「2013年の真相」№13・第2章第2節・橋下徹君の従軍慰安婦攻撃(日本のフィクサーME・パート2の一部に該当):重要追記と清書公開開始

このエントリーをはてなブックマークに追加

「2013年の真相」№13・第2章第2節・橋下徹君の従軍慰安婦攻撃(日本のフィクサーME・パート2の一部に該当):📣重要追記と清書公開開始


【更新履歴】

2021/03/09 16:27 β部分の下書掲載

2021/03/10 3時頃からα部分の下書開始。5時頃まで記し、後は起床後に検討する。書き切れない場合には次回に回す。

2021/03/10 5:20 α部分の下書は大半終えたが、修正及び必要箇所の追加は起床後とする。これから寝ます。5:34追記。5:36微修正。

2021/03/10 15:00頃から追記と清書作業をどんどん進行中。大阪人への呼びかけも追記。17:57 松本に関するMysteriousな内容も追記。

2021/03/10 18:13 正式公開開始。政治学的視点から会社・団体潰しの理論を追記し、朝日新聞などに警鐘をならしておく追記もしておいた。(誤字脱字類は今後も修正)

2021/03/10 19:43追記。福岡 駿台 人間違い…という三つの語句追記。

 


2013年の真相―№13
α(一番下に2021年追記)
β(上に本体・原則小学館に送付したまま)
γ(📷写真・🎦動画の挿入)

全体目次は下記。今回は2章第2節。

№10以降読みやすくするため、βとαの順番を逆にする


2013年の真相・目次

 

 


β(原則小学館に送付したまま)


β(真ん中本体・原則小学館に送付したまま)

(第2章)・第2節・橋下徹君の従軍慰安婦攻撃


この日、二十一時過ぎに帰宅し、多少の片付けをした後で、二十二時から報道ステーションという番組を見た。その中で、橋下発言(米軍風俗利用提言)を聞かされる。このときは、何のことか分からず、軽く聞き流した。ところが、五月十九日の報道ステーションサンデーという番組でも、橋下徹君が登場してきた。その後、仮眠後か何かの後で、あれは、私の「風俗論」を言っていると暗示がかかる。そして、私がこれへの批判を日本語と英語の両方ですると言うと、橋下君が英語でのコメントを出すというように、他人(私)のふんどしで相撲をとっているように思えた。さらに、橋下発言が「従軍慰安婦容認論」にまで発展していった。ここに至っては、全く正反対の言動となっていた。私は長期に亘り、従軍慰安婦被害者を支援してきた人間である。私がよく例に出す「私が松茸は健康に良いといえば、誰かが松茸のような物(毒茸を含む)は健康に良い」と改竄したのと同様に、橋下発言は逆の内容を持っていた。

私は党派中立を唱えている上に、右翼でも、私と違う意見の人でも、助言を求められれば平等に応じることがある。私と違う意見は尊重する。しかし、他人が、私の思考内容と違うことを、私の理論としてマスコミを通じて流すことは大犯罪である。マスコミを通じての私への個人攻撃である。そこで、やむを得ず正当防衛権を行使することにした。

と言うのも、日本全体で私の中国行きについて過剰反応が起こっていたからである。中国に行く前には、自民党の川口順子氏が、公明党の山口代表が訪中をした。さらに、私の帰国直後には野中広務氏による田中角栄の「尖閣棚上げ論」の公表へと続く。また、飯島秘書官が、私の訪中にあわせて、北朝鮮をうろうろしたり……である。これらから、私の訪中に対する日本国内でのアレルギー反応か、若しくは、私が画策した米中接近を妨害する動きとしか思えなかった。
私が中国でぶった演説に合わせて、国際的にも大きな動きが起きた。私が今回の中国旅行のメインにおいていた米中接近に関しては、オバマ・習近平会談が急遽決まり、また北朝鮮が中国船を拿捕し、それを口実に北朝鮮幹部が訪中するなどと続く。これらは、第1章を読めば、私の中国での発言との関係が分かるであろう。


(以上、前回公開範囲)以下、今回の新公開



なお、この橋下発言とは別に、私の訪中に合わせて小さな細波も立っていた。報道ステーションやNEWS23などで、三浦知良氏(プロサッカー選手)などが私に対抗して人気はどちらがあるかとか、ダルビッシュ(プロ野球投手)が「ワシントンからの圧力があっては」などと戯言を言ったりしていた。黒柳徹子氏(日本の女優でユニセフ親善大使)も『徹子の部屋』でトム・クルーズ(米国の俳優)と私との対談を仕掛けてくる。
同時に、帰国後、やや躁鬱病の躁の傾向が出ており、挑発に応じて余分なことを喋らされたら困るため、米中会談が終了するまで日本のテレビは見ないことにした。その間は、世界を従軍慰安婦問題に注視させ、この問題に早めにケリをつけ、第1章で少し記した新国際政治・経済秩序に関する構想に専念したいと考えていた。とりわけ、私が(若しくは私も)関与した米中会談の妨害をさせたくなかった。

やがて、橋下発言を放置するか、徹底的にやりあうかで迷い始めた。私が橋下発言を問題にしたのは、彼が従軍慰安婦を肯定したとか、米軍に風俗活用を勧めたという問題ではない。彼がルール、世の秩序に違反したことにあった。

私の立場をまず明確にしておく。
私は従軍慰安婦被害者を支援しており、強制連行被害者も一貫して支援している。強制連行が存在し、また国内でも、昭和農業恐慌(一九三〇~三一)のときなどに身売り事件が多発した以上、理論上も従軍慰安婦被害者が存在したとしか思えないという立場をとっている。同時に、日本がコリア(韓国・北朝鮮)を侵略し、その侵略政策を遂行するため、様々な差別を利用するという犯罪行為をしたと考えている。


だが、従軍慰安婦〝被害者〟は存在していないとか、日本の侵略戦争を擁護する人々と路上で死闘を演じる気は毛頭ないし、そうしたことはすべきでないと考えている。これらは民主主義のルールの上で、互いに論争し、事実を明白にすべきと考えている。
私の愛読書の一つに、J・S・ミルの『自由論』がある。この本によれば相対立する意見があるからこそ、自己の見解は鍛えられ、より威力をますと記されている。

同様に、私は幾つかの原稿の中で、「私は護憲派のため左翼に分類されるかもしれない。だが、右翼は必要である。右翼がいるから左翼は襟元を正し、不正から逃れられるのである。もし左翼だけならば腐敗が蔓延するであろう。その逆も然りである」と書いているくらいである。

私が問題としたのは次の三点である。
一つは、私の公の言動ではなく、私の家での独り言をねつ造し、橋下発言の出所が私であるという画策をした疑惑である。
次が、日本維新の会はこの頃支持率急落で苦しんでいた。私に言わせれば、日本維新の会は、橋下君や石原氏が、過激な発言や、世の注目を浴びる発言・行動をし、それにマスコミがくらいつき、そうしたCMで持っている政党と分析している。そこで、支持率回復のため、若しくは世間から見捨てられぬために、私にかこつけて風俗問題を出してきたとしか思えなかった。
三つ目が、中国アレルギーを持っている日本人がいるが、そうした人達にとって、私の訪中が目障りであったため、それへの報復でこうした画策をしかけてきた疑惑である。
特に、私は一番目を重視した。私が言った独り言を盗聴し、それをねつ造し、逆の意味にした上で出所は私にあるとCMされると、私は生存不可能となる。具体的に言えば、沖縄での女子暴行事件のときに、家で独り言を言ったことがある。

「強姦をするならば、どうして、風俗に金を払っていかないのだろうか。その後で軍規に従って罰せられれば良いのではないか」、と。(前後関係抜きで記したため、誤解の危険性がある。そこでこの独り言の詳細な解説を記している第5節を読んでいただきたい。そうすれば、橋本発言とは全く違っていることが分かるであろう。)
これは第三者には語っていないし、原稿にして世に発表もしていない、深く考えずにふと言った独り言にすぎない。このときの、私の言動を盗聴したという形で、尾ひれをつけて流したと感じた。
しかも、その後、従軍慰安婦問題にまで波及させていった。従軍慰安婦問題に関しては、公どころか家でも、奴隷労働・蛸部屋労働型の従軍慰安婦は存在し、強制連行被害者問題と同様に、日本国家は個人賠償をすべきであるとしか言ったことはない。この橋下君の動きは、私の後の訪韓を阻止する動きにも思えた。

しかし、何よりも問題なのは、家でふと言った独り言を前後関係抜きで歪曲化され、私が出所という形で全国放送で言われたときに、国内外で確実に反論できる手段を持っているか・いないかは分からぬ人間にとっては死活問題となる。私の言動は国内外で注目を浴びるときがある。しかし、私の発言した内容の全部なのか・一部なのかは不明である。他方、橋下君は、マスコミに対して自分の意見を言える場を持っている。
同時に、彼は、活字・TVを見て自己の見解がどのように報道されたかが分かる立場にある。他方、私には、それがない。私がABCと言っても、どの部分が世間に伝わっているのかは不明である。簡単に言えば、私にはアクセス権がない。そうしたアクセス権がない人間に対して、公人がマスコミを通じて、私が第三者には一切語っていない独り言をねつ造し流されたときに、どのように弁解できるであろうか。この点で、彼はこの世のルール違反を行った以上、責任を取り、自主的に公職を去るべきであった。


この種の被害の前例が山ほどあるだけに、私には余計に深刻な問題であった。一例だけ紹介する。美作市が行ったことである。美作市には告知放送というものがある。そして、大地震のときならばともかく、些細な火災どころか火の気程度でも、大きなサイレンとともに大音響で「火災発生、火災発生、場所大字◎◎、小字●●」とならす。スイッチを切っても自動でなる。更に電源を抜くと、一定の時間から酷い音声がなり、電源を抜けない仕組みとなっている。火災ならば仕方がないと思う人がいるかもしれないが、三点違う。

第一に意味がない。
ある日、私の実家から四百メートル離れた所で火災と放送された。慌てて窓を開けてみると煙は出ていたが火は出ていなかった。しかも、地元の消防団は一切来ないし、村の半鐘も鳴らなかった。やがて十分もしない間に「火災鎮火、火災鎮火。場所大字◎◎、小字●●」と放送がなった。だが二階から見ていて消火活動は行われていなかった。

第二に、常識を逸脱した場所でも鳴る。
先の例は近くの火事であったが、遠方の火事でも同様である。東京で言えば、私が住んでいた雑司が谷のアパートで、「火災発生、火災発生、場所江東区、西葛飾、小岩」というくらいに距離が離れた場所でも、ものすごいサイレンとともに大音響の告知放送が鳴るのである。大阪ならば、梅田のホテルで、ものすごいサイレンが鳴り、次に大音響で「火災発生、火災発生、場所平野区、加美南三丁目」である。

第三が時間を構わず、である。
私のトラブルの火種となったのは、遠方の火事で、その上、夜中の午前二時頃に鳴ったのである。その日はたまたま、告知放送器のある場所の近くの部屋で寝ていたため、これで叩き起こされた。
そのときに私は独り言を言った。「ふざけるな。△△」、と。△△は眠くてよく覚えていない。「おっちね」であったか、「正気か。悪戯なのか。後者ならば(憲法)15条違反などで責任を取らせて、毅然と対処せよ」かもしれない。眠たいときに、午前二時に遠方の火事で起こされると、誰でもこうした反応は起こすし、そんな条件反射型言動は一々覚えていない。しかも、その十分後に同様の音声で「火災鎮火、火災鎮火」と来るのではからかっているのかと思う。

だが、問題はその後である。
それでは、私が職員を本当に辞めさすかどうかを実験するため、私を怒らせようとする各種挑発を受けた。役場もさんざん嫌がらせをした。パスポートの申請に行っても、母の死去に際して住民票や戸籍謄本を取りに行っても挑発を受ける。こうして、私が本当に職員を辞めさそうとしたかどうかという口実で、各種実験を長期(多分七年以上)に亘りされた。これでは役場に用事があっても行けず、ここ数年は手紙で役場とやりとりをし、金欠の私は市営バスにも乗れず、時には片道八キロを歩く羽目に追いやられた。当然、行政機関による大犯罪である。
問題は、私の言動を無断盗聴するのも大犯罪であるが、前後の文脈を無視し、拡大解釈をし、それに関連した大被害を受けたことである。因みに、家でのこうした言動で、挑発を受けていると想像したときに、私は誰にどのように弁解すれば良いのであろうか。

大昔ならば、私がプロレス観戦中に「ブラッシー、おっちね」と言うと、警察が人を殺す危険性があると勝手に誇張宣伝し、私を尾行する。次に、本当に人を殺す人間かどうかの実験をすると称して、私を怒らせる挑発を十年やられると、どうなるかを考えればよい。

勿論、巨人・阪神戦をTVで見ていて、巨人ファンの私が、「堀内、そんなにだらしないならば辞めてしまえ」と家でTVに向かって叫ぶと、何か問題があるのかとなる。それを、私が権力を乱用し、巨人の選手を不当解雇しようとしたとマスコミが騒ぎ、警察が乗り出してくる。証拠がないため、次に、故意に何十人もの人間を使い、私に悪質な悪戯や危害(事実上の犯罪)を加え、私がそうした人を解雇・殺害しようとするかどうかの実験という大義名分をたて、十年以上そうした被害を受けたのと同一である。これは、明白な私への危害であり、行った人間の刑事犯罪である。
第一、私がこれでは困ると思い、堀内投手に会いに行き、事情を説明しようとすれば、彼は言うであろう。「あなた、誰」か、「私は忙しいので、巫山戯たことを言って、リズムを乱さないでくれよ」と。よって、反論もできない。
これらの例えの如く(犯罪)被害を、美作市などにより十年以上に亘り受け続けている。

それを橋下君はしたとしか思えなかった。ちなみに、私の家での言動、TVに向かって喋ったことのどこからどこまでが公開され、どこからどこまでが公開されていないのかは、私には全く分からない。また全員に公開されているのか、一部の人間のみにかも分からない。そこで、重要なことは情報公開として、今回の文書のような形で様々な分野に送付している。出版社、新聞社、歴代首相の何人か、主要政党党首・幹事長、政府役人……と。

再度記す。
私は自分の公的見解は情報公開を兼ねて、相当の頻度でマスコミ・政党・政府関係者へ文書で送付し続けている。それが、私の公式見解である。しかも、今回の場合には私の訪中に対する反感からの嫌がらせと、米中接近にむけての私の動きを封じ込める狙い、さらには訪韓を妨害し、私と韓国・北朝鮮人民とを対立させようとする気配を感じた。そして、それらを通じて、あわよくば、維新の会にマスコミを集中させ、それを起死回生にしようとした卑劣な策動の臭いを感じた。

 



α(一番下に2021年追記)

今回は三点の追記をする。

一点目は、(A)私と橋下徹君との関係に限定してでの、橋下徹君の略歴である。

二点目は、(B)テレビを通しての対話という形での矛盾が随所に噴出しているための問題整理である。

三点目は、(C)今回との絡みで、2010年頃から2013年末頃までの、政治の裏話を気軽に書こうである。

(A)今回の原稿関連の橋下徹氏略歴。


○橋下徹氏は1994年早稲田大学政治経済学部卒
→私は1975年関学法学部を卒業後に、教育委員会嘱託や大学院浪人などを経て、1980年早稲田大学大学院政治学研究科修了。

○2003年『行列のできる法律相談所』にレギュラー出演。同年7月『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)でもレギュラー。
→当初は前者を見ていた。後に後者も一時見る。後者で橋下君と出会ったと思う。
前者を見ていた理由の一つが、島田紳助氏が「新伍&紳助のあぶない話」(1992年から96年)に出ていた頃に、島田氏に大変よい感じをもったからである。島田紳助氏が所属していた吉本興業では中邨氏と私とは多少縁があったこともある。
中邨秀雄(なかむら ひでお、1932年10月20日 – 2015年7月3日)氏は関学文学部出身であり、同じ関学卒ということの関係からか、私に興味を持っていたようである。
吉本新喜劇が私の故郷美作町湯郷温泉で興業をしていたのは、多分、私の故郷ということではなかったかと想像している。関学同窓生の結束は経済分野では強い。関学卒財界の大物の何人かとも常時友好関係があったと思っている。
中邨氏は1991年から社長となり、会長、名誉会長…で、2004年まで吉本新喜劇で力をもっていたようである。

『行列のできる法律相談所』には丸山和也氏もレギュラーであったと思う。彼には、この頃は好感をもってもその逆はなかった。彼も同様だと思っていた。ところが、後に、2016年2月、オバマ大統領が大変不快と感じる言動を私になすりつけられた疑惑を感じた。
ここでも奇怪なことがあった。それも二点である。
一点は、丸山和也発言は、私が長崎市長に手紙を送付した、まさにその日起こっていた。そして、長崎での不可思議な出来事へと続く(「日本のフィクサーME・パート4」で記述予定)。

二点目は、駿台講師時代に不可思議な事件に巻き込まれたが、その講師時代にいた、(1983年頃から駿台🚺NM同様に誰かに何かを頼まれ…、84年後半頃から…)駿台🚺職員YKさんと丸山和也氏の高校が同一であった。


2007年(平成19年)12月12日、大阪府知事選挙出馬表明。2008年(平成20年)1月27日投開票の大阪府知事選挙で183万2857票を獲得し当選した。同年2月6日に大阪府知事に就任した
→当選時のインタビュー時にいろいろアドバイス(🤡私は「親衛隊とブレーンを作った方がよい」と…)。

2009年(平成21年)10月には総務省顧問に就任。鳩山内閣である

2010年(平成22年)4月、地域政党大阪維新の会を結党し代表に就任。

この頃、民主党の中でも、私と結構仲の良い人などは、橋下君の民主党入りに興味を持っていた。確か、斯様(かよう)な発言を聞いたことがある。「そのまんま東氏を、民主党に迎えるのは抵抗があるが、橋下徹氏には興味がある」、と。ここで言う結構仲の良い人とは菅直人氏ではない。聞き間違いがあったら困るため、実名は今回は伏せる。

2011年(平成23年)11月大阪府知事を辞職。即、大阪市長選挙に立候補。
同年12月19日、第19代(公選制では9代目)大阪市長に就任した。

2011年(平成23年)12月 大阪府特別顧問、大阪市特別顧問、大阪府市統合本部特別顧問

2012年07月20日頃週刊文春スクープ「性欲非常に強くSっぽいコスプレ好き」
当時、動揺しかけていた橋下君を叱咤(しった)激励をした。恐らく、彼の動揺はそれで相当収まったと思う。詳細内容は次回。

2012年(平成24年)9月、国政政党日本維新の会代表。

2012年10月週刊朝日による橋下徹特集記事問題が起こる。
《…2012年10月26日号の佐野眞一と週刊朝日取材班(今西憲之・村岡正浩)による「ハシシタ・奴の本性」という連載記事である。》(ウィキペディアより抜粋)

私は即座に週刊朝日批判。橋下徹君擁護というよりも、あの文書は問題であると、即座に徹底批判をした。橋下君と対立があった時期でも、その姿勢は変わらなかった。当時は、リベラルと思っていた朝日系列での事件に唖然(あぜん)とした。民主主義、リベラルとは何だろうか…と驚愕(きょうがく)をした。
誤解のないように言うが、2014年の朝日新聞の慰安婦報道問題では、朝日新聞保護に入った。このままでは朝日系列は破壊されると危険を感じた。その話はどこかでしよう。
よって、朝日系列憎さからではない。内容面から民主主義、人権、…より、問題があると感じたのでそう言っただけである。

2012年11月17日太陽の党が日本維新の会に合流。
ここで石原慎太郎氏と橋下徹君が合体する。
この辺りから古賀茂明氏と橋下氏ともギクシャクしてきたのではないかと想像する。

※クリックで拡大。

2010年代の第三極ー維新の会-ウィキペディア-使用OK


まだ、この頃でも私と橋下君との対立はなかった。


2013年5月14日、中国から帰国した、まさにその夜から対立の兆しが起こる

そして、5月末頃から対立が決定的となる。私にとっての本質はアクセス権問題と、放送倫理規定及び各種法律問題と考えていた。当時は、私はまだホームーページは何一つ立ち上げていなかった頃である。
しかし、双方の勘違いだったこともありえ、今後ゆっくりと分析予定でいる。対立内容は当時の原稿「2013年の真相」を順次公開していけば分かると思う。
なお、このとき問題となった従軍慰安婦問題の関係か何かで、同年12月の訪韓では幾つかの事件に遭遇(そうぐう)することになる。第4章でその話は登場する。
やがて橋下君に「辞職要求、最低でも3年間公職を離れることを要求する」趣旨のことをテレビに向かって叫ぶ。古舘伊知郎氏だったと思うが、興味深そうに眺めていた。

ともかく、橋下君と私の対立要因に「報道ステーション」という番組が絡んでいた可能性を感じているが定かではない。(ちなみに、その翌年・2014年朝日新聞潰しが…により開始され、さらにその翌年・2015年3月頃古賀茂明氏「報道ステーション」降板問題、更に更にその翌年・2016年3月頃古舘伊知郎氏が報道ステーションを去るが即座にNHKで登場…。その後も報道ステーションでは小川氏が…更に後藤氏が…と続く。

 {また朝の番組でも「スーパーモーニング」ではメインレギュラーが、鳥越俊太郎氏、落合恵子氏、東ちづる…といたのが姿を消し…となる。もっとも、これは大半が2011年4月頃のため、無関係かもしれない。ただしガラッと変わったようである。私は超多忙のため、2012年か13年頃からみていない。裏の世界で、もはや「世界の浜田」となっており、見たとしても想像がつかぬ妨害三昧(ざんまい)となったであろう。もっとも、この番組を見ていた頃でも、私が関与した話があったが、同番組が気づかなかっただけである。コメンテーターではなく、現実政治の根源部分におかれていたかもしれない。それも2000年前半頃から。}

 ともかく、朝日と名がつく場所では新聞、テレビで大変革が進行してくる。偶然ではなかろう。ちなみに、2013年5月の橋下君との対立をさせられたか、したかの切っ掛けは「従軍慰安婦」に絡めてであり、私の訪韓時(訪中の半年後)にもその余波からか幾多の問題が起こる(私の車からの落下事件と言えばオーバーであろうか…事件、と)。同時に私の中国からの帰宅日からの「従軍慰安婦」論争…の一年後にはやはり「従軍慰安婦」問題を利用しての朝日新聞攻撃が開始される。偶然事項の連続とすれば奇異すぎる。その延長に日韓でも「従軍慰安婦」問題が…。どこかで妖怪が…は考え過ぎであろうか。

現時点でも、訪韓問題、あるいは橋下君との対立問題の真相は未(いま)だに謎である。要するに仕掛け人がいたか・どうか…等々


2015年8月27日、維新の党を、役職辞任するとともに離党。
同時に松井一郎も顧問を辞任・離党した。ただし、両者ともに大阪維新の会の代表・幹事長は続けた。
同年10月2日、国政政党・おおさか維新の会を結党し、初代代表に就任。
同年12月12日、おおさか維新の会代表を退任し、法律政策顧問に就任(同日に大阪維新の会代表も退任)。
同年12月18日、大阪市長の任期を満了し、政界から引退した。

(※)1212とは、私の重要番号1122に次ぐ、ある意味での重要番号である。この番号は2017年の某大局面でも登場する。日本のフィクサーME・パート5で記そう。


橋下君の政界引退理由は知らない。だが、彼が辞めた以上、彼との和解を目指してというよりは全てを水に流そうと考え、2015年12月22日大阪「光の饗宴(きょうえん)」に行く。なかなか動員数が一千万人を超えないとのぼやきを聞いていたため、行く前にかなり大阪をHP類で盛り上げ、さらに帰宅後も同様の対応をとった。そのせいかどうかは不明も、このときに簡単に一千万人を超えたようである。


橋下君と私とでは、もはや、考え方が違う箇所が多いかもしれない。だが、私は党派中立・宗派中立のため、考え方での対立は意味がない。
彼がどのような考えをしていようとも、民主主義のルールに基づいている以上は、私は彼と対立する必要はない。
対立原因は今回掲載すれば分かるように、思想とか考えとかとは全く無関係だからである。彼が今後政界に復帰することがあっても、私は傍観するだけである。

もっとも、真の対立要因が何か別にあれば、???である。というのも、真の対立要因が未だにはっきりしないからである。

※写真は一度クリックでパソコン画面大、原則として二度クリックで巨大

大阪光の饗宴-1:写真№15-061-088 :2015年12月22日

大阪光の饗宴-2:写真№15-061-150 :2015年12月22日

大阪光の饗宴-3:写真№15-061-150-T :2015年12月22日

※【追加、呼びかけ(2021/03/10 16:58追記)】(大阪人に問う)世の中、持ちつ持たれつ。(長姉などが住んでいた第二の故郷)大阪また行きまっせ。

2010年頃大阪をモデルにした「日本のフィクサーME」執筆開始。ぺーパー版を翌年頃発表。少したつと世界から大阪ブームが。2015年には電子書籍(Kindle、KOBO各百円、$1)で発売。もうその頃は大阪の宿を予約も難しくなっていった。海外から日本に観光客が…当然、京都か東京中心のはずが、大阪から始まったような記憶がある。私のこの本との因果は不明も併行して、世界での大阪ブームとなる。火付け役の私は、もう大阪のホテルがソールドアウトに近くなり、尼崎の方に移動を余儀なくされた😭。ただし、撮影は大阪は(2020年を除き)毎年撮り続けている。

世の中、持ちつ持たれつ。コロナが終焉するや、お金倹約して大阪に行きまっせ。第二のホームグラウンド・大阪。

「もうかりまっか」、「ボチボチデンナ」と言いたいが、「さっぱりですわ」。

金があれば何でもできる、東京。安くても、うまいところがありまっせ、が大阪。政治の都・東京、商いの都・大阪。もう一回復活させませんか。政治家よりも、商売人・おおおさか人によびかけ。金が少しでも入れば…一緒にやりませんか。世界遺産請負人・ボンから。

 映画では八尾の朝吉{映画・「悪名」原作・(関学中等部にもいた)今東郷}、舞台では花木京を生で見て、後に藤田まこと氏との縁も…。大阪とは腐れ縁があります。勿論、後には藤山寛美も生(舞台)で見ました。


(B)TVを通しての対話という、人権侵害欺瞞(ぎまん)の話と問題整理。

簡単に言えば、TVを通して見られること自体が、本来プライバシー権侵害である。盗聴以上の大犯罪である。

そこで、TV側の人間と視聴者・私との関係を整理すれば、誰でも分かる如(ごと)く以下となる。

TV運営者・登場者などは法律と憲法と放送倫理規定に基づく必要がある。
私を含む視聴者は日本国憲法と法律に従うのみである。ただし、残念ながら、日本では受信料を支払う義務がある。

金銭問題一つをとっても双方は対等ではない


何故(なぜ)ならばTV運営者・出演者側は賃金などを受け取っている。
他方、見る方の私などは受信料を支払っている。
これだけが絶対的事実である。


そこで、私に対して不公平というならば、ややこしいので私を直(じか)にTVに出演させてくれと言い続けている。やしきたかじんにも言った。筑紫哲也氏や古舘伊知郎氏にも言った。黒柳徹子さんには年賀状で直に書いたことがある。古館氏にも以前には年賀状で書いたと思う。今は古館氏には一切年賀状も何も出していない。またTVなどで見ることもない。

平等にしたければ、私に出演料と交通費を支払って正面から契約をすることである。平等にしたくなくても契約を双方で結び、契約を遵守し、契約で記した額を私に支払う必要がある。常識である。

TVに正式に出演すれば、私もTV側と同じ義務を負う。しかし、そうでない場合にはTV側と視聴者では義務が異なる。賃金問題を含めて常識である。

同時に、正面からのそうした契約抜きでは、盗聴以上の大犯罪である。

私には、上記のため、何の義務もないが、道義心から、私が知り得たことは、一定の間隔で情報公開をすらしている。ここ及び、この項目(B)に関することは本日寝て起きて時間があれば追記する。なければ次回記す。

(2021/03/10 17:06)結局次回かいずれ後日記すことになった。昨日の予定外の畑がきいた。本日も寝たのは午前6時すぎとなった…からである。

(C)2010年頃から2015年頃の政界裏話。

以下、日本のフィクサーME型(5%程度嘘をいれた形)で記す。


明神(みょうじん):
ボンちゃんサー、橋下徹って右翼ではないの。
極右だろう。
何故(なぜ)、いっときとはいえ、親しくしていたのだ。
同じ大学だといったって、ボクだってサー、早大法学部卒だ。
ボクのサー、後輩と言えば、稲田朋美氏とか、岸田文雄氏とかがいるけれどもサー、ボクは応援なんかしていないよ。

ボンちゃんのサー、政治学研究科の学部は政経学部だ。
確かに、後輩には橋下徹氏や、野田佳彦氏、大塚耕平氏、世耕弘成氏などがいるけれどもサー、ボンちゃんサー先輩・後輩なんて関係がないだろう。
その上、先輩の方が凄(すご)いだろう。河野洋平氏、福田康夫氏、小渕恵三氏…と。全員ボンちゃんの恩師・内田満先生と知り合いだろ。


布袋(ほてい):
確かにその通りだ。
ボクなんか、東大法学部卒だろ。先輩・後輩全部つきあっていたならば身が持たない。
なぜなのだ。
もっとも、保守本流のボクは右は大好きだ。
右のことを英語ではRight(正しい)というくらいだ。
ところで、橋下徹氏は保守本流かい。
ボクは違うと思う。
保守本流とは中曽根康弘様だ。


ボン:
橋下君との…の話は後でしよう。
というよりも、2013年の真相の次回か次々回に書いている。
ただね、橋下君は過激な発言はしていたようだが、個々の政策では当初は保守ではなかったようだ。白紙に近かったはずだ。
そうでなければ、何故(なぜ)、古賀茂明氏をブレーンにしたと思う。
それに、鳩山内閣で総務省顧問をしている。

また(A)に記した如(ごと)く、当初は民主党の幹部の一人が、橋下君が来ると言えば必ずしも拒まず…という形で興味をもっていた時期があった。

ところが、いつの間にか、白紙が何らかの色に染まったみたいだ。
それは思想・良心の問題で、党派中立のボクには関係がない。

ところで、その頃の回想をしよう。人間関係の複雑さがよくわかる。
例えば古賀茂明氏(元官僚)を例にとってみよう。
民主党政権時代に、仙谷由人氏(※1)と古賀茂明氏の問題があった。いわば対立だ。
確か、「TVタックル」という番組の中で、阿川佐和子さんなんかが、古賀氏に官僚なんか「早く辞めたらいいのに…」的なことを言っていた。
簡単に言えば民主党と古賀氏の対立だ。丁寧に言えば、民主党の一部と古賀氏の対立だ。
他方、民主党大幹部の一人である鳩山氏は橋下徹君を総務省顧問にしていた。

極論すれば、民主党が橋下君に近づき、民主党が古賀茂明氏と対立という図式だ。
今、考えると逆みたいだろう。

ボクが橋下君が大阪府知事になったときに条件反射で言ったのが「ブレーンと親衛隊をつくった方がよい」であったが、その橋下君のブレーンの一人が古賀茂明氏だった。

橋下君は柵(しがらみ)拒否をスローガンにしており、何かをやるかもしれないという期待が幾多の人にあったと思う。

(※1)仙谷由人{せんごく よしと、1946年〈昭和21年〉1月15日 – 2018年〈平成30年〉10月11日。菅直人第1次改造内閣:官房長官・在任期間 2010年6月8日 – 2011年1月14日:第85代 法務大臣=菅第1次改造内閣・在任期間 2010年11月22日 – 2011年1月14日}


布袋:
古賀茂明氏と対立した仙石氏と言えば、いっときは影の総理といっていただろう。
脅しの名人ってとこだろ。
ボンに対してはどうだったのだい。


ボン:
仙谷由人氏はボクに対してはもの凄(すご)く下手(したて)にくるんだ。
とにかく、極端な低姿勢だった。
すると、ボクは自然に何も言えなくなる。
仙石氏と言えば、松本龍氏が菅内閣で登場したときにも、ボクにいろいろと解説をしてきたことがある。大変丁寧な形でね。
簡単に言えば、「松本君は大変おとなしいというか、たいへん温和というか…」そうした表現をしてきたことがあった。
ボクは、松本龍氏の名前も顔も、菅内閣ができる直前頃まで知らなかった。
仙石氏は何か勘違いをしたのではないか。

TVタックルでは古賀茂明氏を見る。当然、友好的な感じでね。
他方、仙石氏は、ボクのことは相当調べたみたいだけれども、とにかく低姿勢一本やりでくる。すると、もうTVタックルをみていても、その件はノーコメントだ。

あの頃は板挟みのオンパレードであった。
尖閣漁船事件では、佐々淳行氏(著名な元警察官僚:※2)がビデオ流出させた人を犯罪者にしないように、君の力で何とかしてくれとくる。佐々淳行氏については既に言ったと思うが、彼のお姉さん・紀平悌子氏は、ボクが市川房枝氏に会いに行ったときに、対応した人だ。

その頃の、市川房枝氏の選挙参謀が菅直人氏であったという縁がある。まだ菅さんが政治家になる前の話だ。

(※2)佐々 淳行(さっさ あつゆき、1930年(昭和5年)12月11日 – 2018年(平成30年)10月10日)は、日本の警察・防衛官僚。1970年代の東大安田講堂事件(1969年)、あさま山荘事件(1972年)、ひめゆりの塔事件(1975年)など数多くの学生運動や新左翼のテロに対する警備実施を指揮した。また八鹿高校事件(1975年)でも一時5000人の機動隊を引き連れて指揮に当たった。
 初代内閣安全保障室長として、1986年7月1日、第3次中曽根康弘内閣で初代の内閣官房内閣安全保障室長(兼総理府安全保障室長)に就任した。中曽根康弘、竹下登、宇野宗佑の3人の内閣総理大臣に仕える。(以上、ウィキペディアから引用)

 (浜田隆政コメント:2021/03/10 17:38)私との関係は既述の通りである。なお、先に名前をだした三人はいずれも2018年に死去した。
 2018年に松本龍氏(同年7月21日死去)、佐々淳行氏が同年10月10日死去、翌日の10月11日に仙谷由人氏が死去した。ちなみに、松本龍氏と仙谷由人氏は共に肺癌(がん)が原因の死亡であった。
 松本龍氏の死去当日から突如TVがみられなくなる。この日は星野仙一記念館に行ったが、岡山県倉敷市真備地区の洪水の余波で大変であった。さらに、松本サリン事件の麻原 彰晃(あさはら しょうこう)こと、本名松本智津夫氏が処刑されたのも2018年7月6日、倉敷市真備大洪水の原因となった大雨被害も7月6日であった。
ちなみに、先の丸山和也氏の件で、丸山和也を擁護する形の発言をしていたのが松本人志氏であった。ここでも松本が強調される。さらに、この頃我が家に警察か偽警察かが来て、「松本」という意味不明の名を強調した謎もある。さらに、松本人志氏はダウンタウンという漫才コンビをくんでいたが、その相棒が浜田雅功(まさとし)氏であり、共に、吉本興業所属であった。なお松本人志氏の故郷は尼崎市である。
 また丸山和也氏と仙谷由人氏の訴訟合戦が2010年11月に起こってもいた。



布袋:
ボン、こういうことかい。
最初は古賀氏と民主党が対立し、逆に橋下徹氏は民主党とうまくいっていたということか。
民主党は当時はトロイカ体制だ。
鳩山由紀夫、菅直人、小沢一郎の三つの頭だ。
鳩山氏は橋下徹氏を総務省顧問にし、小沢一郎氏と橋下徹氏も特にあのころは対立していなかった。それに菅直人氏と橋下氏の関係は知らないが、菅直人氏の後継となった野田佳彦氏と橋下氏の対立もなかった。

今から考えると想像もできないね。


ボン:
ボクは政争はどうでもよい。
党派中立・宗派中立だ。
ただし、政治の世界では「昨日の友は今日の敵」とその逆はお決まりの話だ。


明神:
ボンちゃんサー、政争はどうでもよいっていったってサー、新聞は金欠で購読していない。テレビは挑発のみか、催眠型でまともに見るのは封じられている。
要するに、日本の政治については何も知らないのだろう。


ボン:
その通り。
県会議員などはほぼ全員名前も顔も知らない。美作市長選挙、市議会選挙も、もう投票にも行けない。国会議員選挙もだ。


はかせ:
まさに天皇並みですな。
もっとも、そうなりますと情報はインタネットだけとなり、自然と海外のみに目が向きますな。
日本政治については縁をきられていますから、今の橋下徹様についても何も知らないのでしょうがな。


ボン:
その通り。
皆さんに教えてもらわねば分からない。
ただし、人間の性格は変わらないが政策は簡単に変わる。


はかせ:
そうですな。
スポーツ選手などは最初はボン様と同様で政治については党派中立が多い。
ところが、そのスポーツ選手の人気を見込んで政治の世界に脚を突っ込ますと、別人に変身しますからな。

要するに、ボン様は党派中立・宗派中立のみか、一定の時期から天皇同様に、日本政治からは遠ざけられたのですな。
ただし、安倍様だけがその線を越えて、ボン様にちょっかいをかけようとなさるので、いろいろと裏の情報が安倍様が辞められるまで入り続けたのですな。しかも、表ではなく裏のみの情報が。

それとボン様の性格は海外向きですから、海外からの情報が入るのですな。
そういえば、安倍様と小泉純一郎様が対立…などは、2005年頃は夢にも思いませんでしたからな。
その内、政治の世界でも大変動が起こるかもしれませんな。
一党が強くなりすぎれば、火山の爆発が…。細川護熙様などの登場もそうした面があったかもしれませんな。


ボン:
ともかく、ボクは生々しい政治の世界には関わりたくない。
ただし、経済は別だ。
生活がかかっている。
同時に、政治家ではなく、科学としての政治学は述べることもある。要するに、政治現象の科学分析だ。
少数支配の法則とか、幾つかの現象における法則性だ。
現象に合わせて制度をつくっても、現象が変化する以上、制度は桎梏(しっこく)となる事例などだ。

(2021/03/10 18:09追記)さらにシンボル操作、政治学者メリアムなどが指摘したミランダ問題だ。これらは後日話そう。

また政治学者・ボンとすれば朝日新聞潰(つぶ)しとすれば、過去の政治学的手法は内部からの画策だ。要するに、朝日新聞潰(つぶ)しのための刺客を朝日新聞に潜(もぐ)らせ、朝日の信用を分からぬ形で破壊する工作を開始するなどだ。詳細は朝日新聞の社員リクルートをみなければ不明だ。同時に、超大物とぶつける工作、更に、故意に誤情報を朝日目当てに流し、それにひっかけて新聞の信用を失わせる…。これらが昔の政治手法だ。これらは具体的な話でなく、政治学知識を応用しての理論からの解説にすぎない。詳細は後日しよう。今回はここまでとする。

(2021/03/10 19:41語句のみ追記)

 

#オウム真理教 並み事件か

#福岡 続く謎

→駿台講師🚺 駿台職員🚺 松本龍氏 某食堂店の🚺…

#駿台 の謎 🚺好きな振り攻撃連続の謎(三波)

①一波=1983年~84年2月

②二波=1984年秋~85年3月(🤡💌が1984年秋)

③三波=1985年4月~85年6月

駿台大阪校での マイク不備攻撃等2年危害の謎

駿台あっせんホテルでの就寝中風攻撃。記載開始するや、ホテルは身売り。更に電子書籍化の頃、ホテルは廃業。

大阪御三家のホテルで…黒字にもかかわらず…。

更に 📢 #人間違い 被害の謎

2021年3月10日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA