公式Blog№64。私が司(つかさど)るシリーズ1回目。徹子の部屋・(芹洋子)を終えて(後編)。

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(3)党派中立性・宗派中立性について。

 

なお、徹子の部屋で芹洋子さんが登場するや、塩崎厚生労働大臣の話や、党派中立の話をした。その理由は、芹さんが困らぬようにするためであった。
芹洋子さんに出会ったのは、1972年某後援会主催の決起集会中であったと記した。その後援会は革新系の講演会であった。場所は西宮市であったと記憶する。今日の日本では、革新系となると色眼鏡どころか、様々な抑圧のある国である。

 

私が西宮から実家に引っ越しをするときに、レンタルの2トン車のロングを運転してくれたのは、現在芦屋市議会議員のH君である。彼は日本共産党に所属しているようである。それだけで、自民党の某国会議員(今は大臣のT氏である)などは、鬼の首を取った如(ごと)く目で私をみるときがある。日本には思想信条の自由はないと宣言するが如しであった。ちなみに、H君とはもう40年ほどあっていない。年賀状のやりとりはそれ以上にない。

 

私は大学の頃、ベトナムへ医療物資を送ろう、沖縄の正しい形での日本復帰を実現しよう、差別をなくそう(大学ではいっとき婦人問題研究会に一年余り所属し、またわずかではあるが地域の子供会にも参加していた)、真の自治会を作ろう……などの運動を行っていた。その関係で、この後援会にいった。そのときに、芹洋子さんに出会ったのである。
すると、芹さんも、そうした思想の持ち主かで営業活動に支障が来たら困るため、塩崎厚生労働大臣の話で牽制(けんせい)をした次第である。

 

塩崎氏の該当箇所をウィキペディアから引用する。
「塩崎恭久……高校時代は学生運動・学園紛争の全盛期にあたり、塩崎も新宿高校では生徒会長も務めたが、学生運動への参加を嫌う学校側に対し、自由な運動の容認を要求し、校長室を数人で占拠して10日間のストライキを行う等した。 ……アメリカ留学を経験。その際、ベトナム戦争に反対する集会にも参加していた」(ウィキペディア2015年7月19日検索引用)という。なお、以前のウィキペディアには、塩崎氏は中核派シンパと記されていたこともあるが、それは削除されていた。今でも、ネット上では「元中核派」という表現も見受けられる。
勿論(もちろん)、他人に害を与えぬ限り、何派でも関係ない。40年前と今を同一視してみることは話にならないというだけのことである。その例として、塩崎氏の名前をだしただけである。
私がベトナムに医療物資を送る運動に参加していたころ、塩崎氏も「ベトナム戦争反対」と言っていたことを強調したにすぎない。

 

芹洋子さんがどのような思想・信条を持とうと自由である。しかし、今の日本には自由がないため、40年前の話で、現在は何も分からないという当たり前のことを言っておいただけである。

 

ちなみに、私は30年以上前からどの組織とも一切係(かか)わりを持っていない。同時に、約30年前から党派中立・宗派中立宣言をしている。その本質的原因は拙著『旅に心を求めて―不条理編・上』(美は悲しみの中にあり)の第2章を読んで貰(もら)えば分かるであろう。 もちろん、友達には日本共産党員の人もいる。しかし、自民党員の人もいる。それどころか、「日本のフィクサーME」(本年秋頃には出版予定)に記しているように、小泉内閣で提言をしていた可能性が高い。自民党だけではない。民主党でも、菅直人内閣などで提言を幾つもしている。昔、教員採用試験で一緒した創価学会会員と思われる人とも交際がある。社民党にも知人は多い。

 

読売新聞社長の渡辺氏が昔、日本共産党員であったことは本人が自分で公言されている。ようするに、43年前の話では何も分からぬということである。思想信条の自由があるといいながらも、今日の日本では先のT大臣の如く脅してくる人間もいるため、念のために塩崎氏の話をしておいた。
私は、大学時代にベトナムに包帯や医療物資を送る運動にも参加していた。にも拘(かか)わらず、今、ベトナム行きに支障を来しているかもしれぬため、後日ベトナム宛にメッセージを記すことにする。

 

最後に、芹洋子さんの件で中国の胡錦濤元国家主席の話をした。しかし、私のHPでも特集している人民日報(日本語版)などで関連した話は紹介されている。以下、その記事を引用しておく。

 

《伊東亜美さんは1984年、日本青年代表団の3000人のひとりとして訪中した。代表団最年少の亜美さんは当時わずか3歳。母の芹洋子さんに抱かれて中国に入った。芹さん母子を感激させたのは、中華全国青年連合会の主席を務めていた胡錦濤氏が、中国式の赤い上着を亜美さんにプレゼントしてくれたこと。「このプレゼントを直接子どもにわたすため、胡錦濤氏は私たちの宿泊先で1時間も待っていてくれた」。日本の有名な歌手の芹洋子さんは感激をこう述べた。(編集MA)「人民網日本語版」2008年10月29日》。

 

 
※(追伸)。
この記事ではありませんが、私のHPには中国・韓国の動画放送、新聞も特集しています。勿論、米国・英国などは膨大に特集を組んでいます。公式HPのお勧め情報や安らぎ文庫の世界の新聞などを参照ください。

今回の記事を書いてH君のことを思い出しました。本年は彼にも、営業も兼ねて年賀状を出してみるか、です。

 

本日、超多忙な中で、都合で急いで記述しました。後日修正する部分があるかもしれません。

 

私が司る徹子の部屋2回目は美輪明宏さんを予定しています(ただし8月下旬頃です)。
私が一方的に、我が家でパソコンに向かい喋りまくるだけです。そこで、三輪さんと徹子さんの話を聞きたい方は事前に(8月中旬頃に)、徹子の部屋・美輪明宏を「安らぎHP>安らぎ英語>安らぎの間」に掲載しておきますのでご覧ください。
三輪さんを取り上げる理由は、戦争・従軍慰安婦問題などに対する三輪さんの話が大変素晴らしいからです。三輪さんを取り上げ、私が一方的に話す内容も戦争関連の話です。 その次の候補は、仲代達矢氏(可能ならば、最近の八草香さんと登場版と、仲代兄弟で登場の二本)、瀬戸内寂聴氏、笠置シズコ関連で登場した歌手、三浦友和関連、…で、順不同です。
また、田原聡一郎氏の「朝まで生テレビ」も同様形態で特集するかもしれません。いずれも、現在の原稿3本の修正版アップロードが終了してからとなるため、8月下旬かと思います。何しろ超超多忙なのです。

 

2015年7月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA