徒然なるままに№11・「あの時、君は若かった」(1)―グループサウンズに熱狂

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徒然なるままに№11・「あの時、君は若かった」(1)―グループサウンズに熱狂



かまやつひろしさんが2017年3月1日逝去した。

かまやつさんは、私が一時熱狂したザ・スパイダースというグループに所属していた。

かまやつさんを偲(しの)びながら、グループサウンズ時代を振り返る。

なお、かまやつさんの追悼文は以下に収録している。

追悼―かまやつひろし様。

http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?service=7924

祝い・追悼の言葉



《◇―1・グループサウンズ・エレキ時代到来》


最初にかまやつさんが作曲した歌の紹介から入る。


ザ・スパイダーズ_あの時 君は若かった (私がマチャアキを初めて見たのは、この六年以上前である)


私が小学校に進んだ頃、村で車を所有している人は一人か二人であり、テレビも大半の家にはなかった。

電話すら、村の店屋に一台しかなかった。その店に電話があれば、電柱につないであるスピーカーで「○○さん電話です」とがなり立て、走って店まで行き電話を受けていた。村全体での電話であった。

我が家の場合には、父が途中で教師を辞めた関係で金も余りなく、レコーダーはなかった。ただし、大昔、祖父が学校長を始め幾つかの要職に就いていた関係で、多少羽振りがよく、蓄音機なるものがあった。それと大昔のレコードが。

曲は、「支那の夜(しなのよる)」(歌・渡辺はまこ)と「りんごの唄」(歌・並木路子)などである。ちなみに、私が大学を卒業し、教育委員会に籍をおいたときに、人前で歌った歌が「りんごの歌」であった。

こうした状況の中で、初めてレコーダーを買ったのが小学校六年の頃である。そのときに、ビニール製のレコードを購入した(若しくは本の付録であったかもしれない)。初めて、自分で購入したレコードが三波春夫さんと、加山雄三さんの歌であったと思う。

このレコーダーを買う数年前にテレビが我が家へ入ってきた。

そして、テレビを見ていると、面白い顔の人が出ていた。全く無名の若い人であった。

堺駿二(しゅんじ、1913年~1968年)の息子であるという。堺俊二は映画の時代劇で何度か見ていた。確か、美空ひばりと共演していたこともあったと思う。テレビでも何度か見ていた。

そして、ある番組で芸能人の子ども特集をしていた。そのときに登場したのがマチャアキこと堺正章であった。歌手とか、タレントとして見たのではない。有名人の息子として、テレビに出たのである。

その時の印象は、「これは面白い顔」だ(・∀・)!!!。

まだ井上順ちゃんが入って間もない頃かもしれない。1962~64年頃ではないかと思う。


そしてザ・スパイダースというグループを知った。このグループの看板が堺正章、井上順、かまやつひろし(敬称略)だったからである。
最初はテレビにも余り登場しなかった。徐々に、歌番組などで見たり、映画のはし役で出たりしだした。映画館で見た「高原のお嬢さん」(舟木一夫主演)などにも出ていた。

やがて「夕日が泣いている」(1966年後半)が大ヒットし、ブルーコメッツと並びグループサウンズ時代を切り開く。
 私の記憶ではグループサウンズ時代がまず開始し、次にフォークブームがやや遅れて開始したと思う。そして幾つかが融合してゆく。ともに、日本の高度経済成長期(1955年~71年)に該当する。

ともかく1966年頃は、私にすれば、人がほとんど知らないグループを応援していると、やがてトップグループになったのだから、買ってタンスにしまっていた株が大暴騰したような気分であった。

ザ・スパイダースの人気が、最初に購入したレコードの歌手・加山雄三さんを追い抜いたというような記事を見ると有頂天となっていたのを覚えている。

とはいえ、当時はエレキを弾(ひ)くと言えば、不良少年的に思われた時代であり、男性長髪は道徳違反と思われ、紅白などは門前払いの時代であった。
 ジュリー(沢田研二)、マチャアキ(堺正章)らは紅白は門前払いであった。道徳は時代の産物であり、私がしきりにイドラ(偏見)への挑戦をしている理由がそこにある。
なお、どの世界も練習量が本質の土台にある。グループサウンズの厳しさの例として最後の曲を聴いていただきたい。


《◇―2・若き青春熱―アイドルなるものに熱中する時代》

 


 人間の成長過程において、大なり小なり、アイドル(idol)的な存在の人に熱中する時期がある。ちょうどニキビのようなものである。

なおアイドルとは、英語でcelebrity(日本語ではセレブと言い、有名人に近い意味)と訳される場合もある。

ただし、私は女性歌手・俳優には余り関心がなく、ジョーク型の人に興味を抱き続けた。
そこで、最初は植木等(ひとし)さん及びクレージキャッツに興味を持っていた。植木等さん(クレージキャッのメンバー)と言えば「無責任時代」の代名詞である。植木さんは、周知の如く、お寺さん出身で、性格はその逆のタイプである。だが、映画や歌で「無責任ブーム」を巻き起こしていた。
高度経済成長と「無責任なる語」ブームである。三無主義もこの頃話題となっていた。

ともかく、私は冗談が大好き人間だったのである。
英語で自己紹介をするときは「Joke-Lover」と言うこともある。何しろ、三日冗談を言わないと便秘になると言っていたくらいである。

もっとも、自己紹介の大半は「Joke Lover,  Takamasa Hamada」ではなく「Forgetful Takamasa Cookie Hamada」と言うこともある.
FogetfulがMrに代わり、Takamasa がファーストネーム(First Name or Given name)、Hamadaがラーストネーム(Last name or Family name)であり、Cookieはミドルネーム(Middle Name)である。

そういえば、オバマ夫人(ミッシェルさん)をあきれ返させたことがあった。
あるとき、インタネットを見ていると、ミッシェルさんがセサミストリートで、しきりに「クッキーを食べるよりは野菜を食べよう」と子ども達によびかけていたときがあった。

そのときに、私は先の名前で自己紹介をし、「クッキー、クッキー」と連呼すると(I am Forgetful Takamasa Cookie Hamada. Cookie! Cookie!)、ミッシェルさんは机を叩(たた)き「オー、ノー」と、笑いながら言った。

オバマ前米国大統領と私の接点もジョークだったのかもしれない。これは冗談です。

こういう訳で大変冗談好き人間である。

その関係でクレージキャッツのファンとなり、先の事情(マチャアキのジョークや顔)で、次にザ・スパイダースのファンとなったのである。
ファンとなった動機は、初めて見たときの堺正章が実に面白い顔をしていた、というだけのことであった。そのときはまだ歌を聴いていないと思う。

もっとも、(植木等さんも感心していたが)隠し芸には限らず、マチャアキ(堺正章)のマルチタレントとしての才能には、私も後にも感心し続けていた。



《◇―3・グループサウンズ時代の終焉(しゅうえん)》


ザ・スパイダースは桜のようなものであった。人気がでてきたと思うと、即、ザ・タイガース(沢田研二さんがいたグループ)などに抜かれていく。また、ブルーコメッツとも曲の売れ方で差がつけられる。


そのときに言った言葉を、「気が向けば戯言(たわごと)№No.33・動画作りの音楽で参る―マチャアキ、芹さん、プリーズ、プリーズ」に記している。

☆☆☆関連箇所引用☆☆☆
 まだまだ、ザ・スパイダースの思い出、堺正章の思い出はある。ヒットがでなくなると、家でいっていた。「曲だよ、曲だよ。いつまでも、浜口庫之助さんに頼っていては駄目だよ」、と。
 □
 実際、大野さんとか、かまやつさんがいたんだから。
 □
☆☆☆抜粋終了☆☆☆

【夢か・徒然】No.33・動画作りの音楽で参る―マチャアキ、芹さん、プリーズ、プリーズ。




今の言葉で言えば、「権威にとらわれてばかりいては駄目だ」と言うことである。浜口庫之助という権威にとらわれ、表が浜口作曲「夕日が泣いている」「風か泣いている」=歌・堺正章、裏がかまやつ作曲「いつまでもどこまでも」、「なんとなくなんとなく」=歌・井上順という路線では。


実際、追悼文に記したように、大野克夫さんは「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「居酒屋」(五木ひろし&木の実ナナ)などを作曲し、かまやつさんは「あの時君は若かった」(最初に掲載した歌)「いつまでもどこまでも」「バン・バン・バン」「ノー・ノー・ボーイ」「なんとなくなんとなく」、ガロの「四つ葉のクローバー」を作曲している。


こうした、若かりし頃の思い出がザ・スパイダースにあった。そして、ザ・スパイダースのみならず、グループサウンズ時代はあっという間に事実上の終焉(しゅうえん)を迎える。

ビートルズにより、火をつけられたグループサンズ時代は、日本ではわずか六年程度であった。

それのみか、ザ・スパイダースの一員であったかまやつさんも亡くなられ、グループサウンズ世代自体が高齢者となり、更にはこの世から姿を消しつつある。

思い出せば、高校の頃、友人が「『あの時、君は若かった』のレコードを売ってやろうか」と言ったことがあった。しかし、あの頃の私の小遣いが、クラブで使う金も含めて、月千円だったため、買えなかったことが残念である。

グループサウンズ時代とは何だったのか。いつか、世界の歌でビートルズ、ベンチャーズなどを特集したいと思っている。

ただ、忘却してはならないのは、どの世界でもそうであるが、土台に情熱と練習量のすさまじさがある。そこで、今回の原稿の最後に、それを思い出すため、グループサウンズの一員であった寺内たけしさんの演奏を収録している。


《◇―4・追記。井上順ちゃん、マチャアキの写真、それは少し違うよ》

 


マチャアキを初めて見た頃、「これは面白い顔をしている」と虜(とりこ)になったと書いた。
すると、「徹子の部屋」で井上順ちゃんが、マチャアキの若い頃の写真をだした。
それは少し違う。
その写真はザ・スパイダースが有名になり、マチャアキも女の子から「キャーキャー」と言われ、身だしなみを整えだした頃の写真である。

私が言っているのは、1962年から64年頃のマチャアキの話である。順ちゃんがマチャアキを初めて見た頃の顔を思い出してもらいたい。まだ無名で、誰からも注目されず、世間を気にしていなかった頃の顔である。

ザ・スパイダースではなく堺俊二の息子としてテレビで紹介された頃である。

なお、先に記しておくが、私の顔はトムクルーズの箇所で書いた通りである。だから、こういうことは言ってよいのである。



☆☆☆公式ブログからの引用☆☆☆

……二〇一三年五月三十日に徹子の部屋で、トムクルーズに冗談で「日本では、女性は美人が良く、男性は醜男(ぶおとこ)が良い。

その点では私の勝ち(According to Japanese proverb, it is good that a woman is beautiful, but it is good that a man is a little ugly. So I win)」と言ったが、これはまんざら嘘(うそ)ではない。

 醜男(ぶおとこ)であれば、女性からの誘惑が減り、浮気の誘惑から解放されるからである。

……よって、夫婦で、浮気しないという契約をしていたならば、その遂行がより簡単になるからである。……
☆☆☆引用終了☆☆☆

Blog16-002・「夢か現(うつつ)か-30 「【俳優】トムクルーズ。お~い、話が違うじゃないか(前編)」より引用。:

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=4082

Blog16-002・夢か-30 【俳優】トムクルーズ。お~い、話が違うじゃないか(前編)


{この箇所は、これから出す、『日本のフィクサー〝ME〟パート2』の下書き部分でもある。なお、先の徹子の部屋で、トムクルーズが、「いや、私の勝ち」と言い続けたような気がして参った。私は、先の文脈では、「私の負け」とは言えないのだから。}


《◇―5・グループサウンズの演奏とかまやつさん追悼》


最後に、グループサウンズのエレキ演奏とかまやつさん追悼でかまやつさんが作曲し、歌う「四つ葉のクローバ」を収録する。
この曲を聴けば、グループサウンズ時代からフォーク時代への流れも分かるであろう。日本ではこの二つが融合していったのだから。

もう一曲はグループサウンズ全盛時代の歌を掲載予定でいた。しかし、YouTubeを探したが、現在は著作権問題のせいか何かで、全てなくなっていた。

マチャアキが長髪で歌っていた頃の「夕日が泣いている」を探したがなかった。この長髪のため、紅白の出場は門前払いされたのである。沢田研二さんも同様であった。「男性の長髪はモラルに反しているが」、当時の教育界の見解であった。歴史の記憶と思い、探したがなかった。

 ただ、寺内たけしさんのエレキ演奏があったのでそれを収録した。どの世界でもそうであるが、土台には情熱と厳しさと練習量が必要ということを再度確認した。
 寺内さんのエレキ演奏を聞けば、修行の厳しさと練習量の重要性が分かるであろう。
ちなみに、グループサウンズではないが、(コメディアンの)クレージキャッツも演奏面でのトレーニングは厳しかったときく。

いつかグループサウンズ時代も検証したいと思っている。

最後に、追悼文・祝い類の記述は、超多忙のため、次回からはかなり短くする予定でいることを明記しておく。



①かまやつひろしさんの歌(作曲・歌ともにかまやつさん)。
四つ葉のクローバー かまやつひろし

②グループサウンズ・エレキの名演奏

寺内タケシ&ブルージーンズ – 運命


上記の演奏風景
③寺内タケシとブルージーンズ ♪運命