ただし、私はしばしば催眠危害に遭(あ)い、意に反する言動をさせられるため、立会人などは不可欠である。

一刻も早く完全解決をして、人生の最後の大勝負に入りたい。大勝負と言っても、政治家ではなく、浜田版セサミストリート型作品とそれの世界への波及である。それも、きっちりとした経営の中で。

《◇―10:日本のフィクサーME登場》

上記(このケリ)の件をオジョウに相談したことがある。

するとオジョウは言った。

オジョウ:

小渕恵三さんにも出したわね。

ボン:

だした。

オジョウはよく覚えているね。

オジョウ:

それでどうなったんだっけ。

ボン:

2000年4月3日に書留で送付した。

すると、その夜のテレビで小渕恵三総理緊急入院の臨時ニュースが流れた。

そして小渕恵三さんが亡くなったんだ。

オジョウは恰(あたか)も「何をしても同じこと」というように、含み笑いをした。

上記の会話も、小渕恵三氏に出した日時も事実である。書留の控えがある。

ちなみに、小渕恵三氏の最終学歴は早稲田大学大学院政治学研究科修了(政治学修士)である。そう、私と全く同一である。同時に、小渕恵三氏が総理の頃に、私の大学院時代の指導教授内田満先生(早大政治学研究科教授)は自民党顧問でもあった。また、内田先生と小渕恵三氏は3才違いのため、早大大学院政治学研究科で同席していた可能性も高かった。

小渕恵三氏には絶対読んでもらうため、封筒の裏に1998年夜明け前の早大を撮った写真を貼り付けて送付した。同時に、小渕氏の大学院後輩であることも赤で大きく裏にはりつけて送付した。あれで読まないことはありえないという形で送付した。

なお、Wikpediaによれば、小渕恵三氏は「2000年(平成12年)4月2日に脳梗塞を発症した。」とのことである。しかし、それならば尚さら、奇妙な偶然である。一切調べずに記憶で記すが、確か、私が「おそるべき労基法違反」(私の被害救済文)を送付しようと思ったのが2000年4月2日であったが、日曜か何かで休み対策で一日ずらして、4月3日にした覚えがある。即ち、4月2日は送付体制は終了していた。すると、小渕総理が即脳梗塞で倒れたのである。

 ちなみに、同文書を後に筑紫哲也氏(早大政経学部卒)に送付すると、即ではないが、少しして肺癌の公表をして、…そして亡くなった。これらは、フィクションではなく、事実である。

 尚、田中真紀子氏だったと思うが、偶然の一致か「あれでは小渕さんは死ぬしかない」と言っていたが、それは別のことを指してかもしれない。後に、小泉内閣で田中真紀子外務大臣が更迭されたが、その後任で緒方貞子氏に打診があったと聞いた。緒方貞子さんは当時、旦那さんの病気の関係でご辞退されたようである。世の中は本当に狭いものである。

オジョウ:

そうしたこと言っても、もう、小渕恵三さんに関心を持たない人も多くなったし、面白くないわ。

もっと大胆にいきましょうよ。

小泉純一郎総理がボンちゃんに相談したことで、『日本のフィクサーME』(Kindle, KOBO各百円)で発売では控え目に書いていたわよね。

もっと、はっきりいきましょうよ。

小泉さんが、ボンちゃんに相談した中でもっとも大きなことは、次の二つでしょう。

次の総理を誰にするか。

そして、極論すれば、次の天皇は誰にしようか、ではないの。

ボン:

前者は『日本のフィクサーME』(Kindle、KOBOとも上下各百円、$1)に書いているので読んでよ。

後者、天皇の問題は、オジョウの極論だ。オジョウも、フィクションとしても問題になるような冗談をいうのはやめてくれよ。

オジョウ:

それでも、ボンちゃんに小泉さんが相談したときに、女系となっていれば、愛子さんの系統が歴代の天皇になるのでしょう。

もし、男系になっていれば、秋篠宮氏の系統が歴代の天皇になるのでしょう。

だから、小泉さんはボンちゃんに次の総理と天皇は誰にしようかと相談したのと同様ではないの。

ボン:

いや、小泉さんは次の総理についてはもう自分の考えは持っていて、それを飾るために、僕に相談したという形にしただけだと思う。

もっとも、僕のアドバイスを聞いていれば、歴史は変わっただろう。

それはオーバーかもしれないが、自民党や日本の政治は変わっていたであろう。日本経済もね。

天皇については、小泉さんも迷っていたようだ。

しかし、天皇については僕や小泉さんが決めることはできない。

僕の提言は再度掲載するので下記を読んでもらいたい。

☆☆☆☆☆

提言―4・政経―皇室典範<政経提言<公式HP
政経―皇室典範に関する提言(皇位継承について)
http://takahama-chan.sakura.ne.jp/politics/custom6.html

☆☆☆☆☆

もし、将来、僕と仲の良いのが総理になれば言うだろう。

女系を認めるとしてもどこからとするのか、と。

今そうすれば愛子さんの系統となる。秋篠宮氏か秋篠宮氏の息子さんが天皇になったときにすれば秋篠宮家の系統となる。

さらに、女系🆚男系、女性🆚男性で平等を言うならば、長子🆚次子における平等はどうなるのか、となる。

だから、迷ったならば、上皇も含めた天皇家全員の家族会議で、天皇家の意思を確認する手もあるとだけ書いておこう。

しかし、本格的提言は先の通りだ。

誰の考え方とも異なる斬新的な案だ。『日本のフィクサーME』のどこかで、それを更に精緻化して公開しよう。

それと、『日本のフィクサーME・パート3』の第3章からスケールを大きく書きたい。

同時に、多くの人が興味を持つのは『日本のフィクサーME・パート5』だと思うよ。あれを読めば米朝会談の経緯も、その他いろいろなことが分かるだろう。外務省必読の書となるであろう。

もっとも、誰かに迷惑がかかる部分はフィクションとしても、まだ長期書くことはできないだろうけれどもね。

スケールの大きな話や、世界中の人が聞きたがっている話に急がなければならない。

しかし、駿台予備学校事件の件や、ポリテクカレッジの件も無視できない。これらを書くと多くの人が欠伸(あくび)をするし、作品の質も落ちるが降りかかった火の粉を払うために、やむをえず書かざるをえないだろう。

2019年4月に世界の首脳から「アドレス二軒注意」「人間違い注意」のメッセージを感じた。それも数カ国である。そこで、無駄かどうか不明であるが、某予備校時代の被害の検証に入った次第である。同時に、その頃に下記の記事(セネガル…2014年の記事であるが、見たのは2019年だったと思う)を見たため、人生の最後を締めくくる意味でポリテクカレッジ(能開大)の件も再度掲載を開始した。

オジョウの言動も気になるが、世界の友たちの声を重視することにした。

そして、2014年に戻れば、2014年からフィールドワークで人間違いの強調が開始されるのである。次に徹底的に人間違いが強調されたのが、2017年の東京への旅であった。『日本のフィクサーME』でも2017年から2018年は激動の年であった。皇室と私との薄い線の形成過程も日本のフィクサーMEパート5で記そう。

この後は、萩の旅の雰囲気を少し記載して、今回の原稿を締めくくることにする。

 

萩の夜更け。斜めむかいに見えるホテルが、今回の宿舎。泊まったホテルにはよほどのことが無い限り、愛着がある。このホテルの幸を祈る。

2014年4月4日 18:24:14-015-335

「あず花亭」というレストランでで夕食をとる(18:37)。食事のコストパフォーマンスは高かった。また萩の地酒があったので、飲んでみた。全く酔わなかったが、地元を飲むという感じで飲んだ。レストランからの景観も良かった。

フィールドワークの食事では、条件が揃えば、少し派手にやることがある。それは、現地そのものを食べ・飲むからである。私はトロロが嫌いである。だが、昔、松江に行ったときに、地元名物と言われれば敢(あ)えてトロロのかかったソバを頼んだ。
地元を食するのである。この日は「地酒」という「地元」という語に釣られた。(もっとも、中国の旅では北京ダックは🙅、訪米では七面鳥は🙅と言っていたが、嫌いなものにもグラデーションがあるのでどうしようもない。)

とは言っても、このときはアルコールを入れても2000円台の食事である。その辻褄(つじつま)あわせとしては、こうした日は大抵朝食・昼食をとらず、同時に帰宅後の数日間は、インスタントラーメンや、余り物を食べ、一月どころか一週間平均では通常並みの出費としている。
詳細は第2章以降で記そう。

2014年4月4日 19:38:14-015-355

ホテル代金についてはこう思う。
安くても高くても店が自由に決めればよい。
当たり前のことである。
もちろん、私の方も、予算と目的にあわせて自由にホテル・宿を選びたい。
当たり前のことである。
ただし、安くしたのだから、ホテルのトイレを故意に故障させるとかその他の気が散ることをしてはならない。するならば事前にその趣旨を明記する必要がある。トラブルなくても良いホテルがあるのだから尚サラである。また、催眠類で宿を変更させるなどは御法度である。このときのホテルについては以下のメモがあった。

【資料:ホテル(萩ロイヤルインテリジェントホテル)】
ホテルは朝食込みで6100円ー(楽天の)ポイント2300円使用=2900円カード支払い。
ただし、朝食は二、三百円程度のものでしかない。要するにおにぎり二つ程度と考えた方が良い。よって、朝食込みというよりも、おにぎり二つサービスと記した方が正確であろう。しかも、ホテル側も、朝食なし、ただしサービスで何かを出す的な感覚が強く、私の方とのくい違いがでた。要するに、ホテルは悪魔でサービスでおにぎりあげます型発想であり、朝食代込みという発想ではない。それならば、自動販売機でおにぎりを販売した方がトラブル防止となろう。もしくは朝食百円とすれば、それこそ無料サービスと分かるであろうが、この表記では朝食代込みと勘違いした客がでるであろう。ただし、朝食の場所も意外と景観が良い。
なお、資本は中国か台湾系と思われた。理由は神戸の南京町付近の例のホテルと大変似たコンセプトであった。かなり、セルフ的な感覚と同時に、バスも浴槽はない。シャワーのみであった。
ただ、部屋からの景観は良いと言える。更に、ホテル内に様々な絵画などの芸術品が飾ってあり、夜にゆっくりと見学した。また、テナント方式が発達しており、カラオケなどが建物内にあったようである。
総論として、リピーターには良いホテルとなろうが、初めての人は少し戸惑う所があるかもしれない。部屋の広さなどから、一応コストパフォーマンスは良いとなる

2014年4月5日 08:53 :14-015-369_

2014年4月5日 06:31:写真No.14-015-362:ホテルの部屋からの風景

交通費は帰りは萩~長門~新山口~岩国~光~(宮島)~広島~(福山)~岡山~津山~林野~我が家迄を当初は予定していた。旅費は、青春18のため、全部で2180円程度としていた。
その代わりに、時間は東京大阪間の二往復分程度かかる。12時間余りである。それも乗り換えで中学生・高校生が登下校でのってくれば立ちっぱなしとなる。この旅に拘わらず、何度、何時間いつも立ちっぱなしがあったであろうか。連続3時間立ちっぱなしなども何回もあった。大変であった。

なお、この旅の帰りは、(意に反して)予定を変更して岩国下車が起こり、(万一に備えてとっていた)福山泊となるが、その話は第2章でしよう。それでも萩から福山まで、それも宮島往復のフェリー代金をいれても2180円が交通費の全額であった。資本主義の世の中で、この金での移動は楽な訳がない。ずぶ濡(ぬ)れとなった話なども次回としよう。

2014年4月5日 09:29:写真No.14-018-188:帰路に走る汽車の中から窓越しに写す。長門付近か。

第2章は、ミスター・オバマなどとの接点が開始してくる旅(「日本のフィクサーME」シリーズの旅)と、「旅に心を求めて・懐かしきの心を求めての旅(鑑真和上編)」の原稿作成用(既にほぼ作成済みで、出版待ちの状態にある)の旅であるが、恐らく、字数の関係で前者のみとなるであろう。同時に、起業・開業寸前での妨害嵐が起こった件の情報公開である。

この旅の帰路である、岩国(そう、Mr.ケリーやミスター・オバマが広島訪問した際の経路の一つ・岩国である)、宮島…は第2章で前者との関連で記そう。

なお、第2章に入る前に第1章第7節でオジョウの話を掲載する。

このオジョウなる人物🎃や女性が絡む箇所はフィクションが大変入っている。女性の箇所以外はフィクションはかなり少ない。

私は昔、ミスター・オバマが…で怪訝な顔をしたように思えたのでいったことがある。

「ミスター・オバマもいつか分かるときがくる」、と。

今回はここまで公開



 

冗長になるため、可能な限り、これ以降は、現代の政経関連の情報公開のみを頭にいれて作業を進めたい。

なお、2014年頃、私は超多忙のみか、党派中立・宗派中立を貫くため、安倍晋三批判はしたことがない。正確には2017年頃までしたことがなかった(それも安倍氏が政治に登場の頃からである)。起業目指して超多忙なため、2016年までは安倍内閣支持率すら見ていなかった。ちなみに、安保法制・特定秘密保護法案は反対どころか、未だに内容すら知らない。

2013年頃から安倍晋三氏がボン対策でちょこちょこ動きだしたことを後に(多分、2018年か19年頃)知ったが、それは安倍晋三氏が誰かに騙(だま)されたのが原因であろうと一貫して思っている。

もはや、善し悪しを別にして、彼との縁がないことを願っているが、彼が疑心暗鬼から妄想にとらわれたか、誰かに誤情報をつかまされたか、騙(だま)されたとしか思えない。

私自身の考えは不必要な、余分な対立は時間の無駄と思っている。しかし、降りかかった火の粉は払わなければ仕方がない

 


 

帰りは萩~長門~新山口~岩国~光~(宮島)~広島~岡山~津山~林野~我が家迄を当初は予定していた。旅費は、青春18のため、全部で2180円程度である。

だが、予想もしなかった大雨に出会う。同時に岩国で…そこで、我が家へ電話。留守電確認、何かあれば即座に家へ。なければ福山で宿をとることにした。

それでも萩~長門~新山口~岩国~光~宮島~広島~福山までで、2180円程度のため、安価である。それも宮島までの往復フェリー料金を含んでの額である。


帰路からは大2章で記す。

2022/02/15 20:21 メモ


母が亡くなる前に大阪で良い寿司(すし)屋にいった。それも大阪を味わうためである。大いに飲み食いし、上等なトロ(一皿二千円かと思うような見事なトロ…)などを何回も食べて、ビールも飲んで、勘定時まっさおで…かと思えば、勘定は三千円台でびっくり。
「安いですな」と言えば「おおきに」と返事が来て、帰り際に「おいしかったで」と言えば「まいど」と声がした。大阪を味わっていたのである。その辻褄あわせは高くついた。朝食・昼食抜き、帰宅後もアルコールなどは正月待ち、更に、靴下含む生活用品は一切買わずに裸足(はだし)…となる。
トータルすると、母死亡後よりも金は使っていない。第一、無収入であり、使途限定の金で生活用品を購入せずに…浮かしてであった。しかも、こうした大阪での飲み食いのときの雰囲気と会話が『日本のフィクサーME』舞台の居酒屋『徒然草(つれづれぐさ)』に反映してくるため必要不可欠でもあった。更に、それも年に1~3度である。
要するに、三千円、四千円一回の食事でつかっても、3日間食事も含めて全く金を使わねば、四日間合計では一日当たり三食で合計千円程度となる。
無収入であり母からの金の配分である以上、他につけがくるのは必至であった。特別費用としてフィールドワークの支給金はゼロであった。何故、フィールドワークをするかは徐々に分かろう。開業・起業のためであった。

小さい話であるが事実である。だが、母死亡後は、寿司はコンビニで五百円のものすら買う気力が起こらない。年に1~2度ほどコンビニで、店は回転寿司レベルが3年に一度となっている。仕事上はよくなく、前のパターンの方がよいが健康に悪い。
やはり昔型で必要なときは年に一度地元を食い、その後始末で、キャベツと豆腐を大量に購入し、家で三日間ほどキャベツと豆腐をゆでて食べて辻褄をあわそうかである。三日間合計600円などで、豪華な1回三千円を加えても4日間で約4000円、一日平均三食千円以下となる。
金欠下でのフィールドワークは大変である。

交通費は帰りは萩~長門~新山口~岩国~光~(宮島)~広島~岡山~津山~林野~我が家迄を当初は予定していた。旅費は、青春18のため、全部で2180円程度としていた。
その代わりに、時間は東京大阪間の二往復分程度かかる。12時間余りである。それも乗り換えで中学生・高校生が登下校でのってくれば立ちっぱなしとなる。この旅に拘わらず、何度、何時間いつも立ちっぱなしがあったであろうか。連続3時間立ちっぱなしなどはざらであった。大変であった。

なお、この旅は、予定を変更して岩国下車として、(万一に備えてとっていた)福山泊となるが、その話は第2章でしよう。それでも萩から福山まで、それも宮島往復のフェリー代金をいれても2180円が交通費であった。資本主義の世の中で、この金での移動は楽な訳がない。ずぶ濡(ぬ)れとなった話なども次回としよう。

 

 

第3章は訪米である。

岩国

 

宮島

への目的などは第2章で書こう。

岩国・宮島・広島、これが「日本のフィクサーME・パート4」に繋がっていく。重要なキーワードの一つである。

ミスター・オバマの広島行きを願っての行動であった。

 

福山

 

帰路

 

メモ

2014年安倍昭恵氏湯郷へ。

2015年安倍昭恵氏、布袋💏キス騒動。

布袋とは、私の友人NTさんをモデルにした、拙著「日本のフィクサーME」シリーズで登場する人物である。

珍しい名なので、同姓の人は登場すまいと考え名付けたのである。だが、安倍昭恵氏がキス騒動を起こす。

ちなみに、この布袋さんのモデルが、2012年4月に、私に「浜田さんの被害は勘違いや誤解ではない。人間違いが原因」ときっぱりと言い切った人間である。その話は『日本のフィクサーME・パート6』ですることになる。

2014年安倍晋三→朝日新聞・従軍慰安婦

2015年Mr.プーチンのシリア空爆で、私が介入のデマが飛ぶ。


2022年1月20日
零時頃~翌日3:00頃まで催眠独り言。契機は望家の電灯を見てか、1/19の日程表に深夜すべきことのメモを書いたあたり。


内容→能開大:
ポイントは私への専任確約招聘は最初から専任にする気なしに騙したか否か
専任に本当にする気で専任を言ったか、嘘か。専任確率は最初はほぼ100%明言→それは本当だったか。
専任延期時→専任になれるよう最大限の努力をする明言も実行されていたか否か。

世取山清氏などの契約違反・労基法違反は、ミスからか故意にやったか否か。
故意の場合には何を目的か=病気にすること、辞職させること等など。
また故意の場合には誰に頼まれたか。なお、違反は弱い・強いではない。弱くても長期ならば雨しずくでも岩をも砕く。
偽学生乱入などは学校は合意の上か否か。

もう一つは今月の歌・日本に関する秘話

駿台も??、温度調整…故意は間違いないが、何を目的か。病気、辞職…何を目的としてやったか、それを自発的に全て明白にすることが重要。


 

 

 

(4)野坂参三の墓参り(15:59~16:36)。
逆に野坂参三の墓は方向音痴の私では、ちょっとたどり着くのが難しいのではと危惧していた。地図を見ても大変わかりにくいのである。ところが、野坂参三の墓のある泉福寺(浜崎町)を目指して歩いていると、押し車の人や、車が誘導してくれるかの如く形で、意外と簡単にたどり着けた。しかし、道は大変ややこしく、もう一度行くとなると着けるかどうか不明である。
なお、泉福寺で野坂参三の墓を探すが、どうしても見つからず弱り果てる。そこでやむなく本堂の方に進むとお寺の娘さんらしき人がおり、その人に尋ねると野坂参三の墓へ案内してもらえた。感じの良い若い(知的雰囲気の)女性であった。
何枚も写真を撮っているのでそれを見ること。ただし、平凡な形で撮っており、芸術的に撮れば良かったと後日思った。たとえば多重露出を入れるなど。
なお、この寺は浄土真宗であり、吉田松陰関連の寺であった。
野坂参三の文字の横の野坂竜の文字を見て、私の単なる直感の政党防衛論を墓の前で喋ると、遠くて船の汽笛が〝そうです〟の如く形でなった。なお、私のこの仮説が当たっておれば、不条理編Part2は第1章が安重根と伊藤博文、第2章が苦悩の中で、野坂参三(氷点型で記す)、第3章がベトナム戦争と韓国で構成する。

 

 

【経路】

 

以下Twitterから引用。
浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·3月31日
●「不条理編・Part2」という原稿のためフィールドワークをせねばならないのだが、持って行くカメラ・レンズ器財にトラブル連続で足止め状態で頭が痛い。数本のレンズが突如画質劣化かつ球面収差か何か?では。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·3月31日
撮影失敗すれば再度行かねばならぬが、そんな時間がないため、半年延期か一か八かで行くか迷い中。器財が正常ならば、30日から行っていたのだが。この原稿は世界の絆を目的に書くつもりも、こう妨害だらけでは。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·3月31日
もし、私の原稿「旅に心を求めてー不条理編」(Part1)が出版できればすべての誤解は解けるのだが。これが本となり、私の姿勢をすべての人が知ったならば、凡人に戻れるのに!ただ、凡人に戻れる前に、平和への土台だけを作らねばならない。凡人、それは夢の、また夢?正夢もあろう!

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·3月31日
●Facebookへの書込は、伯母の四九日や、カメラの相談で価格ドットコムへの書込対応の関係などで中断中。万一、フィールドワークに行けば、4月5頃から書込再開か?何せ精神hero、否、精神疲労で、掃除さえできぬ状況故、やむなし。
次からTwitterにも整理番号記述予定。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
●14-010-1。本日Fieldworkから帰る。Fieldworkの一日目は雨、二日目は暴風と寒波、それに雨と晴れの交互、三日目は豪雨、このため二泊三日を三泊四日とした。光・萩まですべて鈍行での旅であった。一日中電車中か、一日八時間歩くか、で、疲れた。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-10-2。旅の目的は人間模様を追う事であった。光市は伊藤博文、松岡洋佑、左は宮本顕治。萩は伊藤・高杉・桂から田中義一まで、左は野坂参三、志賀義雄とくる。同時に、東大・京大vs松下村塾・適々斎塾である。当然後者であろう。今の教育は狂っていると再度痛感。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-10-3。野坂氏の墓参りもしてきた。彼と山本懸蔵問題も謎である。山本氏が野坂氏の妻を撃とうとした時、野坂氏が山本氏を撃てば正当防衛である。ピストルはスターリンである。考えすぎかどうか、再度考える。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-10-4。野坂氏はスパイと聞く。では戦後のそれの動機は。新党を作るとか、自分で事業を興しその資金のため、豪遊のため等の動機がない。生活するだけならば、彼の知名度では本でも書けば印税で十分。議員年金もある。戦後の動機に関しては全く分からない。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-10-5。本題は野坂問題よりも、伊藤博文と安重根である。これで両方の記念碑に行けた。予告通り、両者について何も調べずに行く、を実践した。今は両者について何も知らない。これから調べて作品化を行う予定である。当然、主眼は現代との対話である。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-10-6。悪魔で、現代の生活・生き方に還元できて初めて意味を持つ。知識はアクセされーではない。実用主義すぎても問題であるが、現代との対話抜きの著作は、パチンコ類と同様の時間つぶしでしかない。悪いとは言わないが、私の世界ではない。知は飾りであってはならない。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
●14-11-1。4月6日、Faceebookに漸く、グレゴリーペックとの出会いを書けた。

なお、野坂問題に関しては、多くの諸情報が私に提供されることを願い、敢えて今回書込をした。ソ連の公開文書だけでは!動機が分からねば、正当防衛論すらありうるので。過去の前例では解けぬ!

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-13-1。野坂関連情報(14-11-1)について。私のFacebookやTwitterには書込禁止。私はfollwもその逆もしない。情報はインタネット上のどこでもよいし、TVでも良い。過去、彼のようなタイプでのスパイ関連の前例がないため、分析不可能となっている。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月6日
14-13-2。ソ連公開情報だけでは。まして動機の解明がなされていない。本人に確認したと言っても100歳頃である。しかも一日意識が2時間程度しかない時もあるとの事。これでは何も分からない。常識で考えれば誰でもそう思う。

兎も角、本題は伊藤と安重根のため、野坂関連では援軍求める。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
●14-14-1。今回のFieldworkの目的。
①不条理編2用・安重根と伊藤博文のため伊藤博文を追う。
②教育論:東大・京大vs適塾・松下村塾のため松下村塾を調べる。
③広島・平和の旅補強用で厳島神社の写真撮影。
④その他。野坂参三の墓参り等。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
14-14-2。①②が主目的。③④は可能ならばであったが、④が気になっている。野坂氏の共産党除名は同政党の問題であり、私には無関係かつ干渉する気はない。だが野坂氏は歴史の文献にも名は残る。依って、歴史学者等には正当・公正な評価を望む。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
14-14-3。再度一般論。戦前のソ連の幹部宛手紙とは、ヒトラーに親書を送るに該当し、文書は規定される。依って手紙類のみでは袴田事件の調書同様である。また14-10-3の如く正当防衛の可能性すらある。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
14-14-4。歴史学者へ。
野坂問題に関してのみか、現代との対話という視点から、スターリン時代の本格分析を願う。その後で、野坂問題を論じた方が良いであろう。
浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日

14-14-5。政治学者へ。
スパイ問題に関する学術的研究を望む。国家の安全と情報公開の必要性などの倫理面のみではなく、科学的視点からの分析を願う。歴史における膨大なデータ収集から諸角度より分析を願う。オバマ・西欧も研究の必要性を感じているはずである。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
14-14-6。私自身は①~③の課題に手一杯であり、④の課題には十分取り組めぬため、学者諸君の援軍を求める次第である。
今回のFieldworkに関しては作品化して述べるが、諸妨害の一部のみを夕方に少し記すかもしれない。
追伸。袴田事件とは現在の再審決定の件である。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
●14-15-1。Filedworkの諸妨害。
開始前のカメラ・レンズトラブルは既述通り。
開始後は2日目→ホテル朝食時、ふたやコップでやけどの危機。
3日目→ホテル朝食時、食事込価格と食事付録感覚でのトラブル。
そして天気問題。意識危害・危害も。

浜田隆政 (Takamasa)‏@Takamasa_Hamada·4月7日
14-15-2。意識危害/催眠か?
岩国駅途中下車。改札口出て2mで切符場所完全忘却。

類似例。
昨年12月ソウル→関空でパスポートで同様。
昨年5月の中国→Y氏が最近健忘症と言うや、その数分後にバスを降りて、自分がどこにいるか分からなくなる。最たる例が14-16参照

 

 


ベッセルイン福山(朝食代別)
2900
JR青春18=2150円

(1)一気に林野か宮島寄るかで迷う。
ホテルが当日でもキャンセル可能なホテルであったため、家まで東萩から一気に家まで返るか、宮島により、福山泊にするか、出発前より迷う。理論上は、もう福山泊が望ましい。東萩から長門周りで林野では疲れが大きい。更に、宮島はFieldWorkで広島特集で使用するため尚更である。更に昨年の宮島撮りの時が夕方であったため、再度行く計画を立ててもいたため尚更行った方が良い。
問題は、我が家を長期間留守にすることへのためらいがあった。そこで、岩国で途中下車し、我が家へ電話し留守電に重要メッセージがあれば、ホテルをキャンセルし家へ直行するし、なければ福山泊で宮島行きとすることにした。
岩国から家に電話したが、留守電が入っていなかったため、予定の行動をとることにした。

(2)雨の宮島。
この日は激しい雨が降っていた。そこで、この雨と雨空を生かして撮影することにした。しかし、そのためには時には絞りがf16必要な時が多い。だが、現在の科学ではデジタルカメラはf8をピークに後は回折現象が起こることが多い。そのため、思い切った撮影やパンフォーカス撮影ができなかった。雨の日は撮影は大変であるが、情感は雨の日の方があることが多い。

(3)福山にて。
福山の夜も店が少なく店選びに苦労する。結局、お好み焼き屋でお好み焼きを食べる。なお、昼食は4日とも抜きであった。FieldWorkは常に強行軍であり、ツアーでない限り、まず昼食抜きとなる。そこで朝食をしっかりとなり、最近はホテルで朝食バイキングをとることが多い。更に多忙な時は夕食も抜きに近いケースがあるため尚更である。今回は夕食は食べられたが昼食は抜きか自動販売器でカロリーメイト程度であった。

【ホテル】
ホテル代金5400円-ポイント使用2500円=2900円。
朝食代は別途800円。
朝食は値段よりは若干良いと思う。千円あまりのバイキングであった。
ホテルはきっちりとしていた。ただし、部屋の窓の前は壁であり、訳あり部屋と言える。景観は外が壁のため、良くない。しかし、訳あり部屋という観点で借りたため、これでよしともいえる。また、日程が込んでおり、外を見るようなゆとりはないため、これで良いとなる。
なお、料金はこの日が土曜日ということを考えると安いとなる。
因みに、ホテルを広島市(平和公園再訪のため)を考えたが、土曜日のため相当高く断念。それならば東萩から岡山市まで行けば青春18で2150円のため、岡山市も検討した。しかも、笹寿司のママさんに久々に夜あいに行こうかとも思っていた。しかし、土曜日のため岡山市も値段が高かったり、リーズナブルなホテルは満室であった。そこで、福山市にした次第である。
春休みの土曜日となれば、格安ともいえる。日曜日と土曜日はアネックスの如く、昔は前者4800円、後者16700円と全く違うのであ

2022年2月16日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA