Blog15-085・安倍戦略の検討・政治編―1。恐るべき権謀術数の政治(誰の知恵なのか?)【9月6日大幅追記編】

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安倍戦略の検討・政治編―1。恐るべき権謀術数の政治(誰の知恵なのか?)【9月6日大幅追記編】

通常の人間として、安倍総理の行動を見ると、彼の主義主張を2013年には推し進め、2014年にはオバマ大統領などからも諭され、2015年からは安倍個人としてではなく、日本の総理として振る舞うようになった、となる。

他方、政治学専門の私が、彼の一連の行動を分析すると、恐るべき結論に達する。まさに権謀術数の世界である。彼の目的は=憲法改正(人によれば憲法改悪)を行うことにある。特に、憲法9条を変える。これを行うために彼は逆算をしたとなる。その発想は素人のそれではなく、相当権謀術数に長(た)けた人物が裏で敷いたシナリオ通りに動いたとなる。

 

恐るべきそのシナリオとは次の通りである。

①中国を徹底的に挑発する。ついでに韓国も挑発しておく。(2013年4月の麻生外務大臣の靖国参拝と同年12月の安倍氏の靖国参拝等々である)

②当然、中国・韓国などから猛反発を受ける。

③その結果、国民に危機感を持たせる。中国が攻めてきたら……、と。

④上記を口実にアメリカとの関係を強化する。
1)歴代首相が手をつけなかった集団的自衛権を実現させるため法改正を行う(確約若しくはそれに準ずることを行う)。
※憲法との整合性から集団的自衛権は無理であるため、どの総理も手をつけなかったのである。
2)上記と引換えに、アメリカに尖閣について日米安保が及ぶことを、国務長官の口からではなく大統領の口から言及してもらう。これで、国民を1)の方向に誘導する。

⑤憲法に違反していることを承知で集団的自衛権に関する法律を作成する。

⑥法が成立し、かつ集団的自衛権に国民が慣れ親しんできたら次のように言う。
「集団的自衛権と憲法9条は相いれない。法の整合性を担保できない。そこで、憲法を改正するしか方法はない、と。」

⑦こうして、国民を憲法改正へ合意するよう誘導する。

 

 

即(すなわ)ち、安倍総理の戦略は①から⑦へではなく、⑦からスタートしたのではなかろうか。そこで、④が達成できた時点で、70年談話では中国・韓国などとの軋轢(あつれき)を避けてももう問題がない、となったのではなかろうか。
日本経済が中国経済と密接に結びついている以上、彼の信条よりは、日本の経済的利益を優先するため、もう妥協しても良いとなったのではなかろうか。

要するに、⑦からスタートしているのである。

ただし、彼を支持するナショナリズム勢力から反発を買わぬように、彼の代役として高市早苗などを靖国参拝せたり、彼の言いたいことの一部を言わせたりしておく。そして彼女らを厚遇しておくという戦略である。

①から⑦の戦略を誰が考えたのであろうか。まさに、昭和の妖怪と呼ばれた岸信介氏が生き返って、影で安倍氏に指南しているが如(ごと)しである。私の分析が当たっていれば、目的はともかく、手段・戦略は安倍氏が描いたものではない、となる。誰であろうか。

当然、2012年9月の自民党総裁選のかなり前に、谷垣氏ではなく安倍氏を総裁へという流れの時点から、計算されていたのかもしれない。安倍氏をは森元総理などの意向であったかもしれないが、①から⑦の流れは森元総理が考えた権謀術数とは思えぬ。戦前の謀略の世界に長けた人間のシナリオとしか思えない。

本日はここまでとする。

 

  【当初の骨子】
2015年8月17日に公式Blog15-077:「私が司(つかさど)る・朝まで生テレビ・戦後70年の総括と明日の日本」―1として、次の題目を記した。
(1)憲法1条と9条
(2)日本の安全――ペリー来航の件
(3)日本の安全――私が提唱する世界連邦への道
(4)安倍晋三総理の戦後70年談話の評価
(5)岸信介について。
(6)安倍氏の戦略について。

そして、(1)と(2)の一部だけを記した。残りを順次記さねばならないのだが、超多忙なため、(6)だけとしたい。当面、膨大な原稿群の隙をみて、安倍戦略の政治編と経済編を記す。ぽつりぽつりと記していくことになるであろう。
上記①~⑦の流れを絶つには新たな平和の枠組み理論の提示しかないと思う。同時に平和が金になることを理論かする経済理論の提示である。

この原稿はFacebookとGoogle+に掲載し、暫く寝かせ、吟味してから私の公式Blogに掲載することにする。もし、考え過ぎであった場合等は公式Blogには掲載しないことにする。

 

 

 

2015年9月6日0:23追記】

  ①Google+などに掲載後、寝かせた結果、記述してよいと判断し記述。

 

②安倍氏の性格。第一次安倍内閣のときはかなり礼儀正しい、若い紳士と思ったが、第二次安倍政権ではマスコミ報道が事実ならば性格が少し荒くなったのか。確か、彼は昔は京都駅かどこかで福島瑞穂氏に出会い、握手を求めたという噂(うわさ)を聞いたことがある。福島氏は判断に迷ったとも聞いた。事実か否かは不明である。昔の話である。
中曽根康弘氏と、私は、考え方が大きく違う。だが、中曽根氏は紳士であった。彼が声を荒らげたり、怒ったりしているのを見たことがない。ヤジなど飛ばすことはない。
私が見た政治家の性格も今後、暇時に、記録する。

 

③自民党成立後、歴代総理が憲法改正を正面から言わなかったのは、以下のαとβによるものであった。
α)支持率が下がる危険性があった。
β)経済成長が長期続き、日本国憲法がそれを後押ししていたことにあったと思われる。日本国憲法は防衛面でのコストを下げられ、同時に、企業が海外で活動しやすい状況を作り出していた。[図示]日本国憲法→経済成長と海外での企業活躍を後押し。
そこで、憲法改正論者でも、バブル崩壊前までは総理になるや憲法改正を具体的議題にすることはなかった。岸と中曽根氏くらいのものである。中曽根氏も途中でトーンダウンしていた。
βに関して言えば、バブル崩壊後の不況から、もはやこの図式が崩れたため、憲法改正論者が台頭してきたと思われる。
αに関して言えば、マスコミと教育・文化政策により、憲法改正を正面から言っても票に響きにくくなった関係である。特に、マスコミは俗に言う右派は無料で新聞などのHPを公表することが多い。それに対して憲法擁護関係のマスコミは有料に専念したことにも一因がある。有料の情報サイト量では互角かまだ護憲派が多いが、無料の情報サイト量では圧倒的に憲法改正派が多い。
文化政策・教育政策はいつか記す。

2015年9月6日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA