日本のフィクサー〝ME〟続編メモ(六)・国際緊張緩和のための情報公開・中国から韓国へ:3-1・米中橋渡しを目指して(1)

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(見出し)2013年訪中の目的の一つが米中接近への架け橋であった。何故、日中ではなく米中か。同年は麻生氏、安倍総理の靖国参拝が。オバマ大統領辞職と共に政経から手を引くと宣言していのにも拘わらず…追記、自民党支持率と民主党支持率が逆転したのは2012年夏頃、支持率が大きく乖離(かいり)したのは2013年1月頃。安倍内閣発足当初は、日本の右傾化への国際的な厳しい視線があった。韓国朴政権と習近平中国政権などの日本への対応、欧州でもメルケルドイツ首相が不安な視線を送っていた

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日本のフィクサー〝ME〟続編メモ(六)・国際緊張緩和のための情報公開・中国から韓国へ:3-1・米中橋渡しを目指して(1)

《全箇所共通注意事項》

(1)著作は、原則として、十二回の見直しをして作成している
(ブログは、通常、一回程度の見直ししかしていない。)
今回の原稿は、この十二回の見直し以前の単なるメモである。
そこで、作品時点では大きく様変わりするであろう。
それを頭に入れて読んでいただきたい。

(2)この文書は、故意に嘘(うそ)を10パーセント程度いれている。

どこが嘘かは公開できない。善良な第三者に迷惑をかけないための措置である。
総論として、この文書はフィクションとして書いている。

(3)『日本のフィクサーME』登場人物のキャラクターなどは以下を参照願いたい。
安らぎ文庫>>6-1・『日本のフィクサーME・下』《『日本のフィクサーME』登場人物の紹介》
http://h-takamasa.com/book-01/custom57.html

◎風景描写→字数の関係で、メモではごく一部を除き風景描写は原則として大きく省略する。

※今回から、以下本文の青字はクリックすれば、ウィキペディア等にリンク。

(If you clicks a blue character,a blue character will link to Wikipedia etc.) 

しばらく、見直しをほとんどせずに、細切れに書き上がったものを掲載予定。もう少しで日本のフィクサーME・続編メモは終了予定

本日眠い中での記述のため、ミスがあるかもしれません。

●最終修正:2017年11月17日 16:20。16:45:17:38

 

日本のフィクサー〝ME〟続編メモ(六)・国際緊張緩和のための情報公開・中国から韓国へ:3-1・米中橋渡しを目指して(1)

明神(みょうじん):
ところで、ボンちゃんサー、2013年に中国にいったときに何を喋(しゃべ)ったの。


ボン:
それは『日本のフィクサーME・パート2』で記す予定だ。
だから、今回のテーマではない。
ここでは項目だけ見せよう。

☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆
①尖閣問題の棚上げの必要性とそのための方策、
②尖閣棚上げ期間の提言とその根拠、
③当時の菅直人・温家宝両首相への調停案と破綻の経緯、
④尖閣国有化の背景、
⑤野田前首相について、
⑥領土問題における新国際制度・条約の必要性、
⑦世界の安全のための新方式の提言、
⑧世界の安全のために国連改革か新組織か、
⑨米中接近の重要性、
⑩日中対話の在り方へのアドバイス、
⑪準固定相場制への提言、
⑫TPPよりも、WTOか新組織を軸に世界自由貿易体制構築を、
⑬法人税問題に関する国際条約の必要性、
⑭北朝鮮問題解決の在り方、
⑮元が安すぎると、輸入(輸出)インフレを招き、中国自体も貧富の格差が増大する事、
⑯当時の菅・温家宝両首相に提案した尖閣問題解決のための再生エネルギーの重要性等についてである。
☆☆☆(抜粋終了)☆☆☆
☆☆☆☆☆☆


ボン:
この内、⑭の北朝鮮問題解決の仕方は前回話した通りだ。
あとの解説は『日本のフィクサーME・パート2』で行う予定だ。
パート2では野田政権末から2013年末頃を記している。
原稿はほぼ下書きは終了している。
2013年の5月の訪中と同年12月の訪韓が中心だ。

2014年オバマ大統領の訪日からオバマ大統領辞職の2017年1月20日までが『日本のフィクサーME・パート3』となる。
僕の2015年訪米の経緯から、2016年長崎訪問、それにオバマ大統領の広島訪問などが中心だ。

そして、『日本のフィクサーME』シリーズはパート3をもち終了予定でいた。


明神:
ではサー、どうしてパート3で終了なの。
ボンちゃんサー、政治学が専門だから、どんどん書けば良いのに。


ボン:
確かに政治学が専門だけれども、政治の世界よりも芸術の世界の方に関心がむいてしまったのだ。
「社会契約論」を書いたルソーも、有名な歌を作曲している。


明神:
ルソーは教育学や植物学にも精通していたことは知っている。
だけれども歌までやっていたの。
何の歌。


ボン:
「むすんでひらいて」という歌。
これはルソーが作曲したんだ。
僕はルソーではないが、芸術などの作品づくりに関心が今は向いているのだ。
それに、僕の人権救済依頼を全政党に送付した時に党派中立・宗派中立を明言した。

そこで、政治には余り係(かか)わりを持ちたくなかった。しかし、救済依頼をした関係でどうしても、一部政治に触れざるを得なかった。
さらに、政治家の方から接触してきて、そこで条件反射的に幾つもの提言をした。

そうしたある日、岡田克也氏であったか、「裏で物事が決まって良いのか」と言われたのでやむを得ず、この書物・「日本のフィクサーME」で情報公開をせざるを得なくなった。(ただし、それはパート3までである。パート3で全て打ち切り予定だったからである。パート4該当の今回は記述理由の一つは北朝鮮問題もあったが、それ以上は多分二十年近くノーコメントとする。)
ただし、関係者に迷惑をかけないため、故意に嘘(うそ)を十パーセントいれるのと、タイムラグで公表をずらすこと、更に面白おかしく書いて目くらましをすることを心がけた。

ちなみに、2012年のアメリカ大統領選挙の頃からオバマ大統領と親しくなり始めた。
特に大きな契機が、2013年5月の訪中からだ。
詳細な経緯は『日本のフィクサーME・パート3』で記述予定だ。


布袋:
そう言えば、ボンが中国から日本に帰った、約一週間後の五月二十三日には、オバマ・習近平会談(六月六日と七日)が突如決まったね。

それも関係あるのかい。



ボン:
僕は詳しい経緯は知らない。
ただ、⑨の箇所で、僕は日本政府と中国政府の友好などは後回しにした方がよいと言い切った。先に米中接近が重要だ、と。
米中が接近すれば、放っておいても日本は中国に接近する、とまで言った。


明神:
ボンちゃんサー、愛国心がないのかい。


ボン:
いいかい、僕が2013年5月8日から訪中だけれども、この直前の4月22日に、麻生太郎氏が靖国参拝をやり、中国は更に反日感情が高まり、最悪の条件での訪中となったのだ。
しかも半年前には尖閣の国有化問題だ。
これで、日中友好と言っても政府レベルでは無理だ。
中国で政府間での日中友好なんて言うだけ時間の無駄だと思った。

(ちなみに、私の2013年12月訪韓直後には安倍総理が靖国参拝を行う。)


しかも、この頃は総理の靖国参拝、尖閣問題などでも、アメリカ三人トリオはもっともなことを言っていた。
☆☆☆☆☆☆

☆☆☆訪中の経緯は下記参照☆☆☆

日本のフィクサーME・続編メモ:(三)―5・私の訪中の真相―菅直人・野田佳彦、温家宝ラインでは?
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=14844

☆☆☆☆☆☆


布袋:
三人トリオって誰。


ボン:
オバマ大統領、バイデン副大統領、ケリー国務長官だ。
これならば、政府間では米中接近の方が早いと思った。
米中が接近すれば自動的に日中接近になる。
それを言って帰国するや、オバマ・習近平会談が決まった

これらをきっかけにオバマ大統領と急速に接近となる。
それまでは中国との方が近いくらいだった。
温家宝首相と菅直人総理の間に入ったことはすでに書いた通りだ。

☆☆☆☆☆☆
☆☆☆『真相2013年』(「日本のフィクサーME・パート2」下書きの一部兼用)☆☆☆
第2節・中国への旅の真の目的
当初の主目的は、『旅に心を求めて―懐かしきの心を求めて(鑑真)』の原稿作成目的で、中国の(鑑真和上修行の地)揚州に行く予定でいた。
第二の目的が、日米中間の橋渡しをし、それを『日本のフィクサー〝ME〟・パート二』として別の原稿でまとめることであった。

観光旅行とは無縁の仕事若しくは就職活動でしかなかった。しかし、……主目的は日米中の接近への橋渡しへと変化した。

ただし、日本の右傾化、特に、二〇一三年四月二十一日に麻生外務大臣の靖国参拝があったため、もはや日本抜きで中国とアメリカの橋渡しを重要な目的とした。即ち、それを使命として中国に行くことにした。

その時の模様を拙著『旅に心を求めて―懐かしきの心を求めて(鑑真)』とS市議会前議員氏宛手紙より引用する。

 ―★★『旅に心を求めて―懐かしきの心を求めて』(2013年1月)より★★―
だが、まだ心を取り戻せず、最後の賭として、鑑真和上の古里・中国への旅をすることにした。

ただし、その旅は、日米中の橋渡しになるという別の目的もある旅である。

万一、オバマ大統領と習近平氏の仲介役となれれば幸いである。
―★★引用終了

『真相2013年』(2014年出版社とS議員へ送付)

『旅に心を求めて―懐かしきの心を求めて』(2013年1月完成、2月か4月に出版社へ送付。)

S議員宛に出した手紙発送時期は2013年訪中前と思うが。

★★―
☆☆☆(抜粋終了)☆☆☆
☆☆☆☆☆☆

明神:
ボンちゃんサー、どうしてそこまで動いていて、もう政経から手を引きたいのだい。


ボン:
主な理由三つある。
第一に、オバマ大統領とかなり親しくなると、オバマ大統領が辞職した後で一緒に政経から手を引いた方がややこしくない。
いいかい、今まで、オバマ大統領など、例の三人組と親しくしていて、政権が変わったならば、ぱっと新大統領と親しくなれると思うかい。
同時に、僕はミスター・オバマは我が友と言っている。
すると、政権が変わっても友は大事にするし、しなければならない。
だから、オバマ大統領辞職と同時に手を引くと宣言していた。

第二に、僕が訪中した目的が三つ程度あったが、そのうち一つが米中露の接近、更に新国際政治・経済秩序構築、その先に世界連邦という流れがあった。
最低でも常設の世界統一軍への道筋をつけるという目的だ。
それが暗礁に乗り上げたことだ。

第三に、僕も霞(かすみ)を食っては生きていけない。
そこで、今、一番関心のある芸術関連を中心に作品づくりをすること、だ。
だから、先に言ったように、本年1月21日から政経から手を引くと宣言をしていた。


布袋:
ところで、ボン、「⑫TPPよりも、WTOか新組織を軸に世界自由貿易体制構築を」についてだけれども、オバマ大統領はTPP推進で、ボンはどうなの。


ボン:
僕は、2016年頃に、その件はノーコメントを貫くと宣言した関係で、しばらくはノーコメントだ。
野田元総理にアドバイスをした頃(2011年頃)はオバマ大統領とはまだ今ほど親しくない時期だ。オバマ大統領の一期目だ。
他方、野田佳彦君は、僕が早大政治学研究科に在籍中に、早大政経学部の学部の学生だ。彼の試験監督をした話は既に書いた通りだ。


次回へ続く。

(2017年11月17日 16:08追記)

 次回は2012年中頃から2014年までの政治状況を簡単に振り返る。
自民党支持率と民主党支持率が逆転した時点(2012年夏頃)、支持率が大きく乖離(かいり)した時点(2013年1月頃)などの紹介。

さらに、国際社会の安倍内閣への視線なども振り返る。第二次安倍内閣発足当初から、日本の右傾化への国際的な厳しい視線があった。
韓国朴政権と習近平中国政権などの日本への対応、欧州でもメルケルドイツ首相が不安な視線を送っていた。

アメリカのオバマ政権も見かねて、バイデン副大統領とケリー国務長官などが厳しい視線を注(そそ)いでいた

特に、日韓問題にも絡めて、アメリカ政権も頭を痛めていた。
ちなみに、2013年には、、私の訪中(2013年5月8日)直前に麻生氏の靖国参拝(2013年4月下旬)、私の訪韓直後の安倍総理の靖国参拝(2013年12月)などもつづく
後者にはバイデン副大統領などが異例の「失望」という形で日本政府に対応してきていた。


同時に、国内でも、一時七十パーセント近くあった安倍内閣支持率が四十パーセント台までに落ち込むこともでてきていた。

安倍政権が、日本への国際社会の不安視に対応し、靖国参拝などに一定の歯止めをかけたのは、2014年4月のオバマ大統領訪日であった。
同時に安倍内閣支持率が大きく巻き返しが起こったのも、2016年伊勢志摩サミットとオバマ大統領広島訪問からである。

後者などは私も巻き込まれたことは既に記述している通りである。
私は党派中立・宗派中立である。ちなみに、現在は安倍政権の「ア」の字も言いたくないが本音である。「ア」の字も言わないとは批判すらできないことを意味する。一切拘(かか)わりたくないが一貫した方針である。

但しオバマ大統領は我が友である。

それを他人が勘違いか悪用されたのである。

2017年11月17日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA