(1)44年前(1972年)の出会い。
芹洋子さんに出会ったのは、1972年某後援会主催の決起集会中であった。決起集会の中で芹さんが招かれて、芹さんが歌を歌った。その頃、四季の歌をまだ歌っていないのならば、何の歌かは忘れた。
舞台の上の芹さんを見て、出会いと言えるか。通常は言えない。だが、私は通常ではないのである。十年か二十年前に、大阪で山口洋子氏と出会った。正式には山口氏がコーヒーか何かを店で飲んでいただけである。店の中で出会ったのか、歩いていて山口氏が見えたのかは覚えていない。当然、無視をした。その話をどこかでした直後に、山口氏がスポーツ新聞の中で、私の名は出していないが、私のことと思われるような形で、「声をかけてくれたらよかったのに」というようなことを記していた。
まさかそんなことがある訳がない、気のせいと某文書に記した。すると、即座に林家正蔵(旧林家こぶ平)に出会った。彼は「いや、そんなことがあるのですよ」と言わんばかに私の方を見た。
本年5月末に野麦峠に行った。その日は「野麦峠祭」であった。その場に、名前は忘れたが女子の歌手が招かれていた。多分駆け出しの人と思われる。私は、仕事で野麦峠にきていた。仕事の内容は拙著『旅に心を求めて―不条理編・上』関連のために、野麦の記念碑撮影であった。そこで、私は歌は一切聞かずに、撮影に専念していた。歌手の顔は全く覚えていない。だが、歌手の方は私を覚えているかもしれない。いや、多分、私を知っているか、覚えているであろう。こうしたややこしい状況に置かれている。私には裏の世界と表の世界があるようであり、大変ややこしくて困っている。
コンサート類などで見れば出会いではないという。他方、それは出会いであり、無視するなというタレントもいる。実際、美空ひばりのコンサートに島倉千代子が一般の客として入場していたら、美空ひばりが気づいたという。だから舞台からでも、分かるのであろう。1972年に芹さんに出会ったのは事実であるが、出会いと言えるのか・言えないのかは、表の世界と裏の世界を持たされている私には分かる訳がない。いい加減に、表と裏を統一してくれ、とは私の主張である。こうした状況が、私への人権侵害を更に増幅してもいる。
中国やに人権があるのか・ないのかは不明である。人種問題をはじめとして、アメリカに本当に人権があるのかどうかも不明である。これらは一方的な映像のみを見させられていのみであり、何も分からない。(9・11事件同様に)。ただ言えることは、私は人権剥奪を幾十にもされている。救済依頼を政府・主要政党に書留送付を何度もしたが、未(いま)だに経済の自由・人身の自由を始め、幾つもの人権を剥奪され続けている。日本に人権がないことだけは、私が証明している。
要するに、私には裏と表の顔の分離からくる不便さだけではなく、いずれ告発していくように、就職を含む経済の自由も、営業の自由も、人身の自由もない。即ち、アメリカや中国云々(うんぬん)ではなく、日本に人権がないことを私が証明しており、これだけが絶対的事実である。中国云々と、日本政府が言えたものであると、呆(あき)れかえっている。
再度記せば、絶対的事実は、中国・アメリカ云々ではなく、日本の私が日本国内で約三十年にもわたり人権剥奪されつづけていることだけが絶対的な事実である。この問題はここまでとし、別の箇所で触れるとしよう。
ただし、この種の出会いでも、プロレスラー・大木金太郎(韓国名キム・イル)氏などは1969年には、彼の方から近づいてきて記念撮影をしている。それより以前の野際陽子さんについては後日どこかで触れることにしよう。さて、以下本題に戻る。
(2)徹子の部屋での芹洋子さんへの依頼内容。
すばらしい歌で、世に知られずに埋もれた歌がある。古い歌ですばらしいが、若い世代が知らぬ歌がある。日本だけでもものすごい数である。「それらを、一緒に世に出さないですか。」これを中心に喋(しゃべ)りまくった。
徹子の部屋での芹さんと黒柳氏の対談を聞きたい人は既に7月2日に見ているはずである。私のHPでも、その場面をYouTube経由で貼り付け、7月17日19時まで、自由に読者が閲覧できるようにしていた。だから、そこでも十分見られるはずである。同時に、7月17日は、私・浜田が一方的に喋りまくり、「黒柳さん・芹さんの会話は聞こえないですよ」、とHPに掲示もしていた。彼女らの会話が聞きたい人は事前に私のHPを見るように、と。勿論(もちろん)、7月17日19時~20時以降は、私のHPの該当箇所の中で、徹子の部屋での徹子さんと芹さんの会話は自由に聞けるであろう。
私が司(つかさど)るシリーズは、原則として、私が一方的に喋りまくる形態で行う。私の主張である。しかも、場所は私の家の中である。その趣旨を事前に記してもいる。
問題は一切ないはずである。
ピカソの絵は古い。ルノアールの絵も古い。どんどん新しい絵があるではないか。
ベートーベンとかシューベルトは古い。どんどん新しい曲が作られているではないか。
広隆寺の弥勒菩薩(ぼさつ)は古い。法隆寺の救世観音像も古い。新しい彫刻があるではないか。
私が取り上げた「水色のワルツ」、「We shall overcome」は古い。どんどん新しい歌があるではないか。
もはや解説の必要はないであろう。強いて少しだけ解説すれば、マスメディアのマインドコントロールにかかっているだけなのである。(新しい商品を売る)商売のために。詳細は安らぎ文庫Blogで書くことにする。
それどころか、良いもので、世に埋もれているものがたくさんある。
芹さんのレパートリーで世に余り知られていない、良い曲とすれば、『青春』{作詞角倉聡(かどくらさとし)、作曲地主幹夫(じぬしみきお)}と、『旅にでよう』{作詞・中里綴、作曲・田山雅充}などがある。前者を、少し、本格的にやってみたらなどなどを言った。ただし、あの歌は中学生・高校生千人くらいでの合唱、間奏は思い切った楽器で大胆になどなどを素人の私がすきなことを喋った。
今の日本の若者は、欧米の歌と日本の〈それも現在の〉歌だけを追い求める傾向がある。そこで、私は私のHPで世界の歌(約193か国の歌)を紹介しようかと思っている。「芹さんも、もしよろしければ、日本の埋もれた歌・若い世代が知らぬ昔の良い歌を掘り起こしてみませんか」、と呼びかけただけである。
クラッシックも音楽ならば、歌謡曲も音楽である。勿論、両者ともに芸術である。ならば、古いか新しいか、欧米で注目を浴びているかどうかではなく、良いものは良いという単純なことだと思うのである。
――(続く)――
※開催場所:安らぎ文庫HP>安らぎ英語>安らぎの間
日時:一回目2015年7月17日金曜日19時~